宇宙は1つなる神の細胞体である。
宇宙は神以外何も実在しない。全てが神、1つ成る生命体である。
様々な現象は神の化身、現象化されたもの、人間も現象である。
人間は神によって造られたと云っても神を祖神様と神の子に分けてしまう。原因、結果は1つなのだから原因が神なら結果も神である。
我が中に神、仏があるのだから、外に神を分離させて神を祀ることはしなくて良いではないか?
イエスも汝の神は汝の内にあり。汝の神は汝の手よりも足よりも近い所にいると。
釈迦も汝の仏は汝の内にあり。法灯明、自灯明汝の主としなさいと。汝の仏は汝の内にありと。
真理は1つである。1つの中に2つは存在しない。原因と結果は1つなるものを宗教は分離させ、2つに分けてしまった。2つに分けることは子羊達を利用するということである。
宗教は無料で法を説いていますか?それが答えです。自分の中に仏がいるのに外に求めさせる。お金を蝕む。宗教という字は宇宙の教えと書く。人間そのものが宇宙なのである。
お金を払って仏、神を求めることではない。仏が人間を顕しているのだから。
すべては1つ。真理は1つ。天地一体、心身一体。自他一体。すべては1つの原因の顕れである。
肥田式強健術・聖中心道の鍛錬記ブログです。肥田先生は第二次世界大戦後、第三次世界大戦に向けて宇宙倫理の書を書かれている。何故書かれたのか。その意味は?宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体の中に争いをは存在はしないことを云われたのだろうか?焼失してなくなりましたが。それを紐解いて行くブログです。
2024年3月7日木曜日
我は無形無双の神である
2024年3月6日水曜日
人間は神の顕現媒体、神の宮である
宇宙は1つなる生命体。神一元の生命の世界。
宇宙に実在しているのは神のみが独存しているだけである。神とは神様がいる訳ではない。無形無双の生命が実在しているだけである。
この1つなる生命が万象万物を顕している。
聖書にもあるように「すべてのすべてありてあるものは神である」と。人間は宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれたと。
宇宙にあるのは無形無双の生命だけが実在している。
万象万物は生命の化身であり。生命エネルギーが顕現道具として顕している。
人間には自由意志が与えられ、神に似せて造られている。この自由意志を現象界で使い、自ら自縛している。神である我が顕現道具、神の宮を自分と勘違いをして、変化して止まない諸業無常の波動の低い世界に意識を置いてしまった。
本来の我は無限なる生命エネルギーを顕現する為に造られた神の宮であり、神の分霊であり、神そのものである。
宇宙は三位一体の世界
宇宙は気体界、液体界、固体界の三位一体の世界である。すべては1つの世界である。
この世界はバイブレーションの世界であり、様々な館がある。
この館は意識で自分の館を決めている。想った所に自分がいるのである。
高バイブレーションであれば気高い人になるし、意識が低ければ鈍重な位置にいることになる。低い意識になればなるほど、周りの影響を受けやすい。
高気圧の時は快晴であるが、低気圧の時には雨が降ったり、雪が降ったり、様々な影響を受けやすい。野菜も弱いものは虫に食われやすい。
宇宙は高バイブレーションの世界であり、完全なるバランスであり、この完全バランスをアンバランスにさせているのは自らの意識である。
生き方が現象を見て生きると低バイブレーションになり、有限な生き方になり、生命に生きるは永遠である。
これを決めているのは他ならぬ自分自身である。
現象界で自分の身に起こっているものはすべて自分の想念が創り出している。
2024年3月5日火曜日
天地に分けられた地球惑星
宇宙は1つなる生命体である。天地一体の世界。天のみの世界。これが宇宙の本源本質である。
地上界は天によって具現化されている。見えるものはすべて現象であり、この現象の中で人間が生きることではない。
現象は仮相であり、実在はしていない。宇宙は実在であり、永遠である。
人間はこの仮相界に永遠に留まらなければならないのか?
そうではない。人間は神に似せて造られており、人間には自由意志が与えられている。
人間と云う現象の中には神の種が蒔かれている。こ゚の種に気づき、天地に分けられた地上の現象界から天地一体の本来の世界に戻り、地上界に光を受け流す。その為に蒔かれた神の種である。宇宙は1つなる永遠なる生命体である。天地一体の世界である。
人間は今、この現象界に身を置いているが、此処は本来の居場所ではない。本当の居場所は天の実在界である。
この現象界は仮相界、仮の宿、俗世、浮世と呼ばれる世界である。
現象をあると思う心が現象界に身を止めている。本来は1つなるものであり、霊肉一体であり、霊と肉体を別々のものと思い、分離感を持ってしまった。
すべては1つなのである。本来の我は天なのである。
天地一体、霊肉一体、心身一体、自他一体、すべては1つなる生命の現象なのである。
すべては久遠の中に存在している
宇宙は1つなる久遠の生命体。すべての万象万物はこの久遠の世界の中に常在している。
久遠の中に不完全は存在しない。不完全が存在していると思っているのは分離感で現象をあると思っているためである。
現象は変化して止まない、諸行無常の世界をあると信じる心が造り出す迷妄である。消えて行く世界は実在しない現象である。
変化してもあると思う心が完全なるものを不完全にし、自らバランスを崩し、自ら崩壊させてしまっている。
1つなる宇宙には不完全は存在しないのである。1つなる完全法則で動いている。法則があるということは完全バランスであるということなのである。
完全なる意識が宇宙意識であり、現象人間も完全意識で造られている。
宇宙法則、愛の法則に沿って生きる。生命に生きる。愛の法則によってすべての万象万物は現象化している。この法則を犯して生きる為に人間は有限な生き方になっている。完全なる中に居ながら不完全に生きる罪人である。
人間が存在するという見方は2元論であり、正しくない。すべては1つなのである。完全なのである。宇宙は1つなる久遠のとこしえの生命界である。
2024年3月4日月曜日
原因、結果の法則は1つであるという意味である
原点は1つである。宇宙は1つなる生命である。
1つなる生命であるから久遠常在なるとこしえの世界である。1つなる生命が宇宙の本源本質であり、この1つなる生命から様々な万象万物が現象化している。
原因、結果は顕すものと顕されたものは1つであるということなのだが、現象からしか見ることが出来ない為、どうしても分離感で見えないものは外に分離してしまう。
原因、結果は1つと云いながら、見えないもの、つくり主を外に求めてしまう。
偶像崇拝にしてしまう。言葉では1つであると云いながら神を外に求めてしまう。
天地一体、天と地は1つであると言葉では言っていても天と地は別々に考えて2つを合わせようとする。造り主が地を造っていると知っていても天と地を分離させて考えてしまう。
合わせて1つと考えてしまう。
神道で霊主体従云っても自分の中に霊がいるとは考えす、神によって造られた神の子であるいうことになってしまう。それで神様を祀る。
宇宙は1つなる生命体であり。神様と現象人間は1つなのに、2元論になってしまう。
1つの中に2つはないのである。神は我が中にいることが理解できない。造り主は我が中にいるのである、これが霊主体従なのである。宇宙は1つなる生命体なのである。
宇宙そのものが神、仏なのである。
善悪の心はなく、善のみの心がある
善悪の心はなく、善のみの心がある
宇宙は1つなる生命であり、心は1つである。
1つの心のなかに善悪の心は存在しない。
宇宙は1つなる生命が多神を顕している。
1つなる生命の化身として現象化されているものをあると信じる心が善悪の心を生み出す。
現象は生命の顕われであり、1つなのであるが、現象を見てあると信じることで自ら幻想の世界を創り出す。宇宙は想念によって想念されたものはすべて具現される。良いことを想えば良いことが顕れ、悪いことを想えば悪いことが具現される。
宇宙は1つなる無限生命である。この無限生命は何かの媒体がなければ顕れることが出来ない。宇宙は1つなる全知全能の力、知恵、創造の原理であり、様々な現象を通して生命を顕している。
人間はこの現象をあると錯覚し、1つの生命体を分離させたために善悪の2元論を造ってしまった、1つのものを2つに分けてしまった為に争い、闘争の世界を造ってしまった。
現象は生命の化身であり、2つで1つなのであるが、見える現象の仮相界に身を置いて生老病死の仮相の世界。有限なる世界に生きている。仮相界は不変不動の本宿の永遠なる世界ではなく、諸行無常の変化して止まない有限なる世界である。この仮相界に入ってしまうと自己責任において本宿に戻らなければならない。