宇宙は1つなる生命細胞体である。宇宙は1つなのである。1つの中で悪いことを起こせは全体に影響が及ぶ。1つの中で隣のものを気づ付ければ、自分にも影響が及んでくる。
例えば水をカルキで消毒したとする。人間は細胞体の集まりであり、微生物の集まりである。水を消毒することで人体の細胞が死ぬ、細胞が死ぬことで人間の細胞の微生物が少なくなる。
結果的にエネルギー不足になり、気の病になる、人間だけではない。生命全体に影響が及ぶ。
人間は現象を物質と思い込んでいる為、除菌をする。人間は微生物の集合体であることを忘れている。現象界に生きる人間はこの事が理解できない。
すべては1つなる完全なる生命であり、この完全なる生命体をアンバランスにしているのは他ならぬ仮相なる人間なのである。
完全なる宇宙の法則、自然界の法則を犯しているのは人間なのである。
この救済は原因は完全なのである。宇宙の愛の完全なる法則に戻す。この法則は1人、1人の中に救済の手立てがある。
肥田式強健術・聖中心道の鍛錬記ブログです。肥田先生は第二次世界大戦後、第三次世界大戦に向けて宇宙倫理の書を書かれている。何故書かれたのか。その意味は?宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体の中に争いをは存在はしないことを云われたのだろうか?焼失してなくなりましたが。それを紐解いて行くブログです。
2024年3月10日日曜日
人に成していることは自分に成していること
人間が生きていると思うから働くのである
宇宙は1つなる無形無双の生命体である。宇宙には現象は実在していない。
現象をあると思う心が現象を創り出している。現象がないと思えば、現象は顕れることはない。
現象は外なる外観である。内なるものは生命であり、姿、形はないのである。
原因は内なる無形無双の生命、結果は外なる現象。現象をあると思う心が自我の心になり、それを維持しようとして外部からエネルギーを得ようとして働くことになる。
生命の目的は無限生命の顕現にある。すべての現象は生命の化身である。食べ物は生命エネルギーの化身である。外部からエネルギーを調達することは一度化身とし顕したものからエネルギーを取りだすということである。
我は生命エネルギーそのものであり、敢えて現象化したものから少ないエネルギーを取りださなくても良いのである。生命エネルギーそのものが我なのであるから。
働くということは現象界に生きているという証拠である。
永遠なる宇宙生命の中に居り、わざわざ有限なる生き方をしなくても良いのではないか?
これは絶対に犯すことのできない自由意志がが人間には与えられている。強制はできない。
2024年3月9日土曜日
宇宙はプロフェクトバランス 完全なのである
宇宙は1つなる永遠なるフリーエネルギーの生命の世界である。全知全能の力、知恵、創造の原理の世界である。1つなる生命が様々な形態を顕し、生命活動をしている。すべては1つなのである。
現象は久遠の現象なのである。1つなのである。
地上界に争いがあるということは宇宙の法則から外れているということである。宇宙の法則違反であるということである。
宇宙は永遠である。この中で有限なる生き方はないのである。永遠の中に有限は存在しないのである。
万象万物は1つなる生命の化身であり、すべては1つなのである。1つなる生命である。
生命は愛の法則、陰陽の法則、原因なき、原因。宇宙の永遠なる本源本質なのである。
生命が生きているのであって現象が生きているのではないのである。生命は自らの住処を自ら造り、その中に宿る生命、神なのである。見えない生命は何かの媒体がなければ顕すことができない。現象は生命が宿る表現媒体である。
外なる現象を霊化させる
宇宙は1つなる霊体である。これが宇宙の本体である。キリストが云われる原因なき、原因である。すべての本源本質は1つである。1つなる生命である。
宇宙は三位一体であり、気体、液体、固体が同居している世界である。バイブレーションにより変化している世界である。
これを変化させているのは永遠なる1つなる原因なき、原因。宇宙生命である。宇宙生命が多神を顕している。多神があるのではなく、1つの生命が多神を顕している、
人間も素直に1つなる生命が多神を顕していることを素直に認めることが出来れば、人間も多神であり、人間は存在していないことに気づく。
現象の原点は1つなる生命であり。すべての本源本質である。この本源本質がすべての源である。源流は1つの生命エネルギーが源流である。原点、原天である。原天は大海原の無我である。
現象化している現象意識から実在意識に切り替えを行い、分離感で見ていた意識を霊肉一体の1つの意識に戻して行く、1つと云うことは光である。天が地を顕している。我は地ではなく、天なる我、原因なる我に戻る。
現象界で成すべきことはお金儲けではない。原点に戻るために現象界にいるのである。
人間には自由意志が与えられているため、この地で遊ぶも本来の我に帰るも自由なのであるが。強制はできない。自分で下げた波動は自分で上げなければならない。
我が裡に神の種が宿っており、それに自分であることに気づき、現象の我から生命の我に変性させて行く。
2024年3月8日金曜日
原因、結果は1つ
顕されているものには必ず顕しているものがある。
造られたものは必ず造り主がいる。原因がある。
宇宙は1つなる原因、無限生命、普遍生命が原因だけが実在している。万象万物はすべてこの原因なる本源本質から現象化している。原因と結果は1つなのであるが、人間は原因と結果を分けて結果だけを見て分離感にして見てしまい、天と地を分けてしまった。天によって地が顕されていることに気づかなくなってしまった。
本来の我は人間という現象ではなく、人間と云う現象を顕している原因が我なのである。
造り主は必ず造られたものの中に宿り、現象を維持している。見える外観ではなく、外観を顕している内在している本源本質が我であり、神であり、仏である。
即身即仏なのである。原因は宇宙法則であり、無形無双の原因なき、原因、愛の法則、光である。
姿、形の結果の現象から見ようとしても本源本質は見ることはできない。心の目で見なければならない。
現象界で成すべきこと
今、現象化されているということは中心バランスが崩れているということである。
完全バランスであればこの現象界には存在しない。
この世は三位一体の世界である。この三位一体の世界の中で現象の固体波動領域にいる、我は気体波動の世界が固体波動を現象化させているが、意識が気体波動ではなく、固体波動意識の為に昇天することが出来なかった。
今、固体波動から気体波動に上げて行かなければならない。固体波動の中で個体現象を通してバランスを崩さず、バイブレーションを上げて行く。現象に生きてしまうと波動を上げることができない。現象を顕している中には神の種が蒔かれている。この神の種に油注ぎをして固体波動から気体波動に戻る。宇宙は神一元の世界であり、我は現象界の仮相の人間ではなく、無形無双の生命の我なのである。
2024年3月7日木曜日
万物の霊長たる人間の使命
人間は地上界に何故、存在しているのか?
宇宙は1つなる生命である。1つなる生命体の中に2つはない。1つであるならば、見えるものは現象であるということである。
人間が生まれる時に付ける名前を「命名」と書く。
命の名前である。命は宇宙に1つしかない。見える現象の中には必ず命が宿っている。
この命の名前が命名である。肉体の名前ではないのである。人の名前は命の名前。人類80億以上いるが命に名前を付けている。宇宙には1つの生命だけがある。80憶の名前は1つなる生命の分霊ということになる。
分霊は神そのものである。神の子と神は1つである。
神はこ゚の分霊の媒体を使って生命を顕現させる。この事を使命と書く。命の使いである。
この現象界ですることは無限大の生命エネルギーを人間と云う媒体を使って現現させる。
この神によって造られた顕現道具を自分と勘違いをして使ってしまった。
自分は人間ではなく、神なのである。宇宙には神しか存在しないのである。
万物の霊長たる人間は人間ではなく「命の名」は生命、神の名なのである。