2024年3月4日月曜日

原因、結果の法則は1つであるという意味である


原因、結果の法則は1つであるという意味である 

原点は1つである。宇宙は1つなる生命である。
1つなる生命であるから久遠常在なるとこしえの世界である。1つなる生命が宇宙の本源本質であり、この1つなる生命から様々な万象万物が現象化している。
原因、結果は顕すものと顕されたものは1つであるということなのだが、現象からしか見ることが出来ない為、どうしても分離感で見えないものは外に分離してしまう。
原因、結果は1つと云いながら、見えないもの、つくり主を外に求めてしまう。
偶像崇拝にしてしまう。言葉では1つであると云いながら神を外に求めてしまう。
天地一体、天と地は1つであると言葉では言っていても天と地は別々に考えて2つを合わせようとする。造り主が地を造っていると知っていても天と地を分離させて考えてしまう。
合わせて1つと考えてしまう。
神道で霊主体従云っても自分の中に霊がいるとは考えす、神によって造られた神の子であるいうことになってしまう。それで神様を祀る。
宇宙は1つなる生命体であり。神様と現象人間は1つなのに、2元論になってしまう。
1つの中に2つはないのである。神は我が中にいることが理解できない。造り主は我が中にいるのである、これが霊主体従なのである。宇宙は1つなる生命体なのである。
宇宙そのものが神、仏なのである。




善悪の心はなく、善のみの心がある

 

善悪の心はなく、善のみの心がある

宇宙は1つなる生命であり、心は1つである。
1つの心のなかに善悪の心は存在しない。
宇宙は1つなる生命が多神を顕している。
1つなる生命の化身として現象化されているものをあると信じる心が善悪の心を生み出す。
現象は生命の顕われであり、1つなのであるが、現象を見てあると信じることで自ら幻想の世界を創り出す。宇宙は想念によって想念されたものはすべて具現される。良いことを想えば良いことが顕れ、悪いことを想えば悪いことが具現される。
宇宙は1つなる無限生命である。この無限生命は何かの媒体がなければ顕れることが出来ない。宇宙は1つなる全知全能の力、知恵、創造の原理であり、様々な現象を通して生命を顕している。
人間はこの現象をあると錯覚し、1つの生命体を分離させたために善悪の2元論を造ってしまった、1つのものを2つに分けてしまった為に争い、闘争の世界を造ってしまった。
現象は生命の化身であり、2つで1つなのであるが、見える現象の仮相界に身を置いて生老病死の仮相の世界。有限なる世界に生きている。仮相界は不変不動の本宿の永遠なる世界ではなく、諸行無常の変化して止まない有限なる世界である。この仮相界に入ってしまうと自己責任において本宿に戻らなければならない。



2024年3月3日日曜日

学びとは本当の我に帰る学び


学びとは本当の我に帰る学び

宇宙は1つなる生命体である。1つなる生命体が様々な現象を顕している。宇宙の根源は生命エネルギーであり、この1つなる宇宙細胞体が顕している様々な現象はすべて1つなる根源生命エネルギーが顕している。原因、結果の法則である。
原因は生命エネルギーであり、結果は様々な現象に顕れている。
外の現象からは1つなる生命を探ることはできない。現象は内なる生命エネルギーが現象化している。
学びとは外の見えるものから学んでも常に変化して止まない現象からは学ぶことはできない。
現象を顕している本源本質は内にあり、外にはないのである。青い鳥である。
答えは自分の内に求めて行く。
現象界での学びは知識を外から入れ、知識を沢山持っていることが学びであると教えられてきているため、内に答えを求める学びは理解できない。
見えない生命を理解する学びは直観の学びであり、実感する学びであるため、理解しづらい。
直感は五感を停止することで行なわなければならないため、五感で身に付けたものを捨てなければならない。五感の思考を停止させることで、直感が働く。
その為にキリスト教では黙想があり、仏教では瞑想がある。
学びとは今、現象の自分を自分と想っている自分から内なる生命が我であることに気づく為の学びなのである。

 

人類80億の生命は1つなる生命の化身である


 人類80億の生命は1つなる生命の化身である

宇宙は1つなる生命体であり、1つなる生命体が80憶の現象人間を具現させている。
万象万物も同じ1つなる生命の化身なのである。
すべての現象は1つなる生命による現象である。
人間には自由意志が与えられており、想念によって何でも顕すことができる。
宇宙の本体は無刑無双の完全生命体であり、永遠である。永遠の中に居て有限なるものは存在しない。生命界は高バイブレーションの世界であり、低波動からは見えない波動である。
現象化しているものは非常に低波動の為に見えているだけである。
人類はこの低波動の世界で豊かに生きようとしているが、久遠の中の現象になのである。すべては1つなる高バイブレーションの生命だけが実在している。すべてはこの霊界から現象がされている。
すべては1つなる生命の顕われであり、1つの中に争いはないのである。生命が我であり、現象は生命の化身であることに気づけば現象界から抜け出すことができる。
原点が我であり、現象は久遠の我の化身である自覚で現象の抵抗をエネルギーに変えてエネルギーをチャージし、意識の変性をさせて行くことが現象界で成すべきことである。


2024年3月2日土曜日

外なる現象に囚われると自縛する

外なる現象に囚われると自縛する

宇宙は中性なる生命体であり、処女解任である。
宇宙生命は「想念は実現の母」であり、想ったことが顕れる世界である。意識したものが現象化してしまう。
この想念が自由に使えるように自由意志が人間には与えられている。
この自由意志を軽率に人間は現象意識があると信じ、実在しないものをあると信じて使ってしまった。
宇宙は久遠世界の中の現象であることを忘れ、外なる現象に意識を向けてしまい、高波動に我を低波動の我に波動を下げてしまった、このためこの現象界が存在すると意識している為、現象界から抜け出せない。
現象は内なる生命、神が現象を顕している。外が自分ではなく、内なる中心生命が我であることを理解し、意識の切り替えをすることで、バイブレーションを上げ、仮の宿から本宿に戻らなければならない。
現象肉体細胞は生命エネルギーを顕現する道具であることを自覚する。
自灯明、法灯明、汝の主としなさいと釈迦が云われている。宇宙は中道であり、無限なる生命が宇宙には遍満している。この完全バランスが1つなる生命である。

 

内なる我の自覚


内なる我の自覚

宇宙は1つなる愛の法則の生命体。中心生命体である。無限生命、普遍生命。
限りなく小さく、限りなく大きい。絶対なる中心バランスが、イエスが云われる原因なき、原因。
宇宙の根源エネルギーである。永遠なる生命、全知全能のフリーエネルギーである。
無限大の生命エネルギーは外にあるのではなく、汝の内にある。
内なる中心生命が外なる現象を顕している。常に意識がなければ外なる現象を顕すことが出来ない。我は内なる中心生命が我であり、この自覚がなければバランスを失い、外なる現象は崩壊してしまう。
現象は内なる中心生命意識が中心にあることで、外なる現象も維持できるのである。
この外なる現象に意識を無碍てしまうとバランスを崩してしまう。
内は中心生命、光である。完全バランスが宇宙生命であり、我である。中心バランスが生命であり、愛の完全バランスである。これを神、仏と云っている。
この内なる自覚が、神の自覚である。

 

2024年3月1日金曜日

キリスト 仏陀は法則のことである


キリスト 仏陀は法則のことである

宇宙は1つなる生命体。「すべてのすべてありてあるもの」すべては神である。神は法則のことである。
イエスは生命のパンと云い、釈迦は慈悲と云っている。同じことを云われている。
宇宙は相似形であり、自然界も同じ陰陽の法則で動いている。
神の顕現道具を人間は自分と思い込み、自分で肉体を鍛えて何かをしようとするが、渡り鳥達は何千キロも移動するのにもトレーニングを行うことはない。神のエネルギーで動いている。
作用、反作用に力を使っている。
人間は万物の霊長であり、すべては霊であり、人間には自由意志が与えられており、この自由意志を使って無限大の生命エネルギーを受け流す媒体が人間の形をした神の顕現道具である。その為に造られている。
法則そのものが神であり、仏である。
現象の形から判断してしまう為に、無形無双の生命を見ることが出来ない。
形は低波動であり、見えないものを見るには自分の波動を上げて行く以外にない。心の目で見投げればならない。