宇宙は1つなる無形無双の生命体。見えない生命の世界。宇宙は1つなる生命細胞体。1つなる生命細胞体が細胞分裂により、様々な形態を顕し、1つなる細胞体が万象万物を現象化させ、生命が現象化させている。
人類は見えない生命が様々な現象を顕していることが理解できない為に無限生命の中に居ながら有限なる生き方をしている。
宇宙に存在しているのは無形無双の生命だけが独存しているだけである。人間は細胞体が形を止っている形の名前であり。人間は生きてはいないのである。
人間が生きていると思う心が永遠なる宇宙の中に居りながら有限なる生き方になってしまっている。
人類は仮相であり、実在していないことを理解しなければこの仮相界からは離脱できないのである。原因は宇宙生命体であり、宇宙の本源本質、生命が八百万の神の化身を顕している。
見える仮相、サタンに囚われ、この実在しない仮相の現象に持て遊ばれている。
意識は見えないが意識が肉体を動かしている。見えるものがなくて、見えないものがあるのです。原因結果の法則である。
この見えない原因を理解する為に聖書があり、仏書、経典があるのである。聖書、仏書は見えない空を理解する為のものであり、聖書、仏書に書いてある内容を現象で行うことではないのである。見えない実相を実感し、我は空であることを理解する為に書かれているのである。
人類は見えない生命が様々な現象を顕していることが理解できない為に無限生命の中に居ながら有限なる生き方をしている。
宇宙に存在しているのは無形無双の生命だけが独存しているだけである。人間は細胞体が形を止っている形の名前であり。人間は生きてはいないのである。
人間が生きていると思う心が永遠なる宇宙の中に居りながら有限なる生き方になってしまっている。
人類は仮相であり、実在していないことを理解しなければこの仮相界からは離脱できないのである。原因は宇宙生命体であり、宇宙の本源本質、生命が八百万の神の化身を顕している。
見える仮相、サタンに囚われ、この実在しない仮相の現象に持て遊ばれている。
意識は見えないが意識が肉体を動かしている。見えるものがなくて、見えないものがあるのです。原因結果の法則である。
この見えない原因を理解する為に聖書があり、仏書、経典があるのである。聖書、仏書は見えない空を理解する為のものであり、聖書、仏書に書いてある内容を現象で行うことではないのである。見えない実相を実感し、我は空であることを理解する為に書かれているのである。
知識は人の為ならずである。
すべてのすべてありてあるものは生命であり、神であり、仏であり、天照大神である。
お釈迦様は憶念しなさいと云われている。汝の仏は汝自身なりと。キリストも汝の神は手よりも足よりも近い所にいると。
現象、万象万物、人間はすべて内なる神の化身なのである。全てが真逆なのである。見えるものがなくて見えないものがあるのである。これに気づくために人類は現象界で輪廻を繰り替えしているのである、悟りとは吾の心と書く。心は見えない。これを実感する。心と身体は1つであり、心身一体であり、心が見えるものを顕している。
すべてのすべてありてあるものは生命であり、神であり、仏であり、天照大神である。
お釈迦様は憶念しなさいと云われている。汝の仏は汝自身なりと。キリストも汝の神は手よりも足よりも近い所にいると。
現象、万象万物、人間はすべて内なる神の化身なのである。全てが真逆なのである。見えるものがなくて見えないものがあるのである。これに気づくために人類は現象界で輪廻を繰り替えしているのである、悟りとは吾の心と書く。心は見えない。これを実感する。心と身体は1つであり、心身一体であり、心が見えるものを顕している。
心が我であることに気づくための現象界。実相界に戻る為の仮の宿である。