2024年1月24日水曜日

人類の勘違い


人類の勘違い

宇宙は1つなる見えない生命体である。永遠なる久遠なる世界である。
この中の久遠の生命の中に人類は生命によって具現されている細胞体である。宇宙は1つなる生命細胞体である。生命細胞体が様々な形態を顕し、生命が息している。
宇宙は高バイブレーションの為に見えない生命体、霊体である。宇宙霊、宇宙は霊である。
無限生命、普遍生命である。
宇宙は高バイブレーションの霊界であり見える世界ではないのである。地上界は波動が低い為に見える形を顕している。顕しているのは見えない高バイブレーションの生命である。
人類はこの見えないものが見えるものを顕していることに気づかず、見えるものだけを信じて分離感を持ってしまった。その為、1つの中で争いを起こし、喧嘩をしている。
生命は1つであり、1つであることが理解できれば争いは起きない。身内で争い、殺し合いをしているのが人類である。醜い争いに気づかない。
宇宙の法則は1つなる無限生命である。この1つなる生命に戻るまで輪廻が繰り返される。
これに気づいたものから波動を上げ、解脱して行くことで、地上界の波動を上げ、人類が自らの波動を上げることで地上界の波動を上げることができる。自分自身の為に生きることが地球環境を良くすることになる。本当の奉仕は自分自身の波動を上げることである。本当のボランティアである。




 

人類の気づき


人類の気づき

今、人類は大きな迷い道に迷い込んでいる。
人類は文明を発達させて来ているが。この文明の発達は正常な発達ではない。文明が発達すればする程、地球の環境が悪くなる。
人類は宇宙は細胞体であることを理解していない。人間が生きようとすればするほど現象を顕している微生物が殺され。形態を維持する微生物がいなくなる。
人類は自分が生きるためのもっとも必要な地、水、火、風、生命の4原則を犯し、文明を発達させている。この気づきのメッセージが異常気象であり、地震である。最大のメッセージが天変地異である。
宇宙は中性バランスであり、これに逆らうと戻されてしまう。
人間が生きるために草を枯らす除草剤を撒くが撒いた土には武生物が殺されるため、耐力がなくなり。砂のようになってしまう。微生物が土の耐力保っていることに気づかない。
地上界を支える微生物が少なくなり、地上界はバランスを失っている。いつ大きな地震が起きても不思議ではない状態である。すべ人類のエゴが引き起こしてる。
これは天災ではなく、人災である。
人類が宇宙の法則、完全法則を無視し、経済を発達させる結果である。
宇宙は完全バランスであり、このバランスを犯しているのは人類だけなのである。
1人、1人が自分のバランスを取ることで地上界を元のバランスに戻すことができる。
お金はかからない。意識を変えるだけである。


 

2024年1月22日月曜日

宗教とは何ぞや?


宗教とは何ぞや?

宗教という字は宇宙を示すと書く。
宗教は宇宙の法則を解き明かすという意味である。
それを地上界で示されたのが、釈迦であり、イエスである。
宇宙は1つなる生命体であり、1つなる生命が多神を顕している。宇宙の根源は1つである。原点は1つである。すべてのすべてありてあるものは1つなる生命、神、仏なのある。
宇宙は高バイブレーションの見えない霊界である。生命界、永遠なる久遠常在のとこしえの世界である。
キリスト教とはキリストの教えではなく、キリストとは何かを教えることであり、仏教も仏とは軟化を教えると書く。キリスト、仏が何かを知らなければ教えることはできない。
聖書をバイブルと云う。波動、バイブレーションのことである。仏典、経典も仏を知る為のアドバイザーである。
キリストは神は汝の手よりも足よりの近い所にいると。釈迦も憶念せよと。
キリストも釈迦も生命のことを云われいる。生命は可視の存在ではない。生命は汝の内にあると云われている。それを理解する為の聖書であり、仏書である。
神、仏が汝の内にあるのならお寺、教会が必要なのだろうか?
宇宙は無形無双の霊体である。人間は万物の霊長なのである。すべて霊の現象なのである。
波動が低いために現象化しているだけなのである。水蒸気が水になり、氷のなっている。すべて同じものである。見えるものはすべて波動の現象であり、人間は神に似せて造られており、自由意志がある為に使い道を間違い、本来の目的を忘れ、現象の形の形に惑わされ、仮相界に留まっている。宗教は神の子を神の戻すことが宗教であると思うのだが?
人生相談することではないと思う。仮相界は本当に我に気づく。間違って使ってしまった自由意志を本来の使い方に戻すことで、本宿に戻ることができる。有限から永遠なる我に戻る。
汝の神は汝自身なり、汝の仏は汝の中にあり。これがキリスト、仏陀が云わんとしたことである。人間は見えるものに囚われて見えない本当の我を見失っているだけなのである。
1人、1人の中に神、仏が生命が宿り、人間という現象を顕している。

 

何故、心が落ち着かないのか?


何故、心が落ち着かないのか?

宇宙には心は1つしかないのである。良心があるだけである。宇宙は心であり。心が1つであれば不安になることはないのである。常に平安である。
この1つの心を分離し、2心、良心、邪心に自分でしてしまう為に心が落ち着かないのである。
宇宙は1つなる心しか存在しないのであるが、外なる現象は実在しない幻想界であり、これをあると思う心が2心を自ら造ってしまう。1つしかない心を自分が2心を造る為に自分で自分を迷わせているだけである。
原因が快であれば、結果も快である。原因が不安であれば結果も不安になる。
外なる現象は諸行無常の変化の自我の世界である。この世界は自分の心が造り出している。
自分の波動が上がればこの現象波動に巻き込まれなくなる。
悩み、不安を取り除こうとしても取り除けない。結果で結果を治すことはできない。これは対処療法である。原因を改めることで、お金もかからず、すぐに変えることができるのである。
宇宙には1つなる良心だけがあるだけである。現象があると思う心、実在しない心、邪念が自分からエネルギーを抜いているのです。エネルギーが抜かれると気の病、病気になってくる。



 

2024年1月19日金曜日

心清きものは幸いなり


心清きものは幸いなり

完全なるものは水晶のように透き通っている。
水も汚れたものは透き通っていない。完全とは透き通って見えないものである。
高バイブレーションなるものは細かく見えないが低バイブレーションなるものは荒く粗雑なるが見えるのである。
気遣い、心使いと云うのは目に見えないが肉体を通して顕れてくる。
神とはこの純粋なる水晶体のことである。観自在、無碍自在なる空なる世界、其処には邪心なる心はないのである。見えるものは現象であり、粗雑なのである。良心とは穢れのない心であり、其処には平安があるのみである。
原点はこの空であり、現象として見えるものは粗雑なる低波動なるものが見えているだけである。人間も最初は心清きものであったものが、現象に生きようとする為、欲望が絡み、純真さが無くなってくる。神は純粋なる心である。
これが本来の我であり、神である。心は見えないが光なのである。素直な心が神の全知全能の力、知恵を引きだす。赤子のような心が人間に取って最も大切なことである。自分の心に正直になれるかが人間の資質を決める。


 

2024年1月18日木曜日

意識したものが顕れる


意識したものが顕れる

宇宙は1つなる原因があるだけ。原因なき、原因である。処女解任とも云われている。宇宙は中性なる生命体。無限なる生命体、普遍なる生命体。これが宇宙の本源本質である。全知全能の力であり、知恵であり、創造の原理である。これが宇宙真理である。
宇宙生命体は無形無双の見えない生命体であり、この無限生命を顕すためには媒体が必要なのである。顕す媒体として、鉱物、植物、動物、人間が現象化されている。その中でも人間は万物の霊長と云わて、人間にだけ自由意志が与えられている。
人類はこの自由意志を本来の目的のために使わず、現象で使ったしまった。これが善悪の木の実である。聖書は例え話を使って見えないもの本質を感じるように造られている。
現象が顕れるということは波動が低いということになる。
高気圧の時は晴れであるが、低気圧の時には現象として雨に成ったり。ヒョウになったり、雪になる。全ては1つの顕れである。
人間も現象化しているということは波動が低い状態であるということである。
波動が低いと周りの影響を受けやすくなる。この波動を上げることで周りの波動を受けづらくなる。不安、悩みは自分自ら波動を下げたために起きる現象である。いつも低気圧ではいない。また高気圧に戻って行くのであるが、自分で低気圧を高気圧にさせないさせないのである。
低気圧を意識しているから低気圧が起きるのであって高気圧だと思えば高気圧になる。
意識の切り替えだけなのである。原点は高気圧なのである。意識の世界には低気圧は存在しないのである。ないものをあると信じる心が低気圧を自ら引き寄せるのである。
良いことを思えは良いことが顕れる。悪いことを意識すれば悪いことが顕れる。
現象を見るから現象が顕れる。神を意識すれば神が顕れる。
宇宙は霊界であり、人間は万物の霊長なのである。使命とは何かが問われている。
これが理解できなければまた再生される。


2024年1月15日月曜日

人間は空の顕れ


人間は空の顕れ

宇宙は1つなる無形無双の生命体。見えない生命の世界。宇宙は1つなる生命細胞体。1つなる生命細胞体が細胞分裂により、様々な形態を顕し、1つなる細胞体が万象万物を現象化させ、生命が現象化させている。
人類は見えない生命が様々な現象を顕していることが理解できない為に無限生命の中に居ながら有限なる生き方をしている。
宇宙に存在しているのは無形無双の生命だけが独存しているだけである。人間は細胞体が形を止っている形の名前であり。人間は生きてはいないのである。
人間が生きていると思う心が永遠なる宇宙の中に居りながら有限なる生き方になってしまっている。
人類は仮相であり、実在していないことを理解しなければこの仮相界からは離脱できないのである。原因は宇宙生命体であり、宇宙の本源本質、生命が八百万の神の化身を顕している。
見える仮相、サタンに囚われ、この実在しない仮相の現象に持て遊ばれている。
意識は見えないが意識が肉体を動かしている。見えるものがなくて、見えないものがあるのです。原因結果の法則である。
この見えない原因を理解する為に聖書があり、仏書、経典があるのである。聖書、仏書は見えない空を理解する為のものであり、聖書、仏書に書いてある内容を現象で行うことではないのである。見えない実相を実感し、我は空であることを理解する為に書かれているのである。
知識は人の為ならずである。
すべてのすべてありてあるものは生命であり、神であり、仏であり、天照大神である。
お釈迦様は憶念しなさいと云われている。汝の仏は汝自身なりと。キリストも汝の神は手よりも足よりも近い所にいると。
現象、万象万物、人間はすべて内なる神の化身なのである。全てが真逆なのである。見えるものがなくて見えないものがあるのである。これに気づくために人類は現象界で輪廻を繰り替えしているのである、悟りとは吾の心と書く。心は見えない。これを実感する。心と身体は1つであり、心身一体であり、心が見えるものを顕している。
心が我であることに気づくための現象界。実相界に戻る為の仮の宿である。