2022年4月22日金曜日

肥田式鍛錬は肉体の器を使って中心エネルギーを引き出す鍛錬術である。


肥田式鍛錬は肉体を使い、中心エネルギーを受け流す鍛錬である。

肥田式は心身強健術であり、肉体鍛錬ではない。中心力、中の心よりエネルギーを受けて流す。無限大のエネルギーを肉体を通して受け流す鍛錬である。
肉体に力があるのではない。肉体はエネルギーを受け流す媒体である。
この宇宙の無限大のエネルギーを引き込むには自我があると引き出すことはできない。霊肉一体になることで可能になる。
人間を生きるのではなく、無限大のエネルギーを放射させる器なのである。キリストも「肉に生きるは死」とも云われている。
見えるものにどうしても囚われがちであるが、見えるものは見えないエネルギーによって現れているに過ぎない。表裏一体で1つなのである。
完全なる中にいながら見えるものだけを追い求める為にバランスを崩し無限の中で実在しない有限な生き方をしてしまう。
現象界で此処は生きる世界ではないことに気づくために様々な現象がメッセージとして現われている。宇宙は完全完璧な永遠なる生命体であることに気づき、その中で生まれ、育って生きていることに気づくまで仮の宿で過ごさねばならない。この世を俗世、仮の宿、浮世、塵世と云われているのはこの意味である。天地一体、霊肉一体、色心不二を現象界で理解する。すべては1つである。見えるものすべて1つなるものの現われ。
1つであれば争うことはない。宇宙倫理の書でこのことを伝えたい内容であることを確信している。人間には自由意志が与えられている。誰もが犯すことはできない。肥田式を通して何をすべきかをつまずかなければすべきである。すべて全知全能の力が使えるように身体はつくられている。神の宮が我なのである。宇宙に自我が存在しない。無私である。肥田先生は常に無私の生き方を実践されている。肥田先生だけが特別ではないのである。人間は全て神の子であり、神の器なのである。
神という言葉を宗教家が誤って使ってしまった。神は宇宙の生命エネルギーなのである。すべて神なのである。自分も神なのである。万象万物はすべて神なのである。見えないエネルギーを神と云っているだけである。神を外に求め、お金を取っている宗教はまがい物であるということである。