2024年2月9日金曜日

自分探しとは


自分探しとは

今いる自分が自分ではないということになる。
では何が自分なのか?
宇宙は1つなる生命体であり、1つの生命体が様々な現象を顕している。
現象だけを見ると様々な姿、形があるように見えるがその顕しているものは1つの生命である。
人間も1つなる生命が形を止って人間という姿、形を顕している。万象万物は1つなる生命の顕われなのである。それでなければ無限生命にはならない。
見えるものがあると信じていたが、本当に自分は現象を顕している無形無双の生命が我であることに気づく。これを現象界で気づくことが自分探しである。
現象界で本当に自分に帰ることができなければ本当の自分に帰ることはできない。
現象界で自分に帰ることができなければできるまで繰り返し、輪廻が繰り返される。昇天するまで。人間という生老病死の実在しない仮相に振り廻されて。生老病死は気づくために用意された教材なのである。この素晴らしい教材を使って昇天して行くのである。自分探しの教材は否定してはいけない。この教材がなければ気づかないのであるから。不完全なる教材は完全なる我に気づくための教材なのである。

 

2024年2月8日木曜日

すべての答えは裡にあり


すべての答えは裡にあり

生命は現象の中心にあり、内なる生命が外に顕現し、現象として顕れている。
現象だけを見てあると思っているものには理解ができない。内なるものが外なるものを顕している。
見えるものはすべて内なる生命が現象化させている。人間は現象にだけ目を奪われ、現象を顕しているものに目を向けない。

見える現象は実在しない幻想であり、幻想には何の力をない。朽ち果てて行く中で見守るしかないのである。力があれば修復することもできるが、幻想の姿、形には修復する力はない。

見えない生命が現象として顕れているものには何の力もない。
内なる生命は永遠なのであるがこれを信じない為に力が使えない。
折角、持っている力は永遠なのにこれを使うことができない。これが人間の生き様である。
永遠なる生命の中で有限なる生き方をする。惨めではないか?。それにも気づかないで、死を受け入れている。死ぬのは当り前と。現象、見えるものは消え行くもの、消え行くものは永遠なる生命の化身であることに気づけば有限なるものに生きることはなくなる。
この事に気づくために現象界に休憩しているのである。


 

人間の生き方が真逆なのである


人間の生き方が真逆なのである

超能力を出そうとする時、有名な大学で学んでも出すことはできない。知識を学んで超能力はでない。
超能力を引き出す時、脳幹部の思考を停止させる。
今まで五感で判断していた思考を停止させることで、能力を引き出して行く、無我の境地、その人間という思考を停止する。
これはどういうことなのかというと、人間は実在しないということになる。学校で学ぶことは決められた枠の中で生きる人間を作る。ロボットを作るということになる。
人間という媒体は無限大の宇宙生命を顕現する為に造られている。
人間は神の子であり、神の器なのである。
宇宙は全知全能の力であり、知恵であり、創造の原理げである。これを顕現する為に現象化している。これに気づき、本当の我に戻る、
イエスもこの世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如し。という言葉で話されている。
知識を学んで能力を出すのではなく、五感をシャットアウトするこで能力が出てくる。
これが理解できれば人生が真逆なことに気づくのではないか?n
また素直に考えて無限なる生命の中 では死はないことも理解できるのではないか。


 

2024年2月7日水曜日

宇宙に死は存在しない


宇宙に死は存在しない

宇宙は1つなる永遠なる無限生命である。無限生命の中に死は存在しない。死と云うのは形を意味する。無刑無双の中性なる生命体には姿、形はない。
見えるものがあるということは現象であるということになる。すべては1つであるというこである。小学生でも解かることである。
見えるものは見えない1つなる宇宙生命の化身であることが直ぐに理解できる。
故に現象という字を当てているのである。実在しているのなら現象とは云わないだろう。
宇宙は1つなる生命は全知全能の力、知恵でもあり、創造の原理である。
宇宙は絶対なる生命法則によって成り立っている。不変不動の完全バランス。
これをイエスは原因なき、原因と云われている。すべての根源が宇宙法則である。
宇宙は不変不動の中性エネルギーである。エネルギーには死はない。
死は現象界にあるのであって生命界には存在しない。
現象界は生命エネルギーが表現媒体として使ってる媒体である。生命を顕す為には媒体が必要になる。その為の表現媒体なのである。本来の表現媒体は生命エネルギーを顕現する為に生命によって造られている細胞放射体なのである。
宇宙には生命があるのみで見える万象万物は生命を顕現する為に生命の化身として現象化しているだけである。
生命の顕現道具を人間は勘違いをして自分であると信じて生命によって造られたものを勝手に使い、諸行無常の現象に囚われ、本来の我に気づかず、朽ち果てる我を信じて生きている。
現象に生きる為に死という現象を認めてしまう。認めたものは顕れる。
小さな時から、外なる現象に生きるように洗脳されている。これを内に向けなさいと言っても理解できない。答えは内にあるのに外に答えを求めてきたものにとっては真逆の生き方なので、これを理解するには時間がかかる。固定観念を持ってしまうと中々漂白は効かない。



中心なる心 現象なる心


中心なる心 現象なる心

1つなる宇宙。1つなる宇宙の現象として万象万物が顕れている。すべては1つなる生命が存在するだけである。
すべては1つなる生命の現象のであり、其処には争いもない。
宇宙は1つなる生命体であり、1つなる生命は全知全能の力であり、知恵であり、創造の原理である。
この1つなる生命、中心生命が宇宙の根源になる。
この中心なる生命がすべての現象を顕しているが、人間はこの現象だけを見てしまう為、分離感が生じてしまう。
この分離感が中心生命との分離感を生み、現象世界に囚われて生きてしまう。中心生命は永遠であるが、現象に生きると有限になってしまう。
これがまだ人類が克服できない課題である。現象は実在しない。宇宙は1つなる細胞体である。現象はこの細胞体の集合体の象である。見えるものは見えない生命の現象であることを理解して行く。


 

2024年2月5日月曜日

イースト菌 神の種


イースト菌 神の種

宇宙は1つなる生命体であり、フリーエネルギーである。イースト菌の世界、生命の世界である。
この宇宙の塵に宿り、イースト菌、生命が増殖し、生命活動をしている。
万象万物にはこのイースト菌なる神の種が分裂し、生命活動をしている。
人間も内なる神の種が生命活動をしている。こ゚の種火が外部の影響を受けて消えそうになっている。こ゚の生命の火種に油を注ぎ、生み出された細胞を光る細胞に戻して行かなければならない。自我という邪念が邪魔をしている。邪念は現象を見ることで発生してしまう。
宇宙は生命1元であるが、この自我という自ら造る邪念に負けて自分の住処を明け渡している。本当の我と偽心の我の戦い、ハルマゲドンの戦いである。
この戦いは内なる戦いである。現象に生きているものは邪心の心に負けていることになる。
肉に生きるは死であると。


 

我息は神の息


我息は神の息

息とは自らの心であり、心とは内なる心である。
中なる心、中心である。
すべては中心なる心の顕れである。心とはエネルギーであり、宇宙は1つなる心が存在するだけである。我息は宇宙の息と同じ息である。
我が裡に宇宙の息、心が宿っている。
ものごとを現象から見てしまうが、現象は結果であり、現象を顕している原因がある。
この原因が神の息である。
人間は宇宙の塵で人間の形を造り、息を吹き込まれたと云われている。すべての万象万物は宇宙の塵に息を吹き込まれて現象を顕している。生きているのは息であり、見える形態ではないのである。
宇宙は1息であり、この1息ですべての万象万物が顕れている。顕しているのはこの1息、生命エネルギーである。
現象しか見えないが、現象は外なる形であって形の中で生命が生きているのである。
菅、形は生きていない。内なる生命が形を止って現象を顕している。見方が逆なのである。
見えるものは現象であり、結果であり、現象を顕している原因があるのである。
息は心であり、生命エネルギーである。生命エネルギーは神である。
神、仏はこ゚の見えない生命エネルギーのことであり、宇宙の本源本質である。