2024年1月7日日曜日

一心集注とは


一心集注とは

一心集注と云っても簡単に集注でできるものではない。一心集注とは心の底の底からの集注である。
ただ座って心を集注させれば良いというのではない。一瞬集注という意味を理解しなければならない。只座って心に集注すれば良いという意味ではないのである。
息ということを理解しなければならない。身体の使い方を知らないで瞑想をしても無理なのです。身体には人間が動かすことのできない筋肉がある。呼吸に関する筋肉、深層部呼吸筋がある。神が使う筋肉である。この使い方を知ることで、上虚下実の身体の使い方が理解できるようになる。
昔は自然とできていた呼吸筋の使い方が今は椅子の生活の為に小手先に使い方になって呼吸が浅くなってしまった。小手先の肺尖呼吸になってしまった。脳をリラックさせ使うことができなくなってしまった。
上半身に力が入る動き方では脳の脳幹部の思考を停止することができない。
息づかいは自らの心と書く。これを理解することが大切である。息づかいと呼吸は同じではない。今は便利過ぎて身体の動かし方を忘れてしまった。当たり前のことが当たり前にできなくなってしまった。今、息づかいを理解できる人がどれだけいるのだろうか?殆どの方が肺尖呼吸のようになってはいないだろうか?中心が取れた息づかいができれば周囲の影響は受けなくなる。不安、悩みを持ち込まなくなる。息は自らに心である。我の息は神の息なのである。