2022年1月12日水曜日

心身一体、気合鍛練

霊肉一体の鍛練
肥田先生は神の子、神の器と話される。一般的に人間は身体を鍛えて能力を出そうとするが、肉体は質料であり、分子細胞であり、分子細胞は3ケ月の寿命であり、新陳代謝により細胞が入れ替わってしまう。肉体細胞の分子細胞を幾ら鍛えても3ケ月の寿命であり、分子細胞は意識によって左右されてしまう。心が不安になれば不安を肉体が表現してしまう。肉体は心の想いを忠実に表現する道具である。肉体は心、意識と一体として使うことで能力が出るようになっている。
意識と肉体との一体でエネルギー、能力が入ってくる。エネルギーは肉体が造り出すのではなく、自然界の作用、反作用によってエネルギーを引き込む。その為に「伸ばせばバターの如く、縮めば鋼鉄の如く縮む筋肉」、量ではなく、質の筋肉が必要になる。肥田式の最初に出版された心身強健術の冒頭に「気合でもって鍛錬する」と書かれている。意識と肉体を合一させ、鍛錬するということである。故に「必死の気」で鍛錬するということである。一心集注で鍛錬する。心は神であり、気であり、エネルギーである。肉体と心が一つになる時、1つになる時、エネルギーが肉体を通して現れる。エネルギーとは生命のことである。これが宇宙の法則、陰陽の法則、神の法則である。自然界はこの法則を作用、反作用によって息している。気合は神の法則であり、バランスが生命である。人間は宇宙の中性バランス生命の中に存在している。最初からバランス、神なのである。生命そのものが自分であることに気づく。それが気合であり、気合が我である。その生命が人間という形を現象化させている。肥田先生は自分という自我を持っていない。無我である。生命が我であることを知っておられた。故に人間は神の子、神の器と云われているのだと思う。