2022年10月18日火曜日

見えるものは宇宙法則の中で具現化されているだけに過ぎない。


 見えるものは宇宙法則の中で具現化されているだけに過ぎない。

宇宙法則は陰陽の法則であり、1つなる中性バランス、永遠なる生命バランス、これが宇宙の見えない生命体である。こ゚の生命が様々なバイブレーションによって様々な形態の中に生命が宿り、現象化している。人間も現象であり、宇宙の中に人間は存在しないのである。存在しているとすると宇宙は成り立たない。1つなる生命の中に有限なる人間は存在はすることはない。人間は実在すると勝手に思っているだけである。ないものをあると思う心が不安、悩み、恐怖を持ってしまう。本当なるもののなかでは不安、悩み、恐怖持つことはない。なくなることを知っているから不安、悩み、恐怖を持ってしまう。なくなるものをあると信じる心が造り出す。
現象の自分を捨てる時、不安、悩み、恐怖はなくなる。
本当の自分とは何か、本当の自分をこの現象界の仮の宿で探すことが生きることの意味である。空海も生きている内に成仏できなければ死んでは成仏できないと云われている。


2022年10月17日月曜日

肥田式の型と形


 肥田式の型と形

一般的にものを学ぶ時、形から入るが、形から入ると本質を見極めることはできない。何事にも原因と結果の因果の法則がある。形は表面的なものであり幾ら上手にできても本質を捉えることはできない。
見えるものは見えない本質によって形に現れている。肥田先生は肥田式を中心力を何故、型の中心に据えたのかを理解しなければならない。
すべての見えるものの中には中心が存在する。この中心がなければ形に現れることはない。
この中心より生命が発露してくる。生命は無限大である。肥田先生が云われる「天寵無限」である。1人、1人の中に無限大の力、知恵が宿っている。この力を機械的に中心を作り、引き出す方法を作り上げたのが肥田式強健術である。正中心なる強健術である。正中心から聖中心になることで人間の仮相から実相の宇宙心に変容させている。
肥田先生が人間は神の子であり、神の器であると云われていることである。
「中心の鉄扉を開かずして 生涯を終るものは  
   米を抱いて 餓死するが如し」
と云われている。別の解釈をすると中心を開かずして生きるものは生きていても意味がないということである。
中心力が我であり、肉体は中心力を現わす媒体である。人間と云う姿、形は宇宙生命エネルギーによって造られ、生かされている。
肉体を鍛えてこの世を生きることではない。宇宙の無限大の生命エネルギーを引き出す為に肉体の媒体を使う。生命エネルギーはバランス生命である。無限大の生命エネルギーは1つなるものである。1つなるものの中には争いは生じない。人間と云う姿、形の現象をあると思うアンバランスの心が争いを引き起こしてしまう。
宇宙は1つなる生命体である。中心力は誰でも無料で使える生命エネルギーである。
宇宙は無限大のお金のかからないフリーエネルギーの世界である。人間は何1つ創り出すことはできない。全知全能の生命が造り出しているのである。すべて中心力が現象化させている。
生かされている人間が自分が生きようとする為に分離感を持ち、自己保存の為に争いを起こす。肥田式の中心力により自らの波動を上げることで、争いの起きる低い波動から争いの起きない高波動に上げることである。



2022年10月16日日曜日

日本人はお墓を作り、亡骸を大切にするのか?


 日本人はお墓を作り、亡骸を大切にするのか?

お釈迦様は亡くなる時、亡骸は焼いてガンジス川に流しなさいと云われている。
お釈迦様は宇宙即我という境地に達しておられた。
宇宙の法則を悟って居られた。見えるものは現象であり、すべては1つであるということを云われている。色即是空、空即是色、色心不二。これが宇宙真理である。この真理を理解できれば宇宙は永遠なる生命体であるということが理解できる。現象の自然界は見えないものによって見えるものは生かされている。宇宙生命は死ぬことはない。現象が変化しているだけである。
お釈迦様が道を開いてくれているのは現象を見ると生老病死の四苦に囚われ、不安、悩み、死の恐怖感に悩まされてしまう。この事をお示しになられた。キリストも同じことを云っている。仏は外にあるのではなく、自分自身が仏であり、神であることを云われている。
それではお墓も宗教もいらないのではないか。宗教と云う字は宇宙を示すと書く。宇宙法則のことである。仏、神様にすがりつくことではない。
宇宙法則がすべての現象を現わしている。見える自然界は宇宙の法則が具現化され、法則によって見える現象を現わしている。見えるものも見えないものも1つである。原因と結果は同じものである。宇宙は永遠なる生命体であり、見えるものは現象であり実在していない。見えるものをあると思う心が自分が自分で地獄に追いやっている。
人間は天国の住人である。すべての見えるものはすべて神の現われである。
見えるものはすべて神の現象であり、現象はまた見えないものに戻って行く。永遠なる神、生命体は形を持たない。形を持たない空なる神がお墓をつくることはない。

2022年10月15日土曜日

宇宙法則と自然法則


 宇宙法則と自然法則

宇宙は1つなる生命の法則、自然法則は宇宙法則の現象界の見える法則である。
現象は地の世界、宇宙の本源の生命の世界が天の世界。天と地は1つである。天地一体である。見えるもの、見えないものは1つである。
自然界は現象界、見えない生命が現象として現れた世界。自然界は宇宙の法則によって動かされている。鉱物、植物、動物は自由意志がない為に法則通りに動いているが、人間には自由意志が与えられれいる為、自分勝手な宇宙の法則に逆らった動き方をする。自然界は宇宙の中性バランスで動いている。人間も宇宙生命体によって造られている。法則通りに動かなければならないのに勝手に宇宙法則から外れた動き方をする。人間が崩したバランスを宇宙法則によって戻す自然界の現象を人間は天災、災害と呼ぶ。自分で崩したバランスを天に罪を被せる。
人間の肉体も同じである。バランスで生命を維持している。これを勝手に病気になったと無理に治そうとする。バランスで生命が維持されていることに気づかない。
現象はバランスが崩れていることのメッセージに気づかない。人間は宇宙法則、生命の結果として人間という姿、形が現れているだけに過ぎない。人間は細胞の集合体であり、人間の形をした細胞体である。細胞は微生物でもある。宇宙生命は宇宙微生物でもある。生命は覇道でもある。宇宙は陰陽の法則である1つなる無限生命体、自然界は見える形の宇宙法則である。
見えない法則、生命が結果として現れている。見えるものは現象であり、変化して止まない。
この現象をあると信じることで宇宙せいめいである我が小さな消え行く人間に囚われ生老病死の四苦に捕まってしまう。見えないものがあるのであり、見えるものは現象である。
人間は万物の霊長と云われている。すべては霊であるということである。霊とは気体であり、固体、肉体ではない。故に人間は現象であり、自然界の見えるすべてのものは宇宙の見えない生命の現象である。

2022年10月14日金曜日

自分がいると思う心が能力を制限してしまう。


 自分がいると思う心が能力を制限してしまう。

能力を何故制限してしまうのか?
宇宙は全知全能の知恵であり、力である。
「十で神童、十五で天才、二十過ぎれば只の人」
人間は自分を持たなければ宇宙の力が使えるということである。人間は環境の中で育つ中で自我と云うものを持ってしまう。純粋な心を失って行く。現象の我には何の力がないということである。外から入れる知識から宇宙の全知全能の知恵、力は使えないということである。
中心力、力は裡から起こってくる。中の心、心は神であり、全知全能の泉は自分の裡にある。
人間という媒体は宇宙の全知全能の知恵、力を現わす為に現象化されている。
この力を使おうとする時、自我があると使えない。肥田先生は最初から無我の境地で事を進めている。
キリストが云われている。「得ようとするものは奪われる」と。すべて持っているのに外に求めようとするため、得られなくなってしまう。
肥田式の鍛練においても同じことが云える。本来の自分を信じられなければ力が使えない。
肥田式の鍛練は自分を捨てる鍛錬である。中心力が我であることを理解するための鍛練である。

2022年10月13日木曜日

宇宙は微生物の集合体である。


 宇宙は微生物の集合体である。

宇宙は1つなる生命体である。1つの中に時空間は存在しない。見えるもの、見えないものすべては1つの現われであり、色心不二である。
惑星も浮いているように見えるだけで1つの中の現象である。すべて1つなる生命体、微生物の世界であり、波動の世界であり、すべては1つであり、それを現わす言葉として様々な云い方をしているだけである。すべては1つだけが実在しているだけである。
人間も微生物である。微生物を霊とも云う。宇宙は陰陽の法則であり、こ゚の法則のことを神と呼んでいる。宇宙そのものが神である。その中に現象化しているものはすべて神の化身である。
人間はこの見えない1つなる生命体、宇宙を見える現象から紐解こうとする為、間違いをおこしてしまっている。結果から原因は紐解けない。見えるものから行う為、分離感で神を偶像化してしまう。すべてが神なのに神を外に求めさせてしまう。自分自身が神なのに。
日本の宗教も念仏という素晴らしいものを仏を念仏により、外に求めさせてしまった。
念仏とは自分自身が仏であるということである。すべては1つなるものしかないのだから。
すべてが神であり、仏であり、天照大神でなければ宇宙の法則から逸脱してしまう。外に神を求めさせるということは支配する為か、商売になってしまうということである。

2022年10月12日水曜日

1つなる生命とは


 1つなる生命とは

宇宙は1つなる生命体。すべてのすべてありてあるものは1つである。
1つの中に2つはない。様々な見えるものがあるではないか?見えるものは消え行く存在であり、実在はしていない。実在しているものは1つなる宇宙生命のみが実在しているだけである。1つであるが故、永遠なのである。
人類は見えるものの世界で生きようとする為、様々な神をつくり、宗教戦争を起こし、現象界を楽しんでいる。現象界は宇宙生命によって人類は自然界の法則に振りまわされ生きているが、人間は自然を征服しようと考える。
鳥たちは自然界の法則に従って生かされている。人類は自由意志が使える為、自分で生きようとする。人間は誰が造ったのかを知らない。お父さん、お母さんが造ったと勘違いをしている。宇宙は1つなる生命であり、1つなる生命が様々な形態を造り、その中に1つなる生命が宿っていることに気づかない。そのため、完全バランスを崩し、永遠なる生命体の中で自らを縛り、現象界に溺れてしまう。そのメッセージが沢山でているのに気づかない。現象界を豊かに生きようと必死である。なくなるものを必死でつかもうとする。本当の幸せは永遠なる幸せであり、その幸せは汝の裡にある。青い鳥である。青い鳥とは完全バランス、中性バランスである。永遠なる幸せである。1つなる宇宙生命が宇宙にはあるだけである。人間は現象であり、消えて行く存在であり、1つなる宇宙には現象の人間は存在しないのである。