2022年3月31日木曜日

UFOと気合応用強健術


 UFOと気合応用強健術

宇宙空間を移動する時、UFOUは燃料は積んでいない。エネルギーをチャージしながら宇宙空間を移動している。
人類の科学はまだ燃料を積んでロケットを飛ばし、宇宙に行っている状態である。
肥田式の気合応用強健術は動きながら、エネルギーをチャージしなが動く。宇宙は中性であり、中心バランスが無限大のエネルギーである。形の中には必ず中心がある。この中心に合わせることで無限大のエネルギーを無料で取り入れることができる。肥田先生の「天寵無限」である。
宇宙空間は全て無限大のエネルギーの調和体である。見えるものがあるのではなく、見えないものがあるのである。原因、結果の法則で見えるものは必ず原因がある。原因がなければ結果は顕れない。
簡易強健術は足を固定して行うが、気合応用強健術は動きながら中心バランスを取り方を鍛錬する方法です。動くことでエネルギーをチャージして行く。疲れることがない。疲れるのはエネルギー不足である。アンバランスになるからである。
琴の名手と云われる白楽天が奏でる琴の音色は琴が弾いているのか、白楽天が弾いているのかと云われるくらい琴と一体化になっている。すべては1であり、1つのエネルギーが存在するだけである。肉体と心が1つになる時、肉体からエネルギーが引き出される。見えないものと1つになるということはよくよく考えると人間は1つのエネルギーの現われであるということになる。人間が行動し何かを行うと思ってきたが、エネルギーが人間を動かしている。生かされている。
見える氷は水蒸気の現われであり、水蒸気が水になり水が氷になる。同じものがバイブレーションの違いで変化しているだけであることに気づかされる。
肥田式の中心力を学んでいて自分はいないことに気づく。肥田先生がつくられた「天真療法」強圧微動術」いずれも中心力が基本ベースである。肥田先生はこのことを理解され、作られたていると思います。人間は食べ物を食べてエネルギーを入れ、自分で動いていると勘違いをしている。食べ物を1週間食べなくても息を止めるとすぐに死んでしまう。人間は息によって生かされている。空エネルギーを取り入れるには逆圧を使わないと入ってこない。肥田先生が横隔膜の大緊張と云われているのは内圧を上げる為のものであり、エネルギーは引き込まれてくるのである。故に肥田式の息づかいは逆式なのである。


2022年3月30日水曜日

21世紀は見える世界から見えない世界になる。


21世紀は 見える世界から見えない世界に変化する。

宇宙は中性エネルギーであり、陰陽の法則の絶対バランスによって永遠なる生命体を維持している。
原因、結果の法則であり、宇宙は原因なき原因でフリーエネルギーである。宇宙は無限生命体であり、有限は存在しない。見えるものは結果であり、原因は見えない生命体である。1つなる生命が多神を創っている。中性エネルギーは中心エネルギーであり、宇宙は中心なる根源生命エネルギーでつながっている。
肥田式は正中心、聖中心の力、知恵につながっている。宇宙は知恵の宝庫であり21世紀は宇宙の無限なるエネルギーを無料で使う時代になってくる。争いのない世界である。このエネルギーを使うには意識力を高めなければならない。想念は実現の母である。想ったことが現われる世界。肥田先生はこの宇宙の知恵を中心力を使い、現象界に降ろされた。中心力は宇宙力である。21世紀は波動の世界に移行してくる。低波動の地球から高波動の平安の世界に移行してくる。1人、1人の意識によって現象化する時代に。


2022年3月29日火曜日

でんでん太鼓と肥田式強健術


 エネルギーは言葉成りき 初めに言葉ありき

肥田式の型は機械的に身体の中心に宿る生命エネルギーを引き出そうとする鍛錬である。
それには身体の使い方を理解する必要がある。
身体を使う時、でんでん太鼓のように使って行く。下半身の力によって上半身を弓のように使い、利動力で上半身を動かして行く。「伸ばせばバターの如く、縮めば鋼鉄の如く」と云われているのは宇宙の利動力を引き出す為である。
三骨軽打法という中枢神経への刺激を鍛錬の最初と最後に行っているが、これもでんでん太鼓のように身体を使うことでより効果的に中枢神経を刺激することができる。筋肉も量ではなく、質の良い筋肉が要求される。昔は身体という字を躬という字を使っていた。利動力とは宇宙の無限生命エネルギーであり、知恵である。力は外にはない。内なる力はこの宇宙生命エネルギーのことである。この力は意識力によって引き出される。この力が肉体を通して現れる。鍛錬をして肉体が力強く動いていると思ってしまうが、実際にはエネルギーが肉体を動かしている。心が肉体を動かしている。心と肉体は別々ではない。1つである。裏と表の関係である。2つで1つである。エネルギーを顕す為にエネルギーが肉体が作っている。肥田先生がダイヤモンドの宮殿と云われるのはエネルギーによって造られたエネルギーの住処なのです。宇宙は1つなる生命体である。聖書に書かれている「すべてのすべてありてあるもの」は1つなるエネルギーである。この言葉はモーゼの映画「十戒」の最後に出てくる言葉でもある。
心が素直になることでより大きなエネルギーは引き込まれる。純真なる心は学びに最も大切なものである。自分の心が学びの結果を決めてしまう。「誠」という字には肥田先生の純真さが込めれれている。


2022年3月28日月曜日

愉快、爽快、軽快


愉快、爽快、軽快

肥田式の鍛練をされている時、時間を忘れ、鍛錬をされている時、中心バランスが取れているいうことです。
何故、中心バランスが取れていると愉快になるのか?鍛錬をすることで無料の無限なるエネルギーが入ってきているということである。宇宙は善のみであるが、悪があるということはエネルギー不足ということになる。争いを起こす人はエネルギー不足ということである。人類に争いがあるのは分離感の為に外にエナルギーを使ってしまう為、自らのエネルギー不足ということです。エネルギーが充満してくれば外からエネルギーを得ることはしない。心が満たされていないうことになる。
心が満足しない為に外からエネルギーを取ろうとする為である。犬も心が小さな犬程、噛みつく。人類はまだ善悪の木の実を食べているということである。エネルギーが満たされてくると争いは無くなる。宇宙は無限なる無尽蔵のエネルギーの宝庫であることに気づかないだけである。争いが生じるのはこの世の諸行無常の仮相の世界を生きようとし、自己保存の為に争いを起こしているだけに過ぎない。人類は無限なるエネルギーの中に居ながら争いを起こしているのはすべて持っている自分に気づかないだけである。消えて行く世界の中で幾ら物質を自分のものにしても心を満足させることはできないことに気づかない。一時的な快楽にしか過ぎない。争いはバイブレーションが低い為に起きる現象であり、これを克服するには1人、1人の波動を上げることである。この世は霊肉一体になる為の現象界であり、外からエネルギーを奪い合い生きる世界ではなく、自分の裡にある無限大の井戸からエネルギーを汲み出し、現象界から脱皮して行く世界である。中心バランスを取り、波動を上げ、二度とこのバイブレーションの低い現象界に生まれてはならないのである。すべてが神の子であり、高バイブレーションなる我であることに気づく為の現象界であるということである。
キリストが云われている。
 肉に生きるは死、生命に生きるは永遠。であると。
肥田先生も中心の鉄扉を開かずして生涯を終わるものは米を抱いて餓死するが如し。と云われている。バランスを失う生き方は生きていても価値がないと云われている。

無限生命の中に居ながら有限な生き方をしている人類。21世紀はこのことに気づいてくる時代になると思います。


 

2022年3月26日土曜日

何ぜ肥田先生はこの世を「塵の世」と云われるのか?

この世は何ぜ「塵の世」なのか? 

肥田先生は「天寵無限」という言葉を使われる。無限なる生命エネルギーが肉体を通して使うことができるという解釈が一般的であるが、この世に現れているものはすべて結果であり、現象である。無限なる生命が主であって肉体はそれを表現する器でしかない。肥田先生が神の子、神の器と云われるのはこのことである。何故断言できるのかというと宇宙は無限生命体であり、無限ということは1つということである。結果は実在しないということになるからである。見えるものはすべて仮相である。大悟徹底された肥田先生がこのことを知らないはずはない。知らないということになると大悟徹底されていないということになる。この世は何をすべきなのか?宇宙は無限生命であり、永遠なる生命体である。この永遠なる生命体の中に生まれ、育っている人類は永遠なる生命体である。今、結果の現象をあると思う心が塵の世であり、中心力を使い、無限なる生命が本当の自分であることに気づく。これが焼失してしまった宇宙倫理の書で云わんとしたことのように思う。すべてが1つであれば争いは無くなる。この世はこの法則を体験し、理解し、実践する場所である。理解して本宿に帰る。その為の仮の宿であるという意味が塵の世の意味であると感じる。中心力は宇宙の生命エネルギーであり、永遠なるフリーエネルギーである。そのエネルギーは裡にある。裡にあるということは自分自身が宇宙ということになる。お釈迦さんが云われた「宇宙即我」である。誰もが中心を持っている。誰もが宇宙であり、神であるということになる。神という言葉を今まで宗教家の専売特許のように思っていたが、科学的にいうと原子と電子であり、宇宙の原点である。神様がいるわけではない。見えない生命エネルギーを神と呼んでいるだけ。神は「火、水」でありエネルギーと質料である。すべての原点を指している。この世は生きる世界ではない。法則を理解し、脱皮する現象界ということになる。一生懸命、働いても消えてしまう世界。死ぬ時、肉体と意識が離れる。今まで肉体を自分だと思ってきた。それを1人、1人が問われている。肥田先生の無私の生き方を見るとそう思わざるを得ない。
 

2022年3月23日水曜日

真誠とは

真誠は無限エネルギーを引き出す無我の境地

肥田先生はキリスト教徒とであるが教会に通ってはいない。聖書の中に「すべてのすべてありてあるもの 神である」と書かれている。
1つなる神が多神を創る。日本でも八百万の神と云われ、すべてに神が宿っていると云われる。
1つなる神というのは無限生命エネルギーであり、宇宙は無限大の生命エネルギー体である。この無限なる生命エネルギーが様々な形態を通して現わしている。人間もこの生命エネルギーによって生かされている。生命エネルギーはバランスで生命エネルギーが生まれる。このエネルギーを引き出すには中心バランスによって宇宙の無限なるエネルギーを引き出すことができる。
「真誠」ということは神と一体となる時、引き出せるもので、只、中心を取れば使えるものではないこと語っている。無我になって自分を無くした時、無限エネルギーそのものになり、引き込んでいる。自我では引き出せないことを云われている。人間、誰もが生まれた時には無邪気であり、邪気がないのであるが、生きて行く内に心が曇ってくる。肥田式は心身強健術であり、心と肉体のバランスを取り、霊肉一体になることで宇宙エネルギーを引き込む鍛錬であるということである。肥田先生が肥田式の型は中心力と云われている。肥田先生が3大学4学部を同時に卒業されたが、自分の為には大学には行っていない。すべて村の為である。
「得ようとするものは奪われる」幾ら形をなぞっても肉体鍛錬だけでは片手落ちである。
心と肉体を同時に鍛錬できる体系に肥田式はなっている。宇宙は陰陽の吸引バランスで永遠なる生命体であり、その中に万象万物は息している。万物の霊長と云われる人間は永遠なる生命体ではないのか。形が消えるだけで本質はなくならない。勝手に有限と思っているだけではないのか。故にこの世を塵世、俗世、浮世、仮の宿と呼んでいる。



 

2022年3月18日金曜日

座禅、立禅、動的禅、武禅

座禅、立禅、動的禅、武禅、すべてが中心力

肥田式強健術の簡易強健術はグンゼの女工さん達の為に肥田先生が造られた体操です。肥田式は気合応用が肥田式強健術になります。
動きながら、中心軸によって動く鍛錬である。
日常の動きの中で中心軸をずらさない動的禅である。
簡易強健術は準備動作と本動作に分かれますが、気合応用強健術は本動作から入ります。
中心軸から鍛錬をして行きます。中心力を身に付けるのではなく、自分の中に中心を確認をしてから行う。その為には足の親指、足の踵、足の垂直、足の角度、股関節が重要視されます。
カヤ棒と云われていた青年が必死の気で生み出し、自分で実験しながら道を示してくれている。人間誰でも持っている中心軸、中心より無限の無尽蔵のエネルギーが無料で入ってくる。
エネルギーは力であり、知恵である。人間1人、1人は宇宙エネルギーが使える宇宙の子である。殆どの方々が肉体に力があると思っている。肥田先生は無限のエネルギーは天の恵みであるとおっしゃっておられる。人間は宇宙エネルギーによって生かされているということになる。宇宙エナルギーの化身が人間であるということになる。此処に21世紀を生きる鍵が潜んでいる。肥田先生は戦時中を切り抜ける為に身体の強健を目指されたが、この中心力は肉体鍛錬から意識鍛錬に姿を変え、人類が21世紀を生きる基本ベースに成り得るものである。
肥田先生は蜂蜜に対して人ものを取ってはイケない。一匹のハチが一生かけて集める蜜はスプーン1杯だそうです。それを万物の霊長と云われる人間が横取りをする。恥ずかしいではないか。人間は自然界から略奪をしてはいけない。神の子と云われ、神の力、知恵を使えるのに。
21世紀は空より無限大のエネルギーを引き出し、使う時代になってくる。それには1人、1人の意識を変えて行かなければならない。それには中心力が有効な手段である。
 

2022年3月17日木曜日

人間は中心力を汲みだす井戸ポンプ

人間は中心力を汲みだす井戸ポンプ

中心力は無限の宇宙エネルギー。汲めど減らない無尽蔵の全知全能のエネルギー。これを肉体を通して汲みだす井戸ポンプのようなものである。
形を持つものには必ず中心がある。その形の中心からエネルギーが放出し、形態を現象化させている。人間は意識により無限の生命エネルギーを汲み出すことができる。肥田先生は自分の肉体を使って実験され、目に見えない無限のエネルギーの引き出し方を示してくれた。誰もが持っている形。これを使って無尽蔵の知恵、力を汲み出せるということである。人間は神の子であり、神の器であると云われている。人間は身体を使って働いてお金を貯めて幸せになることではなく、宇宙の無限大の汲んでも減らない全知全能の知恵、力を顕す媒体であるということになる。
中心力を身に付けると外から得ようとしなくなる。争いを起こさなくても良くなる。誰もが無料で使える力である。能力は脳幹部思考停止によって入ってくる。今まで能力を身に付ける為に教育に使っていた時間とお金は必要が無くなる?
21世紀は全てが根本的な所から変化する時代になってくる。今までの価値観ではなくなる。
人間という概念も波動という概念に変化して行きます。今の宇宙科学も燃料を使ってロケットを打ち上げているようだと宇宙にガソリンスタンドを作らなければならない。結果から結果を作る時代から原因から結果を生み出す時代に。空から無尽蔵のエネルギーを取り出す時代になってくる。その為には人間意識が変わって行かなければならない。無料で使える中心力を身に付ける肥田式強健術は非常に有効な手段であると思います。

 

2022年3月15日火曜日

肥田式は21世紀の意識鍛錬である

 肥田式は21世紀の為の意識鍛錬になる

物質文明が終焉を迎えようとしている。幾度どなく繰り返されてきた天変地異。今までのように物質中心のままで行くと地球の存在はない。これを修正する為には1人、1人の意識の改革が必要になる。何故、経済が終焉を迎えるのかというと自分で汚した湖を原因を直さないで、汚れた水を綺麗にしようとしている。これでは幾らお金があってもドブにお金を捨てるようなものである。医療も結果で直そうとする為、ドンドンお金がつぎ込まれる。財政破綻である。世界の経済が原因を直さないで、結果を直そうとして破綻状態に陥っている。善悪の木の実を食べ続けている。
これから新しい一歩が始まる。原因からの発想で行うことで誰もが、人類が幸せに生きられるフリーエネルギーの社会ができる。これが本来の人類の生き方である。これに気づくために転生を繰り返して来た。
その為には1人、1人の意識の改革が必要になる。国が悪いのではない。国をつくっているのは其処に住む国民だからです。国民、1人、1人が責任を持って行く時代になります。
その為に何事にもブレない中心力を身に付ける必要がある。日常生活で自分が生きることで、人が幸せになる生き方が求められる。
3次元は波動の低い固体の現象界である。この現象界をバネにしてグライダーのように生きる力を身に付ける。肥田式の利動力を身に付ける。サーファーが敢えて高い波を求めて行くように。中心力は宇宙力である。それぞれの分野で全知全能の力を引き出す。その為の有効な鍛錬である。中心力は日常生活の中で行うことができる。歩いていてもできる。椅子に座っていてもできる。仕事をしていてもできる。形のあるものには必ず、その中に中心がある。この中心に合わせる。
肥田先生も運動に時間をかけてはいない。中心が取れればと云われる。
今まで、肥田式の鍛練をされている方々を見てきたが、肉体を鍛錬しようとしている。肥田先生は色々な実験をして鍛錬法を生み出されたが、お父さんが仏前の前で「春充ちが夏を越せますように」という父の言葉に肥田先生の心が動いた。心に火花が付き、鍛錬に入られた。この時点でもうすでに心は元気になられている。肥田先生は「必死の気」という言葉を使う。こ゚の覚悟がなければ形を真似ても会得はできない。気によって形はできるものだからです。「腹は造るのではなく、造られる」ものだからです。肥田式はたった一つのことだけを行っているに過ぎない。真理は1つなのです。中心力を身に付けるのではなく、すでに中心は誰にでもあるのです。其処には無限大の力、知恵が湧き出ている。それぞれの分野で自分の井戸を掘り、社会に還元して行く。それぞれの肥田式で井戸を掘って頂きたい。


2022年3月14日月曜日

肉体は意識によって動かされている。

肉体は意識によって動かされている。

肉体は力はない。意識によって自由自在に動かされている。肉体には意思はない。内なる心が動いて心の通りに動いてくれる。悲しければ悲しい表現をするし、楽しければ楽しい表現をしてくれる。
肉体は心の操り人形である。肉体は意識によって創り出される見えないものを表現する媒体である。
肥田先生は大悟徹底され、宇宙から知恵を降ろされている。知恵を降ろす時、五感は邪魔になる。脳幹部の思考停止をすることで全知全能の知恵が入ってくる。能力とは五感を使って行うことではないということになる。
肥田式で行う鍛錬は中心力の使い方の学びである。宇宙の全知全能のエネルギーを引き出す為鍛錬である。肥田先生は人間を神の子、神の器と呼ぶ。人間という器は器を鍛えて使うのではなく、中心力を受けて流す受信機として使う器であるということである。
肥田先生の時代は戦時中であり、戦争の為に肉体鍛錬をされたが、21世紀は心の鍛練に使って行くべきである。心は1つ。人類は1つの中に生まれ、1つの中で育って生きている。争ってはいけないのである。中心力とは1つのエネルギーであるということである。
八紘一宇という素晴らしい宇宙の真理を顕す言葉がある。日本が誤って戦争に利用してしまいました。日本の恥です。すべては1つ、万象万物は1つなる生命の現われであり、人類は皆兄弟、姉妹である。同じ生命で生かされているということである。1つの生命の中で争ってはいけないということを意味している。日本の国旗は1つ目である。物質文明が終焉を迎えました。これからは意識の時代に入って行きます。空より無限のものを取り出す時代に。争いのない世界にシフトして行きます。これからのリーダーは1人、1人がリーダーになります。
不完全な時代から完全な時代に変化して行きます。1人、1人の意識の改革の時代に。


2022年3月13日日曜日

意識が我であり、真の自己である。

 意識が我、本当の自分は形ではない。

意識は大霊であり、生命であり、愛である。神である。意識が我である。想念が我である。
真理とは我の意識である。見聞きした外のものの中に真理はない。真理は裡にある。自分の意識が愛であり意識である。裡は愛である。外は分離である。空は愛である。すべてが愛。意識が愛。高波動のバイブレーションが愛である。意識が我であり神である。
我の意識と宇宙意識はつながっている。時空間はない。生命の海。空海。見えるものも見えないものすべてつながっている。1つである。宇宙そのものを1つであると知る。裡なるものは空であり、空の中には見えるものはない。故に雑念は沸くことはない。
見えるものをあると信じる心が本当の自分を惑わしているだけである。



2022年3月12日土曜日

肥田式はフリーエネルギー運動法である。

誰もがフリーエネルギーで動けるようになっている。

肥田先生は「天寵無限」という言葉を使われる。
宇宙は無限の生命体であり、万象万物はその中におり、すべて無限なる生命体の中におり、永遠なる生命体の中に存在しているということになる。
生命は見えないエネルギーであり、人間の器を通してエネルギーを流している。宇宙の生命エネルギーは生命循環であり、肥田先生は中心の字を書かれる時、字の下に〇を書かれる。永遠を現わしている。人間は現象の肉体をあると信じている為、中心に永遠なる宇宙の生命、永遠なる生命が宿っていることに気づかない。肥田先生が行なわれていた強圧微動術、天真療法の原点は此処にある。使い方が悪いだけで中心に合わせることでエネルギーが入ってくる。万象万物は宇宙エネルギーの中におり、それを認めない為にバランスを失っているだけである。

中心の鉄扉を開かずして 生涯を終わるものは
米を抱いて餓死するが如し
肥田先生は新陳代謝に目を付けられ、中心ということに気づかれたと思う。中心バランスを失うと新陳代謝が遅れる。この新陳代謝を遅らせる原因は意識であることに気づかれた。
肉体を通して気力の充実を鍛錬されている。心身を一体として鍛錬をされている。
中心というのは宇宙のことであり、正中心、聖中心という風に変化して行かれたと感じる。
人間はフリーエネルギーで生きられるようになていることに気づくことが21世紀を生きる鍵になる。これに気づかなければまた天変地異を繰り返す。文明が発達すればするほど地球のバランスを失うことに気づくために天変地異がメッセージとしてあることに気づかなければならない。




2022年3月11日金曜日

宇宙も我もフリーエネルギーなり 永遠なり

人類は宇宙エネルギーの中に存在し、宇宙エネルギーの中に生かされている。
宇宙は無限生命、無限とは限りが無い。1つである。その中に万象万物は息をしている。すべては1つの生命であり、1つの息であり、1つの意識である。宇宙は陰陽の吸引の法則であり、愛の法則、すべてはフリーエネルギーの中に存在し、フリーエネルギーで万象万物は生かされている。自然界も外部からの影響がなければ永遠に生命活動をすることができる。屋久島の杉が何千年も生きているように。何故、人間は永遠なる生命でありながら、死というものを信じて生きているのだろうか?
生命が生きて現象化しているものをあると信じ、消え行くものに囚われ、変化の中にある現象を本物と信じ、物質(エーテル質料)に生きている。故に現象の消え行く形の中に生きてしまう。
この現象は実在しない。これが善悪の木の実である。人間はこの現象を中々見破ることができない。
宇宙の完全なる中に居るのに敢えて消え行く見える不完全の中に安住している。消えて行くものにしがみついている。外からエネルギーを略奪しなくても生きられる。宇宙はフリーエネルギーの法則であり、人間もフリーエネルギーで生きられるようになっており、実際にフリーエネルギーで生きていることに気づかない。
自然界はそれを教えてくれている。地球で一番の悪人は誰ですか?人間だけが地球を汚し、自分の生きる環境をも
壊し、生きていることに気づかない。自然界の法則を無視してアンバランスを作り、それをお金に変えてお金中心に生きている。それが豊かさだと信じて。自然界は中性の法則で動いているので、それを自然界が修正しようとしているものに対して災害と呼ぶ。アンバランス結果であることに気づかない。文明が発達すると地球のバランスを失い、失速し、天変地異が起きてしまう。幾度どなく繰り返されている天変地異。この世は俗世、仮の宿と云われ、外部からエネルギーを取り、生きる世界ではないのである。宇宙のエネルギーが無限大であり、このエネルギーを放射させる使命が人間に与えられている。万物の霊長である人間に課せられた使命なのである。見えるものは実際にない。見えないものが見えるものを現わしている。宇宙は陰陽の循環システムで動いている。見えないものが見えるものを通して生命エネルギーの循環をしている。色心不二。すべて持っている自分に気づく。人間は現象であり、現象は内なる生命エネルギーを放射させる器に過ぎない。





 

2022年3月7日月曜日

力は裡から

 
肥田式日程表(東京会場/つくば会場)へ

力は裡から

一般的に肉体鍛錬をして能力を出そうとする人が多いと思いますが、力は裡から、中心から湧き上がってくる。
肥田先生も云われているように「天寵無限」エネルギーは宇宙には無尽蔵に存在し、それを使うことができる。
宇宙は1つなる無限の生命体、陰陽の絶対調和の永遠なる宇宙バッテリーである。使っても減らないフリーエネルギーである。宇宙は1つなるエネルギー体であり、人間も宇宙の中に生まれているエネルギー体であるということである。人間はエネルギーの子であり、人間は宇宙エネルギーが親で自分は子である。人間は今まで現象の形を自分だと思い違いをして人間を演じてきたが、天寵無限という言葉は天の恵みによって人間は生かされていることに気づく。肉体には何の力もない。宇宙のエネルギーを引き込むには自分の中心を取ることで宇宙の中心につなげることで無限大のエネルギーと一体となり、引き込むことができるということになる。無限という字は限りが無いと書く。1つであるということである。故に肥田先生は自分は神の子であり、神の器であると云っておられる。
第3次世界大戦に備えて書かれたと云われる宇宙倫理の書の骨子は此処にあると強く感じます。我々は肥田先生の造られた鍛錬方法を使って自分の肉体鍛錬だけをしていて良いのだろうか?中心力を身に付け、自分のできることをしなければならないのではないかと。肥田式は中心力を引き出す為のものであり、肥田式によってそれぞれの中心力を引き出し、宇宙エネルギーを社会に還元して行きましょう。

2022年3月1日火曜日

肥田先生が云われる天寵無限とは



天寵無限を使われる意味とは?

肥田先生がこの言葉を何故使われるのか?
人間は中心力を使うことができれば、宇宙の無限なるエネルギーを使うことができると云っているのか?
それとも宇宙は1つであり、無限なる生命体が我であると云うことを言われているのか?
肥田先生は第3次世界大戦を防ぐ為に宇宙倫理の書を描かれたと云われている。この中で何を言おうとされたのか?
今、焼失して見ることはできないが、宇宙は1つの生命体であり、人間はすべて1つの生命体であることを書かれているのではないかと思います。
キリスト、仏陀が云われるすべては1つであることを云われていると確信をする。
一般的には当時理解しづらいので、このような言葉になっていると思う。
インドのサイババが今、自分が神だと言ったら殺されると云っていたが、本当のことはこの言葉の裏にあると思う。
一所懸命に国に尽し、天真療法、強圧微動術を本に顕しながら、困っている人に尽し、病人に尽し、無私の状態で人生を送っている。
今、自分は何をすべきなのかを問われている。この天寵無限の言葉の裏の想いを見つめている。肥田式は確かに肉体鍛錬の中心を取ることでブレない生き方ができる。問題はそれを使って何をしなければならないのかである。個人は存在しない。存在しない人間に執着して生きるのか?宇宙の無限なるエネルギーを使って地上界の波動を上げて行くのか?
中心力が宇宙力である。お釈迦様が云われる宇宙が我である。肥田式を学ぶものよ。すでに持っている中心力を使い、人類の為に貢献しようではないか。目先のちっぽけな消えてしまうものに執着しないで。人類救済は自分の裡にある。中心にある。