意識が我なり
1番最初に出版された心身強健術の本の冒頭に「鍛錬は気合で行う」ということが書かれている。一般的に肉体を鍛錬することで筋肉を作り肉体を強くし、力を造り出そうとするのが一般的であると思いますが、肥田式は筋肉の量を鍛錬の目標には置いていない。中心力10、部分力9の力の配分で動くことができるかに目標を定めている。心体(身体)は 自然界の中で上虚下実と云われているように下半身と上半身の反作用で力を造り出すことで、エネルギーを引き込んでいる。更に引き込むことで、気遣いができるようになる。戦わずして勝つ。先が読めるようになる。最後は空を知る。悟空である。それを実践され、大悟徹底された肥田先生である。肥田先生が自分で力を作ったのではなく、自分を捨てることで宇宙の無限なるエネルギーを使うことができたということです。肥田先生だけが特別ではなく、誰でも使えることを教えてくれている。肥田先生は強弱体質な身体から強健体に戻し、大悟徹底されている。肥田先生より良い条件の肉体を持ちながらそれをする人が少ない。
以前、鍛錬をしている時、「自分の安全弁を外せ」と云われておりました。要するに必死の気で行わなければ会得できないということである。肉体を幾ら鍛錬をしても健康にはなるが、強健体になるには意識のコントロールであり、肉体は意識の状態で変化してしまう。
楽しい時は楽しい表現を。悲しい時は悲しい表現を肉体は表現する。
その為に、上半身と下半身の動きが作用、反作用の上虚下実の動きで身体を使って行く。
この動きで使う時、不安、恐怖が無くなる。不安恐怖は自分が作り出す迷妄だから。
これが中心力であり、自分は中なる心。中心。心が自分である。肉体が自分ではなく意識が自分であることに気づく鍛錬であると感じております。