伸ばせばバター如く、縮めば鋼鉄の如く
人間の身体は「躬」という字を当てていた。身体は弓のように使うということである。
上半身と下半身の使い方が真逆であるということである。伸ばせばバターの如く縮めば鋼鉄如く動く筋肉という筋肉はゴムのような筋肉である。
身体の力の配分で中心力10、部分力9の割合で使うということは上半身には筋肉を付けてはならないことを意味する。筋肉を付けるということは筋肉は固くなり、自由性を失ってしまう。上半身は伸ばして使うことで遠心力を利用することができる。抜刀術で刀を使う時、切っ先3寸と云われている。遠心力を使うことで絶対に身体を痛めることはないことを肥田先生は断言している。遠心力を使うということは宇宙の力を引き込むということである。
宇宙のエネルギーを身体を通して引き込む方法でもある。宇宙はエネルギーそのものである。
人間は宇宙生命を現わす媒体として存在してしている。たった1つなる生命があるだけ。我は宇宙生命なり。我は神の器であり、神の子である。すべては神である。神とは見えない1つなる生命エネルギーのことである。宇宙の永遠なる生命がすべての根源である。見えないものを現わす言葉として神という字を当てているだけで神様が別に存在しているわけではないのである。宇宙の原子と電子を神、仏、天照大神と云っているだけである。宇宙は無限生命体であり、万象万物はすべてが神の化身である。無限の中に有限的な神は存在しない。1つなるものの中に2つは存在しないのである。