2024年4月17日水曜日

人間は何故人間がいると思ってしまうのか?


人間は何故人間がいると思ってしまうのか?

宇宙は無限生命であり、普遍生命である。1つなる生命体である。これだけが実在しているだけなのである。その他は実在していないのである。
見えるものは1つなる生命の顕われである。
この世を現象界、仮の宿、俗世、浮世と云われているのはその為である。また人間は万物の霊長と云われている。すべては霊である。霊以外何も存在しないのである。

現象は聖書にあるように「すべてのすべてありてあるものは神」であるということなのである。人間は父、母によって形が形成されるが、父、母が子供をつくるのではない。でも父母が子供を造って信じて疑わない。こんな精妙な肉体を父、母が造れると思いますか?

父、母によって形は造られるが、形に宿る神が分子細胞を分裂させ、70兆の細胞体を顕し、形態を顕しているだけなのである。

造り主は父、母ではなく、神の生命エネルギーを顕すために人間という媒体を使っているだけなのである。外の形は父、母によって造られるが内なる細胞は神が新陳代謝により神が造っている。お母さんのお腹を貸しているだけなのである。父、母も神によって造られている。お母さんから生まれるため、人間から生まれたと信じてしまう神の顕現道具を人間という形態で造る為、現象を信じてしまう。人間には自由意志が与えられている為、人間と思うことも神と思うことも自由なのである。

宇宙は1つなる永遠なる実在生命であり、無限生命である。無限生命の中に消え行く有限なるものは存在しない。人間が居ると思う心は消え行くものをあると信じる心が造り出している。
1つなる生命、神が多神を顕していることに気づかない。
生まれた時に「命名」と名前を付ける。これは人間の名前ではなく、命の名、神の名のである。
外は人間の形をしているが、中は神がなる分子細胞体なのである。人間と云うものは存在していないのである。分子細胞は新陳代謝によって常に変化し、形態を維持させている。この新陳代謝を邪魔をしているのが人間意識のサタンである。新陳代謝は造り主と造られたもののバランスで活動している。自我意識で不安、恐怖等を持ち込めばバランスを失い。エネルギー不足になり、気の病になる。病気は勝手にくるのではなく、自ら造るものである。エネルギー不足が病気なのである。
人間だと思う心が病気を造るのである。肉体は神の顕現道具なのである。人間は神の顕現道具を自分と思って神の道具を使っているのである。人間と思っていることが罪人なのである。幾ら自分は良い人間だと思っていても人間という意識そのものが罪人なのである。