2022年4月30日土曜日

肥田式鍛練者よ。あなたは肥田先生より何を引き継ぐのか?


 肥田式鍛練者よ。あなたは肥田先生より何を引き継ぎますか?

肥田式に何求めますか?この世でお金儲けの為に肉体鍛錬をするためですか?健康を維持する為ですか?人の自由意志は犯すことはできませんが。
中心力とは宇宙力のことであり、肥田先生がこのことを伝えて頂いた。自分は何をすべきなのかを自分で考え、実践して行くことにある。評論家は必要ない。肥田先生が特別ではない。中心力は誰にも備わっている。この力、知恵どのように使うかである。中心力で全ての波動を変えることができる。
自分は小さな存在と思うかもしれないがそうではない。お釈迦様が云われている。「3千人のひもじい人に飯を盛るより5分間霊性でいなさい」と云われている。肥田先生は意識は1つであり、見えないものが見えるものになっているだけである。肥田先生が超能力を出したかが問題ではない。如何に1人、1人の中に肥田先生が引き出した井戸が誰にも持っている。この井戸は意識によって引き出される。想念は実現の母である。すべてが備わって生まれて来ている。この力は無限大である。人それぞれに自分の環境で引き出して行く。すべて無料である。21世紀は空の無限大のエネルギーを引き出す時代になってくる。無尽蔵のエネルギーは中心力、陰陽のバランスより宇宙の無限大のエネルギーを引き出す時代になってくる。
中心力を理解することで肥田先生と同じ力を出すことはできないかも知れないが、1人、1人には肥田先生と同じ知恵、力が備わっている。その力を如何に引き出すかはその人自身である。
肥田先生を崇めたてるのではなく、誰もが肥田先生と同じ能力を持ち合わせている。偶像崇拝は人をダメにしてしまう。肥田式強健術は肉体の中心を取ることにより誰もが宇宙力をが使えることを肥田先生は教えてくれている。風穴を開けてくれたのである。
1人、1人の中に同じ生命エネルギーが宿っている。各自が自分自身の中に求めることが人類救済になる。物質では人類救済はできない。争うも防ぐこともできない。すべては1つなる生命体であることに気づくことですべてが解決する。人類の争いを防ぐには1人、1人の波動を上げて行く必要があるということである。争いは波動が低い為に起きてしまうのである。



 

見えるもの、見えないもの2つで1つである。


 見えるもの、見えないもの2つで1つである。

宇宙には原因、結果の法則がある。原因は見えないエネルギー、結果は質料にエネルギーを宿した見えるエネルギー。色心不二である。
見えるものはすべて現象であり、結果であり幻である。人間は見える姿、形を自分だと信じて疑わない。故に影、幻に本来の我が動かされてしまう。このことをお釈迦さんが解明してくれている。今もこのことに気づく人がいない。生老病死の四苦から今だに抜け出すことができない。
真理を理解して伝える人が出てこなかった。今これが理解し、伝える人が現れ、それを伝えようとする人達が出てきている。この仮の宿でお金儲けに来ているのではない。真理を理解し、本来の自分に気づく為である。答えは全て裡にある。「中心の鉄扉を開かずして生涯を終わるものは 米を抱いて餓死するが如し」である。人間に生まれて来ても死んでいるようなものであると。キリストも云われている。この世は死人だらけであると。



2022年4月29日金曜日

肉体はエネルギーを受けて流す道具である。


 肉体はエネルギーを受けて流す道具である。

宇宙は1つなる生命エネルギー体であり、中性である。すべての原点は中性エネルギーであり生命エネルギーが形を現わし、その中で生命活動をしている。その結果が見える動くものになっている。見えて動いているものはエネルギーの現われであり、現象である。この見える形をあると信じて自縛している。
見えるものは見えないものの現われ、結果である。結果はつくられたもの、つくられたものは消えて行く存在。作り主はなくならない。人間はつくられたもの、人間を作っているものは生命である。生命が宇宙の根源である。根源で生きれば永遠であるが、形で生きれば消えて行く存在である。人間はエネルギーを受けて流す器であることが理解できれば永遠なる生き方、本来の生き方に戻ることができる。中心力、生命エネルギーが原因の我であり、見える人間の形は光を受けて流す道具あり、道具の中に本当の我が息している。これに如何にして気づくかが今生で何を差し置いてもなさねばならないことなのである。


2022年4月28日木曜日

すべてのものは裡から外へ


 すべてのものは裡から外へ

宇宙の因果の法則。すべて見えないものが見えるものを現わしている。中心よりすべてのものが顕れる。外のものは結果であり、結果が結果を顕すことはない。肥田先生が「天寵無限」と云われる。すべて裡から無限大の生命エネルギーが外に顕れてくる。これが宇宙の陰陽の法則である。青い鳥である。
人間も原因、結果の法則で現れている。結果なのである。見えるものはすべて結果である。見えるものはすべて仮相であるということになる。実際にはないということになる。実在していないということである。人間は消えてなくなる見えるものをあると信じて囚われて生きている。波乱万丈の人生を楽しんでいる。
宇宙は有限ではないのである。無限なる宇宙である。永遠である。万象万物はこの中で生かされている。無限大の中に生かされているということは有限的に生きてはならないということである。死に向かって一生懸命働いて財を求めて行く人生に不思議を感じない。宇宙の無限なる中で有限なる結果の人生を生きることではないことに気づき無限なる生き方に気づく為にこの現象界、消えて行く現象があるのである。人間は何をすべきなのかに気づいて行く現象を仮の宿、俗世、浮世と呼ぶのである。答えは外ではなく裡にありである。「敵は本能寺にある」である。
宇宙は波動の世界であり、波動の低い世界を地獄と呼び、波動の高い世界を天国と呼んでいるだけで天国も地獄も波動の違いだけである。見えるものは非常に波動が低い。地獄界であるということになる。想いで天国か地獄に生きるかを自由に変えることができる。想念は実現の母である。裡に生きるは天国、外に生きるは地獄ということになる。
すべては自分が決めるものである。死んだら天国に行けるわけではない。生きているに天国にいなければ、死んでは天国に行けることはないと云われている。裡は天国、外は地獄である。あなたは今、どちらにいますか?天国というのは中心バランスのことであり、善悪のない1つという意味である。





2022年4月27日水曜日

中心力からのメッセージ


 中心力からのメッセージ

中心力とは宇宙の永遠なる生命。このエネルギーによって万象万物は生かされている。見えないエネルギーによってすべてが生かされている。人間は生かされていることを感じることができず、自分で生きていると信じて疑わない。すべては1つなる生命によって生かされていることを知ることで、争いは無くなることを肥田先生は伝ええたかったのだと思う。
中心力は宇宙力であり、すべての根源である。こ゚の根源を人類が気づかない為に争いを起こす。すべての答えは裡にあり、1人、1人が答えを裡に求める時、答えが出てくる。
戦争、争いを防ぐのに軍備は必要としない。人に頼って自分の人生を生きることは物食いであり、乞食である。外から求めなくても良いのです。すべては裡にあることを1人、1人が気づくことである。全て持っている自分に気づくことである。
宇宙は中性であり永遠なる絶対バランスであり、その中で人類は宇宙エネルギーによって生かされている。完全の中にすでに生まれ育っていることに気づくことである。
人類の使命はすでに完全なる生命エネルギーを放射して生きることにある。
生命エネルギーである人間は波動の低い動植物から敢えてエネルギーを取ることはない。人間は万物の霊長である.。中心力を通して人類に提示されているのかもしれない。


2022年4月26日火曜日

何ぜ、人間の思考停止が潜在意識の覚醒とつながるのか?


 何ぜ、人間の思考停止が潜在意識の覚醒とつながるのか?

肥田先生は肉体を使い、腰椎4番、5番の反折により脳幹部に刺激を与え、脳幹部の思考を停止させることで宇宙から全知全能の力を引き出している。
人間は教育と云って知識を身に付け、脳力を身に付けようとしているが、肥田先生は逆に五感を停止させることで、宇宙の全知全能の知恵、力を引き出している。
宇宙は1つなる生命体である。その中に目に見えない存在すら感じることのできない人間が現象化している。人間は宇宙の塵に息を吹き込まれ生きるものになったと聖書に書かれている。宇宙は1つなる生命体であり、その中で生かされている目に見えない細胞体に過ぎない。人間という小さな細胞体は宇宙の生命体の一部であり、人間は存在していない。宇宙は1つなる無限生命体であり、有限なる形は存在しない。人間のちっぽけな知識を停止させ、宇宙のバイブレーションに合わせることで宇宙力が使えることを肥田先生は云われている。万物の霊長と云われる人間の仮相は何をすべきなのかを提示されている。人間は小さな仮相の人間に囚われると能力は使えないということである。人間という自我を無くし、無我になる時、力、知恵が使えるということである。
1人、1人の裡に引き出す力が宿っている。心身一体になり中心力を引き出す。
人間は消えて行くものをあると信じて見えるものを奪い合いをする。肥田先生は蜂蜜のことをハチの持ち物を取るなと云われるのは人間は万物の霊長であり、すべての力を与えられている。それを使いなさいと。この力の使い方が脳幹部の思考停止である。


 

2022年4月25日月曜日

肥田式は天と地のかけ橋の鍛練である。


 肥田式は天と地のかけ橋の鍛練である。

肥田式は聖中心道肥田式強健術である。聖とは神のことを指している。
中心力とはバランスであり、宇宙は無限大の陰陽の絶対バランスである。肥田先生が神の子、神の器と云われるのは原因が神なら結果も神ということである。因果の法則である。すべての万象万物は神である。見えるものはすべて神、見えないもの空も神である。すべては1つなる宇宙生命体である。その中で人間の質料形態も変化している。人間は変化して見えなくなる事を死と呼んでいる。
天寵無限という言葉も無限の中に有限は存在しない。1つの中に2つは存在しない。
すべて1つの細胞体であり、1つの中に時空間は存在しない。
人間の身体もフリーエネルギーであり、陰陽のバランスで存在している。筋肉鍛錬をして使うのではなく、心身一体となり使う。霊肉一体として使う。天と地のかけ橋。心身一体で使う。これが天寵無限である。天は無限のエネルギー、地はそれを受ける器である。
健康はバランスであり、中心力であり、外部からエネルギーを入れて健康にすることではない。すべて完全なる中に生まれ、育っている。アンバランスが生命バランスを崩している。
天真療法はこの生命のバランスを取っている。
エネルギーは外から入れるのではなく、裡にエネルギーは存在している。中心力は外にはない。1人、1人がこれに気づき、自分の井戸を掘る時、地上ユートピアが可能になる。
21世紀は今までの考え方が真逆になって行く。



意識とは


 意識とは何か

人間が無くなる時、意識が無くなったと言う。意識が無くなると肉体は動かなくなる。人間はそれを死と呼んでいる。生きている時は肉体を自分だと思っている。死ぬ時、意識が無くなることを死と呼ぶ。また肉体から魂が抜けたとも言う。そのように言っていながら、肉体を自分だと信じている。肉体は自分ではないことを口では言っていながら、肉体、見えるものしか信じない。この世の見えるものは見えない本物に気づくための現象界である。病気も死もメッセージである。実在しない現象から本当の我に気づくためのものである。
人間は原因、結果の法則を知らない。現れているものは結果であり、見えるものは必ず現わしているものが存在することに気づかない。
結果の世界で経済活動をしても一時的には良くてもすぐに消えてしまう。これが今の経済の状態である。消え行くものにしがみつき、それを維持しようとしている。人間は万物の霊長である。全知全能の力が使える。それに気づくためのメッセージが見えるものは幻であることに気づく。最大のメッセージは天変地異である。

2022年4月24日日曜日

宇宙生命と不老不死


 宇宙生命と不老不死

宇宙は1つなる無限生命であり、中性の生命体。陰陽の中心バランス。愛の法則である。
肥田先生は中心力を養い、宇宙は不老不死の生命体であることに気づかれておられた。機械的に中心を取ることで宇宙生命とつながることを体験されておられた。人間の身体も小宇宙であり、大宇宙である。
宇宙は完全であり、宇宙の中にいる万象万物は全て永遠である。肉体は変化するが、永遠であり、肉体に宿る生命が割れであり、永遠なる存在なのである。形は無くなるのではない。変化して見えなくなるだけである。本源本質は永遠なのである。永遠の中に居て有限は存在しない。故に人間という形は変化するだけであり、無くなることはない。
肥田先生が云われる不老不死は宇宙の永遠なる生命のことを云われている。
見えるものはすべて仮相、見えないものが実在している。これが宇宙である。宇宙にいるものはすべて宇宙人である。人間も宇宙人であり1つなる宇宙生命である。




宇宙は初めから無限大の大バランスであり、永遠なる宇宙である。全ての万象万物はこの中で息している。

2022年4月23日土曜日

宇宙の中心、万象万物の中心、我の中心、すべては1つの中心なり

 


宇宙の中心、万象万物の中心、我の中心、
すべては1つなる中心なり

中心とは陰陽のバランス、法則、これが中性、生命である。この中に生まれ、育ち、生かされている。宇宙から見たら人間は取るに足らない存在である。
人間は自分で生きていると信じて疑わない。生かされていることに気づかない為に地球という惑星の中で好き勝手なことをしている。バランスが自分を作っていることにも気づかない。バランスが生命であることに気づかない。
地球のバランスを崩しているのは自分であることに気づこうともしない。人間は悪を取り除こうとして争いを起こしているが、悪は悪では取り除けないことを知らない。何故?宇宙は中性バランスであるためである。マイナスを取り除くにはプラスを用い、調和し、中性に戻さなければ取り除くことはできない。
宇宙は陰陽のバランスで調和を保っている。マイナスをマイナスで対処しても取り除くことはできない。
北風と太陽である。コートを脱がすには温めれば脱ぐことを人間は知らない。すでに完全の中にいることを人間は知らない。形は有限であり、宇宙は無限生命であり、無限の中に有限は存在しない。1つの中の現象である。心の現われが現象を引き起こしているだけに過ぎない。これが理解できれば争うことはしない。無限生命の中で、敢えて有限な生き方をするために問題を起こしているだけである。

2022年4月22日金曜日

肥田式鍛錬は肉体の器を使って中心エネルギーを引き出す鍛錬術である。


肥田式鍛錬は肉体を使い、中心エネルギーを受け流す鍛錬である。

肥田式は心身強健術であり、肉体鍛錬ではない。中心力、中の心よりエネルギーを受けて流す。無限大のエネルギーを肉体を通して受け流す鍛錬である。
肉体に力があるのではない。肉体はエネルギーを受け流す媒体である。
この宇宙の無限大のエネルギーを引き込むには自我があると引き出すことはできない。霊肉一体になることで可能になる。
人間を生きるのではなく、無限大のエネルギーを放射させる器なのである。キリストも「肉に生きるは死」とも云われている。
見えるものにどうしても囚われがちであるが、見えるものは見えないエネルギーによって現れているに過ぎない。表裏一体で1つなのである。
完全なる中にいながら見えるものだけを追い求める為にバランスを崩し無限の中で実在しない有限な生き方をしてしまう。
現象界で此処は生きる世界ではないことに気づくために様々な現象がメッセージとして現われている。宇宙は完全完璧な永遠なる生命体であることに気づき、その中で生まれ、育って生きていることに気づくまで仮の宿で過ごさねばならない。この世を俗世、仮の宿、浮世、塵世と云われているのはこの意味である。天地一体、霊肉一体、色心不二を現象界で理解する。すべては1つである。見えるものすべて1つなるものの現われ。
1つであれば争うことはない。宇宙倫理の書でこのことを伝えたい内容であることを確信している。人間には自由意志が与えられている。誰もが犯すことはできない。肥田式を通して何をすべきかをつまずかなければすべきである。すべて全知全能の力が使えるように身体はつくられている。神の宮が我なのである。宇宙に自我が存在しない。無私である。肥田先生は常に無私の生き方を実践されている。肥田先生だけが特別ではないのである。人間は全て神の子であり、神の器なのである。
神という言葉を宗教家が誤って使ってしまった。神は宇宙の生命エネルギーなのである。すべて神なのである。自分も神なのである。万象万物はすべて神なのである。見えないエネルギーを神と云っているだけである。神を外に求め、お金を取っている宗教はまがい物であるということである。 
 


2022年4月21日木曜日

すべては完全の中に存在している


すべては完全の中に存在している

宇宙は完全完璧な絶対バランス、中性バランスで永遠なる存在である。
その中に万象万物は存在している。見えないもの、見えるものすべて完全なる生命の中に存在している。万物の霊長と云われる人間も永遠なる中に存在していながら、有限な生き方をしている。
完全とは何かというとバランスである。このバランスが生命である。見えないもの、見えるものの中には中心がある。形あるものの中にも必ず中心が存在する。中心が生命である。
すべての根源は中心である。生命とは中心である。陰陽のバランス生命。
人間の生命も内なる中心である。人間は生命は裡にあるものを外に求める。外に求める為、中心バランスを崩してしまう。
外は内なるものの反映にしかない。すべては内なるものの現われ。内なる中心バランスの現われ。肉体が我ではなく、内なる中心生命が我である。すべて裡に備わっている。中心バランスから内なる知恵を引き出す。
想念力により引き出す。想念は実現の母である。内なる見えないエネルギーは肉体と一体になり、引き出して行く。肉体は媒体であり、器である。

2022年4月20日水曜日

バランスは見えない


 バランスは見えない

バランスは見えない空である。バランスは中心バランスである。空は見えないが実在している。
見えるものは空が現象化している状態であり、実在はしてはいない。見えるものは見えないものとのバランスで見える現象を現わしている。
すべて見えるものは見えないものの現われである。人間は見えるものだけを信じ、見えないものは信じない。宇宙は無限生命であり、有限は存在しない。見えるものは結果であり無限の中の現われであることを信じない。宇宙は中性バランスであるが故、万象万物が現象化している。宇宙は陰陽の見えない生命バランスによって息している。これを人間は理解しない為に自縛している。一なる無限の中に居ながら有限な生き方をしている。無限が人間が理解できれば天変地異は起こすことはない。人間は自分でバランスを崩して置きながら、災害と呼ぶ。人災であることに気づかない。人災は1人、1人の心のアンバランスから引き起こされる。
結果で結果を作るやり方では経済も宇宙科学も息詰まる。宇宙は永遠なるバランスである。その中で生かされていることに気づかない。豊かな生き方をものに求めても本当の幸せは絶対に求められない。有限なものの中には本当の幸せは存在しない。消え行く世界に幸せはない。一時的なものでしかない。バランスが生命であり、永遠なるものである。

2022年4月15日金曜日

中心バランスが生命である。


 中心バランスが宇宙の本源本質の生命である。

宇宙の生命は中心バランスであり、1つなる中心バランスで永遠なる生命体である。1つなる生命が八百万の万象万物を現象化させている。太陽系の中の地球惑星も宇宙の中性バランスで生かされている。地球は天と地にわけられた非常に波動の低い、水の惑星である。この中に万物の霊長と云われる霊性の高い人間が現象化している。人間は何の為に存在しているのかというと人間には神の力、想念という力が自由に使えるように備わっている。この想念という力は宇宙の全知全能の力を使うことができる魔法の杖である。この魔法の杖が肉体に内在されている。宇宙の全知全能の力、中心力を引き出し、地球の波動を上げ、水の惑星から光の惑星に波動を上げて行く。地球は波動が低い為に分離感で見る為、争いを引き起こす。波動が高くなれば争いは無くなる。人間には1人、1人にこの想念力が与えられている。肥田先生は肉体の中心により宇宙の無限生命エネルギーを引き寄せている。人間の生きる道を提示している。
人間の使命は現象を生きるのではなく、宇宙の無限エネルギーを地上界に流し、地上界を天地一体にさせる。人間という器、仮の宿ですることが命の使い方である。使命である。


2022年4月12日火曜日

肥田式は人を幸せにする鍛錬である。


肥田式は人を幸せにする鍛錬である。

肥田式の 鍛錬は中心力10、部分9の中心力鍛錬である。中心力により内圧が高まった分だけ無限のエネルギーが入ってくる。新陳代謝が寄り活発になり細胞が活性化され、より細かな細胞になり、エネルギーが高まってくる。このエネルギーが肉体を通して外に放出され、この放出されるエネルギーが周りの波動より細かな為、周りの波動を上げることができる。自分が元気になることで周りの波動を上げる。
きめ細かな波動は荒い波動を細かくすることができる。1息ごとに息にバイブレーションをかけ息を吐き抜き、呼吸停止させ、1息でギリギリまで追い込むことで内圧を上げて行く。身体に疲れを感じることはない。爽快感があるのみ。
中心力は肉体にあるのではなく、中心を取ることでエネルギーが引き込まれる。肉体はエネルギーを引き込む為の道具である。肉体鍛錬をして力が出るように感じるのは見えないエネルギーが入ってきているということです。
自分が幸せに生きようとするためには、中心力より自分にエネルギーを入れ、そのエネルギーを細胞から放出させる。自然と自らの細胞が活性化され、活性化された細胞からエネルギーが放出され、周りに良い影響を与える。自分が幸せになることで周りも幸せになって行く。
人を幸せにするという意味は波動を細かくすることである。中心力を使って自分が生きることで周りの波動が上がり、周りの波動を上げることである。
中心力は自分の中心であり、他人の中心でもあり、宇宙の中心である。すべては1つの中心であり、他人はいない。1つの現われ、人類、皆兄弟なのである。

2022年4月11日月曜日

何故、文明が発達すると天変地異がくるのか?


何故、文明が発達すると天変地異がくるのか?

天変地異は地球のバランスが崩れる為に起きる。宇宙は完全バランスの生命体である。絶対なる中世バランスで永遠なる生命体である。原因なき原因である。この中にある万象万物は完全の法則の中で現象化している。
地球も完全バランスで現象化している。この中に現象化している万物は永遠の中で生かされている。人間もである。生かされているのである。
人間も生かされているということは何かをしなければならないということである。
何をするのかというとはバランスを崩さず、生きることで地球の波動を上げるお役目があるのである。人間がバランスを崩さず生きることで鉱物、植物、動物の波動を上げることができる。波動を上げることで地球が地の星から光る星になって行く。
今、地球上で争いが起きているのは人間という器を自分と見間違い器を自分として生きている為で、波動が低い状態の為に起きる現象である。見えるものに囚われてしまう為、見えるものは見えないものが現わしていることに気づかないためである。天変地異は人類が地球のバランスを崩す為に起きるものである。完全の中に居りながら自分でバランスを崩し、有限なる生き方をしている。宇宙は全てバランス。陰陽の中心バランス。これが宇宙の生命体の本性である。幾度となく繰り返されてきている天変地異。また危ない状態に来ている。
人間の心が乱れると地球のバランスが乱れる。地球の軸のバランスが狂うと独楽のように回転が乱れる。中心のマグマが乱れ、地震、火山の噴火になってしまう。すべて人間がバランスを崩すが故に起きてしまう。文明が発達すると物質中心になり、陰陽のバランスを乱してしまう。何故そうなるかというと宇宙は見えない高分子の霊体だからである。人間が生きていると思うから問題を起こしてしまう。人間を生かしているのは自分ではなく、宇宙の生命エネルギーなのである。中心バランスが我であり、生命である。肥田式はこのことに気づくためのものである。本来の目的は此処にある。有限の消えてゆく世界で生きる為に鍛錬しても意味がない。宇宙の無限生命の中に有限はない。仮相である。見えるものは俗世、仮の宿の現われである。

2022年4月9日土曜日

中心力によりすべてが動かされている


 中心力によりすべてが動かされている。

1つなる生命(神)が万象万物を現象化させている。
生命とは中心バランス、陰陽のバランス、愛である。宇宙は中性であり、完全バランスである。無限大のバランスであり、このバランスがフリーエネルギーであり、永遠なる生命である。その中に万象万物が現象化している。万象万物の見えるものは実在はしていない。無限の中に有限は存在しないからである。故に人間も存在しないということになる。現象である。故に形が消える。見えてしまうものは実在していないということである。
すべての万象万物はこの見えない生命エネルギーによって造られ、生かされている。八百万の神がいるのではなく、1つの生命が八百万の見えるものを現わしている。でなければ宇宙は無限生命にはならない。有限になってしまう。見えるものと見えないものは1つであり、変化しているだけである。肥田先生がエネルギーは無料であると云われる。現象の人間がいると勘違いをするために分離感を生み、争いが起きる。このことを現象界で教えてくれている。変化の止まない現象界で幾ら働いても豊かな生活をしても一時の幸せである。本当の幸せは死という恐怖の中では味わうことができない。宇宙は無限なる永遠の生命体であり、その中に万象万物は息している。無限なる生命に中に有限なる生命はない。表面の形は、形を生かしている見えないものが形を造り、維持している。見えるものも見えないものも1つである。色心不二である。
宇宙は中性バランスであり、人間も病気も気の病。アンバランスから起きる。死もこのバランスを自分で崩してしまう為に起きる。
肥田先生は秦の始皇帝は自分の中に不老不死の仙薬があるのを知らなかったと云われるのはこのことである。人間が生きているのではなく、生かされているのである。
中心力、フリーエネルギー、愛の法則、陰陽の法則、中性力によってすべての見えるものは生かされている。誰もが中心力を持っている。
肥田先生が神の子、神の器と云われているのは宇宙の生命エネルギーであり、そのエネルギーを受けて流す器を云われている。エネルギーは見えない。見えないものを神と云っているだけなのである。神様がいるわけではないのです。



2022年4月7日木曜日

中心の鉄扉


中心の鉄扉 

中心力から無限のエネルギーを使うことができる。
肥田先生が肉体の中心から無限のエネルギーを引き出すことができることを示してくれた。
何故、そのようなことができるのか?宇宙は中性である陰陽のバランス、ゼロ磁場である。すべてはこの中心に繋がっている。中心というには中性であり、完全ということである。完全の中に不完全はない。無限の中に有限はない。すべては無限生命の現われであり、完全である。肥田先生は学んで能力を出されたのではなく、中心より宇宙の無限大の力、知恵を引き込まれたのである。すべて完全に生まれているにも関わらず、不完全な使い方を勝手にする為、不調和を起こしているだけである。これから身に付けようと思う心からは絶対に身に付かない。無いものからは有は生み出せないのである。完全に生まれているのだから、使い方が悪いだけだと思うことで直るのである。不完全からは完全にはなれない。中心力は完全バランスであり、この中心バランスが宇宙の生命力を引き出すことができるのである。誰もが持っている。只、気づかないだけなのである。これが中心力である。中心に戻れば誰もが自分の井戸から無限大のエネルギーを引き出せることを肥田先生が教えて下さっているのである。肥田式の型は中心力であり、形ではないのです。形は結果であり、結果の背後にある原因に気づく。因果の法則に気づく。1人、1人が自分の中心なる井戸から無限大の力、知恵を汲み出す。そのキッカケを作って頂いていると思っている。この中心力を使い、人類に貢献しようではないか。お金もかからないのである。


2022年4月6日水曜日

結果から結果を得ることはできない。


結果から結果を得ることはできない。

肥田式を学ぶに当たって形を学ぼうとするが、形は造られたものであって幾ら形を真似ても効果は出ない。肥田式を必死の気で学ぼうとする心が形の奥にあるものを引き出すことができるのである。
肥田先生は自分が弱いから強健になろうとしたのではない。父の自分に対する思いによって一大決心をされたのである。すべては内なる心が決めるのである。
形からは肥田式は学ぶことはできない。何故、肥田式は自分の中にあるからです。
見える結果の世界からは得るものはない。見えない原因の世界が内なるエネルギーを引き出す条件になる。必死の気になれる条件です。義務的では効果はあまり期待できない。
肥田式も自分の中の肥田式を引き出すだけなのであるから。
幾ら知識を並べても自分と向き合うことがなければ、意味のないことである。米を抱いて餓死するが如しである。
学びの基本は肥田先生が造られた肥田式を何故という問いかけで学ぶことで自分の身についてくる。誰もが素晴らしい引き出す井戸を持っている。この事が理解できれば戦争のない世界ができるのです。この世は天国であるが人類が地獄にしているだけである。人類はまだ幼児期であるということです。すべての答えは裡にあるということです。この世は生きる世界ではなく、裡から宇宙エネルギーを引き出し、世に放射させる為にあるのである。自分はないのです。無私です。



 

心身強健術について


 心身強健術について

心身強健術という名前を付けているのか?
一般的に肉体鍛錬を主体に考えると思いますが、肥田先生は最初から心身一体により身体を鍛えることを知っておられた。心と肉体は1つであり、共に鍛えて初めて効果があることをご存あり、心のバランスが肉体のバランスである。これは宇宙法則であり、陰陽の法則である。宇宙の中性の法則である。
正中心の肉体鍛錬から聖中心の宇宙エネルギーと一体となる鍛錬へ変化して行く。
すべて中性バランスによってエネルギーが生み出される。見えるものは見えないエネルギーによって動かされる。この中心力による心身の活性法は真理である。
人間という形態を含め、万象万物は1つなる生命によって様々な形態が造られる。
人間、目に見えるモノだけを見てしまうが、見えるモノは見えない1つのエネルギーによって動かされていることに気づくことで1つ目になり、すべてが1つであることに気づけば争いは無くなる。
全ては裡に無限大のエネルギーが存在しており、これを使う時代になれば争いは無くなる。見えるものの背後にある見えないものを肥田式の中心力を使うことで感じ取れるように霊性を高めて行きたいものである。

2022年4月4日月曜日

人間はトランジスタ回路である。

 

人間はトランジスタ回路である。

人間は内なる中心、中なる心からエネルギーが引き出されてくる。外からは入ってこない。すべて内からである。トランジスタも一方方向からである。鍛錬とは肉体を鍛錬するのではなく、肉体を通してエネルギーを入れることである。エネルギーは貯めてはおけない。内なるエネルギーを如何に肉体を通して現すかである。筋肉に力があるのではない。筋肉を鍛えて力を出すのではない。受けて流すのである。肥田式が中心力と云っているのは全ての中心からエネルギーが湧き上がっている。無限大に。中心バランスが生命であり、力であり、知恵である。筋肉を幾ら付けても力は生まれない。力を出す場合、量ではなく、質の筋肉が必要になる。上半身筋肉を付け、力を得ようとしても筋肉の量を付ければ付けるほど上半身の筋肉が固くなり、自由性を失う。中心バランスを失う。
肉体美を見せるならともかく、力を出そうとする場合は筋肉を「伸ばせばバターの如く、縮めれば鋼鉄の如くの筋肉」質の筋肉が必要になる。力は利動力で入ってくる。中心力10、部分力9の割合で使うと絶対に身体を痛めることはないと肥田先生は云っておられる。
すべての力が内にある。「敵は本能寺にあり」です。
キリストが言われるように「得ようとするものは奪われる」この言葉は自分の中にあるのに外に求めるなということを云っている。すべては誰もが持っているのです。外に求めるから自縛するのです。ポケットに永遠なる生命エネルギーがあるのに気づかないだけである。肥田先生が特別ではないのです。崇めててることではないのです。あなた自身に肥田先生と同じものを引き出す力があるということです。何故?宇宙は1つの生命体であるということです。幾ら肥田先生の物まねしても力はつきません。自分の中からしか引き出すことはできないのですから。自分の肥田式、中心力を引き出すこと以外できないのです。
すべて自分の中にあるのです。「得ようとするものは奪われる」自信を持って自分の井戸から汲み出してください。無限大の汲めど汲めない無尽蔵の宇宙力を・・・。




2022年4月3日日曜日

足は発電所、腰は変電所



足は発電所、腰は変電所

雷は上からで来るのではなく、下から起きる。
肥田式は床をどれだけかめるかである。身体の動きは下半身リードで上半身を動かして行く。それぞれ使う所に腰で配分して行く。小手先と云うのは上半身リードという意味になります。武道をされている方は当り前に行っていることであるが。
上半身は反動力、利動力で動かして行く。下半身の反動力で動かして行く。腰椎4番、5番の反折の意味が此処にあります。4番、5番の反折をするのではなく、利動力を使うことで結果的に反折が行なわれる。中心力10、部分力9の割合で身体を動かす時、身体を壊すことはないと肥田先生が云われております。
車はガソリンで動く。ガソリンが車を動かしている。人間もエネルギーによって動く。そのエネルギーは何処から入れるの?食べ物から?肥田先生は「天寵無限」無限なるエネルギーを中心力として使っている。「天寵無限」が意味するものは宇宙には無限の無料のエネルギーが存在しているということを意味している。外部から争ってエネルギーを得なくても良いことになる。エネルギーとは力であり、知恵である。すべては裡にある。21世紀を生きる人類の鍵が此処に隠されている。只の肉体鍛錬でないのである。肉体はエネルギーを引き出す器に過ぎない。





2022年4月2日土曜日

見えないものが見えるものを生かしている


見えないものが見えるものを生かしている

目に見えないもの。
生命、意識、心、気、息、空気、言葉。霊。神
見えないものはすべて生命です。見えないものは見える万象万物に宿り、生きるものにしている。見えるものの中に見えない生命が宿り、生きるものにしている。色心不二。見えるものは見えないるものと同じものであり、全ては一なる生命である。
すべてのすべてありてあるものは1つなる生命である。万象万物は1つなる生命の現われである。肥田式強健術は肥田先生が時別な人ではなく、人間の身体の使い方の見本を提示してくれているのである。誰もに備わっている宇宙の知恵を引き出す方法を提示してくているのである。能力は無私にならないと引き出せない。潜在意識と顕在意識は1つのものであり、小さな考え方は小さな知恵しか引き出せない。
日本語は真理を顕す言葉であり、日本人は日常でさりげなく見えないものを言葉にして使っている。
  • お気遣いはご無用に。
  • 気を付けて行ってください。
  • お元気ですか。
  • お心づかい
  • 気高い
  • 気象庁

 普段見えないものを言葉にしているはずなのに見えないものに対して拒否反応を示してしまう。



2022年4月1日金曜日

宇宙の中心力の活用


 宇宙の中心力の活用するには

肥田先生は肉体の中心から宇宙の無限大のエネルギーを引き出せることを示してくれた。
肉体の中心、正中心から宇宙の中心、聖中心へ。すべては1つにつながっている。宇宙には無限のエネルギーが存在していることを鍛錬によって宇宙力を引き出せることができる。今、人間は人間からものを見ているが宇宙から見ると人間は取るに足らない存在である。逆に宇宙エネルギーが人間の肉体を通して現わしているだけに過ぎない。人間という現象を作っているのも宇宙であり、創世記に「人間は宇宙の塵にて人間の形が作られ、息を吹き込まれた」と示されている。
人間がいると思うから問題を起こしているのであって、肥田先生が「天寵無限」という言葉を使われる。無限とは限りが無い。無限の中には有限はないということである。人間は現象であって無限エネルギーの現われであるということになる。人間が天からエネルギーを頂くのではなく、天が人間という器を通して現わしているだけである。肥田先生が人間は神の子であり、神の器であるということがうなずける。
肥田先生もカヤ棒と云われ、肉体を蘇らせ、国士として働かれた。
形あるものはすべて中心がある。この中心は宇宙とつながるキーポイントである。
1人、1人が内の中心から宇宙のエネルギー、全知全能の力を引き出す。全ての答えは裡にあり、内なる無限なる生命エネルギーを引き出す。中心力の鍛練は1人、1人が無限大のエネルギーを引き出すことで争いのない世界を作ることができる。結果で結果を直すことはできない。原因を改めることで結果は自ずと良くなる。これに気づいたものから先に意識を変えて行く。肥田先生が今の時代に生まれていたらそのようにされたように思う。第3次世界大戦を阻止するために書かれたと云われる「宇宙倫理の書」は焼失してしまったが、何故かこのような内容ではないかと推測する。