2022年7月30日土曜日

宇宙法則と聖中心道


 宇宙法則と聖中心道

宇宙はたった1つの法則であり、聖中心という言葉も宇宙を現わしている。すべての万象万物は1つなる生命体の現われである。中心、中なる心、これが本源、本質である。絶対調和、中性バランスこれが宇宙であり、聖中心である。
1つなるものの中に2つはない。見えない生命が肉体を通して現わしている。肥田先生は常に自分を持たない。常に無我の状態でおられる。聖中心ということは其処には自分は存在しないということである。自分というものを持ってしまうと宇宙の無限なる生命エネルギーを引き込むことができない。無限の生命エネルギーは無限生命と一体とならない限り引き出すことはできない。聖中心とは宇宙と一体という意味である。肥田先生は永遠なる生命体になっているということである。肉体離脱をされているということである。肉体から離れているということである。其処には死はない。大悟徹底とは人間を卒業したということである。
人間は実在しない。人間は神の子であり、神の器であると肥田先生が云われるのはこ゚の自覚をすでに持っているということである。また光という言葉も使われるのも聖中心は光であることも自覚している。この世で一番強い人間は地位、名誉、お金、命もいらない人間であると云っている。人間の根源は人間ではなく、形を持たない原子と電子である。宇宙の愛の法則が我であるということを云わんとしている。そうではないと肥田先生が云われたら肥田先生は偽物になってしまう。一般の人たちには中々これが理解できない。
肥田式の形を学んでも意味はない。肥田式の型を使って自分の中に内在している神と向き合う。これが肥田式の奥に隠されている真理である。真理は神である。聖中心である。




2022年7月29日金曜日

21世紀は仮相の我から実相の我へ


 21世紀は仮相の我から実相の我へ

宇宙は1つなる生命体。永遠なる無限の生命体。無限の生命体の中に有限なるものは存在しない。見えるものは存在しない。人間がいるではないか。いるということは本当に実在しているという意味である。人間は消えてしまう。実在はしていない。偽り、幻影であるということになる。実在ということは永遠ということである。すべて見えるものは消えてゆく存在。現象である。実在するものが万象万物を現象化させている。
今、人類は現象を実在していると勘違いをしており、現象に生きようとしている。現象は結果であり、結果に生きようとするとバランスを失う。結果はすでに完全バランスであり、これを加工し、使おうとするとバランスを崩す。文明が発達すればするほど自然界のバランスを崩すことになる。文明の行く末は天変地異になる。結果から起こす結果である。結果を直そうとする時、結果で対処しようとする為、治す事はできない。バランスを整えれば改善するのに、お金は必要としないのに。バランスの中に生かされていることに気づくことである。
21世紀は無限大の空より、無尽蔵の質料を取り出し、具現する時代に入ってくる。
それには1人、1人の意識のバイブレーションを上げて行く必要がある。仮相の結果から実相の原因に戻ることで21世紀は見えてくる。仮相に生きるから争いを起こす。実相に生きれば争いはない。すべては1つであるから。1つなる生命の具現だから。仮相の人間は本当の自分を知ることにより、21世紀は光の争いのない世界になって行く。


2022年7月28日木曜日

中心力10、部分力9とは


 中心力10、部分力9とは

肥田式強健術は心身強健術とも云う。
宇宙は1つなる生命体であり、宇宙は陰陽のバランス生命体である。すべてはこ゚の法則に基づいて永遠なる生命体が維持されている。こ゚のたった1つの法則に基づいている。これが真理である。
肥田式は肉体鍛錬法ではなく、心と肉体を一体として使う鍛錬法である。
力は筋肉を付けて力を生み出す方法ではなく、中心バランスを取る時、宇宙の力、知恵を使うことができる。人間は宇宙の子、神の子であり、神の器である。
すべての力は誰もが持っているのである。
この力を引き出すには心身が一体にならなければ引き出すことができない。
力は外にはない。力は裡から引き出す。その力、知恵を肉体を通して現わす。
心身が1体になるには心(神)と肉体が1つになるには自分を消して行かなければならない。
肥田先生はこのことを「必死の気」という言葉を使っている。無私、無我になることで引き出すことができる。中心力10、部分力9ということは心が主体で肉体は従で使うということである。
中心力10、部分力9ということは上半身と下半身の使い方で下半身は力を造る所、上半身は力を使う所という意味でもある。上半身は弓のように使うことで遠心力を使う。遠心力とは遠い心の力と書く。見えない神の力である。人間は見える現象、現象を操っているのは見えない心である。自分が姿、形の見える人間と思ってしまうと心のエネルギーを使うことはできない。
必死の気という事は無我という事である。 人間を捨てた時に宇宙の無限大のエネルギーが使える。無我で宇宙力を使えるという事は人間という姿、形は表現媒体であるという事である。
中心力10、部分9という意味は肥田先生は必死の気、無私、無我の事の事をおっしゃっていると思います。中心力が我であるということになる。



2022年7月27日水曜日

現象界は何をすべき所?


 現象界は何をすべき所?

宇宙は1つなる生命体。1つなる生命体の中に有限なるものは存在しない。見えるものはすべて現象であるということになる。
万象万物はすべて1つなる生命の現象である。故に宇宙は無限生命ということになる。1つの躬(体)
の中には時空間は存在しない。宇宙に浮いている惑星は1つの中の現われであり、空の中に浮いているように見えるだけである。浮世である。惑星という字は惑わす星と書く。
太陽系の惑星は人間の内臓にようなものである。
見えるものはバイブレーションが低い為に見える象になっている。バイブレーションが高ければ見えない。人間が見えるということはバイブレーションが低いということになる。
見えるものは見えない高バイブレーションの生命が質料に宿り、形態を維持させている。人間という形は見えない生命体が宿らなければ形が現れることはない。
人間という象が何ぜ造られているのか?すべて必然である。人間という形を通して地球の波動を上げるためである。人間形態には宇宙の根源エネルギーが宿り、肉体は波動を上げる為の器である。見える器は根源エネルギーの道具である。道具を動かす見えない生命エネルギーが器を動かしている。この器を自分と思ってしまうと低波動の器の消極の波動に囚われてしまう。
波動の低い人間という仮相に生き、自縛してしまう。
これが固定観念というものである。人間の器は宇宙の高波動を地上界に降ろす為のものであり、人間という姿、形を現わしているということは本来の仕事をせず、地の世界を這いまわっているということである。器の役目を果たさないで遊んでいたために姿、形を持っている。私も同じ落第生なのであるが。本来の我に帰るには肉体に宿る生命エネルギーと一体になり、霊肉1体になり、波動を上げ、成すべきことをして仮の宿から本宿に帰る。地上界のバイブレーションを上げることができれば醜い争いはなくなる。争いは低波動の為に分離感が生じ、自己保存の為に起きる現象である。
争いも現象である。雨上がりに虹がでるようなものである。現象は無くなっても本質はなくなることはない。人間は死ぬと思っているが、質料が変化するだけでなくなることはない。細胞の集合体がバラケルだけである。




2022年7月26日火曜日

宇宙は完全なのに人間は何ぜ働く?


 宇宙は完全なのに人間は何ぜ働く?

人間は宇宙生命体の中に存在し、すべての万象万物は宇宙生命の化身として現象化している。実在しているのは宇宙生命体だけが独存している。
完全なる中にいるのに肉体を使ってエネルギーを得る為に働いている。宇宙は生命エネルギーたいであり、生命エネルギーによって万物は造られている。造られた鉱物、植物、動物からエネルギーを取り出し、エネルギーを調達している。その為に自然のバランスを人間がアンバランスにしている。人間は地球のバランスを崩す為に生まれてきたのではないはずである。
鉱物、植物、動物は自然の摂理に沿って生かされている。万物の霊長と云われる人間だけが自然界を乱している。
人間は何ぜ現象化しているのか?聖書に「人間は宇宙の塵で人間の形を造り、息を吹き込まれた」と書かれている。人間のすべきことは宇宙内ではエネルギーを得て形態を維持するのではなく、形態を使って宇宙の生命エネルギーを放射させるこれが命の使い方である。
人間は宇宙の生命体の化身であり、人間の裡に宿る生命を肉体を通して地上界に放射させるお役目がある。霊肉1体になることで放射させ、地球波動を上げて行く。
人間が自分で生きようとすると分離感のため自己保存の為に争いを起こす。宇宙は1つなる完全完璧なる生命体であり、その知恵、力を使うだけである。人間が文明を発達させても高度文明になると地球のバランスを崩し、天変地異を繰り返して来た。結果で作る文明はアンバランスを生み、崩壊の道を進む。原因から文明を起こすことで地上界は楽園になる。
「得ようとするものは奪われる」すでに人間にはすべてが与えられ、すべて持っているのである。宇宙と1体となることで神のすべての力を使える。霊波動によって現象化している我を自ら肉体波動に下げてしまった波動を自分で元の波動に上げて行かなければならない。元々霊なのだから。







2022年7月25日月曜日

宇宙がは1つなるバイブレーションなり


宇宙がは1つなるバイブレーションなり

宇宙は陰陽の調和体、1つなる生命体、 1つなるバイブレーションの世界である。絶対バランスのバイブレーション。精妙なる宇宙波動の世界。
これが宇宙の本源本質の絶対なる世界。中性バランス振動。生命振動。この振動が様々な質料波動に宿り、生命活動をしている。生命の高バイブレーションが質料と調和し、生命が質料に宿り生命活動をしている。
見えるものは低バイブレーションであり、こ゚の質料があると思う心が高バイブレーションの生命が形態を造っていることを忘れ、形態の波動に意識が向き、生命とのアンバランスが生じ、形態バランスを失う。
見える質料を形作っている生命エネルギーがなければ形態は現れることはない。
今、現れている状態はバイブレーションが低い為に形態が現れている。生命エネルギーと一体であれば姿、形が現れることはない。意識が肉体意識であるため、現象化している。
何の為に人間の形態が造られているのか?宇宙の生命体が人間の肉体質料を通して波動を上げる為に造られている。人間には自由意志が与えられており、この自由意志は宇宙生命との一体感になり、自由に顕現する為に使われるべきものを、肉体を自分と思って自分の肉体の為に使ってしまい、自ら永遠なる生命である我を有限なる低波動の現象なる我として生きてしまっている。
本来なる我は生命であり、永遠なる宇宙生命である。宇宙は1つなる生命体である。それ以外何も存在しない。宇宙には中性バランス生命が実在するのみである。




 

2022年7月24日日曜日

日本の文化は見えないものを現わす文化である。


 日本の文化は見えないものを現わす文化である。

宇宙は目に見えない1つなる生命体。その中で1つなる生命体が万象万物に宿り、生命活動をしている。見えるものは見えないものによって生かされている。
見えないものを現わすことが日常でさりげなく使っている言葉「気遣い、お気をつけて、心づかい、心意気、」。
日常の生活の動きにも表れている。包丁、ノコギリ、刀、すべて引いて切って行く。何故なのか?引き切ることで空よりエネルギーを引き寄せて切る。包丁も重さを使って切ることでエネルギーを引き寄せる。ものが腐らない。刀も使うのは切っ先3寸を使う。遠心力を使って切る。遠心力、見えない力を使う。人間の身体もそのようになっている。身体の中心力を使うことで、宇宙の知恵、力を引き寄せる。肉体、万象万物はそのように神が造り生命活動をしている。内圧をかけることで空よりエネルギーを入れている。空がエネルギーを放射させる為に人間の器が造られている。人間は姿、形を人間と云っているが人間は細胞の集合体であり、動いているのは夜も寝ずに細胞群が活動している。人間は自分で髪の毛1本もつくることはできない。食べたものを分解してエネルギーに変えているのも微生物である。人間は何ひとつ自分ではしていない。人間も動植物も息を吸って生きているが、すべて1つの息で生かされている。
1つなる空によって生かされている。すべては1つなる見えない生命体である。