囚われという字は人が「枠の中」という字になる。人間は本来は観自在、無碍自在なのだけれども外の現われて常に変化して止まない現象を見てそれをあると思い違いをしている。それに生きようとして迷い、不安、恐怖を抱き、生老病死の四苦に悩まされ、自縛して生きる。これは本来の自分に気づく為の試練であるが、大海の消えゆく泡に持て遊ばれていることに気づかない。気づくまで持て遊ばれる。これは自分で作った枠であり、人が作ったものではない。その中でそれが当たり前のように疑いもなく生きている。こ゚の枠というのは自分で作りだした固定観念である。このような枠は一切ないのに。こうしなければならないと枠の中で勝手に思っている。常に変化して止まない中に常識はない。常識とは変化しないものの中にある。見えるものは常に変化して止まない、諸行無常の世界。こ゚の世界は自分が勝手にあると思っている世界である。この自我という意識は自分で気づかない限り外すことができない。自分が自分で作った制約の枠。外は制約、内は自由。自分の中に無限大の無料の生きるエネルギーがあるのにそれを使わずして外から自分のエネルギーを得ようとする。全てがあるのに外を見るが故、ないと思っているだけに過ぎない。無限大の無料のエネルギーを引き出す能力が人間1人、1人の中に宿っている。外から得るものは知識であって知恵ではない。