肥田式の型と形
一般的にものを学ぶ時、形から入るが、形から入ると本質を見極めることはできない。何事にも原因と結果の因果の法則がある。形は表面的なものであり幾ら上手にできても本質を捉えることはできない。
見えるものは見えない本質によって形に現れている。肥田先生は肥田式を中心力を何故、型の中心に据えたのかを理解しなければならない。
すべての見えるものの中には中心が存在する。この中心がなければ形に現れることはない。
この中心より生命が発露してくる。生命は無限大である。肥田先生が云われる「天寵無限」である。1人、1人の中に無限大の力、知恵が宿っている。この力を機械的に中心を作り、引き出す方法を作り上げたのが肥田式強健術である。正中心なる強健術である。正中心から聖中心になることで人間の仮相から実相の宇宙心に変容させている。
肥田先生が人間は神の子であり、神の器であると云われていることである。
「中心の鉄扉を開かずして 生涯を終るものは
米を抱いて 餓死するが如し」
と云われている。別の解釈をすると中心を開かずして生きるものは生きていても意味がないということである。
中心力が我であり、肉体は中心力を現わす媒体である。人間と云う姿、形は宇宙生命エネルギーによって造られ、生かされている。
肉体を鍛えてこの世を生きることではない。宇宙の無限大の生命エネルギーを引き出す為に肉体の媒体を使う。生命エネルギーはバランス生命である。無限大の生命エネルギーは1つなるものである。1つなるものの中には争いは生じない。人間と云う姿、形の現象をあると思うアンバランスの心が争いを引き起こしてしまう。
宇宙は1つなる生命体である。中心力は誰でも無料で使える生命エネルギーである。
宇宙は無限大のお金のかからないフリーエネルギーの世界である。人間は何1つ創り出すことはできない。全知全能の生命が造り出しているのである。すべて中心力が現象化させている。
生かされている人間が自分が生きようとする為に分離感を持ち、自己保存の為に争いを起こす。肥田式の中心力により自らの波動を上げることで、争いの起きる低い波動から争いの起きない高波動に上げることである。