宇宙は神1元、永遠なる生命体である。原因なき、原因。初めから永遠なる宇宙の中に存在しているのである。全知全能の中に存在している。神の中に存在している。
神の中に居て人間は争いをしている。自分は神であることを知らずに。
無限生命、神の中に有限なるものは実在しない。すべて見えるものは神の化身であり、神そのものである。見えるものは現象なので、形態は普遍原質に戻るだけである。不増不減である。
現象をあると信じる心が1つのものを2つに分けてしまう。現象は変化して止まない諸行無常の仮相を人間は奪い合いをしている。幻想の中で生きようとしている。
すべては神であり、永遠なる神の中で有限なる幻影に溺れている。
無限の神の中に有限なる見えるものは存在しない。見えるものは神の化身なのである。現象をあると信じる心か抜け出すまで、輪廻で再生させられる。
人間は万物の霊長であり、仮相界で生きることではなく、本来の使命を果さなければならない。すべては神の中に、永遠なるなかに初めから存在している。すべては1つの宇宙生命体の中の天国に住んで居る。天国は我が中にある。永遠なる神は我が中に存在している。
肥田式強健術・聖中心道の鍛錬記ブログです。肥田先生は第二次世界大戦後、第三次世界大戦に向けて宇宙倫理の書を書かれている。何故書かれたのか。その意味は?宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体の中に争いをは存在はしないことを云われたのだろうか?焼失してなくなりましたが。それを紐解いて行くブログです。
2024年4月30日火曜日
爭いは分離感から起きる
2024年4月29日月曜日
人間は神の御心を顕現させる表現媒体
宇宙は神一元の世界。神は1つなる愛の完全バランス、永遠なる愛の生命体である。
この愛のバランスの法則によって生命が現象化している。宇宙の万象万物は1つなる愛のバランスにより、現象化している。
宇宙は1つなる無限生命であり、この中に見えるものは存在しない。仮相現象である。人間も現象であり、見えるものは1つなる神の現象が顕れている。見えないものが見えるものを顕している。原因、結果は1つである。
造り主は神、愛の法則、造られたもの、被造物は神の化身である。
見えるものはすべて神の被造物、見えるもの、見えないものは2つで1つである。
人間は神に似せて造られている。自由意志を与えられている為、現象を見て自分が生きていると勘違いをして自らを自縛させている。
人間は神によって造られた神を顕す顕現道具であり、すべてが神なのである。
宇宙は神の愛のみが実在しているだけである。人間も神の化身。神は人なり、人は神なりである。
仮相の人間を演じることで、分離感になり、争いを起こし、1つなる愛の生命体の中で殺し合いをしている。人間が仮相に生きることは地球のガンである。
神の愛の法則違反である。この法則違反により、天変地異が繰り返されている。
人間には神に似せて造られている。地上界で人間が成すべき本当の使命に気づき、神の子としての使命を果さねばならない。
我は無形無双の意識なり
宇宙は1つなる意識なり。意識は見えない、無形無双の意識なり。
神意識、神は意識である。宇宙は1つなる神である。
すべては1つの神である。神は生命であり、宇宙には神が実在している。神は特別な存在するものがあるのではない。無限大の質料と無限大の霊エネルギーが存在しているだけである。光が存在している。これが神なのである。宇宙の中性エネルギーが実在している。これを神、仏と呼んでいるに過ぎない。今まで見えない神を特別視されてきたが、宇宙そのものが神であったということである。
宇宙はすべてが神であり、仏なのである。神様、仏様を祀っているが、神、仏の中に初めから住んで居るのです。神、仏を外に求めてはならない。外に求めると宗教に食い物にされてしまう。自分そのものが神、仏なのである。宇宙の法則が神なのである。
宇宙は無形無双の神であり、光であり、1つなる神が万象万物を顕している。見えるものがあるのではない。見えない1つなる神、仏が万象万物、人間を顕している。これに惑わされているだけです。
宇宙生命は見えない。無形無双の知的生命が形を通して顕しているだけなのである。
無限なる愛の知的生命体、無形無双の生命体が現象として顕れているだけなのである。
無限の中に有限は存在しない。これに人類は騙されているのです。本源本質は光なのです。
人類はこの事に気づく時期に来ている。人間が科学文明を発達させていると思っているが、知的生命体が人間の媒体を通して顕しているだけなのである。
人間の形にはそのような能力は持ち合わせてはいない。生命の顕現道具なのである。
2024年4月27日土曜日
肉体は意識によって動かされている
宇宙は1つなる生命体。コスモ細胞体である。
宇宙は1つの体である。万象万物もコスモ細胞体の中の細胞体である。島宇宙も、銀河系宇宙も太陽系宇宙も地球も人間もすべてコスモ細胞の中の細胞体である。
すべては1つなのである。コスモ細胞の中の細胞。宇宙は1つの体、永遠なる神の御神体である。
見える現象は内なる意識によって現象媒体を通して顕している。現象は道具であり。道具が自分で動くことはできない。意識によって初めて動くことができる。
想念の通りに肉体は動いてくれる。人間が動いているのではない。
宇宙は1つなる生命意識しか存在しないが。意識の仕方は自由である。
現象を見て見えるものがあると信じても現象を動かすことができる。
この現象に意識が向いてしまうと波動が低くなり、現象の実在しない生老病死の四苦に捕まり、輪廻に振り廻され、気づきまで再生される。
想念は実現の母であるが、何処を意識するかは本人の自由意志に委ねられている。
想ったことが肉体を通して顕れる。
「この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如し」
現象に生きるは死であるとイエスが云われている。永遠なる生命のパンを食しなさいと。
2024年4月26日金曜日
肉体は心の表現媒体
宇宙は1つなる生命体。1つなる心が存在するだけである。万象万物は1つなる心の表現媒体である。
人間も宇宙の相似形である。内なる心の表現媒体が肉体と言うより細胞体である。
内なる心とは意識であり、意識したものが肉体細胞を通して顕れる。「想念は実現の母」である。
心とは神であり、人間は心の顕現の宮である。神は無形無双であり、何かの媒体がなければ顕すことができない。媒体を通して顕している。神は見えないが見える媒体を通して顕している。神は人間という細胞を通して顕れている。神は愛の法則の事である。
神は何ぜ媒体を通して顕れようとするのか?
地上界の波動を上げる為に万物の霊長である人間の形態媒体を使い、地上の波動を上げようとしている。神は能動原理であり、フリーエネルギーであり、この中に存在するものはフリーエネルギー化されて行く。
宇宙は1つなるコスモ細胞体である。人間も人間の形をした細胞体である。この細胞体を使い霊肉一体にすることで、地上界を霊化するようになっている。
この神が宿る顕現媒体を自分と錯覚し、神なる我は媒体道具に生きてしまった。顕現媒体は質料細胞のため、新陳代謝により、常に新しい細胞に入れ替わり形態を維持させている。
この変化して止まない細胞は変化して普遍原質の還元される。
宇宙には姿、形は存在しない。人間も仮相媒体であり、これをあると信じる為に、生老病死の仮相の四苦に悩まされてしまう。
人間は内なる心の表現媒体であり。表現媒体は実在しない。宇宙は無限生命、普遍生命であり、無限の中に有限なる姿形は存在しない。表現媒体は使命を果せば変化して普遍原質に還元される。顕現道具を自分と錯覚してしまうと質料意識の為、輪廻で気づくまで再生される。
2024年4月25日木曜日
救い主は自分
宇宙は1つなる久遠なる完全調和、完全バランス。
これが宇宙の本源本質である。
この愛の法則の中に見える現象は存在している。
完全の中に存在している。すべてが天国の中に始めから存在しているのである。
宇宙の全知全能の力、知恵の中に見えるものは現象化している。人間も完全の中に存在しているのである。
人間は完全の中に居ながら病気、死があると信じてしまうのか?
人間は神の生命エネルギーを顕現する為に神によって造られている。神の顕現道具として使うのであれば完全なのであるが。分離感で見えるものをあると信じ、変化して止まなく現象に囚われた為に自らを縛り,変化の世界に身を置いてしまった為に永遠なる生命から有限な生命に自らを下げてしまった。
自ら下げた波動は自ら上げなければならない。自己責任で上げなければならない。意識は他人が上げることはできない。自分は初めから宇宙の完全の中にいる。今も昔もこれからも。天国の従者であることを理解することで、生命エネルギーを地上界に顕現させ、命を果し、天国に戻る。意識の切り替えは自分で行わなければならない。宗教も助けてくれない。汝の救いは汝自身なり。
2024年4月24日水曜日
人間意識は制約である
宇宙は1つなる生命意識である。無限生命意識、普遍生命意識である。無形無双の生命意識である。
宇宙には有限なるものは存在しないという意味である。人間は万物の霊長であり、宇宙は霊体であるということであり、霊が現象を顕している。生命の活動の一環として神の愛の化身として現象化させている。
万象万物はすべて細胞体である。1つなるコスモ細胞が分子細胞を造り、様々な形態を造り、生命活動をしている。
宇宙には人間は実在していない。無形無双の生命が神の愛の化身として現象化させている。
地球は見えるものを存在させる為には造られてはいない。地上界の波動を上げる為に万象万物は神の化身として造られている。人間が生きる為に造られているのではない。
万物の霊長である人間は神に似せて造られている。何故、神に似せて造られているのか?
神の生命エネルギーを地上界に顕現させる為に造られている。人間には生命エネルギーを顕現する為に自由意志が与えられている。
この自由意志を見える実在しない現象に使ってしまい、逆に人間という仮相の制約の中で囚われ、見える仮相の制約の中で自縛している。
宇宙生命の顕現道具を自分と思い、諸行無常の変化して止まない仮相世界から抜け出せないでいる。現象から抜け出すには宇宙は永遠なる生命体であり、その中には死は存在しない。死は普遍原質に戻るだけで、普遍不動の世界であることに気づいて行く。
見えない意識が肉体を通して顕れている事実を認め、意識が我であることに気づいて行く。
2024年4月23日火曜日
病気の原因
宇宙は1つなる永遠なる完全バランス。完全調和。
愛の法則で生命活動がなされている。
神、生命は完全であり,完全の中に不完全はない。形態はすべて細胞体あり、新陳代謝により、細胞を常に新しくさせ、古い細胞は消えて行く。
この新陳代謝のバランスが崩れると新陳代謝の速度が遅くなり、アンバランスになる。造る細胞より消えて行く細胞が多くなることで細胞の数が少なくなり、エネルギーが低下する。
これが気の病、病気である。新陳代謝が遅れるのは新陳代謝に使うエネルギーを不安、恐怖等のエネルギーに使われてしまうことで新陳代謝が遅れ、エネルギーの低下が起きてしまう。
完全に造られているものを不完全に使う結果が病気である。
人間は神の顕現媒体であり、病気は神の宮を勝手に使う結果なのである。神の宮は細胞体であり、造られた分子細胞体を使って無限大の生命エネルギーを顕現する為のものなのである。
宇宙に実在しているものは1つなる久遠の生命エネルギーのみである。
宇宙は中性であり、絶対なる愛の法則が生命の化身として万象万物が現象化している。
実在しない仮相の人間という意識が病気を造りだしている。
2024年4月22日月曜日
個人と云う分離感
宇宙はコスモ細胞。1つの細胞体である。無限生命細胞体、普遍細胞体、1つの細胞体の中には時空間は存在しない。
1つなるコスモ細胞の中で様々な形態をを顕し、細胞活動をしている。
人間も1つなるコスモ細胞の中で太陽系細胞体が造られその中に地球細胞体が造られている。その中に人間と云う細胞体を現象化させ、コスモ細胞体が宿り、コスモ生命細胞が活動をしている。すべて1つの包みの中の出来事である。コスモ細胞体は1つなる無形無双の宇宙生命細胞体である。宇宙は1つの包みである。
この中に見える有限なるものは存在しない。見えるものは生命が活動の為に顕している働く道具なのである。1つなる生命細胞体である。
人間には自由意志が与えられており、生命の活動する道具を自分と勘違いをしているだけである。
現象をあると信じることは神の中に居ながら自分は人間であると思ってしまっている。この分離感を持ってしまうと永遠なる神の生命とのバランスを崩し、生死をさ迷うことになる。
宇宙は1つなる生命体、その中に人間は神の顕現媒体として現象化しているだけである。
宇宙は1つなる細胞体、コスモ細胞体であり、人間も人間の形をした宇宙細胞体の中の小さな細胞体細胞体であり、大宇宙細胞体そのものである。
宇宙は1つの細胞体であり、その中には個人は存在しない。分離感を持ってしまうと神への反逆になる。その為にエネルギーが無くなり、輪廻によって理解できるまで、再生させられる。
2024年4月18日木曜日
点が我である
握れば点、開けば無窮。宇宙は限りなく小さく,限りなく、大きい、宇宙は現象界の世界ではなく、ミクロの世界なのである。
現象界で大きいことは神我の世界では小さなことになる。顕微鏡の世界である。
今は見える現象界で判断をしているが、実在界は見えない限りなく小さな限りなく大きな世界なのである。
現象界は見える世界。形のある世界は実在しない世界。実在する世界は見えない世界。
高バイブレーションは見えない世界。見える世界は低バイブレーションの世界。
見える世界は見えない高バイブレーションの世界が低バイブレーションの世界を顕している。
見える世界があるのではなく、見えない世界があるのである。
本当の世界は見える世界ではなく、見えない世界なのである。
蒸気が水になり氷になる世界。すべて1つの世界。只、変化している世界。三位一体の世界。
人間は現象の中で生きている。現象は仮相であり、実相でない。この世は仮の宿、俗世、浮世と云われている。この現象からに脱皮をする為にこの世に意識がある。
宇宙は神1元である。人間は存在してはいないのである。形は神の顕現媒体であり、見えるものを見間違いをして仮相の人間を演じている。
仮相の人間を演じても実際の永遠の本来の我に戻ることはできない。これに気付くまで輪廻が繰り返される。生死をさ迷いながら、これに気付くまで繰り返される。
永遠なる生命が我である。天国は汝の内にある。それが点である。天である。
2024年4月17日水曜日
人間は何故人間がいると思ってしまうのか?
宇宙は無限生命であり、普遍生命である。1つなる生命体である。これだけが実在しているだけなのである。その他は実在していないのである。
見えるものは1つなる生命の顕われである。
この世を現象界、仮の宿、俗世、浮世と云われているのはその為である。また人間は万物の霊長と云われている。すべては霊である。霊以外何も存在しないのである。
現象は聖書にあるように「すべてのすべてありてあるものは神」であるということなのである。人間は父、母によって形が形成されるが、父、母が子供をつくるのではない。でも父母が子供を造って信じて疑わない。こんな精妙な肉体を父、母が造れると思いますか?
父、母によって形は造られるが、形に宿る神が分子細胞を分裂させ、70兆の細胞体を顕し、形態を顕しているだけなのである。
造り主は父、母ではなく、神の生命エネルギーを顕すために人間という媒体を使っているだけなのである。外の形は父、母によって造られるが内なる細胞は神が新陳代謝により神が造っている。お母さんのお腹を貸しているだけなのである。父、母も神によって造られている。お母さんから生まれるため、人間から生まれたと信じてしまう神の顕現道具を人間という形態で造る為、現象を信じてしまう。人間には自由意志が与えられている為、人間と思うことも神と思うことも自由なのである。
宇宙は1つなる永遠なる実在生命であり、無限生命である。無限生命の中に消え行く有限なるものは存在しない。人間が居ると思う心は消え行くものをあると信じる心が造り出している。
1つなる生命、神が多神を顕していることに気づかない。
生まれた時に「命名」と名前を付ける。これは人間の名前ではなく、命の名、神の名のである。
外は人間の形をしているが、中は神がなる分子細胞体なのである。人間と云うものは存在していないのである。分子細胞は新陳代謝によって常に変化し、形態を維持させている。この新陳代謝を邪魔をしているのが人間意識のサタンである。新陳代謝は造り主と造られたもののバランスで活動している。自我意識で不安、恐怖等を持ち込めばバランスを失い。エネルギー不足になり、気の病になる。病気は勝手にくるのではなく、自ら造るものである。エネルギー不足が病気なのである。
人間だと思う心が病気を造るのである。肉体は神の顕現道具なのである。人間は神の顕現道具を自分と思って神の道具を使っているのである。人間と思っていることが罪人なのである。幾ら自分は良い人間だと思っていても人間という意識そのものが罪人なのである。
2024年4月16日火曜日
この世は想念の幻想の世界
宇宙は神意識の一元の世界。想念の世界。
想念は実現の母と云われるように想ったことを顕す世界。
現象界でも大きな夢を持ちなさいと親から云われる。実際に自分が想ったことが顕れている。
何処に行きたい、何かをしたいと想う心が現象として顕わてている。楽しいことを想えば楽しいことが顕れる。嫌だと思うと嫌なことが顕れる。
宇宙は1つなる生命体、中性なる法則、愛の法則である。これを神と呼んでいる。
人間は神に似せて造られている。神の顕現媒体として顕れている。肉体細胞を通して神のエネルギーを地上界に顕現する為に造られている。
人間には自由意志が与えられているため、現象の形を自分と錯覚して現象、仮の宿に生きてしまっている。現象は変化して止まないものである。バイブレーションが低い為に顕れているのである。神の受信器なのである。人間の顕現媒体は命の使い、使命なのである。地上界に無限大の生命エネルギーを地上界に降ろす為に造られた神が宿る神の宮なのである。宇宙には1つなるものだけが実在している。見えるものはすべて仮相であり、神の化身、神が様々な形態を顕し、神が生きている。人間も神が人間の形を通して生きてるだけなのである。
見えるものがあると想う心が分離感を生み、爭いが生じる。見えるものは見えないものの顕われであり、1つなのである。1つの中に争いはないのである。
地上界に生命エネルギーを降ろすということは地上界の波動を上げることで争いはなくなることを意味しているのである。1人、1人の中にある神の受信器を神の周波数に合わせることで2元論から1元論になることで可能になる。天国は自らに中にある。神は汝の内にあるとイエス、釈迦が云われている。これを理解する為に聖書があり、仏典がある。
神は宇宙そのものが神であり、自分自身が神であるということを知る為の仮の宿、現象界なのである。消えて行く現象に生きることではなく、地上界の波動を上げることが目的なのである。空に浮かんでいる雲は消えてしまうが、雲の形を人間は自分と思っているようなものなのである。変化するということは実在していないいうことなのである。変化しないものが実在なのである。
2024年4月14日日曜日
人間は死なない、なぜ
宇宙は1つなる永遠なる生命体である。その中で死は存在しない。永遠なる1つなる生命が現象として万象万物を顕している。
永遠なる生命の現象として顕れている。現象は生命の表現として顕れている。現象が存在しているのではなく、生命の現象として具現しているだけなのである。生命と現象は1つのものなのである。
見えるものしか見えない為、顕している生命に気づかないだけである。生命が宿らなければ現象として顕れない。
現象は生命によって分裂した細胞であり、分子細胞は3か月の消え行く寿命である。変化して止まないものである。諸行無常の分子細胞である。変化して止まないが、無くなる我ではなく、普遍原質に還元するだけである。不生不滅である。宇宙は不変不動である。
人間が死ぬと思っているのは形が変化するだけでなくなることではない。悲しむことはないのである。
宇宙は1つなる生命体であり。分子細胞が変化しているだけなのである。
宇宙は1つなる生命であって現象は生命が顕す表現媒体である。
天地一体。天は生命、地は表現。天と地は1つである。天が地の媒体を使って地上界の波動を上げることが目的なのである。
人類はこの事が理解できず、現象に生きて、神に反逆を起こしている罪人なのである。
人類は息ら頑張って文明を発達させても最後は天変地異である。これが幾度となくり返されている事に気づかなければまた再生されてもおかしくもない状態にある。
これを防ぐ方法は1人、1人の中にある。外を向く心を内に向けることで防ぐことができるのである。
2024年4月13日土曜日
人間は神の顕現媒体
宇宙は1つなる生命体であり、無形無双の実在界である。この無形無双の宇宙生命の中に人間は存在しないのである。宇宙に実在しているのは1つなる愛の法則、絶対バランスが存在しているだけである。
宇宙は完全なる永遠なる生命体であり、すべて見えるものは1つなる生命の現象である。
人間は神に似せて造られた神の化身であり、神を顕す顕現媒体である。
人間は宇宙細胞体の中で何をすべきなのか?
人間は万物の霊長と云われ、地上界の波動を上げる為に存在している。
人間はその波動を上げることをせず、仮相の人間に生きている。
本来の使命を果さず、神によって造られた形態に生きてしまっている。
神によって造られた神の被造物を自分と勘違いをしている。神への反逆行為である。
2024年4月12日金曜日
我は現象界に蒔かれた神の種
宇宙は1つなる生命体。見えるものはすべて1つなる生命の現象である。
1つなる生命が多神を顕している。宇宙に実在しているのは1つなる生命だけが実在しているのみである。宇宙は見えない生命が見える現象を顕しているだけなのである。あるのは見えるものがあるのであはなく、見えないものが実在しているのである。
現象は実在していない。現象をあると思う心が造り挿す迷妄である。
現象には現象を顕す原因が宿っている。この現象の中に蒔かれた原因、神の種が本当の我である。
現象は内なる生命が顕している。内なるものが外なるものを顕している。原因、結果は1つなのである。外なるものがあると思う心が邪魔をしてしまう。
外なるものは内なる生命の顕わてある。すべて見えるものは1つなる生命の化身であり、現象を顕しているものは1つなる生命である。1つの中に争いはない。2つあると思う分離感の心が争いを招いてしまっている。
この宇宙の法則が人類は理解できない為に仮相界で争いをしている。人を殺しても死なないのである。宇宙は1つなる不生不滅の世界であるから。
幾らこの世で現争い、勝ち得たとしても消え行く現象なのである。
1つなるものの中で争いをするということは宇宙の法則を理解していないし、神への反逆である。
現象界に生きる反逆行為は天国には行くことはできない。
見えるものだけを信じる心が自分を束縛し、自分を仮相界に自らを縛っている。
人間の本来の使命は神我顕現なのである。その為に蒔かれた神の種が1人、1人に宿っている。
2024年4月11日木曜日
この世は仮の宿、俗世、浮世
宇宙は1つなる生命体であり、1つなる生命が多神を顕している。現象は1つなる生命の顕われ、化身である。この化身は生命が顕現する為に現象化されている。生命の宮である。生命の働く道具である。
現象と生命は1つである。色心不二である。現象だけを見ると分離感になり、自縛してしまう。生死をさ迷うことになる。
肉に生きるは死であるとイエスが云われている。
この現象は1つなる生命の顕現道具であり、この現象をあると勘違いをしてしまうと永遠なる生命が有限なるものになってしまい、輪廻に巻き込まれる。
1つの生命の現象を見てあると思う心が天の住人から地の国の住人になってしまう。
1つのものを分離してしまうことで、生命から現象を切り離してしまう為に起こる現象である。1つなる生命を分離させているのは自分自身なのである。
人間は神の被造物であり、人間と神は1つである。天地一体である。
この現象界を仮の宿、俗世、浮世と云われているのは現象をあると想う心が創り出した仮の宿である。
2024年4月10日水曜日
人間は愛の顕現道具
宇宙は1つなる生命体であり、他に実在しているものは存在しない。
1つなる生命が様々な形態を顕し、生命活動をしている。
すべては生命、愛の法則みが実在している。
愛の表現として様々な形態に宿り、顕現している。
見えるものはすべて愛の生命の表現媒体であり、1つである。
色心不二、見えるものと見えないものは1つということである。
1つの中に2つは存在しないのである。見えるものがあると思う心が分離感を生み、自分を自縛させている。
1つなる生命が多神を顕している。宇宙は原因なき原因、中性生命である。
現象化しているものは1つなる本源本質の顕れになる。
宇宙は1つなる生命が様々な表現媒体を顕し、生命活動をしている。生命活動はこの現象媒体がないと顕すことができないのである。
見えるものは見えない生命の顕われであり、すべては1つなる本源本質が現象化しているだけである。
現象から見ると様々な生命があるように見えるが、生命から見ると1つなのである。
宇宙は1つなる生命細胞体であり、コスモ細胞の中に現象として顕現している。
1つの中に顕れている。故にすべては1つなのである。1つは神なのである。神が居て人間が居るということはない、無限の中に有限は存在しないのである。
形を見てしまうから迷うのであり、内なる細胞から見れば1つなのである。
人間も1つなる宇宙生命細胞の中に人間の形をした細胞が現象化している。
すべては1つの中のコスモ細胞体の中に存在して現象細胞体である。
宇宙は原因なき、原因、造り主であり、その中に神によって人間という細胞体を顕している。
人間には自由意志が与えられているため、1つなる細胞の中に現象を見て実在していると錯覚し、現象に囚われ、仮相に目が暗み自縛している。
宇宙には1つなる生命細胞の中に現象していることに気づかず、永遠なる生命の中で有限なる生き方をしている。見えるものをあると信じ、自己催眠をかけ、諸行無常の幻の世界で生死をさ迷って生きている。
人間は生命の顕現道具であり、人間は神によって造られた神の被造物であり、神そのものなのである。神は人であり、人は神である。全ては1つなのである。見えるものはすべて神の化身なのである。
神は特別な存在ではなく、宇宙に遍満する永遠なる1つなる生命エネルギーである。
その神は汝の中に存在している。汝の神、仏は汝自身なり。
2024年4月9日火曜日
すべての現象は神の御業である
宇宙は原因なき、原因の実在界である。神界である。すべての現象を生み出す本源本質の世界である。源泉である。無限生命、普遍生命である。
見える現象は見えない神界がバイブレーションを下げて現象化させている。神界、生命界がなければ現象は顕れることはない。
すべての現象は神界のエネルギー、知恵が現象を通して顕れているだけなのである。
現象の形に人間と名付けたものを自分と勘違いをして自分であると錯覚しているだけなのである。
姿、形には何の力もない人間の中身は細胞体であり、細胞は常に新陳代謝を繰り返し、形態を現象化させている。形は細胞体が形を止っているだけで細胞は常に変化し新陳代謝を繰り返し形態を維持している。生きているのは人間ではなく細胞体なのである。細胞の形を人間と名付けているだけである。
変化して止まない現象を自分と思っているため、常に不安、恐怖、悩み等の影響を受け、新陳代謝に使うエネルギーを外部に使い、自らのエネルギーを低下させ、自ら自縛させている。
エネルギーが少なくなると新陳代謝が遅れ、細胞が少なくなり、病気、気の病のなる。
最悪はガンである。ガンは新陳代謝のアンバランスによるエネルギーの低下で起きる現象である。
完全に神の媒体として造られているものを不完全にさせているのは肉体を自分と思う意識が新陳代謝のバランスを崩している。病は自らが造り出しているのである。
人間が自分で能力を出していると思っているが、すべて神の御業なのである。神が人間の媒体を使って御業を成しているのである。
宇宙に存在しているものは1つなる実在、神のみなのである。見えるものはすべて神の現象、化身であり、すべてのすべてありてあるものは神なのである。
神は宇宙の愛の法則せあり、神様がいるのではない。神は無形無双の生命エネルギーなのである。
2024年4月8日月曜日
現象界は本来の我に戻る仮の宿である
宇宙は1つなる神界であり、無形無双の霊界である。この世界に姿、形は存在しない。
1つなる神界が多神を顕しているだけである。
1即多である。
人間は実在していると勘違いしているが、人間は存在していないのである。宇宙は無限生命であり。無限の中に有限なるものは存在しない。現象として顕れているに過ぎない。
現象にはやるべき使命がある。
宇宙人は地球人、人間も宇宙人なのである。人間は自分を中心に物事を考えているが、神界からすれば塵にも満たない仮相の現象の存在が偉そうに云っているだけである。神界から見たら、気にも留めない余りにも小さな現象なるボヤキでしかない。
人間は神が神我顕現をする為に現象化している神の宮であり、宮の形を人間と名付けているだけである。神によって造られた顕現道具を勝手に使うことは罪人なのです。
人間は自分でしているように思っているが、すべて神界、生命界が行なっているのである。
人間は神界によって造られた姿、形に名前を付けているだけで、人間は神によって造られた神の被造物、神の顕現道具なのである。それを勝手に自分と思い込んで、永遠なるものを有限なるものにしているだけなのである。
現象界はこの事に気づき、仮の宿から本宿に戻る為の仮相界なのである。
「この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如し」である。
宇宙は1つなる意識界であり、人間と思っていると仮の宿から抜け出せない、意識が低い為に輪廻で再生されてしまう。輪廻は自らの意識が造る迷妄である。輪廻は現象界のものである。
消えて行く現象に幸せを求めても幸せは得られないことを知る為の現象界である。
青い鳥に気づく為の仮相界なのである。
2024年4月4日木曜日
欲望は物質界にある
1つなる生命は神界であり、実在界である。
この神界が幽界、物質界を顕している。
宇宙は三位一体の世界である。意識を何処の向けるかで自分の住処を自分で決めている。
「想念は実現の母」である。
人間には自由意志が与えられている。この自由意志を何処に向けるかである。
この自由意志は神界のエネルギーを自由に顕現させる為に持たせているのであるが、この自由意志を人間は三位一体の見える低バイブレーションの世界で使ってしまったため、本来の目的である神我顕現の仕事が出来なくなって地上界を這い蹲って生きるようになってしまった。
宇宙は神界であり、神界が幽界、物質界を顕している。人間は意識を低波動の物質界に意識を合わせてしまった。その為に変化して止まない現象界の生老病死の四苦に囚われている。
欲望は現象の見える世界にあるのであって神界には欲望は存在しない。
この欲望は変化して止まない世界で、仮相の幻影のせかいである。
現象の仮相界は神界を知る為にあるのである。欲望を幾ら持っても消えてしまうものであることに気づく為に。
物質界は神界が造る現象であり、物質界は実在しないのである。本来の我に気づく蜃気楼の世界である。善悪は1つなる善を理解するためにある仮相界である。
2024年4月1日月曜日
宇宙の法則、自然界の法則
宇宙は1つなる生命体。愛の法則である。自然界も同じ愛の法則である。宇宙も自然界も同じ愛の法則である。自然界は天地一体の見えない生命が見える現象を顕している。中心生命が見える現象を顕している。
宇宙はこ゚の法則、完全なる永遠なる法則であり、この法則によって生命活動している。
生命は宇宙の絶対真理であり、これが宇宙の根源なのである。自然界はこの法則を見える形で現象化しているだけである。
人間も1つなる生命の化身であり、実在していないのに偉そうに自分が生きていると勘違いをし、地上界をアンバランスにいるだけなのである。
地上界で人間は自然界から我物顔で搾取し、地球のバランスを崩している。万物の霊長と云いながら、動植物より、程度の低い行いをして、天変地異を起こそうとしている。地上界をアンバランづにして置きながら、問題が起きると天災と云う。人災なのであるがまだこの事に気づかない。人類は幾度と繰り返される天変地異を繰り返しながら、気づいていない。
何故、天変地異が起きるのかが人類hまだ理解できない。
これに気づいたものから地上界から離脱し、地上界の波動を上げなければならない。
地上界を救うには地上界の波動を上げ天地一体にすることである。
原因は生命 結果は人間
宇宙は1つなる生命体。原因世界。原因なき、原因である。宇宙の原因は1つなる生命である。
1つなる生命が実在している。
1つなる生命が万象万物を顕現させている。造り主と造られたものは1つである。
原因は1つなる造り主であるが、造られたものは造り主によって造られた被造物である。造り主が造られたものの中で、細胞を分裂させ、形態を維持し、形態を保っている。造り主が形態に宿って居なければ形態現象は顕すことはできない。造り主と造られた被造物は切り離すことはできない。切り離せば形態は崩壊する。
造り主は原因、原点である。愛である。愛が現象を顕している。宇宙には愛のみが実在している。
人間も造り主が造られたものと離れる時、死と云っている。死とは愛のアンバランスのことである。肉体と造り主は造り主が肉体を顕している。造られた肉体に意識が向くと、つくり主との分離が起こり、バランスを失い、崩壊する。愛の意識が創り主にあれば崩壊することはない。永遠なる生命に生きるか?外なる現象の自ら造る地獄界に生きるか?である。
病気は気の病、造り主と造られたもののアンバランスである。ガンもこの化学変化で起きる。
天国、バランスに生きるか、アンバランス、地獄に生きるかの自由選択が本人に任されている。地獄界は実在しない、外を見る心が地獄を自ら造る。地獄は自ら造る仮相界である。
この世は仮相なる地獄界はなのです。
宇宙は1つなる永遠なる生命体であり、善のみの世界である。善悪は人間が造る迷妄の世界である。