2024年3月17日日曜日

現象人間から法則を学ぶ


現象人間から法則を学ぶ

現象人間は直立二足方向で生きてている。
身体の使い方で「小手先」と云う言葉がある。
これは上半身リードで身体を動かしてしまいことである。身体を動かす時、上虚下実で動かすことで、上半身を虚の状態で動かすことができる。
何故、上半身を虚にしなければならないのか?
身体の作りは下半身には70%の筋肉、上半身は30%の筋肉である。
上半身は胸は肋骨で守られ、頭も頭蓋骨で守られている。これだけ見ても上半身には力を入れれてならないことが理解できる。
昔から能力を出す時。脳幹部の思考の停止をされる。五感のシャットアウトである。
上虚になるということは何も考えないということである。無我の境地を造る。
今まで学校教育で学んで能力を出そうとしてきたことが、間違いであるということになる。
宇宙生命は無形無双の虚の世界。無我の世界。生命の世界。
この事からも現象は結果であり。無我の世界、生命の世界。全知全能の世界がすべての現象を顕している。生命は法則であり、愛の完全なる法則である。
これが宇宙の本源本質である。本源本質は1つである。完全なる生命、永遠なる生命法則のみが実在している。


 

宗教では人を救えないのか 何ぜ


宗教では人を救えないのか 何ぜ

宗教とは宇宙の教えと書く。法則である。法則によて人間は現象化している。宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体の中に有限なる現象である人間は仮相であり、実在していないのである。
でなければ宇宙は無限生命にはならないのである。
1つなる生命とは完全なる生命体であり、完全なるが故に現象として顕れているのである。この世を俗世、仮の宿、浮世と云われるのはこのためである。
現象は1つなる生命を顕現する為の現象であり、生きる為に人間が創られているのではないのである。この真逆の考えが人間を迷妄の迷路に陥ってしまうキッカケになっている。
実在しない仮相の現象に身を置く為、様々なものに悩まされ、エネルギーが奪われて行く。
変化して止まない現象の人間から不安、悩みを取り除こうとしても消え行く不安を消すことはできない。それを取り除こうしているのが宗教だろう。
生命法則によって現象化している現象人間、万象万物すべて1つの生命の顕われである。
宇宙は神1元、生命界、生命界が現象を顕している。消え行く現象から悩みを取り、豊かな云生き方をしようとしても無理なのです。宗教は現象を生きようとするが、法則は完全であり、完全を不完全にしているのは現象をあると信じる心、実在しない自我の心である。人間意識である。これが邪魔をしている。
真理は1つである。すべて完全なものを不完全にしているのは現象をあると信じる人間の自我である。宗教があるとすればこの現象の克服でないのか?これは宗教でなくてもできる。


 

2024年3月16日土曜日

肉体は生命の顕現道具


肉体は生命の顕現道具

宇宙には1つなる生命のみが実在している。
原因なき、原因である。
無限大の生命エネルギーのみが実在している。
この1つなる実在している無限大の生命エネルギーが現象媒体を通して顕れている。
この現象を実在と思ってしまっている人類。この迷妄からの脱却が人類の進化のネックになる。
宇宙は1つなる生命体。実相界。これ以外に何もない。実相界が現象と云う仮相界を顕している。すべては1つなのである。肉体は生命である原因を顕す媒体が肉体なのである。
この肉体に生きると変化して止まない生老病死に囚われ、悩まされてしまう。
見えるものは見えない生命の化身、見えるものの中に必ず顕す原因が宿っている。
この原因である造り主が現象を顕している。人間というのは外から見た形を人間と呼んでいるのである。人間を顕しているのは生命である。神である。神は人なり、人は神なりである。
人間は神の子であると云っても神そのものであるというものはいない。原因結果は同じであるが祖神様と神の子を分けてしまっている。宇宙は1つなる生命なのである。祖神様と神の子は1つなのである。これを別々に分けているのが宗教である。1つのもの2つに分けてしまって争いを引き起こしているのが現代の宗教である。宗教家はそのようには思ってはいないと思いますが、分離感が争いを起こしているのである。これに気づく宗教家はいない。


 

生命エネルギーが形を止っている


生命エネルギーが形を止っている

宇宙は1つなる無限なる生命体である。無限生命の中に見える有限なるものは存在しない。
生命が形を止っているだけである。
1つなる生命が多神を顕している。実在しているのは1つの無限大の生命である。
宇宙は1つなる生命体、全知全能のエネルギー、知恵、創造の原理、宇宙の本源本質である。
この原点、原天が様々な現象を顕している。原因である創造主と造られた結果の被造物は別々ではなく、1つのものである。原因が結果である被造物に宿り、結果である被造物を顕しているのである。2つで1つなのである。宇宙は1つの生命体、1つの中に2つは存在しない。
1つの生命が現象の中に宿っている。
この現象だけを見て、原因である生命を見ない。見えない生命を切ってしまっている。
原因、結果が1つであれば、分離感は起きない。争いも起きない。見えるものだけしか信じない為に問題を引き起こす。
見えるものは現象であり、実在しない現象である変化して止まない現象をあると信じる心が意識レベルを下げ。現象の生老病死の四苦に囚われてしまう。
現象を顕しているのは内在する原因である生命である。これが実在しているのであって現象は実在しない仮相である、



 

2024年3月15日金曜日

人間は神の宮


人間は神の宮

宇宙は1つなる生命体。無限生命、普遍生命である。
全知全能の1つなる永遠なる生命体。
この永遠なる中性なる生命体が宇宙には独存するだけである。
この無限生命の中ですべての万象万物は1つなる生命によって現象化されている。
人間という現象には自由意志が与えられている。これは自由に無限大の生命エネルギーを顕現させる為に与えられている。この自由意志を外なる現象に意識を向け、人間を我として生きてしまった。神の顕現道具を自分と勘違いをしてしまった。人間は神の顕現装具であり、人間は存在しないのである。消え行き現象である。その為に善悪の木の実を食べ続けている。
この間違ってしまった意識の使い方の切り替えを現象界で行わなければならない。
神の波動から離れた生き方から、神の波動の中で一体として生きる生き方に戻さなければ糸の切れた凧のようになってしまう。その為の現象界なのである。
現象の中に神の種が蒔かれている。これに気づき、原点(天)の波動に戻して行く作業をする為の現象界なのである。現象界の消え行く中で豊かな生活をする為ではないのである。
気づいたものから意識の切り替えをさせて行くことで、地上界の波動を上げて行く。人間は生命エネルギーを顕現させる為に造られた神の宮なのである。



この世は思ったことが顕れる世界


この世は思ったことが顕れる世界

この世は想念により、想ったことが顕れる世界である。
良いことを思えば良いことが顕れ、悪いことを思えば悪いことが顕れる。
永遠と思えば永遠が顕わ、死を思えば死が顕れる。すべて自分の想念の結果として現象化される。現象化されているものは自分が想念で顕したものである。現れているものはすべて自分が想念で顕しているもので、自分の人生を造っている。
運命はすべて自分が造り主であり、その表現として現象化している。
低いものを意識すれば低いものが顕れ、高いものを意識すれば高いものが顕れる。
宇宙は1つなる永遠なる生命体である。万象万物は1つなる生命の化身として顕れている。
人間が現象化しているということは外なる現象を意識した為に顕れている。
本来の我は神我顕現する為に神によって造られた神の被造物なのである。神と被造物は1つである。原因、結果は1つである。宇宙は1つなる生命体なのである。
この光を顕現する為に造られた顕現道具を正常に使わず、間違って使ってしまった為に波動が低くなり。現象界から抜け出せずにこの現象界の留まっている。
本来の我は空であり、自ら下げた波動を自ら上げ、戻らなければならない。波動が上がらなければ上がるまで人間として再生される。



2024年3月14日木曜日

見える現象と見えない生命は1つである


見える現象と見えない生命は1つである

見えるものはすべて見えない1つなる生命によって現象化されている。現象は見えない生命が宿らなければ姿、形を顕すことはない。
原因、結果は1つである。原因は顕すもの、結果は顕されたもの。2つで1つである。
見えるものは現象であり、現象は外なる形の顕れであり、外なる形は内なる生命細胞体の姿、形の現象である。
内は1つであり、外は1つの生命細胞に集合体の形である。形があるのではない、内なる細胞が存在しているのである。内は1つ、外はその形、外は細胞体の現象の形、内は見えない1つの細胞体。内は1つ。外はその形、何処から見るかである。
外から見ると現象があると見えるが、内から見ると生命細胞体がある。
外から見ると様々な形があるように見えるが、生命は此処の生命ではなく1つなる生命がすべての現象を顕している。
1つなる生命細胞体の中に現象化して顕れている。生命は1つである。本源本質は1つなのである。宇宙生命は1つなのである。見えるものは1つなる生命の化身である。