宇宙は神意識の一元の世界。想念の世界。
想念は実現の母と云われるように想ったことを顕す世界。
現象界でも大きな夢を持ちなさいと親から云われる。実際に自分が想ったことが顕れている。
何処に行きたい、何かをしたいと想う心が現象として顕わてている。楽しいことを想えば楽しいことが顕れる。嫌だと思うと嫌なことが顕れる。
宇宙は1つなる生命体、中性なる法則、愛の法則である。これを神と呼んでいる。
人間は神に似せて造られている。神の顕現媒体として顕れている。肉体細胞を通して神のエネルギーを地上界に顕現する為に造られている。
人間には自由意志が与えられているため、現象の形を自分と錯覚して現象、仮の宿に生きてしまっている。現象は変化して止まないものである。バイブレーションが低い為に顕れているのである。神の受信器なのである。人間の顕現媒体は命の使い、使命なのである。地上界に無限大の生命エネルギーを地上界に降ろす為に造られた神が宿る神の宮なのである。宇宙には1つなるものだけが実在している。見えるものはすべて仮相であり、神の化身、神が様々な形態を顕し、神が生きている。人間も神が人間の形を通して生きてるだけなのである。
見えるものがあると想う心が分離感を生み、爭いが生じる。見えるものは見えないものの顕われであり、1つなのである。1つの中に争いはないのである。
地上界に生命エネルギーを降ろすということは地上界の波動を上げることで争いはなくなることを意味しているのである。1人、1人の中にある神の受信器を神の周波数に合わせることで2元論から1元論になることで可能になる。天国は自らに中にある。神は汝の内にあるとイエス、釈迦が云われている。これを理解する為に聖書があり、仏典がある。
神は宇宙そのものが神であり、自分自身が神であるということを知る為の仮の宿、現象界なのである。消えて行く現象に生きることではなく、地上界の波動を上げることが目的なのである。空に浮かんでいる雲は消えてしまうが、雲の形を人間は自分と思っているようなものなのである。変化するということは実在していないいうことなのである。変化しないものが実在なのである。
肥田式強健術・聖中心道の鍛錬記ブログです。肥田先生は第二次世界大戦後、第三次世界大戦に向けて宇宙倫理の書を書かれている。何故書かれたのか。その意味は?宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体の中に争いをは存在はしないことを云われたのだろうか?焼失してなくなりましたが。それを紐解いて行くブログです。