2022年10月31日月曜日

呼吸と息づかい


 呼吸と息づかい

一般的に呼吸法と云うと吸って吐く動作を連想される方が多いとと思いますが、肥田式で行う腹胸式呼吸法を見ても胸は解放状態で行う。
肥田先生は横隔膜の大緊張と云う言葉を使う。何故大緊張なのか?息づかいとは内圧をかけることで酸素を取り込むということである。深層部呼吸筋は不随筋であり、随意筋で動かして行く。故に夜、寝て居ても息している。
自然界の法則は宇宙の法則を作用、反作用という形で生命が息している。魚が上流に進むのも、鳥が風に乗って飛ぶのも同じ法則である。肥田式ではこの法則を利動力と呼ぶ。
これは中心バランスの作用、反作用の見えない力である。これの中心生命力を神と呼ぶ。この無形無相の中心力が神の子であり、肉体は神の器である
この中心力は宇宙バランスであり、自然界はこ゚の中性なる法則が働いている。この無限大の力を如何に使うかである。
息とは自らの心と書くように生命である。生命の使い方が息づかいである。息とは意識でもある。この力は無限大である。この無限大の力が肉体を動かしている。肉体が自分なのか?動かしているエネルギーが自分なのか?
肥田先生は新陳代謝に目を付けられ、身体を強健体に戻された。新陳代謝は細胞のことであり、細胞の集合体が人間という形を現わしている。息しているのは細胞が息している。人間は外観であり、その形の名前が人間と名付けている。
細胞は心のバランスによって左右される。「必死の気」という積極的な心、意識によって変わってくる。意識が変われば変わるのである。肉体が変わるのではなく、意識のバイブレーションが肉体細胞をより細かく変化させて行くのである。肉体が自分ではなく、意識が自分なのである。肉体は意識によって動かされるピノキオである。意識は中心力である。


2022年10月30日日曜日

争いは何故起きるのか?


 争いは何故起きるのか?

争いの原因は諸行無常の現象界を生きようとする為、自己保存の法則が働き、モノの奪い合いが起きる。ないものをあると信じる心が争いを起こす。
宇宙は1つなる永遠なる生命体である。1つの永遠なるものの中に争いは存在しない。生命エネルギーの放射体の神の器を自分と勘違いをして神の器を自分と思って生き、争いを起こしている。また自己保存のために見えるものを自分のもとに集めようとし、地球の生態系のバランスを崩している。人間がいると錯覚しているために起きる現象である。
人間が宇宙の中には存在しないことを理解できる時に争いはなくなる。無限生命の中に有限なる人間は存在しないことを理解することが争いをなくすことである。人間という迷妄から脱皮することが21世紀の意識の世界に入る前段階である。



2022年10月29日土曜日

この世で何ぜ幸せを求めてはいけないのか?


 この世で何ぜ幸せを求めてはいけないのか?

宇宙は1つなる無限生命体である。完全完璧な平安な永遠なる世界である。永遠なる世界の中に存在しながら幸せを求めようとしている。キリストが云われている。「得ようとするものは奪われる」すべて持っていると。
宇宙の中の万象万物は1つなる生命の現われであり、完全なる生命が様々な形態を現わしている。初めから完全であり、幸せなのである。
何故幸せを求めようとしてしまうのか?1つなる生命の現象をあると思う自我の心が分離感を生み、消え行く現象をあると信じ、生老病死の諸行無常の変化の止まない現象に囚われてしまう為に不安、恐怖、悩みを抱えてしまう。
この分離感が消え行く現象を維持しようとし、争いを引き起こす。この分離感の中で幸せになろうとしてもなることはできない。現象界の中では平和になることも絶対にない。現象の仮相の自分から本来の実在の我に戻らなければ平和になることはない。平和は1人、1人の裡にある。宇宙は初めから平和なのである。平和を壊しておいて平和になろうとするのが人間である。
現象界で国々が争いを起こしているように見えるが、1人、1人の心の現われであり、国は人間1人、1人の集合体が国になっているだけである。
地球の中で地球のバランスを崩しているのは誰でもない、万物の霊長たる仮相の人間である。
地球の汚れは人間の心の汚れであり、現象界に生きようとする為に起きる現象である。



2022年10月28日金曜日

見えるものから見えないものへ


 見えるものから見えないものへ

宇宙は1つなる無限生命体であり、見えるものは現象であって実際には存在していない。見えるものはあるではないか?実在とは永遠を意味する。見えるものはすべて消え行く存在であり、変化してしまうものである。人間は万物の霊長であり、宇宙はすべて霊体であり、気体である。宇宙は意識体であり、想念によって変化する世界である。
1つの見えない宇宙生命体が実在している世界。見えるものは見えない宇宙生命体の現象である。本当の我は見える我ではなく、見える我を現わしている我である。
どちらでも良いではないかという人がいるだろう?
見えないものが自分であると意識を持つことで永遠なる生命体で生きることができる。
見えるものに生きようとすると有限なる生き方になり、キリストが云われるように死ぬものはまた生まれる。お釈迦様が云われているように生老病死の四苦の諸行無常の世界の中で生きなければならくなる。本来の我は1つなる無限生命であり、宇宙には1つなる無限生命だけが独存しているだけである。すべては1つであり、1つの中に2つは存在しない。見える自分は本来の我ではなく本来の我は1つなる見えない宇宙生命体である。1つなる宇宙生命体は永遠なる生命体であり、その中にある見えるものも永遠である。見えないものをあると思う心が有限なる自分にしてしまう。現われているものは1つなるものの現われであると思うことで永遠に生きることができる。意識の切り替えで可能になる。本来1つなる生命の現象であって、その現われをあると思っているだけである。現象と思うことで、有限から永遠なる本来の我に戻すことができる。これが解脱であり、悟りであり、昇天であり、神であり、仏であり、天照大神である。
宇宙は1つなる生命体であり、1つの生命体を様々な言葉で言っているに過ぎない。
宇宙には1つなる生命の法則。陰陽の法則があるだけである。言葉の数だけ神がいるのではない。1つなるものだけがあるのみである。生命は見えないため、現わす言葉として使っているだけである。





2022年10月27日木曜日

1つの中に2つは存在しない


 1つの中に2つは存在しない

宇宙は1つである。1つの宇宙のなかに2つの宇宙は存在しない。1つの中にある見えるものは様々に見えるが1つであるということになる。現われているものは現象であるということになる。宇宙生命だけが独存するということである。疑う余地はない。
見えるものは1つなる生命の現われ、見えるものの中には1つなる見えない生命が宿り、現象を維持している。見えるものを生かしているのは1つなる見えない宇宙生命が宿り、見える現象を現わしている。すべては1つなる宇宙生命の化身であり、様々な見えるものの中に1つなる宇宙生命が宿って現象化している。見えるものに生きると間違いを起こし、肉体に生きることになる。人類はこの現象から抜け出さねばならない。1つなる宇宙生命の中に人間という存在はない。現象という神の器に人間という名前をつけているだけである。宇宙には形あるものは何1つ存在することはない。見えない1つなる生命体が存在している。


2022年10月25日火曜日

原点に帰るとは生命に帰ること


 原点に帰るとは生命に帰ること

宇宙は1つなる生命法則によって永遠なる生命活動をしている。宇宙生命体が見える自然界で同じ法則に従って生命活動をしている。
人間は宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれたと。人間は宇宙生命によって造られた生命の化身である。生命の化身は自分という自我を持ち、宇宙の法則バランスを崩している。法則に沿って生きれば宇宙の無限大の力と知恵が使えるのに自我を持ってしまったために使えなくしてしまっている。現象の人間を生きようとするためバランスを崩し、永遠なる生命体の中に居ながら、自然界の法則に巻き込まれ、病気、死の生老病死の四苦に囚われ、自分で自分を殺している。宇宙の法則は永遠である。その中ですべてのものは現象化されている。すべて永遠である。人間は現象であることに気づくことで、原点に帰ることができる。これが解脱、悟り、昇天である。1人、1人は神の生命エネルギーを受け流す神の媒体、器であり、其処には人間は存在しない。宇宙には見えない形のない生命エネルギーが独存している。見えない生命エネルギーが我であり、絶対バランスの陰陽の法則が我である。これを如何に日常生活での中で波動を上げ、実践、実感して行くかが現象界ですべきことである。




2022年10月24日月曜日

得ようとするものは奪われる


 得ようとするものは奪われる

宇宙は完全バランスの永遠なる生命体である。すべてのものはこの中に存在する。すべては永遠なる生命体である。宇宙は全知全能の力、知恵である。完全であり、すべてが満たされている。人間もこの中に息している。何かを学んで行うことではない。
この全知全能の力、知恵を使う。その為の肉体媒体なのである。
「得ようとするものは奪われる」とはすべて持っているのに使わない。よって使うことができない。知識は外部のものであり、使えないが知恵は内なるものであり、即使える。
人間と云う現象は神の生命エネルギーを肉体媒体を使って全知全能の力、知恵を受け流す為の肉体であり、肉体に生きることではない。肉に生きる時、神の全知全能の知恵と力を使うことはできない。自我を捨て1つなる生命と1つになる時初めて使える。人間の姿、形は神の化身であることを理解することで宇宙と一体になり、本来の我に戻って行く。



2022年10月23日日曜日

天上天下唯我独尊


 天上天下唯我独尊

宇宙は1つなる生命体であり、フリーエネルギーの永遠なる絶対バランスの生命体である。すべての見えるもの、見えないものすべてが1つなる生命体の中に存在する。様々な現象はあるが、1つなる生命の現われである。天上天下唯我独尊であり、すべてが自分であり、すべてが1つの生命の現われ。宇宙即我である。
人間は様々な見えるものがあると思ってしまうことで、分離感が生まれ争いを引き起こす。
すべての人類は1つの生命の現われであり、1つの中で今、人類は自分を自分で殺している。
宇宙はすべてのすべてありてあるものは1つなる生命のみが独尊するだけである。
人類皆兄弟であり、すべての万象万物は同じ生命の現われである。

2022年10月22日土曜日

我は中性バイブレーションなり


 我は中性バイブレーションなり

宇宙は1つなる中性生命体。永遠なる生命体、高バイブレーションの気体の世界。
中性なるバイブレーションは調和のバイブレーションであり、生命原理である。ここから万象万物が現象化されている。
見える現象界は自然界の法則によって生命活動をしている。見える現象は現象の中心に宿る生命によって生かされている。宇宙は無限なる生命体であり、その中に我は存在している。我というのは姿、形を持たない宇宙生命体である。宇宙には1つなる生命以外存在しない。人間は宇宙には存在しない。存在とは実在であり、永遠という意味である。永遠なるものは1つなるものだけである。故に人間は仮相であり、仮相に振り廻されているだけである。
仮相を脱却し、実相の我に帰えらなければならない。


2022年10月21日金曜日

人間は想いに生きる。肉体に生きることではない。


 人間は想いに生きる。肉体に生きることではない。

宇宙は1つなる全知全能の生命体である。宇宙生命意識である。意識は想念であり、想ったことが現われる世界である。生命は見えないが故に神と呼ばれている。宇宙には神以外何も存在しない。見えるものはすべて神の現象である。万象万物は神の化身である。生命が神であり、ゴキブリも神である。
人間にだけ自由意志が与えられており、宇宙生命の全知全能の使うことができる。現象の自我を捨てて、肉体に宿る神の細胞と一体になる時、使うことができる。
肉体は意識によって動かされている。肉体は操り人形のピノキオである。
人間は神によって造られた神の子であり、神の器である。神の化身が人間である。
何故、神は万象万物を造られたのか?神は生命エネルギーであり、生命エネルギーを放射させるために媒体として様々な形態が造られている。人間も然りである。人間と云う媒体は本来生命に生きる為に造られている。
人間は自由意志を持たされているため、神によって造られている肉体媒体を自分と勘違いし、勝手に神の造られた神の道具を使っている。現象の仮相の肉体に生きようとする為、宇宙のバランスを崩し、生老病死の四苦に囚われ自縛してしまっている。人間は肉体を波動を持った現象界がら離脱し、生まれた所に帰らなければならない。
宇宙は1つなる生命体であるということは見えるものは存在しないということになるのであるが、人間は存在すると信じて疑わないのが今の現象界に生きている仮相人間である。





2022年10月20日木曜日

宇宙エネルギーを現象界で使うには


 宇宙エネルギーを現象界で使うには

宇宙エネルギーは中性なる生命エネルギーであり、
こ゚の中性なる調和生命エネルギーを現象化したものが自然界である。
自然界も宇宙の法則で動かされている。鳥たちは自然界の作用、反作用を利用して生命を維持させている。ヒマラヤ越えをするアネハツルも下降気流の奥に流れる上昇気流を捉え、8000mのヒマラヤの山を越えて行く。ヨットも向かい風を捕らえ、前に進んで行く。人間も作用、反作用の利動力を使うことでエネルギーを使うことで、生命を維持している。この反作用に力は宇宙力であり、無限大である。お金のかからないエネルギーであり、知恵である。
肥田式強健術は自然界の法則、宇宙の法則を知ることで誰でもこのフリーエネルギーの使い方を身に付ける鍛錬である。肉体を動かしているのはこの見えない宇宙エネルギーなのである。
肉体は宇宙エネルギーを受けて流す媒体である。現象界は消え行く世界であり、生きる世界ではないのである。生きるのは永遠なる生命に生きることであり、現象界は生命に気づき本来の我に戻る為の気づきの為の現象界である。
この現象界で平和を作ろうとしても作れない。1人、1人の波動を上げることで争いは亡くなる。1人、1人が自分の波動を上げ、この波動の低い現象界から抜け出すことが地上界を平和にできる唯一の方法である。


2022年10月19日水曜日

自分の想念意識が天国、地獄を決めている。


 自分の想念意識が天国、地獄を決めている。

宇宙は1つなる生命体であり、1つなる生命体が様々な形態に宿り、現象化している。すべては1つの現われである。
「想念は実現の母」と云われるように想念の仕方で天国に住むのか、地獄にすむのかが決まる。すべて自分の想念の仕方で自分で決めている。
人間には自由意志が与えられており、天国の切符と地獄の切符を渡されている。
地獄の切符は自分が創り出す切符である。
人間は今、天国の切符を使わず、自ら作った地獄の切符を使っている。
地獄の切符とは現象である人間を実在していると思う心であり、天国の切符とは宇宙生命が我であるという意識である。
すべては自分の意識をどの意識レベルに置いて置くかである。
すべては1つなる生命から発露している。元々1つなる神から発生している。原因が神なら結果の現象はすべて神である。原因と結果は同じものである。色心不二である。
宇宙は気体の世界であり、バイブレーションの違いによって現象が変化する世界である。原因世界は気体である。気体が様々な形態に宿り、生命活動をしている霊界、気体の世界である。
想念、意識、心によって変化する気体の世界。


2022年10月18日火曜日

見えるものは宇宙法則の中で具現化されているだけに過ぎない。


 見えるものは宇宙法則の中で具現化されているだけに過ぎない。

宇宙法則は陰陽の法則であり、1つなる中性バランス、永遠なる生命バランス、これが宇宙の見えない生命体である。こ゚の生命が様々なバイブレーションによって様々な形態の中に生命が宿り、現象化している。人間も現象であり、宇宙の中に人間は存在しないのである。存在しているとすると宇宙は成り立たない。1つなる生命の中に有限なる人間は存在はすることはない。人間は実在すると勝手に思っているだけである。ないものをあると思う心が不安、悩み、恐怖を持ってしまう。本当なるもののなかでは不安、悩み、恐怖持つことはない。なくなることを知っているから不安、悩み、恐怖を持ってしまう。なくなるものをあると信じる心が造り出す。
現象の自分を捨てる時、不安、悩み、恐怖はなくなる。
本当の自分とは何か、本当の自分をこの現象界の仮の宿で探すことが生きることの意味である。空海も生きている内に成仏できなければ死んでは成仏できないと云われている。


2022年10月17日月曜日

肥田式の型と形


 肥田式の型と形

一般的にものを学ぶ時、形から入るが、形から入ると本質を見極めることはできない。何事にも原因と結果の因果の法則がある。形は表面的なものであり幾ら上手にできても本質を捉えることはできない。
見えるものは見えない本質によって形に現れている。肥田先生は肥田式を中心力を何故、型の中心に据えたのかを理解しなければならない。
すべての見えるものの中には中心が存在する。この中心がなければ形に現れることはない。
この中心より生命が発露してくる。生命は無限大である。肥田先生が云われる「天寵無限」である。1人、1人の中に無限大の力、知恵が宿っている。この力を機械的に中心を作り、引き出す方法を作り上げたのが肥田式強健術である。正中心なる強健術である。正中心から聖中心になることで人間の仮相から実相の宇宙心に変容させている。
肥田先生が人間は神の子であり、神の器であると云われていることである。
「中心の鉄扉を開かずして 生涯を終るものは  
   米を抱いて 餓死するが如し」
と云われている。別の解釈をすると中心を開かずして生きるものは生きていても意味がないということである。
中心力が我であり、肉体は中心力を現わす媒体である。人間と云う姿、形は宇宙生命エネルギーによって造られ、生かされている。
肉体を鍛えてこの世を生きることではない。宇宙の無限大の生命エネルギーを引き出す為に肉体の媒体を使う。生命エネルギーはバランス生命である。無限大の生命エネルギーは1つなるものである。1つなるものの中には争いは生じない。人間と云う姿、形の現象をあると思うアンバランスの心が争いを引き起こしてしまう。
宇宙は1つなる生命体である。中心力は誰でも無料で使える生命エネルギーである。
宇宙は無限大のお金のかからないフリーエネルギーの世界である。人間は何1つ創り出すことはできない。全知全能の生命が造り出しているのである。すべて中心力が現象化させている。
生かされている人間が自分が生きようとする為に分離感を持ち、自己保存の為に争いを起こす。肥田式の中心力により自らの波動を上げることで、争いの起きる低い波動から争いの起きない高波動に上げることである。



2022年10月16日日曜日

日本人はお墓を作り、亡骸を大切にするのか?


 日本人はお墓を作り、亡骸を大切にするのか?

お釈迦様は亡くなる時、亡骸は焼いてガンジス川に流しなさいと云われている。
お釈迦様は宇宙即我という境地に達しておられた。
宇宙の法則を悟って居られた。見えるものは現象であり、すべては1つであるということを云われている。色即是空、空即是色、色心不二。これが宇宙真理である。この真理を理解できれば宇宙は永遠なる生命体であるということが理解できる。現象の自然界は見えないものによって見えるものは生かされている。宇宙生命は死ぬことはない。現象が変化しているだけである。
お釈迦様が道を開いてくれているのは現象を見ると生老病死の四苦に囚われ、不安、悩み、死の恐怖感に悩まされてしまう。この事をお示しになられた。キリストも同じことを云っている。仏は外にあるのではなく、自分自身が仏であり、神であることを云われている。
それではお墓も宗教もいらないのではないか。宗教と云う字は宇宙を示すと書く。宇宙法則のことである。仏、神様にすがりつくことではない。
宇宙法則がすべての現象を現わしている。見える自然界は宇宙の法則が具現化され、法則によって見える現象を現わしている。見えるものも見えないものも1つである。原因と結果は同じものである。宇宙は永遠なる生命体であり、見えるものは現象であり実在していない。見えるものをあると思う心が自分が自分で地獄に追いやっている。
人間は天国の住人である。すべての見えるものはすべて神の現われである。
見えるものはすべて神の現象であり、現象はまた見えないものに戻って行く。永遠なる神、生命体は形を持たない。形を持たない空なる神がお墓をつくることはない。

2022年10月15日土曜日

宇宙法則と自然法則


 宇宙法則と自然法則

宇宙は1つなる生命の法則、自然法則は宇宙法則の現象界の見える法則である。
現象は地の世界、宇宙の本源の生命の世界が天の世界。天と地は1つである。天地一体である。見えるもの、見えないものは1つである。
自然界は現象界、見えない生命が現象として現れた世界。自然界は宇宙の法則によって動かされている。鉱物、植物、動物は自由意志がない為に法則通りに動いているが、人間には自由意志が与えられれいる為、自分勝手な宇宙の法則に逆らった動き方をする。自然界は宇宙の中性バランスで動いている。人間も宇宙生命体によって造られている。法則通りに動かなければならないのに勝手に宇宙法則から外れた動き方をする。人間が崩したバランスを宇宙法則によって戻す自然界の現象を人間は天災、災害と呼ぶ。自分で崩したバランスを天に罪を被せる。
人間の肉体も同じである。バランスで生命を維持している。これを勝手に病気になったと無理に治そうとする。バランスで生命が維持されていることに気づかない。
現象はバランスが崩れていることのメッセージに気づかない。人間は宇宙法則、生命の結果として人間という姿、形が現れているだけに過ぎない。人間は細胞の集合体であり、人間の形をした細胞体である。細胞は微生物でもある。宇宙生命は宇宙微生物でもある。生命は覇道でもある。宇宙は陰陽の法則である1つなる無限生命体、自然界は見える形の宇宙法則である。
見えない法則、生命が結果として現れている。見えるものは現象であり、変化して止まない。
この現象をあると信じることで宇宙せいめいである我が小さな消え行く人間に囚われ生老病死の四苦に捕まってしまう。見えないものがあるのであり、見えるものは現象である。
人間は万物の霊長と云われている。すべては霊であるということである。霊とは気体であり、固体、肉体ではない。故に人間は現象であり、自然界の見えるすべてのものは宇宙の見えない生命の現象である。

2022年10月14日金曜日

自分がいると思う心が能力を制限してしまう。


 自分がいると思う心が能力を制限してしまう。

能力を何故制限してしまうのか?
宇宙は全知全能の知恵であり、力である。
「十で神童、十五で天才、二十過ぎれば只の人」
人間は自分を持たなければ宇宙の力が使えるということである。人間は環境の中で育つ中で自我と云うものを持ってしまう。純粋な心を失って行く。現象の我には何の力がないということである。外から入れる知識から宇宙の全知全能の知恵、力は使えないということである。
中心力、力は裡から起こってくる。中の心、心は神であり、全知全能の泉は自分の裡にある。
人間という媒体は宇宙の全知全能の知恵、力を現わす為に現象化されている。
この力を使おうとする時、自我があると使えない。肥田先生は最初から無我の境地で事を進めている。
キリストが云われている。「得ようとするものは奪われる」と。すべて持っているのに外に求めようとするため、得られなくなってしまう。
肥田式の鍛練においても同じことが云える。本来の自分を信じられなければ力が使えない。
肥田式の鍛練は自分を捨てる鍛錬である。中心力が我であることを理解するための鍛練である。

2022年10月13日木曜日

宇宙は微生物の集合体である。


 宇宙は微生物の集合体である。

宇宙は1つなる生命体である。1つの中に時空間は存在しない。見えるもの、見えないものすべては1つの現われであり、色心不二である。
惑星も浮いているように見えるだけで1つの中の現象である。すべて1つなる生命体、微生物の世界であり、波動の世界であり、すべては1つであり、それを現わす言葉として様々な云い方をしているだけである。すべては1つだけが実在しているだけである。
人間も微生物である。微生物を霊とも云う。宇宙は陰陽の法則であり、こ゚の法則のことを神と呼んでいる。宇宙そのものが神である。その中に現象化しているものはすべて神の化身である。
人間はこの見えない1つなる生命体、宇宙を見える現象から紐解こうとする為、間違いをおこしてしまっている。結果から原因は紐解けない。見えるものから行う為、分離感で神を偶像化してしまう。すべてが神なのに神を外に求めさせてしまう。自分自身が神なのに。
日本の宗教も念仏という素晴らしいものを仏を念仏により、外に求めさせてしまった。
念仏とは自分自身が仏であるということである。すべては1つなるものしかないのだから。
すべてが神であり、仏であり、天照大神でなければ宇宙の法則から逸脱してしまう。外に神を求めさせるということは支配する為か、商売になってしまうということである。

2022年10月12日水曜日

1つなる生命とは


 1つなる生命とは

宇宙は1つなる生命体。すべてのすべてありてあるものは1つである。
1つの中に2つはない。様々な見えるものがあるではないか?見えるものは消え行く存在であり、実在はしていない。実在しているものは1つなる宇宙生命のみが実在しているだけである。1つであるが故、永遠なのである。
人類は見えるものの世界で生きようとする為、様々な神をつくり、宗教戦争を起こし、現象界を楽しんでいる。現象界は宇宙生命によって人類は自然界の法則に振りまわされ生きているが、人間は自然を征服しようと考える。
鳥たちは自然界の法則に従って生かされている。人類は自由意志が使える為、自分で生きようとする。人間は誰が造ったのかを知らない。お父さん、お母さんが造ったと勘違いをしている。宇宙は1つなる生命であり、1つなる生命が様々な形態を造り、その中に1つなる生命が宿っていることに気づかない。そのため、完全バランスを崩し、永遠なる生命体の中で自らを縛り、現象界に溺れてしまう。そのメッセージが沢山でているのに気づかない。現象界を豊かに生きようと必死である。なくなるものを必死でつかもうとする。本当の幸せは永遠なる幸せであり、その幸せは汝の裡にある。青い鳥である。青い鳥とは完全バランス、中性バランスである。永遠なる幸せである。1つなる宇宙生命が宇宙にはあるだけである。人間は現象であり、消えて行く存在であり、1つなる宇宙には現象の人間は存在しないのである。


2022年10月11日火曜日

病気の作り主は自分である。


 病気の作り主は自分である。

病気とは気の病と書く。気が衰えると身体のバランスを失い、病気になってくる。気が衰えてくるとは新陳代謝が遅れ、作られる細胞と消滅して行く細胞のバランスが狂い、アンバランスになる。その最大のものがガンである。アンバランスの結果がガンを発生させてしまう。ガンはウイルスではない。新陳代謝のアンバランスから起こってくる。
ガンになり、stage4と云われ、医者から見放され、開き直れる人でガンを克服される方がいる。新陳代謝は心のアンバランスにより、引き起こす。
今の食もバランスの取れた食べ物が少ない。水もアンバランスである。誰がバランスを崩しているの?すべて豊かな生活を求めようとして人類が自分の住む居場所を自ら壊していることに気づかない。宇宙は完全バランスであり、自然界は宇宙バランスの現象化されている状態である。現象界は宇宙バランンスが現象化されているのであって現象をあると思ってしまうとアンバランスを起こしてしまう。人間を生きようとし、有限なる諸行無常の幻想の中に飛び込んでしまう為、溺れてしまう。泳げないものが底なしの海に飛び込むようなものである。
宇宙はバランスで永遠なる生命である。その中に人間も完全なる現象として現れている。
宇宙の1つなる細胞体であり、宇宙の法則に生きることが本来の生き方であり、現象界に生きることではない。現象界に生きることはアンバランスに生きることになる。永遠なる生命体の中に居ながら敢えて有限な生き方を楽しんでいる人類である。
不完全なるメッセージを聞かず、自縛の道を進む、気づくまでは戻れない。気づけば戻れる。
日本の宗教は輪廻転生をさせている。これでは中々現象界から抜け出すことは難しい。
宗教に入っても宗教に死んではならないと云われる所以である。波動が低い為に現象化してることに気づいて行く。昆虫を見習って解脱して行かなければならないが、この世に未練があるものは現象を楽しめば良いと思う。すべて人には自由意志が与えられ、強制はできない。




2022年10月10日月曜日

全ては1つなる原点からの現象である。


 全ては1つなる原点からの現象である。

見えるものはすべて見えない1つなる生命体の現象であり、すべて消え行く存在、変化して止まないものが自然界である。1つなる生命、神によって操られている自然界。中心バランスによって生かされている。この中心バランスがなければ万物は現象化されない。現象化されている諸行無常の現象界。この現象界、仮相界に殆どの人間は滞在している。人間は万物の霊長と云われている。宇宙は1つなる霊体である。日本語には気に対する言葉が多い。日常で使う言葉に気象と云う言葉がある。天気予報は気の状態を見て行く。現象を見て行く。低気圧になると雨が降り、雪が降り、雹が降る。すべて1つなる気の変化である。
人間はこの現象をあると信じてしまい、この見える変化に惑わされ、振り回され生きている。
現象は1つなる生命の変化であり、形は消えても変化するだけであり、無くなるわけではない。本来の我は現象の自分ではなく、現わしているものが本来のものある。
人間は現象の見える我ではなく、見えない現わしている本質が我である。
不安、悩みが起こるのは不完全な状態であることである為に起きる現象。バランスを崩す為に起こる。宇宙は元々完全であり、完全の中に生まれている。こ゚の完全なるバランスを崩しているのは外でもない。自分自身である。
1つなる生命現象の現われをあると思う心が永遠なる生命の中に居ながら、有限なる生き方を自ら選び、生老病死の四苦の中で、諸行無常の中の変化の中の仮相界に生きてしまっている。
現象界の意識から生命意識への切り替えをしなければならない。宇宙は意識界であり、想念は実現の母の世界である。


2022年10月9日日曜日

宇宙真理と念仏


 宇宙真理と念仏

宇宙は1つの陰陽の法則であり、無限大の永遠なる生命体である。この見えない生命体を神と呼んでいる。その中に居るものはすべて神ではないのか。 見える現象、万象万物はすべて神の化身であるということである。ゴキブリも神であるということになる。人間は万物の霊長と云われ、「人間は神の似姿に造られていると」。似姿とは神は法則であり、姿、形は持たない。創造の原理のことを云っている。
人間には創造の力が与えられている。「想念は実現の母」この創造の力を自由に使うことができる。この力は全知全能である。この力を使うには神と一体にならなければならない。
日本の仏教でも念仏を取り入れているが、惜しいことに念仏を偶像化してしまった。
念仏とは仏を念じる。自分が仏であることを念じることである。仏が自分自身であるということであればお寺は必要なくなる。自分が神なら偶像するものは必要なくなる。
これが宇宙真理である。自然の法則の中で人間はいる為、自然の法則から抜け出せない。
故に輪廻転生があると信じてしまう。宇宙から見ると波動が低い為に現象化している自然界、自然界は現象界である。すべての万象万物は神のバイブレーション、生命によって造られている。すべて神の子である。この現象界からから抜け出し、仮の宿から本宿に戻るか。その為に現象界に滞在しているようなものである。キリストも「この世で富める者はラクダが針の穴を通るが如し」と云われている。肥田先生も塵世という言葉を使っている。


2022年10月8日土曜日

見えるものは見えないものを現わす道具である。


 見えるものは見えないものを現わす道具である。

宇宙はたった1つの法則、陰陽の法則があるだけである。宇宙は目に見える惑星、星々が宇宙ではない。
すべて見えるもの見えないものすべてが宇宙である。宇宙は意識界であり、創造の原理である。「想ったことが現われてくる世界。良いことを意識すれば良いことが現われ、悪いことを想えば悪いことが現われる世界である。自分自身が創造主である。その表現媒体として顕すものが必要になる。それが人間の肉体になる。肉体は意識したものを肉体を通して現れる。心の状態が現れる。今の人類の争いも心の表現である。
この世を平和にしようと思っても波動の低い現象からは平和にすることはできない。平和にするには人類の心の波動を上げる以外にない。結果から結果は治すことはできないのである。原因から直さなければ治ることはない。今、人類は見える現象界を生きようとしているため、問題を解決する時、どうしても対処療法でしか対処できない。原因がら治すことを知らない。
この事を気づくために現象界がある。経済界、医療界、皆々結果対処である。
原点に戻る。原点は心である。意識である。完全から不完全なるものは生まれることはない。
人間は万物の霊長であり、宇宙はすべて霊界である。意識の世界である。
惑星は空に浮いているように見える。見えないものの現象であり、高バイブレーションの中に現象として存在している為、浮いているように見える。故に見える惑星も「惑わす星」なのである。


2022年10月7日金曜日

自分を捨てた時、力が出てくる。


 自分を捨てた時、力が出てくる。

力とは中心力である。中心力は裡にある。
何故、自分を捨てる時、力が出てくるのかと云うと自分を人間だと思っていると小さな力しか使えない。人間とは宇宙の1つな生命エネルギーの化身であり、宇宙は全知全能の力であり、知恵である。
この力を人間という小さな器の人間があると思う心が無限大の力を使えなくしている。
団体競技で心を1つにしなさいと云われる。これは自分を捨てて1つになりなさい。宇宙は1つという意味である。自分を捨てるということは人間は存在しない。勝手にいると思う心が力を出せなくしている。宇宙には人間は実在していないのである。実在とは無くならないということである。見えるものはすべて消滅して行く。実在はしていない。現象は必ず現象を現わしているものがある。
それは宇宙生命、中性エネルギーが創造原理であり、陰陽の法則である。
人間も精子と卵子の結合により、生命が宿り形が具現されてくる。そこには人間は存在していない。形を人間と呼んでいるだけである。姿、形をあると思う心が自分を縛り全知全能の力を使えなくしている。全知全能の力が万象万物を現象化させている。
力を出せる人は自分を持っていない。人間は自分が生きる為に存在していると思っているから力が使えない。宇宙から見ると全知全能の宇宙力を人間と云う媒体を使って放射させるために神が人間という媒体を造っている。人間は存在していない。神の力を下す受信機である。人間と思ってしまうと神とのチューニングが合わず、自ら無限大の力が使えなくしてしまっている。肥田先生も最初から無我である。

2022年10月6日木曜日

気はバランスなり


 気はバランスなり

宇宙は中性バランス。永遠なる中性バランス。
宇宙は生命であり、生命は中性バランスである。生命は霊であり、エネルギーである。エネルギーは気である。
宇宙は気エネルギーそのものである。こ゚の生命エネルギーが万象万物を造り、その中に生命が宿り、生命活動をしている。
人間は生命エネルギーによって具現された現象である。人間は現象であり、単独では生きることはできない。万象万物も同様であり、宇宙の生命エネルギーによって生かされている存在である。宇宙の万象万物はすべて宇宙生命の化身である。見える化身の中に必ず、宇宙生命が宿り、化身を動くものにしている。すべて1つなる生命が有るのみである。
人間は仮相、現象でありながら、自分が生きていると錯覚している。人間は宇宙のバランスより造られる生命エネルギーが造り主であり、結果として人間、万象万物が現象化している。
造られた人間がいるという心が肉体のバランスを崩してしまう。ないものをあると思う心が自分を縛ってしまう。宇宙は気エネルギーだけが存在している。この宇宙の気がすべての万物の宿り、生命が気が生きている。人間が生きているのではない。人間は気の現われであり、気そのものが人間の姿、形を現わしている。人間がいるのではなく、見えない気が人間という質料に宿り、動かしているに過ぎない。
人間が力を出そうとする時、何処から出ると思いますか?内なる中心から力が出てくる。中心から気エネルギーが出て肉体を動かしているのである。
中心力である。肥田式で中心力を身に付けるという云い方をするが、中心力が我であり、現わす媒体として肉体があるのである。これが肥田先生が云われる神の子、神の器ということである。すべての人間は神の子、神の器である。肥田先生は肥田式でこの中心力のことを云われている。中心力が神であり、我である。バランスが神であり、我である。人間という存在は仮相である。この世は俗世、浮世云うことである。
見える現象界は何故あるのか?
人間と云う現象をあると思う心が波動を下げた結果として造り出した仮相界である。想ったことが現われる世界が宇宙生命体である。「想念は実現の母」と云われる霊波動の世界である。


2022年10月5日水曜日

人間はこの仮相界で何をしなければならないのか?


 人間はこの仮相界で何をしなければならないのか?

人間は「宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれた」人間は宇宙生命によって造られた宇宙生命の道具である。道具は使う為に存在する。人間と云う道具はどのように使わなければならないのか?
神によって造られた自然界を見ると答えが出てくる。
宇宙はバランスで生命活動をしている。地球も宇宙の相似形であり、すべて現象界もすべてバランスで生命を維持している。人間も同じであるが、人間には自由意志が与えられており、この自由意志を勝手に使い、神の道具を自分と勘違いをして自分を生きようとして宇宙力が使えない有限なる自縛の人生を選んで生きている。
本来の神の道具の使い方は宇宙の無限大の生命エネルギーを地上界に放流放射させるために造られている。自分を捨てた時に力、知恵が使えるのは自分という存在しないという事であり、自分は存在しないという事である。自我が邪魔をして力を使えなくしている。
自分いう人間は宇宙には存在しないのである。神の道具を自分と思って使うと自縛する。神の道具を神が使えば宇宙の無限大の生命エネルギーを地上界に降ろすことができる。宇宙は1つなる生命体。すべての万象万物は神の化身であり、すべては神である。
神様が別にいる訳ではない。宇宙の陰陽の法則のことを神と云っているだけである。
人間は万物の霊長であり、1人、1人は神なのである。神は生命である。生命がなくして見える現象は現れる事はない。神を外に求めると何が起こるのか?分離感のため争いを起こすことになる。これが長年続いている宗教戦争である。1つの中に争いは存在しない。1つだから生命なのである。1つでなければ、人間は現象化する事はない。宇宙が1つなる生命故に人間という形が現象化することができるのである。何故争う。現象をあると思う心が争いを起こす。第二次世界大戦世界大戦後、書かれた第三次世界大戦の為に書かれた宇宙倫理の書はすべては1つなる生命体である事が書かれていたのではないかと察する。自分を知らないから争いを引き起こすのである。争いを起こさない方法は1人、1人の意識を自然法則の分離意識から、1つなる宇宙生命意識に変える事により可能になる。


2022年10月4日火曜日

生命はバランスなり


 生命はバランスなり

宇宙の中で現象化している万象万物は宇宙の絶対バランスによって現象化している。宇宙は中性バランスであり、絶対なる無限バランスである。宇宙にある見えないもの、見えるものすべてバランスの中にある。
すべての根源はこのバランスが宇宙生命の本体である。自然界はすべてこの生命バランスによって現象化されている。
人間も現象である。見えるものは宇宙生命体のバランスがなければ現象化することはない。人間は実在していないということになる。でも見える人間はいると信じて疑わない。
実在とは永遠ということである。見えるものの中には永遠なるものは1つとしてない。
見えるものはすべて宇宙生命のバランスの現われである。人間、万象万物は宇宙生命体によって造られているということは人間も宇宙生命体であるということになる。見えない宇宙生命体を神、仏と呼んでいる。宇宙生命体の中に現象化されているものはすべて神ということになっる。
宇宙は神なり、我も神なり。宇宙は生命であり、絶対バランス、中性バランス、これが宇宙であり、神であり、これ以外宇宙には何も存在しない。仮相の人間がいると思ってしまう為に分離感の為に争いを引き起こしてしまう。

2022年10月3日月曜日

すべては1つ


 すべては1つ

見えるものは様々あるが、宇宙は1つなる無限生命体である。1つなる中に見えるものは存在しない。有限なるものは存在しない。よって見えるものはすべて1つなるものの現象であるということになる。
1つと云うこと意味を持った言葉がある。
  • 天地一体
  • 自他一体
  • 霊肉一体
  • 表裏一体
  • 色心不二
すべて見えるもの、見えないものは1つである。見えるものは見えないものによって見える姿、形を現わしている。見えないものがなければ見えるものは現れることはできない。
宇宙は波動の世界であり、バイブレーションが下がると見える姿、形を現わす。バイブレーションが上がると見えなくなる。人間は姿、形が見えるということはバイブレーションが低い為に見えている。何故、見えているのかというと本来、高バイブレーションなのであるが、見えるものに意識を合わせてしまったために低バイブレーションの見える姿、形を現わしている。姿、形を自分と信じているため、姿、形から抜け出すことができない。現象界に安住し、永遠なる宇宙生命のなかで有限なる幻の中の仮相界で生きている。仮相界は諸行無常の世界。消え行く世界の中で生老病死の四苦に惑わされその中で当たり前に生きている。人間と云う姿、形は宇宙の生命エネルギーを地上界に放射されるために造られた神の器なのであるが、器の形を見て自分と勘違いをして信じて疑わないで生きている。
もし、人間が自分であるというのなら、生まれる時も、死ぬ時も自分でわかるはずである。
人間もすべての万象万物は1つなる宇宙生命の化身である。
見えるものは1つなる無限宇宙の中には存在することはない。こ゚の存在しない消え行くものをあると思ってしまう為、実在しない自分を維持しようとし、自己保存の為に争いを引き起こす。1人、1人が元の神の子に戻り、神の器を使って本来の成すべき使命を果たさなければならない。



2022年10月2日日曜日

たった1つの生命の法則


 たった1つの生命の法則

人間は精子と卵子の結合により、生命が具現化してくる。見えないミクロの世界で人間は造られる。宇宙も見えない陰陽の法則により造らている。この見えないミクロの世界で造られた細胞が集合体となり、見える形になってくる。最初にあるのは見えないミクロの世界で造られたものが現象化している。見えないミクロの生命の法則によって具現化され、見える集合体になる。宇宙は1つなる中性なる生命が様々な波動の条件の中で生命が具現されてくる。
宇宙の中で具現されているものは様々なバイブレーションの違いによって多種多様の形態の生命体が出現している。これを後から名前をつけているだけである。
人間も実在していない。実在とは永遠ということである。人間は消え行く存在である。有限である。この消え行く仮相の人間をあると思うと造り主と造られたものが2つで1つであるものを見えるものだけをあると思うと消え行く見えるものの中で生きようとするため、争いが生じる。見えるものは見えないものによって造られており、見えないものは1つなる宇宙の生命体がすべての見えるものを現象化させていることを知れば、永遠なる生命体として生きることができることをキリスト、お釈迦さんが云われている。宇宙生命が様々な現象を現わしている。
宇宙は物質界ではなく、霊界である。人間は万物の霊長と呼ばれている。
生命は1つであり、見える様々な形態は現象である。
すべてのすべてありてあるものは1つなる宇宙生命である。宇宙生命体の中に万象万物は現象化されているだけに過ぎない。


2022年10月1日土曜日

本当の我とは


 本当の我とは

原因、結果の因果の法則がある。現われているものには必ず現わしている原因がある。
見えるものには必ず現わしているものがある。
人間も現れであり、現わしている原因がある。
人間の内部は細胞体である。細胞体の集合体が人間の形をしている。細胞体は目に見えない。顕微鏡で覗くと小さな生き物が活動している。人間はミクロの細胞体の集合体であり、ミクロの細胞体が人間の形を現わしている。生きているのは見えない細胞の集合体である。人間が生きているのではない。形は生きていない。細胞は宇宙生命バランスで生きていることに人間は気づかず、バランスで生命活動をしている微生物を善玉、悪玉と勝手に決めつけて悪玉菌を取り除こうとする。2つで1つであることに気づかない。人間も宇宙の法則で生かされている。
人間は自分で動いているように思っているが、人間の肉体自身には動く力はない。意識が肉体を動かしている。
  • 何処へ行きたい。
  • 何かをしたい。
  • 何を食べたい
すべて心の想いが肉体は動かされている。意識の忠実な表現媒体である。肉体が自分なのか?見えない意識が自分なのか?ということになる。本当の自分は見えない意識が本当の我である。
良いことを意識すれば良いことが現われ、悪いことを意識すれば悪いことを肉体は表現してくれる。病気を意識すれば病気を表現してくれる。肉体が勝手に病気になるのではなく、自分意識が表現してくれているだけである。肉体は操り人形、ピノキオである。
意識は見えない。見える肉体が自分ではなく、見えない意識が本当の我である。原因は見えない宇宙の陰陽の創造原理、結果は見える現象人間になる。本当の我は意識である。