宇宙には1つなる生命のみが実在している。
見えるものは1つなる実在の化身である。
万象万物はすべて現象、人間も現象なのである。
人間がいると思う心が善悪の心を造り出す。宇宙には現象は実在しない。1つなる生命が実在し、現象を顕している。1つなる生命が化身として顕れている。人間は神に似せて造られた。人間は神の顕現道具として神によって造られている。人間と思っているのは神の顕現道具を自分と錯覚しているだけである。人間は仮相であり、実在しない。見えるものはすべて仮相であり、実在していない。消え行く存在である。実在とは永遠であるということである。人間は神によって造られている。神によって造られている現象媒体を人間と誤診していることを悔い改めなければならない。
人間と神がいるのではない。神のみが実在している。宇宙は神一元の世界であり、神と人間がいると思う心、実在しない善悪の心を自ら造り、自らを自縛させている。この二心が輪廻になり、また人間に再生されてしまう。宇宙に実在しているのは神のみである。
原因は神であり、結果も神なのである。神が造り主、造られた現象、人間も神である。
人間は神の顕現媒体として神によって造られている。神の働く顕現道具なのである。
この現象道具を神と一つに霊化し、神の生命エネルギーを顕現させる。そのために神が現象化させている。
すべての見えるものはすべて神の生命エネルギーを顕現する媒体として顕れている。
肥田式強健術・聖中心道の鍛錬記ブログです。肥田先生は第二次世界大戦後、第三次世界大戦に向けて宇宙倫理の書を書かれている。何故書かれたのか。その意味は?宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体の中に争いをは存在はしないことを云われたのだろうか?焼失してなくなりましたが。それを紐解いて行くブログです。
2024年3月24日日曜日
神は人なり 人は神なり
2024年3月23日土曜日
神、仏が様々な現象を顕している
宇宙は1つなる真理であり、神であり、仏である。1つなる生命は真理であり、実在、実相である。
これが1つなる宇宙の本源本質である。
原因なき、原因、処女解任である。
宇宙は中性なる永遠なる実在の愛の生命体である。
1つなる生命体が様々な形態を顕し、生命が形態を通して顕れている。
形態があるのではない。生命が形態を通して生命が顕わてているだけなのである。
見えるものがあるのではなく、見えない生命が形態を顕し、生命が生きているのである。現象は生命によって造られた生命の顕現道具である。神の宮である。
人間が死ぬということは実在していない現象であるということである。
実在とは永遠ということである。消えて行くものはすべて仮相であり。実在していない。幻想である。実在が仮相を通して実相なる神が顕れている。我は人間ではなく、神なのである。
宇宙は1つなる神一元の世界である。現象をあると思う心が自らを自縛させている。
1つなる実在なる生命のみが宇宙には実在している。これが神であり、仏である。
神、仏が様々な形態に宿り、神、仏が現象を顕している。八百万の神を顕している。
八百万の神がいるのではない、1つなる神が八百万の神を顕しているのである。
すべてが神ななのである。
人生は自分の描いたシナリオ通り
想念は実現の母。自分の描いた想念が現象として顕れている。それ以上、以下でもない。
良いシナリオは良いシナリオが表現される。悪いシナリオは悪いシナリオが表現される。
想ったことが顕れる1つなる大霊界、生命界である。人間は万物の霊長であり、すべてが霊の化身なのである。宇宙の真理である。これを神、仏と云っている。神、仏が存在している訳ではない、生命は見えない為に神、仏と呼んでいるだけである。
神のシナリオなら神が顕れる。本来の我が顕すシナリオは神の想念である。現象界の想念は自我の想念であり、本来の想念ではないのである。人間は神の生命を顕現する為に一時的に神によって現象化している、
人間は神の想念を顕す媒体であり、現象結果の人間が生きる為現象化しているのではない。
人間は現象であり、仮相であり、実在してはいないのである。仮相が想念すると分離感のため争いを起こしてしまう、地球上の争いはこの分離感から起こる。このエネルギーも神のエネルギーであり、神のエネルギーを不完全で使う為、この現象界から抜け出せない。人類は今、神の完全なるエネルギーを不完全な形で使っている。神への反逆を犯している。
実相なる神が生命エネルギーを顕現させる為に仮相なる人間を媒体として造られている。
実相は見えない。見えない生命なる実相を人間という顕現媒体を使い、生命を顕現させようとして道具、神の宮を神によって現象化させている。人間は存在しないのである。
人間が自分で動いているように見えるが内なる生命が人間と云う媒体を使って生命が顕しているのである。
人間この事を知らず、自分で動いていると錯覚し、自縛し、輪廻で再生させられている。
自分が自分の力で動いていると勘違いをしている。人間が動いているのではなく、神が動いているのである。人間は神によって造られた顕現道具であり、人間には何の力も持ち合わせていない。人間は質料であり、受動であり、能動成るものによって動かされている、霊肉一体で生命エネルギーによって肉体は動かされている。
現象は原因によって造られた原因の結果である。結果は原因により、結果は動かされている。
結果は単独で動くことはできない。一体で動くことができるのである。愛の法則によって動くのである。
パソコンも幾ら性能が良くても電源がなければ動けないように、人間も生命エネルギーがなければ動けないのである。生命エネルギーは神であり、仏である。
神、仏が人間媒体を動かしている。宇宙神、宇宙は神であり、神が宇宙の質料を通して顕れているのである。
「人間は宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれた」宇宙は1つなる息なのである。
宇宙の1つなる息は1つなる生命である。1つなる生命が多神を顕している。宇宙は1つなる生命の顕われ、宇宙は1つなのである。1つの中に争いは存在しない。
人類はこの事が理解できない為、分離感で争いを起こし続けている。
2024年3月22日金曜日
現象の中の生命が我である
宇宙生命は中性なる無限大なる生命エネルギーである。力、知恵、創造の原理である。
中性なるが故に想ったことを顕すことができる。
すべての原点(天)は無形無双の生命である。
すべては1つであり、1つの生命の顕われであり、1つなる生命が神である。
今まで神を分離感で外に求めさせられてきたため、本来の我に気づくことができなかった。
この気づきが本来の我に気づき、知ることになる。人間の姿、形は神の顕現道具であり、神の働く宮である。勝手に形を見て人間がいると錯覚し、諸行無常の変化して止まない普遍原質に惑わされてしまっている。本来の我は神であり、神我顕現するための道具が人間なのである。
自分が創り出した迷妄、サタンに憑りつかれている。
我が中に生命が宿り、これに気づき、昇天して行かなければならない。これは中途半端ではできない。有限意識から無限意識に変性させなければならない。
現象界は仮の宿であり、今生で自分は内なる生命、神の種に気づき、生命に同化させ、1体にさせ生命を顕現させる。これが目的なのである。神の自覚とは自分は神であることを知るという意味である。
すべての答えは汝の内にあり。汝の神は汝自身なり、汝の仏は汝自身なりである。
外なる内なる神我との戦いである。外なる誘惑に負けるか、誘惑を振り切れるかである。
この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如しである。
愛のエネルギーがすべてを具現させている
愛のエネルギーがすべてを具現させている
宇宙は1つなる愛のエネルギーによって万象万物が現象化されてい
愛のエネルギーが宇宙の本源本質である。宇宙に実在しているのは愛のエネルギーのみである。
この愛のエネルギーを想念によってどのように使うかは自由意志を持たされている人間に任されている。良くも悪くも自由に使いことができる。
人類はこの愛のエネルギーを正し使わず、神に反逆し、現象の人間がいると思い違いをし、勝手に使っている。その為、本来の目的である神我顕現である使命を忘れ、仮相なる自分の為に使ってしまった、
愛のエネルギーは愛の顕現に使う為に造られた神の宮であり、人間は顕現道具をこれを自分と錯覚し、現現道具に生きてしまった。その為、永遠なる生命から有限なる現象界の生き方に自らの波動を下げてしまった。
本来の生命の生き方に戻すには現象の中に蒔かれている神の種に気づき、心の華を咲かせなければならない。外は人間、内は神である。外なる現象は変化して止まない諸行無常の世界である。この現象を顕している内なる永遠なる原点、原天である無限無相の愛のエネルギーに意識を戻さなければならない。これが現象界でなさねば成らない大事業なのである。
この世の消え行く世界の中で豊かな生活をする為に生まれてきているのではないのである。
2024年3月21日木曜日
生命のけなげさ
宇宙は1つなる生命体である。永遠なる無形無双の生命体である。宇宙にはこの無形無双の生命体だけが実在している。他に実在しているものは存在しない。
1つなる宇宙生命体は万象万物を現象として顕し生命が媒体を通して働いている。
太陽系惑星の中に地球惑星がある。この惑星は天地に分けられた低波動の惑星である。
この中に人間と云う現象の中に神の生命体が顕現させる為に人間が現象化している。
人間には自由意志を持たせた神の種が蒔かれている。この神の種に気づき、生命エネルギーを顕現する為に。
人間は神によって造られた神を顕現する神の宮なのである。人間は存在していない。
人間には自由意志を持たせている為、神の宮を自分と思うこともできる。
神の顕現道具を勝手に自分であると錯覚して使ってしまっている。盗人である。
現象はすべて神を顕す顕現道具なのである。
肉体は神によって造られ、神によって維持管理されている。全知全能の神がすべての万象万物を維持管理されている。人間は神の現現道具を錯覚し、自分と思って使っているが、御業を成しているのは神なのである。人間には何の力もない、神が肉体を通してすべて神が御業をなしているのである。拒否せす、けなげに御業をなしているのである。
人間は自分の力であると信じて疑わない。神に気づくまで神はけなげに働いている。
現象は変化して止まない、諸行無常の世界であり、この中で人間は生老病死の四苦に囚われ、朽ち果てて行く。これがカルマである。本来の生き方は神の宮を使って生命エネルギーを顕現する目的なのである。
意識が神なら二度とこの地には現われることはない。現れているということはまだ波動が低いということでになる。
生きている内に成仏できなければ、死んでは成仏はできない。
現象界で波動を上げなければ又人間に再生される。
現象界は本当の我に戻るために大切な場所なのである。仮相界で豊かに生きることではない。この世は仮の宿、俗世、浮世と云われる幻の現象界である。
すべての見えるは実相の顕れ
宇宙は1つなる生命のみが実在している。
全知全能の無形無双の生命のみが実在している。
見えるものはすべて実相の現象である。
仮相と実相は2つで1つである。
天地一体である。天が地を顕している。
宇宙は無限大の宇宙生命体である。
無限大の宇宙生命エネルギーが宇宙の塵質料を通して顕れている。宇宙に実在しているのは無形無双の生命法則のみが実在している。
実相が仮相を顕している。実相と仮相は1つである、仮相の中に実相が宿っている。仮相は実相の衣装である。実相を顕す顕現道具である。実相がなければ仮相は具現することはできない。宇宙は実相なる生命体が仮相の現象を通して顕顕現している。
実在が仮相媒体を通して顕すための道具である。
実相は原因なき、原因、全知全能の力であり、知恵である。この実相が万象万物を通して顕われている。原因がなければ、結果を顕すことができない。原因、結果は1つなのである、
人間は造り主と造られた被造物を分けたがる。現象からしか見ることが出来ない為に神と人間を分離させてしまう。原因が神なら、結果も神なのに。原因は神、結果は人間と分離させてしまう。
宇宙は1つなる生命体、1つなる実在があるのみである。天地一体。天が地を顕している。天だけが独存しているのである。
現象は1つなる生命が顕す媒体として神が自ら媒体を造って顕れている。すべては1つの生命、神であり、宇宙の永遠なる本源本質が実在しているのみである。