固定観念は現象界にある言葉である。見える現象界をあると思う幻想界の言葉である。
物事を固定化させて見るということになる。
固定観念とはこの世の諸行無常の変化の世界で一瞬、一瞬変化して止まない中で、変化しているものを固定して見る心で、状況が読めないという意味で使われる言葉であるが、これは現象界が存在しているとの考え方から来るものである。
固定観念に囚われてしまうということはどういうことを意味するのか?
宇宙は1つなる生命体は三位一体の世界である。天国も地獄も同じ中に存在する。すべてが1つの中に存在する。1つとは善のみであり、天国のみなのであるが、この善のみの世界を分離感で見えるものだけを固定して見る為、小さな枠の中で自分の世界感を作り出してしまう。
これを維持し守ろうとし、不安、悩みを自から作り出し、自分で自分を苦しませている。
固定観念は地獄界の言葉である。宇宙は高バイブレーションの世界であり、見える世界は低バイブレーションの世界であり、自分で地獄を造り出している。地獄は存在しない。自分が創り出す迷妄である。
この固定観念があるということは波動が低い為に固定してしまう。何かにしがみ付かないと自分の存在が無くなってしまう為に起きてしまう。自己顕示欲である。
自我の心は自分が良い人であると思われたいという自己顕示欲が造り出す。徳を積むということは見えない所で積むものであり、見える所で積む徳は自己顕示欲である。これは自分の為のインスタントのボランティアで自分の波動を更に下げてしまう。見える形の徳は自己顕示の徳である。
このインスタントのボランティアは人の為に善を施しているように見えるが逆に自らの波動を下げてしまうため良かれと思ってしたことが逆効果になってしまうのである。
真の奉仕は見えない生命の徳を受け渡すことである。固定観念という自我は自らに波動を下げてしまうのである。こだわりというのは非常に危険なものである。今までは自分もこだわりを持つことは良いことだと思い、自信を持って生きていた時期がありました。