2022年10月11日火曜日

病気の作り主は自分である。


 病気の作り主は自分である。

病気とは気の病と書く。気が衰えると身体のバランスを失い、病気になってくる。気が衰えてくるとは新陳代謝が遅れ、作られる細胞と消滅して行く細胞のバランスが狂い、アンバランスになる。その最大のものがガンである。アンバランスの結果がガンを発生させてしまう。ガンはウイルスではない。新陳代謝のアンバランスから起こってくる。
ガンになり、stage4と云われ、医者から見放され、開き直れる人でガンを克服される方がいる。新陳代謝は心のアンバランスにより、引き起こす。
今の食もバランスの取れた食べ物が少ない。水もアンバランスである。誰がバランスを崩しているの?すべて豊かな生活を求めようとして人類が自分の住む居場所を自ら壊していることに気づかない。宇宙は完全バランスであり、自然界は宇宙バランスの現象化されている状態である。現象界は宇宙バランンスが現象化されているのであって現象をあると思ってしまうとアンバランスを起こしてしまう。人間を生きようとし、有限なる諸行無常の幻想の中に飛び込んでしまう為、溺れてしまう。泳げないものが底なしの海に飛び込むようなものである。
宇宙はバランスで永遠なる生命である。その中に人間も完全なる現象として現れている。
宇宙の1つなる細胞体であり、宇宙の法則に生きることが本来の生き方であり、現象界に生きることではない。現象界に生きることはアンバランスに生きることになる。永遠なる生命体の中に居ながら敢えて有限な生き方を楽しんでいる人類である。
不完全なるメッセージを聞かず、自縛の道を進む、気づくまでは戻れない。気づけば戻れる。
日本の宗教は輪廻転生をさせている。これでは中々現象界から抜け出すことは難しい。
宗教に入っても宗教に死んではならないと云われる所以である。波動が低い為に現象化してることに気づいて行く。昆虫を見習って解脱して行かなければならないが、この世に未練があるものは現象を楽しめば良いと思う。すべて人には自由意志が与えられ、強制はできない。




2022年10月10日月曜日

全ては1つなる原点からの現象である。


 全ては1つなる原点からの現象である。

見えるものはすべて見えない1つなる生命体の現象であり、すべて消え行く存在、変化して止まないものが自然界である。1つなる生命、神によって操られている自然界。中心バランスによって生かされている。この中心バランスがなければ万物は現象化されない。現象化されている諸行無常の現象界。この現象界、仮相界に殆どの人間は滞在している。人間は万物の霊長と云われている。宇宙は1つなる霊体である。日本語には気に対する言葉が多い。日常で使う言葉に気象と云う言葉がある。天気予報は気の状態を見て行く。現象を見て行く。低気圧になると雨が降り、雪が降り、雹が降る。すべて1つなる気の変化である。
人間はこの現象をあると信じてしまい、この見える変化に惑わされ、振り回され生きている。
現象は1つなる生命の変化であり、形は消えても変化するだけであり、無くなるわけではない。本来の我は現象の自分ではなく、現わしているものが本来のものある。
人間は現象の見える我ではなく、見えない現わしている本質が我である。
不安、悩みが起こるのは不完全な状態であることである為に起きる現象。バランスを崩す為に起こる。宇宙は元々完全であり、完全の中に生まれている。こ゚の完全なるバランスを崩しているのは外でもない。自分自身である。
1つなる生命現象の現われをあると思う心が永遠なる生命の中に居ながら、有限なる生き方を自ら選び、生老病死の四苦の中で、諸行無常の中の変化の中の仮相界に生きてしまっている。
現象界の意識から生命意識への切り替えをしなければならない。宇宙は意識界であり、想念は実現の母の世界である。


2022年10月9日日曜日

宇宙真理と念仏


 宇宙真理と念仏

宇宙は1つの陰陽の法則であり、無限大の永遠なる生命体である。この見えない生命体を神と呼んでいる。その中に居るものはすべて神ではないのか。 見える現象、万象万物はすべて神の化身であるということである。ゴキブリも神であるということになる。人間は万物の霊長と云われ、「人間は神の似姿に造られていると」。似姿とは神は法則であり、姿、形は持たない。創造の原理のことを云っている。
人間には創造の力が与えられている。「想念は実現の母」この創造の力を自由に使うことができる。この力は全知全能である。この力を使うには神と一体にならなければならない。
日本の仏教でも念仏を取り入れているが、惜しいことに念仏を偶像化してしまった。
念仏とは仏を念じる。自分が仏であることを念じることである。仏が自分自身であるということであればお寺は必要なくなる。自分が神なら偶像するものは必要なくなる。
これが宇宙真理である。自然の法則の中で人間はいる為、自然の法則から抜け出せない。
故に輪廻転生があると信じてしまう。宇宙から見ると波動が低い為に現象化している自然界、自然界は現象界である。すべての万象万物は神のバイブレーション、生命によって造られている。すべて神の子である。この現象界からから抜け出し、仮の宿から本宿に戻るか。その為に現象界に滞在しているようなものである。キリストも「この世で富める者はラクダが針の穴を通るが如し」と云われている。肥田先生も塵世という言葉を使っている。


2022年10月8日土曜日

見えるものは見えないものを現わす道具である。


 見えるものは見えないものを現わす道具である。

宇宙はたった1つの法則、陰陽の法則があるだけである。宇宙は目に見える惑星、星々が宇宙ではない。
すべて見えるもの見えないものすべてが宇宙である。宇宙は意識界であり、創造の原理である。「想ったことが現われてくる世界。良いことを意識すれば良いことが現われ、悪いことを想えば悪いことが現われる世界である。自分自身が創造主である。その表現媒体として顕すものが必要になる。それが人間の肉体になる。肉体は意識したものを肉体を通して現れる。心の状態が現れる。今の人類の争いも心の表現である。
この世を平和にしようと思っても波動の低い現象からは平和にすることはできない。平和にするには人類の心の波動を上げる以外にない。結果から結果は治すことはできないのである。原因から直さなければ治ることはない。今、人類は見える現象界を生きようとしているため、問題を解決する時、どうしても対処療法でしか対処できない。原因がら治すことを知らない。
この事を気づくために現象界がある。経済界、医療界、皆々結果対処である。
原点に戻る。原点は心である。意識である。完全から不完全なるものは生まれることはない。
人間は万物の霊長であり、宇宙はすべて霊界である。意識の世界である。
惑星は空に浮いているように見える。見えないものの現象であり、高バイブレーションの中に現象として存在している為、浮いているように見える。故に見える惑星も「惑わす星」なのである。


2022年10月7日金曜日

自分を捨てた時、力が出てくる。


 自分を捨てた時、力が出てくる。

力とは中心力である。中心力は裡にある。
何故、自分を捨てる時、力が出てくるのかと云うと自分を人間だと思っていると小さな力しか使えない。人間とは宇宙の1つな生命エネルギーの化身であり、宇宙は全知全能の力であり、知恵である。
この力を人間という小さな器の人間があると思う心が無限大の力を使えなくしている。
団体競技で心を1つにしなさいと云われる。これは自分を捨てて1つになりなさい。宇宙は1つという意味である。自分を捨てるということは人間は存在しない。勝手にいると思う心が力を出せなくしている。宇宙には人間は実在していないのである。実在とは無くならないということである。見えるものはすべて消滅して行く。実在はしていない。現象は必ず現象を現わしているものがある。
それは宇宙生命、中性エネルギーが創造原理であり、陰陽の法則である。
人間も精子と卵子の結合により、生命が宿り形が具現されてくる。そこには人間は存在していない。形を人間と呼んでいるだけである。姿、形をあると思う心が自分を縛り全知全能の力を使えなくしている。全知全能の力が万象万物を現象化させている。
力を出せる人は自分を持っていない。人間は自分が生きる為に存在していると思っているから力が使えない。宇宙から見ると全知全能の宇宙力を人間と云う媒体を使って放射させるために神が人間という媒体を造っている。人間は存在していない。神の力を下す受信機である。人間と思ってしまうと神とのチューニングが合わず、自ら無限大の力が使えなくしてしまっている。肥田先生も最初から無我である。

2022年10月6日木曜日

気はバランスなり


 気はバランスなり

宇宙は中性バランス。永遠なる中性バランス。
宇宙は生命であり、生命は中性バランスである。生命は霊であり、エネルギーである。エネルギーは気である。
宇宙は気エネルギーそのものである。こ゚の生命エネルギーが万象万物を造り、その中に生命が宿り、生命活動をしている。
人間は生命エネルギーによって具現された現象である。人間は現象であり、単独では生きることはできない。万象万物も同様であり、宇宙の生命エネルギーによって生かされている存在である。宇宙の万象万物はすべて宇宙生命の化身である。見える化身の中に必ず、宇宙生命が宿り、化身を動くものにしている。すべて1つなる生命が有るのみである。
人間は仮相、現象でありながら、自分が生きていると錯覚している。人間は宇宙のバランスより造られる生命エネルギーが造り主であり、結果として人間、万象万物が現象化している。
造られた人間がいるという心が肉体のバランスを崩してしまう。ないものをあると思う心が自分を縛ってしまう。宇宙は気エネルギーだけが存在している。この宇宙の気がすべての万物の宿り、生命が気が生きている。人間が生きているのではない。人間は気の現われであり、気そのものが人間の姿、形を現わしている。人間がいるのではなく、見えない気が人間という質料に宿り、動かしているに過ぎない。
人間が力を出そうとする時、何処から出ると思いますか?内なる中心から力が出てくる。中心から気エネルギーが出て肉体を動かしているのである。
中心力である。肥田式で中心力を身に付けるという云い方をするが、中心力が我であり、現わす媒体として肉体があるのである。これが肥田先生が云われる神の子、神の器ということである。すべての人間は神の子、神の器である。肥田先生は肥田式でこの中心力のことを云われている。中心力が神であり、我である。バランスが神であり、我である。人間という存在は仮相である。この世は俗世、浮世云うことである。
見える現象界は何故あるのか?
人間と云う現象をあると思う心が波動を下げた結果として造り出した仮相界である。想ったことが現われる世界が宇宙生命体である。「想念は実現の母」と云われる霊波動の世界である。


2022年10月5日水曜日

人間はこの仮相界で何をしなければならないのか?


 人間はこの仮相界で何をしなければならないのか?

人間は「宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれた」人間は宇宙生命によって造られた宇宙生命の道具である。道具は使う為に存在する。人間と云う道具はどのように使わなければならないのか?
神によって造られた自然界を見ると答えが出てくる。
宇宙はバランスで生命活動をしている。地球も宇宙の相似形であり、すべて現象界もすべてバランスで生命を維持している。人間も同じであるが、人間には自由意志が与えられており、この自由意志を勝手に使い、神の道具を自分と勘違いをして自分を生きようとして宇宙力が使えない有限なる自縛の人生を選んで生きている。
本来の神の道具の使い方は宇宙の無限大の生命エネルギーを地上界に放流放射させるために造られている。自分を捨てた時に力、知恵が使えるのは自分という存在しないという事であり、自分は存在しないという事である。自我が邪魔をして力を使えなくしている。
自分いう人間は宇宙には存在しないのである。神の道具を自分と思って使うと自縛する。神の道具を神が使えば宇宙の無限大の生命エネルギーを地上界に降ろすことができる。宇宙は1つなる生命体。すべての万象万物は神の化身であり、すべては神である。
神様が別にいる訳ではない。宇宙の陰陽の法則のことを神と云っているだけである。
人間は万物の霊長であり、1人、1人は神なのである。神は生命である。生命がなくして見える現象は現れる事はない。神を外に求めると何が起こるのか?分離感のため争いを起こすことになる。これが長年続いている宗教戦争である。1つの中に争いは存在しない。1つだから生命なのである。1つでなければ、人間は現象化する事はない。宇宙が1つなる生命故に人間という形が現象化することができるのである。何故争う。現象をあると思う心が争いを起こす。第二次世界大戦世界大戦後、書かれた第三次世界大戦の為に書かれた宇宙倫理の書はすべては1つなる生命体である事が書かれていたのではないかと察する。自分を知らないから争いを引き起こすのである。争いを起こさない方法は1人、1人の意識を自然法則の分離意識から、1つなる宇宙生命意識に変える事により可能になる。