2022年6月30日木曜日

真我


真我

宇宙は1つなる生命体であり、1つなる絶対なる愛の法則で永遠なる生命を維持している。すべてが1つなる生命が自分になる。宇宙は見えない完全なる中性であり、生命を現象化させる本源、本質である。原点(天)が宇宙である。この根源が万象万物を現象化させている。現象化させているものは見えない根源なる愛の法則である。
見えるものがあるのではなく、見えない法則が見えるものを現わしている。見えるものは実際には実在していない。1つなる生命は見えないエネルギーであり、質料にエネルギーが宿り、見える現象を現わしているそに過ぎない。人間も現象であり、すべての見えるものは現象である。人間はこの現象に心を奪われ、永遠なる生命を有限なる生命に囚われ、生きている。
本当の我、真我(神我)は1つなる見えない宇宙生命体が自分である。すべてが我であり、其処には争いはない。1つなる生命の中に争いはない。この現象界で現象は現われであることに気づくことで、地球の波動を上げることができる。宇宙は1つなる生命であり、その化身が人間であり、本当の我は見える姿、形ではなく、見えない生命が自分であることに気づき、自分の波動を上げ、地球の波動を上げて行く。


2022年6月29日水曜日

宇宙には争いは存在しない。


 宇宙には争いは存在しない。

宇宙には姿、形は存在しない。 あるのはそれを顕す原因があるだけである。見えるものはすべて波動が低いものが見えているだけである。人類はこれに気づくものが少ない。
人間は何ぜ現象化しているのか?が問われている。人類から争いがなくならないのは宇宙は1つであることを理解していないからである。キリスト教も「すべてのすべてありてあるものは神である。生命であると云っているが?それを実行するのであれば争いはなくなる。逆に争いが多くなっている。この世は現象を見て本当の我に気づく為のものであるから、自分がどのように捉えるかだけの問題である。波動が低ければ気づかない世界なのである。1つなる生命が現象化し、見える形を現わしている。それをあると信じる心が分離感を生み、争いの世界を演じてしまう。1つの永遠の中に生まれ、常に平安の中にいることに気づくまで。最初から幸せの中にいる。現象界は実在しない世界であり、それに気づく世界である。自分の中に幸せがあることに気づかない。汝の救いは汝自身なり。自分で気づかなければ救いはないということになる。人類は見える仮相ものだけに囚われている状態の中にいる。見える現象界は波動の低い状態である。1人、1人が波動を上げることでこの低波動の消え行く現象界から離れることである。この世の波動の低い、仮の宿、俗世から離脱する為にこの世に現れている。

2022年6月28日火曜日

想ったことしか顕れない


 想ったことしか顕れない

想ったことが現われる世界。これが宇宙であり、意識体である。この想念の力が質料を引き寄せ、具現化され、現象として現れてくる。宇宙は意識体であり、人間は肉体を意識によって動かしている。意識が動かしているだけで肉体が自ら動いているのではない。見えるものは見えない意識エネルギーによって動かされている。宇宙は意識であり、意識によって成れりである。想いによって知恵と力を裡から引き出している。力は外から入れるものではなく、裡から引き出すものである。中心力。中なる心が力であり、知恵である。
空は無尽蔵の知恵であり、エネルギーである。宇宙そのものが生命エネルギー体である。これを想念力によって1人、1人が裡から引き出して行く。すべては裡にある。こ゚の法則を現象界で理解し、人間という個体波動から脱皮して行く。自然界は作用、反作用の波動のギャップによって引き出している。肥田式はこれを利動力と云っており、中心力10、部分力9によって引き出している。力は作るのではなく、入ってくるのである。見えない本当の我に気づいて行く。見える姿、形を現わしている本当の我に気づいて行く。


2022年6月27日月曜日

本物と偽物


 本物と偽物

本物は永遠にあるもの。なくならないもの。偽物は消え行くもの。宇宙は1つなる生命体であり、絶対になくならないものが1つなる宇宙生命である。これだけが実存しているだけである。見えるものはすべて1つなる生命の現象になる。1つなる生命が多神を造る。多神は1つなる生命の現象ということになる。多神とは見えるものすべてである。宇宙には1つのものしか存在していないということになる。
人間も現象であり、実在してはいない。見えるものをあると信じる心が惑わしているだけである。本物は見えないエネルギーである。見えるものは見えないものの現われであり、実在しない現象である。見えるものは見えないものによって現象化しているだけに過ぎない。
本物は見えない。現わしている本質が質料を通して見える形となって顕れている。本物とは宇宙の1つなる見えない生命だけがあるのみである。見えるものはすべて偽りの現象である。 


2022年6月26日日曜日

不安、恐怖が起きる生き方は間違っているというメッセージである。


 不安、恐怖が起きる生き方は間違っているというメッセージである。

宇宙の1つなる生命は姿、形はない。姿が見えない為、質料を通して現わしている。
宇宙エネルギーは完全なる全知全能の力であり、知恵である。形を持たないが故に不安。恐怖を持つことはない。人間は生命の結果として現象化している。現象なので、実在しない。其処には悩み、苦しみはない。人間の現象をあると信じる心が 作り出す幻影である。
生き方が間違っているというメッセージなのである。完全の中に不安、恐怖はあり得ない。
現象の中に本物は存在しない。不具合を起こしているということは間違いの人生に生きているということである。宇宙内で争い、憎みあいをしているものは波動の低い所に居るということになる。それを通して学んでいるのである。人間の現象はなくなっても生命は消えることはない。氷が水になり水蒸気になっているだけである。氷が自分だと思っているとまた氷に生まれてくるだけであると。病気もメッセージであり、仮相の人間を生きようとするために起こる現象である。人類救済は1人、1人の波動を上げることである。最低の波動領域の現象界から離脱して行くこと争いをなくす方法である。1つなる生命が多神を創る。多神は1つなる生命の現われであることに気づけば争いは無くなる。完全発酵すれば害を与えることはなくなるが、未発酵の状態の時には害を及ぼす。石炭は固体、石油は液体。どちらも未だ未発酵の状態であり、害を及ぼしてしまうが、気体になれば害を出すことはなくなる。人間は今、固体の石炭の状態、未発酵の状態にある。


2022年6月25日土曜日

中心力とフリーエネルギー


 中心力とフリーエネルギー

人間の身体は小宇宙であり、大宇宙である。宇宙は永遠なる絶対バランスであり、人間も大バランスの中に存在している。人間の中に中心がある。これが宇宙と一体化になる道である。宇宙は絶対バランスの生命体である。フリーエネルギーである。宇宙は1つなる大バランスのエネルギーである。人間も小宇宙であり。無限大のエネルギーそのものである。人間は形を見て人間と思ってしまう為、本源は永遠なる生命であるが形を見て小さな形に囚われ、本来の大宇宙そのものであることを忘れ、無限の中で有限なる生き方をしている。形はエネルギーがなくなれば存在できなくなる。
人間は死ぬ時、魂が抜けたという言葉をさりげなく使っている。魂が自分であることも知っている。魂は永遠である。魂は死なないことも理解している。それでも人間の死を認めてしまう。
宇宙は1つなるエネルギーである。生命は姿、形ではない。見えないエネルギーである。
人間は形を見ないと安心しない。無形無相の見えないものは信じない。
人間の姿、形は肉体に内在している見えない中心力のエネルギーがなければ人間の形は存在しない。人間を作っているものが本当の自分であり、永遠なる生命である。見える姿、形が自分ではなく見えないエネルギー体である。姿、形は見えない我の現象である。人間は永遠なるフリーエネルギーである。肥田先生が「天寵無限」という言葉を使われるが、無限なるエネルギーと受け入れる器が同じでなければ受け入れることはできない。肥田先生が云われるように人間は神の子であり、神の器であるということが理解できる。


2022年6月24日金曜日

意識が自分?肉体が自分?


 意識が自分?と肉体が自分?

肉体は意識によって動かされている。肉体が動く時、必ず先に意識が動く。何処に行きたい。何をしたいと想念が動くと肉体は忠実に動いてくれる。嬉しいと思えば嬉しい表現をしてくれる。悲しいと思えば悲しい表現をしてくれる。肉体は心の想いに忠実に動いてくれる。意識によって肉体は動かされている。
宇宙は1つなる生命体であり、意識も1つである。人間は1つなる宇宙生命の現象であり、意識は1つなる宇宙生命の意識である。この意識で人間は動かされている。宇宙は完全バランスであり、バランスが生命であり、人間は宇宙生命のバランスによって生命活動をしている。
人間は宇宙生命の中で生かされていることに気づかず、宇宙の意識によって動かされていることに気づかず、人間は肉体に生きようとする為、バランスを崩してしまう。意識はエネルギーであり、自我で動こうとする為、エネルギーを取り込むことができなくなってしまう。
中心力とは宇宙エネルギーのことであり、内圧を上げることでエネルギーが引き込まれてくる。内圧を上げるということは意識圧を上げるということである。肥田式で使う中心力10、部分力9ということは中心バランスが取れないと肉体を自由自在にコントロールすることができない。意識はバランスである。中心力10、部分力9で動く時、身体を壊すことはないと肥田先生は断言している。
意識が肉体にあり、肉体を鍛えて能力を出そうとしても出ることはない。意識が自分であると思う時、中心バランスが取れ、全力が使える。全力とは自我の全力でなく、宇宙力のことである。宇宙は陰陽の法則、完全バランスによって永遠なる生命体を成している。
肉体が我ではなく、意識が我なのである。想念は実現の母である。想ったことが現われる世界である。投げかけたものが帰ってくる。自分の意識の仕方で変ってしまう世界である。今の自分は自分でシナリオを作り、自分で動いている。本来の我は肉体ではなく、見えない意識、霊意識が我である。

2022年6月23日木曜日

この世は現象を通して見えない我を確認する場所である。


 この世は現象を通して見えない我を確認する場所である。

宇宙は1つなる無限大の生命体である。1つなる無限大の生命の中に人間という有限なる見えるものは存在するのか?
それは無限なる生命が現象として現わしていることに気づかなければならない。
宇宙は永遠なる生命体であり、永遠なるものの中には有限的な見えるものは絶対に存在しない。何ぜ見えるものがあるのだろうか?何ぜ人間が現象化しているのだろうか?人間には何のお役目があるのだろうか?
地球は地の星である。見えるものは現象の世界である。見えるものは実在していない。地球って見える。地球は実在しているの?それだけ地球は波動の低い星だということである。実在していない星、地球惑星と云い、惑わす星と書く。人間はこの中に存在している。現象化している。何故、何故、何故?
人間は万物の霊長と云われているのに宇宙は無限の永遠なる生命体でありながら人間は有限な生き方しかできないのだろうか?人間はそのような人生しか歩むことしかできないのだろうか?悲しい人生しか送ることがきないのだろうか?この世で幾ら財を成しても死んでは持って行けない。幸せになる為に一所懸命に働いてお金を貯めているのに?
宇宙は完全なる永遠なる世界である。本当の幸せは見える世界にはなく、見えない世界に本当の幸せがあることに気づく為の現象である。本当の幸せは自分の中にあることに気づく為の現象界、幻の世界がこの世である。仮の宿である。青い鳥は外に求めるものではなく、最初から自分の中にあったことに気づくために実在しない仮相界がある。本来の我に気づく場所である。本来の我は死なない我であり、その確認をする場所が仮の宿、俗世、浮世と呼ばれているこの世である。何でもありの世界で様々な経験を通して本当の自分に気づく世界。死んでも死なない世界であり、安心して学べる世界である。キリストが肉に死ぬものはまた生まれると云っている。人間に与えられた使命は人間の固体から離脱し、波動を上げ、地の星を光る星にすることにある。

2022年6月22日水曜日

真理は1つである。


 真理は1つである。

真理は1つである。宇宙は1つなる生命体であり、1つの中に様々なものは存在しない。宇宙は1つなる生命が様々な形態をつくり、その中で1つなる生命が息している。人類は様々な形の現象を見てそれをあると信じ、部分的な見方をしてしまう。其処に争いが起きてしまう。争いは1つなるものを様々な形をあると思い、その中で自分が一番正しいと思う心が引き起こしてしまう。
宇宙は完全なる生命体であり、その中には不調和はない。不調和があるとすればそれは想いが間違っているということである。完全の中に不完全はあり得ないのである。
人類は見える結果形態を持っている。見える形態は現象であり、それをあると信じて分離感を持ってしまう。
宇宙は完全なる生命体であり、その中に居るものはすべて完全であるという意識から物事を考えて行く。其処には争いはない。1つの中に争いは生じない。部分的な不完全な見方、分離感から、争いを起こす。エネルギーは宇宙には無尽蔵に存在している。人間はエネルギーが質料を変化して現象を現している。人間はエネルギーの器である。宇宙の無尽蔵の生命エネルギーを放射させて行くことが人間という器に与えられた本来の使命である。すべて持って生まれている。この世を生きるのではなく、人間という神の器を使って無限大のエネルギーを1人、1人が引き出して行く。現象界は生きる世界ではない。自分が自分に気づく為の仮相界である。人間という現象、結果から物事を考えると必ずアンバランスを起こす。人類が高度の文明を築くと必ず起こしてしまう天変地異。これは人類の生き方が間違っているというメッセージである。人類が成長するには宇宙真理からの発想でなければ人類の進化はない。1人、1人は神の子である。答えは人類の1人、1人の中にある。


2022年6月21日火曜日

宇宙は1つなる愛の生命体である。

 

宇宙は1つなる愛の生命体である。

宇宙は1つの生命体である。1つということは2つはないということである。善悪は存在しないということである。何ぜ人類には善悪があるのか?
1つのものを2つに見てしまう結果、善悪が生じてしまう。1つの中に有限なるものは存在しない。見えるものをあると思う心が善悪の心を生み出している。
見えるものは結果であり、見えるものには必ずそれを顕す原因がある。それが見えない陰陽のバランスである。波動の違いによって水蒸気は水になり、氷になる。すべて同じものである。見えるものは波動が低い為に見える姿、形を現わす。見える人間の波動はエネルギーが低い。その為に分離感が生まれ、争いを引き起こしている。
宇宙は1つなる生命体である。その中に地球という惑星の細胞体があり、その中に人間という細胞がある。すべて1つなる宇宙細胞体であるが、人類は仮相の形を見てあると信じ、自分が一番偉いと思い込み、バランスが生命であることに気づかず、地球のバランスを自分が生きる為に崩している。それを平気で天災、災害と呼んでいる。自分達は悪いことはしてはいないと思っている。このようなアンバランスの現象は人類が本当の我に気づく為にある。宇宙は1つなる永遠なる生命であることに気づくある。現象は実在していない。仮相界であり、見えるものはすべて現象であり、地球も現象であり、天変地異が起こっても本源、本質はなくはならない。万物の霊長と云われる人間はこのことに気づき、本当の我に気づかなければならない。すべては1つの愛の永遠なる宇宙細胞体であり、人類はその中の一部であり、宇宙そのものであることに気づかない。人類は1人、1人が自分の波動が上げ、この波動の低い世界から抜け出さなけれなならない。現象界は昆虫が脱皮するように人間も人間という芋虫から脱皮するためにあるのである。消え行く現象、幻の世界に幸せは絶対にあり得ない。現象界は気づくための世界である。この世で幾ら財を成しても死んでは持ち帰れないことを知っていながら現象界を生きている。宇宙は無限なる永遠なる生命体であり、無限なる生命であること有限な生き方を通して気づく為のものであることに気づく。現象界を楽しむも脱皮するも本人の自由意志である。



2022年6月20日月曜日

人生はすべて自分が決めている。


人生はすべて自分が決めている。

宇宙は1つなる無限の生命体である。この中に万象万物は現象化している。万象万物が独自に生きているのではない。1つなる無限なる生命が万象万物に宿り、生命が息している。生きているのは無限の生命が生きている。宇宙の生命体は1つである。無限なる生命とは1つの生命であるということである。見えるものは質料が様々に変化して見えているだけである。現象である。生命は見えない。宇宙は見えない1つなる無限の生命体が様々な形態に宿り、息している。生命は見えない為、質料があると見間違っているだけである。
宇宙は無限なる1つの完全バランスの生命体である。こ゚の完全なる永遠の無限生命体の中に有限なる消え行く存在はない。現象の変化を見て、なくなると思っているだけに過ぎない。
完全なる宇宙の中に有限なるものは存在しない。人間も完全なのである。1つなる生命が人間の形態に宿っている。形態は変化してしまうが生命は変化しない。永遠である。
変化する形を自分と思い違いをして変化するものに意識を向けているだけである。完全なる自分を不完全なる形を自分と見る為に諸行無常の幻の世界に惑わされているだけである。生命は変化しない。
宇宙には1つなる生命だけが独存している。宇宙の本源、本質である。生命は陰陽のバランスであり、愛の法則であり、完全なる1つなる調和体、生命体である。こ゚の生命体を神と云い、仏と云い、天照大神と云っている。無限の中に有限なる神は存在しない。宇宙そのものが神である。すべてのすべてありてあるものすべて神であると。宇宙はすべて神ということになる。宇宙神である。
すべてが神ならゴキブリも神である。すべては生命1元であると。
「想念は実現の母 」であり、想ったことが現われる世界である。良く思えは良いものが顕れ、悪く想えば悪いものが顕れる世界。すべて自分の想いで現れる。投げかけたものが戻ってくる世界。すべて自分の想いの結果である。運命はすべて自分が決めている。
「想念は実現の母」であるということは原因と結果は1つである。宇宙は1つなる生命、中性であるということである。


2022年6月19日日曜日

何ぜ、不安、恐怖が起きるのか?


 何ぜ、不安、恐怖が起きるのか?

今、思っていることが本当のことではない為に起きる現象である。宇宙は1つなる無限の生命体であり、無限の中に見える有限なるものは存在しない。無限の中には有限は存在しないものをあると思う心が、不安、恐怖を与えてしまう。万象万物は現象であり、人間も現象であり、それをあると思う心が不安、恐怖感を抱いてしまう。現象は1つなる無限生命の中の現われと思うことができれば不安、恐怖心は起こらない。宇宙には1つなる中心生命が実在しているのみで、見える万象万物は1つなる生命の現象であり、生きているように見えるが見えない生命が宿り、生かされている。
人間は宇宙の相似形であり、小宇宙である。見える現象は実在していない。実在していない人間をいると思う心がアンバランスを生み、不調和を起こしてしまう。不安、恐怖心は実在していないものを実在していると思う心が造り出す迷妄である。すべて自分が創り出している。無限なる永遠なる生命の中に居て、有限な生き方をしようとするために不調和を起こす。見えるものはすべて現象であることを理解して行く。不安、恐怖心の人生は嘘の人生である。本物には不安、恐怖は存在しない。肉に生きるは死であるとキリストが云われている。

2022年6月18日土曜日

人間は完全なる宇宙生命体の中に存在する。


人間は完全なる宇宙生命体の中に存在する。

人間は完全なる全知全能の宇宙生命体の中にいる。万象万物は宇宙生命体の細胞体である。
人間は万物の霊長と云われ、想念力という力が与えられており、全知全能の力を使える。
全て裡に宇宙の全知全能の力が持っている。外から学ぶものはない。人間という器を使ってこの力を表現する為に現象化している。
人間は現象の形をあると見てしまい、無限の中の有限なる現象をあると信じて諸行無常の見える変化の中で生きようとする。消え行く世界をあると信じて。消え行く世界は自己保存の為に争いが生じる。現象に生きるのではなく、完全なる宇宙の無限大の生命エネルギーを肉体を通して放射させる為に人間の器は現象化されている。肉体に生きるのではない。
肥田先生も「中心の鉄扉を開かずして生涯を終わるものは米を抱いて餓死するが如し」と云われている。キリストも肉に生きるは死であると。また生きている内に成仏できなければ死んでは成仏できないと。覚者はすべて同じことを云っている。
本来の我に戻るための現象界なのである。この現象界を生きるのではなく、本来の我に気づく為の場所である。
 

2022年6月17日金曜日

肉体は意識の表現体


 肉体は意識の表現体

肥田式は中心力の鍛練であり、生命力の鍛練である。宇宙に生命は1つである。1つなる生命が多神を創る。すべては1つの生命の現われ。見えるものは全て見えない生命の化身である。生命は意識でもある。宇宙に意識は1つである。形あるものの中にはすべて中心がある。中心によって肉体は現象化されている。肉体には何の力もない。意識によって忠実に動くロボットである。肉体が自分ではなく、意識が自分である。
意識は見えない。見えない意識をどのようにして鍛錬するかというと肉体を使うことで意識圧を上げる。意識圧を上げることで宇宙の生命エネルギーを取り込むことができる。
生命エネルギーは無限なるエネルギーである。肉体を使って鍛錬するするという意味は意識圧を上げることで宇宙の無限なるエネルギーを引き込む。宇宙エネルギーと一体になる。
宇宙は1つなる生命体であり、肉体という現象を使って肉体に宿る意識が本来の自分に気づく。宇宙は無限生命であり、無限の中に見える有限なるものは存在しない。万象万物は全て化身である。自分は存在しない。見える自分は現象であることに気づく。目に見える肉体は最低のバイブレーションであり、肉体に宿る意識は高バイブレーションである。本当の我は見えない高バイブレーションである。
肉体を使って意識圧を高め、霊肉一体にして行くことがこの世で成すべきことになる。
昆虫たちも青虫から蝶になるように人間も芋虫の肉体から脱皮する。現象界は人間という殻を脱ぎ捨てる場所であり、それを意識によって行う場所である。

2022年6月15日水曜日

善悪の木の実とは


 善悪の木の実とは

人間は善悪の木の実を食べ続けているということは1つのものを2つに見てしまっているということである。宇宙は完全バランスで調和を保っている。完全の中に善悪というものは存在しない。1つの中に2つはない。1つのものが現象として現れている。見えるものはすべて1つなる生命体が様々な形態を現わしている。様々な形があるのではなく、1つなる生命があるだけで1つの中に善悪は存在しない。見えるものを、現象をあると思う心が分離感を生み出し、其処に争いが起きる。すべては1つであることを理解できれば争いはなくなる。波動が低いと見えるものになる。人間は高次元の波動が宿り、人間という形の形態を現わしている。宇宙の1つなる生命が八百万の神を具現させている。見えるものは見えないものの現われであることに気づくことで善悪の木の実を食べなくなる。その為には地球の波動を上げなければならない。1人、1人の中に地球の波動を上げる神の波動が宿っている。


2022年6月14日火曜日

見えるものはバランスで現象化している


 見えるものはバランスで現象化している

見えるものは見えない生命体の集合体である。
ミクロの世界である。顕微鏡を覗くとミクロの生命の世界が見える。目に見えない微生物達が生きて活動している。この微生物の集合体が現象となって顕れている。人間という形も微生物の集合体である。微生物たちは新陳代謝を常に繰り返し形態を維持している。この新陳代謝は宇宙の中性バランスによって行われ、空エネルギーによって万象万物は息している。
宇宙はバイブレーションの世界であり、見えるものはバイブレーションを下げた状態である。
コップに入れた水に振動を与えると輪ができる。宇宙も渦の回転である。
人間の身体も宇宙と同じであり,左右の役目が違う。左から入って右に抜けて行く。身体の中心がホワイトホールになる。中心バランスが根源生命である。
中心は高波動であり。外側の見える形態は中の生命を守る為の鎧のようなものである。鎧が生きているのではなく。鎧の中の70兆個の微生物群が分裂を繰り返しては消え。生命活動をしている。微生物は中心バランスによって生命活動をしている。肥田式強健術の中にある「天真療法」はこの宇宙バランスを使っている。これを治癒力と呼んでいる。宇宙は最初から1つなる完全バランス生命体である。宇宙の中に居るものはすべて完全であり、神一元である。宇宙神。宇宙は神であり、万象万物は神の化身である。宇宙が神ならその中にいるものはすべて神になる。素直になれば誰でも自分は神であることに気づく。


2022年6月11日土曜日

求めて行くものは外にはない


求めて行くものは外にはない 
全ては裡にある 我が裡に神が居る
全知全能の神が居る 全知全能の仏が居る
本当の自分は自分の中に居る
現象界の中で本当の自分に気づく 
自分の中に居る神に気づく 実感して行く
外に求めることなかれ
汝の神は汝自身なり 汝の仏は汝自身なり
中心バランンスが宇宙であり 神であり、仏である
宇宙は中性なり 愛なり 
我も中性なり 愛なり
全ての根源は1つである


2022年6月10日金曜日

何ぜ?この世を仮の宿と云われているのか。

 

何ぜ?この世を仮の宿と云われているのか。

この世に現れているものは現象である。1つなる生命が八百万の神を現わしている。宇宙は完全なる1つなる生命体であり、その中で1つなる生命体が様々な形態を現わし、生命活動をしている。
宇宙には原因、結果の法則の中で生かされている。見えるものは見えない原因の現われとして見える現象の結果がある。現象界に現れているメッセージを理解して行く。
  • 一所懸命働いで財を成しても形態が消えれば持っては行けない。
  • 自分で生まれる時も死ぬ時も決められない。
  • 心臓は寝ていても止まらない。呼吸も止まることはない。
  • 筋肉も自分では動かすことのできない筋肉がある
  • 死ぬ時、肉体と意識が分離してしまう。
  • 超能力は人間の思考停止によって使う。
これらのことを見ても人間は自分が生きていると信じて疑わない。
宇宙は中性バランスであり、こ゚のバランスが生命であり、その現象が万象万物である。
「すべてのすべてありてあるもの、1つなる生命であると」
この世の現象から本当の自分に気づいて行く。故にこの世を仮の宿、俗世、浮世と呼ばれている。すべての万象万物は完全なる宇宙の中に生まれ、育って生命によって生かされている。
すべて完全なのである。現象は変化の中にあり、これを見てあると信じる心が自分を自縛してしまう。生き方を完全なるものの考え方から生き方を変えて行く。現象界で絶対にバランスを崩さない。グライダーの如く向かい風に向かって飛んで行く。グライダーはバランスで飛んでいるのである。中心バランスが自分なのである。グライダーが自分ではなく、反作用にのエネルギーが我である。我は姿、形ではなく、見えない空エネルギーが我である。
今まで形を自分だと信じてきた自分から見えない空エネルギーが本当の我であることに気づく。その為の現象界、この世は本宿に帰る途中の仮の宿である。

2022年6月9日木曜日

宇宙の根源は中心バランス

 

宇宙の根源は中心バランス

宇宙は1つの細胞体である。すべての万象万物は1つの生命体の中の一部である。全ては1つの宇宙の中で生かされている細胞体である。地球も1つの細胞の中の小さな細胞体である。人間はその地球の中に現象化している更に小さな細胞体である。見える細胞体は集合化して形に現れている。宇宙は1つの細胞体であり、見えないだけで実在している細胞体。空である。見えるものは見えない細胞の集合体である。見えるものは全て中心バランスによって現象化されている。見えるものは細胞体が集合化されているのであって形があるのではない。形は細胞の集合体の現象であり、あくまで集合体が見える形になっているだけである。その見える形に名前を付けているだけで、名前をつけたものがあるわけではない。
日本の漢字は見えないものを顕そうとする文字である。真理である。
見えるものは必ず見えるものを現すものがある。因果の法則がある。見えないからと言って信じないだけである。見えるものがあると信じるなら人間の形は無くなる事はない。実際は消えてしまう現象である事を認めない。人間は消えて行くものをあると信じるが故に生老病死に巻き込まれてしまう.
宇宙の根源は完全なる生命体。この中に居るものは全て完全である。人間の現象も宇宙の中に現象化されている。完全なるが故に現象化されている。現象は幻影なので消えて行く。現象は変化の中にあり、変化して元に戻だけである。変化させているものは変わらない。中心バランスは変化することはない。中心バランスが宇宙の根源であり、このバランスが生命である。



2022年6月8日水曜日

肥田式と遠心力

 


肥田式と遠心力

日本人の使う道具は引いて使うように作られている。ノコギリも外国は押して切るが、日本人は引いて切る。包丁も刀もすべて引き切りで使う。
肥田式の時に使う抜刀の刀も切っ先の遠心力を使う。身体の上半身の遠心力を使うということは切っ先の力を遠心力という力に変え、使う所にその力を使って行く。遠心力は心の力と書く。目に見えない力を使うということである。宇宙のエネルギーを使うということである。こ゚の宇宙の無限大のエネルギーを利用する為には身体の中心バランスが整っていないと無限大のエネルギーを使うことができない。刀も身体の中心と切っ先のバランスを取る必要がある。
人間も肉体と心のバランスを取ることで見えない無料の無限大のエネルギーを使うことができる。宇宙は元々完全バランスであり、エネルギーそのものである。このエネルギーによって人間は作られている。このエネルギーを如何に中心を整え使うかだけである。この無限大のエネルギーは身体の中心バランスを取ることで引き込むことができる。刀も長い方が遠心力が使える。遠心力とは目に見えない無限のエネルギーのことである。
肥田式の型もこの遠心力を最大限に利用しながら心と肉体のバランスを取り、宇宙エネルギーを如何に引き込むのである。宇宙エネルギーによって肉体は生かされていることに気づく為の鍛練である。本当の我は無我であることに気づく鍛錬である。

2022年6月7日火曜日

中心力と不老不死の仙薬


 中心力と不老不死

肥田先生は秦の始皇帝は自分の中に不老不死の仙薬があることを知らなかったと云われている。
宇宙は1つなる永遠なる生命体であり、万象万物はこの中で現象化しているものに名前を付けているだけである。生きているのは象(カタチ)ではなく、生命が象を動かしている。宇宙には象が生きているものはない。生命の現われが現象化しているだけである。これをあると思ってしまうと囚われになってしまう。宇宙は見えるものがあるのではなく、見えないものが集合化して見えているだけである。中心力とはバランスであり、絶対なる宇宙バランスである。このバランスがなければ見える象(カタチ)、現象は顕れることはない。このバランスがあるが故に万象万物は現象化している。バランスの結果が現象である。
宇宙の原点は絶対バランス、これが全ての根源である。絶対バランスは調和であり、1つということである。1つなる絶対調和の根源があって初めて万象万物は現象化され、宇宙は絶対バランスを保つ事ができる。宇宙には最初から象(カタチ)は存在していない。宇宙は無限生命であり、無限とは1つであり、1つの中に 有限なる象は存在しない。生命は見えないバランスであり、生命が宇宙の塵を集合化させ、現象化させているだけである。見えないものが見えるものを現わしている。
見えるものは見えないものの現われであり、色即是空、空即是色、色心不二である。すべては1つの現われ、見えるものも見えないものもすべては同じもの。これが宇宙の本源本質である。ここからすべてが始まる原点になる。見える様々なものは質料の集合体であり、様々な形は愛の法則によって象(カタチ)という現象に現れている。象は現れ。現れしているものは陰陽に吸引の法則である。これが宇宙であり、我である。
中心力は宇宙の法則であり、生命は不老不死である。秦の始皇帝は存在しない象をあると信じる心が外に不老不死の仙薬を求めていたということである。実在していない現象に秦の始皇帝は囚われていた事を云われておられる。

2022年6月6日月曜日

肥田式は上虚下実の鍛練である。

 


肥田式は上虚下実の鍛練である。

今、人間は筋肉を付けることで力が出ると思っている人が多いと思います。その為に量の筋肉を求める。人間の動き方で上虚下実ということを理解している人が少ない。上半身に筋肉を付けてしまうと上半身の自由性が無くなってしまう。これで能力を逆に落としてしまっている。必要な筋肉は量ではなく、質の筋肉が必要なのである。「伸ばせばバターの如く、縮めれば鋼鉄の如く縮む筋肉」が必要なのである。筋肉の量を付けるということは自分の力で対応しようとするため身体を壊してしまう。部分だけを強化する為身体のバランスを失ってしまう。バランスによって力は出ることを理解していない。力はバランスなのである。バランスがエネルギーなのである。宇宙の法則なのである。肥田先生が中心力10、部分9の割合で動く時、幾ら激しい動き方をしても身体を絶対に壊すことはないと言い切っている。中心バランスなのである。上虚下実ということは上半身を弓のように使うことである。体の字を昔は「躬」という字を当てていた。上虚下実の身体の使い方は下半身の動きと上半身の動き方が違うのである。力で使うことを小手先というのである。伸ばして使うことは無限のエネルギーを引き込み使うことである。日本の古武道の使い方である。肥田式の抜刀も切っ先三寸を使う。引き切りで無限のエネルギー、利動力を使うのである。自然界は全てそのようになっている。渡り鳥はジムで筋肉鍛錬して何千キロも飛んではいない。作用、反作用の法則を使っているだけである。人間はこの現象界でグライダーの如く、向かい風に向かって飛ぶことで、自分はエネルギーによって動かされている存在であり、生かされていることを理解する。ヨットも向かい風に向かって前に進むのである。進む力は自分では出してはいない。エネルギーがヨットを動かしている。ヨットは動かされている。
これを理解するには中心力10、部分9の力の配分で動いている事に気づく必要がある。これが上虚下実の意味である。肥田式はこれを利動力という形で使っている。風の鳥と云われるヒマラヤの8000mの山を越えるアネハヅルは逆風の風に向かってその奥にある上昇気流を命がけで捕まえる。命がけで行動を起こす時、誰でも人間はエネルギー、知恵が使えるという法則を知る。知恵はエネルギーであり、同じものである。学んで使うことではなく、必死の気で動く時、知恵と力が使えるのである。肥田式は1息に命をかける鍛錬である。
逆風はエネルギーであり、知恵である。これが我である。姿、形は知恵を表現する為の媒体である。肥田先生も人間は神の子であり、神の器であると云われている。
抵抗は素晴らしいエネルギーであり、抵抗の奥には本来の全知全能の神の子の我がいるのである。

2022年6月5日日曜日

生命はバランスである。


 生命はバランスである。

中心とはバランスのことであり、この見えないバランスが根源なるものである。肥田先生が、中心の鉄扉を開かずして生きることは生きていても意味がないと云われている。これだけハッキリと云われている。肥田式は肉体鍛錬ではない。中心力の鍛練である。肉体を通して宇宙の中心力を知り、理解する為の器が人間としての現象の形である。
中心力が肉体を動かしている。無我の境地とは自分は存在しないということである。肥田先生が大悟徹底されているということは肉体離脱をしているということになる。一般の人にはこのことを理解できないために目に見えることだけで色々なことを云われている。
肥田先生の生き方を見れば最初から自分はない。大学に行かれる時も自分の為に大学には行ってはいない。自我の人間には無我の真理は理解できない。中心力という意味を理解することで宇宙の真理を理解し本来の我に気づいて行く。天寵無限という言葉は人間が天から無限大のエネルギー引き出すということではない。無限大のエネルギーが自分であるということに気づくことである。人間は存在しない。無我なのである。肥田先生はこのことを知っていたと思う。書に中心という文字を書かれる。その下に円相を描かれている。宇宙の真理を理解しているということである。また「誠」「真我」の書もある。これはすべて宇宙の真理である。宇宙の真理とは生命である事を理解されていた。真理はバランス。愛である。愛の中に争いはない。


2022年6月4日土曜日

肉体が自分なのか?息が自分なのか?

 


肉体が自分なのか?息が自分なのか?

宇宙は無限大である。無限の中に有限は存在しない。見えるものは現象であって形は変化してしまうものである。
創世記に「人間は宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれた」と書かれている。すべての万象万物は1つなる息の現われ、現象であるということになる。人間は宇宙の相似形であり、小宇宙であると云われている。人間は細胞体であるように宇宙も1つの細胞体である。その宇宙細胞体の中の一部が地球であり、人間である。地球も宇宙細胞体の中の1つの宇宙の臓器のようなものである。細胞体に隙間は存在しない。宇宙は1つの隙間のない細胞体である。1つの細胞体の中に時空間は存在しないということになる。
地球は空に浮いているように見えるが、ぎっしり詰まった細胞体である。見えない細胞の中に浮いているように見えているだけである。
人間は息が止まると死を意味する。肉体が生きているのなら、息が止まっても生きているはずである。息が止まると肉体があっても動かなくなる。息が肉体細胞を動かしているということになる。
宇宙は中性であり。完全バランスである。これが宇宙の陰陽の法則であり、こ゚の法則が愛であり、息であり、神である。仏である。生命である。宇宙の中に現象化されているものはすべて1つの中の出来事である。すべては1つの息でつながっている。