原点は1つである。宇宙は1つなる生命である。
1つなる生命であるから久遠常在なるとこしえの世界である。1つなる生命が宇宙の本源本質であり、この1つなる生命から様々な万象万物が現象化している。
原因、結果は顕すものと顕されたものは1つであるということなのだが、現象からしか見ることが出来ない為、どうしても分離感で見えないものは外に分離してしまう。
原因、結果は1つと云いながら、見えないもの、つくり主を外に求めてしまう。
偶像崇拝にしてしまう。言葉では1つであると云いながら神を外に求めてしまう。
天地一体、天と地は1つであると言葉では言っていても天と地は別々に考えて2つを合わせようとする。造り主が地を造っていると知っていても天と地を分離させて考えてしまう。
合わせて1つと考えてしまう。
神道で霊主体従云っても自分の中に霊がいるとは考えす、神によって造られた神の子であるいうことになってしまう。それで神様を祀る。
宇宙は1つなる生命体であり。神様と現象人間は1つなのに、2元論になってしまう。
1つの中に2つはないのである。神は我が中にいることが理解できない。造り主は我が中にいるのである、これが霊主体従なのである。宇宙は1つなる生命体なのである。
宇宙そのものが神、仏なのである。
肥田式強健術・聖中心道の鍛錬記ブログです。肥田先生は第二次世界大戦後、第三次世界大戦に向けて宇宙倫理の書を書かれている。何故書かれたのか。その意味は?宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体の中に争いをは存在はしないことを云われたのだろうか?焼失してなくなりましたが。それを紐解いて行くブログです。