2024年2月5日月曜日

イースト菌 神の種


イースト菌 神の種

宇宙は1つなる生命体であり、フリーエネルギーである。イースト菌の世界、生命の世界である。
この宇宙の塵に宿り、イースト菌、生命が増殖し、生命活動をしている。
万象万物にはこのイースト菌なる神の種が分裂し、生命活動をしている。
人間も内なる神の種が生命活動をしている。こ゚の種火が外部の影響を受けて消えそうになっている。こ゚の生命の火種に油を注ぎ、生み出された細胞を光る細胞に戻して行かなければならない。自我という邪念が邪魔をしている。邪念は現象を見ることで発生してしまう。
宇宙は生命1元であるが、この自我という自ら造る邪念に負けて自分の住処を明け渡している。本当の我と偽心の我の戦い、ハルマゲドンの戦いである。
この戦いは内なる戦いである。現象に生きているものは邪心の心に負けていることになる。
肉に生きるは死であると。


 

我息は神の息


我息は神の息

息とは自らの心であり、心とは内なる心である。
中なる心、中心である。
すべては中心なる心の顕れである。心とはエネルギーであり、宇宙は1つなる心が存在するだけである。我息は宇宙の息と同じ息である。
我が裡に宇宙の息、心が宿っている。
ものごとを現象から見てしまうが、現象は結果であり、現象を顕している原因がある。
この原因が神の息である。
人間は宇宙の塵で人間の形を造り、息を吹き込まれたと云われている。すべての万象万物は宇宙の塵に息を吹き込まれて現象を顕している。生きているのは息であり、見える形態ではないのである。
宇宙は1息であり、この1息ですべての万象万物が顕れている。顕しているのはこの1息、生命エネルギーである。
現象しか見えないが、現象は外なる形であって形の中で生命が生きているのである。
菅、形は生きていない。内なる生命が形を止って現象を顕している。見方が逆なのである。
見えるものは現象であり、結果であり、現象を顕している原因があるのである。
息は心であり、生命エネルギーである。生命エネルギーは神である。
神、仏はこ゚の見えない生命エネルギーのことであり、宇宙の本源本質である。



 

2024年2月4日日曜日

中心エネルギー

 


中心エネルギー

エネルギーは内から外に流れて行く。エネルギーは外にはない。エネルギーは全知全能の力であり、知恵であり、創造の原理である。
外なる肉体には何の力もない。内なるエネルギーが肉体を通して顕れる。肉体を幾ら鍛えてもエネルギーは高まらない。中心にエネルギーが無限大に存在しているのである。
このエネルギーを引き出すには想念意識によって引き出す。引き出すというより、エネルギーを顕現する為に肉体があるのである。
人間が生きるためにエネルギーを使うのではない。人間は無限生命エネルギーを受け流す媒体なのである。
人間という顕現媒体は存在しない。神の顕現道具として神によって造られた神の道具なのである。
見えるものしか見ない為にこの道具を自分と勘違いしているだけに過ぎない。
宇宙は1つなる生命体である。1つの中に人間という見える存在はない。
人間は1つなる生命の現象であり、見えるものも見えない生命も1つなのである。
万象万物はすべて生命の化身なのである。すべて1つなのである。
現象の中心には無限大の生命エネルギーが存在する。こ゚の生命エネルギーを外に顕現する。
その為の肉体細胞体である。肉体を使って何かをするのではない。生命エネルギーを顕現する為である。その為に現象人間は神によって造られている。人間が生きる為には造られてはいない。神の宮である。
これを間違って使ってしまうとパンドラの箱を開けることになり、元に戻れなくなる。
今、戻れない我が現象界で蠢いている。
肉に生きるは死であり、生命に生きよと。キリストが云われている。



意識は1つ 宇宙意識があるのみ


意識は1つ 宇宙意識があるのみ

宇宙は1つなる生命体である。1つなる意識である。
1つの中に善悪はない。永遠なる善のみがあるだけである。善悪があるのは現象界の出来事である。
永遠なる生命意識があるだけである。
人類が善悪の中に居るということは神の善の世界から離れ、悪という存在しない邪念は見えるものを意識したために自ら創り出した迷妄に囚われたということになる。
それが人類の犯した罪であり、罪とは宇宙の法則違反のことである。
法則を犯しておいてその罪を認めない。まだまだ幼児期な人類であるということである。
宇宙は1つなる完全なる永遠なる宇宙生命体である。すべての万象万物はこの永遠なる生命の中で現象化されている。人類は宇宙生命が現象している姿、形である。それを自分が生きていると勘違いをしている。これは大きな宇宙法則違反であり、分離感である。
現象界で様々な神を祀り、自分の神が一番正しいと信じている。
宇宙は1つの生命体である。神とは生命のことであり、神とは自分自身の中にいる生命が神なのである。
これから人類は全てが1つの生命の顕われが、五十数億の人類を現象として顕されていることことに気づかなければならない時期に来ていると思う。
宗教が争う次期は過ぎました。
現象の宗教は21世紀には存在しない。これから新しい時代が来ることになる。
天国には宗教は存在しない。宗教は地獄界にしか存在しないのである。
宇宙の無形無双の1つなる神の世界に地獄は存在しない。永遠なる平安なる天国だけが存在する。
地獄は人類が勝手に作り出した世界。善悪は人類が勝手につくり出した迷妄世界なのである。宇宙は1つなる善のみの久遠常在のとこしえの世界、1つなる意識の世界である。


 

2024年2月3日土曜日

人間は何のために存在しているのか


人間は何のために存在しているのか

宇宙は1つなる生命体である。現象が顕れているということはその現象が意味を持っている。
鉱物、植物、動物にもお役目がある。人間にも現象としてのお役目がある。
人間は神に似せて造られている。神の能力が与えられている。自由意志である。人間は万物の霊長と云われ。様々な霊の長である。
人間に与えられている使命は何なのか?
この地上界で人間が豊かに生きるためなのか?
人間が生きるために現象界が造られているのか?
宇宙は完全なる生命体である、神を完全である。人間は神に似せて造られているということは完全に造られているということである。完全な生き方をしなければならないということである。
使命とは命の使いと書く。生命は神であり。神の使いなのである。
神は生命エネルギーであり、こ゚の生命エネルギーを人間という媒体を使い、顕現する為に造られているということになる。
生命を顕現するということはどのようにするのか?
肉体に内在している神の種を使い、霊肉一体のすることで、光を放射させ、地上界の波動を上げて行く。これが人間の顕現媒体を使う意味である。
生まれた時に名前を付ける。命名と書く。命の名である。外なる肉体の名前ではないのである。



 

不変不動の我


不変不動の我

宇宙は1つなる中性であり、不変不動の生命体。不生不滅なる、永遠なる生命エネルギーである。
宇宙は1つの生命であり、様々な命があるのではない。
人類も1つの生命によって現象化している。様々な形態があっても1つの生命が形を止っているだけなのである。顕れているものはすべて現象であり。霊質料である。
1つなる不変不動の生命が様々な形態を顕している。
宇宙は完全なる生命体であり、永遠なる生命体。現象は様々な形態を顕していても顕している原因である生命は1つである。
原因は1つ。結果は様々。結果なる現象があるのではなく、結果を顕している1つなる原因がある。
1つなる生命が様々な現象を顕すことができるのは宇宙は中性生命だからである。原因なき、原因故に様々な現象を顕すことができるのである。
宇宙生命は1つなる原因なき原因なのである。生命とは不変不動の絶対バランス。このバランスが宇宙であり。我である。
宇宙は完全完璧であり。この中に居るものは完全である。人間には自由意志が与えられているため、完全なる中に居ながら、不完全なる使い方をしているだけである。これに気づくまで輪廻が繰り返される。宇宙は科学である。法則違反をすればその罪を償う。すべて完全に造られていながら、その中で不完全なる意識で使っているのは自分なのだから。




 

2024年2月2日金曜日

内なる心が造り主


内なる心が造り主

宇宙は1つなる心が実在しているのみ。宇宙心。
心とは生命であり、永遠なる生命、エネルギーが独存している。
現象はすべて内なる生命、全知全能の生命エネルギーの顕れであり、創造原理であり。生命はすべての本源本質である。
原因、結果。見えるものはすべて見えない無形無双の生命によって現象化している。
すべては1つの生命原理である。現象はすべて1つの生命原理により、様々な形態を顕している。
すべての本源本質は1つである。現象はすべて1つの原因から発している。
これに気づけば人類は争いを起こすことはない。まだまだ幼児期な人類と云うことになる。
それでも人間は自分中心に物事を考え、宇宙で一番偉いと思っている。
宇宙生命が様々な現象を顕している。顕れたものがあるのではなく、顕している原因があるのである、結果現象は霊質料であり、また普遍原質に戻るだけである。
この現象に囚われるということは自らの波動を下げるため、元の本源本質に戻ることができなくなる。自ら下げた波動は自ら上げなければならない。
イエスが云われているように出てきた所がわからなければ帰る所が分からないだろうと。
出てきた所は我が裡にあり。神から出たものは神に帰る。神は汝の手より足よりも近い所になると。