2024年4月22日月曜日

個人と云う分離感


個人と云う分離感

宇宙はコスモ細胞。1つの細胞体である。無限生命細胞体、普遍細胞体、1つの細胞体の中には時空間は存在しない。
1つなるコスモ細胞の中で様々な形態をを顕し、細胞活動をしている。
人間も1つなるコスモ細胞の中で太陽系細胞体が造られその中に地球細胞体が造られている。その中に人間と云う細胞体を現象化させ、コスモ細胞体が宿り、コスモ生命細胞が活動をしている。すべて1つの包みの中の出来事である。コスモ細胞体は1つなる無形無双の宇宙生命細胞体である。宇宙は1つの包みである。
この中に見える有限なるものは存在しない。見えるものは生命が活動の為に顕している働く道具なのである。1つなる生命細胞体である。
人間には自由意志が与えられており、生命の活動する道具を自分と勘違いをしているだけである。
現象をあると信じることは神の中に居ながら自分は人間であると思ってしまっている。この分離感を持ってしまうと永遠なる神の生命とのバランスを崩し、生死をさ迷うことになる。
宇宙は1つなる生命体、その中に人間は神の顕現媒体として現象化しているだけである。
宇宙は1つなる細胞体、コスモ細胞体であり、人間も人間の形をした宇宙細胞体の中の小さな細胞体細胞体であり、大宇宙細胞体そのものである。
宇宙は1つの細胞体であり、その中には個人は存在しない。分離感を持ってしまうと神への反逆になる。その為にエネルギーが無くなり、輪廻によって理解できるまで、再生させられる。


 

2024年4月18日木曜日

点が我である


点が我である

握れば点、開けば無窮。宇宙は限りなく小さく,限りなく、大きい、宇宙は現象界の世界ではなく、ミクロの世界なのである。
現象界で大きいことは神我の世界では小さなことになる。顕微鏡の世界である。

今は見える現象界で判断をしているが、実在界は見えない限りなく小さな限りなく大きな世界なのである。
現象界は見える世界。形のある世界は実在しない世界。実在する世界は見えない世界。
高バイブレーションは見えない世界。見える世界は低バイブレーションの世界。
見える世界は見えない高バイブレーションの世界が低バイブレーションの世界を顕している。
見える世界があるのではなく、見えない世界があるのである。
本当の世界は見える世界ではなく、見えない世界なのである。
蒸気が水になり氷になる世界。すべて1つの世界。只、変化している世界。三位一体の世界。
人間は現象の中で生きている。現象は仮相であり、実相でない。この世は仮の宿、俗世、浮世と云われている。この現象からに脱皮をする為にこの世に意識がある。
宇宙は神1元である。人間は存在してはいないのである。形は神の顕現媒体であり、見えるものを見間違いをして仮相の人間を演じている。
仮相の人間を演じても実際の永遠の本来の我に戻ることはできない。これに気付くまで輪廻が繰り返される。生死をさ迷いながら、これに気付くまで繰り返される。
永遠なる生命が我である。天国は汝の内にある。それが点である。天である。




 

2024年4月17日水曜日

人間は何故人間がいると思ってしまうのか?


人間は何故人間がいると思ってしまうのか?

宇宙は無限生命であり、普遍生命である。1つなる生命体である。これだけが実在しているだけなのである。その他は実在していないのである。
見えるものは1つなる生命の顕われである。
この世を現象界、仮の宿、俗世、浮世と云われているのはその為である。また人間は万物の霊長と云われている。すべては霊である。霊以外何も存在しないのである。

現象は聖書にあるように「すべてのすべてありてあるものは神」であるということなのである。人間は父、母によって形が形成されるが、父、母が子供をつくるのではない。でも父母が子供を造って信じて疑わない。こんな精妙な肉体を父、母が造れると思いますか?

父、母によって形は造られるが、形に宿る神が分子細胞を分裂させ、70兆の細胞体を顕し、形態を顕しているだけなのである。

造り主は父、母ではなく、神の生命エネルギーを顕すために人間という媒体を使っているだけなのである。外の形は父、母によって造られるが内なる細胞は神が新陳代謝により神が造っている。お母さんのお腹を貸しているだけなのである。父、母も神によって造られている。お母さんから生まれるため、人間から生まれたと信じてしまう神の顕現道具を人間という形態で造る為、現象を信じてしまう。人間には自由意志が与えられている為、人間と思うことも神と思うことも自由なのである。

宇宙は1つなる永遠なる実在生命であり、無限生命である。無限生命の中に消え行く有限なるものは存在しない。人間が居ると思う心は消え行くものをあると信じる心が造り出している。
1つなる生命、神が多神を顕していることに気づかない。
生まれた時に「命名」と名前を付ける。これは人間の名前ではなく、命の名、神の名のである。
外は人間の形をしているが、中は神がなる分子細胞体なのである。人間と云うものは存在していないのである。分子細胞は新陳代謝によって常に変化し、形態を維持させている。この新陳代謝を邪魔をしているのが人間意識のサタンである。新陳代謝は造り主と造られたもののバランスで活動している。自我意識で不安、恐怖等を持ち込めばバランスを失い。エネルギー不足になり、気の病になる。病気は勝手にくるのではなく、自ら造るものである。エネルギー不足が病気なのである。
人間だと思う心が病気を造るのである。肉体は神の顕現道具なのである。人間は神の顕現道具を自分と思って神の道具を使っているのである。人間と思っていることが罪人なのである。幾ら自分は良い人間だと思っていても人間という意識そのものが罪人なのである。

 

2024年4月16日火曜日

この世は想念の幻想の世界


この世は想念の幻想の世界

宇宙は神意識の一元の世界。想念の世界。
想念は実現の母と云われるように想ったことを顕す世界。
現象界でも大きな夢を持ちなさいと親から云われる。実際に自分が想ったことが顕れている。
何処に行きたい、何かをしたいと想う心が現象として顕わてている。楽しいことを想えば楽しいことが顕れる。嫌だと思うと嫌なことが顕れる。
宇宙は1つなる生命体、中性なる法則、愛の法則である。これを神と呼んでいる。
人間は神に似せて造られている。神の顕現媒体として顕れている。肉体細胞を通して神のエネルギーを地上界に顕現する為に造られている。
人間には自由意志が与えられているため、現象の形を自分と錯覚して現象、仮の宿に生きてしまっている。現象は変化して止まないものである。バイブレーションが低い為に顕れているのである。神の受信器なのである。人間の顕現媒体は命の使い、使命なのである。地上界に無限大の生命エネルギーを地上界に降ろす為に造られた神が宿る神の宮なのである。宇宙には1つなるものだけが実在している。見えるものはすべて仮相であり、神の化身、神が様々な形態を顕し、神が生きている。人間も神が人間の形を通して生きてるだけなのである。
見えるものがあると想う心が分離感を生み、爭いが生じる。見えるものは見えないものの顕われであり、1つなのである。1つの中に争いはないのである。
地上界に生命エネルギーを降ろすということは地上界の波動を上げることで争いはなくなることを意味しているのである。1人、1人の中にある神の受信器を神の周波数に合わせることで2元論から1元論になることで可能になる。天国は自らに中にある。神は汝の内にあるとイエス、釈迦が云われている。これを理解する為に聖書があり、仏典がある。
神は宇宙そのものが神であり、自分自身が神であるということを知る為の仮の宿、現象界なのである。消えて行く現象に生きることではなく、地上界の波動を上げることが目的なのである。空に浮かんでいる雲は消えてしまうが、雲の形を人間は自分と思っているようなものなのである。変化するということは実在していないいうことなのである。変化しないものが実在なのである。


2024年4月14日日曜日

人間は死なない、なぜ


人間は死なない、なぜ

宇宙は1つなる永遠なる生命体である。その中で死は存在しない。永遠なる1つなる生命が現象として万象万物を顕している。
永遠なる生命の現象として顕れている。現象は生命の表現として顕れている。現象が存在しているのではなく、生命の現象として具現しているだけなのである。生命と現象は1つのものなのである。
見えるものしか見えない為、顕している生命に気づかないだけである。生命が宿らなければ現象として顕れない。
現象は生命によって分裂した細胞であり、分子細胞は3か月の消え行く寿命である。変化して止まないものである。諸行無常の分子細胞である。変化して止まないが、無くなる我ではなく、普遍原質に還元するだけである。不生不滅である。宇宙は不変不動である。
人間が死ぬと思っているのは形が変化するだけでなくなることではない。悲しむことはないのである。
宇宙は1つなる生命体であり。分子細胞が変化しているだけなのである。
宇宙は1つなる生命であって現象は生命が顕す表現媒体である。
天地一体。天は生命、地は表現。天と地は1つである。天が地の媒体を使って地上界の波動を上げることが目的なのである。
人類はこの事が理解できず、現象に生きて、神に反逆を起こしている罪人なのである。
人類は息ら頑張って文明を発達させても最後は天変地異である。これが幾度となくり返されている事に気づかなければまた再生されてもおかしくもない状態にある。
これを防ぐ方法は1人、1人の中にある。外を向く心を内に向けることで防ぐことができるのである。




 

2024年4月13日土曜日

人間は神の顕現媒体


人間は神の顕現媒体

宇宙は1つなる生命体であり、無形無双の実在界である。この無形無双の宇宙生命の中に人間は存在しないのである。宇宙に実在しているのは1つなる愛の法則、絶対バランスが存在しているだけである。
宇宙は完全なる永遠なる生命体であり、すべて見えるものは1つなる生命の現象である。
人間は神に似せて造られた神の化身であり、神を顕す顕現媒体である。
人間は宇宙細胞体の中で何をすべきなのか?
人間は万物の霊長と云われ、地上界の波動を上げる為に存在している。
人間はその波動を上げることをせず、仮相の人間に生きている。
本来の使命を果さず、神によって造られた形態に生きてしまっている。
神によって造られた神の被造物を自分と勘違いをしている。神への反逆行為である。

2024年4月12日金曜日

我は現象界に蒔かれた神の種


我は現象界に蒔かれた神の種

宇宙は1つなる生命体。見えるものはすべて1つなる生命の現象である。
1つなる生命が多神を顕している。宇宙に実在しているのは1つなる生命だけが実在しているのみである。宇宙は見えない生命が見える現象を顕しているだけなのである。あるのは見えるものがあるのであはなく、見えないものが実在しているのである。
現象は実在していない。現象をあると思う心が造り挿す迷妄である。
現象には現象を顕す原因が宿っている。この現象の中に蒔かれた原因、神の種が本当の我である。
現象は内なる生命が顕している。内なるものが外なるものを顕している。原因、結果は1つなのである。外なるものがあると思う心が邪魔をしてしまう。
外なるものは内なる生命の顕わてある。すべて見えるものは1つなる生命の化身であり、現象を顕しているものは1つなる生命である。1つの中に争いはない。2つあると思う分離感の心が争いを招いてしまっている。
この宇宙の法則が人類は理解できない為に仮相界で争いをしている。人を殺しても死なないのである。宇宙は1つなる不生不滅の世界であるから。
幾らこの世で現争い、勝ち得たとしても消え行く現象なのである。
1つなるものの中で争いをするということは宇宙の法則を理解していないし、神への反逆である。
現象界に生きる反逆行為は天国には行くことはできない。
見えるものだけを信じる心が自分を束縛し、自分を仮相界に自らを縛っている。
人間の本来の使命は神我顕現なのである。その為に蒔かれた神の種が1人、1人に宿っている。