2022年7月30日土曜日

宇宙法則と聖中心道


 宇宙法則と聖中心道

宇宙はたった1つの法則であり、聖中心という言葉も宇宙を現わしている。すべての万象万物は1つなる生命体の現われである。中心、中なる心、これが本源、本質である。絶対調和、中性バランスこれが宇宙であり、聖中心である。
1つなるものの中に2つはない。見えない生命が肉体を通して現わしている。肥田先生は常に自分を持たない。常に無我の状態でおられる。聖中心ということは其処には自分は存在しないということである。自分というものを持ってしまうと宇宙の無限なる生命エネルギーを引き込むことができない。無限の生命エネルギーは無限生命と一体とならない限り引き出すことはできない。聖中心とは宇宙と一体という意味である。肥田先生は永遠なる生命体になっているということである。肉体離脱をされているということである。肉体から離れているということである。其処には死はない。大悟徹底とは人間を卒業したということである。
人間は実在しない。人間は神の子であり、神の器であると肥田先生が云われるのはこ゚の自覚をすでに持っているということである。また光という言葉も使われるのも聖中心は光であることも自覚している。この世で一番強い人間は地位、名誉、お金、命もいらない人間であると云っている。人間の根源は人間ではなく、形を持たない原子と電子である。宇宙の愛の法則が我であるということを云わんとしている。そうではないと肥田先生が云われたら肥田先生は偽物になってしまう。一般の人たちには中々これが理解できない。
肥田式の形を学んでも意味はない。肥田式の型を使って自分の中に内在している神と向き合う。これが肥田式の奥に隠されている真理である。真理は神である。聖中心である。




2022年7月29日金曜日

21世紀は仮相の我から実相の我へ


 21世紀は仮相の我から実相の我へ

宇宙は1つなる生命体。永遠なる無限の生命体。無限の生命体の中に有限なるものは存在しない。見えるものは存在しない。人間がいるではないか。いるということは本当に実在しているという意味である。人間は消えてしまう。実在はしていない。偽り、幻影であるということになる。実在ということは永遠ということである。すべて見えるものは消えてゆく存在。現象である。実在するものが万象万物を現象化させている。
今、人類は現象を実在していると勘違いをしており、現象に生きようとしている。現象は結果であり、結果に生きようとするとバランスを失う。結果はすでに完全バランスであり、これを加工し、使おうとするとバランスを崩す。文明が発達すればするほど自然界のバランスを崩すことになる。文明の行く末は天変地異になる。結果から起こす結果である。結果を直そうとする時、結果で対処しようとする為、治す事はできない。バランスを整えれば改善するのに、お金は必要としないのに。バランスの中に生かされていることに気づくことである。
21世紀は無限大の空より、無尽蔵の質料を取り出し、具現する時代に入ってくる。
それには1人、1人の意識のバイブレーションを上げて行く必要がある。仮相の結果から実相の原因に戻ることで21世紀は見えてくる。仮相に生きるから争いを起こす。実相に生きれば争いはない。すべては1つであるから。1つなる生命の具現だから。仮相の人間は本当の自分を知ることにより、21世紀は光の争いのない世界になって行く。


2022年7月28日木曜日

中心力10、部分力9とは


 中心力10、部分力9とは

肥田式強健術は心身強健術とも云う。
宇宙は1つなる生命体であり、宇宙は陰陽のバランス生命体である。すべてはこ゚の法則に基づいて永遠なる生命体が維持されている。こ゚のたった1つの法則に基づいている。これが真理である。
肥田式は肉体鍛錬法ではなく、心と肉体を一体として使う鍛錬法である。
力は筋肉を付けて力を生み出す方法ではなく、中心バランスを取る時、宇宙の力、知恵を使うことができる。人間は宇宙の子、神の子であり、神の器である。
すべての力は誰もが持っているのである。
この力を引き出すには心身が一体にならなければ引き出すことができない。
力は外にはない。力は裡から引き出す。その力、知恵を肉体を通して現わす。
心身が1体になるには心(神)と肉体が1つになるには自分を消して行かなければならない。
肥田先生はこのことを「必死の気」という言葉を使っている。無私、無我になることで引き出すことができる。中心力10、部分力9ということは心が主体で肉体は従で使うということである。
中心力10、部分力9ということは上半身と下半身の使い方で下半身は力を造る所、上半身は力を使う所という意味でもある。上半身は弓のように使うことで遠心力を使う。遠心力とは遠い心の力と書く。見えない神の力である。人間は見える現象、現象を操っているのは見えない心である。自分が姿、形の見える人間と思ってしまうと心のエネルギーを使うことはできない。
必死の気という事は無我という事である。 人間を捨てた時に宇宙の無限大のエネルギーが使える。無我で宇宙力を使えるという事は人間という姿、形は表現媒体であるという事である。
中心力10、部分9という意味は肥田先生は必死の気、無私、無我の事の事をおっしゃっていると思います。中心力が我であるということになる。



2022年7月27日水曜日

現象界は何をすべき所?


 現象界は何をすべき所?

宇宙は1つなる生命体。1つなる生命体の中に有限なるものは存在しない。見えるものはすべて現象であるということになる。
万象万物はすべて1つなる生命の現象である。故に宇宙は無限生命ということになる。1つの躬(体)
の中には時空間は存在しない。宇宙に浮いている惑星は1つの中の現われであり、空の中に浮いているように見えるだけである。浮世である。惑星という字は惑わす星と書く。
太陽系の惑星は人間の内臓にようなものである。
見えるものはバイブレーションが低い為に見える象になっている。バイブレーションが高ければ見えない。人間が見えるということはバイブレーションが低いということになる。
見えるものは見えない高バイブレーションの生命が質料に宿り、形態を維持させている。人間という形は見えない生命体が宿らなければ形が現れることはない。
人間という象が何ぜ造られているのか?すべて必然である。人間という形を通して地球の波動を上げるためである。人間形態には宇宙の根源エネルギーが宿り、肉体は波動を上げる為の器である。見える器は根源エネルギーの道具である。道具を動かす見えない生命エネルギーが器を動かしている。この器を自分と思ってしまうと低波動の器の消極の波動に囚われてしまう。
波動の低い人間という仮相に生き、自縛してしまう。
これが固定観念というものである。人間の器は宇宙の高波動を地上界に降ろす為のものであり、人間という姿、形を現わしているということは本来の仕事をせず、地の世界を這いまわっているということである。器の役目を果たさないで遊んでいたために姿、形を持っている。私も同じ落第生なのであるが。本来の我に帰るには肉体に宿る生命エネルギーと一体になり、霊肉1体になり、波動を上げ、成すべきことをして仮の宿から本宿に帰る。地上界のバイブレーションを上げることができれば醜い争いはなくなる。争いは低波動の為に分離感が生じ、自己保存の為に起きる現象である。
争いも現象である。雨上がりに虹がでるようなものである。現象は無くなっても本質はなくなることはない。人間は死ぬと思っているが、質料が変化するだけでなくなることはない。細胞の集合体がバラケルだけである。




2022年7月26日火曜日

宇宙は完全なのに人間は何ぜ働く?


 宇宙は完全なのに人間は何ぜ働く?

人間は宇宙生命体の中に存在し、すべての万象万物は宇宙生命の化身として現象化している。実在しているのは宇宙生命体だけが独存している。
完全なる中にいるのに肉体を使ってエネルギーを得る為に働いている。宇宙は生命エネルギーたいであり、生命エネルギーによって万物は造られている。造られた鉱物、植物、動物からエネルギーを取り出し、エネルギーを調達している。その為に自然のバランスを人間がアンバランスにしている。人間は地球のバランスを崩す為に生まれてきたのではないはずである。
鉱物、植物、動物は自然の摂理に沿って生かされている。万物の霊長と云われる人間だけが自然界を乱している。
人間は何ぜ現象化しているのか?聖書に「人間は宇宙の塵で人間の形を造り、息を吹き込まれた」と書かれている。人間のすべきことは宇宙内ではエネルギーを得て形態を維持するのではなく、形態を使って宇宙の生命エネルギーを放射させるこれが命の使い方である。
人間は宇宙の生命体の化身であり、人間の裡に宿る生命を肉体を通して地上界に放射させるお役目がある。霊肉1体になることで放射させ、地球波動を上げて行く。
人間が自分で生きようとすると分離感のため自己保存の為に争いを起こす。宇宙は1つなる完全完璧なる生命体であり、その知恵、力を使うだけである。人間が文明を発達させても高度文明になると地球のバランスを崩し、天変地異を繰り返して来た。結果で作る文明はアンバランスを生み、崩壊の道を進む。原因から文明を起こすことで地上界は楽園になる。
「得ようとするものは奪われる」すでに人間にはすべてが与えられ、すべて持っているのである。宇宙と1体となることで神のすべての力を使える。霊波動によって現象化している我を自ら肉体波動に下げてしまった波動を自分で元の波動に上げて行かなければならない。元々霊なのだから。







2022年7月25日月曜日

宇宙がは1つなるバイブレーションなり


宇宙がは1つなるバイブレーションなり

宇宙は陰陽の調和体、1つなる生命体、 1つなるバイブレーションの世界である。絶対バランスのバイブレーション。精妙なる宇宙波動の世界。
これが宇宙の本源本質の絶対なる世界。中性バランス振動。生命振動。この振動が様々な質料波動に宿り、生命活動をしている。生命の高バイブレーションが質料と調和し、生命が質料に宿り生命活動をしている。
見えるものは低バイブレーションであり、こ゚の質料があると思う心が高バイブレーションの生命が形態を造っていることを忘れ、形態の波動に意識が向き、生命とのアンバランスが生じ、形態バランスを失う。
見える質料を形作っている生命エネルギーがなければ形態は現れることはない。
今、現れている状態はバイブレーションが低い為に形態が現れている。生命エネルギーと一体であれば姿、形が現れることはない。意識が肉体意識であるため、現象化している。
何の為に人間の形態が造られているのか?宇宙の生命体が人間の肉体質料を通して波動を上げる為に造られている。人間には自由意志が与えられており、この自由意志は宇宙生命との一体感になり、自由に顕現する為に使われるべきものを、肉体を自分と思って自分の肉体の為に使ってしまい、自ら永遠なる生命である我を有限なる低波動の現象なる我として生きてしまっている。
本来なる我は生命であり、永遠なる宇宙生命である。宇宙は1つなる生命体である。それ以外何も存在しない。宇宙には中性バランス生命が実在するのみである。




 

2022年7月24日日曜日

日本の文化は見えないものを現わす文化である。


 日本の文化は見えないものを現わす文化である。

宇宙は目に見えない1つなる生命体。その中で1つなる生命体が万象万物に宿り、生命活動をしている。見えるものは見えないものによって生かされている。
見えないものを現わすことが日常でさりげなく使っている言葉「気遣い、お気をつけて、心づかい、心意気、」。
日常の生活の動きにも表れている。包丁、ノコギリ、刀、すべて引いて切って行く。何故なのか?引き切ることで空よりエネルギーを引き寄せて切る。包丁も重さを使って切ることでエネルギーを引き寄せる。ものが腐らない。刀も使うのは切っ先3寸を使う。遠心力を使って切る。遠心力、見えない力を使う。人間の身体もそのようになっている。身体の中心力を使うことで、宇宙の知恵、力を引き寄せる。肉体、万象万物はそのように神が造り生命活動をしている。内圧をかけることで空よりエネルギーを入れている。空がエネルギーを放射させる為に人間の器が造られている。人間は姿、形を人間と云っているが人間は細胞の集合体であり、動いているのは夜も寝ずに細胞群が活動している。人間は自分で髪の毛1本もつくることはできない。食べたものを分解してエネルギーに変えているのも微生物である。人間は何ひとつ自分ではしていない。人間も動植物も息を吸って生きているが、すべて1つの息で生かされている。
1つなる空によって生かされている。すべては1つなる見えない生命体である。


2022年7月23日土曜日

1つなる生命の現われ


 1つなる生命の現われ

宇宙は1つなる生命体。生命は見えない。万象万物は1つなる生命が現象化しているもの。
見えない生命は何かの媒体を使わないと現わすことができない。その波動領域の質料に宿り、生命を現わしている。現われているものは形態に宿る見えない生命が形態と一体となり、見えない生命が姿、形を通して現れている。隠れ蓑として宿っている。本質は隠れ蓑である。
天と地に分けられた惑星、地球。この地の星の波動を上げる為に人間という万物の霊長と云われる形態が造られている。地の星から光る星に波動を上げる為に。
自然界には自由意志はない。人間にだけ自由意志が与えられている。こ゚の自由意志を使って人間という形に宿る宇宙生命の分霊と宇宙生命が一体となり、地上界に光を注ぐ。これが宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれ、生きるものになった人間のやるべき使命である。
宇宙は無限生命であり、有限なる人間は存在しない。現象である。
宇宙生命は自分を現わす為には何かの媒体を使わなければ現わすことはできない為に。万象万物の形態を使って現わしている。万象万物すべてに宇宙生命体が宿っている。宇宙生命体の化身が万象万物である。万物の霊長に与えられている使命は地の星を光る惑星にするために人間に自由意志が与えられている。人類はこの自由意志を見える現象に使って自縛している。
万物の霊長の使命は人間を生きるのではない。人間という道具、器を使って地上界の波動を上げることである。人間の裡に宿る意識波動を使うことで、波動を上げる。人間は神の波動を上げる器であり、器に宿る神の子である。
宇宙の全知全能の知恵、力を引き出して使うことで、地球の波動を上げて行く。その力は裡から引き出して行く。「神の知恵、力は汝の内にあり」である。 



2022年7月22日金曜日

人間と企業JV


 人間と企業JV

宇宙は小宇宙の集まりである。小宇宙は大宇宙の中に存在している。万象万物は大宇宙の中の小宇宙である。人間も宇宙の中の小宇宙であり、人間の中でも細胞の集合体を作り、1つのjv企業体として現象化している。仕事が終わればjv企業体は解散し、又小さな会社に戻るようなものであり、JV企業体が解体しても集合化した企業が無くなる訳ではない。人間も姿、形がなくなっても死んでなくなることはない。見えなくなるだけである。
人間という細胞の集合体は1つなる宇宙細胞体の中の1つであり、万象万物はすべて宇宙生命体の一部である。すべては1つの宇宙生命体の中の小さな1つの細胞体であり、全体である。
全ては1つ。見えるものだけがあるのではない。見えるものは見えないものが宿り、見える現象を現わしている。すべては1つのものの現われである。




2022年7月21日木曜日

聖書とは!仏書とは?


 聖書とは!仏書とは?

聖書、仏書に書かれているものはすべて1つなる見えない生命、宇宙生命体、宇宙の本源、本質のことを現わそうとしている指南書である。書かれているものは見えないものを現わそうとする為の例えである。見えないものを現わす為には見えるもので説明しなければならない。その例え話をそのまま受け取ってしまうと間違いを起こしてしまう。すべては1つなる生命を現わそうとする例えの話である。例え話をそのまま使う為、色々な宗教が生まれてしまう。宗教戦争になってしまう。すべてが1つであれば争いはない。
宇宙は1つなるバイブレーションの世界である。聖書はバイブルと云われているのはバイブレーションのことである。バイブレーションは目には見えない。この波動が生命である。
この1つなる生命を神と呼んでいる。神様が別にいるわけではない。もし神様いるとするなら宇宙は無限神、宇宙神にはならない。無限ということは1つであるということである。
すべては1つなる生命の現われ。様々なバイブレーションの中で様々な形態が造られ、1つなる生命が宿っている。
万象万物はすべて1つなる生命の化身になる。日本では八百万の神と呼ばれている。様々な神がいるのではなく、様々な形の中に1つの神が宿っている。でなければ無限宇宙にはならない。様々な形はあってもすべて1つなるものの現われである。
肥田先生は宇宙倫理の書でこれを現わそうとしたと思います。真理は1つしかない。この真理が第3次世界大戦を防ぐために書かれた書であることは間違いはないと確信する。
宗教という字は宇宙を示すと書く。宇宙は1つなる無限生命体である。真理は1つである。沢山の宗教があるということは真理ではないということになる。1つなる真理は争いのない世界である。


2022年7月20日水曜日

宇宙の本源、本質は1つなる無限生命体である。


 宇宙の本源、本質は1つなる無限生命体である。

宇宙の完全なる生命体が現象として万象万物を現わしている。見える生命体として。すべて宇宙法則に基づいて生かされている。宇宙の中に存在するものは1つの宇宙生命体として活動している。
人間も宇宙の永遠なる生命体の中におり、生かされている。自ら働いて生きるものではない。すべて持っている存在であり、無限の生命エネルギーの放射体として現象化している。人間は無限大の宇宙エネルギーを肉体を通して、受け流す器として造られ現象化している。
生命エネルギーが万物を造っている。人間は今、動植物からエネルギーを頂いている。すべての原点は生命エネルギーであり、本源はエネルギーであるから敢えて動植物から取ることをしないで直接エネルギーを取り出すことができるように造られている。肥田先生は「蜂蜜の話の中で他人のものをとるな」と云われている。
全ては気体の現われであり、この気体が本来の我である。姿、形は持たない気体が我になる。
真理は1つであり、1つの中に自分は存在しない。宇宙は1つなる生命体なら、我は宇宙生命そのものではないか?宇宙即我とお釈迦様が云われいるがすべての根源は1つなる宇宙生命以外存在しない。これを如何に実感し、そのものになって行くかが今生での使命である。



2022年7月19日火曜日

土壌と意識


 土壌と意識

酸性土壌には酸性の植物が育ち、アルカリの土壌にはアルカリの植物が育っている。虫も酸性の植物には酸性の虫がよってくる。人間は虫がくると殺虫剤で虫を殺す。敵と見てしまう。土壌が酸性体質の為に植物も酸性になってしまう。酸性の虫は中性に戻す為に現れる。酸性の植物がなくなれば、現れることはない。土壌を中性に戻すことで、酸性の虫は来なくなる。すべてはバランスである。土壌と植物は一体である。
人間も同じであり、人間の土壌は意識である。意識したものが顕れてくる。人間は意識が我であり。人間は意識の表現体である。良いことを思えば良いことが現われる。悪いことを思えば悪いことを肉体は表現する。肉体が病むのは心の病みが肉体を通して現れているのである。
人間は肉体が悪くなった時、医者に駆け込む。植物に虫がくると殺虫剤を使って虫を殺す。何故、虫がくるのか?何故、病むのか?を見ない。原因が病をつくっていることに気づかない。
肉体を自分であると思う心が心のバランスを崩し、病気を引き起こす。見えるものは見えないもののバランスで形態を現わしている。すべての本源は心である。意識である。植物と土壌とは1体であり、人間肉体と心も1体である。人間は大宇宙の中の小宇宙であり、小宇宙は大宇宙そのものである。すべては1つなる大宇宙生命体があるのみである。


2022年7月18日月曜日

現象は見えないものを現わす媒体である。


 現象は見えないものを現わす媒体である 

宇宙は1つなる無限なる生命体。1つしかないものの中に2つはない。ということは見える万象万物は存在しないということである。真理は1つである。見えないものがだけがあるということになる。
物事を単純に考えればいいのではないか。
見えるものはすべて1つなるものの化身であるということは人間も現象であるということになる。存在していないということになる。何故人間は生きていると錯覚してしまっているのか?
それは1つなる生命は見えないために、見える質料が動いているように見える。見えないものが動かしているとは殆どそのようには思わない。それに気づく時がある。死ぬ時である。死ぬ時は肉体と見えない意識が分離する。また息が止まると肉体は動かなくなる。こ゚の時に見えないものが見えるものを生かしていることに気づくチャンスなのであるが、殆どのものが肉体に生きているため気づかない。肉体は休んでいても心臓も止まらない。自分と思っている肉体も死ぬ時、自分では決めることはできない。冷静に考えると理解できるが、人間という固定観念があるため見流し、聞き流してしまっている。如何に固定感を取ることが難しいかを感じる。一度思った固定観念は余程のことがない限り漂白できない。知識で解っていてもできない。
素直な心に中々なることができない。幾ら説明されてもこの固定観念、自我からの解放ができない。外を見る心が内なる心を閉じ込めてしまう。肥田先生の「誠」は深い意味を持っている。自分があると思う人間には肥田先生の云わんとすることは理解できない。無我になって初めて理解できる。肥田式を使って少しでも自分の能力を高めようとする自我の人間には肥田式は理解できない。肥田式は目に見えない利動力、生命の気づきの為の鍛練だからである。
中心力とは宇宙であり、我であるから。本当の我は見えない原子と電子である。無限の生命、永遠なる生命が本当の我である。お釈迦様が云われる「宇宙即我」である。
見えるものに生きるは死、見えない生命に生きるは永遠であるとキリストも云われている。
肥田先生は「中心の鉄扉を開かずして生涯を終るものは 米を抱いて餓死するが如し」と云われている。すべて同じ意味である。


      

2022年7月17日日曜日

人間という現象我の克服


 人間という現象我の克服

宇宙内は1つなるバイブレーションによって生命が存在している。バイブレーションの違いによって様々な形態が造られ、その中に1つなる生命が宿り、その形態の中で神の波動を放射している。生きているのである。生きているのは神の波動である。姿、形は神の波動を現わす器である。人間は文明を発達させようとして地球のバランスを崩し、天変地異を繰り返している。この間違いにいまだに気づかない。
人間という波動の低い状態で文明を発達させようとするため、地球のバランスを崩す。
現象の人間は実在しないことを認めることができれば地球は地の星から光る星になる。この任務を人間に与えられている。人間は神の子であり、神の器である。万物の霊長なのである。
全ては1つなる中心生命体が実在している。見えるものはなに1つ実在しているものはない。
すべてのすべてありてあるものは1つなる生命、目に見えない原子と電子、神である。これ以外実在しているものはない。中性なる光だけが実在している宇宙生命体。この中で万象万物は現象化している。1つなる生命が現象化させている。真理は1つである。人間は波動が低い状態が故に姿、形として現れている。人間は宇宙で1番偉い存在であると思っている。
これに気づかない限り、地球の進化は望めない。人類は今、動植物以下の生き方をしていることに気づかない状態である。1人、1人が自分の波動を上げ、この現象界から抜け出すことで人類を救うことができる。


2022年7月16日土曜日

見えるもの、見えないもの 原因、結果の法則


 見えるもの、見えないもの 原因、結果の法則

宇宙のたった1つの生命が万象万物を現わしている。これが神であり宇宙生命である。万象万物は一なる生命の現われである。この1つなる生命が実在しているだけである。見えるものはすべて1つなる生命体が見えるすべての根源になる。この見えない実在しているものを現わすものとして神という字を当てている。神様が特別に存在することでない。存在するという宗教があるとすればそれはまがいものである。
すべては1つなるものの現われである。この1つなるたった1つの法則を神、仏、天照大神と呼んでいるに過ぎない。見えるものは1つなるものの現われ。すべての万象万物は同じものであるということになる。色心不二である。宇宙は1つである。人間も1つなる生命の現われである。人間は1つの生命である事に気づかず、1つの中で、見えるものがあると信じ、争いを繰り返している。生命は永遠であり、人間も現象として現れているだけであり、形が変化するだけで、なくなることはない。何故、このことに人類は気づかないかというと波動が低いために気づかないだけである。見えないものは永遠、見えるものは見えないものの現われ。現象になる。1つなるものの中に2つはない。見えるものはすべて現象である。万象万物は現象であるということになる。原因は見えない。見えるものは結果であり、すべては1つなるものである。


2022年7月14日木曜日

心身強健術の意味


 心身強健術の意味

肥田式強健術は心身強健術である。
一般的に肉体を鍛錬することで、身体の能力を高めようとするが、肥田式強健術は心身を共に鍛え、能力を引き出そうとするものである。
肥田式強健術の中に八大要件というものがある。これは肉体と心を共に鍛える内容である。肉体は心によって動かされてしまう。宇宙は陰陽の法則で動いている。バランスでエネルギーが初めて使える。肉体だけを鍛えてもエネルギーは引き込むことはできない。肉体だけを鍛錬するとバランスを失う為、肉体を痛めてしまう。
肉体は何の為に存在するのか?自分の為に使い、自分の能力を高め、自分がより良く生きる為に使うのではない。宇宙の無限大のエネルギーを地上界に降ろし、地球の波動を上げる為に肉体は作られている。地球波動が上がれば争いはなくなる。
目に見えるものは現象である。形であり、外観である。実際にあるものは外観の中身である。中身がなければ外観は現れることはない。中心なるもの、中なる心がなければ外観の形が現れることはない。肉体は中心なる心、エネルギーがなければ肉体は使うことはできない。
心身は1つであり、肉体は現れている結果、心は現象を現わしている原因。2つで1つである。肉体と心は別々のものではない。現れている肉体は心、エネルギーによって肉体は作られ、現れている。中心なるエネルギーにより肉体は動かされているのである。肉体は初めからあったのではない、作られたものである。心、中なる心によって、エネルギーによって造られたものである。形はエネルギーと質料のバランスによって肉体は現れている。肉体はエネルギーを現わす媒体であり、肉体は人間が人生を生きる為にあるのではない。



2022年7月12日火曜日

天寵無限


 天寵無限

肉体を持つ人間は肉体を我と思っている為、力を得ようとする時、筋肉を鍛えようとする。
肥田式強健術は正中心、聖中心という字を当てている。
肥田先生の書に「天寵無限」という字がある。これは何を意味しているのか?
宇宙は無限大のエネルギーであるという意味である。無尽蔵に使っても減らないエネルギーであるということである。このエネルギーをどのようにして引き込むかということである。
肥田先生は人間は神の子であり、神の器であると云われることと肥田式強健術が聖中心道の名前を使っている意味は宇宙の力を肉体を通して受け流す鍛錬が肥田式強健術であるということである。それには宇宙と一体になり、無我になり宇宙エネルギーを取り入れる。取り入れるというのではなく、無限大の宇宙エネルギーを受け流す媒体が肉体であり、宇宙エネルギーが我であるということである。
無限大の宇宙エネルギーを引き込む意味はバイブレーションの高い波動を地上界に降ろすことであり、地上界の波動を上げることで争いを無くそうとする意図が肥田先生にあったのではないかと思う。肥田先生も万物の霊長である人間のすべき使命を感じていた。肉体を鍛錬して自分の肉体の能力を高めるためのものだけに作られた鍛錬法ではないと思う。
自我では天の力を使うことはできない。天と一体になることで初めて使うことができる。
霊肉一体で使う。それが気合である。気合、気は天であり、天と一体になる。肥田先生が最初に出された心身強健術の本の冒頭に「気合で鍛錬する」と書かれている。この意味をしっかりと受け止めなければならない。
このブログは自分の鍛練のために書いているブログである。肥田式の鍛練者の方々には参考にならないかも知れない。


2022年7月11日月曜日

伸ばせばバター如く、縮めば鋼鉄の如く


 伸ばせばバター如く、縮めば鋼鉄の如く

人間の身体は「躬」という字を当てていた。身体は弓のように使うということである。
上半身と下半身の使い方が真逆であるということである。伸ばせばバターの如く縮めば鋼鉄如く動く筋肉という筋肉はゴムのような筋肉である。
身体の力の配分で中心力10、部分力9の割合で使うということは上半身には筋肉を付けてはならないことを意味する。筋肉を付けるということは筋肉は固くなり、自由性を失ってしまう。上半身は伸ばして使うことで遠心力を利用することができる。抜刀術で刀を使う時、切っ先3寸と云われている。遠心力を使うことで絶対に身体を痛めることはないことを肥田先生は断言している。遠心力を使うということは宇宙の力を引き込むということである。
宇宙のエネルギーを身体を通して引き込む方法でもある。宇宙はエネルギーそのものである。
人間は宇宙生命を現わす媒体として存在してしている。たった1つなる生命があるだけ。我は宇宙生命なり。我は神の器であり、神の子である。すべては神である。神とは見えない1つなる生命エネルギーのことである。宇宙の永遠なる生命がすべての根源である。見えないものを現わす言葉として神という字を当てているだけで神様が別に存在しているわけではないのである。宇宙の原子と電子を神、仏、天照大神と云っているだけである。宇宙は無限生命体であり、万象万物はすべてが神の化身である。無限の中に有限的な神は存在しない。1つなるものの中に2つは存在しないのである。

2022年7月10日日曜日

すべてを動かす原動力は宇宙生命エネルギーなり


 すべてを動かす原動力は宇宙生命エネルギーなり

1つなる生命が宇宙の現象万物万物を現わしている。人間も宇宙内に現象している万物の霊長である。人間は肉体ではなく霊である。宇宙は霊生命である。人間は宇宙の生命によって造られていることに気づかず、宇宙を解明しようとしている。人間の存在を理解しない限り宇宙の謎は明かすことはできないと思う。人間は聖書に書かれているように塵にて息を吹き込まれたということを理解していない。このことが理解できれば1つな生命のなかで絶対に争うことはしないはずである。
人間を動かしているものは見えないものによって動かされている。
見えないもの
  • 生命
  • 意識
  • 想念
  • 言葉
肉体は意識によって動かされている。意識は1つなる宇宙意識があるのみ。人間は宇宙の意識波動によって現象化している。実在しているのは生命、中性の生命体が独存している。無限生命が独存している。この1つなる生命が様々な形態を作り、八百万の神を現象化している。
すべては1つなる生命の現われである。宇宙の根源はこの1つなる生命が根源である。見えるものがあると信じる心が人類を惑わしている。1つの中に見えるものは存在しない。見えるものはすべて1つなるものの現象である。
実在しているものはたった1つの生命体が存在している。他に実在しているものはないのである。現象しているものは幻影であり、変化してしまう質料である。実在しているもの絶対になくならない永遠なる中性生命体が実在しているだけである。

2022年7月9日土曜日

意識は吸引力なり


 意識は吸引力なり

意識によって様々な現象を現わす宇宙の生命体。想念は実現の母と云われるように想念意識によって現れる世界が宇宙という霊界の生命体である。
原子と電子の世界である。
宇宙は絶対なる中性バランスである。このバランスを失うことはないが失うとすれば宇宙は存在しなくなる。宇宙は愛の法則と云われる。吸引の法則、陰陽の法則である。自然界はこ゚の法則に基づいて生命活動をしている。低波動のため形を持っているため、作用、反作用の力を使って生命活動をしている。
すべては1つなる生命の現われである。すべての根源は宇宙の絶対バランス、中性力である。
すべては此処から始まっている。人間にだけ自由意志が与えられている。想念という意識である。意識は宇宙には1つしかない。この意識を人間は仮相の現象で使うか?神の意識で使うかの選択権を与えられている。元々宇宙生命体である我に戻らなくてはならないが、仮の宿で
生老病死の世界を楽しんでいる。宇宙は意識霊界であり、想いによって変化する世界である。
自由自在にできる世界である。観自在、無碍自在の世界。今、敢えて不自由な形の中に本来の我(意識)を置いている。形を自分と思っているため本当の我に戻ることができない。肉体離脱とは意識のバイブレーションを上げて行くことである。元々生まれた所に戻って行く。意識によって行う。お金はかからない。無料である。自分で波動を下げてしまっているため、自分で元の波動に上げて行かなければならない。


2022年7月8日金曜日

肉体は意識によって動かされている。


 肉体は意識によって動かされている。

意識がなくなれば肉体は動かない。意識は1つである。宇宙意識があるのみである。人間は宇宙の塵で人間の形を作り、息を吹き込まれたと聖書に書かれている。人間の形は宇宙の質料であり、質料には何の力もない。宇宙の息、生命エネルギーによって肉体は作られ、息によって生かされている。この肉体は肥田先生が云われるように神の器であり、神の子である。この器はどのように使えば良いのか?意識は1つである。宇宙意識があるのみである。肉体は意識によって動かされる器である。人間という意識で肉体を動かす時、小さな力しか使えないが神によってつくられた器であるという意識で動かす時、宇宙力、全知全能の力を使うことができる。宇宙と一体感になる時、この力が使えるように作られている。
肥田先生はこの力を使える人であったと思う。肥田先生は著書に「聖中心道」という字を当てている。形には必ず中心がある。その中心と宇宙の中心はつながっており、宇宙そのものが我であることを知っていたのではないかと感じる。鍛錬も中心に入れば数回で良いとも云われている。


2022年7月7日木曜日

誠とは


 誠とは

「初めに言葉ありき」という言葉を肥田先生も使われる。言葉ありきとは神ありきということである。
初めにエネルギーありきである。宇宙は無限のエネルギーたいであるということを云われている。
誠とは言葉は成れりと書く。神ということである。
宇宙は無限大の生命である。この中に万象万物は姿、形を現象化している。すべて1つなる宇宙生命が質料を通して現象化している。
肥田先生も何ぜ1つのなかで争いを起こすのか?肥田先生が第3次世界大戦を阻止するために書かれた宇宙倫理の書は焼失してしまいましたが、意識波動を1人、1人が上げることで争いがなくなることを知っており、それを書き残こそうとしたのではないかと感じる。
肥田先生は自分を持っていなかった。無我である。誠とは素直な心である。素直とは素に直と書く。素とは神である。宇宙生命である。宗教家の云っている神ではない。宇宙生命のことを肥田先生は云っている。神、仏、天照大神はすべて同じもの。宇宙には1つなる生命体しか存在しないのである。1つなる見えない生命を色々な呼び名で呼んでいるだけである。宇宙にはたった1つの愛の法則があるだけである。肥田先生はこのことに目を付けられた。争いを防ぐ方法はこれ以外にはないからである。


2022年7月6日水曜日

宇宙は意識の世界である。


宇宙は意識の世界である。

想念は実現の母。宇宙は質料と生命エネルギーの世界であり、想いによって具現される。これが宇宙である。宇宙は素晴らしい世界ではないか。想ったことが現われる世界。良いことを思えば良いことが具現する。悪いことを思えば悪いことが現われる。
人類は見える現象に囚われ、見える起こっている結果の世界に生きている。こ゚の世界は現象なので幾ら直しても直ることはない。原因を直さない限り、直ることはない。
現象界に現れているものは波動が低い為に現れている。こ゚の現象界を直すのではなく、自分の波動を上げることで、このバイブレーションの低い世界から自分のバイブレーションを上げて行くことで人類の波動が上がってくる。1人、1人が自分の波動を上げて行く。
これが人間のなすべきことである。争いを起こす為に人間は生まれて来たのではない。
波動が低い為争いを起こしてしまう。波動が低いと争いを起こしても結果は良くはならないことが理解できない為に人類はまだ争いに明け暮れているのである。やったらやり返す。これでは悪くなっても良くはなることはない。意識想念ですべてが変わる。宇宙は1つなる生命体である。永遠なる生命体である。万物の霊長でりながら動植物以下の生き方をしている。現象に生きるは有限なる人生に終わってしまう。想念によって自由に変化させることができる。正しい想念をすることで波動が上がり争いは無くなる。すべて意識によって変化するのが宇宙界である。

2022年7月3日日曜日

実在と現象

 

実在と現象

殆どの人が見えるものが実在していると思っている。実在は永遠という意味である。消えてしまうものは実在していない。現象である。
見えるものはすべて消えてしまう。見えるものに本物、実在しているものはないということになる。
人間も消えてしまう。実在はしていないということになる。宇宙は1つなる生命であり、見えるものが見えなくなっても形が変化するだけでなくなることはない。すべては1つである。人間は形がなくなることを悲しむが実際にはなくならない。元に帰るだけである。氷が水蒸気になるだけである。人間は見えるものに囚われ、この中で縛られてしまっている。見えるものは結果であり、結果の見えるものはそれを現わす原因が必ず存在する。
宇宙は1つなる原因があるだけであり、結果は様々な現象を現わしている。1つなる神が多神を造る。八百万の神は1つなる原因の現われである。人間は様々な現象に振りまわされ、現象に生きてしまっている。現象は仮の宿である。この波動の低い見える現象界から本来の自分の高波動の我に戻らなけれなならない。本来の我は見えない実在なのである。見えるものは仮相界、見えるものは波動が低い為に見えるだけである。
現象というのは字の如く、現れた形と書く。宇宙は永遠なる世界であり、現象界は死の世界である。すべては1つなる生命であり、その現象が見える姿、形を現わしている。現象は消えても本質はなくならない。なくならないのだから 人間は葬式はしなくてよい。お釈迦さんは自分の肉体をガンジス川に流しなさいと云っている。本来の自分は肉体ではないと云っている。死なないのに何故悲しむの?宇宙は永遠である。死なない世界の中に人間は存在しているに見えるものに囚われ波動を上げることができない人類である。これはリーダーが行なうのではない。1人、1人が行なうものである。自分で自分の本宿に帰るだけである。


2022年7月1日金曜日

気合と意識発酵

 

気合と意識発酵

気合は肉体と心を1つに合わせて行く。発酵も質料を細かくすることでエネルギーを高めて行く。自然界の行なっているものは名前は違うが、同じことを意味する。すべては1つなる生命の現われであり、すべては1つになるものである。
人間は1つなる細胞の集合体であり、集合体の形を人間と呼んでいる。人間というものは形を人間と呼んでいるのであり、人間そのものは存在しない。形の名前である。宇宙は1つなる細胞の集合体である。その中の1つの形態を人間と呼んでいるに過ぎない。
すべては1つなる宇宙生命細胞体が様々な形態を造り、生命活動をしている。この細胞が万象万物を現象化させている。すべて生命細胞体であり、宇宙は存在している。原子と電子の世界である。
完全発酵したものは腐らない。未発酵のものは腐る。スーパーで買って来た野菜を冷蔵庫に入れて置くと水分がでで腐っている状態を経験する。路地もののトマトなどは腐らず、エネルギーの高いものはひなびて行くだけ。
人間も同じである。意識を外に向けて生きるとエネルギーが外に流れ、病気になって行く。裡に向けて生きることで発酵状態が保たれる。発酵は裡に内圧をかけることで無限の生命エネルギーを引き込むことができる。人間の意識圧が抜けると死である。
未発酵のままで生涯を終わるとまたその質料の波動で生まれてくる。キリストが云われている。死ぬものはまた生まれると。人間はこの現象界で自分を発酵させるためにこの世に現象化している。現象化しているものはすべて未発酵である。私も未発酵。完全発酵すれば形は存在しない。これが昇天であり、成仏である。1人、1人の中に神に戻る発酵菌が内在している。意識を発酵させて行く。形を持つものは未発酵状態である。エネルギーが高まると形は無くなる。肥田先生も光という言葉を使われる。