2022年7月10日日曜日

すべてを動かす原動力は宇宙生命エネルギーなり


 すべてを動かす原動力は宇宙生命エネルギーなり

1つなる生命が宇宙の現象万物万物を現わしている。人間も宇宙内に現象している万物の霊長である。人間は肉体ではなく霊である。宇宙は霊生命である。人間は宇宙の生命によって造られていることに気づかず、宇宙を解明しようとしている。人間の存在を理解しない限り宇宙の謎は明かすことはできないと思う。人間は聖書に書かれているように塵にて息を吹き込まれたということを理解していない。このことが理解できれば1つな生命のなかで絶対に争うことはしないはずである。
人間を動かしているものは見えないものによって動かされている。
見えないもの
  • 生命
  • 意識
  • 想念
  • 言葉
肉体は意識によって動かされている。意識は1つなる宇宙意識があるのみ。人間は宇宙の意識波動によって現象化している。実在しているのは生命、中性の生命体が独存している。無限生命が独存している。この1つなる生命が様々な形態を作り、八百万の神を現象化している。
すべては1つなる生命の現われである。宇宙の根源はこの1つなる生命が根源である。見えるものがあると信じる心が人類を惑わしている。1つの中に見えるものは存在しない。見えるものはすべて1つなるものの現象である。
実在しているものはたった1つの生命体が存在している。他に実在しているものはないのである。現象しているものは幻影であり、変化してしまう質料である。実在しているもの絶対になくならない永遠なる中性生命体が実在しているだけである。

2022年7月9日土曜日

意識は吸引力なり


 意識は吸引力なり

意識によって様々な現象を現わす宇宙の生命体。想念は実現の母と云われるように想念意識によって現れる世界が宇宙という霊界の生命体である。
原子と電子の世界である。
宇宙は絶対なる中性バランスである。このバランスを失うことはないが失うとすれば宇宙は存在しなくなる。宇宙は愛の法則と云われる。吸引の法則、陰陽の法則である。自然界はこ゚の法則に基づいて生命活動をしている。低波動のため形を持っているため、作用、反作用の力を使って生命活動をしている。
すべては1つなる生命の現われである。すべての根源は宇宙の絶対バランス、中性力である。
すべては此処から始まっている。人間にだけ自由意志が与えられている。想念という意識である。意識は宇宙には1つしかない。この意識を人間は仮相の現象で使うか?神の意識で使うかの選択権を与えられている。元々宇宙生命体である我に戻らなくてはならないが、仮の宿で
生老病死の世界を楽しんでいる。宇宙は意識霊界であり、想いによって変化する世界である。
自由自在にできる世界である。観自在、無碍自在の世界。今、敢えて不自由な形の中に本来の我(意識)を置いている。形を自分と思っているため本当の我に戻ることができない。肉体離脱とは意識のバイブレーションを上げて行くことである。元々生まれた所に戻って行く。意識によって行う。お金はかからない。無料である。自分で波動を下げてしまっているため、自分で元の波動に上げて行かなければならない。


2022年7月8日金曜日

肉体は意識によって動かされている。


 肉体は意識によって動かされている。

意識がなくなれば肉体は動かない。意識は1つである。宇宙意識があるのみである。人間は宇宙の塵で人間の形を作り、息を吹き込まれたと聖書に書かれている。人間の形は宇宙の質料であり、質料には何の力もない。宇宙の息、生命エネルギーによって肉体は作られ、息によって生かされている。この肉体は肥田先生が云われるように神の器であり、神の子である。この器はどのように使えば良いのか?意識は1つである。宇宙意識があるのみである。肉体は意識によって動かされる器である。人間という意識で肉体を動かす時、小さな力しか使えないが神によってつくられた器であるという意識で動かす時、宇宙力、全知全能の力を使うことができる。宇宙と一体感になる時、この力が使えるように作られている。
肥田先生はこの力を使える人であったと思う。肥田先生は著書に「聖中心道」という字を当てている。形には必ず中心がある。その中心と宇宙の中心はつながっており、宇宙そのものが我であることを知っていたのではないかと感じる。鍛錬も中心に入れば数回で良いとも云われている。


2022年7月7日木曜日

誠とは


 誠とは

「初めに言葉ありき」という言葉を肥田先生も使われる。言葉ありきとは神ありきということである。
初めにエネルギーありきである。宇宙は無限のエネルギーたいであるということを云われている。
誠とは言葉は成れりと書く。神ということである。
宇宙は無限大の生命である。この中に万象万物は姿、形を現象化している。すべて1つなる宇宙生命が質料を通して現象化している。
肥田先生も何ぜ1つのなかで争いを起こすのか?肥田先生が第3次世界大戦を阻止するために書かれた宇宙倫理の書は焼失してしまいましたが、意識波動を1人、1人が上げることで争いがなくなることを知っており、それを書き残こそうとしたのではないかと感じる。
肥田先生は自分を持っていなかった。無我である。誠とは素直な心である。素直とは素に直と書く。素とは神である。宇宙生命である。宗教家の云っている神ではない。宇宙生命のことを肥田先生は云っている。神、仏、天照大神はすべて同じもの。宇宙には1つなる生命体しか存在しないのである。1つなる見えない生命を色々な呼び名で呼んでいるだけである。宇宙にはたった1つの愛の法則があるだけである。肥田先生はこのことに目を付けられた。争いを防ぐ方法はこれ以外にはないからである。


2022年7月6日水曜日

宇宙は意識の世界である。


宇宙は意識の世界である。

想念は実現の母。宇宙は質料と生命エネルギーの世界であり、想いによって具現される。これが宇宙である。宇宙は素晴らしい世界ではないか。想ったことが現われる世界。良いことを思えば良いことが具現する。悪いことを思えば悪いことが現われる。
人類は見える現象に囚われ、見える起こっている結果の世界に生きている。こ゚の世界は現象なので幾ら直しても直ることはない。原因を直さない限り、直ることはない。
現象界に現れているものは波動が低い為に現れている。こ゚の現象界を直すのではなく、自分の波動を上げることで、このバイブレーションの低い世界から自分のバイブレーションを上げて行くことで人類の波動が上がってくる。1人、1人が自分の波動を上げて行く。
これが人間のなすべきことである。争いを起こす為に人間は生まれて来たのではない。
波動が低い為争いを起こしてしまう。波動が低いと争いを起こしても結果は良くはならないことが理解できない為に人類はまだ争いに明け暮れているのである。やったらやり返す。これでは悪くなっても良くはなることはない。意識想念ですべてが変わる。宇宙は1つなる生命体である。永遠なる生命体である。万物の霊長でりながら動植物以下の生き方をしている。現象に生きるは有限なる人生に終わってしまう。想念によって自由に変化させることができる。正しい想念をすることで波動が上がり争いは無くなる。すべて意識によって変化するのが宇宙界である。

2022年7月3日日曜日

実在と現象

 

実在と現象

殆どの人が見えるものが実在していると思っている。実在は永遠という意味である。消えてしまうものは実在していない。現象である。
見えるものはすべて消えてしまう。見えるものに本物、実在しているものはないということになる。
人間も消えてしまう。実在はしていないということになる。宇宙は1つなる生命であり、見えるものが見えなくなっても形が変化するだけでなくなることはない。すべては1つである。人間は形がなくなることを悲しむが実際にはなくならない。元に帰るだけである。氷が水蒸気になるだけである。人間は見えるものに囚われ、この中で縛られてしまっている。見えるものは結果であり、結果の見えるものはそれを現わす原因が必ず存在する。
宇宙は1つなる原因があるだけであり、結果は様々な現象を現わしている。1つなる神が多神を造る。八百万の神は1つなる原因の現われである。人間は様々な現象に振りまわされ、現象に生きてしまっている。現象は仮の宿である。この波動の低い見える現象界から本来の自分の高波動の我に戻らなけれなならない。本来の我は見えない実在なのである。見えるものは仮相界、見えるものは波動が低い為に見えるだけである。
現象というのは字の如く、現れた形と書く。宇宙は永遠なる世界であり、現象界は死の世界である。すべては1つなる生命であり、その現象が見える姿、形を現わしている。現象は消えても本質はなくならない。なくならないのだから 人間は葬式はしなくてよい。お釈迦さんは自分の肉体をガンジス川に流しなさいと云っている。本来の自分は肉体ではないと云っている。死なないのに何故悲しむの?宇宙は永遠である。死なない世界の中に人間は存在しているに見えるものに囚われ波動を上げることができない人類である。これはリーダーが行なうのではない。1人、1人が行なうものである。自分で自分の本宿に帰るだけである。


2022年7月1日金曜日

気合と意識発酵

 

気合と意識発酵

気合は肉体と心を1つに合わせて行く。発酵も質料を細かくすることでエネルギーを高めて行く。自然界の行なっているものは名前は違うが、同じことを意味する。すべては1つなる生命の現われであり、すべては1つになるものである。
人間は1つなる細胞の集合体であり、集合体の形を人間と呼んでいる。人間というものは形を人間と呼んでいるのであり、人間そのものは存在しない。形の名前である。宇宙は1つなる細胞の集合体である。その中の1つの形態を人間と呼んでいるに過ぎない。
すべては1つなる宇宙生命細胞体が様々な形態を造り、生命活動をしている。この細胞が万象万物を現象化させている。すべて生命細胞体であり、宇宙は存在している。原子と電子の世界である。
完全発酵したものは腐らない。未発酵のものは腐る。スーパーで買って来た野菜を冷蔵庫に入れて置くと水分がでで腐っている状態を経験する。路地もののトマトなどは腐らず、エネルギーの高いものはひなびて行くだけ。
人間も同じである。意識を外に向けて生きるとエネルギーが外に流れ、病気になって行く。裡に向けて生きることで発酵状態が保たれる。発酵は裡に内圧をかけることで無限の生命エネルギーを引き込むことができる。人間の意識圧が抜けると死である。
未発酵のままで生涯を終わるとまたその質料の波動で生まれてくる。キリストが云われている。死ぬものはまた生まれると。人間はこの現象界で自分を発酵させるためにこの世に現象化している。現象化しているものはすべて未発酵である。私も未発酵。完全発酵すれば形は存在しない。これが昇天であり、成仏である。1人、1人の中に神に戻る発酵菌が内在している。意識を発酵させて行く。形を持つものは未発酵状態である。エネルギーが高まると形は無くなる。肥田先生も光という言葉を使われる。