2022年5月27日金曜日

今の意識状態が現象化している。


 今の意識状態が現象化している。

今、地球上で現れている現象は人間の想いの結果が現れている。良いことも悪いことも人間の想いが造り出している。想念は実現の母である。
想念シナリオが具現している状態である。現れているものは現象なので、想いが象に顕れている。質料が象になって顕れているだけでまた形が変化し、見えなくなって行く。氷が水になって行くようなものである。
地球は地の星であり、自然界は見える世界、万物も地に這って生きている。人間も。波動の低い世界から人間の根源、原点、空に戻る。1つなる空がすべての万象万物を現わしている。現わしているものが自分であり、すべては1つの現われであるということは万象万物全て1つであるということになる。宇宙は1つなる生命なら我も宇宙生命、万象万物も宇宙生命、すべては1つである。天上天丅唯我独尊。すべては1つであり、すべては我である。
すべてのすべてありてあるものすべて生命であると聖書に書かれている。
宇宙の法則は1つの法則、陰陽の法則、愛の法則があるのみであるということになる。人間は1つの生命体であることを知らず、見えるものに自縛している。波動が上がれば争うことはなくなる。波動を上げる為に想念という意志力与えられている。想念は人間に与えられている何でも叶えてくれる魔法の杖である。波動の低い人間を生きるのか?波動を上げて本宿に戻るのか?の選択は本人の自由に任されている。


2022年5月26日木曜日

空の世界と現象世界


 空の世界と現象世界

1つなる生命(神)が八百万の神を現象化させている。現象化されているものはいずれ消え行く存在である。
現象界は1つなる見えない生命が意識によって具現される世界である。「想念は実現の母」。この世は思ったことが現われる世界である。自分の中の想念がシナリオを描き、自分という器がそれを演じている。脚本家であり、俳優であるが、人間という器が自分で脚本をつくり、動いていると思っている。俳優という器にはシナリオはつくることはできない。現す媒体の器である。良いことを思えば良いことが現われ、悪いことを思えば悪いことが人間という器を通して現われている。現象界は想いのままの世界。今の自分が現象しているということは自分は人間であるという想いが人間の形を現わしているということになる。
宇宙は生命意識であり、1つなる空意識が想念によって現象化される世界。見えるものは見えない生命エネルギーが宿り、現象化している。現象化するということは波動が低いということである。見えるものは波動が低く、見えないものは波動が高い。
空生命は高バイブレーション、高バイブレーションの見えないものが波動が下がると見える形になる。
氷を温めると水になり、水を温めると水蒸気になり、見えなくなる。
人間も水子であり、意識バイブレーションを上げれば空になる。見えるものすべては空から生まれている。また空に戻る定になっている。
人間は今の姿、形を意識しているため波動を上げることができない。その為に消極な形に囚われ、生老病死の四苦の仮相の世界、又無いものをあると想う心が分離感を生み、争いの元になり闘争に明け暮れる。仮の宿、俗世から本宿に戻る為には意識圧を上げて行かなければならない。見える世界は見えないものの現われの結果の世界、見えない世界は本源本質の原因の空の世界。



2022年5月25日水曜日

原点(天)は中心バランス


原点(天)は中心バランス

中心バランスが宇宙の万象万物を現象化させている。中心とは1つということである。宇宙には中心は1つの絶対バランスの中心があるということである。完全バランス、中性である。この中性バランスが見えない生命循環システム、陰陽の法則、愛の法則、調和の法則が1つなる宇宙である。
万象万物は見えない生命法則によって現象化されている。宇宙は調和体であるということは2つはない。1つしかないということである。見えるもの、見えないものはすべて1つであるということになる。現れているものは1つなるものの現われということになる。1つの見えないものが現象化しているということになる。お釈迦様が云われる色心不二である。見えるものは見えないものの現われであるということである。様々な現象は1つなる見えないものの現われであると。
宇宙は1つなる見えないものの中に見えるものが現象化 している。見えるものは単独で存在してるのではなく、見えない生命が現象化させている。すべては1つなる見えない生命が様々な波動領域のなかで生命が宿り、見えない生命が質料形態に宿り、見える形の生命活動をしている。宇宙は中心バランスが故、生命活動を行うことができる。生命とはバランスのことである、


2022年5月23日月曜日

神、仏とは何ぞや?


 神、仏とは何ぞや?

神、仏とは何か?を知らなければ、何の為に生きるのかが分からなくなってしまう。人間の身体は小宇宙と云われ、宇宙と同じシステムで動いている。
宇宙はたった1つの法則で動いている。自然界も同じ法則で動いている。宇宙は完全なる陰陽の法則で永遠なる生命体である。すべてはこの完全なる生命体の中での出来事である。こ゚の陰陽の法則、愛の法則を神と呼んでいる。完全なる、永遠なる生命循環システム。これを神と呼んでいる。こ゚の生命エネルギーは見えない為、神と呼んでいる。神は宇宙の至る所に存在している。宇宙そのものが神の御神体である。すべてが此処から始まる。すべては完全から始まる。完全の中に不完全は存在しない。不完全というのは現象という存在しない消え行くものを、実在すると信じる心が不安、恐怖を持ち込み、バランスを狂わしてしまう。消えてしまう仮相をあると思う心が、心を惑わしてしまう。現象の諸行無常の世界をあると信じ、生きることで自縛してしまう。
宇宙のすべてのすべてありてあるものすべて神であり、仏であると云われている。
神、仏とは永遠なる見えない生命を言っているのであって神様、仏様がいるわけではない。
人間という現象の器はどのように使わなければならないのか?人間の中心には無限なる生命エネルギーが眠っている。この内なる宇宙の無限なる生命エネルギーを引き出す為の器が人間である。人間はエネルギーを受け流す媒体器である。この器を自分と思うと自縛する。見える万象万物は見えない無限大のエネルギーを放射させる道具である。自分は存在しない。無我である。乗り物が消えてしまえば、次の乗り物に乗り換えるだけである。
生きている内に成仏できなければ、死んでは成仏できないと云われているのは乗り船が自分ではなく、乗り船を動かしている生命が神であり、仏であり、自分であることに気づくことである。仏は汝の内にあり。これに気づく。全てが1つなら全ては自分ではないか。これを実感することが今生で成さねばならないことであるということである。その為の現象界であり、生きる世界ではなく、理解、悟る世界である。
善、悪は仮の宿から本宿に戻る為に用意されたバネである。鳥が向かい風に飛び込み、その奥にある神の上昇気流を捕まえる為に仮相の人間に用意されたものである。現象を実在と見るか、仮相と見るかは本人の自由意思に任されている。



2022年5月22日日曜日

宇宙は1つ、すべては1つ、絶対調和なり。


 宇宙は1つ、すべては1つ、絶対調和なり。

宇宙は初めから完全であり、絶対調和である。その中で生かされているものは全て完全である。
万象万物は宇宙の1つなる生命が万象万物をつくり、その中で1つなる生命が息をしている。すべては1つの息が万象万物の中に宿り息している。万象万物の息は1つの宇宙の息である。すべては兄弟姉妹なのである。
1つなる生命が様々な形態に宿り、息している。すべて1つの息である。地球上に様々な形態の生きるものがあるがすべて1つの息を吸っている。
今、人間同士で争いを起こしているが、1つの息がすべての形態に宿り、形態を動かしている。見えるものは1つの見えない生命エネルギーによって動かされている。人間は1つのエネルギーで動いているが、それに気づかず人間同士で争いを起こしている。見えるものはすべて同じ生命エネルギーによって生かされている。自分が自分で殺していることに気づかないまま、争いを続けている。宇宙は無限生命であり、無限の中には有限なるものは存在しない。万象万物は現象である。従って人間も存在しない。見えるものは全て現象であり、存在しないということになる。見えるものはすべて仮相であることが理解できれば争うことはなくなる。
人類だけに自由意志が持たされている。与えられた想念力を使って自分の波動を上げることでこの現象界、存在しない世界から解脱して行く。人類を救うということは現象界から1人、1人が本当の自分に気づき、自分の力で這い上がることが人類救済である。見える世界を生きることは自縛である。肉に生きるは死であるとキリストも云われている。


2022年5月21日土曜日

自分が自分を救済することが人類救済になる。


 自分が自分を救済することが人類救済になる。

人類の文明が発達すればするほど自滅の天変地異が待っている。幾度どなく繰り返されてきた事実である。人類は天変地異が何ぜ来るのかを知らない。宇宙は絶対バランスで生命活動をしている。愛の法則、フリーエネルギーで生命活動をしている。真理は1つである。真理の陰陽のバランスを崩せば地球バランスが乱れる。物質文明が発達するとバランスを失う。見えるものと見えないものとのバランス。人類はこれが理解できないでいる。1人、1人が自分の中心バランスを崩さなければ天変地異を招くことはない。人類が文明が発達し、物質中心になると宇宙のバランスが崩れる。人類は見えるものだけを追い求める。結果だけを追い求める。見えるものは見えない生命エネルギーによって現象化されていることに気づかない。こ゚の為に起きてしまう。それでなくとも地を農薬で汚し、水を汚し、空気を汚し、人類は生きている。万物の霊長の人間が地球を汚し、汚染し続けてている。人間は水子であり、水が汚れれば肉体を維持できなくなる。空気が汚れれは息ができなくなる。小学生でも解ることをしないで地球を汚し続ける。
1人、1人がこれに気づくことで防ぐことができる。自分自身を救うことで天変地異を防ぐことができる。自分の波動を上げることで今いる状態の個体波動を上げ、この波動域から脱皮し、抜け出すことで人類の波動を上げることができる。1人、1人の内なる波動を上げることで巻き込まれなくなる。この波動の低い波動領域は何でもありの世界である。これは波動が低い為に起きる。これを地獄界と呼ぶ。人助けは自分の波動を上げることで他人も波動も上げることができる。この世で他人に何かをすることが人類救済でない。人類救済は意識レベルを上げること以外にないということである。1人、1人が自分の中心バランスを取ることが人類救済になる。


2022年5月20日金曜日

敵は本能寺にあり


 敵は本能寺にあり

最大の敵は自分自身である。人間という形を自分と思う心が惑わす最大の敵だということになる。すべてを変えるのは自分の思いだからである。
人間はお父さん、お母さんが造ったと殆どの方が思っていると思うが、お父さん、お母さんが、夜も寝ないで心臓を動かしたり、息を止めずに居られることを子供に組み入れることができる能力がお持ちなのですか?
それでも自分が子供を作ったと言えるのですか?
子供は全知全能の神が作っているのです。神というと宗教的になりますが、宇宙は陰陽の法則により完全バランスを保っている。この宇宙の陰陽のバランスが子供を作っているのです。
生まれた子供は自分を自分だと思う為、自分が生きる為に自己保存の為に自分さえよければという心が起きてしまう。これが争いの元になる。人類は木の葉のようなもので 1つの木の葉のようなものですべての根源は1つである。宇宙は1つの生命エネルギーが様々な形態をつくっている。形は違っても根源は同じもの。万象万物は1つの生命の現われである。
目に見える姿。形を自分と見てしまう心が枠に囚われた見方しかできなくなってしまう。
これが宇宙力を使える人間が自分があると思う心が宇宙力を使えなくしてしまっている。
故に小さなことで争うを起こす。自分が宇宙だと思えば小さなことでは争わない。すべてが1つであることを知れば争わない。自分が人間と思う心が人類を争いの中に巻き込む。
人類は兄弟だという真理を知れば争うことはない。争いは自分が人間だと思う心が引き起こす。すべてが1つであると知れば地球は光る星になる。
自分を含めてであるが、人類は偉そうなことを云っているが、まだ幼児期な人類である。
今の科学技術はこれ以上発達することはない。何ぜ?結果で結果を作る社会には限度がある。波動を理解できれば、UFOのよう空よりエネルギーを調達できる。ごみ処理も空気汚染しなくても波動により消すことができる。地球のバランスを崩すことはない。
すべてが1つであるということが人類が理解できる時に地球は光る星になる。
これが中心力。愛の法則である。


2022年5月19日木曜日

人類の舵取りは中心力が鍵になる。

 

人類の舵取りは中心力が鍵になる。

今、人類は目に見えるものだけを追いまくり、自然界のバランスを崩し、自滅の道に気づかず、邁進している。高度の文明が発達すると天変地異が起き、地球が幾度となく再生されてきた。
宇宙はバランスで生命活動をしている。このバランスを人類は気づかずに物質の見える世界だけに生きている。見えるものは見えないもののバランスによって見える世界が存在していることに気づかない。
中心力はバランスである。肉体もバランスが崩れると病気になる。肉体の中心バランスを取ることで肉体も元に戻ってくる。肥田先生のつくられた天真療法は中心バランスが基本ベースになっている。人間は小宇宙と呼ばれているように宇宙もこの陰陽のバランスによって生命体を維持している。この中心力。愛の法則が1人、1人が理解し波動を上げ、この世の波動の低い現象界から脱皮する。この世を良くするには1人、1人が人間という波動の低い世界から抜け出すことが波動を上げることであり、人類救済になる。波動が上がれば、地球の波動が上がり光る星になる。その為には中心力によって波動を上げることしかないのである。この世を幾ら良くしようとしても波動の低い、結果の世界で変えることはできない。変えるには原因を変えなければならない。人類が動けば動くほど地球バランスを崩す。それに気づかない為に起きるアンバランス、人災を人間は天災と呼んでいる。天災と言われているものは人類が見える世界だけを追う為に起きるアンバランスの現象である。
すべてがバランスである。1人、1人がこの世で幾ら財を成しても死んでは持っていけない事を知っていながら財を成そうとする。この現象界を脱皮して行くことが、人類に寄与して行くことである。
21世紀が迎えられるか迎えられないかはこの中心力が鍵になってくる。これ以外、地球を元に戻す手立てはない。

2022年5月18日水曜日

肥田式と新陳代謝


肥田式と新陳代謝

肥田先生は当時の医学書に書かれている新陳代謝に目を付けられ、当時は7年で細胞が入れ替わるという文章を見つけ、20年、いや30年かけても身体を元に戻すという必死の覚悟で鍛錬を始められている。
人間の形態は細胞の分裂により、肉体形態を維持している。この細胞集団の見える形を人間と名付けている。人間がいるのではなく、細胞の塊があるでだけである。
細胞は分裂する時、同じものがコピーされる。分裂させる細胞と分裂した細胞は同じものである。バランスによって分裂する。人によっても細胞の数は違う。一般的に70兆個とも云われているが元気な人の細胞が細かく多い。顕微鏡で鍛錬前と鍛錬後の赤血球を調べると鍛錬後は細胞が小さくなっている。
私は茶の湯も同時に行っているが、茶懐石料理を作る時、砂糖、塩を使う前に細かくして使っている。細かくすることでエネルギーが高まり、味が変化する。お茶を点てる時も茶ふるいを細かなものにするとお茶が美味しく点てられる。生徒さん達も目の細かいフルイを使って美味しくお茶を点てている。
農薬のかかったきゅうりの細胞は荒い。農薬のかからない路地もののきゅうりの細胞は細かい。例えば1本の農薬のかかったきゅうりが100円とする。農薬のかからない路地もののきゅうりが150円だとする。この差は50円の差だろうか?農薬のかかったきゅうりは新陳代謝のエネルギーを逆に引っ張り身体のエネルギーを下げてしまう。
肥田式の鍛練は新陳代謝に使うエネルギーを内なる中心より引き出すことである。無限大の生命エネルギーを。その為には心を使わなければ引き込むことはできない。中なる心、中心である。バランスが生命力である。生命力の現われが肉体である。
肉体は細胞体の総称であり、新陳代謝によって細胞が活性化させることで元気な姿が肉体に現れてくるのである。
肉体があるのではなく、細胞があるのである。分裂した細胞は3ケ月の寿命であり、不安、恐怖心があると細胞分裂に使うエネルギーが外に使われるため、バランスを崩してしまう。
食べ物もバランスの取れた食べ物は少ない。アンバランスの食べ物はアンバランスの分だけエネルギーが肉体から奪われる。細胞分裂は中心バランスで分裂している。心が不調和だと新陳代謝が遅れる。病気とはエネルギー不足であり、心の病、気の病である。
肥田式が心身強健術と名前を付けられているのは心と肉体を一体として使う事でエネルギーを引き込むという事である。肉体だけを鍛錬しても効果は少ないということである。
すべてがバランスであり、バランスによってエネルギーが引き込む事ができる。バランスが生命であり、陰陽の法則であり、キリストが云われる愛であり、仏陀が云われる慈悲である。肥田先生が云われる腰腹同量、中心力である。すべて同じ意味である。真理は1つである。
 

2022年5月17日火曜日

自然界(見える世界)の法則


 自然界(見える世界)の法則

自然界の法則は作用、反作用の法則が働いている。この力を使うことで無理なく動くことができる。グライダーの如く自分の力を使わずして肉体を動かすことができる。自然界の見えるものはすべてこの見えない反作用の力を利用して動いている。この力を使うことで人間は不安、恐怖心を抱くことなく生きることができる。
人間はこの力を使わず、自分の力で生きようとする。
肥田先生は超能力は脳幹部の思考停止であると大切なことを云われておられる。
肉体鍛錬を通して肉体は意識によって動かされていることに気づく。この3次元の現象を通して人間は自分では何もすることはできない。生かされている存在であることに気づく。中心力によって生かされている。自分自身は無私であることに気づく。
自然界からそのことを中心力の鍛練により理解する。
肥田式で腹は作るのではなく造られてくることを理解する。1人、1人が中心力で生きることで社会を変えることができる。これが肥田式の鍛錬であり、争いをなくし、地球は波動を上げることができる。地の星から光る星になる人類の生き方である。肉体の中心を取る事により宇宙エネルギーを受けて流す事で地球磁場を変える事ができる。争いのない社会を作ることができる。中心力とは宇宙の法則。愛の法則である。無限大のエネルギーを受けて流す法則である。争いは目に見えるものをあると信じる心が起こしてしまう。実際にはない消えて行ってしまう現象をあると思う心が争いを引き起こしてしまう。宇宙は無限であり、全ては1つなるものの現れである事を知らない為に起こしてしまう。中心力の鍛錬は全てが1つである事を知る事ができる鍛錬法である。




2022年5月16日月曜日

肥田先生は肉体を鍛錬して戦争に勝とうとしたのか?


 肥田先生は国民の肉体を鍛錬させ、戦争に協力しようとされたのか?

肥田先生の著書は「天覧」の朱印が入っている。それだけ日本の国にとって必要だったのか?肥田先生は肥田式を使って戦争の為に使おうとされたのだろうか?肥田先生は戦争に対して阻止しようとした人物である。肥田先生は大局的に戦争を阻止し、日本を救おうと考えており、純真に国を思う人であった事は明確である。
肥田先生は必死の気で自分の肉体を蘇らせ、国の為に命を捧げている。肥田式はそのような鍛錬方法なのである。肥田先生が編み出した鍛錬方法は宇宙の中心なるエネルギーを引き出す鍛錬法である。中心力、聖中心という言葉は宇宙を意味している。
宇宙は陰陽のバランス、中心バランスであり、宇宙には無限大のエネルギーで充ち満ちている。この宇宙エネルギーの引き出し方を肥田式という中心鍛錬法によって引き出している。これは肥田先生の肉体を通して宇宙エネルギー、全知全能のエネルギーが流れているということである。肉体は器であり、器には何の力もない。
肥田式は宇宙力を引き出す鍛錬法である。肉体は消えてなくなる存在である。幾ら鍛えても消え行くものである。この世は諸行無常の消え行く存在である。宇宙は永遠である。永遠なる中に居て、有限なる人生を生きようとする人間。逆さまな生き方をしている。
お釈迦さん、キリスト、肥田先生も同じことを云われている。この世を生きるは̪死であると。
争いを防ぐには全てが1つである事を理解させようとされたのか。


2022年5月15日日曜日

人間は気の葉である。


 人間は気の葉である。

1本の木は春になると芽を吹き、青葉になり、秋になると葉が紅葉し、冬になると葉が落ちて行く。木はこの繰り返しで生きている。
木の葉が生きているのではなく、気が生きているのである。木の葉は木が変化して木の幹から葉を出している。木の一部である。木の葉自身では生きることはできない。
人間も木と同じように木の葉なのである。人類は1つの木の60億という木の葉である。1人、1人は1枚の木の葉であり1つの生命エネルギーによって生かされている。
万象万物は宇宙の1つの木の木の葉である。すべては1つの生命エネルギーによって生かされている。
1本の木を見ると沢山の木の葉が幹に付いているが、すべて1本の木である。人間は1つの生命によって生かされていることを感じることができない為に木の葉どうしで争いをしている。
宇宙は無限大のエネルギーである。争いを起こさなくても空には無限大のエネルギーが眠っている。
万象、惑星はエネルギーの中に浮いている。1つの宇宙細胞体の中にある。この宇宙細胞体の1つの中には時空間は存在しない。
肉体離脱、昇天、悟りというのは1つの宇宙生命に気づくことである。人間と思っていると小さな力しか使えない。本来の我は宇宙であると思えば宇宙力が使えるということになる。人間は消えてなくなる存在であることは誰でも知っていることである。実際には人間は存在しないことを理解する。その為の現象界である。葉は変化して消えて行くが、木はまた葉を出し、生命活動をしている。人間も木の葉と同じ現象である。


2022年5月14日土曜日

地球バランスは誰が崩しているの?


 地球バランスは誰が崩しているの?

人類の文明が発達すればするほど地球に天変地異が起こる。幾度となく繰り返されてきた天変地異。宇宙の中では小さな出来事かも知れないが太陽系にとっては重大な問題である。1つの惑星がバランスが狂うとすべてに影響を与える。人間がちょっと歯が痛むと他に影響を与えるようなものである。
人間は宇宙の一部であり、そのことが理解できない為に地球のバランスを自ら壊し、天変地異を繰り返している。繰り返していてもそれにまだまだ気づかない人類。
自然界のバランスを崩していながらそれを人間は天災と言う。人災という事がわからない。
見えるものしか信じない為に起きるアンバランスの現象である。見えるものは見えないものの現象である事に気づかない。1人、1人の意識が天変地異を起こしている。すべては1つであるということを理解する為にこの現象界がある。現象は消え行く存在である。本源本質を気づく為に現象界があるのである。原因、結果の法則は原因を知るためのものである。

2022年5月13日金曜日

すべては空の現われ。


 すべては空の現われ。

宇宙の真理はたった1つの法則、陰陽の法則があるのみである。中世バランスである。
宇宙は1つの細胞体であり、見えるもの、見えないものは1つの生命体であり、1つの宇宙生命体が万象万物を現わしている。見えるものがあると見てしまう。見えるものは見えるものの現象であることをどのように理解して行くかは本人に任されている。見えるものが我ではなく、見えない空が我であることを理解することが悟空である。人間は万物の霊長と云われている。宇宙は霊であるということになる。
見えるものは見えないものによって動かされている。「想念は実現の母」と云われているように。見えないもの(意識、心、霊、想い、その他)の意識によって現象化している。原因、結果の法則である。人間、動物、植物、見えるものは消極である。
すべては1つの中の現われであることを知識で理解していても実際には理解していない。仮想の自分にしがみつく。消極なるものの世界で、如何に無くならないようにするかと人間は思っている。エネルギーが現象化させているもののからエネルギーを取り出している。エネルギーが我であれば外にエネルギーを求めなくても良いことになる。
肥田先生も蜂蜜のことで、「他のものの持ち物を取るな」と云われている。
人間は万物の霊長である。万物の霊長らしい振る舞いをしなければならない。


2022年5月12日木曜日

無限なる見えない空エネルギー


 無限なる見えない空エネルギー

顕在意識と潜在意識は2つで1つである。見えるものだけがあるのではない。見えないものの方が大きいのである。人類は見えるものだけがあると思っているが、奪い合いをしなくても宇宙には無限大の質料とエネルギーの世界である。
人類はこのことを知らないものだから見えるものだけにしがみつき、争いをしている。
お釈迦さんが見えるものも見えないものも同じものですよと云われているのに気づかない。色心不二ですよ。と云われているのに。見えるものも見えないエネルギーのバランスで現象化している。21世紀は見えないものと見えるものは1つであることを知る時代に入る。争いのない世界である。
見えるものは見えないものの現われ、宇宙は無限大の陰陽のバランスによって永遠なる生命活動をしている。この中に万象万物は1つなる生命により、現象化している。すべて見えない生命が形の中で形を動かしている。何ぜ、見える動いているものを信じてはいけないのかというと見えるものは結果の世界で消極、消えるものであり、意識がこの見えるものに合わせてしまうと無限大の我が小さな自分に合わせることで、宇宙の全知全能のエネルギーが使えなくなると同時に、諸行無常の世界から抜け出せなくなり、仮の宿から本宿に戻れなくなる。キリストが云われる「肉に生きるは死」であり、神の子が神の器を自分として生きることで地獄界をさ迷うことになってしまう。お釈迦様、キリストはこの事を云われている。

2022年5月9日月曜日

人間は完全の中に生まれている。


 人間は完全の中に生まれている。

宇宙は1つなる生命体であり、完全なる生命体である。完全なる中に居て不完全はない。
不完全の心は自分で作り出している。
宇宙は完全1元であり、無限生命であり、無限生命の中に有限は存在しないからである。
存在しないものをあると思う心が、不完全なるものを作り出してしまっている。
現象の形を見てあると思ってしまう。変化して止まない諸行無常の世界は内なる心の現われであることを理解していない為に起こる。色心不二である。見えないものが見える現象を現わしている。万象万物すべて現象である。本当の我は見えない中心生命、中心力が我である。肉体は中心なる心表現する為の媒体である。
キリストが「肉に生きるは死」と云われていることである。肥田先生も「中心の鉄扉を開かずして生涯を終わるものは米を抱いて餓死するが如し」とキリストと同じことを云われている。肉体は心の表現体である。故に心身強健術なのである。心と肉体を1つとして使って行く。見えるものは心の変化の中にあるため、変化するものを安定して使おうと思っても安定して使うことができない。心は常在であり、肉体と1体で使う。肥田先生が云われる「天寵無限」である。エネルギーは無料である。無料であるというより中心よりエネルギーが入ってくる。中心バランスが我である。宇宙生命である。愛の法則である。
エネルギーは作るのではなく、入ってくるのである。腹も作るのではなく、つくられてくるのである。

2022年5月6日金曜日

肥田式は肉体を使って如何に能力を引き出すかの鍛練である。


 肥田式は肉体を使って如何に能力を引き出すかの鍛練である。

肥田式は万芸の泉と呼ばれている。何ぜ?。心身を一体にさせることで能力を引き出す鍛錬だからです。
一般的に肉体を使う為に丈夫身体をつくるという考え方が大方である。肥田先生は中心に入れば数回で良いとまで云われている。この事からも肥田式は肉体鍛錬をし、能力を引き出す鍛錬ではないことが理解できるはずである。
肥田式は肉体の取り扱いの説明書。肉体の取説である。宇宙のエネルギーを使う取り扱い説明書のようなものである。
人間の能力は顕在意識と潜在意識と云われている意識である。この意識は2つで1つであり、見える人間の動きは潜在意識によって動かされている。
見える動かされているものだけを見るが故に潜在意識が使えないのである。
すべてが1つ。宇宙は1つ。見えるものも見えないものも同じ1つのものである
。見えるものは見えないものによって生かされていることに気づくことで小さな自分であるが大きなエネルギーが使える。
学んで能力を出すのではなく、すべて持っているものを引き出す。これが中心力であり、自分自身である。人間は肉体に能力があるのであるのではなく、宇宙のエネルギー、知恵を受ける受信機であるということである。受信機の性能を上げる為に肉体の中心を使い、宇宙の知恵、力を引き出す鍛錬である。
中心力は自然界は作用、反作用の利動力である。
人間には自らには力はない。グライダーの如く、向かい風の中にあるエネルギーを如何に捉えて行くかである。幾ら肉体を鍛えても能力を得ることはできない。肉体道具を自分だと思ってしまうと自縛する。人間という姿形はピノキオであり、エネルギーによって動かされている器であること認識することで器から能力、知恵が出てくる。知識は人の為ならずである。すべての力は中心力が肉体を通して現れてくる。肥田先生の云われる天寵無限の宇宙力である。


2022年5月5日木曜日

この世を何ぜ、仮の宿、俗世というのか?仮の宿で何をすべきなのか?


 この世を何ぜ、仮の宿、俗世というのか 仮の宿で何をすべきなのか?

仮の宿があるということは本宿があるということである。
宇宙は霊界であり、人間を万物の霊長と呼ぶ。宇宙は無限の質料とエネルギーの絶対バランスで、絶対の生命循環、陰陽のバランス、中性である。
此処がすべての根源であり、見える姿、形はバイブレーションの低い状態である。この低いバイブレーションを上げることで本宿の見えない本当の自分に戻る。今は本宿から生まれ、個体という姿の中に住み、バイブレーションを上げ、霊肉一体にさせ、見えない本宿に戻る途中にいるのである。
人間という仮の宿に囚われてしまうと本宿には戻れなくなり、戻れるまで輪廻を繰り返す。
本来の我は人間の裡に本当の我が宿っている。こ゚の我に目覚める為に仮の宿がある。この世で一生懸命に働いて財を成しても死んでは持って行けないことを知り、本来の使命に気づくことで本来の我に気づく。
見えるものは不完全であり、人間のすることは完全なことは行えない。人間が生きると必ず自然界のバランスを崩す。争いを引き起こす。同じ生命同士で争いする。見えるものに囚われて生きてはいけないことを知る。人間、万象万物は神の化身であることを知り、1人、1人の意識を上げることで人類が争いのない世界をつくって行く事で本宿に戻って行く。人類を変える力は1人、1人の中にある。バランスがすべてを変える力になる。見えるバランスではなく、見えないバランスを取って行く。中心力、中なる心は全ての人の中にある。



2022年5月4日水曜日

すべては1つしかない。個人は全体である。


 すべては1つしかない。個人は全体である。

すべてのすべてありてあるものすべて神である。神とは無限大の陰陽のバランスの事である。これが宇宙の永遠なる生命循環である。
宇宙は1つなる無限大の生命循環システムであり、中性バランンスである。このバランスの中に万象万物は形態をつくり、生命が息している。すべては1つの生命である。1つの生命が様々な形態の中に宿り、息している。生命は見えない。見えるのは形である。形を動かしているのは見えないエネルギーである。パソコンも電源がないと動かないように。見えない1つなる電気が見えるパソコンを動かしている。見えないエネルギーが万象万物を動かしている。
人間は見えるものをあると信じ、人間が生きていると信じて疑わない。人間は宇宙の生命エネルギーによって生かされている。人間の生かしているエネルギーは唯一の宇宙エネルギーである。万象万物、全てを動かしているエネルギーは1つの同じエネルギーである。人類は同じエネルギーで動いている事に気づかず同じ身内で争いを起こしている。醜い姿である。
宇宙は1つの生命エネルギーによって生命循環が行なわれている。人間だと思うと小さなエネルギーしか使えない。宇宙だと思えば宇宙力の無限大の力が使える。
肥田先生は無私であり、宇宙と一体になる事で宇宙の力、知恵を引き出している。人間の脳には何の力もない。宇宙の電波を受ける受信機である。純粋な心が受信機の性能を上げる事ができる。能力を引き出すには脳幹部の思考停止をする事で人間の五感を停止させる事で可能になる。肥田先生も脳幹部の思考停止と云われている。人間は自分と思っていると能力はでない。無私になり、宇宙と一体になる事で宇宙力が使えるということを云われている。人間の形を人間と言っているだけで人間は存在しない。人間に見える形は細胞の集合体であり、人間の形をしている細胞体を人間と呼んでいるに過ぎないだけである。宇宙は一なる陰陽の絶対バランスであり、これが見えない我であり、無限大の絶対バランスのことを神と呼んでいる。
人間は肥田先生が云われるように人間は神の子であり、神の器である。
宇宙倫理の書の骨格は宇宙の1つなる生命に戻れば、争いはなくなる。この事を肥田先生は云われていると断言する。

2022年5月3日火曜日

人間という枠の中で生きる為に争いを引き起こす。


 人間という枠の中で生きる為に争いを引き起こす。

宇宙は1つなる生命体である。1つの中に2つはない。見えるものは見えないものの現われであり、1つである。見えるものをあると信じる心が分離感を生み、争いが生じる。現象なので実際にはないものである。人間も見えないものの現われ、万象万物は見えないものの現われ、現象であり、故に地球は空に浮いているのである。浮世なのである。人間は空の現われ、消えて行く存在であることをお釈迦様は解き明かしてくれた。色即是空、空即是色、色心不二である。
キリストもすべてのすべてありてあるものは1つなる生命、神であると。
無限生命の中に居て消え行く幻の有限なるものから離れなければならない。
地球は天と地に分けた地の星である。この地の波動の低い地球を光る星にするために万物の霊長たる人間が存在しているのである。このことが理解できなければまた天変地異に巻き込まれ、宇宙の中性の力によりまた元に戻されてしまう。幾度となく繰り返されてきた天変地異。ノアの箱舟である。文明が発達すると天変地異が起こる。これは文明の作り方が間違いであるということに人類は気づかなければならないが、まだ人類は幼児期の為、自分が創り出した人災を災害と呼んでいる。波動の低い水の惑星から光る惑星に変えることができるのは地球に住む我々、人類なのである。地球人の使命である。光る星に変える鍵が中心力、宇宙の愛の法則、陰陽の吸引の法則なのである。
神という言葉を正しく認識しなければならない。宗教家が使う言葉ではない。見えないものを神と云っている。中心力、生命、陰陽の法則を神と云っているのであって、神様がいるのではない。神、仏というのは1つなる宇宙の生命体のことを云っている。万象万物はこのエネルギーによって具現されている。すべてが神であるというこである。すべてが絶対バランスの中で生命循環をしている。キリストの云われるようにすべてが神なのである。肥田先生も人間は神の子、神の器であると云われている。神は絶対バランスであり、1つなる宇宙である。宗教という字は宇宙を示すと書く。見えるものはすべて宇宙の子である。神である。神が神を求めることはない。




2022年5月1日日曜日

中心が仏であり、キリストであり、中心は我が中にある。


 中心が仏であり、キリストであり、中心は我が中にある。

中心が生命であり、仏であり、キリストである。
宇宙は陰陽のバランスであり中心である。形あるものの全てには中心がある。中心が神であり、絶対バランスが神である。肥田先生が人間は神の子であり、神の器であると云われるのはこのことである。
すべて中心バランスが生命であり、このバランスが崩れると生命エネルギーが滞る。これが病気である。気のエネルギーバランスが不調和を病気という。
中心がすべての根源である。宇宙はこの絶対バランスである。バランスが生命である。
すべてに中心があるということは1つである。陰陽に絶対バランスが宇宙である。
絶対バランスが生命である。これを仏、キリストと云っている。これを神と呼んでいるだけである。宇宙の無限生命の中に有限な神は存在しない。神は科学であり、原子と電子である。質料とエネルギーの吸引バランスが生命である。すべてが1つなる無限なる絶対バランスが宇宙であり、万象万物はバランスのなかに現象化している。バランスの中に陰陽のイオン交換が行われる。見えないもの、形のないものを生命、神と呼んでいる。全てが絶対バランス。神なのである。惑星という字は惑わす星と書く。見えるものは全て現象であり、実在していない。





 発酵と輪廻転生


 発酵と輪廻転生

納豆は大豆が納豆菌により発酵をさせたものであり、大豆が納豆になって行く。一度納豆になってしまうと大豆に戻ることはできない。
宇宙は1つの細胞体であり、常に発酵している。よりきめ細かになっている。空である。空は何もないわけではない。見えない発酵体である。更に発酵し続けている。更に微細になって行く。細かくなればなるほどエネルギーが高まって行く。見えないということはエネルギーが高いということである。見えるものはエネルギーが低いということである。
人間は見える存在であり、見えるということは低波動ということである。低波動の為に見えるものがあると信じ、自己保存の為に消えて行くものに囚われ、争いを起こしているのが人間である。宇宙は無限生命であり、1つである。1つの中に有限は存在しないことを人間は認めない。キリストが云われている。死ぬものはまた生まれると。人間の現象が個体からバイブレーションが上がれば納豆が元の大豆に戻ることができない。人間に生まれることは無くなる。戻れるということは大豆がまだ発酵していないということになる。私を含めて形ある物はまた人間として生まれてくる。
虫達を見ると幼虫から変化して蝉になり、カブトムシになり、蝶になって行く。人間も脱皮しなければならないのに芋虫から脱皮しようとしない。青虫も幼虫の時には野菜を食べ周りに迷惑をかけるが脱皮して蝶になれば自分が植物との共存の中で生きることができる。共存共栄が法則であり、万物の霊長たる人間だけがこの法則を犯し、地球のバランスを崩している。人類は今、動植物以下の生き方をしている。仮の宿で何をすべきかを今、問われている。答えは1人、1人の裡にある。
意識を発酵させることで争いをなくすことができる。空は無限大のエネルギーの宝庫であり、誰でも使うことができる。物質を追い求める時代から空を求める時代に変化してくる。