宇宙生命は中性なる無限大なる生命エネルギーである。力、知恵、創造の原理である。
中性なるが故に想ったことを顕すことができる。
すべての原点(天)は無形無双の生命である。
すべては1つであり、1つの生命の顕われであり、1つなる生命が神である。
今まで神を分離感で外に求めさせられてきたため、本来の我に気づくことができなかった。
この気づきが本来の我に気づき、知ることになる。人間の姿、形は神の顕現道具であり、神の働く宮である。勝手に形を見て人間がいると錯覚し、諸行無常の変化して止まない普遍原質に惑わされてしまっている。本来の我は神であり、神我顕現するための道具が人間なのである。
自分が創り出した迷妄、サタンに憑りつかれている。
我が中に生命が宿り、これに気づき、昇天して行かなければならない。これは中途半端ではできない。有限意識から無限意識に変性させなければならない。
現象界は仮の宿であり、今生で自分は内なる生命、神の種に気づき、生命に同化させ、1体にさせ生命を顕現させる。これが目的なのである。神の自覚とは自分は神であることを知るという意味である。
すべての答えは汝の内にあり。汝の神は汝自身なり、汝の仏は汝自身なりである。
外なる内なる神我との戦いである。外なる誘惑に負けるか、誘惑を振り切れるかである。
この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如しである。
肥田式強健術・聖中心道の鍛錬記ブログです。肥田先生は第二次世界大戦後、第三次世界大戦に向けて宇宙倫理の書を書かれている。何故書かれたのか。その意味は?宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体の中に争いをは存在はしないことを云われたのだろうか?焼失してなくなりましたが。それを紐解いて行くブログです。
2024年3月22日金曜日
現象の中の生命が我である
愛のエネルギーがすべてを具現させている
愛のエネルギーがすべてを具現させている
宇宙は1つなる愛のエネルギーによって万象万物が現象化されてい
愛のエネルギーが宇宙の本源本質である。宇宙に実在しているのは愛のエネルギーのみである。
この愛のエネルギーを想念によってどのように使うかは自由意志を持たされている人間に任されている。良くも悪くも自由に使いことができる。
人類はこの愛のエネルギーを正し使わず、神に反逆し、現象の人間がいると思い違いをし、勝手に使っている。その為、本来の目的である神我顕現である使命を忘れ、仮相なる自分の為に使ってしまった、
愛のエネルギーは愛の顕現に使う為に造られた神の宮であり、人間は顕現道具をこれを自分と錯覚し、現現道具に生きてしまった。その為、永遠なる生命から有限なる現象界の生き方に自らの波動を下げてしまった。
本来の生命の生き方に戻すには現象の中に蒔かれている神の種に気づき、心の華を咲かせなければならない。外は人間、内は神である。外なる現象は変化して止まない諸行無常の世界である。この現象を顕している内なる永遠なる原点、原天である無限無相の愛のエネルギーに意識を戻さなければならない。これが現象界でなさねば成らない大事業なのである。
この世の消え行く世界の中で豊かな生活をする為に生まれてきているのではないのである。
2024年3月21日木曜日
生命のけなげさ
宇宙は1つなる生命体である。永遠なる無形無双の生命体である。宇宙にはこの無形無双の生命体だけが実在している。他に実在しているものは存在しない。
1つなる宇宙生命体は万象万物を現象として顕し生命が媒体を通して働いている。
太陽系惑星の中に地球惑星がある。この惑星は天地に分けられた低波動の惑星である。
この中に人間と云う現象の中に神の生命体が顕現させる為に人間が現象化している。
人間には自由意志を持たせた神の種が蒔かれている。この神の種に気づき、生命エネルギーを顕現する為に。
人間は神によって造られた神を顕現する神の宮なのである。人間は存在していない。
人間には自由意志を持たせている為、神の宮を自分と思うこともできる。
神の顕現道具を勝手に自分であると錯覚して使ってしまっている。盗人である。
現象はすべて神を顕す顕現道具なのである。
肉体は神によって造られ、神によって維持管理されている。全知全能の神がすべての万象万物を維持管理されている。人間は神の現現道具を錯覚し、自分と思って使っているが、御業を成しているのは神なのである。人間には何の力もない、神が肉体を通してすべて神が御業をなしているのである。拒否せす、けなげに御業をなしているのである。
人間は自分の力であると信じて疑わない。神に気づくまで神はけなげに働いている。
現象は変化して止まない、諸行無常の世界であり、この中で人間は生老病死の四苦に囚われ、朽ち果てて行く。これがカルマである。本来の生き方は神の宮を使って生命エネルギーを顕現する目的なのである。
意識が神なら二度とこの地には現われることはない。現れているということはまだ波動が低いということでになる。
生きている内に成仏できなければ、死んでは成仏はできない。
現象界で波動を上げなければ又人間に再生される。
現象界は本当の我に戻るために大切な場所なのである。仮相界で豊かに生きることではない。この世は仮の宿、俗世、浮世と云われる幻の現象界である。
すべての見えるは実相の顕れ
宇宙は1つなる生命のみが実在している。
全知全能の無形無双の生命のみが実在している。
見えるものはすべて実相の現象である。
仮相と実相は2つで1つである。
天地一体である。天が地を顕している。
宇宙は無限大の宇宙生命体である。
無限大の宇宙生命エネルギーが宇宙の塵質料を通して顕れている。宇宙に実在しているのは無形無双の生命法則のみが実在している。
実相が仮相を顕している。実相と仮相は1つである、仮相の中に実相が宿っている。仮相は実相の衣装である。実相を顕す顕現道具である。実相がなければ仮相は具現することはできない。宇宙は実相なる生命体が仮相の現象を通して顕顕現している。
実在が仮相媒体を通して顕すための道具である。
実相は原因なき、原因、全知全能の力であり、知恵である。この実相が万象万物を通して顕われている。原因がなければ、結果を顕すことができない。原因、結果は1つなのである、
人間は造り主と造られた被造物を分けたがる。現象からしか見ることが出来ない為に神と人間を分離させてしまう。原因が神なら、結果も神なのに。原因は神、結果は人間と分離させてしまう。
宇宙は1つなる生命体、1つなる実在があるのみである。天地一体。天が地を顕している。天だけが独存しているのである。
現象は1つなる生命が顕す媒体として神が自ら媒体を造って顕れている。すべては1つの生命、神であり、宇宙の永遠なる本源本質が実在しているのみである。
2024年3月20日水曜日
能動原理と受動原理
能動と受動は2つで1つである。天地一体であり。天は能動であり、地は受動である。天と地は2つで1つである。天が地を顕し、天を顕す媒体として地がある。
現象界は2つで1つなのである。心身一体。霊肉一体。見えるものだけを使うとバランスを失い、崩壊してしまう、原因、結果の法則であり、原因が結果を顕しているのである。原因がなければ結果を顕すことはできない。現象は原因の結果なのである。原因結果は完全バランスであり。このバランスが崩れると現象は崩壊する。人間の現象もバランスで保たれている。
人間は現象だけを見ている為、このバランスが崩れることが病気であることに気づかない。
現象界でこの原理を理解し、肉体が我ではなく、肉体を顕している天が我であることに気づき、現象は天の無限大の生命エネルギーを顕現する為の媒体であることを知る。
天地一体、霊肉一体、心身一体、自他一体とは天と地は1つになり、顕現させるという意味を持っている。現象と現象を顕している霊は1つなのである。実在しているのは神のみが実在している。宇宙は神のみが独存する世界なのである。
想念によって現象化される
想念によって現象化される
現象は想念によって顕れる。
想念は実現の母である。
今の自分の想念が今の我を顕している。すべて今の重いが現象として顕れている。すべて自分の想いの結果である。
良いことを想えば良いことが顕れ、悪いことを想えば悪いことが顕れる。これを現象界で学び想念意識のコントロールを学ぶ。
悪いことを想えば自らが不調和になり、バランスを失う。宇宙はすべて完全バランスであり、現象は変化して止まない世界である。現象は完全バランスの結果であり、生命エネルギーの顕現道具であり、生命エネルギーによって造られた神の宮である。
神の宮である現象肉体をあると信じて、仮相に生きている人類、あると意識したものが顕れてしまう。良くも悪くも。
現象は仮相である。実在しないものを信じることにより、それが顕れる。
それを顕しているものは神であるが、神は神を顕すために現象を顕しているのであるが、この現象を自分と思って神の反逆行為をしているのが人間である。人間は仮相であり、実在しないのである。実在しているのは神のみ、生命のみなのである。
2024年3月19日火曜日
人類は神ベの反逆行為に気づかない
宇宙は1つなる完全完璧なる永遠なる生命体である。この完全なる生命体の中に見えるものは生命の現象として顕現している。
1つなる生命が生命の化身として顕れている。
この無形無双の神の法則によって現象化されている。顕しているのは神というか、法則が現象化させているのである。この現象化されている 姿、形の人間の形態道具を自分と思い錯覚してしまった。
これは神への反逆行為であるということである。現象は生命によって、法則によって具現されているだけなのである。すべては法則によって現象化されている。人間の存在は現象であり、人間は実在していないのである。神の生命エネルギーを顕現させる媒体が人間なのである。
宇宙は神の法則、生命の法則のみが実在しているだけである。
人間は細胞の形に名前を付けているだけで人間は存在していないのである。人間は形の名前であって細胞の集合体なのである。人間は生きてはいないのである。生命エネルギーを顕現させる媒体が人間の形をしている肉体細胞が生きているのである。生きているのは細胞であり、人間ではないのである。
何ぜ、この迷妄に陥ってしまうのか?それは人間には自由意志が与えられている為である。
人間は外観であり。内は細胞の集合体である。人間が生きているのではなく、細胞が生きているのである。万象万物も細胞であり、細胞体に名前を付けているのである。宇宙は1つなる細胞体なのである。1つの細胞体の中には時空間はないのです。
現象の細胞体はバランスで細胞を管理している。ガンもウイルスではなく、つくり主とつくられた細胞のアンバランスで起きるげんしょうである。
この完全バランスによって形態が維持されている。このバランスをアンバランスにしてしまうのは現象を見て現象をあると信じる心がアンバランスを起こす。
現象は消えて行くが、亡くなることではなく。普遍原質に戻るだけなのである。不生不滅である。
初めから完全なのです。完全を不完全にしているのは現象の姿、形をあると信じる人間の心が不調和を起こしている。完全なるものを不完全にしているのは現象をあると思う人間の心なのである。存在をしていないものをあると思う心が自分を自縛しているだけなのである。
宇宙には人間は存在していないのに、存在していると思う心が自縛させている。
神が現象を起こしているのに、すべては神なのに見えるものだけを見て自分と錯覚しているだけである。現象を自分と思っている人間は罪人である。
神の顕現道具を勝手に使い、神への反逆行為をしておきながら、神に助けて下さいと物乞いする。人間は細胞の外なる形である。生きているのは人間の外なる形ではなく、人間の内なる細胞なのである、人間は外なる形を人間と呼んでいるだけなのである。内なる細胞が本体なのである。人間は細胞の形の名前なのである。