2022年9月27日火曜日

人間が人間を生きるから間違いを起こす。


 人間が人間を生きるから間違いを起こす。

人間は神の被造物である。人間は生きてはいない。現われている現象である。人間が居ると思うから間違いを犯す。宇宙は無限大の生命体である。無限大の生命の中に有限なるものは存在しない。現象として現れているだけである。何故現れているのか?それは宇宙の生命エネルギーを放射させ、地球磁場を高める為に現象化している。人間が現象界で生きる為に現象化しているのではない。現象化している人間は消え行く存在でしかないのである。宇宙の中で神は人間が豊かな生活をするために地球のバランスを崩し、生きることを望んでいると思いますか?これはノーです。
争いで争いが防げると思っているのか?憎しみだけが残るだけである。地球人は本来の自分に生きないで、仮相の現象に生きる為に小学生でも判ることを感じることができない。これが人類の今の能力である。まだまだ幼児期な人類である。永遠なる生命体の中に居ながら敢えて有限なる生き方しかできない人類。見えるものはすべて仮相であることに気づけば21世紀は光がさす時代になる。宇宙は意識の世界である。現象の見える世界は意識の結果の世界である。
1人、1人の意識レベルが21世紀を左右して行く。


2022年9月26日月曜日

神の被造物とは?


 神の被造物とは?

被造物は神によって造られたものであるという意味である。見えるものはすべて被造物であるということになる。万象万物すべて神の被造物である。神の化身ということになる。人間も神の化身であるということになる。今、神の化身なる人間は神を差し置いて神へに反逆をしている。都合が悪くなると「助けて下さい」と物乞いをする人間。万物の霊長と云われている人間は今、神に逆らって動植物以下の生き方をしている。地、水、火、風を乱し、次の世代の生きる場を壊している。経済を豊かにしても生きる環境を壊しては何の意味もない。経済が豊かになればという迷妄から未だに抜け出せない。
これを誰がするのか?1人、1人がしなければならない。国がするのでもない。国は1人、1人の集合体が国である、地球という惑星は人間の内臓のようなものであり、その中の1つ、1つの国は1つの内臓である。1つが欠けても地球と云う国は正常に機能しないのである。すべてが1つで地球は機能する。これを機能させることができるのは万物の霊長たる人間なのである。神の被造物であり、神の化身である。万物の霊長は今、神への反逆行為を行い、地球のバランスを崩し、餓鬼畜生の世界に陥り、万物の霊長たる使命を果たさず、争いの中で盲進している。人間は神の被造物である事を思い出し、1人、1人が神の自覚に目覚めて行く。

2022年9月25日日曜日

宗教とは何ぞや?


 宗教とは何ぞや?

宗教という字は宇宙の教えと書く。宇宙の教えとは何か?永遠なる法則のことである。宇宙は1つなる生命体、陰陽のバランスであり、フリーエネルギーである。完全バランスである。無限大の生命体である。すべての万象万物はこの中で息している。勝手に生きているものは存在しない。こ゚の1つなる生命体が存在しているだけである。これ以外何もない。無限生命ということは1つであるということである。
人間は見えるものと見えないものを分けて見てしまう為、分離感を持ってしまう。見えないものを神と呼んでいるのは同じなのであるが、神を外に求めてしまう為、現象をあると思ってしまい、生老病死の四苦に惑わされてしまう。すべて1つなるものの現われであることを見落としてしまう。見えるものだけを追ってしまう。これが禁断の木の実である。宗教家達は見える現象の中で人間の生きる道を探っているが、現象からは探ることはできない。結果から原因は探ることはできない。
これから地球を再生させる為にはすべて原点から見つめることが必要になってくる。一度、現象の宗教から離れ、原点、アダムとイブの世界に戻ることで21世紀に生きることができる。
宇宙の法則の原点に戻る時期に来たように感じる。
現象を幾ら直そうとしても対処療法になってしまう。原点に帰る。原点は永遠なる世界。すべては此処から発祥している。


2022年9月24日土曜日

植物と虫は共存している。すべて中心バランス。


 野菜と虫は共存している。すべて中心バランス。

人間は野菜に寄ってくる虫を害虫として殺虫剤で殺す。人間は何ぜ虫が寄ってくるのかを考えない。虫たちは酸性の植物に酸性の虫が寄ってくる。野菜も酸性土壌に育つと酸性の虫が寄ってくる。酸性の虫たちは酸性の野菜を好んで食べる。虫たちは悪いことをしているのだろうか?酸性の野菜を食べることで中性に戻してくれている。土が酸性に傾いていることを教えてくれている。土壌を中性に戻すことで、酸性の虫は寄って来なくなる。
虫たちは地球のバランスを中性に戻してくれているのである。
人間はこれを無視し、農薬を使い続けている。地球のバランスを崩して経済を維持しようとする。目先の欲に囚われ、地、水、火、風の4元素がなければ人間はこの現象界からバランスを失い、消えて行かなければならない。
宇宙は中性バランスで生命活動をしている。この中性バランスによってすべての万物は息している。
人間という仮相もバランスによって幻影を保っている。こ゚のバランスがズレるとエネルギーが入らず、気の病、病気になる。独楽も中心軸がズレると回転がムラになり、止まってしまうように。宇宙は1つなる永遠なる細胞体である。人間も宇宙細胞体であり、その細胞体が人間の形をしているだけである。人間も微生物である。菌体バランスを失うと人間と云う形は存在しなくなる。今。人類はこの事を知らない。知って居れば除菌はしない。現象を維持しようとしてバランスを崩し、宇宙のバランスに目を向けない。
人間はこの世で長生きするために生まれて来たのか?消えて行く幻影の中で財を求め、豊かな生活をするために生まれて来たのか?
肥田先生が云われている重い言葉がある。「中心の鉄扉を開かずして 生涯を終るものは 米を抱いて餓死するが如し」と。現象に生きるは死であると。バランスに生きなさいと。
身体の中心は正中心、宇宙の中心は聖中心。宇宙は1つなる絶対バランス。大調和の永遠なる生命体の中にすべての万象万物は生命の現象として現象化されている。この世は仮の宿、俗世、浮世と云われている世界で何を成すべきかに気づくために現れている。波動の低い状態である為に形が現象化し、見えているだけである。
未だ未発酵の状態の為、形があるが、完全発酵になれば形は持たない。形が見えるから争いを引き起こす。争いをなくすには1人、1人が自分の波動を上げ、完全発酵しなければならない。意識発酵である。完全発酵とは絶対調和、中心バランス、陰陽のバランス。すべては1つなる完全バランスから生まれている。バランスが我である。宇宙は永遠なる絶対バランス。現われているものはバランスの結果として万象、万物は現れている。



2022年9月23日金曜日

中心力が我なり


 中心力が我なり

宇宙にはたった1つの生命体があるのみ。すべてが1つなる生命体である。無限生命体である。その中に万象万物は無限生命によって具現されている。宇宙は無限生命体であり、永遠である。永遠なる中にあるものはすべて永遠である。人間も永遠なる生命体の中に存在している。よって人間も永遠であるということになる。
何故、人間は有限であると思ってしまうのか?それは形を見るからである。形は現象であり、常に変化して止まない質料である。この見えるものをあると思う心が人間には死があると勘違いをさせている。お釈迦様が色心不二と真理を示されているが、この真理を理解されていない為に生老病死の四苦に未だに惑わされ続けている。
人間は1つなる生命の現われであり、宇宙生命体であるということである。永遠なる生命体であるということである。
1つなる生命とは陰陽の法則であり、中心バランスである。これが永遠なる生命体の根源である。これを神と云い、仏と云い、天照大神と云っている。形あるものの中には必ず中心がある。この中心なるエネルギーが形を現象化させている。これが形を造っている。これが現象を現わしているものである。人間の形は現象、それを現わしている中心力が我である。
我の本性は姿、形ではなく、中心なる生命エネルギーが我である。生命エネルギーは宇宙には1つしかない。万象万物は1つなる宇宙生命体の化身である。宇宙生命体が我である。すべてが宇宙生命体のなかの細胞体である。見えるものをあると信じる心が無限生命の中に居ながら有限なる現象に囚われ、惑わされてしまっているだけである。
1つしかないものを2つに分け、見えるものをあると見てしまうことでエデンの園から追放されてしまう。自分で自分を追放している。エデンの園は自分の内にあり、いつでも帰れるのである。エデンの園は中なる心、中心である。これが我である。


2022年9月22日木曜日

天寵無限と肉体


 天寵無限と肉体

宇宙は1つなる生命体。すべてのすべてありてあるものは1つなる生命体であり、すべてのものは宇宙生命体の中に存在している。人間も然りである。
天寵無限は天は無限なる生命エネルギー体であり、
無限なるエネルギーが様々な現象を現わしている。人間も1つなる生命の現象である。万象万物は見えない生命エネルギーが現象化したものである。形を見るから人間と呼んでいるだけである。
人間の器、神の器をどのように使えば良いのか?宇宙には1つなる生命エネルギーがあるのみである。こ゚の生命エネルギーを肉体を通して現わして行く。万物はそれを忠実に行っている。
万物の霊長たる人間は自由自在に宇宙エネルギー放射することができる。その為に人間という器が造られている。人間の細胞を通して無限大の生命エネルギーを放射させることで、地球の波動を上げて行く。
人類は善悪の木の実を食べた為に1つなる生命に善悪の見方を持ち込み、見えるものに生き、争いの仮相の世界に囚われ、本質に気づかなくなってしまった。本当の我が自分の中にあるのに気づかず、外に求め、自分で創り出した争いの仮相の世界に生きている。
肉体は神によって造られた神の器であり、その中に神が宿っている。我は神の子であり、神の器である。人間という自分は存在しない。見える形を人間と勝手に呼んでいるに過ぎない。
汝の神は汝自身なり。汝の仏は汝自身なり。天照大神は汝自身なり。すべてが1つなる霊である。
宇宙は1つなる見えない生命体であり、霊体である。物質世界ではない。宇宙霊である。それ以外何ものでもない。人間は万物の霊長であり、すべて見えるものはすべて霊の化身である。1つなる霊を色々な云い方をしているだけである。すべてが1つなるものから発生していることに気づけば争いはなくなる。波動が低い為に起きる現象であるため、人間、1人1人が波動を上げて行く以外にない。争いで争いを無くすことはできない。



2022年9月21日水曜日

天寵無限と中心力


 天寵無限と中心力

天の無限大の恵み、人間が宇宙に存在して天の無限大のエネルギーを使うのではない。
宇宙は無限大の生命エネルギー体であるということである。人間は宇宙には存在はしていない。仮相である。万象万物はすべて仮相である。人間は見えるものをあると信じているが、見えるものは存在していないのであるでなければ宇宙は存在する事ができない。見えないものが見えるものを現わしている。すべて1つなるものの現れである。見方が逆なのである。逆から見るから不安、悩みが生じてくる。人間は天、生命によって現象化している仮相の存在である。肥田先生は人間からものを見ていない。聖中心という字を肥田式に付けることはしないはずである。人間は神の器であるとハッキリと云われているのは人間の存在の意味を理解されているからだと思います。人間は仮相である。実在していないということを云われている。宇宙は1つなる無限大の存在である。無限大ということは外には何も存在しないということである。この事が理解できれは争いは無くなる。宇宙倫理の書は焼失してしまいましたが、人類救済の書であると感じております。
我々は肥田式を通して何を成すべきか?を考えなければならない。肥田式は21世紀のメッセージでもある。鍛錬を通して内なる中心力を引き出し、地球の波動を上げて行く。肥田式は1つなる宇宙の中心に身体の動きを合わせ、身体を宇宙の波動の受信機として使う。肥田式は非常にシンプルな身体の動きである。真理は1つであり、単純でシンプルである。肥田先生が云われる真善美とはこの宇宙生命の事である。