型と形の使い方
肥田式の形を幾ら物まねをしても能力は顕れない。能力は形にあるのではなく、能力、知恵は自分の中心にある。自分の能力を引きだす為に型を利用するのです。上虚下実、中心力10,部分力9の型で中心力を作る。中心力が能力である。型は中心力を引き出すためのもの、肉体は中心力を引き出す為の道具であって中心力が我である。
鍛練は本当の自分(神我)と自我(偽我)の闘いである。汝の敵は汝自身なり。
肥田先生は自分のことを神の子と云い、神の器と云っている。本当の自分は神であり、肉体は自分ではなく神の身体であると。人間の形をした神であると。肉体を自分と想ってしまうと鍛錬にならない。
肥田先生は3大学4学部を同時に卒業されているが、大学に行く目的を自分の為には行っていない。村の為に役立つことを目的に大学の学部を決めている。最初から自分はない。自我はない。常に無我の境地で真剣に向き合っている。此の全体を考えることが大きな力を生み出す条件になる。
小さく思えば小さなエネルギーしか入ってこない。自分の為と思っていると小さな力しか使えない。
肥田先生が云われるように「腹は作るのではなく、造られてくる」能力も身につけるのではなく、入ってくるのである。純真な邪気のない無邪気な心によって高バイブレーションの波動、微動力を使うことができる。これが正中心強健術から聖中心道強健術に変化して行く。
型は生命の真善美を引き出す方法であり、自分を引き出す型である。生命が自分である。
肥田先生は自分のことを神の子と云い、神の器と云っている。本当の自分は神であり、肉体は自分ではなく神の身体であると。人間の形をした神であると。肉体を自分と想ってしまうと鍛錬にならない。
肥田先生は3大学4学部を同時に卒業されているが、大学に行く目的を自分の為には行っていない。村の為に役立つことを目的に大学の学部を決めている。最初から自分はない。自我はない。常に無我の境地で真剣に向き合っている。此の全体を考えることが大きな力を生み出す条件になる。
小さく思えば小さなエネルギーしか入ってこない。自分の為と思っていると小さな力しか使えない。
肥田先生が云われるように「腹は作るのではなく、造られてくる」能力も身につけるのではなく、入ってくるのである。純真な邪気のない無邪気な心によって高バイブレーションの波動、微動力を使うことができる。これが正中心強健術から聖中心道強健術に変化して行く。
型は生命の真善美を引き出す方法であり、自分を引き出す型である。生命が自分である。