2024年6月6日木曜日

人間に生きるは神への反逆行為


人間に生きるは神への反逆行為

宇宙は神一元の大気の世界。無形無双の大霊界である。完全なる絶対調和の愛の世界。
この1つなる愛の生命が多神を顕している。実在しているのは1つなる無形無双の観自在、無碍自在の神のみが実在している。
神は完全なる愛の法則であり、神様が他の何処かにいるのではない。宇宙そのものが神であり、無限大の愛の法則である。創造の原理である。神は法則である。
人間も現象であり。1つなる生命の表現媒体として現象化しているに過ぎない。この表現媒体をあると信じ、1つなる生命によって顕わされていることに気づかない。
人間は神に似せて造られている。神そのものである。神を顕す表現媒体として、神の道具として造られている。
その為に自由意志が与えられている。この自由意志を現象に使ってアンバランスの使い方をし、地上界をアンバランスにし、醜い争いの世界を造り出しているのは人間である。
人間がいると想う心が分離感を生み出し、勝手気ままな生き方をし、神のエネルギーを神の意志に反して。地上界をアンバランスにしている。
イエスが云われる。肉に生きるは死であると。宇宙の永遠なる中に死は存在しない。
現象をあると想う心が地上界をアンバランスにし、人間が生きる4元素、地、水、火、風を自らバランスを崩し、自らの住処を壊し、経済活動をし、更に地上界をアンバランスにしている。原因結果の法則、原因が神なら結果も神である。宇宙の完全バランスに逆らって生きている自我人間は神への反逆行為である。人間は仮相であり、存在していないものを存在していると錯覚しているだけである。



 

2024年6月4日火曜日

神は絶対バランス、絶対調和


神は絶対バランス、絶対調和

宇宙は1つなる生命体。愛の生命体が故に万象万物が現象化されている。現象化されているものと1つなる生命体は1つである。様々な現象があるのではなく、1つなる生命が様々な現象を顕している。
一度、現象化されたものを加工すると完全バランスによって現象化されたものはアンバランスになり、地上界をアンバランスにしてしまう。
今、人類が行なっているのは完全に現象化されたものをあると信じ、これを利用して生きようとする為に、地上界をアンバランスにしてしまう。
人類は科学ではなく、化学によって自らの住処を自ら壊し、地球を壊し続けている。
化学が発達すればするほど、地球磁場がアンバランスになり、最後が天変地異になる。
すべて人類が完全なる中に居ながら、自らに住処を壊し続けている事に気づいているだろうか?
人間も現象なのである。完全なる現象なのである。医学が発達しているにも関わらず、病人が増えて行く。不思議では無いか?地上界は仮想界であり、消えて行く世界で豊かな生活をすることではないことに気づかなければならない。
永遠なる中で有限なる生き方をすることではない。人間は現象を通して1つなる無限大の生命エネルギーを受け流す媒体なのである。神の宮、道具なのです。
現象に生きることは永遠なる生命の中で、有限に生きることである。これは神への反逆行為になる。1つなる永遠の中に有限は存在しない。現象は表現媒体である。          神は愛の平安なる世界。現象化しているものはすべて神である。神一元の世界である。   全知全能の神が経済活動をすることはないのである。初めから完全なのだから。      不完全にしているのは現象をあると想う心が神から自ら遠ざけているだけに過ぎない。





 

2024年6月3日月曜日

宇宙は永遠なる1つなる生命、愛の生命界


宇宙は永遠なる1つなる生命、愛の生命界

宇宙に実在しているものは永遠なる無形無双の見えない生命である。宇宙そのものが造り主、創造主である。造られたものは被造物であり、現象化している。造り主と造られたものは2つで1つである。
色心不二である。すべては1つなのである。宇宙は1つなる生命が実在している。1つなる実在が多神を顕している。1つなる実在は永遠である。創造主は永遠、造られたものも永遠なのであるが、人間は見えるものだけを見て有限な幻想に生きてしまった。人間は神に似せて造られている。本来の人間の使命は無限大の生命エネルギーを地上界に顕現させる永遠なる生命である。
これを現象を見て諸行無常の幻影の世界に生きてしまったために、変化して止まない現象界に囚われ、有限なる人生に生き、輪廻を繰り返している。此処から未だに抜け出せないで幻想に生きている。
宇宙は1つなる生命体。宇宙そのものがすべての造り主である。実在しない現象を見る為に争いが生じる。全ては1つであれば争いはない。現象に生きる事は自らの波動を下げる為、本来の我に戻れない。人間に生きる事は本当の我に戻れない。気づくまで再生される。



 

2024年6月1日土曜日

宇宙に実在しているのは無形無双の原因


宇宙に実在しているのは無形無双の原因

宇宙は1つなる無形無双の生命体が実在している。
原因なき原因が実在している。
見えるものは原因の結果であり、万象万物はすべて結果である。人間も然りである。
人類は神によって造られた神の被造物であり、人間は単独では生きることはできない。
宇宙は1つなる神が神我顕現の為にすべての被造物を神が造られている。無形無双の神、生命が現象化させている。
原因結果の法則である。全ては1つなる生命が顕している。人類はこの見えるものをあると信じて仮相の現象から抜け出せないでいる。実在しているのは原因である無形無双の生命であり、結果の見える現象なる人間が生きているのではない。無形無双の生命は永遠であり、仮相は有限になる。宇宙は永遠なる生命体であり。永遠の中にすべての万象万物は存在している。
人間には自由意志が与えられている。永遠に生きるも、有限に生きるも自由である。
殆どの人類は永遠に生きないで、仮相の有限なる仮の宿、俗世で生きている。
人類の使命は神我顕現である。神の全知全能の力、知恵を地上界に顕現させる使命が与えられている。人間に与えられているのではない。人間は神によって造られた神の顕現道具である。見える現象、人間を真実と錯覚し、人間に生きている。原因は永遠で結果は有限という事はない。原因結果は2つで1つである。
結果に生きるは分離感になり、仮相界の争い、不安、恐怖、悩みの中で、アンバランスの生き方で自縛し、幻影の世界に生きている。
 

2024年5月31日金曜日

意識したものが顕れる


意識したものが顕れる

宇宙は1つなる中性なる生命体である。完全バランス、完全調和の永遠なる生命界、神界である。
すべての現象はこの本源本質なる宇宙が原点になっている。宇宙に実在しているのはこの愛の光である。愛の波動によって万象万物が現象化されている。見えるものは宇宙の本源本質の現象であり、現象があるのではない。
原因、結果の法則によって原因なるものが結果なる現象を顕している。原因と結果は2つで1つであり、原因が実在しているのである。原因と結果は別々ではない。
原因が神なら結果も神である。
宇宙には1つなる生命のみが実在しており、1つなる生命が様々な現象を顕している。
現象を顕している生命は個々の生命があるのではなく、1つの生命が様々な住処を自ら造り、宿り現象を顕している。
人類は皆兄弟である。1つなる生命でつながっている。鉱物、植物、動物も同じ生命でつながっている、すべては1つなる生命の現象であり、1つなる生命でつながっている。
人間は意識を自由に使える権限を与えられている。この自由意志の使い方を間違ってしまった為に自らを自縛し、自ら造る地獄から抜け出せなくなっている。
意識したものが顕れる。天国の中に居ながら自ら地獄を造り仮相界に輪廻を繰り返し生きている。
想念は実現の母であり、想って事を顕すことができる。良いことも悪いことも何でも意識によって顕し、今の人生を生きている。
 

2024年5月30日木曜日

内は神、外は神の顕現道具


内は神、外は神の顕現道具

宇宙は1つなる生命体が実在している。1つなる生命は細胞体であり、宇宙は1つの細胞体。この細胞体の中で様々な形態が造られ、現象化している。
生きているのは生命が様々な形態を顕し、生命、神がエネルギー活動をされている。
人間も神の使命を果すお役目を持ち、顕現されている。宇宙には1つなる無限生命のみが実在している。宇宙そのものが無限生命であり、愛の法則、宇宙の法則の中で生命が現象を通して生きている。人間が生きているのではない。神が人間の顕現媒体を通して生きているのである。
人間の顕現媒体の内に神が宿り、現象を通して神が顕れている。             原因は神であり、神が結果である表現媒体道具を造り、自らを顕している。        宇宙には神以外存在しない。現象はすべて神を顕現する為の道具である。

お釈迦様が云われるように「外を見るな、内を看よと」。内は神、外は人間。       内は心の目で看なければならない。すべては内なる見えない生命が原因であり、現象を顕している。神は宇宙の本源本質であり、これは心の目で看る以外できない。




 

2024年5月20日月曜日

現象は1つなる生命の中にある現象


現象は1つなる生命の中にある現象

宇宙は1つなる生命が多神を顕している。実在しているのは生命であって見える現象ではない。
原因、結果の法則。見えるものはすべて原因なる結果である。結果は実在していない。
原因の世界は見えない生命界であり、こ゚の生命界が結果なる現象を顕している。
人間は万物の霊長であり、原因なる生命によって造られ、神に似せて造られている。
神の化身として現象化している。神は人なり、人は神なりである。
生命を顕すために人間という姿、形の現象を顕している。この姿、形に囚われて本来の生き方を見失っている人類。宇宙は永遠なる生命のみの世界であり、現象の世界は存在しない。
原因は見えない。結果は現象として見える。現象は原因の働く場であり、顕現する為の媒体として顕れているだけである。内なる原因なる生命エネルギーを顕現する為の現象であり、この見える現象に生きてしまっている。本来の我は内なる原因であり、原因は1つなる生命、神である。
結果があるのではなく、原因があるのである。宇宙に実在しているのは原因のみである。
人類の1人、1人の中に神の種が蒔かれている。こ゚の種に気づき、本来の我に戻り、使命を果して行く。これが本来の我である。現象は顕現道具であり、道具に生きると修行無常の生老病死の四苦に持て遊ばれ、輪廻で繰り返される。イエスが云われるように「この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如し」である。現象界に生きてはならないと云われている。生命のパンを食せよと。