2022年9月30日金曜日

中心力と神の子


 中心力と神の子

肥田式で中心力をつくると言うが、中心力を作るのではない。宇宙はすべて中心バランスであり、無限大のエネルギーを持っている。この無限大のエネルギーに合わせることで宇宙力を引き込んでくる。
宇宙はすべて中心バランスであり、すべての万象万物は宇宙バランスの中で現象化されている。絶対バランスの永遠なる宇宙のことを神と呼んでおり、万象万物に宿る生命エネルギーを神の子と呼んでいる。万物の中心と宇宙の中心が繋がっている。すべては神一元の霊の世界である。
人間が神と云う存在を見えないが故に分離感で特別扱いをしてしまっているため、神と云う言葉を聞くと宗教と捉え、拒否する人が多い。すべての生命の根源が神である。
この根源の生命エネルギーがなければ人間、万物は現象化しない。人間は万物の霊長と云われている。すべては霊である。霊のことを見えないが故に神と呼んでいるだけである。
すべて完全なる宇宙の中に我々は神によって現象化されている。人間は中心バランスによって形態が維持されている。この中心バランスが崩れると生命が維持できなくなる。
肥田式で中心力を使う為に中心力を身に付けるのではなく、元々中心力によって形態が造られていることに気づき、人間は現象化されている短い時間のなかで何をすべきかを考えることが求められてくる。すべて誰もが使える宇宙力をどのようにして使うことができるのかを考えて行かなければならない。これが肥田先生が云われる人間は神の子であり、神の器であるということである。天寵無限。1人、1人の中に天寵無限のエネルギーを引き出すものが備わっている。


2022年9月29日木曜日

表裏一体とは


 表裏一体とは

表裏一体。自他一体、天地一体、霊肉一体。このような言葉が出てくるのか?
宇宙は1つなる生命体であるということである。
「すべてのすべてありてあるものは1つなる神である」ということが聖書にも書かれている。モーゼの十戒の最後のことがにも出てくる。見えるもの、見えないものすべて1つなる生命体である。お釈迦様も同じことを云われている。色即是空、空即是色、色心不二と。
見えるものは見えないものによって動かされている。人間は見えるものだけに囚われてしまい、見えないものの現われとして捕えられないために、すべては1つなるものの現われであることに気づかない為に争いの世界から抜け出せない。すべては1つであることを知れば争いはなくなる。見えるものは必ず消え行く存在であり、永遠なる生命体の中で有限なる生き方をしてしまう人類。生命に生きる。永遠なるものに生きる。見えないものに生きることを忘れてしまっている。お釈迦様が色心不二と云う真理を示されても現象に囚われているものには伝わらなかった。インドから中国、日本に仏教が伝わってもこの本質が抜け落ち、形骸化した形だけで真理は伝わらなかった。この宇宙真理が閉ざされてしまった。すべては1つということは永遠と云うことである。見えるものの中に見えない真理が宿っている。真理が見えるものを動かしている。見えるものが動いているのではない。すべては空生命によって見えるものは動かされている。


2022年9月28日水曜日

この世は仮の宿、俗世と云われているのか。


この世は仮の宿、俗世と云われているのか。

仮の宿ということは本宿があるということになる。
本宿とは何か?宇宙は1つなる生命であり、1なる生命が八百万の形態を現わしている。万象万物を現象化させている。現象化しているものはすべて消え行くものである。一時的な現われである。これを仮の宿と呼んでいる。現象化されているものにはすべて本宿の生命が宿っている。生命が現象の媒体を使って生命エネルギーを放射させるための媒体であり、この現象化された仮の宿の人間を自分と思い違いをして仮相の我に生きてしまっている。今の人類の我々。消え行く仮相の現象に翻弄させられながら、生老病死の四苦の中で生きている。
宇宙は霊界であり、バイブレーションの世界であり、物質界ではない。変化して止まない世界であり、バイブレーションが下がれば現象は変化してしまう。低気圧になると水蒸気が雨になり、雪になるようなものである。形態のバランスが崩れると現象は変化してしまう。人間はこの変化を死と呼んでいる。人間は死があると思っているが、死はないし、人間も存在していない。仮相である。人間が存在しているとすると宇宙は1つなる無限生命体ではなくなる。
故に、人間の世界を仮の宿、俗世、浮世と呼んでいる。人間は生きてはいない。生かされている存在であり、宇宙生命の操り人形である。操り人形はバランスで動かされている。
いや、そんなことはない。人間は自分で生きていると思っても、生まれる時、死ぬ時、自分では決められない。自分は寝ていても心臓は止まることはないではないか。誰が動かしているのか?自然界は成すべき事をしている。人間は地球のバランスを崩す為に現象化しているのではない。人間は人災を天災と呼んでいるが、これは波動が低い為に考える事ができないのである。人間も仮の宿で成すべきことがある。


 

2022年9月27日火曜日

人間が人間を生きるから間違いを起こす。


 人間が人間を生きるから間違いを起こす。

人間は神の被造物である。人間は生きてはいない。現われている現象である。人間が居ると思うから間違いを犯す。宇宙は無限大の生命体である。無限大の生命の中に有限なるものは存在しない。現象として現れているだけである。何故現れているのか?それは宇宙の生命エネルギーを放射させ、地球磁場を高める為に現象化している。人間が現象界で生きる為に現象化しているのではない。現象化している人間は消え行く存在でしかないのである。宇宙の中で神は人間が豊かな生活をするために地球のバランスを崩し、生きることを望んでいると思いますか?これはノーです。
争いで争いが防げると思っているのか?憎しみだけが残るだけである。地球人は本来の自分に生きないで、仮相の現象に生きる為に小学生でも判ることを感じることができない。これが人類の今の能力である。まだまだ幼児期な人類である。永遠なる生命体の中に居ながら敢えて有限なる生き方しかできない人類。見えるものはすべて仮相であることに気づけば21世紀は光がさす時代になる。宇宙は意識の世界である。現象の見える世界は意識の結果の世界である。
1人、1人の意識レベルが21世紀を左右して行く。


2022年9月26日月曜日

神の被造物とは?


 神の被造物とは?

被造物は神によって造られたものであるという意味である。見えるものはすべて被造物であるということになる。万象万物すべて神の被造物である。神の化身ということになる。人間も神の化身であるということになる。今、神の化身なる人間は神を差し置いて神へに反逆をしている。都合が悪くなると「助けて下さい」と物乞いをする人間。万物の霊長と云われている人間は今、神に逆らって動植物以下の生き方をしている。地、水、火、風を乱し、次の世代の生きる場を壊している。経済を豊かにしても生きる環境を壊しては何の意味もない。経済が豊かになればという迷妄から未だに抜け出せない。
これを誰がするのか?1人、1人がしなければならない。国がするのでもない。国は1人、1人の集合体が国である、地球という惑星は人間の内臓のようなものであり、その中の1つ、1つの国は1つの内臓である。1つが欠けても地球と云う国は正常に機能しないのである。すべてが1つで地球は機能する。これを機能させることができるのは万物の霊長たる人間なのである。神の被造物であり、神の化身である。万物の霊長は今、神への反逆行為を行い、地球のバランスを崩し、餓鬼畜生の世界に陥り、万物の霊長たる使命を果たさず、争いの中で盲進している。人間は神の被造物である事を思い出し、1人、1人が神の自覚に目覚めて行く。

2022年9月25日日曜日

宗教とは何ぞや?


 宗教とは何ぞや?

宗教という字は宇宙の教えと書く。宇宙の教えとは何か?永遠なる法則のことである。宇宙は1つなる生命体、陰陽のバランスであり、フリーエネルギーである。完全バランスである。無限大の生命体である。すべての万象万物はこの中で息している。勝手に生きているものは存在しない。こ゚の1つなる生命体が存在しているだけである。これ以外何もない。無限生命ということは1つであるということである。
人間は見えるものと見えないものを分けて見てしまう為、分離感を持ってしまう。見えないものを神と呼んでいるのは同じなのであるが、神を外に求めてしまう為、現象をあると思ってしまい、生老病死の四苦に惑わされてしまう。すべて1つなるものの現われであることを見落としてしまう。見えるものだけを追ってしまう。これが禁断の木の実である。宗教家達は見える現象の中で人間の生きる道を探っているが、現象からは探ることはできない。結果から原因は探ることはできない。
これから地球を再生させる為にはすべて原点から見つめることが必要になってくる。一度、現象の宗教から離れ、原点、アダムとイブの世界に戻ることで21世紀に生きることができる。
宇宙の法則の原点に戻る時期に来たように感じる。
現象を幾ら直そうとしても対処療法になってしまう。原点に帰る。原点は永遠なる世界。すべては此処から発祥している。


2022年9月24日土曜日

植物と虫は共存している。すべて中心バランス。


 野菜と虫は共存している。すべて中心バランス。

人間は野菜に寄ってくる虫を害虫として殺虫剤で殺す。人間は何ぜ虫が寄ってくるのかを考えない。虫たちは酸性の植物に酸性の虫が寄ってくる。野菜も酸性土壌に育つと酸性の虫が寄ってくる。酸性の虫たちは酸性の野菜を好んで食べる。虫たちは悪いことをしているのだろうか?酸性の野菜を食べることで中性に戻してくれている。土が酸性に傾いていることを教えてくれている。土壌を中性に戻すことで、酸性の虫は寄って来なくなる。
虫たちは地球のバランスを中性に戻してくれているのである。
人間はこれを無視し、農薬を使い続けている。地球のバランスを崩して経済を維持しようとする。目先の欲に囚われ、地、水、火、風の4元素がなければ人間はこの現象界からバランスを失い、消えて行かなければならない。
宇宙は中性バランスで生命活動をしている。この中性バランスによってすべての万物は息している。
人間という仮相もバランスによって幻影を保っている。こ゚のバランスがズレるとエネルギーが入らず、気の病、病気になる。独楽も中心軸がズレると回転がムラになり、止まってしまうように。宇宙は1つなる永遠なる細胞体である。人間も宇宙細胞体であり、その細胞体が人間の形をしているだけである。人間も微生物である。菌体バランスを失うと人間と云う形は存在しなくなる。今。人類はこの事を知らない。知って居れば除菌はしない。現象を維持しようとしてバランスを崩し、宇宙のバランスに目を向けない。
人間はこの世で長生きするために生まれて来たのか?消えて行く幻影の中で財を求め、豊かな生活をするために生まれて来たのか?
肥田先生が云われている重い言葉がある。「中心の鉄扉を開かずして 生涯を終るものは 米を抱いて餓死するが如し」と。現象に生きるは死であると。バランスに生きなさいと。
身体の中心は正中心、宇宙の中心は聖中心。宇宙は1つなる絶対バランス。大調和の永遠なる生命体の中にすべての万象万物は生命の現象として現象化されている。この世は仮の宿、俗世、浮世と云われている世界で何を成すべきかに気づくために現れている。波動の低い状態である為に形が現象化し、見えているだけである。
未だ未発酵の状態の為、形があるが、完全発酵になれば形は持たない。形が見えるから争いを引き起こす。争いをなくすには1人、1人が自分の波動を上げ、完全発酵しなければならない。意識発酵である。完全発酵とは絶対調和、中心バランス、陰陽のバランス。すべては1つなる完全バランスから生まれている。バランスが我である。宇宙は永遠なる絶対バランス。現われているものはバランスの結果として万象、万物は現れている。



2022年9月23日金曜日

中心力が我なり


 中心力が我なり

宇宙にはたった1つの生命体があるのみ。すべてが1つなる生命体である。無限生命体である。その中に万象万物は無限生命によって具現されている。宇宙は無限生命体であり、永遠である。永遠なる中にあるものはすべて永遠である。人間も永遠なる生命体の中に存在している。よって人間も永遠であるということになる。
何故、人間は有限であると思ってしまうのか?それは形を見るからである。形は現象であり、常に変化して止まない質料である。この見えるものをあると思う心が人間には死があると勘違いをさせている。お釈迦様が色心不二と真理を示されているが、この真理を理解されていない為に生老病死の四苦に未だに惑わされ続けている。
人間は1つなる生命の現われであり、宇宙生命体であるということである。永遠なる生命体であるということである。
1つなる生命とは陰陽の法則であり、中心バランスである。これが永遠なる生命体の根源である。これを神と云い、仏と云い、天照大神と云っている。形あるものの中には必ず中心がある。この中心なるエネルギーが形を現象化させている。これが形を造っている。これが現象を現わしているものである。人間の形は現象、それを現わしている中心力が我である。
我の本性は姿、形ではなく、中心なる生命エネルギーが我である。生命エネルギーは宇宙には1つしかない。万象万物は1つなる宇宙生命体の化身である。宇宙生命体が我である。すべてが宇宙生命体のなかの細胞体である。見えるものをあると信じる心が無限生命の中に居ながら有限なる現象に囚われ、惑わされてしまっているだけである。
1つしかないものを2つに分け、見えるものをあると見てしまうことでエデンの園から追放されてしまう。自分で自分を追放している。エデンの園は自分の内にあり、いつでも帰れるのである。エデンの園は中なる心、中心である。これが我である。


2022年9月22日木曜日

天寵無限と肉体


 天寵無限と肉体

宇宙は1つなる生命体。すべてのすべてありてあるものは1つなる生命体であり、すべてのものは宇宙生命体の中に存在している。人間も然りである。
天寵無限は天は無限なる生命エネルギー体であり、
無限なるエネルギーが様々な現象を現わしている。人間も1つなる生命の現象である。万象万物は見えない生命エネルギーが現象化したものである。形を見るから人間と呼んでいるだけである。
人間の器、神の器をどのように使えば良いのか?宇宙には1つなる生命エネルギーがあるのみである。こ゚の生命エネルギーを肉体を通して現わして行く。万物はそれを忠実に行っている。
万物の霊長たる人間は自由自在に宇宙エネルギー放射することができる。その為に人間という器が造られている。人間の細胞を通して無限大の生命エネルギーを放射させることで、地球の波動を上げて行く。
人類は善悪の木の実を食べた為に1つなる生命に善悪の見方を持ち込み、見えるものに生き、争いの仮相の世界に囚われ、本質に気づかなくなってしまった。本当の我が自分の中にあるのに気づかず、外に求め、自分で創り出した争いの仮相の世界に生きている。
肉体は神によって造られた神の器であり、その中に神が宿っている。我は神の子であり、神の器である。人間という自分は存在しない。見える形を人間と勝手に呼んでいるに過ぎない。
汝の神は汝自身なり。汝の仏は汝自身なり。天照大神は汝自身なり。すべてが1つなる霊である。
宇宙は1つなる見えない生命体であり、霊体である。物質世界ではない。宇宙霊である。それ以外何ものでもない。人間は万物の霊長であり、すべて見えるものはすべて霊の化身である。1つなる霊を色々な云い方をしているだけである。すべてが1つなるものから発生していることに気づけば争いはなくなる。波動が低い為に起きる現象であるため、人間、1人1人が波動を上げて行く以外にない。争いで争いを無くすことはできない。



2022年9月21日水曜日

天寵無限と中心力


 天寵無限と中心力

天の無限大の恵み、人間が宇宙に存在して天の無限大のエネルギーを使うのではない。
宇宙は無限大の生命エネルギー体であるということである。人間は宇宙には存在はしていない。仮相である。万象万物はすべて仮相である。人間は見えるものをあると信じているが、見えるものは存在していないのであるでなければ宇宙は存在する事ができない。見えないものが見えるものを現わしている。すべて1つなるものの現れである。見方が逆なのである。逆から見るから不安、悩みが生じてくる。人間は天、生命によって現象化している仮相の存在である。肥田先生は人間からものを見ていない。聖中心という字を肥田式に付けることはしないはずである。人間は神の器であるとハッキリと云われているのは人間の存在の意味を理解されているからだと思います。人間は仮相である。実在していないということを云われている。宇宙は1つなる無限大の存在である。無限大ということは外には何も存在しないということである。この事が理解できれは争いは無くなる。宇宙倫理の書は焼失してしまいましたが、人類救済の書であると感じております。
我々は肥田式を通して何を成すべきか?を考えなければならない。肥田式は21世紀のメッセージでもある。鍛錬を通して内なる中心力を引き出し、地球の波動を上げて行く。肥田式は1つなる宇宙の中心に身体の動きを合わせ、身体を宇宙の波動の受信機として使う。肥田式は非常にシンプルな身体の動きである。真理は1つであり、単純でシンプルである。肥田先生が云われる真善美とはこの宇宙生命の事である。

2022年9月20日火曜日

宇宙は法則、人間も法則なり


 宇宙は法則、人間も法則なり

宇宙は1つなる法則からなる永遠なる生命体である。
人間も宇宙の中に存在している。宇宙の法則に基づいて現象を現わしている。宇宙なくして人間は現象を現わすことはできない。
宇宙は霊体であり、ミクロの世界である。ミクロの世界が細胞集合体として見えている世界。人間も見えない微生物の集合体である。
宇宙の見えるものは見えない微生物の集合体によって現れている。宇宙は見えない細胞体の集まりである。人間は見えるものをあると信じている為、見えないものは信じない。見えるものは実際にないものをあると信じる為、生老病死の四苦に悩まされてしまうことにお釈迦様は気づかれ、伝えようとされたが道を後世の弟子たちが理解できない為、伝えることができない。
色心不二である。
仏教界も生老病死の四苦を見えるものの中で解消させようとしている。四苦は現象であり、現象の四苦は原因である心を変えることで解消される。宇宙は原因、結果の法則である。
見えるものは見えない心が造り出す。不安、悩みがあるということは宇宙の法則に反して生きているということになる。1つなる宇宙生命体の中に善、悪は存在しない.
現象を見てしまう為に善悪を持ち込んでしまう。人類がこれを克服できなければ、21世紀は望めない。仮相の争いの中で生きることになりまた宇宙の中性バランスに再生されてしまう。



2022年9月18日日曜日

筑波山の植物たちと生命


 筑波山の植物たちと生命

筑波山は植物の垂直分布が見られる。3つの森林帯に分かれている。その為、色々な植物が生まれている。ホシザキユキノシタも筑波山の固有種となっている。つくば市の花でもある。ツクバウグイスカズラ、筑波山で発見された植物は多い。貴重な植物のが育っている。最初から固有種のホシザキユキノシタがあったわけではない。後から名前をつけたのである。
人間は宇宙の塵に人間の形を造り、息を吹き込まれた。と聖書に書かれている。人間も後から人間と名前を付けただけの話である。宇宙の生命が造った形に名前をつけている。人間の先祖は人間ではなく、生命である。神である。人間は生命の子である。人間の羊水で造られるため、人間が造ってると勘違いをしているだけである。人間と思っているのは形を人間と云っているだけで人間の中身は細胞の集合体である。宇宙は1つなる細胞体であり、様々なバイブレーションの違いによって様々な形態を現わしているだけである。
現われた形はすべて細胞の集合体の形である。宇宙細胞体の中の小さな細胞体、これを人間と呼んでいる。人間は存在していない。細胞の形を人間と呼んでいる。見えるものは細胞体の集合体でであり、細胞には寿命があり、消えて行く現象である。細胞は新陳代謝により形態を維持している。新陳代謝はバランスによって行われている。人間は人間がいると思っている為、不具合を直そうとするが、宇宙バランスで形態を維持していることに気づかない。キリストは生命に生きよと云われていることに人類は気づかない。
肥田先生も「天真療法」を作られたが、使う人がバランスによって形作られている事に気づかない為に使えない。治癒力とはバランスの事である。中心力である。中心生命力である。
生命は陰陽の法則であり、法則の結果が人間という現象である。人間は菌体バラ んスで形態を保っている。1つの生命体を善玉菌、悪玉菌と勝手に分けて悪玉菌を殺している。善玉菌、悪玉菌は2つで1つである。すべてバランスである。完全なる宇宙バランスを崩して自爆しているのは外ならぬ人間なのである。人間は農薬で土を汚し、水を汚し、空気を汚し、自分が生きる為に必要なものを壊している。大人が自分の欲の為に子供達が生きる環境を奪ってしまっている。肥田先生も云われている「天寵無限」は宇宙は永遠なる生命体であるという事である。人間はその中に生まれ、現象として無限なる生命エネルギーを受けて流す道具、神の器である事を云われている。肉体が宇宙の無限大のエネルギーを使うのではない。無限大のエネルギーを肉体という媒体を使って受けて流す為にある。その為には身体の中心定めなければならない。
肉体の鍛錬ではない。無限なる宇宙に消えゆく存在の人間は存在しない。あるのは宇宙生命体が人間という形を現象化しているだけである。人間は万物の霊長であり、宇宙霊である。




2022年9月17日土曜日

色心不二と墓じまい。


色心不二と墓じまい。

 色即是空、空即是色、色心不二。この言葉は誰でも知っている言葉であるが、色は空であり、空は色である、色と空は1つであるという意味であるが、見えるものと見えないものは同じもの。見えないのが見えるものを現わしている。宇宙は1つなる生命体である。1つなる見えない生命が八百万のものを現わしている。宇宙は1つなる無限生命体である。無限の中に死は存在しない。見えるものの状態が変化するだけである。人間が死ぬということが本当なら宇宙は成り立たない。無限なる中に有限は存在しない。
宇宙は見えない霊界である。人間は万物の霊長と云われ、すべて霊である。見えるもの、見えないものすべて霊である。宇宙の1つなる霊のことを神、仏、天照大神と呼んでいる。
宇宙の根源のことである。この霊が様々なバイブレーションの中で様々な形態をつくり、生命活動をしている。人間は形態の変化を死と呼んでお墓を作り、亡骸を大切にしている。人間は見えない生命によって生かされている存在であり、色心不二ということは見えない生命と見える形に宿る生命は同じものであり、1つであるということであり、形が変化しているだけである。生命は死なないということになる。宇宙に生命は1つであり、宇宙が死ぬことはない。見えるものは見えないものの現われである。死なないのだからお墓は必要ないのではないか。お寺も必要がないではないか。このことが理解できたので、宗派から離れ、墓じまいをしてしまいました。宗教という字は宇宙の教えと書く。真理は1つである。様々な宗教の根源は1つでなければまちがいであるということになる。2つあるといことはどちらかが間違っているということになる。宇宙真理は1つである。1つなる神が多神を造る。八百万の神を現わしているだけに過ぎない。2つあると分離感の為に争いが起きる。争いが起きるということは間違っているということに気づかなければならない。1つなる宇宙には争いはない。


2022年9月16日金曜日

天国は意識次第


 天国は意識次第

「想念は実現の母」何故この言葉があるのだろうか?
意識次第で天国も地獄もあるということになる。この世は見える世界、見える世界は見えない世界が現わしている。想いがすべてを現わしている。想いは誰でも思うことはできる。これをどのように使うかである。「想ったことが現われる世界」
想うことは誰でもできるではないか?その想い方で変ってしまう世界がこの現象界である。
良いものを思えば良いものが顕れる。悪いものを想えば悪いものが顕れる世界、これが霊界である。宇宙である。今、人類は人間と云うものに囚われているため、争いの世界から抜け出せない。宇宙は意識の世界である。物質の世界ではないのである。意識がすべての本源、本質の原点の世界。これが本当の我の世界。天国の世界。天国は汝の内のあり。波動を上げることが天国の世界に入る道である。波動を上げるという事は物質意識から霊意識に変えて行く事である。宇宙は最初から天国であり、霊界である。21世紀は全ての宗教をなくすことで、本来のものが見えてくる。企業でも創始者とそれを引き継ぐ2代目は違ってしまう。2代目はそれを守ろうとするため、間違いを起こす。本質を伝えることができなくなる。
宗教家も自分がキリスト、ブッタになれば良いではないか。原点は1つなのだから。
宇宙は無限生命であり、1つなる生命体である。2つあるとそれはどちらかが間違いである。
宗教と云う字は宇宙の教えと書く。宇宙は1つなる生命体である。この宇宙法則に反するものは生き残れなくなると思う。

2022年9月13日火曜日

神は永遠なる法則なり


 神は永遠なる法則なり

宇宙は1つなる生命体であり、1つなる生命体は中性なる生命体なるが故、永遠なる生命体である。中性とは陰と陽のバランスによって造られ、絶対調和によって生命が実在している。こ゚の法則によって様々な形態が生まれ、その中に人間と名付けた生命体が現象化されている。人間はこの現象を自分と勘違いをしているだけに過ぎない。1つなる生命体は波動の世界であり、見えるものに囚われ生きているのが人間という仮相の自分になる。
神様が別にいて神様に従って生きるのではない。神という法則が人間と云う姿、形を現わしている。現われているものも法則によって現象化している。神は拝む存在ではなく、法則によって現象化されたものを如何に使って法則通りに生きるかである。法則通りの生きることで本源、本質の原点、神に戻ることができる。地球の波動が上がれば地球という地の星が光る星に変えることができる。地上ユートピアである。今も天国であるが、意識が波動の領域のため天国には入れない。神は永遠なる法則である。

2022年9月11日日曜日

我は意識なり


 我は意識なり

宇宙は1つなる見えない無形無相の世界であり、何も見えない世界である。人間の現象として肉体があるように見えるがそれを動かしているのは見えない意識が動かしている。意識は見えない。心も見えない。気遣いも見えない。人間が死ぬ時、意識がないと云う。見えるものは見えないものによって動かされている。見えるものは見えないものによって生かされているということは見えるものは実在しないということになる。
全ての万象万物は見えないものによって動かされているということになる。人間には自由意志があるため、見えるものをあると思ってしまう。見えるものはなせ現象化しているのか?を見極める必要がある。すべて見えない意識の現われである。生命の現われである。
見えるものは実在していない。結果として現れている。人間も結果である。結果に生きると宇宙の法則に反する生き方になるため、永遠なる生命が有限なる生き方になってしまう。宇宙には有限はないため、有限なる現象の低波動を上げ、永遠なる高波動に上げなければならない。
人間という低波動では生命循環ができないのである。宇宙のバランスを崩すだけである。
今、仮相の人間に生きようとするため、分離感のため、争いを引き起こしている。同じ生命体の中で自分で自分を殺している。
1人、1人が意識波動を上げ、この低波動領域から抜け出すことで地上ユートピアを造ることができる。宇宙は霊界であり、物質界ではない。物質で地上天国はできない。天とは空の世界であり、天地一体にすることで可能になる。天地一体にするには意識で行わなければならない。


2022年9月10日土曜日

本来の我は見える我でなく、内なる見えない我である。


 本来の我は見える我でなく、内なる見えない我である。

肉体は意識によって動かして行く。想念によって肉体を動かして行く。肉体は良いことも悪いことも素直に逆らわず現わしてくれる。心が楽しいと思えば楽しい表現をしてくれる。人間の想い通りに肉体は動く。肉体を動かしているのは自分の心である。肉体は心の操り人形である。
本来の我は肉体ではなく、内なる生命であるという自覚を持って肉体を離脱させて行く。本来の我に戻って行く。本来の我は姿、形ではないことをこの現象界で理解して行く。
見えるもの、見えないものすべて1つなる生命の現われであることを理解して行く。
本来の我は見えるものではなく、見えるものを現わしている見えない我である生命と1体になり、そのものになって行く。宇宙生命体そのものになって行く。人間という仮相に囚われてしまうと肉体離脱ができなくなる。また人間に生まれてくる。




2022年9月9日金曜日

本来の我は観自在、無碍自在


本来の我は観自在、無碍自在

 宇宙は1つなる中性の生命体。見えない生命体。この生命体の中に万象万物は生命の現象として現れている。すべては1つなる生命が現わしているだけに過ぎない。人間には自由意志が与えられ、現象、人間が実在していると思うことも仮相であると思うことも自由である。何故、現象をあると思っては行けないのかというと1つなる生命は全知全能の力、知恵であるものを小さな小我の人間があると思ってしまうと宇宙の力が使えなくなってしまう。井の中の蛙になり小さな形の枠に囚われ、本来の自分の力が使えなくなってしまう。宇宙は何の制限もない。観自在、無碍自在の世界である。
人間が無我の境地になると力が出るのは人間という小さな枠を取り払うことで宇宙と1つになることで宇宙の力が使える。これが本来の我だからである。宇宙は無限生命体である。無限生命の中に有限なる人間は存在しない。見えるものは1つなる生命の現象であることが理解することで宇宙の力が使える。宇宙力が我である。
人間という姿、形は全知全能の力、知恵を現す器であり、人間という存在はないということになる。本来の我は形は持たない。無形無相の宇宙生命体である。人間と云う見える象に囚われてしまうと本来の我を現すことができなくなる。今まで人類は人間という幻想から抜け出せないでいる。
本来の我は観自在、無碍自在なる自由なる宇宙の生命が我であること気づく為の現象界である。本来の我は姿、形を持たない我である。空である。そのものに1体になって行く。これを如何に実感して行くかにかかっている。

2022年9月8日木曜日

天真療法と真の健康


 天真療法と真の健康

天の真の療法(天真療法)、天は1つなる生命であり、中性なる生命体である。中性は陰陽のバランスで永遠なる生命エネルギー体である。こ゚の永遠なる生命エネルギーのみが宇宙に存在しているだけである。万象万物は1つなる生命エネルギーによって様々な現象を現わしている。現れているものはすべて宇宙生命の仮相である。仮相はバランスによって現象化されている。こ゚のバランスを崩すことが病気である。真の健康は肉体と心のバランスによって維持されている。
一般的に健康を考える場合、見える部分だけを見てしまうが、実際はこのバランスが肉体の不調和を起こして起きる現象が病気である。心が整えば肉体は自ずと良くなる。心とはエネルギーである。
肉体は現象であり、実際には存在はしていないものである。宇宙にある万象万物は実際にはない現象である。故にこの世を仮の宿、俗世、浮世と呼ばれている。人間は見えない心によって動かされている。肉体は神経によって、エネルギーによって動かざれている。肉体と思っているものは表面的な形を云っているだけで肉体の内は70兆個とも呼ばれる細胞体である。新陳代謝はバランスで行われている。真の健康は心と肉体のバランスである。肥田先生が天真療法で云われた事を忠実に行おうとする人は知識があればある程難しい。素直になれない。真実は1つである事に気づかない。現象界、見える世界だけしかないと思っている人には理解できない。



2022年9月3日土曜日

中心の鉄扉と天の岩戸開き


 中心の鉄扉と天の岩戸開き

中心とは中なる心、天の岩戸の中も光である。
心と光は同じもの。宇宙は1つなる無限の生命体、愛の法則、絶対調和の光の完全なる生命の世界、創造原理の世界。この光の世界を神、仏、天照大神と呼んでいる。人間という自我の心が本当の我である光を外に出さない。見えるものは宇宙の本源本質によって現わされている現象であり、同じものであることに気づかない。人間という自我を捨てた時、本来の神の力、知恵が自由自在に使うことができる。中心力も天照大神を同じ意味である。人間は仮相であり、見える自分をあると思う心が本来の力が使えない状態にしている。人間が居り、神がいる訳ではない。宇宙は1つなる生命体であり、見えるものも見えないものも同じものである。見えるものだけがあるのではない。見えるものは見えないものによって見える象を現わしている。
八百万の神が存在するのではない。1つなる神が八百万の神を現わしている。宇宙は1つなる生命細胞体である。すべて1つの生命体である。
天の岩戸開きの神話も見えないものを知る為の例え話である。聖書も同じである。それをそのまま受け止めると分離感になり、間違いを起こし、偶像化し、此処が本物の岩戸であるということになってしまう。人間は現象を信じて本質の意味が理解できない。すべては1つである。
聖書はバイブルと云われるように宇宙はバイブレーションの世界である。バイブレーションが低いと見える現象になり、高いと見えなくなるだけである。
色心不二、色即是空、空即是色であり、見えるものも見えないものも1つである。見えるものが亡くなったのではなく、見えなくなっただけで変化しただけである。この言葉が理解出来たら人間は死なないということになる。人間の本質は宇宙生命体であり、永遠であると。人間は死なないのだからお墓は必要ないということになる。見えるものはすべて現象であり、現象を現わしている万象万物の本質は永遠である。本来の我に気づく。万象万物を照らす光が天照大神であり、我自身である。仏陀は宇宙即我と云われている。宇宙そのものが天照大神である。見えるもの、見えないものすべてが神である。


2022年9月2日金曜日

人間は万物の霊長である


 人間は万物の霊長である

人間は万物の霊長と云われている。万物はすべて霊であるということである。宇宙もすべて霊であるということになる。宇宙は1つなる生命、霊の世界であり、これが宇宙の本体である。宇宙は見えない高バイブレーションの世界であり、見える万象万物は霊が波動を下げて現象化している状態。1つなる霊が様々な形態を現わし、その中で生命活動をしている。
生命は見えないエネルギーであり、見える質料に宿っている為、見えない生命を見落としてしまっている状態。見えるものは見えない生命によって生かされている。生命が人間という人形(ヒトガタ)を動かしていることを死という形で知らせている。意識が抜ければ肉体は動かなくなることは誰もが知っている。それでも目に見える肉体を自分と思ってしまっている。見えないものと見えるものは1つであるということを日常で言葉に出して使っているのだが。
霊肉一体、表裏一体、天地一体、色心不二、これらの言葉の意味はすべて1つであるという意味である。見えるものは見えないものによって現わされているということである。すべてが霊であるということを日本人は当り前に日常で使っている。
宇宙はすべてが霊1元、見えないものを神、仏と呼んでいる。1つの中に神、仏が別々のいるのではない。1つの宇宙の中に様々なものは存在しない。1つなる生命体、無限生命の中に形あるものは存在しない。見えるものはすべて1つなる見えない生命の現象である。生命が我である。
見えるものは波動が低い為に見える象を現わしている。高波動になれば姿、形には現れない。
高バイブレーションの生命が形態の中に宿っている。
高バイブレーションなる我が見える低波動に合わせてしまう為、形があると思うようになり、 囚われ自らを縛ってしまう。形の偶像をあると思う心が分離感を生み、争いを引き起こす。
この世は本当の我に戻る為にある現象界である。陰の世界である。肉体を現わしているということは波動が低いということを意味する。聖書はバイブルと云われている。高波動に戻る為に書かれた書である。見えないものをたとえ話によって見えない自分に気づく為のものである。
実在しない見えるものをあると信じ、自分で波動を下げてしまったものは自分で上げなければならない。これがカルマである。
低波動を上げることを肉体離脱と云っている。人間も昆虫達と同じように脱皮して行かなければならない。昆虫たちは脱皮するために宗教は持っていない。昆虫も人間も同じである。今、仮相の人間は仮相を自分と思い、争いを起こし、1つなる生命の現象の殺し合いをしている。見える現象を殺しても生命は殺すことはできない。見える象が変化するだけである。
どのようにすれば現象界から争いがなくなるのか?それは1人、1人がこの低波動の世界から抜け出すこと以外にない。抜け出すことで周りの波動が上げることができる。1人、1人が自分の波動を上げることが人類救済である。本来の自分に1人、1人が戻ることである。形の持たない我に戻ることである。空の世界に戻る。1人、1人が自分に戻るこが地の星から光る星に変わる唯一の方法である。

2022年9月1日木曜日

肥田式は本当の我に気づく鍛錬である。


 肥田式は本当の我に気づく鍛錬である。

肥田式は人間の形の中にある中心を通して中なる心、本当の我に気づく鍛錬である。身体の中心を機械的に見つめ中心なるエネルギーが我であることに気づく鍛錬である。自然界は作用、反作用に力が働いている。この反作用のエネルギーを引き込み、肉体を動かして行く。動かしているのは反作用のエネルギーであり、自分が動かしているのではないことに気づいて行く。グライダー、ヨットのように向かい風をエネルギーに変えて行く。
鳥たちも上昇気流を捉えて動いている。自然界は中性に戻そうとするエネルギーを使って動かされている。人間も肉体の裡には意識というエネルギーが内在されている。このエネルギーを肉体を使って引き出して行く。このエネルギーは無限大である。幾ら使っても減らないエネルギーであり、地球上に生息している生物はこの中性エネルギーを使っている。
人間が息しているのもこのエネルギーである。すべての万物はこ゚の1つなる生命エネルギーによって現象化され、生かされている。1つなる生命エネルギーが我であり、すべての万象万物はこのエネルギーによって生かされている。形、現象は現わす器であり、器、形が自分ではなく、こ゚の中性生命エネルギーが本当の我であることに気づいて行く。動かしているものは肉体ではなく、肉体に宿る中性エネルギーである。人間と云う個人は存在は何処にも存在しない。宇宙内すべて1つなる中性なる無限エネルギーであり、この中で万象万物は現象化している。このエネルギーがなければ万象万物は現象化できない。見えているものはすべて現象である。人間も初めから存在はしていない。造られたものである。造られたものは必ず造り主がいる。それが中性生命エネルギーであり、神であり、仏であり、天照大神である。これが本当の我である。造り主が神なら造られたものも神である。神とは中性生命エネルギー、光のことである。神様が別にいる訳ではない。我は神の子であり、神の器であると肥田先生も云われている。