2023年10月6日金曜日

キリストと仏陀は宇宙法則を説かれている

キリストと仏陀は宇宙法則を説かれている

キリストは天地一体と云い、12人の弟子は上から降りてきたものであると説く。原点から生命から説かれる。生命のパンを食せよと。生命とは天のことである。

仏陀は現象から説かれている。色心不二、見えるものと、見えないものは1つのものであると。

キリスト教も仏教もこれを引き継ぐことはできなかった。現象を顕している実相を見ることができなかった。これが今の人類の宗教である。
宗教という字は宇宙を示すと書きます。キリスト教だとか仏教だとかではない。宇宙の法則、自分とは何かを知るためのものである。神、仏にスガルためのものではない。
宇宙の法則を理解し、本当の自分を知るにはキリストと仏陀を合わせて紐解くことで真理をが見えてきます。
すべての宗教は1つになります。真理は1つである。宗教戦争があるということは真理ではないということになる。宗教に生きることではない。自分を知る為のものである。
本当の自分は内にあるものを外に求めてしまう為に自縛してしまっているだけである。


 

宇宙心 心は1つ


宇宙心 心は1つ

宇宙は1つなる生命体。生命は中性であり。1つと云うことは善のみである。無限大の生命。生命は愛の法則である。完全なる法則、永遠なる法則。
この法則により、現象が起きる。
善悪の木の実というのは善なるものを勝手に現象だけを見て、消えて行く現象をあると信じ、1つなるものを分離させ、実在しない見えるものだけを見てしまった。これが善悪の木の実である。分離をさせなければ善のみ、1つなる争いのない平安なる世界なのである。
この1つなる生命を人類は実在しない見えるもの。現象に生きてしまった。
善のみの世界を善悪の世界を作り出したのは仮相に生きる人類である。
仮相界で起きる善悪の現象は善に気づくための現象である。諸行無常の世界は自分で創り出した迷妄なのである。本当の我に気づくためのーー。

仮相は現象であり、人間は細胞体が集合化して形を止っている、これを人間と名付けているだけなのである。現象界にある見えるものの名前はすべて後から付けたものである。人間も然り。
人類はこの現象に囚われて自縛しているだけなのである。この自縛から解放するには自分の意識を変えるだけである。

 

原点は1つということは?


原点は1つということは?

1つという意味の言葉から。

無限生命、普遍生命、天地一体、色心不二、
自他一体、表裏一体、霊肉一体。
地球は天地一体→天と地は1つであるということになる。見えるもの、見えないものは1つであるということである。普遍生命→生命に区切りがないという意味になる。無限生命→生命は1つである。
すべては1つと云うことは見えるものは見えないものの顕れであるということになる。
宇宙は1つなる生命体であるということは見えないものが見えるものを顕しているということになる。
人類は何故、1つの中で争いをしているのかということになる。見えるものだけしか見ることができないということになる。
現象だけしか感じることができない。現象は見えない空が現象を顕している。現象は変化して止まない諸行無常の世界であり、現象を顕している不変不動の空の世界が本当に自分である。見えないものが見える現象は法則によって起こる現象であることをキリスト、仏陀が説かれたが、理解できず、宗教は現象界を如何に生きようかというものになってしまった。
1つのものを2つに分離させてしまう為に宗教戦争になってしまう。
分離感の中で平和は訪れることはない。すべての原点は1つから発生していることに気づくまで争いは続く。
すべては1つという意味は天が地を顕しているという意味である。天は無限大である、地上界で資源争いを起こさなくても空から必要なものは調達できるということである。
これが1つという意味である。
人類に必要なのは意識の切り替えなのである。お金はかからないのである。


この世を仮の宿、俗世、浮世と何ぜ云うのだろう?


この世を仮の宿、俗世、浮世と何ぜ云うのだろう?

仮の宿があるということは本宿があるということになる。物事には必ず原因、結果の法則が働く。
では本宿とは何処なのであろうか?
聖書には「すべてのすべてありてあるものは1つなる生命であると」神であると書かれている。
人間及び万象万物は事実、宇宙の中に存在している。宇宙は1つなる中性生命体である。無限生命、普遍生命とも云われている。この中に人間だけが特別に存在しているのか?
人間も宇宙生命体の一部なのである。
仮の宿と云われているのは本宿に戻らなければならないということである。
では仮の宿で何をしねければならないのか?
宇宙は無限なるエネルギー体であり。人間はこの宇宙生命エネルギーを受けて流す媒体である。使命という言葉があるが、命の使いなのである。この世でお金儲けをするために生まれてきたのではないのである。現象界の消え行く世界で幾らお金を稼いでも消えてしまう自分。
一人一人が自分で考えなければならないことである。
その為の気づきに病気があり、争いがあり。不安があり、悩みがあり、恐怖がある。
この生老病死は現象界、仮の宿に気づきの為にある。自分がアンバランスになっていることに気づくためにある。病気は有難いメッセージなのである。完全なるバランスの中にで生まれているのに外を見る為に自分でアンバランスにしているだけなのである。
本宿に帰るために何をすべきかは自分で考えなければならない。

すべての答えは自分自身の中にあり、自分も知っているのです。




 

一切皆苦とお釈迦さんは云っているが本当?


一切皆苦とお釈迦さんは云っているが本当?

生きることは苦であるとお釈迦様は云われているが、本当にそうなのだろうか?
だから現象は諸行無常だから囚われずに生きなさいと。この考え方は現象から物事を見ている。
現象は必ず顕しているものがある。必ず原因がある。現象を治そうとしても原因は治らない。

お釈迦様も色心不と云われている。原因と結果は1つであると。結果は現象であり、変化して止まない世界である。原因は普遍不動の生命が現象を顕している。
宇宙は1つなる生命、陰陽の法則の中性生命体である。こ゚の本源本質から万象万物が現象化している。宇宙生命には苦は存在しない。善があるのみである。現象を見るから善悪があると思ってしまう。これが人類の善悪の木の実である。
生老病死は現象界を認めるために発生する。問題は現象の四苦があると思っている状態から取り除くことはできない。対処療法になってしまう。
宇宙は1つなる生命体であり、完全なる永遠なる生命であるという原点から考えないと根本治療にはならない。原因から考えないと涅槃を目ざす時、挫折してしまう。

 

生命は観自在、無碍自在の形を持たない生命体


生命は観自在、無碍自在の形を持たない生命体

宇宙の本源本質は形を持たないミクロの生命体。
この生命体が現象化して形態を造り顕れているだけである。
見えるものは見えない生命の表現媒体であり、見えるものは現象で見えない生命が造っているのである。
人間という形の質料は常に変化して止まないものである。生きているのは見えない生命が質料を造り、生命が質料を動かしているのであり、人間は実在していない仮相なのである。この仮相をあると錯覚して人間は迷い道に迷い込んでしまった。
これが人間の犯した罪である。人間という姿、形は宇宙の中性の法則の結果であり、質料が形を止っているだけである。人は霊止(ヒト)とも書く。
形があると思う心が消え行く泡に持て遊ばれてしまっている。
これが最大の落とし穴なのである。質料が形を止って生命エネルギーが宿っているだけなのです。存在しているのは形ではなく、見えない生命エネルギーがあるだけである。
生命は観自在、無碍自在の光体が存在しているだけである。
キリストはこれを愛と云い、仏陀は慈悲と云われ、これを説かれ、生老病死の四苦から解放させようとされた 。この法則を神、仏と云い、宇宙そのものである。すべてのすべてありてあるのもは神であり、仏である。万象万物は神、仏の化身である。宇宙は善のみが存在する。現象だけを見ようとする為に善悪の木の実を未だに食べ続けている、すべては1つなる中性なる無限大の完全バランス。完全バランスであるが故、万象万物を現象化させることができるのである。現象に生きようとして見えるものだけに生きようとする為、完全なものの中に居ながら、不完全なる生き方して仮相に囚われて生きているのが人間である。これは宇宙法則の法則違反であり、反逆である。

宇宙の塵にて造られた人間云う形を自分だと錯覚しているだけである。自分は父、母から生まれたのだと思ってはおりませんか?

 

人類の最大の敵は自分自身なり


人類の最大の敵は自分自身なり

人類は未だに争いで明け暮れている。何故、人間だけが争いから抜け出せないのだろう?

宇宙は1つなる生命体であり、こ゚の生命体の中で現象化して生命のみが生きている。
何故、人類は争いを起こしてしまうのかというと、1つの生命体が現象化しているものだけを実在していると錯覚して、消え行く現象に生きようとする為に分離感が生まれ、自己保存の為に争いを起こしてしまう。
1つなる生命を見えるものと見えないものに分離させるために起きる現象である。
人類がこの事に気づき、1つなる生命が多神を造っていることを理解できれば争いはなくなる。自分で自分を殺しているようなものなのです。
争いの原因はこの分離感から生じるものなのである。
1つなる生命が様々な形態を顕しているのなら、無限大の生命から現象化すれば、争うことはないではないか。この現象が人類の進化を遅らせている。
実際は見えないものがあって、見えるものはないのである。

この現象は実在しないことを理解し、現象は内なる心が現象化してる。
波動が低い為に現象化しているものは仮相であり。仮相は生命エネルギーの宮であり、生命エネルギーを地上界に放射する媒体として肉体細胞が存在している。
この現象に生きてしまうと自縛してしまう。人類はこの仮相界から抜け出せない。
この仮相界から抜け出すにはお金は必要としない。心の切り替えだけである。
一人、一人が自分自身と向き合うことで争いはなくなる。すべては1つであるという意識が人類の救世主になる。すべては外を見てあると思う心が争いを起こしているだけにすぎない。
万象万物は生命エネルギーによって顕れている。この世は仮の宿、俗世、浮世の現象界である。

見えるものの仮相に生きることは地球のバランスを崩すことになる。人間がこの仮相界で生きることは地球を壊しているということである。
人間だけが地球を壊していることに気づかない。その中で争い、自分だけが生き延びようとしている。自分で自分を殺している。自分でバランスを崩し、アンバランスで起きる災害を天災と呼ぶ。
人間の心が地球のバランスを崩していることに気づけば、地球の修復にお金はかからない。
心が現象を顕しているのだから。