2024年4月14日日曜日

人間は死なない、なぜ


人間は死なない、なぜ

宇宙は1つなる永遠なる生命体である。その中で死は存在しない。永遠なる1つなる生命が現象として万象万物を顕している。
永遠なる生命の現象として顕れている。現象は生命の表現として顕れている。現象が存在しているのではなく、生命の現象として具現しているだけなのである。生命と現象は1つのものなのである。
見えるものしか見えない為、顕している生命に気づかないだけである。生命が宿らなければ現象として顕れない。
現象は生命によって分裂した細胞であり、分子細胞は3か月の消え行く寿命である。変化して止まないものである。諸行無常の分子細胞である。変化して止まないが、無くなる我ではなく、普遍原質に還元するだけである。不生不滅である。宇宙は不変不動である。
人間が死ぬと思っているのは形が変化するだけでなくなることではない。悲しむことはないのである。
宇宙は1つなる生命体であり。分子細胞が変化しているだけなのである。
宇宙は1つなる生命であって現象は生命が顕す表現媒体である。
天地一体。天は生命、地は表現。天と地は1つである。天が地の媒体を使って地上界の波動を上げることが目的なのである。
人類はこの事が理解できず、現象に生きて、神に反逆を起こしている罪人なのである。
人類は息ら頑張って文明を発達させても最後は天変地異である。これが幾度となくり返されている事に気づかなければまた再生されてもおかしくもない状態にある。
これを防ぐ方法は1人、1人の中にある。外を向く心を内に向けることで防ぐことができるのである。




 

2024年4月13日土曜日

人間は神の顕現媒体


人間は神の顕現媒体

宇宙は1つなる生命体であり、無形無双の実在界である。この無形無双の宇宙生命の中に人間は存在しないのである。宇宙に実在しているのは1つなる愛の法則、絶対バランスが存在しているだけである。
宇宙は完全なる永遠なる生命体であり、すべて見えるものは1つなる生命の現象である。
人間は神に似せて造られた神の化身であり、神を顕す顕現媒体である。
人間は宇宙細胞体の中で何をすべきなのか?
人間は万物の霊長と云われ、地上界の波動を上げる為に存在している。
人間はその波動を上げることをせず、仮相の人間に生きている。
本来の使命を果さず、神によって造られた形態に生きてしまっている。
神によって造られた神の被造物を自分と勘違いをしている。神への反逆行為である。

2024年4月12日金曜日

我は現象界に蒔かれた神の種


我は現象界に蒔かれた神の種

宇宙は1つなる生命体。見えるものはすべて1つなる生命の現象である。
1つなる生命が多神を顕している。宇宙に実在しているのは1つなる生命だけが実在しているのみである。宇宙は見えない生命が見える現象を顕しているだけなのである。あるのは見えるものがあるのであはなく、見えないものが実在しているのである。
現象は実在していない。現象をあると思う心が造り挿す迷妄である。
現象には現象を顕す原因が宿っている。この現象の中に蒔かれた原因、神の種が本当の我である。
現象は内なる生命が顕している。内なるものが外なるものを顕している。原因、結果は1つなのである。外なるものがあると思う心が邪魔をしてしまう。
外なるものは内なる生命の顕わてある。すべて見えるものは1つなる生命の化身であり、現象を顕しているものは1つなる生命である。1つの中に争いはない。2つあると思う分離感の心が争いを招いてしまっている。
この宇宙の法則が人類は理解できない為に仮相界で争いをしている。人を殺しても死なないのである。宇宙は1つなる不生不滅の世界であるから。
幾らこの世で現争い、勝ち得たとしても消え行く現象なのである。
1つなるものの中で争いをするということは宇宙の法則を理解していないし、神への反逆である。
現象界に生きる反逆行為は天国には行くことはできない。
見えるものだけを信じる心が自分を束縛し、自分を仮相界に自らを縛っている。
人間の本来の使命は神我顕現なのである。その為に蒔かれた神の種が1人、1人に宿っている。




 

2024年4月11日木曜日

この世は仮の宿、俗世、浮世


この世は仮の宿、俗世、浮世

宇宙は1つなる生命体であり、1つなる生命が多神を顕している。現象は1つなる生命の顕われ、化身である。この化身は生命が顕現する為に現象化されている。生命の宮である。生命の働く道具である。
現象と生命は1つである。色心不二である。現象だけを見ると分離感になり、自縛してしまう。生死をさ迷うことになる。
肉に生きるは死であるとイエスが云われている。
この現象は1つなる生命の顕現道具であり、この現象をあると勘違いをしてしまうと永遠なる生命が有限なるものになってしまい、輪廻に巻き込まれる。
1つの生命の現象を見てあると思う心が天の住人から地の国の住人になってしまう。
1つのものを分離してしまうことで、生命から現象を切り離してしまう為に起こる現象である。1つなる生命を分離させているのは自分自身なのである。
人間は神の被造物であり、人間と神は1つである。天地一体である。
この現象界を仮の宿、俗世、浮世と云われているのは現象をあると想う心が創り出した仮の宿である。


 

2024年4月10日水曜日

人間は愛の顕現道具


人間は愛の顕現道具

宇宙は1つなる生命体であり、他に実在しているものは存在しない。
1つなる生命が様々な形態を顕し、生命活動をしている。
すべては生命、愛の法則みが実在している。
愛の表現として様々な形態に宿り、顕現している。
見えるものはすべて愛の生命の表現媒体であり、1つである。
色心不二、見えるものと見えないものは1つということである。
1つの中に2つは存在しないのである。見えるものがあると思う心が分離感を生み、自分を自縛させている。
1つなる生命が多神を顕している。宇宙は原因なき原因、中性生命である。
現象化しているものは1つなる本源本質の顕れになる。
宇宙は1つなる生命が様々な表現媒体を顕し、生命活動をしている。生命活動はこの現象媒体がないと顕すことができないのである。
見えるものは見えない生命の顕われであり、すべては1つなる本源本質が現象化しているだけである。
現象から見ると様々な生命があるように見えるが、生命から見ると1つなのである。
宇宙は1つなる生命細胞体であり、コスモ細胞の中に現象として顕現している。
1つの中に顕れている。故にすべては1つなのである。1つは神なのである。神が居て人間が居るということはない、無限の中に有限は存在しないのである。
形を見てしまうから迷うのであり、内なる細胞から見れば1つなのである。
人間も1つなる宇宙生命細胞の中に人間の形をした細胞が現象化している。
すべては1つの中のコスモ細胞体の中に存在して現象細胞体である。
宇宙は原因なき、原因、造り主であり、その中に神によって人間という細胞体を顕している。
人間には自由意志が与えられているため、1つなる細胞の中に現象を見て実在していると錯覚し、現象に囚われ、仮相に目が暗み自縛している。
宇宙には1つなる生命細胞の中に現象していることに気づかず、永遠なる生命の中で有限なる生き方をしている。見えるものをあると信じ、自己催眠をかけ、諸行無常の幻の世界で生死をさ迷って生きている。
人間は生命の顕現道具であり、人間は神によって造られた神の被造物であり、神そのものなのである。神は人であり、人は神である。全ては1つなのである。見えるものはすべて神の化身なのである。
神は特別な存在ではなく、宇宙に遍満する永遠なる1つなる生命エネルギーである。
その神は汝の中に存在している。汝の神、仏は汝自身なり。




2024年4月9日火曜日

すべての現象は神の御業である


すべての現象は神の御業である

宇宙は原因なき、原因の実在界である。神界である。すべての現象を生み出す本源本質の世界である。源泉である。無限生命、普遍生命である。
見える現象は見えない神界がバイブレーションを下げて現象化させている。神界、生命界がなければ現象は顕れることはない。
すべての現象は神界のエネルギー、知恵が現象を通して顕れているだけなのである。
現象の形に人間と名付けたものを自分と勘違いをして自分であると錯覚しているだけなのである。
姿、形には何の力もない人間の中身は細胞体であり、細胞は常に新陳代謝を繰り返し、形態を現象化させている。形は細胞体が形を止っているだけで細胞は常に変化し新陳代謝を繰り返し形態を維持している。生きているのは人間ではなく細胞体なのである。細胞の形を人間と名付けているだけである。
変化して止まない現象を自分と思っているため、常に不安、恐怖、悩み等の影響を受け、新陳代謝に使うエネルギーを外部に使い、自らのエネルギーを低下させ、自ら自縛させている。
エネルギーが少なくなると新陳代謝が遅れ、細胞が少なくなり、病気、気の病のなる。
最悪はガンである。ガンは新陳代謝のアンバランスによるエネルギーの低下で起きる現象である。
完全に神の媒体として造られているものを不完全にさせているのは肉体を自分と思う意識が新陳代謝のバランスを崩している。病は自らが造り出しているのである。
人間が自分で能力を出していると思っているが、すべて神の御業なのである。神が人間の媒体を使って御業を成しているのである。
宇宙に存在しているものは1つなる実在、神のみなのである。見えるものはすべて神の現象、化身であり、すべてのすべてありてあるものは神なのである。
神は宇宙の愛の法則せあり、神様がいるのではない。神は無形無双の生命エネルギーなのである。






 

2024年4月8日月曜日

現象界は本来の我に戻る仮の宿である


現象界は本来の我に戻る仮の宿である

宇宙は1つなる神界であり、無形無双の霊界である。この世界に姿、形は存在しない。
1つなる神界が多神を顕しているだけである。
1即多である。
人間は実在していると勘違いしているが、人間は存在していないのである。宇宙は無限生命であり。無限の中に有限なるものは存在しない。現象として顕れているに過ぎない。
現象にはやるべき使命がある。
宇宙人は地球人、人間も宇宙人なのである。人間は自分を中心に物事を考えているが、神界からすれば塵にも満たない仮相の現象の存在が偉そうに云っているだけである。神界から見たら、気にも留めない余りにも小さな現象なるボヤキでしかない。
人間は神が神我顕現をする為に現象化している神の宮であり、宮の形を人間と名付けているだけである。神によって造られた顕現道具を勝手に使うことは罪人なのです。
人間は自分でしているように思っているが、すべて神界、生命界が行なっているのである。
人間は神界によって造られた姿、形に名前を付けているだけで、人間は神によって造られた神の被造物、神の顕現道具なのである。それを勝手に自分と思い込んで、永遠なるものを有限なるものにしているだけなのである。
現象界はこの事に気づき、仮の宿から本宿に戻る為の仮相界なのである。
「この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如し」である。
宇宙は1つなる意識界であり、人間と思っていると仮の宿から抜け出せない、意識が低い為に輪廻で再生されてしまう。輪廻は自らの意識が造る迷妄である。輪廻は現象界のものである。
消えて行く現象に幸せを求めても幸せは得られないことを知る為の現象界である。
青い鳥に気づく為の仮相界なのである。