2024年2月17日土曜日

永遠なる生命が現象を通して生きている


永遠なる生命が現象を通して生きている

人類は仮相である。この仮相をあると信じて生きている。実在しない幻想界に身を置いている。
この現象界を実相界と思い違いをして、仮相界に身を置いている。
この現象界に身を置く為、生老病死という四苦に囚われ、持て遊ばれている。エネルギーを抜かれている。その結果昇天できずに低波動の人間の波動から抜けだせないでいる。
これに気づくまで輪廻が繰り返される。現象に生きるとは消極なるベクトルの中で生きることになる。エネルギーが無くなる生き方をするということなのである。
宇宙は永遠なる生命界であり、生命界が現象として顕している現象に惑わされて生きてしまったために現象として顕れている。波動が低い為に現象化している。
宇宙は1つなる永遠なる神、仏である無形無双の我が現象として顕している世界である。
現象は生命の化身なるものを現象を見て実在していると信じて実在しない生老病死の現象界に身を置いている。本来の我は現象ではなく、無形無双の実在の我、空である。


 

現象は仮相 光の陰


現象は仮相 光の陰

宇宙の本源本質が実相であり。すべての原点である。全知全能の力、知恵、創造の原理、これが宇宙の根源である。これが実相である。
現象は様々な形態があるが、それはこの1つなる実相によって創造されたものが現象として顕れているに過ぎない。
人間も然りである。1つなる生命の現象である。姿、形には何の力もない。姿、形を顕している生命が全知全能の力であり、知恵であり、創造の原理である。現象を通して御業を成しているのは形態を創造している神であり、仏なのである。
見えるものに囚われてしまいそうになるが、現象の姿、形には一切、力はないのである。
表現するだけなのである。楽しいと思えば楽しい表現をする。悲しいと思えば悲しい表現をする。人を殺せと思えば逆らわず、忠実に表現する。それが肉体である。意識に忠実なだけなのである。意識の通りに動くだけのものである。
肉体は意識に忠実に動くロボットであり、ロボットを幾ら鍛えても成果はない。意識を鍛えることの方が大切なのである。肉体鍛錬ではなく、意識鍛錬なのです。
陰は意識によって動かされる。人間は陰であり、人間は意識によって動かされているのである。意識は1つであり、神意識があるのみである。自我意識は存在しないのである。


 

我の原点は生命なり 光なり


我の原点は生命なり 光なり

宇宙の原点は1つなる生命である。すべての万象万物は1つなる生命の現象であり、見えない原因なる生命が見える万象万物を結果として顕している。
すべての本源本質、原点が1つなる生命体である。
見えるものは見えない久遠の生命の顕われであり、生命が宿らなければ、現象化できない。
今、現象界に仮相として変化して止まない世界に今の我は存在している。これは自分の自由意志で自分が意識したために現象化している。意識しなければ現象化しないのである。
現象は久遠世界にある顕れである。
宇宙は完全完璧なる1つなる生命体であり、永遠なるとこしえの世界、生命の世界。
宇宙には1つなる生命以外、何も存在しない。こ゚の生命が我が中に宿り、我の内なる生命が宿り、外観を顕している。
見えない我は我が中に宿っている。現象は内在している生命が必ず宿り、顕している。
この内在している本当の我に気づき、生命、光に戻る為の現象界である。仮の宿、俗世と云われている実在しない現象界である。


2024年2月16日金曜日

自我の心


自我の心

宇宙には1つの生命体があるのみである。1つなる生命の中に自我は存在しない。自我は自ら造る迷妄である。
自我とは1つなる生命が様々な現象を通して具現している。この具現している現象を見て実在していると錯覚し、あると信じる心が自我という心を創り出す。宇宙には1つなる心、良心のみが存在しているだけである。
現象を見てそれをあると思う心が造り出してしまう。サタンである。サタンは自分が創り出す悪魔なのである。
サタンは自分が創り出していることに気づかない。
この自我が争いを引き起こすキッカケになってしまう。見えるものは見えない1つなる生命の顕われであり、現象を見て様々な心があると錯覚してしまう。これが自我である。
現象は1つなる生命の顕われてあり、1つだと気づけば争いは生じない。
この自我の克服が人類の最大の克服しなければならない最重要課題である。
現象は1つなる生命、無限大の生命エネルギーを受け流す媒体として人間という媒体が創造されているのである。現象界で人間が生きるためではないのである。
現象が顕れているということは波動が荒く、原点、(原天)には戻れなかったという証なのである。落第生ということである。我も落第生なのである。
本来の我は生命ねルギーそのものであり、空そのものである。

 

サタンとは


サタンは1つなる生命の中にサタンは存在しない。それは自分が創り出す迷妄である。
宇宙には1つなる生命が存在しているだけなのである。
どうしてサタンが生まれるのか?それば1つなる生命を分離感を持って見てしまう為に起こる現象である。
宇宙は1つなる生命体であり、永遠なる生命体である。現象は諸行無常の変化の世界である。
現象にだけ目を奪われるためにサタンを自ら造りだしてしまう。
現象は常に変化して止まない消え行く世界である。この世界に目を奪われ、見えるものに囚われてしまっている。その為に人間は生老病死という四苦に囚われている。
宇宙に現象、見える世界は存在しないのである。現象は1つなる生命の化身であり、1つなのである。
宇宙は1つなる生命体であり、永遠なる生命の中に有限なる人間は存在しないのである。
サタンとは現象を見て自己保存の為に自ら造り出す迷妄にしかない。
サタンは自己顕示欲の象徴である。悩み、恐れ、不安は神から外れた代償の償いなのである。
不安、悩みがあるということは宇宙の法則違反で生きているということである。


2024年2月15日木曜日

分身分霊


分身分霊

人間を分身分霊と書く。人間は質料と霊である。
子の分身分霊が更に分身分霊を造り、分列して行く。分身分霊の本源本質は1つなる生命、神である。
現象は霊によって分身である姿、形が現象化している。
すべての本源本質は1つなる霊である。生命である。生命によって分身分霊が分裂して行く。
分身は分霊によって現象化している。現象化しているものには使命が与えられている。
宇宙は1つなる生命体である。無限生命であり、久遠である。
この久遠なる生命エネルギーを顕現する為に生命が生命の化身として現象化させている。
分身分霊は分身が見えるだけで、本源である顕している霊は見えない。
この分霊が本来の我であり、分霊が分身を顕している。
現象に囚われてしまうと内なる自分に気づかない。
人間は万物の霊長と云われ、すべてが霊であり、霊によって現象が顕れているのである。
分身分霊とは生命によって分身が顕れている。
宇宙は1つなる生命の化身なのである。1つなる生命の現象が万象万物なのである。
現象は消え行く生命の現象、生命は永遠なる生命エネルギーである。すべてエネルギーの顕れであり。宇宙はエネルギーである。生命エネルギーは全知全能の力、知恵、創造の原理である。宇宙は1つなる永遠なる生命体である。


 

人間という迷妄


人間という迷妄

宇宙は1つなる生命体であり、1つなる生命の中に2つは存在しない。現象は1つなるものの顕れで2つで1つである。
原因である実在しているものは見えないが、現象は結果として見える。象(カタチ)あるものはすべて仮相である。1つの生命の顕われになる。
人間には自由意志があり、何でも自由にできるため、この現象を我であることを疑わない。
宇宙は永遠なる生命体である。永遠なる生命の中に居て有限なるものはないことに人間は気づかなければならない。宇宙の永遠なる生命の世界に有限なる人間の生き方は存在しないのである。
キリストも「この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如し」と云われている。
現象に生きると本来の空の我に戻れなくなると。
現象は見えるが故に、触れるが故に実在しているものと錯覚してしまう。
この人間という迷妄からの脱却が人類の最大の課題である。物質文明が発達すればする程、本質に気づかなくなる。