2024年6月28日金曜日

神の御心


神の御心

我々も神の御心によって現象化している

神の子であり、神の器である

人類の使命は神の生命エネルギーを地上界に降ろす為に

人間という媒体が創造されている

これが人類の成すべき使命である





 

2024年6月23日日曜日

すべては1つ 原因なき原因


宇宙は1つなる完全なる生命体

原因がなければ結果は顕れることはない

原因が実在であり、すべての現象は原因の顕れである

原因と結果は1つのものである

天地一体

天が地を顕している

人間も本源本質の結果であり、人間は現象がある信じる迷妄が

自らを自縛させてる 無我そのものが我である

宇宙は1つなる無限生命、普遍生命 無形無双が我であり、宇宙である

1人、1人が此処から出てきている。

帰る帰らないは本人の自由意志である





2024年6月21日金曜日

人間の使命は神我顕現である


人間の使命は神我顕現である

宇宙生命体は無形無双の永遠なる生命体であり、すべての万象万物はこの永遠なる宇宙生命体の中に現象化している。
現象をさせているのは1つなる本源本質の大霊である。観自在、無碍自在の永遠なる生命体が神我顕現をさせている。1つなる生命は1つなる永遠不滅の神である。神様が他にいるのではない。宇宙生命体そのものが絶対バランス、絶対調和が神であり、人間は神様が人間の他に存在すると教え込まれた来てしまったが故に自分を自縛させてしまった。
神は人格神ではない。
宇宙は一なる生命体である。
人間は神の子であり、神の器である。神の器の中に蒔かれた神の種である。この肉体に蒔かれた神の種を開花させ自分自身が蓮の華の華を咲かす為に現象界が存在する。
働くということは現象に生きることになり、現象の生老病死の四苦から抜け出すことはできなくなる。
宇宙は神一元の世界であり。現象を顕している原因である。
誰もが神なのである。髪の毛1本。砂浜の砂粒1つ、神である。
今まで宗教家によって自分が神とあることを遠ざけられてきてしまった。
人間は神の子であり。肉体表現を使って神を顕現させる為に神の道具が肉体という媒体が造られている。
万象万物には逆念はなので、自然界の正常な基本ベースを担当している。
人間には自由意志が与えられているため自由選択権が持たされている。この自由意志を我欲で使う為に自分で自分を自縛させている。神なる我を自縛させているのは自分自身である。今がモーゼの十戒そのものである。今の状態では99.99%モーゼの方に付くものは数少ないであろう。人間に生きようとするから地球磁場をアンバランスにしていることに気づかない。地球は太陽系の一部である。




2024年6月20日木曜日

神は真理なり



神は真理なり

真理は生命なり

神は愛なり  我も愛なり

真理 我が裡に坐します

無限生命の中に有限なるものは存在しない

現象は真理の顕現媒体 2つで1つである

原因が神なら結果も神である

原因が神なら 結果も神

原因が光なら 結果も光







2024年6月19日水曜日

造り主と造られたものは1つである


造り主と造られたものは1つである

宇宙は1つである。造り主と造られたものは別々ではない、1つである。宇宙は無限生命、普遍生命、すべては1つである。
見える現象は1つなる生命の顕われであり、生命の顕現媒体である。現象の中に1つなる生命が宿っている。
万象万物は1つなる生命の化身、顕現道具である。この見える現象をあると思う心が永遠なる我を有限なる我に自縛している。永遠なる生命の中に有限なるものは存在しない。無限生命、普遍生命にはならない。1つということは絶対調和、絶対バランス、これが1つなる生命の本源、本質である。愛の法則である。宇宙には神、生命は1つなる生命、愛の生命体である。
1つなる中に争いは生じない。見えるものだけを見る為に分離感が生まれ、争いが起き、不安、恐怖、悩みが心を乱し、地上界をアンバランスにさせる。人間の心が地上界をアンバランスにさせている。原点は1つ。1人、1人の心が1つなる生命に戻ることが人間の使命である。すべて原点から発して原点に戻る。天地一体、原因結果、霊肉一体、自他一体。すべて1つである。原点は1つである。原点が我である。




 

2024年6月17日月曜日

我は1つなる生命


我は1つなる生命

宇宙は1つなる生命体である。こ゚の生命体のみが実在している。万象万物はこの1つなる生命の化身である。生命は化身を通して無限大の生命エネルギーを顕現させる為に自ら化身を造っている。
生命が顕している現象をあると信じ、仮相の神の顕現道具を自分として人間は錯覚してしまった、この錯覚から目が覚めない限り、気づくまで輪廻をさせられる。
現象我の錯覚、形を見て動いてしまう、肉体を動かしているのは想念意識である。
想念が現象を顕し、動かしているのであって、現象が動いているのではない、
宇宙は意識界である。「想念は実現の母」すべて想念によって現象を顕している。
見えるものは想念の結果である。結果があるのではない。想念によって具現されている。
宇宙は1つなり意識、神の意識によって顕されている。
実在しているのは神の意識が実在している。見えるものは結果現象であり、生命の表現媒体である。顕しているのは生命である。1つなる生命だけが万象万物を顕している。宇宙には1つなる生命のみが実在している。1つなる生命が我であり、宇宙である。迷い道に入ってしまった我から脱却しなければならない。この世は仮の宿、俗世、浮世と呼ばれる意味がこの事である。仮の宿には本宿がある。自分が戻る場所である。





 

2024年6月16日日曜日

すべては自己責任


すべては自己責任

宇宙は1つなる生命体。完全完璧な永遠なる生命体。この中にいるものはすべて完全である。
この完全なる中に万象万物は現象化している。人間も然りである。
何故、永遠なる中に居りながら、有限なる人生を送る。死を意識して生きる。
宇宙は1つなる生命であり、1つなる生命が顕現媒体として神によって造られたものを自分と勘違いをしてしまい、実在しない生老病死の四苦に持て遊ばれている。
宇宙には1つなる生命のみが実在している。宇宙には姿、形は存在しない。万象万物は1つなる無形無双の生命の化身として顕れている。この見えるものに囚われ、実在の我を見失っている。
現象は実在の我を現象を通して顕すために顕現媒体として具現している。人間は使命を果たしていない。
現象をあると思う心が自縛させている。実在しない現象をあると信じ、永遠なる我から有限なる我に意識させてしまった。この有限なる我から永遠なる我に戻らなければならない。これは自己責任において行わなければならない。自分で犯した罪は自分で償う。罪とは万物の霊長たる使命を果たさず、現象界を我が物顔で生きている人類。神への反逆行為なのです。完全の中に居て有限なる生き方を当たり前に思っている姿である。
有限なる我から永遠なる我への変性は自らが自己責任で行なわなければならない。人間と思っている姿は本来の使命を果たしていない。それがイエスが云われるように肉に生きるはしであると。
宗教は現象界の行為であり、天上界に導き、助けることはできない。意識は自分の中にあり、宗教でも治すことはできないのである。


 

2024年6月15日土曜日

働いているのは人間ではなく神である


働いているのは人間ではなく神である

宇宙は1つなる生命、神一元の世界。一なる生命の世界に万象万物は存在しない。人間も然り。見えるものは仮相であり、生命によって造られた化身である。人類は人間が居ると信じて疑わないが、宇宙の無限のなかに有限なる人間が存在するのだろうか?
良く考えれば、小学生でも解ることである。人間は質料で常に変化して止まない。
今、地上界で人間が生きていると信じていることは太陽系に取って災難なのである。
何故?宇宙は1つなる無限生命、普遍生命、永遠なる生命が宇宙なのである。
太陽系の人類が人間が存在すると信じることで、分離感が生まれ、地球のバランスを壊すしていることになるからである。宇宙は1つなる生命体であり、1つであれば争いを起こすことはないのである。今、地上界で戦争、争いを起こしているのは分離感の生き方を人類がしているからである。
人類は自分が住む地上界の生きる地、水、火。風を自ら壊し、自分達も生きらなくしている。
これほど人類は幼児期であると云われても仕方がない。
人間が生きていると勘違いをしているから間違うのである。生きているのは全知全能の生命、神なのである。神とは法則であり、真理である。神様がいるのではない。
宇宙は1つなる生命磁場体であり、これが神なのである。すべては1つということは宇宙は平安であるということである。爭いは1つなる生命を分離感で見ている証拠である。
宇宙は1つなる中性生命体であり、分離感で物事を見るものは波動が低い為、本源本質に戻ることはできない。気づくまで戻ることはできない。
 

2024年6月14日金曜日

内は神、外は神の顕現媒体


内は神、外は神の顕現媒体

宇宙は神一元。神のみが独存する。万象万物は神によって現象化している。1つなる神が万象万物に宿り、現象化している。すべては1つなる生命の顕われ。宇宙は無限生命であり、1つなる生命体である。この宇宙内に1つなる生命が万象万物を通して生命活動をされている。
人間も1つなる生命によって具現化された生命エネルギーの化身である。
生命によって現象化されたものには使命がある。それは現象を通して生命エネルギーを顕現するという使命である。これが万象万物に与えられたやるべきことである。         動植物は逆念がない為、生き方を全うしているが、人間には自由意志が与えられているため、自由意志を間違って使い、自縛してしまっている。                   この自由意志は神我顕現の為に使うべきものを現象である外なるものに意識を向け使ってしまった。意識を外に向けてしまうと地上界を分離感で争いを起こし、地上界を闇の住処にさせてしまう。この分離感が地上界をアンバランスにしている。               人類、万象万物は神の化身である。すべてが神であることを忘れ、地上界を荒らし廻っている。これが現象界をあると信じている人間の分離感である。分離感が最大の敵なのである。我々人類は1つなる生命に気づく時がきたのです。戦争で戦争がなくなることはない。   この世は仮相界であり。実相界ではなく幻影の世界なので、戦争で人を殺しても形が変化するだけである。本源本質には変化はない。




2024年6月13日木曜日

我は実相の神なり


我は実相の神なり

宇宙は1つなる生命体であるが、何故、実相と仮相があるのか?
天地一体。見えない宇宙生命体が生命エネルギーを顕現させる為に生命が顕現媒体を造り、生命エネルギーを顕現させる為に神によって神の被造物が造られている。万象万物は生命エネルギーが顕現させる為に神によって造られている。人間も神の顕現道具である。宇宙には人間は存在しない。人間の現象は神の被造物、神の顕現道具があるだけである。人間という神の顕現道具である。
見える現象からは実在の我は見ることはできないが、3次元の世界でも見えない意識によって肉体は動かされている。想念意識によって現象化されている。
神意識、神は意識であり、1つなる意識があるだけであるが、意識の仕方が現象を見ることで様々な意識の仕方をしてしまう。現象の生老病死に生きると様々な意識の仕方が起こってくる。
何でも意識したものが顕れてしまう。良いことも悪いことも。
神は意識であり、1つの意識によって神を顕現する為に造られている意識を現象の形を見て現象から拾い上げ、有限なる意識に囚われ、生老病死という現象に持て遊ばれてしまう。
本来の使命は無限大の生命エネルギーを肉体を通して顕現させる。これが本来の目的である。これが今生でなさねばならない。使命である。使命を果たせなければできるまで再生させられる。これから神に成ろうとすることではない。神の無限大の生命エネルギーを顕現させる。神としての自覚を持って使命を果たす。元々神なのだから。神は助けてはくれない。自分自身が神なのであるから。汝の救いは汝自身なりである。神なる我が乞食になって外に求めてはならない。イエスが云われるように肉に生きるは死であると。




 

2024年6月12日水曜日

実相と仮相は2つで1つである


実相と仮相は2つで1つである

宇宙は1つなる永遠なる愛の生命体。完全バランス、完全調和、中性である。
人類はこの愛の法則をの片側だけを見てしまっている。宇宙は磁場であり、生命磁場が循環をしている。イオン化現象である。
電気的現象である。バッテリーのようなものである。エネルギーは高い方から低い方に流れるが、またイオンは低い方から高い方に流れる。 すべて循環である。高気圧のエネルギーも低気圧の方に流れるが低気圧から中性に戻る。低気圧の時、下水が臭うのはそのためである。
お釈迦様が「外を見るな、内を看よ」と云われるのは中性なる完全バランスを看よと云われているのである。五感の内、外ではない。実相を看よと云われている、陰陽の法則、中性なるものを看よと。これを神、仏と呼んでいる。
人類は現象だけを見て実相である霊的なものをみようとしない。また反対に現象を見ないで霊的な物だけを見ようとする人達もいる。見えないものだけを見ようとするものも自我である。
原因、結果は1つなのである。天地一体、色心不二、自他一体。霊肉一体。天なる生命が地を顕しているのである。霊とは中性であるということである。霊的質料と霊エネルギーの完全調和、生命、霊光である。神我顕現は現象を通して行う為に神によって造られた神の顕現道具なのであり、顕現道具がなければ神我顕現はできないのである。
神が現象を顕している。神は人なり、人は神なり。神一元の世界である。




 

2024年6月11日火曜日

宇宙に実在しているものは1つなる生命のみ


宇宙に実在しているものは1つなる生命のみ

宇宙は無限生命、普遍生命、1つなる生命のみが実在している。1つなるものの中に他なるものは存在しない。
現象として見えているものは1つなる生命の化身として顕れている。生命が質料媒体を通して現象化させている。生命は何かの媒体がなければ顕すことができない。見えない生命は見える媒体を通して顕れている。見えるものは現象であり、現象と生命の2つがあるということは宇宙は無限生命ではなくなる。
1つなる生命が八百万の形態に宿り、様々な形で生命を顕している。見えるものはすべて神の化身であり、宇宙そのものが神である。宇宙神を祀ることはできない。
神は生命であり、愛の法則である。永遠なる生命エネルギーである。
人類はこの法則に気づかないため、現象をあると錯覚し、宇宙の法則に違反し、神の法則を無視し、永遠なる宇宙の中で、有限なる生き方をしている、この有限なる生き方は神によって造られた地上界をアンバランスにし、自らの愛の住処を住めなくしている。
人類は文明を発達させればさせるほど、地上界のバランスを失う。これが天変地異である。これも人類の気づきであるが、太陽系にも迷惑をかけてしまう。
人類はこの仮相界から1つなる実相界に戻らなければならない。

 



2024年6月9日日曜日

現象に生きるは死である


現象に生きるは死である

宇宙は1つなる無限生命、普遍生命、永遠なる宇宙生命体である。永遠なる中に有限なる現象は存在しない。宇宙は1つなる生命が生命の化身として万象万物を顕している。人間も「宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれ、生きるものになった。人間も現象であり、質料形態は変化して普遍原質に戻る。
人間には自由意志が与えられており、想念によって自由に顕すことができる。良いことも悪いことも。今、人間はこの自由意志を使い、自由に自分のドラマを造り、自分で演じている。
人類はこの想念を現象で使い、仮相界の仮の宿に身を置いている。諸行無常の変化して止まない世界の生老病死の四苦に持て遊ばれている。永遠なる世界に居ながら有限なる現象をあると信じ、輪廻を繰り返し生きている。
宇宙は無限生命、普遍生命であり、久遠の天国であり、神一元の世界である。本来の使命は神が現象を通して生命を顕現する為に神によって人間という神の宮が造られている。神の顕現道具を自分と錯覚し、人類は神に逆らい生きるため、久遠の天国に居ながら、有限な生き方しかできない。人類はこの真理を知る為にこの地上界で学んでいる。消えてしまう現象の中で豊かな生活をする為ではないことを学んでいる。
地上界の現象人類がこの仮の宿で生きることは完全バランスの地上界をアンバランスにさせてしまう。神に逆らった生き方をするためである。
人類は何かあると災害と呼ぶが、人災だとは気づかない。幾度と繰り返されてきた天変地異。我々、人類の心が地上界を汚し、今や、地軸が傾き、南極の氷が溶け出している。
我々人類は人間が生きる為に必要な生命の四天王、地、水、火、風を自ら汚してしまった。これは1人、1人の心のバランスを改めることで変えることができる。

 

2024年6月8日土曜日

息づかいは呼吸でない


息づかいは呼吸でない

宇宙は神1元の世界、神以外存在するものはない。
神の息が我息、我息は神の息。
息は自らの心、生命である。神が人間の媒体を通して神が息をしている。人間は神によって造られた神の表現媒体、神の働く宮である。
宇宙は1つの息によって永遠なる生命活動をしている。1なる息が多神を通して顕れている。すべては1つなる息でつながっている。
宇宙生命は無限生命、普遍生命であり、すべては1つなる観自在、無碍自在の見えない生命、愛の法則である。宇宙はこ゚の愛の法則によって成りれである。
原因なき、原因。すべてはこの原因が多神の結果を現象化させている。現象化させているものは1つなる宇宙生命が表現しているのであって、原因と結果は1つである。
人類はこの1つなるものを分離させ、造り主と造られた被造物を分けてしまった。
善悪の木の実である。実在しているのは善のみであり、善悪は存在しない。善悪は分離感で、人間か勝手に造り出した迷妄である。
神の息は1つ、1つの息の中に万象万物は息している。息は神であり、神は我である。我は神我なりである。すべては神である。神の顕れが化身として顕れている。
神が働くとは現象界で経済活動をすることではない。宇宙生命を人間の媒体を通して顕現させる為に造られた神の宮であり。人間に生きることではない。人間は現象であり、実在しないのである。



                                                                                                                                                                                                                                                              
 

2024年6月7日金曜日

我は地上界を照らす光なり


我は霊光なり

全身の細胞は光に満ち充ちている

我は世を照らす光なり

我は光りの化身なり

神は人なり 人は神なり

人類は天の使い 天使です。

 


2024年6月6日木曜日

人間に生きるは神への反逆行為


人間に生きるは神への反逆行為

宇宙は神一元の大気の世界。無形無双の大霊界である。完全なる絶対調和の愛の世界。
この1つなる愛の生命が多神を顕している。実在しているのは1つなる無形無双の観自在、無碍自在の神のみが実在している。
神は完全なる愛の法則であり、神様が他の何処かにいるのではない。宇宙そのものが神であり、無限大の愛の法則である。創造の原理である。神は法則である。
人間も現象であり。1つなる生命の表現媒体として現象化しているに過ぎない。この表現媒体をあると信じ、1つなる生命によって顕わされていることに気づかない。
人間は神に似せて造られている。神そのものである。神を顕す表現媒体として、神の道具として造られている。
その為に自由意志が与えられている。この自由意志を現象に使ってアンバランスの使い方をし、地上界をアンバランスにし、醜い争いの世界を造り出しているのは人間である。
人間がいると想う心が分離感を生み出し、勝手気ままな生き方をし、神のエネルギーを神の意志に反して。地上界をアンバランスにしている。
イエスが云われる。肉に生きるは死であると。宇宙の永遠なる中に死は存在しない。
現象をあると想う心が地上界をアンバランスにし、人間が生きる4元素、地、水、火、風を自らバランスを崩し、自らの住処を壊し、経済活動をし、更に地上界をアンバランスにしている。原因結果の法則、原因が神なら結果も神である。宇宙の完全バランスに逆らって生きている自我人間は神への反逆行為である。人間は仮相であり、存在していないものを存在していると錯覚しているだけである。



 

2024年6月4日火曜日

神は絶対バランス、絶対調和


神は絶対バランス、絶対調和

宇宙は1つなる生命体。愛の生命体が故に万象万物が現象化されている。現象化されているものと1つなる生命体は1つである。様々な現象があるのではなく、1つなる生命が様々な現象を顕している。
一度、現象化されたものを加工すると完全バランスによって現象化されたものはアンバランスになり、地上界をアンバランスにしてしまう。
今、人類が行なっているのは完全に現象化されたものをあると信じ、これを利用して生きようとする為に、地上界をアンバランスにしてしまう。
人類は科学ではなく、化学によって自らの住処を自ら壊し、地球を壊し続けている。
化学が発達すればするほど、地球磁場がアンバランスになり、最後が天変地異になる。
すべて人類が完全なる中に居ながら、自らに住処を壊し続けている事に気づいているだろうか?
人間も現象なのである。完全なる現象なのである。医学が発達しているにも関わらず、病人が増えて行く。不思議では無いか?地上界は仮想界であり、消えて行く世界で豊かな生活をすることではないことに気づかなければならない。
永遠なる中で有限なる生き方をすることではない。人間は現象を通して1つなる無限大の生命エネルギーを受け流す媒体なのである。神の宮、道具なのです。
現象に生きることは永遠なる生命の中で、有限に生きることである。これは神への反逆行為になる。1つなる永遠の中に有限は存在しない。現象は表現媒体である。          神は愛の平安なる世界。現象化しているものはすべて神である。神一元の世界である。   全知全能の神が経済活動をすることはないのである。初めから完全なのだから。      不完全にしているのは現象をあると想う心が神から自ら遠ざけているだけに過ぎない。





 

2024年6月3日月曜日

宇宙は永遠なる1つなる生命、愛の生命界


宇宙は永遠なる1つなる生命、愛の生命界

宇宙に実在しているものは永遠なる無形無双の見えない生命である。宇宙そのものが造り主、創造主である。造られたものは被造物であり、現象化している。造り主と造られたものは2つで1つである。
色心不二である。すべては1つなのである。宇宙は1つなる生命が実在している。1つなる実在が多神を顕している。1つなる実在は永遠である。創造主は永遠、造られたものも永遠なのであるが、人間は見えるものだけを見て有限な幻想に生きてしまった。人間は神に似せて造られている。本来の人間の使命は無限大の生命エネルギーを地上界に顕現させる永遠なる生命である。
これを現象を見て諸行無常の幻影の世界に生きてしまったために、変化して止まない現象界に囚われ、有限なる人生に生き、輪廻を繰り返している。此処から未だに抜け出せないで幻想に生きている。
宇宙は1つなる生命体。宇宙そのものがすべての造り主である。実在しない現象を見る為に争いが生じる。全ては1つであれば争いはない。現象に生きる事は自らの波動を下げる為、本来の我に戻れない。人間に生きる事は本当の我に戻れない。気づくまで再生される。



 

2024年6月1日土曜日

宇宙に実在しているのは無形無双の原因


宇宙に実在しているのは無形無双の原因

宇宙は1つなる無形無双の生命体が実在している。
原因なき原因が実在している。
見えるものは原因の結果であり、万象万物はすべて結果である。人間も然りである。
人類は神によって造られた神の被造物であり、人間は単独では生きることはできない。
宇宙は1つなる神が神我顕現の為にすべての被造物を神が造られている。無形無双の神、生命が現象化させている。
原因結果の法則である。全ては1つなる生命が顕している。人類はこの見えるものをあると信じて仮相の現象から抜け出せないでいる。実在しているのは原因である無形無双の生命であり、結果の見える現象なる人間が生きているのではない。無形無双の生命は永遠であり、仮相は有限になる。宇宙は永遠なる生命体であり。永遠の中にすべての万象万物は存在している。
人間には自由意志が与えられている。永遠に生きるも、有限に生きるも自由である。
殆どの人類は永遠に生きないで、仮相の有限なる仮の宿、俗世で生きている。
人類の使命は神我顕現である。神の全知全能の力、知恵を地上界に顕現させる使命が与えられている。人間に与えられているのではない。人間は神によって造られた神の顕現道具である。見える現象、人間を真実と錯覚し、人間に生きている。原因は永遠で結果は有限という事はない。原因結果は2つで1つである。
結果に生きるは分離感になり、仮相界の争い、不安、恐怖、悩みの中で、アンバランスの生き方で自縛し、幻影の世界に生きている。