2024年3月15日金曜日

人間は神の宮


人間は神の宮

宇宙は1つなる生命体。無限生命、普遍生命である。
全知全能の1つなる永遠なる生命体。
この永遠なる中性なる生命体が宇宙には独存するだけである。
この無限生命の中ですべての万象万物は1つなる生命によって現象化されている。
人間という現象には自由意志が与えられている。これは自由に無限大の生命エネルギーを顕現させる為に与えられている。この自由意志を外なる現象に意識を向け、人間を我として生きてしまった。神の顕現道具を自分と勘違いをしてしまった。人間は神の顕現装具であり、人間は存在しないのである。消え行き現象である。その為に善悪の木の実を食べ続けている。
この間違ってしまった意識の使い方の切り替えを現象界で行わなければならない。
神の波動から離れた生き方から、神の波動の中で一体として生きる生き方に戻さなければ糸の切れた凧のようになってしまう。その為の現象界なのである。
現象の中に神の種が蒔かれている。これに気づき、原点(天)の波動に戻して行く作業をする為の現象界なのである。現象界の消え行く中で豊かな生活をする為ではないのである。
気づいたものから意識の切り替えをさせて行くことで、地上界の波動を上げて行く。人間は生命エネルギーを顕現させる為に造られた神の宮なのである。



この世は思ったことが顕れる世界


この世は思ったことが顕れる世界

この世は想念により、想ったことが顕れる世界である。
良いことを思えば良いことが顕れ、悪いことを思えば悪いことが顕れる。
永遠と思えば永遠が顕わ、死を思えば死が顕れる。すべて自分の想念の結果として現象化される。現象化されているものは自分が想念で顕したものである。現れているものはすべて自分が想念で顕しているもので、自分の人生を造っている。
運命はすべて自分が造り主であり、その表現として現象化している。
低いものを意識すれば低いものが顕れ、高いものを意識すれば高いものが顕れる。
宇宙は1つなる永遠なる生命体である。万象万物は1つなる生命の化身として顕れている。
人間が現象化しているということは外なる現象を意識した為に顕れている。
本来の我は神我顕現する為に神によって造られた神の被造物なのである。神と被造物は1つである。原因、結果は1つである。宇宙は1つなる生命体なのである。
この光を顕現する為に造られた顕現道具を正常に使わず、間違って使ってしまった為に波動が低くなり。現象界から抜け出せずにこの現象界の留まっている。
本来の我は空であり、自ら下げた波動を自ら上げ、戻らなければならない。波動が上がらなければ上がるまで人間として再生される。



2024年3月14日木曜日

見える現象と見えない生命は1つである


見える現象と見えない生命は1つである

見えるものはすべて見えない1つなる生命によって現象化されている。現象は見えない生命が宿らなければ姿、形を顕すことはない。
原因、結果は1つである。原因は顕すもの、結果は顕されたもの。2つで1つである。
見えるものは現象であり、現象は外なる形の顕れであり、外なる形は内なる生命細胞体の姿、形の現象である。
内は1つであり、外は1つの生命細胞に集合体の形である。形があるのではない、内なる細胞が存在しているのである。内は1つ、外はその形、外は細胞体の現象の形、内は見えない1つの細胞体。内は1つ。外はその形、何処から見るかである。
外から見ると現象があると見えるが、内から見ると生命細胞体がある。
外から見ると様々な形があるように見えるが、生命は此処の生命ではなく1つなる生命がすべての現象を顕している。
1つなる生命細胞体の中に現象化して顕れている。生命は1つである。本源本質は1つなのである。宇宙生命は1つなのである。見えるものは1つなる生命の化身である。



 

宇宙生命は1つである


宇宙生命は1つである

 1つなる生命。宇宙は1つなのである。
この中に万象万物は現象として顕れている。
顕しているのは1つなる生命である。
宇宙の本源本質が生命である。
これが宇宙の原因なき原因である。宇宙の原点である。これなくして宇宙は語れない。
宇宙は全知全能の力であり、知恵であり、創造の原理である。
この本源本質が宇宙の原点である。1つなる実在である
人間は太陽系の中の地球に存在しているが、それは見えるものはすべて仮相である。
人間も仮相である。地球に見えるものは原因なる生命が現象を顕している。
見える人間の現象をあると信じる心が自縛させている。
 宇宙は原因があって現象を顕している。現象に生きる人間にはこれに気づかない。
すべては1つ。1つの顕れ。これが人類は理解できないで、争いを起こし、優劣をつけて消極的な仮相の人生を送っている。見えるものがなくて見えないものが実在しているのである。


 


2024年3月13日水曜日

現象、見えるものは低波動


現象、見えるものは低波動

この世は三位一体の世界である。気体、液体、固体波動が同居している世界。
天国も地獄もこの中に存在している。宇宙は天国のみが実在しているが、地獄は自ら創り出した幻想である。
この自分で創り出した幻想に囚われ、自分で自分を縛ってしまっている。縛っていることさえも気づかない程、現象に囚われ、自己催眠をかけ幻想の中に身を置いている。当たり前に思って、疑わずに。
気象も低気圧の時には雨、雹、雪になるがすべて1つの生命の結果として顕れている。
人間も姿、形があるということは様々な影響を受けてしまうということになる。低気圧の現象に振りまわされてしまう。この低波動は高波動によって変化させられている。生命波動が低くなると現象として顕れてくる。バイブレーションが高くなれば低波動の影響は受けなくなる。
低波動の現象は自ら造る意識波動なのである。


 

実相と仮相


実相と仮相

実相は実在しているもの。仮相は実在していないもの。宇宙には1つなる生命だけが実在している。見えるものは実在していない。1つなる実在の現象である。実在とは神、仏と云われる生命である。
実在が仮相の現象に宿り、実相が仮相を通して顕れている。
実相は原因なき原因、1つなる宇宙生命体が、宇宙の本源本質である。これが宇宙に実在しているのみである。
現象はすべてこの実相が仮相を通して顕している。仮相の中に必ず実相が宿り、現象なる仮相を顕している。すべては1つなる実在なる実相が仮相を通して顕現している。
見えるものはすべて仮相であり、背後にある実相が造り主であり、実在しているものである。
実相は永遠であり、仮相は消極であり、有限である。
宇宙は実相、永遠なる生命である。神一元である。実相が仮相を顕している、仮相に目をくらみ、本当の実相を見失っている。実相は無形無双である。
仮相は有限であるが、仮相の中に実相である永遠なる生命の我が仮相を顕している。
我は永遠なる生命なのである。見える仮相の消え行く我ではないのである。


 

2024年3月12日火曜日

気づけば正しい答えが出てくる


気づけば正しい答えが出てくる

気づきは外にはない。内にある。本心は正しい判断を出してくれる。絶対に間違いがない。直感啓示である。
生命は完全完璧である。この生命が肉体の中心に宿っている。中心生命である。これが神、仏である。
神、仏は生命であり、1つなる全知全能の神である。この全知全能の神が自らの住処を自ら造り、生命を顕現している。
すべては完全なる生命の顕現の為に神によって造られた人間、万象万物である。すべて生命の顕現の為に造られている。
気づけば正しいことを顕すことができる。これは自分が行なっていることではない。気づくということはすでにあるということである。生命が顕している。内には無限大に生命エネルギーが泉の如く、湧いている。尽きることのない永遠なる生命エネルギーが。
無限大の生命エネルギーを受け流す媒体として人間と云う表現媒体が造られている。
我は生命によって造られた生命の現現道具である。我は神そのものである。神によって造られた顕現道具を自分と錯覚しているだけなのである。我は現象なる我ではなく、現象を顕している造り主である。
天地一体、天によって地は顕されている。実在しているのは天のみである。
自他一体、すべては1つなる生命現象である。
人間が生きていると思う意識が自己催眠をかけてしまうのである。
現象界で色々と有名人が色々なことを云われているが、現象、仮相から話しても変化させることはできない。
蜃気楼にオアシスを求めて行くようなものである。実在に求めない限り、解決はできないのである。すべての答えは裡にあり。青い鳥である。
外に答えを求めると「得ようとするものは奪われる」とイエスも云っている。