2022年6月22日水曜日

真理は1つである。


 真理は1つである。

真理は1つである。宇宙は1つなる生命体であり、1つの中に様々なものは存在しない。宇宙は1つなる生命が様々な形態をつくり、その中で1つなる生命が息している。人類は様々な形の現象を見てそれをあると信じ、部分的な見方をしてしまう。其処に争いが起きてしまう。争いは1つなるものを様々な形をあると思い、その中で自分が一番正しいと思う心が引き起こしてしまう。
宇宙は完全なる生命体であり、その中には不調和はない。不調和があるとすればそれは想いが間違っているということである。完全の中に不完全はあり得ないのである。
人類は見える結果形態を持っている。見える形態は現象であり、それをあると信じて分離感を持ってしまう。
宇宙は完全なる生命体であり、その中に居るものはすべて完全であるという意識から物事を考えて行く。其処には争いはない。1つの中に争いは生じない。部分的な不完全な見方、分離感から、争いを起こす。エネルギーは宇宙には無尽蔵に存在している。人間はエネルギーが質料を変化して現象を現している。人間はエネルギーの器である。宇宙の無尽蔵の生命エネルギーを放射させて行くことが人間という器に与えられた本来の使命である。すべて持って生まれている。この世を生きるのではなく、人間という神の器を使って無限大のエネルギーを1人、1人が引き出して行く。現象界は生きる世界ではない。自分が自分に気づく為の仮相界である。人間という現象、結果から物事を考えると必ずアンバランスを起こす。人類が高度の文明を築くと必ず起こしてしまう天変地異。これは人類の生き方が間違っているというメッセージである。人類が成長するには宇宙真理からの発想でなければ人類の進化はない。1人、1人は神の子である。答えは人類の1人、1人の中にある。


2022年6月21日火曜日

宇宙は1つなる愛の生命体である。

 

宇宙は1つなる愛の生命体である。

宇宙は1つの生命体である。1つということは2つはないということである。善悪は存在しないということである。何ぜ人類には善悪があるのか?
1つのものを2つに見てしまう結果、善悪が生じてしまう。1つの中に有限なるものは存在しない。見えるものをあると思う心が善悪の心を生み出している。
見えるものは結果であり、見えるものには必ずそれを顕す原因がある。それが見えない陰陽のバランスである。波動の違いによって水蒸気は水になり、氷になる。すべて同じものである。見えるものは波動が低い為に見える姿、形を現わす。見える人間の波動はエネルギーが低い。その為に分離感が生まれ、争いを引き起こしている。
宇宙は1つなる生命体である。その中に地球という惑星の細胞体があり、その中に人間という細胞がある。すべて1つなる宇宙細胞体であるが、人類は仮相の形を見てあると信じ、自分が一番偉いと思い込み、バランスが生命であることに気づかず、地球のバランスを自分が生きる為に崩している。それを平気で天災、災害と呼んでいる。自分達は悪いことはしてはいないと思っている。このようなアンバランスの現象は人類が本当の我に気づく為にある。宇宙は1つなる永遠なる生命であることに気づくある。現象は実在していない。仮相界であり、見えるものはすべて現象であり、地球も現象であり、天変地異が起こっても本源、本質はなくはならない。万物の霊長と云われる人間はこのことに気づき、本当の我に気づかなければならない。すべては1つの愛の永遠なる宇宙細胞体であり、人類はその中の一部であり、宇宙そのものであることに気づかない。人類は1人、1人が自分の波動が上げ、この波動の低い世界から抜け出さなけれなならない。現象界は昆虫が脱皮するように人間も人間という芋虫から脱皮するためにあるのである。消え行く現象、幻の世界に幸せは絶対にあり得ない。現象界は気づくための世界である。この世で幾ら財を成しても死んでは持ち帰れないことを知っていながら現象界を生きている。宇宙は無限なる永遠なる生命体であり、無限なる生命であること有限な生き方を通して気づく為のものであることに気づく。現象界を楽しむも脱皮するも本人の自由意志である。



2022年6月20日月曜日

人生はすべて自分が決めている。


人生はすべて自分が決めている。

宇宙は1つなる無限の生命体である。この中に万象万物は現象化している。万象万物が独自に生きているのではない。1つなる無限なる生命が万象万物に宿り、生命が息している。生きているのは無限の生命が生きている。宇宙の生命体は1つである。無限なる生命とは1つの生命であるということである。見えるものは質料が様々に変化して見えているだけである。現象である。生命は見えない。宇宙は見えない1つなる無限の生命体が様々な形態に宿り、息している。生命は見えない為、質料があると見間違っているだけである。
宇宙は無限なる1つの完全バランスの生命体である。こ゚の完全なる永遠の無限生命体の中に有限なる消え行く存在はない。現象の変化を見て、なくなると思っているだけに過ぎない。
完全なる宇宙の中に有限なるものは存在しない。人間も完全なのである。1つなる生命が人間の形態に宿っている。形態は変化してしまうが生命は変化しない。永遠である。
変化する形を自分と思い違いをして変化するものに意識を向けているだけである。完全なる自分を不完全なる形を自分と見る為に諸行無常の幻の世界に惑わされているだけである。生命は変化しない。
宇宙には1つなる生命だけが独存している。宇宙の本源、本質である。生命は陰陽のバランスであり、愛の法則であり、完全なる1つなる調和体、生命体である。こ゚の生命体を神と云い、仏と云い、天照大神と云っている。無限の中に有限なる神は存在しない。宇宙そのものが神である。すべてのすべてありてあるものすべて神であると。宇宙はすべて神ということになる。宇宙神である。
すべてが神ならゴキブリも神である。すべては生命1元であると。
「想念は実現の母 」であり、想ったことが現われる世界である。良く思えは良いものが顕れ、悪く想えば悪いものが顕れる世界。すべて自分の想いで現れる。投げかけたものが戻ってくる世界。すべて自分の想いの結果である。運命はすべて自分が決めている。
「想念は実現の母」であるということは原因と結果は1つである。宇宙は1つなる生命、中性であるということである。


2022年6月19日日曜日

何ぜ、不安、恐怖が起きるのか?


 何ぜ、不安、恐怖が起きるのか?

今、思っていることが本当のことではない為に起きる現象である。宇宙は1つなる無限の生命体であり、無限の中に見える有限なるものは存在しない。無限の中には有限は存在しないものをあると思う心が、不安、恐怖を与えてしまう。万象万物は現象であり、人間も現象であり、それをあると思う心が不安、恐怖感を抱いてしまう。現象は1つなる無限生命の中の現われと思うことができれば不安、恐怖心は起こらない。宇宙には1つなる中心生命が実在しているのみで、見える万象万物は1つなる生命の現象であり、生きているように見えるが見えない生命が宿り、生かされている。
人間は宇宙の相似形であり、小宇宙である。見える現象は実在していない。実在していない人間をいると思う心がアンバランスを生み、不調和を起こしてしまう。不安、恐怖心は実在していないものを実在していると思う心が造り出す迷妄である。すべて自分が創り出している。無限なる永遠なる生命の中に居て、有限な生き方をしようとするために不調和を起こす。見えるものはすべて現象であることを理解して行く。不安、恐怖心の人生は嘘の人生である。本物には不安、恐怖は存在しない。肉に生きるは死であるとキリストが云われている。

2022年6月18日土曜日

人間は完全なる宇宙生命体の中に存在する。


人間は完全なる宇宙生命体の中に存在する。

人間は完全なる全知全能の宇宙生命体の中にいる。万象万物は宇宙生命体の細胞体である。
人間は万物の霊長と云われ、想念力という力が与えられており、全知全能の力を使える。
全て裡に宇宙の全知全能の力が持っている。外から学ぶものはない。人間という器を使ってこの力を表現する為に現象化している。
人間は現象の形をあると見てしまい、無限の中の有限なる現象をあると信じて諸行無常の見える変化の中で生きようとする。消え行く世界をあると信じて。消え行く世界は自己保存の為に争いが生じる。現象に生きるのではなく、完全なる宇宙の無限大の生命エネルギーを肉体を通して放射させる為に人間の器は現象化されている。肉体に生きるのではない。
肥田先生も「中心の鉄扉を開かずして生涯を終わるものは米を抱いて餓死するが如し」と云われている。キリストも肉に生きるは死であると。また生きている内に成仏できなければ死んでは成仏できないと。覚者はすべて同じことを云っている。
本来の我に戻るための現象界なのである。この現象界を生きるのではなく、本来の我に気づく為の場所である。
 

2022年6月17日金曜日

肉体は意識の表現体


 肉体は意識の表現体

肥田式は中心力の鍛練であり、生命力の鍛練である。宇宙に生命は1つである。1つなる生命が多神を創る。すべては1つの生命の現われ。見えるものは全て見えない生命の化身である。生命は意識でもある。宇宙に意識は1つである。形あるものの中にはすべて中心がある。中心によって肉体は現象化されている。肉体には何の力もない。意識によって忠実に動くロボットである。肉体が自分ではなく、意識が自分である。
意識は見えない。見えない意識をどのようにして鍛錬するかというと肉体を使うことで意識圧を上げる。意識圧を上げることで宇宙の生命エネルギーを取り込むことができる。
生命エネルギーは無限なるエネルギーである。肉体を使って鍛錬するするという意味は意識圧を上げることで宇宙の無限なるエネルギーを引き込む。宇宙エネルギーと一体になる。
宇宙は1つなる生命体であり、肉体という現象を使って肉体に宿る意識が本来の自分に気づく。宇宙は無限生命であり、無限の中に見える有限なるものは存在しない。万象万物は全て化身である。自分は存在しない。見える自分は現象であることに気づく。目に見える肉体は最低のバイブレーションであり、肉体に宿る意識は高バイブレーションである。本当の我は見えない高バイブレーションである。
肉体を使って意識圧を高め、霊肉一体にして行くことがこの世で成すべきことになる。
昆虫たちも青虫から蝶になるように人間も芋虫の肉体から脱皮する。現象界は人間という殻を脱ぎ捨てる場所であり、それを意識によって行う場所である。

2022年6月15日水曜日

善悪の木の実とは


 善悪の木の実とは

人間は善悪の木の実を食べ続けているということは1つのものを2つに見てしまっているということである。宇宙は完全バランスで調和を保っている。完全の中に善悪というものは存在しない。1つの中に2つはない。1つのものが現象として現れている。見えるものはすべて1つなる生命体が様々な形態を現わしている。様々な形があるのではなく、1つなる生命があるだけで1つの中に善悪は存在しない。見えるものを、現象をあると思う心が分離感を生み出し、其処に争いが起きる。すべては1つであることを理解できれば争いはなくなる。波動が低いと見えるものになる。人間は高次元の波動が宿り、人間という形の形態を現わしている。宇宙の1つなる生命が八百万の神を具現させている。見えるものは見えないものの現われであることに気づくことで善悪の木の実を食べなくなる。その為には地球の波動を上げなければならない。1人、1人の中に地球の波動を上げる神の波動が宿っている。