肥田式強健術・聖中心道の鍛錬記ブログです。肥田先生は第二次世界大戦後、第三次世界大戦に向けて宇宙倫理の書を書かれている。何故書かれたのか。その意味は?宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体の中に争いをは存在はしないことを云われたのだろうか?焼失してなくなりましたが。それを紐解いて行くブログです。
2024年8月9日金曜日
永遠なる宇宙生命
2024年8月5日月曜日
完全を不完全にさせているのは自分自身
原因、結果の法則は原因なる実在が仮相なる結果を顕している、現象は原因の顕れであり、原因と現象は1つである。造り主は見えないため、見えるものだけを見てあると錯覚し、判断をしてしまい、1つなる宇宙生命の実相を見落としてしまって現象の幻想の実在しない世界の中に生きている。幻想は実在しない仮相であり、実相に気づくまで、輪廻が繰り返される。外なる現象を見て、実相と勘違いをしてしまっているのは自分自身であり、我が中にある実相に気づくのは自分自身しかいない。内なる神を自ら裏切って居ながら、神様助けて下さいということは虫が良すぎる。すべて自己責任である。神は完全に造っているのに不調和の使い方をしているのは自分自身なのだから、すべては1つ。神のみが実在している。人間が現象界の迷妄から離れるのはこの現象界で行わなければならない。生きている内に成仏できなければ、死んでは成仏できないと。
2024年7月31日水曜日
現象は生命を顕す媒体
2024年7月30日火曜日
我は永遠なる宇宙生命体
宇宙は原因なる1つなる生命が現象を顕している。原因と結果現象は1つである。原因は造り主、被造物は原因によって顕されたもの。原因が形を止ったものである。霊が霊魂となり現象として顕れている。すべて1つである。霊のみが実在する。
宇宙の法則は天地一体の法則である。愛の法則である。すべて永遠なる法則があるが故に万象万物は現象化している。現象化しているものがあるのではない、原因があるのである。
現象は原因の仮相であり、実在はしていない。実在なる原因が顕している。
天が地を顕している。天を顕すために現象化している。実在しているのは天のみである。
天は永遠、地は仮相。宇宙は永遠なる生命であり、現象を通して永遠なる生命を顕している。現れている現象は内なる生命によって生命の化身として顕れている。実在しているのは天なる生命である。万象万物はすべて天の現象である。現象は天の顕れであり、現象であり、実在はしていない。天の現象、天そのものが生きているのである。
造り主と造られたものは2つで1つである。
人間は造り主である神の被造物を分離してしまい、神の顕現道具を自分と錯覚してしまった。
神である造り主を裏切り、自分が生きていると信じてしまった。神への反逆である。
この神への反逆行為が永遠なる神の世界から自ら離れてしまった。神が追放したのではなく、永遠なる世界から自ら離れてしまった、
永遠なる生命の世界から有限なる実在しない幻想に生き、輪廻を繰り返している。
人間が現象に生きようとすればするほど地上界はアンバランスになる。
文明が発達すればするほどアンバランスになり、幾度となく繰り返されて来た天変地異である。
宇宙は中性バランスの生命体であり、現象なる物質界に生きれば生きる程、地上界のバランスをアンバランスにさせる。
今、南極の氷が溶け出しているのも地上界のアンバランスの結果である。完全なる中に居ながら、不調和にさせ、有限なる生き方をているのは他の誰でもない万物の霊長である人間様である。実在しない人間は永遠なる宇宙の中で、地上界を汚し、有限なる迷妄の幻想に生きている。
2024年7月25日木曜日
2024年7月22日月曜日
2024年7月20日土曜日
宇宙は1つなる無限大の愛の法則
天のみが実在
2024年7月19日金曜日
宇宙の中に有限なる人間は存在しない
2024年7月16日火曜日
すべては1つ
宇宙は1つなる生命体。こ゚の生命体のみが実在している。これが宇宙の本源本質である。
すべての万象万物はこの1つなる生命が宿り、生命の化身とそて現象化している。
人間も1つなる生命の現象として顕れている。
原因結果は現象化されている中心には大霊が宿り、小我を顕している。小我があるのではない。小我があるのではなく、大霊があるのである。見えるものは小さいが小我を顕しているものは内なる大霊である。宇宙生命である。
髪の毛1本に宿っているのも大霊である。
人間は神に似せて造られている。人間は大霊であり、小我の媒体を使って全知全能の力、知恵を顕現させる。これが人間という神の顕現媒体に与えられた使命である。
この使命を果すまで、地上界から離脱することはできない。
今、人間をしているということは現象に溺れて波動を下げてしまった。使命を果すには下げた波動を上げ、霊肉一体の神の波動に上げなければならない。
自分で下げた波動を上げるのに誰も手伝うことはできない。自分で意識波動を上げて行かなければならない。
現象界は五感の世界、サタンの世界、諸行無常の変化して止まない世界、生老病死の幻想界。我々は天の国の住人であるが、自らの波動を下げてしまった為に今、この現象界の仮の宿に現象化している。
2024年7月15日月曜日
現象は神の化身
無形無双の大霊界
大霊界には姿 形は存在しない
現象の世界は低次元である
神に似せて造られた 神の被造物
これを開花させることが仮相人間に与えられた使命であり
現象界を生きるのではなく
2024年7月10日水曜日
この世は現象界、仮の宿、俗世、浮き世
今、我々が住んで居る世界を現象界とも、俗世とも浮世とも呼ばれている。実在しないバーチャルの世界、仮相界である。あるように見えて実在しない世界。この幻影の中に人間は生きている。仮相人間として。
何故、現象界に生きるようになってしまったのか?
宇宙は1つなる永遠なる生命体である。神1元の世界である。神が自らを顕すために顕現媒体を神によって造られたものを勝手に自分と錯覚をしてしまい。変化して止まない世界の迷妄の世界に足を踏み入れ、自ら自縛している状態である。
この錯覚を正し道を開いたものが、モーゼであり、キリストであり、ブッタである。この道をまた宗教によって閉ざされてしまった。
この現象界は実在しない。神が自ら顕す現象世界なのである。現象は生きる世界ではないし、現象界は永遠に生きることはできない。宇宙は永遠の世界である。永遠の中に有限は存在しない、永遠なる神の世界の中で、神を顕すために万象万物が現象として顕れている。
全知全能の神の中に居ての使命は人間という仮相を使って神の無限大の生命エネルギーを顕現する為に神によって顕現媒体として造られている。神の表現道具を勝手に自分と錯覚し、使用している。神が経済活動をすることはあり得ないのである。
人間は神の顕現道具を勝手に使って生きているだけに過ぎない。盗人である。人間は神の顕現道具の形の名前であって人間は存在しないのである。
現象界は神の顕現する媒体であり、三位一体の世界である。ピラミッドである。完全バランスなる愛の法則である。これを人間と錯覚することでバランスを失い、鈍重な物質界から昇天できなくなってしまう。自然の正常な循環を阻止しているのは自我という人間である。
宇宙は1つなる完全なる愛の循環、永遠なる生命循環が根源である。これが宇宙の法則である。神、仏、天照大神とは宇宙の愛の法則のことである。
2024年7月5日金曜日
人類の落し穴
宇宙は1つなる生命体であり、この生命体が宇宙の本源本質である。原因なき、原因である。
すべての現象の発生源である。造られたものは様々であるがすべての現象は神の御業である。全知全能の力、知恵の顕れである。
宇宙は1つなる創造原理、創造原理の神が人間を創造している。造り主は神である。人間の先祖は神なのである。
先祖崇拝と云って人間を祀っている。先祖が神である事に気付かない。
人間は神によって造られれているものを自分を生んでくれた親を先祖として、祀り奉る。
この分離感が自縛の原因である。人間は存在しないのに、しっかりと幻影の人間を演じている。
想念は実現の母であり。内なるものが外なるものを顕している。現象界での御業も神が肉体を通して顕している。これに気付くまで輪廻で再生させられる。
2024年7月2日火曜日
輪廻転生は何故怖いのか?
宇宙生命体は1つなる無限生命体である。無限生命の中に有限なる現象は存在しない。
現象は一なる生命が無限大の無形無双の生命が現象を通して顕れている。生命の表現媒体として現象が顕れている。1つなる生命が化身を通して生命エネルギー顕現させている。人間だけではない。鉱物、植物、動物も神の生命エネルギーを様々な媒体を通して神の生命を顕現させている。
人間は神の似せて造られたと云われているが、神そのものである。人間は自由意志が与えられており、自由自在に生命エネルギーを顕現されるために自由意志が与えられている。
神と人間は別々ではない。宇宙は神1元の世界であり。すべては神一元の愛の世界である。
人類はこの自由意志を神我顕現をする為に与えられているものを、波動の低い変化して止まない見える世界をあると錯覚して使ってしまった。
神我顕現は高波動のエネルギーを人間の媒体を通して顕現する。人間が現象を認めると自らの波動を下げ、高波動の生命エネルギーを受け流すことができなくなる。
輪廻は低波動の為に低波動の循環の中に組み込まれてしまう。
お釈迦様が外を見るな、内を看よと云われるのは外なるものに生きるのではなく、内なる生命に生きよと云われている。
汝の仏は汝自身なりと。すべては内なる中心が外なる現象を顕している。
イエスもこの世は死人だらけであると云われるのはこのためである。
輪廻は自分が創り出す迷妄に気づき、宇宙の法則に沿って生きる。今、私も含めて現象化しているということはこの宇宙法則が理解できなかったということである。
この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如しと云われ、輪廻を繰り返すということは自然界の法則を自ら壊し、次の世代の修行の場をなくすことを自ら奪っている。
こらから様ザな異常気象が起こり、それを造っているのが現象を生きようとする人間である。
現象をあると信じる心が地球を再生できない状態にまで人間が追い込んでいる。
2024年6月28日金曜日
2024年6月23日日曜日
すべては1つ 原因なき原因
2024年6月21日金曜日
人間の使命は神我顕現である
宇宙生命体は無形無双の永遠なる生命体であり、すべての万象万物はこの永遠なる宇宙生命体の中に現象化している。
現象をさせているのは1つなる本源本質の大霊である。観自在、無碍自在の永遠なる生命体が神我顕現をさせている。1つなる生命は1つなる永遠不滅の神である。神様が他にいるのではない。宇宙生命体そのものが絶対バランス、絶対調和が神であり、人間は神様が人間の他に存在すると教え込まれた来てしまったが故に自分を自縛させてしまった。
神は人格神ではない。
宇宙は一なる生命体である。
人間は神の子であり、神の器である。神の器の中に蒔かれた神の種である。この肉体に蒔かれた神の種を開花させ自分自身が蓮の華の華を咲かす為に現象界が存在する。
働くということは現象に生きることになり、現象の生老病死の四苦から抜け出すことはできなくなる。
誰もが神なのである。髪の毛1本。砂浜の砂粒1つ、神である。
今まで宗教家によって自分が神とあることを遠ざけられてきてしまった。
人間は神の子であり。肉体表現を使って神を顕現させる為に神の道具が肉体という媒体が造られている。
万象万物には逆念はなので、自然界の正常な基本ベースを担当している。
人間には自由意志が与えられているため自由選択権が持たされている。この自由意志を我欲で使う為に自分で自分を自縛させている。神なる我を自縛させているのは自分自身である。今がモーゼの十戒そのものである。今の状態では99.99%モーゼの方に付くものは数少ないであろう。人間に生きようとするから地球磁場をアンバランスにしていることに気づかない。地球は太陽系の一部である。
2024年6月20日木曜日
神は真理なり
2024年6月19日水曜日
造り主と造られたものは1つである
宇宙は1つである。造り主と造られたものは別々ではない、1つである。宇宙は無限生命、普遍生命、すべては1つである。
見える現象は1つなる生命の顕われであり、生命の顕現媒体である。現象の中に1つなる生命が宿っている。
万象万物は1つなる生命の化身、顕現道具である。この見える現象をあると思う心が永遠なる我を有限なる我に自縛している。永遠なる生命の中に有限なるものは存在しない。無限生命、普遍生命にはならない。1つということは絶対調和、絶対バランス、これが1つなる生命の本源、本質である。愛の法則である。宇宙には神、生命は1つなる生命、愛の生命体である。
1つなる中に争いは生じない。見えるものだけを見る為に分離感が生まれ、争いが起き、不安、恐怖、悩みが心を乱し、地上界をアンバランスにさせる。人間の心が地上界をアンバランスにさせている。原点は1つ。1人、1人の心が1つなる生命に戻ることが人間の使命である。すべて原点から発して原点に戻る。天地一体、原因結果、霊肉一体、自他一体。すべて1つである。原点は1つである。原点が我である。
2024年6月17日月曜日
我は1つなる生命
宇宙は1つなる生命体である。こ゚の生命体のみが実在している。万象万物はこの1つなる生命の化身である。生命は化身を通して無限大の生命エネルギーを顕現させる為に自ら化身を造っている。
生命が顕している現象をあると信じ、仮相の神の顕現道具を自分として人間は錯覚してしまった、この錯覚から目が覚めない限り、気づくまで輪廻をさせられる。
現象我の錯覚、形を見て動いてしまう、肉体を動かしているのは想念意識である。
想念が現象を顕し、動かしているのであって、現象が動いているのではない、
宇宙は意識界である。「想念は実現の母」すべて想念によって現象を顕している。
見えるものは想念の結果である。結果があるのではない。想念によって具現されている。
宇宙は1つなり意識、神の意識によって顕されている。
実在しているのは神の意識が実在している。見えるものは結果現象であり、生命の表現媒体である。顕しているのは生命である。1つなる生命だけが万象万物を顕している。宇宙には1つなる生命のみが実在している。1つなる生命が我であり、宇宙である。迷い道に入ってしまった我から脱却しなければならない。この世は仮の宿、俗世、浮世と呼ばれる意味がこの事である。仮の宿には本宿がある。自分が戻る場所である。
2024年6月16日日曜日
すべては自己責任
宇宙は1つなる生命体。完全完璧な永遠なる生命体。この中にいるものはすべて完全である。
この完全なる中に万象万物は現象化している。人間も然りである。
何故、永遠なる中に居りながら、有限なる人生を送る。死を意識して生きる。
宇宙は1つなる生命であり、1つなる生命が顕現媒体として神によって造られたものを自分と勘違いをしてしまい、実在しない生老病死の四苦に持て遊ばれている。
宇宙には1つなる生命のみが実在している。宇宙には姿、形は存在しない。万象万物は1つなる無形無双の生命の化身として顕れている。この見えるものに囚われ、実在の我を見失っている。
現象は実在の我を現象を通して顕すために顕現媒体として具現している。人間は使命を果たしていない。
現象をあると思う心が自縛させている。実在しない現象をあると信じ、永遠なる我から有限なる我に意識させてしまった。この有限なる我から永遠なる我に戻らなければならない。これは自己責任において行わなければならない。自分で犯した罪は自分で償う。罪とは万物の霊長たる使命を果たさず、現象界を我が物顔で生きている人類。神への反逆行為なのです。完全の中に居て有限なる生き方を当たり前に思っている姿である。
有限なる我から永遠なる我への変性は自らが自己責任で行なわなければならない。人間と思っている姿は本来の使命を果たしていない。それがイエスが云われるように肉に生きるはしであると。
宗教は現象界の行為であり、天上界に導き、助けることはできない。意識は自分の中にあり、宗教でも治すことはできないのである。
2024年6月15日土曜日
働いているのは人間ではなく神である
宇宙は1つなる生命、神一元の世界。一なる生命の世界に万象万物は存在しない。人間も然り。見えるものは仮相であり、生命によって造られた化身である。人類は人間が居ると信じて疑わないが、宇宙の無限のなかに有限なる人間が存在するのだろうか?
良く考えれば、小学生でも解ることである。人間は質料で常に変化して止まない。
今、地上界で人間が生きていると信じていることは太陽系に取って災難なのである。
何故?宇宙は1つなる無限生命、普遍生命、永遠なる生命が宇宙なのである。
太陽系の人類が人間が存在すると信じることで、分離感が生まれ、地球のバランスを壊すしていることになるからである。宇宙は1つなる生命体であり、1つであれば争いを起こすことはないのである。今、地上界で戦争、争いを起こしているのは分離感の生き方を人類がしているからである。
人類は自分が住む地上界の生きる地、水、火。風を自ら壊し、自分達も生きらなくしている。
これほど人類は幼児期であると云われても仕方がない。
人間が生きていると勘違いをしているから間違うのである。生きているのは全知全能の生命、神なのである。神とは法則であり、真理である。神様がいるのではない。
宇宙は1つなる生命磁場体であり、これが神なのである。すべては1つということは宇宙は平安であるということである。爭いは1つなる生命を分離感で見ている証拠である。
宇宙は1つなる中性生命体であり、分離感で物事を見るものは波動が低い為、本源本質に戻ることはできない。気づくまで戻ることはできない。
2024年6月14日金曜日
内は神、外は神の顕現媒体
宇宙は神一元。神のみが独存する。万象万物は神によって現象化している。1つなる神が万象万物に宿り、現象化している。すべては1つなる生命の顕われ。宇宙は無限生命であり、1つなる生命体である。この宇宙内に1つなる生命が万象万物を通して生命活動をされている。
人間も1つなる生命によって具現化された生命エネルギーの化身である。
生命によって現象化されたものには使命がある。それは現象を通して生命エネルギーを顕現するという使命である。これが万象万物に与えられたやるべきことである。 動植物は逆念がない為、生き方を全うしているが、人間には自由意志が与えられているため、自由意志を間違って使い、自縛してしまっている。 この自由意志は神我顕現の為に使うべきものを現象である外なるものに意識を向け使ってしまった。意識を外に向けてしまうと地上界を分離感で争いを起こし、地上界を闇の住処にさせてしまう。この分離感が地上界をアンバランスにしている。 人類、万象万物は神の化身である。すべてが神であることを忘れ、地上界を荒らし廻っている。これが現象界をあると信じている人間の分離感である。分離感が最大の敵なのである。我々人類は1つなる生命に気づく時がきたのです。戦争で戦争がなくなることはない。 この世は仮相界であり。実相界ではなく幻影の世界なので、戦争で人を殺しても形が変化するだけである。本源本質には変化はない。
2024年6月13日木曜日
我は実相の神なり
宇宙は1つなる生命体であるが、何故、実相と仮相があるのか?
天地一体。見えない宇宙生命体が生命エネルギーを顕現させる為に生命が顕現媒体を造り、生命エネルギーを顕現させる為に神によって神の被造物が造られている。万象万物は生命エネルギーが顕現させる為に神によって造られている。人間も神の顕現道具である。宇宙には人間は存在しない。人間の現象は神の被造物、神の顕現道具があるだけである。人間という神の顕現道具である。
見える現象からは実在の我は見ることはできないが、3次元の世界でも見えない意識によって肉体は動かされている。想念意識によって現象化されている。
神意識、神は意識であり、1つなる意識があるだけであるが、意識の仕方が現象を見ることで様々な意識の仕方をしてしまう。現象の生老病死に生きると様々な意識の仕方が起こってくる。
何でも意識したものが顕れてしまう。良いことも悪いことも。
神は意識であり、1つの意識によって神を顕現する為に造られている意識を現象の形を見て現象から拾い上げ、有限なる意識に囚われ、生老病死という現象に持て遊ばれてしまう。
本来の使命は無限大の生命エネルギーを肉体を通して顕現させる。これが本来の目的である。これが今生でなさねばならない。使命である。使命を果たせなければできるまで再生させられる。これから神に成ろうとすることではない。神の無限大の生命エネルギーを顕現させる。神としての自覚を持って使命を果たす。元々神なのだから。神は助けてはくれない。自分自身が神なのであるから。汝の救いは汝自身なりである。神なる我が乞食になって外に求めてはならない。イエスが云われるように肉に生きるは死であると。
2024年6月12日水曜日
実相と仮相は2つで1つである
宇宙は1つなる永遠なる愛の生命体。完全バランス、完全調和、中性である。
人類はこの愛の法則をの片側だけを見てしまっている。宇宙は磁場であり、生命磁場が循環をしている。イオン化現象である。
電気的現象である。バッテリーのようなものである。エネルギーは高い方から低い方に流れるが、またイオンは低い方から高い方に流れる。 すべて循環である。高気圧のエネルギーも低気圧の方に流れるが低気圧から中性に戻る。低気圧の時、下水が臭うのはそのためである。
お釈迦様が「外を見るな、内を看よ」と云われるのは中性なる完全バランスを看よと云われているのである。五感の内、外ではない。実相を看よと云われている、陰陽の法則、中性なるものを看よと。これを神、仏と呼んでいる。
人類は現象だけを見て実相である霊的なものをみようとしない。また反対に現象を見ないで霊的な物だけを見ようとする人達もいる。見えないものだけを見ようとするものも自我である。
原因、結果は1つなのである。天地一体、色心不二、自他一体。霊肉一体。天なる生命が地を顕しているのである。霊とは中性であるということである。霊的質料と霊エネルギーの完全調和、生命、霊光である。神我顕現は現象を通して行う為に神によって造られた神の顕現道具なのであり、顕現道具がなければ神我顕現はできないのである。
神が現象を顕している。神は人なり、人は神なり。神一元の世界である。
2024年6月11日火曜日
宇宙に実在しているものは1つなる生命のみ
宇宙は無限生命、普遍生命、1つなる生命のみが実在している。1つなるものの中に他なるものは存在しない。
現象として見えているものは1つなる生命の化身として顕れている。生命が質料媒体を通して現象化させている。生命は何かの媒体がなければ顕すことができない。見えない生命は見える媒体を通して顕れている。見えるものは現象であり、現象と生命の2つがあるということは宇宙は無限生命ではなくなる。
1つなる生命が八百万の形態に宿り、様々な形で生命を顕している。見えるものはすべて神の化身であり、宇宙そのものが神である。宇宙神を祀ることはできない。
神は生命であり、愛の法則である。永遠なる生命エネルギーである。
人類はこの法則に気づかないため、現象をあると錯覚し、宇宙の法則に違反し、神の法則を無視し、永遠なる宇宙の中で、有限なる生き方をしている、この有限なる生き方は神によって造られた地上界をアンバランスにし、自らの愛の住処を住めなくしている。
人類は文明を発達させればさせるほど、地上界のバランスを失う。これが天変地異である。これも人類の気づきであるが、太陽系にも迷惑をかけてしまう。
人類はこの仮相界から1つなる実相界に戻らなければならない。
2024年6月9日日曜日
現象に生きるは死である
宇宙は1つなる無限生命、普遍生命、永遠なる宇宙生命体である。永遠なる中に有限なる現象は存在しない。宇宙は1つなる生命が生命の化身として万象万物を顕している。人間も「宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれ、生きるものになった。人間も現象であり、質料形態は変化して普遍原質に戻る。
人間には自由意志が与えられており、想念によって自由に顕すことができる。良いことも悪いことも。今、人間はこの自由意志を使い、自由に自分のドラマを造り、自分で演じている。
人類はこの想念を現象で使い、仮相界の仮の宿に身を置いている。諸行無常の変化して止まない世界の生老病死の四苦に持て遊ばれている。永遠なる世界に居ながら有限なる現象をあると信じ、輪廻を繰り返し生きている。
宇宙は無限生命、普遍生命であり、久遠の天国であり、神一元の世界である。本来の使命は神が現象を通して生命を顕現する為に神によって人間という神の宮が造られている。神の顕現道具を自分と錯覚し、人類は神に逆らい生きるため、久遠の天国に居ながら、有限な生き方しかできない。人類はこの真理を知る為にこの地上界で学んでいる。消えてしまう現象の中で豊かな生活をする為ではないことを学んでいる。
地上界の現象人類がこの仮の宿で生きることは完全バランスの地上界をアンバランスにさせてしまう。神に逆らった生き方をするためである。
人類は何かあると災害と呼ぶが、人災だとは気づかない。幾度と繰り返されてきた天変地異。我々、人類の心が地上界を汚し、今や、地軸が傾き、南極の氷が溶け出している。
我々人類は人間が生きる為に必要な生命の四天王、地、水、火、風を自ら汚してしまった。これは1人、1人の心のバランスを改めることで変えることができる。
2024年6月8日土曜日
息づかいは呼吸でない
宇宙は神1元の世界、神以外存在するものはない。
神の息が我息、我息は神の息。
息は自らの心、生命である。神が人間の媒体を通して神が息をしている。人間は神によって造られた神の表現媒体、神の働く宮である。
宇宙は1つの息によって永遠なる生命活動をしている。1なる息が多神を通して顕れている。すべては1つなる息でつながっている。
宇宙生命は無限生命、普遍生命であり、すべては1つなる観自在、無碍自在の見えない生命、愛の法則である。宇宙はこ゚の愛の法則によって成りれである。
原因なき、原因。すべてはこの原因が多神の結果を現象化させている。現象化させているものは1つなる宇宙生命が表現しているのであって、原因と結果は1つである。
人類はこの1つなるものを分離させ、造り主と造られた被造物を分けてしまった。
善悪の木の実である。実在しているのは善のみであり、善悪は存在しない。善悪は分離感で、人間か勝手に造り出した迷妄である。
神の息は1つ、1つの息の中に万象万物は息している。息は神であり、神は我である。我は神我なりである。すべては神である。神の顕れが化身として顕れている。
神が働くとは現象界で経済活動をすることではない。宇宙生命を人間の媒体を通して顕現させる為に造られた神の宮であり。人間に生きることではない。人間は現象であり、実在しないのである。
2024年6月7日金曜日
2024年6月6日木曜日
人間に生きるは神への反逆行為
宇宙は神一元の大気の世界。無形無双の大霊界である。完全なる絶対調和の愛の世界。
この1つなる愛の生命が多神を顕している。実在しているのは1つなる無形無双の観自在、無碍自在の神のみが実在している。
神は完全なる愛の法則であり、神様が他の何処かにいるのではない。宇宙そのものが神であり、無限大の愛の法則である。創造の原理である。神は法則である。
人間も現象であり。1つなる生命の表現媒体として現象化しているに過ぎない。この表現媒体をあると信じ、1つなる生命によって顕わされていることに気づかない。
人間は神に似せて造られている。神そのものである。神を顕す表現媒体として、神の道具として造られている。
その為に自由意志が与えられている。この自由意志を現象に使ってアンバランスの使い方をし、地上界をアンバランスにし、醜い争いの世界を造り出しているのは人間である。
人間がいると想う心が分離感を生み出し、勝手気ままな生き方をし、神のエネルギーを神の意志に反して。地上界をアンバランスにしている。
イエスが云われる。肉に生きるは死であると。宇宙の永遠なる中に死は存在しない。
現象をあると想う心が地上界をアンバランスにし、人間が生きる4元素、地、水、火、風を自らバランスを崩し、自らの住処を壊し、経済活動をし、更に地上界をアンバランスにしている。原因結果の法則、原因が神なら結果も神である。宇宙の完全バランスに逆らって生きている自我人間は神への反逆行為である。人間は仮相であり、存在していないものを存在していると錯覚しているだけである。
2024年6月4日火曜日
神は絶対バランス、絶対調和
宇宙は1つなる生命体。愛の生命体が故に万象万物が現象化されている。現象化されているものと1つなる生命体は1つである。様々な現象があるのではなく、1つなる生命が様々な現象を顕している。
一度、現象化されたものを加工すると完全バランスによって現象化されたものはアンバランスになり、地上界をアンバランスにしてしまう。
今、人類が行なっているのは完全に現象化されたものをあると信じ、これを利用して生きようとする為に、地上界をアンバランスにしてしまう。
人類は科学ではなく、化学によって自らの住処を自ら壊し、地球を壊し続けている。
化学が発達すればするほど、地球磁場がアンバランスになり、最後が天変地異になる。
すべて人類が完全なる中に居ながら、自らに住処を壊し続けている事に気づいているだろうか?
人間も現象なのである。完全なる現象なのである。医学が発達しているにも関わらず、病人が増えて行く。不思議では無いか?地上界は仮想界であり、消えて行く世界で豊かな生活をすることではないことに気づかなければならない。
永遠なる中で有限なる生き方をすることではない。人間は現象を通して1つなる無限大の生命エネルギーを受け流す媒体なのである。神の宮、道具なのです。
現象に生きることは永遠なる生命の中で、有限に生きることである。これは神への反逆行為になる。1つなる永遠の中に有限は存在しない。現象は表現媒体である。 神は愛の平安なる世界。現象化しているものはすべて神である。神一元の世界である。 全知全能の神が経済活動をすることはないのである。初めから完全なのだから。 不完全にしているのは現象をあると想う心が神から自ら遠ざけているだけに過ぎない。
2024年6月3日月曜日
宇宙は永遠なる1つなる生命、愛の生命界
宇宙に実在しているものは永遠なる無形無双の見えない生命である。宇宙そのものが造り主、創造主である。造られたものは被造物であり、現象化している。造り主と造られたものは2つで1つである。
色心不二である。すべては1つなのである。宇宙は1つなる生命が実在している。1つなる実在が多神を顕している。1つなる実在は永遠である。創造主は永遠、造られたものも永遠なのであるが、人間は見えるものだけを見て有限な幻想に生きてしまった。人間は神に似せて造られている。本来の人間の使命は無限大の生命エネルギーを地上界に顕現させる永遠なる生命である。
これを現象を見て諸行無常の幻影の世界に生きてしまったために、変化して止まない現象界に囚われ、有限なる人生に生き、輪廻を繰り返している。此処から未だに抜け出せないで幻想に生きている。
宇宙は1つなる生命体。宇宙そのものがすべての造り主である。実在しない現象を見る為に争いが生じる。全ては1つであれば争いはない。現象に生きる事は自らの波動を下げる為、本来の我に戻れない。人間に生きる事は本当の我に戻れない。気づくまで再生される。
2024年6月1日土曜日
宇宙に実在しているのは無形無双の原因
宇宙は1つなる無形無双の生命体が実在している。
原因なき原因が実在している。
見えるものは原因の結果であり、万象万物はすべて結果である。人間も然りである。
人類は神によって造られた神の被造物であり、人間は単独では生きることはできない。
宇宙は1つなる神が神我顕現の為にすべての被造物を神が造られている。無形無双の神、生命が現象化させている。
原因結果の法則である。全ては1つなる生命が顕している。人類はこの見えるものをあると信じて仮相の現象から抜け出せないでいる。実在しているのは原因である無形無双の生命であり、結果の見える現象なる人間が生きているのではない。無形無双の生命は永遠であり、仮相は有限になる。宇宙は永遠なる生命体であり。永遠の中にすべての万象万物は存在している。
人間には自由意志が与えられている。永遠に生きるも、有限に生きるも自由である。
殆どの人類は永遠に生きないで、仮相の有限なる仮の宿、俗世で生きている。
人類の使命は神我顕現である。神の全知全能の力、知恵を地上界に顕現させる使命が与えられている。人間に与えられているのではない。人間は神によって造られた神の顕現道具である。見える現象、人間を真実と錯覚し、人間に生きている。原因は永遠で結果は有限という事はない。原因結果は2つで1つである。
結果に生きるは分離感になり、仮相界の争い、不安、恐怖、悩みの中で、アンバランスの生き方で自縛し、幻影の世界に生きている。
2024年5月31日金曜日
意識したものが顕れる
宇宙は1つなる中性なる生命体である。完全バランス、完全調和の永遠なる生命界、神界である。
すべての現象はこの本源本質なる宇宙が原点になっている。宇宙に実在しているのはこの愛の光である。愛の波動によって万象万物が現象化されている。見えるものは宇宙の本源本質の現象であり、現象があるのではない。
原因、結果の法則によって原因なるものが結果なる現象を顕している。原因と結果は2つで1つであり、原因が実在しているのである。原因と結果は別々ではない。
原因が神なら結果も神である。
宇宙には1つなる生命のみが実在しており、1つなる生命が様々な現象を顕している。
現象を顕している生命は個々の生命があるのではなく、1つの生命が様々な住処を自ら造り、宿り現象を顕している。
人類は皆兄弟である。1つなる生命でつながっている。鉱物、植物、動物も同じ生命でつながっている、すべては1つなる生命の現象であり、1つなる生命でつながっている。
人間は意識を自由に使える権限を与えられている。この自由意志の使い方を間違ってしまった為に自らを自縛し、自ら造る地獄から抜け出せなくなっている。
意識したものが顕れる。天国の中に居ながら自ら地獄を造り仮相界に輪廻を繰り返し生きている。
想念は実現の母であり、想って事を顕すことができる。良いことも悪いことも何でも意識によって顕し、今の人生を生きている。
2024年5月30日木曜日
内は神、外は神の顕現道具
宇宙は1つなる生命体が実在している。1つなる生命は細胞体であり、宇宙は1つの細胞体。この細胞体の中で様々な形態が造られ、現象化している。
生きているのは生命が様々な形態を顕し、生命、神がエネルギー活動をされている。
人間も神の使命を果すお役目を持ち、顕現されている。宇宙には1つなる無限生命のみが実在している。宇宙そのものが無限生命であり、愛の法則、宇宙の法則の中で生命が現象を通して生きている。人間が生きているのではない。神が人間の顕現媒体を通して生きているのである。
人間の顕現媒体の内に神が宿り、現象を通して神が顕れている。 原因は神であり、神が結果である表現媒体道具を造り、自らを顕している。 宇宙には神以外存在しない。現象はすべて神を顕現する為の道具である。
お釈迦様が云われるように「外を見るな、内を看よと」。内は神、外は人間。 内は心の目で看なければならない。すべては内なる見えない生命が原因であり、現象を顕している。神は宇宙の本源本質であり、これは心の目で看る以外できない。
2024年5月20日月曜日
現象は1つなる生命の中にある現象
宇宙は1つなる生命が多神を顕している。実在しているのは生命であって見える現象ではない。
原因、結果の法則。見えるものはすべて原因なる結果である。結果は実在していない。
原因の世界は見えない生命界であり、こ゚の生命界が結果なる現象を顕している。
人間は万物の霊長であり、原因なる生命によって造られ、神に似せて造られている。
神の化身として現象化している。神は人なり、人は神なりである。
生命を顕すために人間という姿、形の現象を顕している。この姿、形に囚われて本来の生き方を見失っている人類。宇宙は永遠なる生命のみの世界であり、現象の世界は存在しない。
原因は見えない。結果は現象として見える。現象は原因の働く場であり、顕現する為の媒体として顕れているだけである。内なる原因なる生命エネルギーを顕現する為の現象であり、この見える現象に生きてしまっている。本来の我は内なる原因であり、原因は1つなる生命、神である。
結果があるのではなく、原因があるのである。宇宙に実在しているのは原因のみである。
人類の1人、1人の中に神の種が蒔かれている。こ゚の種に気づき、本来の我に戻り、使命を果して行く。これが本来の我である。現象は顕現道具であり、道具に生きると修行無常の生老病死の四苦に持て遊ばれ、輪廻で繰り返される。イエスが云われるように「この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如し」である。現象界に生きてはならないと云われている。生命のパンを食せよと。
2024年5月19日日曜日
本来の我は観自在、無碍自在の我
宇宙に実在しているのは観自在、無碍自在なる無形無双の無限生命体である。
これが宇宙の根源である。こ゚の生命エネルギーが万象万物を顕している。見えるものはすべて神の化身である。宇宙には1つなる無限生命が見える万象万物を顕している。この顕れているものに惑わされているだけなのである。実在するのは見えない生命体、宇宙そのものが生命体であり、宇宙生命体が、現象化している。実在するのは無形無双の宇宙生命が多神を顕している。
多神を見て人類はあると思い込み、消え行く現象に惑わされ、仮相に生きている。
本来の我は無形無双の宇宙生命であり、永遠なる生命エネルギーそのものである。
宇宙はプロフェクトバランス、完全なる調和、完全なるバランスが宇宙生命体である。
すべては完全の中に存在している。この永遠なる完全バランスを崩し、仮相に囚われ、生きているのが人間である。
人間が宇宙の中に存在していると錯覚し、宇宙の化身として現象していることに気づかず、自分で生きようとする為に自らバランスを崩し、有限な生き方をしている。
人間は神の現象であって仮相なのである。この世を仮の宿、俗世、浮世と呼ぶ。
現象界は実在界ではない。実在界に戻る修行の場である。仮相から実相に戻る為の仮の宿である。
2024年5月16日木曜日
形の制約は自縛
宇宙は無形無双の見えない生命体である。観自在、無碍自在の1つなる宇宙生命体である。こ゚の生命体が宇宙そのものであり、この中で様々な形態が造られ、観自在、無碍自在の宇宙生命が活動している。
活動しているのは姿、形ではなく、生命が姿、形を通して働いている。
人間は神に似せて造られ、自由意志が与えられている。人間の使命は宇宙エネルギーを顕現させる為に蒔かれた神の種である。光の放射媒体としての使命が与えられている。
宇宙の1つなる無形無双の無限生命が実在しているだけである。この実在している生命は無形無双の観自在、無碍自在の自由意志をもった全知全能の力、知恵である。
この無形無双の全知全能の力、知恵は人間の媒体を通して顕すために神の宮として現象化させている。この神の宮を自分と見間違うと神の全知全能の力、知恵が顕現させることができない。
宇宙は1つなる本体であり、現象である人間がいると思ってしまうと本来の使命を果せなくなる。人間という小さな永遠なる生命が有限なる枠の中でしか生きることが出来なくなる。
宇宙は1つであり、1つの全知全能の力を顕現させる為に様々な形態が顕れている。
人間がこの世で生きる為に造られてはいない。現象界ですべきことは無限大の宇宙生命エネルギーを地上界に降ろす。これが使命である。生命に生きるは永遠、人間に生きるは死である。
永遠なる神の中に居て有限なる生き方は神は求めていない。神としての使命を果すことで本来の生命体の戻る。
意識したものが顕れる。意識が現象意識であれば永遠なる中で、有限なる生き方になる。
自分の自由意志がすべてを決めている。
2024年5月15日水曜日
神が肉体を使うのであって、人間が肉体を使うのではない
宇宙は神一元の世界。見えるものは神によって顕された神の被造物。
原因が神なら結果も神である。神一元の世界。
神は無限生命であり、普遍生命である。無刑無双の生命である。神は自らの住処は自ら造り、働いている、すべて神のみが生きて神のみが働いている。人間は神によって現象化された被造物であり、実在はしていない。神が宿り、働く場として神によって造られた神の顕現道具である。
人間は神の現象であり、神の神の働く場である。
この現象界で人間が生きる為に造られてはいない。現象として造られている人間は神の顕現媒体として造られている。人間は形の名前である。顕現道具に生きることは使い方が真逆なのである。
現象は実在しない。無限生命の中に有限なるものは存在する事はない。
見えるものはすべてに神が宿り、神が現象させている。宇宙は1つなる神の細胞体である。1つの細胞体。コスモ細胞体である、
肉体細胞は神の顕現道具であり、表現媒体である。全知全能の神が経済活動をすることはない。
2024年5月14日火曜日
神の表現媒体
宇宙は1つなる愛の生命体。これが宇宙の本源本質である。すべての源である。この原点により様々な形態が造られ生命が活動をしている。
万象万物は宇宙生命の表現媒体として現象化している。
人類の迷い道は現象の姿、形をある信じ、この迷妄から抜け出せないでいる。この迷妄から分離感をが生まれ、自己保存の為に争いを起きる。
これに心ある人類が利用されている。
人間は実在しない。実在しているのは無形無双の生命が実在し、仮相現象を顕している。
現象をあると思う心が自分で自分を縛り、翻弄さられる。 宇宙には現象は実在しない。現象は1つなる生命の顕現道具として存在している。現象に生きるから自縛する。生命に生きればこの自縛から解放される。この事を示されたのが釈迦であり、イエスである。
宇宙は完全なるバランス、完全なる調和であり、人間が仮相に生きるためにアンバランスを自ら造り、 迷妄に悩まされる。宇宙は原因なき原因、創造の原理、愛の法則、永遠なのである。バランスを崩しているのは誰でもない、自分自身なのである。永遠の中に居て有限は存在しないのである。
2024年5月10日金曜日
我は宇宙生命なり
宇宙は1つなる生命体であり、1つなる生命が多神を顕している。宇宙そのものが生命体である。
人類は今、現象界に身を置いている。現象界は非常に波動が低いため、どうしても見えないものを感じることができない。これを打破するには現象の中にある。生命が形態を顕している。この高波動の神の種に気づき、想念によって波動を上げて行く。見えるものを顕している光波動に意識を向けることで、分子細胞を霊化させることで波動を上げて行く。
すべては1つなる生命波動から現象化している。本来の我は1つなる高波動の生命が実在している。すべては1つなのである。1つなる生命であり、1つなる生命が様々な形態を造り、その中で生命活動をしている。宇宙はこ゚の愛の法則によって永遠なる生命活動が成されている。宇宙は原因なき、原因、無形無双の無限生命。限りなく小さく、限りなく大きい。この1つなる宇宙生命が宇宙の本源本質である。
人類は現象に惑わされ、波動の低い固体波動に振り廻され続けている。
2024年5月8日水曜日
形からの解放
ー
形からの解放宇宙は無限大の生命エネルギー体であり、その中に存在するものは永遠なる愛の生命体であり、有限なるものは存在しない。見えるものは愛の現象であり、仮相である。 人間には愛から与えられた自由意志が持たされている。この自由意志を使い、観自在、無碍自在の我を顕現させて行く。光を放射させて行く為に現象化している。愛の顕現道具を自分と見間違うことで、無限大の生命エネルギーを顕現させることができなくなる。 vc形をあると信じることにより、宇宙の無限大の生命エネルギーにアクセスできなくなる為、本来の使命が果たせなくなる。形は現象であり、実在しない仮相に囚われることで、自縛してしまう。 形は存在しないため、偽我である。実在にタッチできなければ顕現することはできない。霊肉一体になり、霊と一体になることで引き出すことができる。霊肉一体とは愛である。バランスである。 形は顕現道具であり、形に囚われてしまうと無限大の生命エネルギーが引き出せない。 無形無双の生命エネルギーと一体となって初めて引き出せる。元々神一元であり、愛1元であり、神以外実在しているものは存在しないのである。すべては神であり、愛であり、神が顕現させているだけなのである。見える現象は生命エネルギー、愛の顕現道具なのである。 これを自分と勘違いをすることで自縛してしまい、顕現ができなくなる。 形をあると思う心が使命を果せなくさせている。初めから人間は形の名前で、実在していないことを理解しなければならない。 人間は生まれた時に名前をつける。命名である。命の名前である。愛の名前なのである。
2024年5月7日火曜日
人間の顕現媒体の使い方
宇宙は1つなる不変不動の中性なる無限大の生命体である。宇宙に実在しているのは無形無双の1つなる生命細胞体である。
宇宙生命体は自らの住処を自ら造り、生命活動をしている。生きているのは姿、形の現象ではなく、見えない細胞が現象として顕れている。生命が形態を通して顕れている。
現象が生きているように見えるが、実際は外なる形ではなく、内なる細胞が新陳代謝によって細胞分裂を行い、細胞を常に入れ替え、常に新しいものに入れ替え、細胞形態を維持させている。外なる形が生きているのではなく、内なる細胞が形を止って生きているのである。
この細胞体は外なる影響を受けやすく、不安、恐怖、悩み、心配ごとがあると分子細胞の数が少なくなり。エネルギーが少なくなって新陳代謝に影響を与えてしまう。これが病気、気の病である。
本来の細胞の使い方は生命細胞、光の細胞体から分裂した細胞を一体化させ、光の細胞体と一体化にさせる。霊肉一体にさせることで、無限生命エネルギーを肉体を通して顕現させる。
その為に人間という形態を使う、人間の形態を使う為、肉体意識が神の細胞分裂を邪魔をする。こ細胞体は神であり、人間の形態を使って自らの生命を顕現させようとしているものを実在しない仮相、人間意識、サタンが邪魔をしている。邪念とは人間意識のことである。
宇宙は1つなる生命体。初めから霊肉一体である。宇宙は神一元の霊界である。人間意識の脱却し、人間の低波動意識から神の高波動、愛の波動に上げて行く。その為に現象界に留まっている。これを現象界での使命である。使命を果たせるまで輪廻が繰り返される。輪廻があるということは神への反逆行為をしている事である。
この現象界はアンバランスの世界、この世で豊かに生きることではないのである。 この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如し。と云われている
2024年5月5日日曜日
見えるものは輪廻、争いを引き起こす
宇宙は1つなる無限生命体、コスモ生命細胞体である。地球もコスモ細胞体の中の細胞である。
人間は70兆個の細胞体である。この細胞体は生命細胞が70兆個の細胞集合体を造り、新陳代謝により、常に入れ替わり、新しいものと入れ替わり形態をバランスによって維持させている。こ゚の生命細胞を分裂させているのが1つなる生命細胞である。
神は造り主、現象は被造物。形態には必ず、造り主が宿っている。生命は見えない。見える分子細胞体は常に変化して止まない。常に入れ替わる。常に新しく再生されている。
宇宙は中性であり。完全バランス、完全調和によって永遠なる生命活動をしている。
宇宙には人間は存在しない。宇宙生命体が人間という形を止って顕れている。見えるのは生命が質料に宿り、顕れている。
生命は人間という形態を使い、宇宙の光を放射させる為に造られている。お父さん、お母さんが造っているのでなない。人間がこの世で生きるためには造られていない。
神の顕現道具を見えるが故、あると錯覚してしまっている。現象に生きると死に至る。
永遠なる生命の中に死は存在しない。現象は外敵条件でバランスを崩すと消えるがなくなる。現象の死は正常な肉体の使い方を誤り、完全なるものを誤って不完全なる使い方をしてしまった結果である。これがカルマであり、正常な使い方をするまで輪廻、再生させられる。現象に生きようとすると分離感が生まれ、争いが起きる。
永遠なる1つなる中に輪廻も争いもない。これは永遠なる中に居ながら有限なる生き方は間違っていることへのメッセージである。
これに気付くまで輪廻で再生させらる。有限から無限に戻れない。
初めから天国にいるのである。死んで天国に行くことではない。
生きている内に成仏できなければ死んでは成仏はできないと云われてる。
2024年5月4日土曜日
外なるものは内なる光の表現媒体
宇宙は1つなる中心生命体。これが宇宙の本源本質である。現象の形には必ず中心がある。
中心は完全バランス、完全調和である。この無形無双の生命が宇宙そのものであり、この生命によって万象万物が姿、形を顕している。生きているのは現象ではなく、内なる生命である。
生命は永遠なる観自在、無碍自在なる無限生命。普遍生命である。
人間は神に似せて造られた神の顕現媒体である。
全知全能の宇宙力を人間という顕現媒体を使って自由自在に放射させる為に人間には自由意志が与えられている。
宇宙力を顕現するには意識を宇宙意識に合わせなければならない。人間意識では顕現することはできない。内なる神意識と一体化させ、霊肉一体にさせなければならない。すべては1つなのであるから。
実在しない人間意識では顕現することはできない。
人間は外なる形、内なる光の顕現道具であることを理解し、自分は無限生命である事に気づき1つになる事である。
神によって造られた神の顕現道具を自分と錯覚していることを悔い改めなければならない。神、生命は永遠であり、人間は有限である。人間は内なる永遠なる無限生命の化身であり、外なる形には何の力をない。人間を通して御業を成しているのは生命である。外なる人間が自分がやっていると勘違いをしている。人間は神の無限大の生命エネルギーを顕現させる為に造られている。万象万物はすべて神の顕現道具なのである。宇宙には神以外何も実在しない。全てが1つなる神そのものである。
2024年5月3日金曜日
本来の我は意識なり
宇宙は1つなる生命体、1つなる意識のみが実在している。宇宙は中性なる不変不動の愛の生命体。
「想念は実現の母」であり、想念によって現象化される世界である。
この想念の使い方は無限大の宇宙生命力を人間という媒体を使い、顕現させる為に神に似せて人間が造られている。正しい使い方をする為に八正道をお釈迦様は示されている。
水は上から下へと流れる、これは法則であり、現象に生きる人間は水をしたから上に流そうとしている。神への反逆行為をしている。人間が存在するどいう分離感で地上界をアンバランスにしている。
人間は分離感で、物質の富に幸せを求めている。物の奪い合いによって自分の物質的な幸せを求めている。物質を求めれば求める程、地球のバランスが狂ってくる。
人間の意識が低いと物質にこだわり、人生を物質的な富に幸せを追い求めてしまう。
イエスが云われている。
「この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如し」
人間は万物の霊長であり、すべては霊生命であり、現象なる物質も霊であり、消え行く存在なのである。消費者センターという名前があるが、人間は消費する者ということになる。
意識によって自分の位置ポジションが決まる。物質意識であれば自ら造る地獄界で生きている。
愛の生き方であれば天国である。今の生き方が天国か地獄かであり、死んでから天国、地獄があるのではない。地獄は存在しない。自らの意識の状態があるだけである。
生命、愛の法則、神の法則に気づくまで生死の輪廻で再生させられる。
2024年5月2日木曜日
神は不変不動の中性なり
宇宙は1つなる不変な永遠なる生命体。これが宇宙の本源本質である。永遠とは不変不動である。
すべての万象万物はこの永遠なる生命の中で存在している。
自然界はこの宇宙の法則を見える形で顕われている。自然界はこの作用、反作用の動きを利用し生きている。
宇宙は1つなる生命体であり、自然界の見えるものとそれを顕しているものは同じものである。天地一体。天と地は2つで1つである。宇宙は無限生命、普遍生命であり、愛の1つなる生命体である。人間の見える個体波動は非常に低い為、姿、形が見えるが、生命は高バイブレーションの為,見えないだけである。宇宙は不変不動であり、不増不減である。故に永遠なのである日本語は真理を表す言葉である。天地一体、自他一体、心身一体、霊肉一体、色心不二、すべて1つである事を顕している。 日本の国旗も🇯🇵1つ目である。宇宙は1つなる法則、愛の法則、この真理の法則が宇宙の本源本質である。イエスが云われる、原因なき原因、宇宙法則のことである。釈迦も宇宙即我と云われている。 これから見えるものだかしか信じないものとそれを現している見えないものとの二極化になって行く。見えるものが現象である事に気づくものはこの幻想の世界から抜け出し、人類に貢献するようになって行く。
2024年5月1日水曜日
天地一体、色心不二
宇宙は1つなる生命体である。見えるものも見えないものも1つである。
お釈迦様は色心不二と云い、イエス様は天地一体と云われている。すべては1つであると。
現象は1つなる永遠なる生命の顕われである。宇宙に実在しているのは生命、神のみが実在し、宇宙は永遠なる宇宙生命が万象万物を顕している。すべては1つである。
人間も現象であり、人間には自由意志が与えられている、この自由意志は生命エネルギーを顕現させる為に与えられているが、現象の姿、形を自分と錯覚し、現象に生きるようになってしまった。
現象は有限であり、消え行く幻影である。無限宇宙生命の中に有限は存在しない。
生命は永遠であり、現象は永遠なる生命の化身として顕れている。
人間は神に似せて造られているのは神の全知全能のエネルギー、知恵を地上界に放射させる為に人間の顕現媒体が造られている。人間が消え行く現象の中で生きる為には造られてはいない。
人間は神の顕現媒体であり、神の宮として、神によって造られている。
イエス様が肉に生きるは死であると云われるのは現象は変化して止まないものであり、本来の我は永遠なる生命であると云われている。
天地一体、色心不二、霊肉一体。すべて永遠なる1つなる生命によって現象化されている。
すべては1つと云うことは永遠なる生命体は宇宙そのものである。
天国は我が中に存在している。内なる天国が我が現象を顕している。天国が我であり、人間という現象は天命を顕す媒体である。
2024年4月30日火曜日
爭いは分離感から起きる
宇宙は神1元、永遠なる生命体である。原因なき、原因。初めから永遠なる宇宙の中に存在しているのである。全知全能の中に存在している。神の中に存在している。
神の中に居て人間は争いをしている。自分は神であることを知らずに。
無限生命、神の中に有限なるものは実在しない。すべて見えるものは神の化身であり、神そのものである。見えるものは現象なので、形態は普遍原質に戻るだけである。不増不減である。
現象をあると信じる心が1つのものを2つに分けてしまう。現象は変化して止まない諸行無常の仮相を人間は奪い合いをしている。幻想の中で生きようとしている。
すべては神であり、永遠なる神の中で有限なる幻影に溺れている。
無限の神の中に有限なる見えるものは存在しない。見えるものは神の化身なのである。現象をあると信じる心か抜け出すまで、輪廻で再生させられる。
人間は万物の霊長であり、仮相界で生きることではなく、本来の使命を果さなければならない。すべては神の中に、永遠なるなかに初めから存在している。すべては1つの宇宙生命体の中の天国に住んで居る。天国は我が中にある。永遠なる神は我が中に存在している。
2024年4月29日月曜日
人間は神の御心を顕現させる表現媒体
宇宙は神一元の世界。神は1つなる愛の完全バランス、永遠なる愛の生命体である。
この愛のバランスの法則によって生命が現象化している。宇宙の万象万物は1つなる愛のバランスにより、現象化している。
宇宙は1つなる無限生命であり、この中に見えるものは存在しない。仮相現象である。人間も現象であり、見えるものは1つなる神の現象が顕れている。見えないものが見えるものを顕している。原因、結果は1つである。
造り主は神、愛の法則、造られたもの、被造物は神の化身である。
見えるものはすべて神の被造物、見えるもの、見えないものは2つで1つである。
人間は神に似せて造られている。自由意志を与えられている為、現象を見て自分が生きていると勘違いをして自らを自縛させている。
人間は神によって造られた神を顕す顕現道具であり、すべてが神なのである。
宇宙は神の愛のみが実在しているだけである。人間も神の化身。神は人なり、人は神なりである。
仮相の人間を演じることで、分離感になり、争いを起こし、1つなる愛の生命体の中で殺し合いをしている。人間が仮相に生きることは地球のガンである。
神の愛の法則違反である。この法則違反により、天変地異が繰り返されている。
人間には神に似せて造られている。地上界で人間が成すべき本当の使命に気づき、神の子としての使命を果さねばならない。
我は無形無双の意識なり
宇宙は1つなる意識なり。意識は見えない、無形無双の意識なり。
神意識、神は意識である。宇宙は1つなる神である。
すべては1つの神である。神は生命であり、宇宙には神が実在している。神は特別な存在するものがあるのではない。無限大の質料と無限大の霊エネルギーが存在しているだけである。光が存在している。これが神なのである。宇宙の中性エネルギーが実在している。これを神、仏と呼んでいるに過ぎない。今まで見えない神を特別視されてきたが、宇宙そのものが神であったということである。
宇宙はすべてが神であり、仏なのである。神様、仏様を祀っているが、神、仏の中に初めから住んで居るのです。神、仏を外に求めてはならない。外に求めると宗教に食い物にされてしまう。自分そのものが神、仏なのである。宇宙の法則が神なのである。
宇宙は無形無双の神であり、光であり、1つなる神が万象万物を顕している。見えるものがあるのではない。見えない1つなる神、仏が万象万物、人間を顕している。これに惑わされているだけです。
宇宙生命は見えない。無形無双の知的生命が形を通して顕しているだけなのである。
無限なる愛の知的生命体、無形無双の生命体が現象として顕れているだけなのである。
無限の中に有限は存在しない。これに人類は騙されているのです。本源本質は光なのです。
人類はこの事に気づく時期に来ている。人間が科学文明を発達させていると思っているが、知的生命体が人間の媒体を通して顕しているだけなのである。
人間の形にはそのような能力は持ち合わせてはいない。生命の顕現道具なのである。