2024年2月16日金曜日

サタンとは


サタンは1つなる生命の中にサタンは存在しない。それは自分が創り出す迷妄である。
宇宙には1つなる生命が存在しているだけなのである。
どうしてサタンが生まれるのか?それば1つなる生命を分離感を持って見てしまう為に起こる現象である。
宇宙は1つなる生命体であり、永遠なる生命体である。現象は諸行無常の変化の世界である。
現象にだけ目を奪われるためにサタンを自ら造りだしてしまう。
現象は常に変化して止まない消え行く世界である。この世界に目を奪われ、見えるものに囚われてしまっている。その為に人間は生老病死という四苦に囚われている。
宇宙に現象、見える世界は存在しないのである。現象は1つなる生命の化身であり、1つなのである。
宇宙は1つなる生命体であり、永遠なる生命の中に有限なる人間は存在しないのである。
サタンとは現象を見て自己保存の為に自ら造り出す迷妄にしかない。
サタンは自己顕示欲の象徴である。悩み、恐れ、不安は神から外れた代償の償いなのである。
不安、悩みがあるということは宇宙の法則違反で生きているということである。


2024年2月15日木曜日

分身分霊


分身分霊

人間を分身分霊と書く。人間は質料と霊である。
子の分身分霊が更に分身分霊を造り、分列して行く。分身分霊の本源本質は1つなる生命、神である。
現象は霊によって分身である姿、形が現象化している。
すべての本源本質は1つなる霊である。生命である。生命によって分身分霊が分裂して行く。
分身は分霊によって現象化している。現象化しているものには使命が与えられている。
宇宙は1つなる生命体である。無限生命であり、久遠である。
この久遠なる生命エネルギーを顕現する為に生命が生命の化身として現象化させている。
分身分霊は分身が見えるだけで、本源である顕している霊は見えない。
この分霊が本来の我であり、分霊が分身を顕している。
現象に囚われてしまうと内なる自分に気づかない。
人間は万物の霊長と云われ、すべてが霊であり、霊によって現象が顕れているのである。
分身分霊とは生命によって分身が顕れている。
宇宙は1つなる生命の化身なのである。1つなる生命の現象が万象万物なのである。
現象は消え行く生命の現象、生命は永遠なる生命エネルギーである。すべてエネルギーの顕れであり。宇宙はエネルギーである。生命エネルギーは全知全能の力、知恵、創造の原理である。宇宙は1つなる永遠なる生命体である。


 

人間という迷妄


人間という迷妄

宇宙は1つなる生命体であり、1つなる生命の中に2つは存在しない。現象は1つなるものの顕れで2つで1つである。
原因である実在しているものは見えないが、現象は結果として見える。象(カタチ)あるものはすべて仮相である。1つの生命の顕われになる。
人間には自由意志があり、何でも自由にできるため、この現象を我であることを疑わない。
宇宙は永遠なる生命体である。永遠なる生命の中に居て有限なるものはないことに人間は気づかなければならない。宇宙の永遠なる生命の世界に有限なる人間の生き方は存在しないのである。
キリストも「この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如し」と云われている。
現象に生きると本来の空の我に戻れなくなると。
現象は見えるが故に、触れるが故に実在しているものと錯覚してしまう。
この人間という迷妄からの脱却が人類の最大の課題である。物質文明が発達すればする程、本質に気づかなくなる。



キリスト教 仏教とは


キリスト教 仏教とは

キリスト教も仏教も同じようにキリストが聖書の中でこのように云わている。お釈迦様も経典の中でこのように云われていると宗教家が話される。
キリスト、お釈迦様が云おうとしていることは目に見えない法則を理解させるために例え話を使って話されているのである。
例え話を現象界で教えとして説いてしまった。
仏教とは仏の教えではなく、仏とは何かを教える。キリスト教はキリストとは何かを教えるものである。それを仏教は仏の教えと勘違いし、経典を説いている。
キリスト教もキリストがこのように云われていると聖書を紐解いている。
聖書も仏書もその背後にあるものを示そうとして書かれている。
仏陀もキリストも現象を顕している宇宙法則のことを示そうとしていたのである。
現象はそれを顕す原因がある。原因なき原因。それが永遠なる法則であり。法則通りに生きることで、現象に囚われなく生命に生きることを云われている。
宗教とは宇宙の法則である。生きているのは生命が生きているのであって人間は生命の化身である。



2024年2月13日火曜日

北風と太陽


北風と太陽

コートを脱がそうとする北風と太陽の童話であるが、この童話は現象から見る童話ではないのである。
北風とは自我の心、太陽は良心である。
外なる現象がコートであるが、このコートは自分で身に付けた邪心であり、この邪心を取り除く為に風で吹き飛ばそうとすると余計にコートをしっかりと離さない。脱がすには暖めれば自らコートを脱ぐように自分の邪念は内なる太陽の光を強くすることで、邪念は起きなくなる。中心は太陽であり。意識を中心に集めることで邪念は消えて行く。
邪念は実在しないもので、自分が造る心なのである。
宇宙は1つなる太陽、1つなる心が実在しているだけである。現象は1つなる生命の顕われであり、1つなのである。これを現象があると思う心が邪念、自我の心である。
分離感が造る心が善悪の木の実である。
人類の善悪の心の克服を神は気長に待ち続けている。
善とは神であり、神は人なり、人は神なりである。人類は神の分け御霊なる神そのものなのである。


 

現象とは何か


現象とは何か

宇宙は原因なき原因、無形無双の生命である。
中性エネルギーである。
この1つなる生命が様々な形態を造り、現象化させている。これが宇宙の法則である。
この法則によって様々な形態が生まれ、生命が活動をしている。
人類は神に似せて造られており、自由意志が与えられている。この自由意志は宇宙法則の中で使うべきものを人類は法則違反をして、現象で使ってしまった。
浦島太郎の開けてはならない玉手箱を開けてしまった。
これが人類の罪なのであるが。すべての番所万物はすべて神の被造物である。
被造物の中には必ず神が宿り、形態を維持している。神に戻る切符が隠れているのである。
自分だけが使える神の切符である。この切符は他人が使うことはできない。永遠なる生命の切符である。この切符は自分の中に探さば必ずある。この切符を現象界で探しだし、本来の我に 戻って行く、仮の宿は現象界である。
イエスがこの世で死ぬものは再びまた生まれると。切符を手にするまで。


 

2024年2月12日月曜日

死は現象に生きる為に起きる現象


死は現象に生きる為に起きる現象

現象とは形が顕れると書く。現れたものには必ず顕すものがあるということになる。
宇宙は1つなる無形無双の生命エネルギーであり、姿、形はない。見えない空エネルギーである。
空には現象の生も死もない。
原因世界、すべての現象の生命界は空である。現象は空が現象化しているだけで、姿、形は存在しない。
現象界だけを見れば生老病死があるように見えるが、生老病死は生命によって現象化されているだけで質料が変化しているだけで、現象が生きているのではなく、現象を顕している空が生きているのである。
人間は人間が亡くなると葬式をするが、生命が質料を纏っているだけなのである。
生命は何かの媒体がなければ顕すことができないのです。現象は生命が現象化しているのであって、現象が生きているのではないのである。現象は生命を顕すための衣装にしかすぎないのである。本来の空は不生不滅、不増不減なる永遠なる生命体である。
死なない生命を形だけを見て葬式をしている人間は偽りの世界に生きる仮相の住人である。
すべての根源は生命エネルギー、神、仏である。神様、仏様がいるのではない。空エネルギーが神、仏なのである。見えるものはすべて偶像である。この世界から抜け出すための現象界なのである。