2024年1月4日木曜日

自負心、プライド


自負心、プライド

宇宙は1つなる生命体であり、1つの中に自負心もプライドも存在しない。これも現象をあると思う分離感から出でくる言葉である。
プライドのことを日本語で自負心と書きます。
自負心を持つということは分離感で神の法則から反した生き方をしているということである。
1つの生命体の中で、存在しない自分の存在を示そうとしている。顕れているものはすべて現象であり。諸行無常の中で刻々と変化して行く。この中でプライドを持つということは刻々と流れる変化に逆行することになる。このプライドは更に自分の波動を下げることになる。
意識が個体波動を更に強くなり、この過ぎ去った過去に囚われ、自縛し、自ら作り出した地獄界から更に抜け出せなくしている。この現象界は刻々と変化する世界を生きる世界ではないのです。自分が落してしまった波動、カルマを修正する場所なのである。
バイブレーションを高める仮の宿なのである。現象は消え行くものであるが、変化はするが不増不減である。
変化して形が変化しただけでなくはならないのだから、葬式は必要ないと思いますが。肉体は本体の衣装で魂は生きているのであるから。
宇宙は物質界ではない。気体の空の世界である。すべては空の現象である。
天気予報は気象庁が行なっているが、気象、気が象(カタチ)を顕しているだけなのである。
雨も雲も雪も霰もすべて気の顕れなのである。人間もである。


 


2024年1月3日水曜日

神の国は汝の内にあり


神の国は汝の内にあり

宇宙は1つなる生命体である。何故1つなのか?
中性であるからである。陰陽のバランス、完全バランスである。大宇宙は小宇宙であり、小宇宙は大宇宙である。相似形である。現象界も同じ法則が働いている。すべては1つなる法則である。
神、仏とはこ゚の生命の法則のことである。宇宙は無限生命、普遍生命と云われているようにすべては1つであるということである。
人間は現象であり、この人間もこの陰陽の生命法則法則で現象化され、生命が働いている。
天気も一つの気圧が高気圧、低気圧の波動の変化で様々な現象を顕している。
元は1つである。すべての現象は中性という原点、原天が現象を顕している。見えるものはすべて原因の顕れである。原因,結果は1つの法則である。この1つの法則を宗教は神、仏と呼んでいる。原子と電子の法則である。生命エネルギーのことである。
現象には必ず顕しているものがある。この顕しているもの、原因を神、仏と呼んでいるだけなのです。
現象である人間も内に原因なる神、仏が宿っているのいです宿っていなければ現象は顕れない。人間だけではない、鉱物、植物、動物、見える現象はこの宇宙の法則である神、仏が宿って現象化させている。イエスも釈迦も同じことを云われている。
汝の神は汝の内にあり。汝の仏は汝の内のありと。
神、仏は宇宙の中性なる愛の法則。慈悲の法則なのである。天国、地獄は汝の内にあり。
宇宙は三位一体の世界であり、地獄は存在しない、人間が勝手に造る迷妄である。1つの中に2つは存在しない、2つあると宇宙は存在しなくなる。アインシュタインが云っている相対性理論は間違っているという学者もでてきている。すべては1つなる中性の法則、愛の法則が神であり、仏である。宗教が神、仏を外から見ようとするから原因を見えなくしている。
すべて神一元。神のみが独存しているだけである。
すべてのすべてありてあるものすべてがかみであると。聖書にも書かれている。





    

 

固定観念


固定観念

固定観念は現象界にある言葉である。見える現象界をあると思う幻想界の言葉である。
物事を固定化させて見るということになる。
固定観念とはこの世の諸行無常の変化の世界で一瞬、一瞬変化して止まない中で、変化しているものを固定して見る心で、状況が読めないという意味で使われる言葉であるが、これは現象界が存在しているとの考え方から来るものである。
固定観念に囚われてしまうということはどういうことを意味するのか?
宇宙は1つなる生命体は三位一体の世界である。天国も地獄も同じ中に存在する。すべてが1つの中に存在する。1つとは善のみであり、天国のみなのであるが、この善のみの世界を分離感で見えるものだけを固定して見る為、小さな枠の中で自分の世界感を作り出してしまう。
これを維持し守ろうとし、不安、悩みを自から作り出し、自分で自分を苦しませている。
固定観念は地獄界の言葉である。宇宙は高バイブレーションの世界であり、見える世界は低バイブレーションの世界であり、自分で地獄を造り出している。地獄は存在しない。自分が創り出す迷妄である。
この固定観念があるということは波動が低い為に固定してしまう。何かにしがみ付かないと自分の存在が無くなってしまう為に起きてしまう。自己顕示欲である。
自我の心は自分が良い人であると思われたいという自己顕示欲が造り出す。徳を積むということは見えない所で積むものであり、見える所で積む徳は自己顕示欲である。これは自分の為のインスタントのボランティアで自分の波動を更に下げてしまう。見える形の徳は自己顕示の徳である。
このインスタントのボランティアは人の為に善を施しているように見えるが逆に自らの波動を下げてしまうため良かれと思ってしたことが逆効果になってしまうのである。
真の奉仕は見えない生命の徳を受け渡すことである。固定観念という自我は自らに波動を下げてしまうのである。こだわりというのは非常に危険なものである。今までは自分もこだわりを持つことは良いことだと思い、自信を持って生きていた時期がありました。





 

2024年1月2日火曜日

すべての答えは汝の内にある


 すべての答えは汝の内にある

今まで学校教育で答えを外に求める知識の教育をされて来た。与えられた問題に対して答えを出す形で。人から問題を出してもらわないと答えを出せない。
これを幼稚園から大学まで知識の学びをさせられ、真理の学びは一切してこない。人に云われたものをするのは完全にこなすことはできるが、応用問題は難しい。
今の教育は優秀なロボット作りである。今や機械に使われている?    
宇宙は1つなる永遠なる生命体であり、万象万物、人間はその中に具現している。永遠なる全知全能の中に。外から知識を入れなくてもすべてを持っているのです。
宇宙は無限生命体であり、普遍生命体であり、生命は観自在、無碍自在の無形無双の生命  である。生命は見えないため、見える形態を使って自らを顕している。
人間という現象も「宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれた」と。人間は父、母が造ったのではない。中性の法則が現象として顕しているだけなのである。
人間の現象を顕している生命は全知全能であり。外から何も得ることはないのである。
完全なる全知全能の力と知恵を人間の肉体媒体を使って生命エネルギーを放射するために造られている。消え行く現象の中で、生命、神が生きることはしないのである。
無所得の愛の放射をするための媒体が人間という媒体なのである。人間は神によって造られた神を顕す道具なのである。それを勝手の自分のものであると使っているだけなのである。盗人なのである。本当の我は神の分霊なのです。人間は存在しないのです。無我なのです。 
見るるものを自分と見間違ってしまったために地上界をメチャメチャにしているのが仮相の人間である。本来の我は万物の霊長である神の子なのである。
外を見たために波動を下げ、見える現象をあると信じてしまったのである。
自我人間が壊してしまた地球環境の修復は1人、1人のバランスを整えることで可能である。地球のバランスを整えるにお金はかからない。
自分自身の波動を上げることで地球バランスを整えることができる。
1人、1人の心の切り替えで地球バランスを戻すことができる。毎日の生活の中で可能である。自分自身が地球バランスを崩していることに気づいたものから切り替えをして行く。
自らの波動を上げることで低波動には巻き込まれなくなる。



自問自答とは


自問自答とは

自問自答、自分に質問をして自分で答えを出す。すべて一人であるということである。宇宙は1つなる生命体であり、現象万物は1つなる生命であるということになる。内は全知全能の力、知恵であり、1つなる生命であるということである。
これは現象である人間が生きているのではなく、1つなる生命が現象形態を顕し、内なる全知全能の力、知恵を肉体を通して顕しているということになる。神が神自身の判断で知恵を出し、現象肉体を維持管理しているということになる。すべての答えは自分の中にある。外なる知識は自分の井戸を掘る為の道具の一部に過ぎないのである。知識では生命の井戸を掘ることはできないのである。
意識の井戸は自分でしか掘ることはできないのである。人間が教育を受けてこの世に貢献していると思っているが大きな間違いである。人間がこの世で貢献していることはすべて神の御業なのである。
私は何処何処が教育であると思う。人間は細胞体の集合体であり、その形が人間の名前であることを知らなければならない。人間が存在するのではなく細胞体が存在していることに気づかなければならない。すべては1つなる宇宙生命細胞体の中の一部の細胞体であることに。
地球の様々な地震、気候変動を人間は災害と呼ぶが、人類が引き起こしている人災なのである。
人類の教育はこれさえも解からない程度の学問ということになる。
答えは裡にあり、全知全能の知恵は裡にある。本当に自分は裡にある。
宇宙は神一元であり、1つなる神、仏は汝の内にあり。汝そのものが神なのである。
ブッタも汝の主は汝の内なる自灯明、法灯明であることを知りなさいと云われている。
キリストも愛ということで内なる生命が我であることを示されている、
すべてのすべてありてあるものは神であり、我である。すべては1つなる生命のみが実在している。見える現象、万象万物は 1つなる宇宙生命の化身として顕れているだけで、我も内なる生命の顕われとして現象している。自問自答とは内なる我、神に問いかけているのである。答えは外にはないのである。宇宙は神一元であり。神以外実在しているものはないのである。
すべてが神、仏であり、現象は神、仏の顕れである。神、仏が別に居て人間が存在するということはない。無限宇宙の1つの中に2つは存在しないのである。あるのは原因なき原因があるのみである。



 

2024年1月1日月曜日

生命が現象を顕している


生命が現象を顕している

宇宙は1つなる生命のみが実在している。
この実在が本源本質であり、これを神、仏と呼んでる。神、仏とは生命のことである。
神、仏とは法則のことであり、キリストは愛と云い、生命のパンと云い、仏陀は慈悲と云い、中道と云っている。宇宙は完全バランスの中性なる永遠なる生命体。原因なき原因が宇宙の1つなる無限生命、普遍生命である。
この本源本質が様々な環境の波動において様々な形態に変化し、生命が宿り、現象化している。
見えない生命は様々な形態を造り、現象化している。現象化しているものがあるのではなく、現象化させているものがあるのである。本来の我は高バイブレーションの我であり、観自在、無碍自在の無形無双の空の我である。今生は仮の宿から本宿に戻る為に現象界で休憩しているのである。本宿に飛び立たなければならないが、この現象界にまだ未練があり、腰の重い人類であり、我である。






 

悟りとは何か


悟りとは何か

孫悟空という寓話がある。悟りとは空であるということである。
宇宙は1つなる見えない生命体。こ゚の生命体が宇宙の本源本質である。生命の根源である。
この中に万象万物は生命の化身として生命により顕されている。悟らなくても初めから悟っているのである。すべて空からすべての現象は顕れている。これから悟ろうとしても悟れない。元の我に帰ることである。悟っている中に生まれていながら、悟りを目指すのは滑稽である。
難行苦行悟りにあらずである。宇宙は無我であり、1つであり。無限生命であり、人間はその中の現象であり、実在はしていない。得ようとするものは奪われる。悟りの中に居て悟ろうとしても悟ることはできない。空ということを知る、理解する。そのものに同化する。
宇宙は初めから永遠なる生命体であり、空なのである。我も初めから空なのである。
神の中に居て神を探しても見つからない。
一番の問題は人間が実在しているという錯覚から離れることにある。この現象界は仮の宿、俗世、浮世と呼ばれている幻想の世界である。幻想界から波動の高い実租の世界を見ることはできない。