2022年11月20日日曜日

宇宙は1つなる法則、無限生命なり


宇宙は1つなる生命体
無限生命体
万象万物は1つなる無限生命の現象
すべての本源本質は
1つなる生命の法則があるのみ
1つなる永遠なる絶対バランス
万象万物は生命の現象であり実在はしていない
人間も然り
実在しない人間はないものをあると信じ、
1つなるものを2心で見
善悪の木の実を食べ続けている
永遠なる1つなる宇宙法則を無視し
 1つなる生命の原理を認めず
自ら自分の首を絞め
本当の自分に生きないで
消え行く現象の仮相の中に豊かさを求め生きている
すべては2つで1つ
本来の自分が仮相の自分を現している事に
気づこうとしない
宇宙は全知全能の生命エネルギーそのものであり
宇宙にはこれ以外何もない
人間は1つの宇宙の全知全能の知恵、力によって造られた
人間は宇宙の塵にて人間の形をつくり 息を吹き込まれたと
人間は宇宙の
知恵、力を引き出す為の器であり、顕現道具である
顕現道具が生きようとする為に間違いを起こす
顕現道具が人間の母なる羊水の中で造られる為
勘違いを起こしてしまう
宇宙にはたった1つの生命があるのみである
人間は1つなる宇宙生命の化身である
原因 結果の法則
原因がつくり主 結果は造られたもの
原因と結果は同じもの
我は造られたもの 宇宙はつくり主
我は人間ではなく宇宙そのもの
全ての原点は1つである
真理は1つである
外に答えを求めることなかれ 
全ての答えは汝の裡にあり
地球は人類が宇宙バランスを学ぶ為の小学校であり
この小学校がなければ中学校には行けない
自らつくる天変地異で
人類の小学校を崩壊してはならない
天変地異を防ぐ手立ては1人、1人が持っている
お金はかからない
人間は全知全能の宇宙意識の化身である
できないものは何一つない存在である
宇宙は神1元、無限生命が我である
神は外に居るのではない
宇宙法則そのものが神である
全ては宇宙法則によって造られ
法則の中で生かされている



鍛錬記ブログはこれにて終了に致します。

 

2022年11月18日金曜日

見えるもの、見えないもの


 見えるもの、見えないもの

宇宙は1つなる生命体であり、1つの中に見えるもの、見えないものがあるということになる。
見えるものがあるということは無限の中に有限は存在しない為、見えるものはすべて現象であるということになる。
この見えるものをどうしてもあると思ってしまう。自分の意志で肉体を自由に動かすことができるため、疑うことをしない。
何故、見えるものをあると信じてはいけないのか?見えるものはすべて仮相であり、実在はしていない。仮相である見えるものを認めてしまうとその波動になってしまう。
見えるものは波動が低い。人間という形態には神の高バイブレーションの波動により形態を維持している。この肉体形態は神の波動を受けて流す道具として造られている。外を見ることで波動が低くなるため、受け流すことができなくなる。現象を我として生きようとすると現象の変化して止まないものの中で生きることで、生老病死の四苦に惑わされ永遠なる無限生命体の中で有限なる人生、輪廻を繰り返してしまう。波動が上げれば輪廻は繰り返すことはなくなる。外を見て生きるということは永遠に生きるのか?波動の低い人間、見えるものにいきるのか?が1人、1人に問われている。これは自由選択であるため、強制はできないと云われているものである。


2022年11月17日木曜日

暗示と啓示


 暗示と啓示

暗示は外から来るもの、啓示は裡から来るもの。
外は闇、裡は光。現象は想いによって具現してくる。内なる心により肉体を通して具現してくる。内なるものを具現するか?外を意識して具現するかは本人の自由に任されている。
外を見て具現するものは不完全なるものが顕れる。裡を意識して顕れるものは完全なるものが顕れる。モノを造る時、意識が高い人間が造る時、良いものができるが、外を意識して造るものからは不完全なものしかできない。意識レベルによって造られるものが変化してしまう。
原因、結果の法則である。想いが正しければ正しいものが顕れる。結果を求めては良い結果を求めようとしても求めることはできない。すべて想念の仕方で決まってしまう。
モノを具現する力、知恵は外ではなく、裡にある。
人類は今、内なる無限大の力、知恵を使わず、結果の現象の中で結果をだそうとするため、
不調和を起こし自ら生きる為の環境を自ら壊しながら生きている。
人間は万物の霊長であり、現象の暗示の生き方から心の啓示の生き方に変えることで人間という仮相から本来の我に戻って行く。宇宙は無限生命であり、永遠である。永遠の中に居て有限的な生き方を敢えてしなくても良いのではないか?人間と思う心が自分を自縛させている。本来は人間ではない。細胞の集合体の形が人間と呼んでいるだけである。生老病死は肉体を自分と思う心が造り出す。自分が細胞体と思えば肉体が自分ではないことに気づく。病気は肉体を自分であるという自我の心が作り出す。自我は存在しない。バランスが生命であり、自分である。見える姿、形が自分ではない。本当の自分は見えない中なる心、中心、意識が我である。

2022年11月16日水曜日

宇宙は全知全能の永遠なる生命体


宇宙は全知全能の永遠なる生命体

宇宙生命体は1つなる生命体であり、1つである。
1つの家族である。1つの家族の中に様々な形態を現わし現象化している。すべては1つの宇宙家族である。1つの生命の現象であり、すべては1つにつながっている。
1つなる宇宙生命は全知全能であり、すべては完全生命体の中に現象化されている。
人間も完全なる中で、1つなる全知全能の生命体によって現象化されている。すべてを持ち合わせて生まれている。全知全能の能力を備えて現象化されている。外から見ると人間の形をしているが、裡には1つなる宇宙の力が備わっている。宇宙の力によって人間という神の化身が現象化している。万象万物の使命は宇宙の無限生命を受けて流す役割を持っている。
人間はその中でも万物の霊長と云われ、素晴らしい神の顕現道具なのである。
人間は消え行く現象に生きることではなく、神の無限大の生命エネルギーを現わす道具として造られている。消え行く現象界に生きることではない。この消え行く現象界でお金を儲けに生まれてきているのではない。キリストが云われている重い言葉がある。「この世で富める者はラクダが針の穴を通るが如し」と。宇宙は完全なる永遠なる生命体であり、その中にいる永遠なる生命体が我である。宇宙には1つなる生命体があるのみである。

 

2022年11月15日火曜日

無限の中に有限なるものは存在しない


 無限の中に有限なるものは存在しない

宇宙は無限生命体であり、1つなる生命体である。
無限とは限りがない、1つということである。
無限の宇宙の中に見える万象万物が存在している。
これは実際にあるのか?1つの生命体の中には見えるものは存在しているとすれば、無限生命体にはならない。永遠なる生命体ではなくなる。見えるものはすべて現象であるということになる。
惑星と云う字は惑わす星と書く。実際には実在はしないものであるということになる。
万物も然り。人間も然り。見えるものすべて現象である。すべて無限生命の現われとして見える現象として見えている。この見える現象は1つなる生命の化身になる。
現象は消え行く存在であり、変化し空の元の状態に変化してしまうものである。
人間はこの消え行く姿、形をあると見間違いを起こし、消えてしまうものをあると信じ、生老病死の四苦に捕まってしまう。ないものをあると信じ、悩み多き人生を自分で納得し、波乱万丈の世界を楽しんで生きようとする。
ないものをあると思う心で生きると気づくまで、輪廻を繰り返さなければならない。
無限生命の中に居りながら、敢えて有限なる生き方をしてしまう。



2022年11月14日月曜日

宇宙はバランス


 宇宙はバランス

宇宙は生命そのものであり、生命はバランスそのものである。宇宙は原因なき、原因。完全なる完全バランス。中性バランス。これがすべての根源であり、すべての原点である。
宇宙は気の世界であり、物質界ではない。見えるものはすべて霊である。地上界で人間を万物の霊長と呼ぶ。すべては霊の変化、気体の変化である。元気と云う言葉を日常でさりげなく使っている。元気、元は気であるということである。人間の元は気である。肉体は気によって形態を維持している。治療士さん達は気を入れることで肉体を治そうとされている。気を入れるのは気が肉体を動かしているということである。この気エネルギーは宇宙のバランスによって生み出されている。宇宙には無尽蔵にある気である。人間はこの気によって生命が維持していると云うよりも生命そのものである。生命が息しているのである。肉体から見ると病気というが、生命から見ると生命が肉体を造ったものを無視して肉体を勝手に使い、アンバランスを起こしているという見方になる。肉体に病気はあっても生命には病気はない。
病気は気の病。気が肉体を造っているにも関わらず、肉なるものが勝手に大量に気を使ってしまい、バランスを崩している。気という生命が細胞を造るエネルギー不足で病んでいる。気が不足すると細胞が造られず、身体に支障を来す。バランスを崩しているのは肉体を自分と思う心がバランスを崩している。病気を治すにはこのバランスを整えることである。
肉体を自分と思っている人間にはこれが理解できない。肥田先生も天真療法の中でそれを行うものが少ないことを云われている。すぐに医者に駆け込む。
すべては1つなる生命は陰陽のバランス、中性で宇宙は永遠なる生命である事を人間は理解し難い。人間は中性生命体であり、人間という形をした生命体が我である。バランスが生命であり、我である。宇宙は1つであり、存在しているものは1つしかないということである。


2022年11月13日日曜日

生命は法則なり、我も法則なり。


 生命は法則なり、我も法則なり。

宇宙は絶対バランス。バランスが生命であり、こ゚のバランスなくして生命が生まれることはない。
宇宙は原因なき、原因。初めから絶対バランス、絶対調和、中性なる生命体が宇宙である。宇宙は1つなる生命細胞体である。宇宙は1つの躬である。
宇宙の中で人間は見える存在ではない。あまりにも小さく、存在すらわからないほどミクロの存在である。人間を造っている細胞体は更にミクロである。人間には外を見る為に五感が備わっている。本来は内なる生命が肉体を維持しているが、外を見る五感も使えるようになっているため、見えるものに生きてしまっている。本来は内なる生命が生命エネルギーを放射させるために造られているものを五感で使って肉体に生きてしまっている。五感を使って肉体を使うと裡からのエネルギーではなく、外部からエネルギーを取るようになり、肉体を自分として生きてしまう。
裡からの生命エネルギーを外に出す為に造られている器を外からエネルギーを入れて使ってしまうため、不調和を起こしてしまう。裡から使うことでバランスが保たれているものを真逆に使ってしまっている。宇宙は永遠の法則であり、真逆の生き方から法則が我であることに気づくための現象界である。法則を知り、法則の我に戻って行く。我は1つなる宇宙法則なり。


2022年11月12日土曜日

仮の宿からの離脱


 仮の宿からの離脱

人類は宇宙生命体の中に存在している。見える形があると思う心が、錯覚を生み、人類が迷路の中から抜け出せなくしている。有限な現象をあると信じ、人間は死ぬものであると信じて疑わない。
宇宙は永遠なる死なない生命体ありながら、形が消えることを死と呼んでいる。現象は見えない生命の現われであり、現象が変化しても生命は死ぬことはない。宇宙は1つなる生命体が様々な形態を造り、その中で1つなる宇宙生命が活動をしている。様々な形態に死があるとすると宇宙は永遠ではなくなる。
生命とは生命質料と霊エネルギーの絶対調和、バランスが生命であり、宇宙はこ゚の絶対バランス、中性生命体で永遠なる生命が保たれている。
見える現象は見えない意識で動かされている。肉体が意識を持って動いているのではない。
死ぬ時、意識が無くなったという言葉を使う。肉体と意識が分離する。意識が肉体から離れてしまう。本当の自分は姿、形ではなく、見える姿、形に宿る生命が我であり、肉体が我ではない。肉体に宿る意識が我であることに現象界で気づいて行く。
見えるものに囚われてしまうと見えない生命に気づかなくなってしまう。生命が見える肉体を動かしていることに気づくには心を多く使うことで気づいて行くことができる。この気のエネルギーは無料であり、無限大である。無限大の我であるが故に使えるエネルギーである。使えるということは自分がエネルギーであるということである。本来の我はエネルギー体そのものであったということである。見える我から見えない我に意識を切り替えて行く。仮の宿からに脱皮は意識の切り替えで行う。宇宙は1つである。1つの中には他のものは存在しない。すべて宇宙生命があるのみである。宇宙は1つなる家族、1つなる生命である。すべての国、民は1つなる生命である。すべては1つである。こ゚の中には争いは起きることはない。見えるものをあると思う心が争いを引き起こしている。日本には「おもてなし」と云う言葉がある。表ではなく見えない心でもてなすということである。


2022年11月11日金曜日

宇宙意識


宇宙意識

宇宙は1つなる生命体。故に無限なる永遠なる生命体である。すべては1つである。 宇宙は1つの見えない生命生命体。1つの中には2つは存在しない。見えるものは1つなるものの現われということになる。
万象万物は1つなる生命の放射体、1つなる生命の活動。姿、形の生命体があるのではなく、1つなる生命が形態を自ら造り、生命活動をしている。陰陽の法則である。
生命活動は法則に基づいて生命体は活動している。永遠なる生命活動である。
人類は地球という惑星の中で生命活動をしている。人類がいるのではなく、宇宙生命が地球という細胞体を造り、その中に人類という細胞を現象化させている。人類は万物の中でも非常に高い波動を持った形態である。生命エネルギーを多く放射できる媒体である。
宇宙は1つなる無限なる生命体であり、地球という波動の低い惑星を波動の高い惑星にすることで太陽系を安定させることができる。その為に人間と云う形の波動の高い媒体を使うことにより、波動の高い安定した光る惑星にさせることができる。宇宙は1つなる生命体。気体の世界。宇宙は1つなる絶対バランスの世界。
人類は外を見るが故に外の現象をあると信じ、善悪の木の実を食べてしまい、まだ善悪の木の実を食べ続けている。仮相の木の実に気づかない。1つしかないものを2つあると思いから抜け出せない。すべては1つなる生命、1つなる意識があるだけ。この1つなる永遠なる生命の中に居ながら、有限なるものがあると信じ、実在しない生老病死の四苦の中で自縛し、仮相の世界に生きている。
すべては1つなる宇宙生命意識があるのみ、人間という現象意識から1つなる生命意識に切り替える。仮相の地獄界の意識から実相の天国の意識に切り替える。これは人類が現象界で成さねばならない使命である。これは1人、1人が自分の裡に求めて行かなければならない青い鳥である。
宇宙は全知全能の知恵、力である。この全知全能が宇宙生命であり、これが我である。
人間という形態は完全なる宇宙生命体の化身であり、すべてを持って生まれて来ている。
無限生命の放射体として人間の形態は造られている。生命エネルギー放射媒体である。放射体が外からエネルギーを取ることはない。外からエネルギーを取り、人間を生きるのではない。本当の我は姿、形を持たない。生命エネルギーが我であり、ミクロ生命の我であり、ミクロ意識である。


2022年11月9日水曜日

生き方には発酵と腐敗の生き方がある。


 生き方には発酵と腐敗の生き方がある。

自然界には発酵と腐敗がある。人間は発酵食品を利用している。味噌、醤油、納豆等。
発酵と腐敗の違いはエネルギーを入れて行くのか?エネルギーをなくして行くのかの違いである。発酵は芳醇な香りがするが、腐敗はくさい臭いがしてしまう。良い香りの所にはハエは寄り付かないが、くさい臭いの所にはハエがよってくる。
人間の生き方も積極的な生き方は発酵であり、消極的な生き方は腐敗的な生き方である。
積極的な生き方はエネルギーを引き込むが、消極的な生き方は周りからエネルギーを奪ってしまう。積極的な生き方は人を幸せにするが、腐敗的な消極的な生き方は周りを不幸にしてしまう。元気な人の細胞を顕微鏡で見ると赤血球の細胞が小さいが、不安を抱えている人の細胞は細胞が荒い。細胞が細かいということはそれだけエネルギー高いということになる。
荒い細胞は寄り集まっている。類は類を呼び、同じ波動の人たちが集まる。これはエネルギーが低いということになる。元気な細胞は小さく寄り集まっていない。細胞が細かいほど界面活性でよりエネルギーが多く持っている。
このエネルギーはお金がかからない。無料である。使えば使う程、自分が元気になる。自分が元気になることで周りを元気にさせることができる。人を幸せにしようとするするのではなく、自分が元気になることで周りを幸せにすることができる。積極的な生き方が自分を健康にして行く。健康になる為に体を動かすこともさることながら、心が変われば肉体は変わってくる。





2022年11月8日火曜日

パワースポットは汝の内にあり。


 パワースポットは汝の内にあり。

宇宙は中性なる永遠なる生命体である。無限大のエネルギー体であり、すべてがエネルギー体である。
宇宙は見えない永遠なる無限大のエネルギーであり、自然界も宇宙法則の相似形であり、形あるものはすべて生命エネルギーが宿しているが故に形として現象化されている。ピラミットの中心にはエネルギーが存在する。其処にお棺が置かれている。形のあるものはすべて中心があり、其処にはエネルギーが宿り、現象形態を現わしている。人間も身体の中心に生命エネルギーが宿り、形態を現象化させている。
人間は万物の霊長と云われ、鉱物、植物、動物より、高バイブレーションである。最も高いパワーを持っている。この波動を認めないと使う事はできない。見えるものは低波動であり、見えないものは高波動である。人間形態の中心には神の高波動のバイブレーションが宿っている。この高バイブレーションは神であり、宇宙の無限大のエネルギーを受け流す受信機である。人間は神の波動を受け流す媒体が人間の形をしているだけである。人間がこの世で生きる為にいるのではない。エネルギーを受け流す媒体なのである。神は無形無相の高バイブレーションであり、人間の媒体に宿る受信機も同じ神の波動を持っている。こ゚の受信機である高バイブレーションが本当の自分である。自分探しというのはこの神の波動が自分であると実感することである。
パワースポットとは神のエネルギーのことである。人間にはこのパワースポットが人間の中心に宿している。このパワースポットを使い、解脱し、人間を卒業して行く。本来の我、神我に戻って行く。


2022年11月7日月曜日

病気は自分の意識が造り出す。


 病気は自分の意識が造り出す。

万象万物は永遠なる完全なる宇宙生命体の中に存在している。永遠なる生命体の中には病気は存在しない。宇宙生命体は無限生命体であり、形は持たない。形を持つのは波動の低い自然界である。
人間は本来宇宙生命体であり、見えない存在であるが、外の見える世界に意識を合わせるため、中々高波動の本来の我に戻れない。現象界は諸行無常の変化の世界であり、この仮相の世界をあると信じる心がある為、この現象界を抜け出せない。小学校の卒業試験にパスできない。
この仮想の現象界をあると認めてしまうと諸行無常の変化の世界の生老病死の四苦に捕まってしまう。本来肉体は意識によって動かされているが、肉体を自分と思っているため、諸行無常の変化に飲まれてしまう。肉体が病気になるのではなく、意識がアンバランスになり、肉体を病気にしてしまっている。肉体は意識の表現体であり、意識に忠実に動く操り人形である。
嬉しい時には肉体は嬉しい表現をするし、意識が悲しいと思うと悲しい表現をしてくれる。
意識に忠実に表現してくれる。
人間は意識の表現媒体であり、肉体を自分と思うのではなく、意識が自分であると切り替えることで病気から抜け出すことができる。肉体を自分と思っている時は生老病死から抜け出すことはできない。本当の我は肉体ではない。意識、心である。肉体は心の操り人形であり、心は肉体の操り人形ではないのである。すべて想ったことが顕れる世界が宇宙生命体である。
見える世界は幻想であり、これに惑わされてはならない。万象万物はすべて現象である。
万象、地球を取り巻く星々を惑星(惑わす星)と書く。幻である。日本語は真理を現わす言葉である。真理は1つなるものである。中性なる愛のバランスであり、すべての原点である。




2022年11月6日日曜日

人間はバランスで生かされている。


 人間はバランスで生かされている。

宇宙は1つなる絶対なる中性バランスが宇宙生命体である。2つで1つの絶対バランス、陰陽の法則である。この中性バランスが生命であり、すべての根源なるものである。これ以外何もない。この根源なる生命は形を持たない。法則が独存している気体の世界である。空の世界、何も見えない世界だけが存在している。宇宙の1つなる生命、空生命が実在している。現象の人間からはこの見えない生命が自分であることは理解し難い。
原因、結果の法則は見えないものが見えるものを現わしている。すべて原因は形を持たない。パンも様々な形のパンを作ることができるが、その材料は1つの小麦粉が原料である。原料は形を持たない。人間も現象化された形であり、様々な形のパンのようなものである。人間の材料は宇宙の質料とエネルギーが材料になる。現象化されるのはバランスによって具現化される。其処に生命が宿り、細胞分裂により細胞が集合化され、見える形になってくる。
見える形の中にある細胞は形が変化してまた原点に戻るが、細胞の集合体の形が無くなることを死と呼んでいるが形が無くなるのであって材料とエネルギーは無くなることはない。見えなくなるだけである。原点は1つ。宇宙は1つなる中性バランス、これが中心生命である。すべて中心バランスによって生命活動がなされている。
自然界もこの宇宙のバランスの見える形のバランスで動いている。人間はこの現象をあると信じてしまう為、形が無くなることを死と呼んでしまう。質料が変化しているだけなのであることに気づかない。雨が降る時、山を見ていると気圧の変化で木々の間から水蒸気が上がり、雲になって行く様子が見える。見えない水蒸気が冷やされて雲に変化して行く様子が手に取るように見える。同じものである。見えないものと見えるものは同じものである。低気圧の時には見えるが高気圧の時には見えない。波動が低くなると見える。人間も形があるということは波動が低いということになる。
見えるものも見えないものもすべて中性バランスの中で変化している。肉体もこ゚の中性バランスで細胞群が働いている。このバランスを崩さなければ病気にはならない。病気は気の病であり、悩み、不安、恐怖を持つことでエネルギーが使われ、エネルギー不足になることが気の病である。人間は仮相の人間を生きようとする為にエネルギーを生老病死の四苦に使ってしまう。病気の原因はアンバランスの生き方により起きてくる。肥田式の天真療法は身体のバランスを整えることにある。




2022年11月5日土曜日

宇宙は愛の創造原理


 宇宙は愛の創造原理

宇宙は1つなる生命体である。1つなる生命は質料とエネルギーの絶対調和、陰陽のバランスである。このバランスが生命であり、創造の原理である。
宇宙は無限大の生命エネルギーであり、意識によって具現することができる。すべての万象万物はこの生命によって具現されている。今の3次元の世界でも同じように行われている。
意識したものが顕れる。何処へ行きたい。何かをしたい。美味しいものを食べたい。すべて自分の意識が肉体を通して現実化している。肉体が何かをするのではなく、意識が肉体を動かしている。見えない意識が肉体を動かしているのである。人間は肉体が自分と思ってしまう為に肉体意識で動いてしまう。意識は無限大であり、何でも創造することができる。
今の人類社会は人間が創造したものが顕れているだけである。良いことを思えは良いことが現象化する。悪いことを意識すれば悪いことが顕れる。争いを意識すれば争いが顕れる。想像したものが顕れているだけである。「想念は実現の母である。」人間にだけこの想念を自由に使える権限が与えられている。今、この意識想念を人間は良い方向には使っていない。自爆のために使ってしまっている。
意識は創造であり、見えるものは結果現象である。人間は見えるものだけに囚われて見えない意識に目を向けない。意識が現象化させるのであって物質が物質をつくるのではないのである。意識は無限大である。しかも無料である。この意識が創造原理であり、完全なる、中性なる宇宙生命である。完全なる中にいるものは完全なるものを具現できる。この想念を正しく使うことで人類を争いのない世界に導くことができる。お金はかからないのである。
宇宙は完全なる永遠の世界であり、人類は仮相の有限なる生き方から本来の永遠なる生き方に気づいて行くためにこの現象界の幻影の仮の宿がある。何故、この世を俗世、仮の宿、浮世と云う名がついているのだろうか?日本語は真理を現わす言葉である。真理は1つなる見えない永遠なる生命、神のことである。宇宙の陰陽の中性バランス。こ゚の中性バランスが宇宙生命であり、創造の原理である。意識の世界、1つなる宇宙意識の世界である。宇宙はお金のかからない完全なるフリーエネルギーの世界、人間という姿、形は宇宙の無限大の生命エネルギーを顕現させる器が人間の肉体なのである。肉体を使って働くのではない。宇宙は無限大の知恵、力であり、これを現わす為に人間と云う媒体が造られているのである。
自分を捨てた時、力が出るのは宇宙力の力である。自分がある時、この力を使うことはできない。無我の境地、自分は存在しないという証ではないか。人間と云う見えるものに囚われてしまうと力を出すことはできない。無限の中に有限なるものは存在しない。人間も万象万物も現象である。宇宙は見えない原子と電子の世界である。形のない世界である。



2022年11月3日木曜日

分離感が人類を縛っている。


 分離感が人類を縛っている。

今、人類は争いに明け暮れている。人類は何故、争わなければならないのか?
宇宙は1つなる生命であり、1つの中で争いが起きてしまうのか?
これが善悪の木の実である。1つなるものの中には善悪は存在しない。宇宙は気体の世界であり、物質の世界ではない。見えないものがバイブレーションを下げることで見えるものに具現化している。具現化されたものだけを見てしまう為、分離感を抱いてしまう。元は1つなるものである。1つなるものの現われである。
現れをあると思う心が争いを引き起こしてしまう。見えないものが見えるものを現わしていることが理解できれば、見えないものからものを具現することができる。この事に気づくために人類は争いを起こしているように感じる。人を殺し、戦いに勝っても幸せになることはできない。本当の幸せは争いの中ではなく、自分の中にあることを知る為の学びである。本当の自分は肉体が死んでも死なない。仮相の我に死んでも本当の自分には死ぬ事はない。この世は実在しないバーチャルの世界である。我は宇宙の永遠なる生命が我であるから。
この分離感が人類を縛ってしまっている。この分離感からの解放が人類の解放である。そこには争いはなくなる。人類の使命は宇宙生命エネルギーを肉体の媒体を使って放射させることであり、現象の世界を生きることではないのである。宇宙は無限大の全知全能の力であり、知恵である。すべて持って生まれているのである。
「十で神童、十五で天才、二十過ぎれば只の人」人間と云う現象に生きると全知全能の知恵も力も使えないということである。生きているのは生命であって人間ではないのである。
人間と云う幻想に生きるから全知全能の力が使えない。
この世で一番怖い人間は「地位もお金も命もいらない」人間である。自分を捨てられる人間が1番強い人間である。何かを身に付けて強くなることではないのである。誰も持っているものである。自分を捨てる。無我になることである。無我になると何故強くなれるのかと云うと宇宙の力が使える。中心力、宇宙力が使える。宇宙力が肉体を通して現れる。無限大のエネルギーが本当の我である。本当の我は見えない生命である。人間は生命の化身である。人間が消えても生命は消える事はない。永遠である。









2022年11月2日水曜日

争いは生き方が間違っているというメッセージ。


 争いは生き方が間違っているというメッセージ。

宇宙は1つなるものである。1つなる宇宙の中に存在している。1つの中に争いは存在しない。争いがあるということは1つではなく2つが存在するということである。宇宙は1つなる宇宙である。その中で何ぜ争いが生じてしまうのか?それは1つの中で分離感を持つために争いが生じてしまう。宇宙は1つなる生命が独存するだけである。1つなる生命体の中で見えるものと見えないものが存在するが、見えないものが見えるものを現象化させている。すべては1つなるものの現われである。1つなるものの様々な現われをあると思う心が分離感を生み、自己保存の為に争いを引き起こす。本来は永遠なる1つなる生命体であるが分離感のため有限な意識になってしまう。永遠なる生命体の中に居ながら争いを起こすことで有限な生き方に波動を下げ、自ら進んで地獄に落ちてしまう。一度波動を下げると上げることは困難である。我々は永遠なる天国にいながら、見えるものに囚われ、仮相の地獄界に生きてしまっている。天国、地獄は意識の状態である。目に見えるものを追い求めて生きるものは地獄界の住人ということになる。宇宙は1つなる天国の世界である。誰もが1つなる永遠なる天国に存在しているのであるが、実在しない仮相の地獄を自らつくり、仮相の世界でしか使えない財産、幸せを求め、不安、恐怖、悩みの生老病死の世界を楽しんでいる。不安、恐怖、悩みがあるということは生き方が間違っているというメッセージなのである。本来は永遠なる平安があるのみである。この世を俗世、仮の宿と云われているのはこの世は本宿ではないということである。この世の争いは生き方の間違いを見つめるメッセージである。争いでは両方が良くなることはない。争いはアンバランスなる波動が起こしてしまう。1人、1人の心の波動を上げることで争いはなくなる。そろそろ人類の波動を上げようではないか。宇宙は永遠なる生命体である。幾ら見えるもの、現象を破壊しても本質の生命はなくなることはない。死んでも死なないのである。仮相界を自ら作って争いを起こし、演じているだけに過ぎないのである。
すべてのすべてありてあるものは1つなる永遠なる法則であり、1つなる宇宙生命である。
人間は宇宙の中には存在はしない。見える万象万物はすべて仮相である。幻影なのである。
実在するのは永遠なる1つなる生命、陰陽の法則だけが実在する。









2022年11月1日火曜日

すべては1つ


 すべては1つ

すべてのすべてありてあるものは1つなる無限なる生命である。永遠なる宇宙生命があるのみ。全て完全の中にいる。これが原点である。この原点からものを見ることですべての問題が解決できる。
すべてが1つなら見えるもの、見えないものすべて1つである。1つの中に時空間は存在しない。この原点から考えることですべてが解決できる。
完全の中に不完全はありえないのである。これが宇宙の法則である。
様々な言葉、様々な現象、様々な形、すべて1つなるものの現象ということになる。日本の国旗も1つ目である。
原因は1つ。結果は様々な現象、原因は1つ。この原因のことを、神、仏、霊光、天照大神と呼んでいる。すべては1つなる宇宙生命体のことである。真理は1つ。宇宙は陰陽の法則である。結果から原因は探ることはできない。真理は1つ。宇宙は1つ。見えない生命を神と呼んでいるだけである。1つの見えない宇宙生命体を見えるものだけで分離感で判断してしまう為に様々な神を打ち立ててしまう。人類がこの現象界から抜け出す為にキリスト、ブッタが現れたが、その道を宗教と言う思想が閉ざしてしまったが、またこの人類の根源の1つなる宇宙の法則の道を開こうとする方々が現れて来ている。
すべての原点は1つである。原点は2つはない。これは真理である。見えるもの、見えないものすべて神である。神一元、仏一元、天照大神一元である。すべては1つなる生命である。
物事を簡単に考えよう。真理は1つである。宇宙は1つなる永遠なる生命、これが原点である。限りなく小さく、限りなく大きい宇宙。これ以外何もない。我も見えない生命である。
真理は単純である。1つの中に争いはない。争いがあるのは2つがあると思ってしまう為に起きてしまう。色心不二。見えるものも見えないものも同じもの。見えない空には無限大の質料が存在する。争わなくても空より自由に取り出す時代になってくる。物質の取り合いで争いを起こしている人類。無限大の空より取り出せば争いは必要なくなる。
宇宙は1つなる完全なるものであり、全知全能の力、知恵である。人間は現象であり、実在していない。人間という媒体を使って知恵を出しているのは見えない生命という神である。
人間は宇宙生命体の媒体であり、神の受信機である。無限大の力、知恵を受け流す媒体が人間という神の器である。肉体が自分であれば死ぬ時、自分で決められるはずであるが、決められないといういう事は自分のものではないということになる。全ては1つなる宇宙生命体の現象、見える万象万物は実在しない仮相、幻影である。地球も空に浮いている。地球からロケットが宇宙に飛び出す時、宇宙と地球との境目はないではないか。全ては1つの現象である。宇宙は見えない気体の世界である。1つなる空の世界。見えるものはバイブレーションが低い為に見えているだけである。見えないものがバイブレーションを下げ、見えているだけであり、全ては1つである。宇宙は1つの細胞体であり、万物万物もその中の同じ細胞体である。人間の中も細胞体であり、細胞体の中は空間は存在しない。宇宙も同じであり、時空間は存在しないのである。