2022年5月9日月曜日

人間は完全の中に生まれている。


 人間は完全の中に生まれている。

宇宙は1つなる生命体であり、完全なる生命体である。完全なる中に居て不完全はない。
不完全の心は自分で作り出している。
宇宙は完全1元であり、無限生命であり、無限生命の中に有限は存在しないからである。
存在しないものをあると思う心が、不完全なるものを作り出してしまっている。
現象の形を見てあると思ってしまう。変化して止まない諸行無常の世界は内なる心の現われであることを理解していない為に起こる。色心不二である。見えないものが見える現象を現わしている。万象万物すべて現象である。本当の我は見えない中心生命、中心力が我である。肉体は中心なる心表現する為の媒体である。
キリストが「肉に生きるは死」と云われていることである。肥田先生も「中心の鉄扉を開かずして生涯を終わるものは米を抱いて餓死するが如し」とキリストと同じことを云われている。肉体は心の表現体である。故に心身強健術なのである。心と肉体を1つとして使って行く。見えるものは心の変化の中にあるため、変化するものを安定して使おうと思っても安定して使うことができない。心は常在であり、肉体と1体で使う。肥田先生が云われる「天寵無限」である。エネルギーは無料である。無料であるというより中心よりエネルギーが入ってくる。中心バランスが我である。宇宙生命である。愛の法則である。
エネルギーは作るのではなく、入ってくるのである。腹も作るのではなく、つくられてくるのである。

2022年5月6日金曜日

肥田式は肉体を使って如何に能力を引き出すかの鍛練である。


 肥田式は肉体を使って如何に能力を引き出すかの鍛練である。

肥田式は万芸の泉と呼ばれている。何ぜ?。心身を一体にさせることで能力を引き出す鍛錬だからです。
一般的に肉体を使う為に丈夫身体をつくるという考え方が大方である。肥田先生は中心に入れば数回で良いとまで云われている。この事からも肥田式は肉体鍛錬をし、能力を引き出す鍛錬ではないことが理解できるはずである。
肥田式は肉体の取り扱いの説明書。肉体の取説である。宇宙のエネルギーを使う取り扱い説明書のようなものである。
人間の能力は顕在意識と潜在意識と云われている意識である。この意識は2つで1つであり、見える人間の動きは潜在意識によって動かされている。
見える動かされているものだけを見るが故に潜在意識が使えないのである。
すべてが1つ。宇宙は1つ。見えるものも見えないものも同じ1つのものである
。見えるものは見えないものによって生かされていることに気づくことで小さな自分であるが大きなエネルギーが使える。
学んで能力を出すのではなく、すべて持っているものを引き出す。これが中心力であり、自分自身である。人間は肉体に能力があるのであるのではなく、宇宙のエネルギー、知恵を受ける受信機であるということである。受信機の性能を上げる為に肉体の中心を使い、宇宙の知恵、力を引き出す鍛錬である。
中心力は自然界は作用、反作用の利動力である。
人間には自らには力はない。グライダーの如く、向かい風の中にあるエネルギーを如何に捉えて行くかである。幾ら肉体を鍛えても能力を得ることはできない。肉体道具を自分だと思ってしまうと自縛する。人間という姿形はピノキオであり、エネルギーによって動かされている器であること認識することで器から能力、知恵が出てくる。知識は人の為ならずである。すべての力は中心力が肉体を通して現れてくる。肥田先生の云われる天寵無限の宇宙力である。


2022年5月5日木曜日

この世を何ぜ、仮の宿、俗世というのか?仮の宿で何をすべきなのか?


 この世を何ぜ、仮の宿、俗世というのか 仮の宿で何をすべきなのか?

仮の宿があるということは本宿があるということである。
宇宙は霊界であり、人間を万物の霊長と呼ぶ。宇宙は無限の質料とエネルギーの絶対バランスで、絶対の生命循環、陰陽のバランス、中性である。
此処がすべての根源であり、見える姿、形はバイブレーションの低い状態である。この低いバイブレーションを上げることで本宿の見えない本当の自分に戻る。今は本宿から生まれ、個体という姿の中に住み、バイブレーションを上げ、霊肉一体にさせ、見えない本宿に戻る途中にいるのである。
人間という仮の宿に囚われてしまうと本宿には戻れなくなり、戻れるまで輪廻を繰り返す。
本来の我は人間の裡に本当の我が宿っている。こ゚の我に目覚める為に仮の宿がある。この世で一生懸命に働いて財を成しても死んでは持って行けないことを知り、本来の使命に気づくことで本来の我に気づく。
見えるものは不完全であり、人間のすることは完全なことは行えない。人間が生きると必ず自然界のバランスを崩す。争いを引き起こす。同じ生命同士で争いする。見えるものに囚われて生きてはいけないことを知る。人間、万象万物は神の化身であることを知り、1人、1人の意識を上げることで人類が争いのない世界をつくって行く事で本宿に戻って行く。人類を変える力は1人、1人の中にある。バランスがすべてを変える力になる。見えるバランスではなく、見えないバランスを取って行く。中心力、中なる心は全ての人の中にある。



2022年5月4日水曜日

すべては1つしかない。個人は全体である。


 すべては1つしかない。個人は全体である。

すべてのすべてありてあるものすべて神である。神とは無限大の陰陽のバランスの事である。これが宇宙の永遠なる生命循環である。
宇宙は1つなる無限大の生命循環システムであり、中性バランンスである。このバランスの中に万象万物は形態をつくり、生命が息している。すべては1つの生命である。1つの生命が様々な形態の中に宿り、息している。生命は見えない。見えるのは形である。形を動かしているのは見えないエネルギーである。パソコンも電源がないと動かないように。見えない1つなる電気が見えるパソコンを動かしている。見えないエネルギーが万象万物を動かしている。
人間は見えるものをあると信じ、人間が生きていると信じて疑わない。人間は宇宙の生命エネルギーによって生かされている。人間の生かしているエネルギーは唯一の宇宙エネルギーである。万象万物、全てを動かしているエネルギーは1つの同じエネルギーである。人類は同じエネルギーで動いている事に気づかず同じ身内で争いを起こしている。醜い姿である。
宇宙は1つの生命エネルギーによって生命循環が行なわれている。人間だと思うと小さなエネルギーしか使えない。宇宙だと思えば宇宙力の無限大の力が使える。
肥田先生は無私であり、宇宙と一体になる事で宇宙の力、知恵を引き出している。人間の脳には何の力もない。宇宙の電波を受ける受信機である。純粋な心が受信機の性能を上げる事ができる。能力を引き出すには脳幹部の思考停止をする事で人間の五感を停止させる事で可能になる。肥田先生も脳幹部の思考停止と云われている。人間は自分と思っていると能力はでない。無私になり、宇宙と一体になる事で宇宙力が使えるということを云われている。人間の形を人間と言っているだけで人間は存在しない。人間に見える形は細胞の集合体であり、人間の形をしている細胞体を人間と呼んでいるに過ぎないだけである。宇宙は一なる陰陽の絶対バランスであり、これが見えない我であり、無限大の絶対バランスのことを神と呼んでいる。
人間は肥田先生が云われるように人間は神の子であり、神の器である。
宇宙倫理の書の骨格は宇宙の1つなる生命に戻れば、争いはなくなる。この事を肥田先生は云われていると断言する。

2022年5月3日火曜日

人間という枠の中で生きる為に争いを引き起こす。


 人間という枠の中で生きる為に争いを引き起こす。

宇宙は1つなる生命体である。1つの中に2つはない。見えるものは見えないものの現われであり、1つである。見えるものをあると信じる心が分離感を生み、争いが生じる。現象なので実際にはないものである。人間も見えないものの現われ、万象万物は見えないものの現われ、現象であり、故に地球は空に浮いているのである。浮世なのである。人間は空の現われ、消えて行く存在であることをお釈迦様は解き明かしてくれた。色即是空、空即是色、色心不二である。
キリストもすべてのすべてありてあるものは1つなる生命、神であると。
無限生命の中に居て消え行く幻の有限なるものから離れなければならない。
地球は天と地に分けた地の星である。この地の波動の低い地球を光る星にするために万物の霊長たる人間が存在しているのである。このことが理解できなければまた天変地異に巻き込まれ、宇宙の中性の力によりまた元に戻されてしまう。幾度となく繰り返されてきた天変地異。ノアの箱舟である。文明が発達すると天変地異が起こる。これは文明の作り方が間違いであるということに人類は気づかなければならないが、まだ人類は幼児期の為、自分が創り出した人災を災害と呼んでいる。波動の低い水の惑星から光る惑星に変えることができるのは地球に住む我々、人類なのである。地球人の使命である。光る星に変える鍵が中心力、宇宙の愛の法則、陰陽の吸引の法則なのである。
神という言葉を正しく認識しなければならない。宗教家が使う言葉ではない。見えないものを神と云っている。中心力、生命、陰陽の法則を神と云っているのであって、神様がいるのではない。神、仏というのは1つなる宇宙の生命体のことを云っている。万象万物はこのエネルギーによって具現されている。すべてが神であるというこである。すべてが絶対バランスの中で生命循環をしている。キリストの云われるようにすべてが神なのである。肥田先生も人間は神の子、神の器であると云われている。神は絶対バランスであり、1つなる宇宙である。宗教という字は宇宙を示すと書く。見えるものはすべて宇宙の子である。神である。神が神を求めることはない。




2022年5月1日日曜日

中心が仏であり、キリストであり、中心は我が中にある。


 中心が仏であり、キリストであり、中心は我が中にある。

中心が生命であり、仏であり、キリストである。
宇宙は陰陽のバランスであり中心である。形あるものの全てには中心がある。中心が神であり、絶対バランスが神である。肥田先生が人間は神の子であり、神の器であると云われるのはこのことである。
すべて中心バランスが生命であり、このバランスが崩れると生命エネルギーが滞る。これが病気である。気のエネルギーバランスが不調和を病気という。
中心がすべての根源である。宇宙はこの絶対バランスである。バランスが生命である。
すべてに中心があるということは1つである。陰陽に絶対バランスが宇宙である。
絶対バランスが生命である。これを仏、キリストと云っている。これを神と呼んでいるだけである。宇宙の無限生命の中に有限な神は存在しない。神は科学であり、原子と電子である。質料とエネルギーの吸引バランスが生命である。すべてが1つなる無限なる絶対バランスが宇宙であり、万象万物はバランスのなかに現象化している。バランスの中に陰陽のイオン交換が行われる。見えないもの、形のないものを生命、神と呼んでいる。全てが絶対バランス。神なのである。惑星という字は惑わす星と書く。見えるものは全て現象であり、実在していない。





 発酵と輪廻転生


 発酵と輪廻転生

納豆は大豆が納豆菌により発酵をさせたものであり、大豆が納豆になって行く。一度納豆になってしまうと大豆に戻ることはできない。
宇宙は1つの細胞体であり、常に発酵している。よりきめ細かになっている。空である。空は何もないわけではない。見えない発酵体である。更に発酵し続けている。更に微細になって行く。細かくなればなるほどエネルギーが高まって行く。見えないということはエネルギーが高いということである。見えるものはエネルギーが低いということである。
人間は見える存在であり、見えるということは低波動ということである。低波動の為に見えるものがあると信じ、自己保存の為に消えて行くものに囚われ、争いを起こしているのが人間である。宇宙は無限生命であり、1つである。1つの中に有限は存在しないことを人間は認めない。キリストが云われている。死ぬものはまた生まれると。人間の現象が個体からバイブレーションが上がれば納豆が元の大豆に戻ることができない。人間に生まれることは無くなる。戻れるということは大豆がまだ発酵していないということになる。私を含めて形ある物はまた人間として生まれてくる。
虫達を見ると幼虫から変化して蝉になり、カブトムシになり、蝶になって行く。人間も脱皮しなければならないのに芋虫から脱皮しようとしない。青虫も幼虫の時には野菜を食べ周りに迷惑をかけるが脱皮して蝶になれば自分が植物との共存の中で生きることができる。共存共栄が法則であり、万物の霊長たる人間だけがこの法則を犯し、地球のバランスを崩している。人類は今、動植物以下の生き方をしている。仮の宿で何をすべきかを今、問われている。答えは1人、1人の裡にある。
意識を発酵させることで争いをなくすことができる。空は無限大のエネルギーの宝庫であり、誰でも使うことができる。物質を追い求める時代から空を求める時代に変化してくる。