2023年12月31日日曜日

現象肉体の使い方


現象肉体の使い方

宇宙は1つなる高バイブレーションの生命界であるり、見えない世界である。バイブレーションを下げることで現象化されてくる。見える世界も見えない世界も1つの世界である。三位一体の世界である。
人類はこの三位一体の世界を見える波動の低い現象界にだけ目を向けてしまっている。その為現象である生老病死の四苦に囚われ、この生老病死に持て遊ばれている。この低い波動では本当の我の波動に戻ることはできない。
宇宙は1つなる永遠なる高波動の世界であり、この低波動に下げてしまったのは外の現象を観てあると信じてしまったために分離感が起こり、波動を下げてしまった。
高バイブレーションの世界には現象は存在しない。空である。この現象界で成すべきことは下げてしまった波動を上げることが現象界、仮の宿にいる目的である。この世でお金を貯め、豊かに生きる世界ではないのである。諸行無常の様々な現象の中で本当の我に気づく為のメッセージが用意されているのである。この闇のメッセージの中の奥には必ず光がある。これに気づく。闇に飛び込みその奥にあるから光を掴む。この光をつかむまで現象界から抜け出すことができない。これが輪廻である。この世で成仏できなければ死んでは成仏できないと。
肉体の低波動から生命の高波動にバイブレーションを上げ、本来の我、空に戻って行く。
現象界は内なる本来の我に帰る大切な場所なのである。この世でお金儲けをする所ではないのである。
 

すべては1人なのである


すべては1人なのである

すべては自分。宇宙は1つなる生命体である。
他人はいないのである。1つなる生命が多神を顕している。現象を見るとどうしても外なるものが気になってしまう、外なるものを気にしながら、現象の中で今まで生きてしまっていた。他人を気にしながら生きようとして来た。周りを気にしながら。他人を意識しながら、自分の行動を起こして来た、すべては1人であると思う時、他人は気にならなくなる。不安も悩みを起きて来ない。自分がどうするかだけである。
すべては内なのである。外を見なければ他人は気にはならなくなる。今まで外なる情報に翻弄させられ、不安、悩みを自分の中に外から入れてきたのかと感じる。
相手を陥れようとする時、相手に不安を感じるように仕組んで行く。これを現象界では利用して生きようとする輩がいる。
今は実在しない現象には心を止めない。新聞も、テレビも見ないと仮相の現象社会も気にはならない。現象なる自分にもあまり興味もない、今は内なる我に向き合う自分がいるだけである。




 

蓮の華


蓮の華

蓮の実は非常に硬い。人間の自我に例えている。
すべての植物は光に向かって伸びて行く。
宇宙は完全なるプロフェクトバランス、中性である。全知全能の力、知恵でもある。万象万物、人間はこの宇宙力によって現象化している。現象化しているものの中には必ず造り主が宿っている。原因結果の法則である。原因結果は1つである。宇宙は1つなる生命体であり、生命は光であり。霊光である。
人間も消え行く現象であるが現象の中に光の種が蒔かれている。この光の種が蓮の実である。
泥の中に蒔かれた光の種に気づき、諸行無常の変化の中で本当の我に気づき、華を咲かせて行く。泥は光の栄養であり、これを力の原動力にし、芽を出し、地上界で華を咲かせる。
華を咲かせることを悟りと云われている。現象の我から空の我に戻る。
汝の内に仏の種が、神の種が蒔かれているのである。宇宙は1つなる生命体、光である。
光りの中にいる分光が我である。光の中に闇は存在しない。形を見てその形を自分と錯覚していることが闇なのである。ないものをあると信じる心が本当の自分を見失わせている。
蓮の華の種は自分自身の中に蒔かれている。こ゚の種が神、仏なのである。お釈迦様も自灯明、法灯明、汝に主としなさいと。自灯明、法灯明が仏であり我であることに気づきなさいと。
現象の人類すべての人の中に神の種、仏の種が蒔かれている。これを人類はこの神の種を開花させて行く。この神の種は1人、1人が自ら華をさかせる。この花を他人に頼って開花させようとすると食いものにされてしまう。甘い蜜を吸わて開かず仕舞いになる。
外に答えを求めるなかれである。神、仏は全知全能であり、全知全能の力、知恵は汝の内にありである。この華が本当の我なのである。現象界でこれに目覚め、自覚することが現象界で成すべきことである。



 

現象界は魂の休憩所


現象界は魂の休憩所

宇宙は三位一体の世界であり、1つの世界である。
天国も地獄も同じ世界の中にある。宇宙は天国しかないのであるが、地獄は現象を見て自分が造る迷妄の世界である。実在はしていないのである。
宇宙は波動の世界であり、高バイブレーションの世界が生命の世界、見える現象界は低波動の世界。
人間も高バイブレーションの生命から現象化している。鉱物も植物も動物も同じ生命体なのである。人間には自由意志が持たされているため、この自由意志を自由に使うことができる。
これを誤って現象の低波動で使ってしまったために、波動を下げてしまった。 
この現象界は下げてしまった波動を上げる為の休憩所なのである。本当に自分に帰る為の。
宇宙は1つなる生命体であり、完全完璧なる永遠なる世界である。この完全なる世界の中で不完全を起こしている自分に気づき、悔い改めをして本来の我に目覚めて行く場所である。
生老病死はその為の気づきのメッセージなのである。宇宙には生老病死は存在しない。
人類はこの気づきメッセージをそのようには取らず、人間は存在していないのに病気を克服させようとしている。考え方が真逆なのである。結果で結果を治すことはできないのである。
結果で結果を治そうとし、原因を治さないため為に医療が発達していると云いながら、病人は増えるばかりである。人間は宇宙法則違反をしなければ病気は減ってくる。病気は気の病、エネルギー不足なのである。永遠なる宇宙の法則の法則違反が病気を起こす。心と肉体のアンバランスが病気の元である。
宇宙は1つなる無限生命であり、無限生命の中に有限なる人間は存在しないのであることに気づかなければならない。細胞が新陳代謝をしているのであり、細胞体の形の名前を人間と名付けているのである。
この現象界は生命によって現象化していることに気づく為の場所なのである。
この大切な再生の休憩所を自ら壊してはならないのである。人類はこの休憩所を維持する為の地、水、火、風を壊し、これに気づかず、地球を更に壊し続け、豊かな生活を求め続けている。








  
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             
 

2023年12月30日土曜日

真理は1つ


真理は1つ

宇宙は無限生命である。無限の中に2つは存在しない。宇宙は1つなる生命、創造原理が様々な形態を顕し、その形態の中で生命活動をしている。顕しているものは様々あるが、顕しているものは1つなる生命。様々な形態に宿り、御業を成しているのは1つなる生命である。自分の御業を成しているのも1つなる全知全能の生命、神である。人間には神に似せて造られている。人間にだけ自由意志が与えられている。想ったことを自由に顕すことができる想念である。
この想念を人類は仮相の現象である人間をあると信じ、仮相でこれを使ってしまった。
本来は実相なる我が使うべきものを波動の低い現象で使ってしまったために波動を現象意識に落としてしまった。現象に内在している生命意識の高波動に合わせていれば。現象界に囚われることはなかった。人類は殆どがこの自縛に囚われてしまっている。その為、分離感が起こり、争い、対立を起越している。宇宙は1つなる生命体であり、不変不動である。こ゚の中性なる永遠なる生命体の中で、人間は有限なる生き方をしている。本来は永遠なる生命体の中にいるのに。
すべては1つなのである。原点は1つ。真理は1つ。すべての本源本質は1つなのである。
宇宙には1つなる真理のみが実在している。見えるもので本物は存在しないのである。見えるものはすべて仮相である、偽物である。人類の99・99%これに気づかない。
これからの人類の課題である。

 

2023年12月29日金曜日

裡は1つなる生命体


裡は1つなる生命体

裡には他人が見えない。あるのは自分自身だけである。何にも囚われない我がいる。平安である。形の自分も存在しない。何もない世界である。
心地よい世界である。
人間という現象も裡なる生命によって現象化されている、原因結果の法則であり、原因が現象を顕している。
今まで顕されているものを自分と思って来たが、顕しているものが自分である。
原因が自分であると、見える媒体は意識によって動かされている。肉体が勝手に動くことはない。肉体の中心なるエネルギーが外なる現象肉体細胞体を表現している。
悲しいと思うと悲しい表現を細胞体が顕す。楽しい時は楽しん表現を顕す。内が原因で外なる見える形の細胞体は結果であり、1つのものである。
外なる細胞体、肉体は裡なる心の表現媒体である。今まで肉体が動いていると思って信じてきたが、見えない意識によって外なる細胞体、肉体は動かされていたのである。




 

2023年12月26日火曜日

闇は光で消える


闇は光で消える

原因は光であり、結果は陰である。原因が光りなら、結果も光であるが、結果が現象、陰であれば原因も陰になる。
現象が顕れているということは結果で結果を顕しているということになる。これでは修正は効かない。結果を変えることはできない。結果を変えるには原因を変えなけば変わることはない。
今、起こっていることは原因である想念が結果を顕している。現象で起こっていることは原因の顕れなのである。陰が影を直すことはできない。治療も原因を直さず、結果を治そうとする。今の医療が行なっていることは結果で結果を治す対処療法である。どんどん病人が増えるのは原因を治さないからである
何故、原因、結果なのか?宇宙は1つなる生命だからなのである。原因は完全であり、結果も完全であることを理解できない為に結果で結果を治そうとしてしまうのである。
原因は完全であれば結果も完全である。闇は存在しない。外を見る心が闇を顕してしまうのである。原因と結果は1つなのである。想ったことが顕れる。良いことを思えば良いことが顕れる。悪いことを思えば悪いことが顕れる。現象は自我が造る迷妄なのである。迷妄は闇であり、原因が光りであれば闇は消え行くものである。
原因が光りなら結果も光なのである。



 

2023年12月25日月曜日

原因は造り主、結果は被造物


原因は造り主、結果は被造物

見えるものの結果現象は見えない原因が顕している。
宇宙は原因結果の法則により、生命活動を顕している。
原因は宇宙生命体であり、完全なる生命体である。完全なる造り主は完全なる結果現象を顕している。
すべての現象は完全なる原因である生命が、万象万物を顕している。
原因が完全なら結果も完全である。人間も完全なる生命体により、造られているが、不調和を起こしているのは完全なる生命の被造物を人間が勝手に使う為に、不調和を起こしてしまう。
人間という肉体は生命によって造られた生命の働く場であり、こ゚の生命の働く場を分離感でみる為、自分のものとして見てしまう為に、不調和を起こしてしまっている。法則違反である。神の反逆であり、神のものを勝手に使う盗人である。人間は存在しないのである。神の被造物なのである。神の働く器なのである。それを自分と錯覚している。それでいて同じ生命をないがしろにし、略奪し、我物顔で振舞っている。
宇宙は1つなる生命が様々な形態を顕している。すべては1つなる生命の現象であり、この人間という現象を自分と思ってしまう所に問題を生じさせてしまう。
人間の現象の成すべきことは生命のエネルギーを肉体を通して顕現する為の道具なのである。
人間がこの世で豊かに生きるための造ったものではないのである。
人間は実在していない。実在していないものが生きようとする為、不調和をおこしてしまうのである。人間は無我であり、神、生命そのものである。宇宙には人間は存在していない。見えるものはすべて生命、神の化身である。
人間が1つなる生命である事に気づく時、争いはなくなる。


 

2023年12月24日日曜日

使える時間は今の一瞬である


使える時間は今の一瞬である

宇宙は1つなる生命体。1つの中に時空間は存在しない。数字を数えても終わりがない。見えるものはすべて1つになる。1+1=1、1+3=1なのである。
すべて1つなのである。これが宇宙なのである。
すべては1つなのである。見えるものは1つなるものの顕れである。見えるものは結果であり、結果を顕しているものは1つの原因なのである。今の一瞬の中に過去も未来も存在する。使える時間は今の一瞬しかないのである。
人生80年と云ってもも80年使っているとは限らない。今の一瞬、一瞬の時の積み重ねが時間なのである。一瞬に集注した時間が使えた時間である。真剣に内に向き合った時間だけである。
外に向き合う時間ではない。内とは内なる神、生命に向き合った時間である。
宇宙は1つなる生命であり、1つなる生命がすべての根源である。これを神、仏と呼んでいるだけである。神、仏が別にいるわけではないのである。
見えない生命を神、仏と呼んでいるだけなのである。宇宙は中性なる1つなる生命体である。創造の原理であり、これが永遠なる1つなる宇宙生命体である。



 

2023年12月23日土曜日

宇宙は1つなる生命体、光である


宇宙は1つなる生命体、光である

宇宙は無限生命、普遍生命であり、不変不動の中性なる生命体である。
この1つなる生命体が様々な形態を顕し、生命活動をしている。見えるものはすべて1つなる生命によって造られた霊の被造物である。物質ではないのである。見えるものはすべて霊質料である。波動の変化で変化してしまう。
形態は内なる生命の細胞分裂により、形態を顕している。見えない細胞が集合化し、見える姿、形を顕している。
見える被造物は霊が固まったもので、波動が上がれば、変化して元に戻る。波動の変化によって変化してしまうものなのである。人間はこれに物質観念を持ってしまうため、死があると思って、お墓を作って祀っているだけなのである。形態は変化しているだけで消えることはないのである。
宇宙は高波動の世界であり、地球は波動の低い惑星であり、この仮相界の中で本来の我に気づく実在しない仮相の世界なのである。地球は惑わす星、浮世、俗世、仮の宿なのである。
地上界に蒔かれた光の種に気づき、華を咲かせるための場所なのである。人類は文明を自分で発達させているように思っているが、すべて神の御業なのである。人間は無限の中に存在しないのである。現象は生命の現象であって現象が実在することはない。すべて光の現象なのである。
 

2023年12月22日金曜日

自己責任


自己責任

宇宙は1つなる生命体であり、完全なる生命体である。無限生命体である。この中に万象万物は存在している。存在しているというより、現象化しているのである。聖書にも見えるものは神の被造物と書かれているが、人類は神と被造物を分けてしまった。その為に分離感が起こり、永遠なる1つなる生命野中で争いを起こしている。宇宙には1つなる無限生命の無形無双の実在界が存在するだけでこの見える仮相界は存在はしていない。宇宙は霊界であり、見える物質界界は存在しないのである。でなければ無限宇宙にはならないのである。宇宙は空の世界なのである。
人類はまだこの事に気づかないだけである。すべてが空であることに。
すべてが1つの中で自分がしたことは自分で責任を取らなければならないのである。
見えるものは1つなる生命の顕われであり、1つなる生命として生きる法則を現象を自分と思い違いをして生きてしまった責任、永遠なる神の生き方を有限なる生き方にしているのは他ならぬ自分自身なのであり、すべて自己責任なのである。
波動を下げて現象化している人類は見える波動の低い世界から本来の見えない実在界に戻るための世界でもある。キリストが云われるように「神が完全であるが如く、そなた達も完全であれ」と云われている。
この仮相界は人類が蝶のように青虫が波動を上げ、さなぎになり、蝶に変身させる仮相界なのである。この世の現象に分離感で人類が生きようとすると地球はアンバランスになり、幾度と繰り返している天変地異になり、また再生されてしまう。今が最後の審判である。
これほどまだ幼児期な人類なのである。人類は宇宙で一番偉いと錯覚をしている。宇宙はUFOで移動をしているのに、人類はまだロケットを飛ばし、自分の住処を自分で壊している幼児期な生き方をしている。神の中に居て自分が神であることを知らない哀れな人類なのである。幾度と繰り返される天変地異これは人類は犯している罪なのある。
1人、1人が意識を切り替えることで、可能になる。


 

2023年12月21日木曜日

光陰


光陰

光りは陰であり、影は光である。陰は光の顕れである。
霊肉一体。霊は肉であり、肉は霊である。1つのものである。宇宙は1つなる生命体。霊は見えない。肉体は見える。見えないものが見える現象を顕している。
霊は生命であり、見えるものは生命の顕われであるということになる。
光りは見えない、陰は見える。二つで一つである。宇宙は一なる生命体、生命の顕われが見える万象万物である。宇宙は1つなる生命が多神を現象化している。
宇宙は光であり、万象万物は光の陰である。宇宙の本源本質は光であり、光は完全バランス、生命体である。生命は無形無双の1つなる生命体。永遠なる生命体である。
すべての原因は1つなる生命体がすべての現象を顕す創造主である。
この原因結果の法則が宇宙宙生命であり、生命そのものである。すべては1つである。
1つなる中に争いは起きない。地上界で争いが起きているのは1つなる生命を分離して見えるものだけがあると錯覚している為に起きてしまう。見えないものと見えるものが1つであると見ることができれば争いは起きない。すべては1つの顕れであることに気づくまで、争いは続く。人類は、まだまた幼児期であるということである。天災と云われているものはすべて人災であることを気づかない。ノーベル賞をと取った人でも気づかないのではないか?
それ程、幼児期な人類なのである。





 

2023年12月20日水曜日

善悪の木の実は自分を成長させる


善悪の木の実は自分を成長させる

宇宙は1つなる見えない生命界であり、万象万物は1つなる生命の化身である。完全完璧なる永遠なる生命体。
人間と名付けられた神の化身には自由意志が与えられている為に、現象をあると思い違いをしてしまった。神の働く場を。神のみが独存しているのである。
神は無形無双の生命であり、神の現象、神の化身を自分であると錯覚し、神との分離感が起きてしまった。宇宙には人間は存在しないのである。存在していたのなら、宇宙は成り立たないのである。
我は神の化身、神を顕す器であり、神そのものであることに気づかない為に実在しない仮相の姿、形の神の働く器を自分と錯覚し、変化して止まないものに囚われ、生老病死の実在していない仮相の四苦を自ら抱え込み、死に対する恐怖、不安、悩みを自ら四苦を抱え込む。
現象は本当の自分に戻る為の気づきのメッセージの為に用意されている。生老病死の現象を通して早く気づきなさいと。最大の気づきのメッセージは天変地異である。
天変地異は太陽系に影響を与えてしまうためやってはいけないことなのであるが、これに気づかない未だ幼児期な人類なのである。
善悪の木の実をは本来の我に気づくためのメッセージなのである。天変地異の最大の気づきのメッセージが来る前に気づかなければならないのであるが。このメッセージは完全バランスを崩すことにより起きる現象であり、1人、1人の意識のバランスが崩れなければ天変地異は起きないのである。地球の、乱れは人間の意識の乱れ、心の乱れ、物質寄りの意識を直すことで地球の乱れは修正できる。1人、1人の意識の切り替えで可能なのである。お金はかからない。 






 

2023年12月19日火曜日

人間という呪縛


人間という呪縛

人間とは何か? 
人間は宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれたと。
人間は宇宙の中で生まれた現象である。宇宙の現象である人間が宇宙はどのようになっているかをさがしても宇宙の中にいて宇宙を探しても見つけることはできない。宇宙の外にでれば見つけることはできるかも知れないが?
人間は宇宙生命体の中で造られた現象であり。見えない宇宙の法則を探すことはできないだろう。
問題は人間が実在しているということを信じ、人間に生きていることが問題なのである。
人間は人間が生きるためには造られてはいない。宇宙生命のエネルギーを人間という器を通して顕現するために生命エネルギーによって造られた媒体であることを理解し、本来の使命を果たさなければならない。人間として生きるということは神への反逆なのである。
人類は今まで何をしてきましたか?
自然を破壊し、1つなる生命によって現象化している人間を分離感の為に殺し、自己保存の為に生きている人間。これが現実ではないか。人間は本来万物の霊長である。神に似せて造られたものなのであるのに。
現象に生きるため生きるから分離感で争いを起こす。生命に生きれば人間という呪縛から離れ、解放される。すべてっ自分で自分に呪縛をかけているのである。






 

2023年12月17日日曜日

霊的な食べ物


霊的な食べ物

宇宙は1つなる生命エネルギーであり、生命エネルギーが万象万物を顕している。
見えるものは見えない生命エネルギーによって現象化されている。
人間も生命エネルギーによって具現化されている。
姿、形ののあるものはすべて生命エネルギーの化身になる。 
仮相の人間は本来、生命エネルギーが形を止っているのだから、生命エネルギーが顕しているのだからエネルギギーを外部から取ることはないが、現象の姿、形の人間を信じているため、外部からエネルギーを調達しなけれなならない。外部から取ろうとするエネルギーも生命エネルギーによって現象化されているものなのである。
本来の我は生命エネルギーであり、生命エネルギーを放射する為に造られた顕現道具を自分と見間違え、外部からエネルギーを取る入れようとしている。
人間から見るから霊的な食べ物とか正食とかいう云い方をするが、すべての人間が食べようとしているものは生命エネルギーによって造られたエネルギーの化身である。
人間も生命エネルギーの化身であり、本来はキリストが云われるように何を食わんと何を飲まんとわずらうことなかれ。なのである。
自分は原因なる霊的我なのか、現象の結果なる我なのかである。
原因に生きるは永遠、結果に生きるは死であるとキリストが云われている。



 

2023年12月16日土曜日

得ようとするものは奪われる


得ようとするものは奪われる

何故、得ようとするものは奪われるのか?
宇宙は1つなる完全なる生命体であり。永遠なる全知全能の生命である。すべての万象万物はこの中に現象として顕れている。現象があるのではない。生命が現象を顕しているだけである。完全なる生命でなければ現象を顕すことはできない。
現象は見えない生命の化身である。化身は生命の働く場であり、生命を顕す道具、器にしか過ぎない。
完全の中に居てこれから学ぼうとするものは我は完全なることを知らない為に答えを外に求める。答えは内にあり、内は完全であることに気づくだけなのである。
神の中に居て神を探している。これでは青い鳥を探すことはできない。
意外と知識では理解していても実際は答えを外に求めてしまう。小さな時から答えは外にあると教えられ、教育されてきているため、答えを内の求める人は少ない。学びとはすべて持っていることに気づくことであることを。

 

2023年12月15日金曜日

現象界は人類の学びの場である


現象界は人類の学びの場である

原因、結果は1つと云うことは原因と結果は同じものであるということある。
同じものであるというのは宇宙は1つなる生命が実在しているということでもある。
原因、結果というのは原因は見えない生命体であり、その生命細胞体が分子構造を組み現象化している。造り主と造られたものは1つであるということである。
宇宙は1つなる完全なる生命体、すべての創造原理である。原因は様々な形態を顕す創造原理、生命である。こ゚の生命が様々な現象を顕している。様々な姿、形があるのではなく、1つなる生命が様々な現象を顕しているのである。考え方が真逆なのである。
現象から見るから、他人がいると思ってしまうが、生命から見ると1つなる生命が様々な現象を顕しているということになる。1つから見ると争いはないが、現象の分離感から見ると対立、抗争と1つの中で争いが起きてしまう。今、人間界で争いが起きているということは実在しない現象の仮相界から見る為、この偽りの世界、仮相界から抜けせないのである。
今生界は本来の我に戻る為の仮相界であり、幼児期な人類の大切修行の場所なのである。
この学びの場所がなければ本来の我に戻ることはできないのであるが、人類は大切な学びの仮の宿を自ら壊している。実相界の無形無双の永遠なる生命界が本来の我であることに気づき、宇宙の三位一体の世界が宇宙生命体であることに気づく。この世はその為の仮の宿なのである。


 

波動の低いものが人に奉仕することはできない


波動の低いものが人に奉仕をすることはできない

宇宙は1つなる生命体である。1つの中に2つは存在しない。自分、他人は存在しない。
すべて自分一人しか存在しないのである。
何故、他人がいるのかというと1つなる生命の様々な現象があると思う心が他人がいると思ってしまうのではないか。
すべては1つなる生命しか存在しない。宇宙は1つなる生命が様々な形態を顕し、1つなる生命が様々な形態に宿り、生命活動をしている。実在しているのは1つである。
様々な現象を見てあると思う心が他人がいると思ってしまっている。
様々な人間がいると思うのではなく、環境によって様々な人間がいるのである。
人間を現象化しているのは1つなる生命であるが、その生命が分離感を持ち、自分があると思ってるだけである。その分離感はエネルギーが低い為に起きる現象である。エネルギーを与えることで、分離感は少なくなり、消えて行く。すべては1つなのであるから相手を変えるのではなく、自分自身のエネルギーを高めることで、相手が自分で変えるエネルギーを与えることができる。キリストが云われるように一番大切なものを与えなさいと云われるのは現象を造っている生命を与えなさいと。生命のパンを与えなさいと。生命のパンを与えるということは自分自身の波動を上げ、人にあげなさいと。波動の低いものが人に本当の奉仕をすることはできないのである。



















 

父が完全であるが如く、そなた達も完全であれ


父が完全であるが如く、そなた達も完全であれ

宇宙は1つなる完全なる生命体であり、永遠である。
すべての万象万物はこの完全なる1つなる生命体の中に存在している。完全なる中に生まれ、育ち、生かされている。
完全なる中において不完全は存在しない。
父が完全であるが如く、そなた達も完全であれというのはすべて完全の中にいるものはすべて完全であり、人間という姿、形を見てしまう為に不完全だと思っているだけなのであると。
現象から見るから不完全に見えてしまうが、内なる生命から見なさいと云われいる。
完全なる内なる生命が外なるものを顕している。外なる姿、形の人間ではなく、内なる生命が我であることに気づきなさいと云っている。生命のパンを食せよと云われ。現象の肉体に生きるは死てあるとも云われている。内なる生命に生きよと。すべては原点から見よと。
お釈迦様が云われる身口意の正しく見ると云うのも1つなる生命から見よと云うことである。



 

仮相意識と実相意識


仮相意識と実相意識

生きている内の成仏できなければ死んでは成仏できない。何故?
宇宙は神であり、意識界であり、神意識である。
意識の状態なのである。
宇宙は見えない生命意識、見えない生命が原因で、現象を顕わしている。本源本質は生命意識である。見えない生命意識だけが実在している。現象である見える物は仮想であり、実在はしていない。見えない生命を顕わす為に仮想として現れているに過ぎない、見えるものの中に見えない生命が宿り、見える現象は生命を顕わす為に現象化しているのである。

外なる見える現象の形の人間をあると信じてしまうと生老病死の四苦に囚われてしまうため、本来の自分に戻れなくなってしまう。本来の我は実在の空、生命なのである。
生きている内に成仏できなければ死んでは成仏できないというのは仮想の意識から実在の意識には戻れないということである。成仏とは仏になると書く。お釈迦様は汝の裡なる自灯明、法灯明を主としなさいと云われている。この自灯明、法灯明が仏なのである。
死んで仏になるのではないということである。
汝の仏は汝自身なり。汝の神は汝自身なり。すべては内にある。青い鳥である。

2023年12月13日水曜日

内は完全、外も完全


内は完全、外も完全

宇宙は1つなる生命体。1つなる生命体が様々な形態を顕している。現象の中には必ず顕すものが実在している。現象があるのではなく、見えない生命がある。生命が我であり、外なるものは生命の現象で2つで1つである。
外なるものは内なるものの反映であり、内なる生命、光があるだけである。
内は光であり、外も光である。内が光りで、外は人間ということはない。
外なるものは内なる光の放射媒体であり、内なるものの化身である。霊肉一体である。
主なるものは内であり、外なるものは内なるものの表現媒体になる。
見える外なるものがあると信じ、外なるもので動かそうとすると内なるエネルギーが使えない。不調和を起こし、現象がバランスを崩してしまう。外なるものは内なる霊の顕す媒体であり、外なる人間という形が生きるものではないのである。
心が乱れるのは現象をあると思う自我なる心が動かそうとする為に本心が乱れるのである。人間の心が乱れるということは地球環境のバランスが乱れるということになる。人間の心が天変地異を起こす。本心から動かせば人類も地球環境も乱れることはない。人類の善悪の心が地球という現象界を乱している、人間の1人、1人の心が乱れなければ、人間も地球も乱れることはない。これが宇宙の法則である。心に乱れがアンバランスが引き起こしている。独楽のように人間も中心軸が取れていればブレることはない。

 

人類の生き方


人類の生き方

陰を認めれば陰が顕れ、光を認めれば光が顕れる。
宇宙は意識界であり、想ったことが顕れる世界。
「想念は実現の母」である。良いことを想えば良いことが顕れ、悪いことを想えば悪いことが顕れる。この法則を自我でするのか?神我でするのかである。
本来自我は存在しない。本来の我は神我であり、光である。宇宙は光1元の世界であり、我は光より生まれた光の子である。この光の子に戻る為に内なる光と一体になり、本来の我、光の子に戻る。これが現象界で成すべきことである。病気、不安、悩みは生き方が間違っているというメッセージである。これらに対処するのではなく、自分が自らがバランスを崩していることに気づき、修正して行く。完全の中に居てすべてが完全なのです。
現象に生きるも光の我に戻るも自由意志の選択権が与えられている。この世は俗世、仮の宿、塵世、浮世とも呼ばれているのは魂の修行の仮相界という意味である。
仮相界に生きようとすると、人間は分離感のため、同じ生命体の中で自己保存のために共食いをしてしまう。1人、1人が自らバランスを修正することで、本来の自分に戻ることで、地球の波動も上げることになる。完全なる中に居る我に戻るための現象界。善悪の分離感から絶対バランスの本来の我に戻して行く。これに気づいたものから現象界から離脱し、現象界のバランスを修正することが人類救済、地球環境のバランスを治すことであり、太陽系のバランスを崩さない地球人の現象界での生き方である。


 

2023年12月11日月曜日

原因が光りなら結果も光である


原因が光りなら結果も光である

今、見えているものが現象として顕れているということは現象界の波動に同調しているということになる。本来の我は光である自分が自ら下げてしまったということになる。
これは自分で波動を上げて行かなければならない。自分で下げてしまったものは神様は助けてはくれない。「汝の救いは汝自身なり」である。宗教に入っても自ら波動を上げなければ誰も助けてはくれない。自己責任である。
この波動を上げる手立てはある。現象の中には必ず高バイブレーションの高波動が宿り、現象化させている。
今まで外なる現象に同調させてしまっていたものを内なる高波動に合わせ高バイブレーションの波動に戻すことができる。現象人間には必ず内に高波動の種が蒔かれている。これに油注ぎ、開花させることができる。特別なことをすることではない。自分が高波動の神であることを認めるだけである。これにはお金は必要としないのである。

 

宇宙は1つなる無刑無双の生命体


宇宙は1つなる無刑無双の生命体

宇宙に実在しているのは1つの無形無双の愛の生命体のみである。他に存在しているものはない。
無限生命があるのみである。この1つなる生命が原因であり、結果として様々な現象を顕している。
見えるものがあるのではなく、見えない原因が結果を顕している。
地の現象の中に存在しているものの中に本当の我が、原因が外なるものを顕していることに気づかないで、外なる現象、見えるものに生きてしまっている。
内なる生命が外なる現象を顕していることを理解するには自らの波動を上げて行く以外にない。問題は自ら波動をさげてしまったのだから。
完全なる神の波動を外なる現象に自ら合わせた結果、現象波動領域に下げたものは自己責任において上げて行かなければならない。意識の切り替えによってバイブレーションを上げて行くき、本来の高バイブレーションの我、空に戻して行く。

 

自分の意識波動のポジション


自分の意識波動のポジション

宇宙は1つなる生命体であるが、原因、結果の法則によって顕されている。見えるものと見えないものが1セットで顕されている。
見えるものの現象には必ず顕す原因が宿っている。
生命が神が内在している。
宇宙は意識界であり、自分が想ったことが現象化される世界である。人間という現象には内在する神が宿って現象化している。
意識を外に置くのか?内に置くのはではなく、外なるものは内なるものの反映であり、内なるものの原因しかないのである。霊肉1体であり、1つである。原因だけを意識する。
内、外というと分離感になってしまう。1つとして神として見る。霊肉1体とは同じものであり、1つであるということである。生命は1つ。生命の化身が現象である。内と外は1つであると。
 

2023年12月10日日曜日

すべては1つから見る


すべては1つから見る

宇宙は1つなる原因、結果の法則である。
万象万物は1つなる原因が様々な結果を顕しているだけである。
見えるものを見る時、顕されているものは必ず顕している原因がある。原因結果の法則から判断して行く。
原因結果の法則で現象界を見てみる。見えるものは見えないものによって顕されている。
では人間も見えない原因によって顕されているのか?と見ることで現象界でそれを理解する現象が顕れていることに気づく。
現象界の気象とは気のカタチと書く。高気圧の時は晴れであるが、低気圧になると雨、雪に現象として顕れる。高気圧も低気圧の1つのものである。
人間も低気圧の為、現象として顕れているのかと気づく。
人間も死ぬ時、意識が無くなったという表現をする。
原因の1つからものを見て行くことで本当の自分に気づいて行く。
その方法として原因結果の法則を使い、照らし合わせをすることで見えない原因を理解して行く。原因が神なら結果も神である。全ては1つなる神1元、高バイブレーションの空の世界を実感して行く。

 

キリストと12人の弟子は上から来たものである。


キリストと12人の弟子は上から来たものである

宇宙は1つなる生命体であり、この原因なき、原因が宇宙生命体であり、愛の法則である。天地一体、原因の世界である。
キリストと12人の弟子は上から降りて来たものであるというのは原因、天から降りてきたということである。すべては原因から結果が現象化される。結果から原因を顕すことはできない。顕れているものはすべて天、気体エネルギーから現象化されているということである。現わすものは高バイブレーションの空であり、見えるものは低バイブレーションの固体波動である。空によって見えるものは現象化されている。
見えるものがあるのではない。顕しているものは高波動のため見えないだけなのである。
現象は見えない原因の結果として見えているだけである。故に現象界と呼ぶ。もし実在しているのなら現象界とは呼ばない。すべては1つなる天が地を顕している。天地一体である。
現象界にいる人間は高波動に原因はみることができない為に現象界をあると信じてしまっている。見えるものは必ずそれを顕すものが存在する。
キリストと12人の弟子達は天の従者である。すべては見えるものは天の現象であり、すべて天から生まれたものである。人類はキリストであり、12人の弟子でもある。すべては1つの生命なのである。人類皆兄弟姉妹であり、万象万物も同じ兄弟姉妹なのである。

 

2023年12月9日土曜日

宇宙の気体生命が我である。


宇宙の気体生命が我である。

宇宙には気体エネルギー、液体エネルギー、固体エネルギーが三位一体で存在している。すべてはエネルギーである。現象はすべてエネルギーの顕れである。
本源本質は生命エネルギー、気体エネルギーである。これが宇宙の原因なき、原因、完全バランスの生命、愛の法則である。
宇宙は気体エネルギーの高波動、現象は低波動にために見える現象として顕れている。
問題なのは現象の波動に囚われると高波動の我には戻れないということである。
永遠なる生命の我が外を見て心を囚われてしまっている低波動の我の波動を上げ、我が内なる天に戻る為に現象界に滞在しているのである。戻るまで再生されてしまう。
この世は霊界であり、物質世界ではない。幾らものを持っていてもすべて見えるものは霊によって現象化している仮相なのである。見えるものに囚われ、意識すると高波動に我に戻れなくなる。永遠なる本来なる生命に生きるか?有限なる現象の迷いの中に生きるのかの選択は本人に任されている。

 

すべては善のみである


 すべては善のみである

宇宙は1つなる完全調和の善のみの生命体である。
宇宙は気体バイブレーションの世界、神霊界である。霊光の世界。無形無双の形を持たない霊界である。これが原因なき、原因、生命エネルギーであり、神である。
人類はこの現象から抜け出せず、自縛しているのか?
未だに善悪の木の実を食べ続けているのは宇宙生命は1つであることに気づかない為である。
生命は法則であり,目には見えないために見える現象にだけ目を向けてしまった。この見えないものが現象を顕していることに気づかない。その為に分離感を抱き、現象に走ってしまった。
見えるものは波動が低い為に自己保存の為に様々な争い、対立がおきてしまう。
諸行無常の変化の中で自ら造るサタンに持て遊ばれ、高波動の本来の我に戻れないでいる。
この現象界は思ってことが顕れる世界。今自分がいる波動はどの位置に立っているのか?
自分の朽ち果てて行く波動なんか?永遠なる生命波動なのか? 今、出している波動の現象が今、顕れている自分の波動になる。

                                                                                  

現象界で成すべきこととは


現象界で成すべきこととは

宇宙は1つなる生命体である。1つなる生命体は無形無双であり、見えない存在である。
この原因なき原因が宇宙生命体、中性なる永遠なる光波動である。
この原因なき原因が様々な形態を顕し、現象が生きているのではなく、原因である生命が形態の中で生きているのである。宇宙は霊体であり、見えるものは物質ではなく霊質料である。
霊肉一体というのは霊によって形態が造られている。原因なる細胞が分裂して細胞体を造っている、すべて細胞なのである。その形に名前をつけているだけである。
万象万物はすべて細胞体である。宇宙そのものが1つの細胞体である。1つの中に時空間は存在しないのである。
太陽系惑星も人間内蔵のようなものである。
現象の中には必ず顕す生命、神が宿り、形態を動かしている。形態は生命の器であり、動く為の道具である。神の子の神の宮である。
現象界で生きようとすればするほど地球のバランスを崩すことになる。物質を最優先させるために地球がバランスを崩す。地震は自然界のものと思っているが、地震も人災なのである。
天変地異は人間に対して最大の気づきのメッセージである。今の地球はstage4以上の末期ガンの状態であることに気づかなければならない。
この現象界で成さねばならないことは内なる生命、神に気づき、生命の我に戻る為にこの現象界がある。現象の低波動の中に蒔かれている高波動の神の種に気づくための現象界である。
1人、1人の心の状態、意識の切り替えが地球のバランスを整えることができる。これに気づくことで、地球の天変地異も防ぐことができる。
消え行く現象の中で豊かに生きることではないのである。


 

2023年12月8日金曜日

見えるものはすべて神の被造物


見えるものはすべて神の被造物

宇宙は無形無双の神霊である。
見えない神霊が多神を造っている。原因、結果は同じもの。天地一体。すべては原因の結果である。すべては1つである。
原因は宇宙法則であり、見ることはできない。この完全バランスによって生命が活動をしている。
神我顕現とは無限大の生命エネルギーを媒体、神の宮を通して顕すことである。
生命エネルギーは無所得で放射されるものである。個人的に与えるものではない。
見えるものは神によって造られた被造物ではあるが、これは神によって神が使う道具であり、自我人間が勝手に使って良いものではないのである。
神が働く道具を勝手に使っているのが人間という実在しない迷妄の自我である。
この現象を自分と錯覚してしまうと波動が下がり、生老病死の四苦に囚われ、再度現象界に再生されてしまう。私も含め殆どの人類はこの事に気づかないために再生させられている。
我は宇宙の本源本質の見えない神霊であり、見える現象は神によって造られた神の働く場なのである。すべては神1元なのである。すべてのすべてありてあるものは神である。愛の法則である。

 

宇宙に自我は存在しない


宇宙に自我は存在しない

宇宙は神1元の無形無双の生命体である。姿、形の人間は存在しない。現象としての姿、形があるだけで、その現象を見て自分があるという意識が自我である。現象は神によって造られた神の顕現する為の宮である。神の働く道具である。
現象を見てそれが実在していると思う心が自我というものを自ら造ってしまっているだけである。本来の我は現象に宿る神の我になる。
現象は神の顕現道具ということは現象の中に神が宿っていると云うことになります。
現象の中に内在している神がいるということは自分自身は神であるということが理解できますね。宇宙は神1元の霊界、神霊界であり、1つの世界しか実在していないということはすべてが神であり、自分自身も神であるということになる。神は全ての原因であり、法則である。
神は無形無双の法則である。神様が特別にいるのではない。宇宙法則が神なのである。
無限の法則を社に祀ることはできない。
 

すべては1つから紐解く


すべては1つから紐解く

宇宙は1つなる神の法則によって動いていると言うと神様が別にいると思ってしまう。
宇宙そのものが法則であり。宇宙そのものが神なのである。宇宙は1つなる生命の法則であり、この絶対バランスによって万象万物は現象化している。現象化している中には必ずそれを顕すものが宿り、現象を顕している。神は100%完全であり、すべて完全に現象化されている。
問題なのは諸行無常の現象を見てしまう為、不完全を認めてしまう。その為、現わしている原因は完全なのに変化する現象を見て不完全であると信じてしまう。意識したものが現れる。意識が完全であれば完全なるものが顕れるが、意識が不完全なる意識であれば、不完全なるものしか顕れない。見えるものは完全なる高波動から現象化している。
現象化している内に高波動の神が宿っている。外なる現象があるのではなく、それを顕している内なる原因があるのである。1つなる生命が現象を顕しているだけである。2つで1つである。





 

2023年12月7日木曜日

神とはバランスのことであり、愛であり、慈悲である

神とはバランスのことであり、愛であり、慈悲である

この絶対バランスが宇宙生命の本体であるが、目には見ることができない。こ゚の生命によって様々な形の現象が顕わている。顕れているのであって現わしたものと顕れたものは別々なものではなく、1つなのである。原因結果は1つなのである。
見えない生命の顕われは現象を通して生命を顕現させるために造られた神の被造物なのである。神の宮、仏の宮なのです。1つの生命が現象を顕していると理解できれば、生命同士で争うことはなくなる。
爭うことで更に自分の波動を下げ、本当の高バイブレーションの我には戻れなくなってしまう。カルマの上書きをしてしまう。現象界で生きるのではなく、自ら下げてしまった波動上げるために現象化しているのである。本来の我は光である。
今まで人間と思ってきてしまった現象から実在の高波動に我に戻って行く世界が現象界である。
自由意志が持たされており、自ら波動を下げてしまった自分、下げてしまった波動は自己責任で行なわなければならない。やるもやらないも本人の自由ということになる。

 

2023年12月6日水曜日

現象という迷い道


現象という迷い道

宇宙は1つなる神1元であり、無限生命である。区切りのない無限大の生命、神である。無形無双の神である。神によってすべての現象は造られている。
神そのものは気体生命体であり、気体生命体が細胞を造り、集合化し、現象化させている。
現象化されたものは低波動になってしまう。現象を顕している高波動の造り主は現象の中に宿り現象化させている。意識が内なる高波動を意識していれば、現象に留まることはなくなるが、意識が外なる現象に意識が向いてしまうと低波動のなってしまう。
問題なのは低波動に自分が下げてしまった波動は自分で元に戻さなければならない。意識の問題であり、自分で上げなければならない。
元の高バイブレーションンの気体生命に戻るまで再生される。
外に意識を向けることの意味を理解しなければならない。
形を見るから人間と思ってしまうが、内なる細胞から見れば生命である事に気づく。
外なるものは内なるものの反映である。霊肉一体、自分の中に神が存在するということである。1つである。



 

すべてのすべてありてあるものは神である


すべてのすべてありてあるものは神である

読んで字の如く、すべては神であるということである。見えるものも見えないものも神。聖書にそのように書かれている。それを認めるだけではないか。
宇宙そのものが神である。神様が他にいるのではないと云っているのに神を外に求めてしまっている。
なぜ外に神を求めてしまうのか?
それは現わしているものが見えない霊であり、現象だけが見えている為に現象だけがあると信じてしまっているためである。
見えるものには必ず顕しているものが存在している。原因結果の法則である。
今まで見えるものだけをあると信じて来てしまったためにこの先入観はから離れることができないのである。一度信じてしまうと聞く耳を持たない。自分の思い込みで真理に素直になれない。すべては1つである。1つでなければ無限生命にはならない。
地球からロケットを打ち上げた時、地球には仕切りがないことに気づいているではないか?
仕切りがないということは1つであると云うことではないか。この世は浮世とも呼ばれている。
宇宙は1つの霊体であり。霊が現象化しているということを認めない。宇宙霊、宇宙は霊であることを。地球を惑星と云う。惑星とは惑わす星と書く。現象という意味である。
地球という現象、太陽系という現象、見えるものはすべて見えない生命、神、愛の法則の顕われである。
問題なのは霊が本体であり、これが本当の我であることを忘れ、見える現象に生きてしまうと本当の我に戻ることができない。生老病死の四苦に囚われ、これに気づくまで人間をしなければならないということである。
これは人間という現象には自由意志が備わっているため、これを犯すことはできない。現象界から本当の我に戻る為に現象界の仮の宿に今。滞在している。
1つの生命体の中で、争いすることは現象という波動の低い見える外側の姿の中に本当の我が宿っていることに気づくために現象界がある。病気も死も本来の我に気づくためのものである。本来の我は神であり、仏であり、生命エネルギーそのものである。
すべてのすべてありてあるもの 神である。法則である。神とは法則のことである。
自分の中に天国が存在している。三位一体である。天国も地獄も1つである。地獄は自分が創る迷妄である。天国には姿、形は存在しない。無形無双の神霊が実在するだけである。
自我から聖書を読むと真理は紐解けない。真理は1つなのです。2つあるということは間違いである。すべては1つなる生命の現象であり、自分の所の宗教が1番正しいというのは宇宙の法則から外れている。それに執着するものは本来の我に戻ることはできなくなってしまう。



自然界の作用、反作用


自然界の作用、反作用

宇宙は愛の法則であり、自然界は愛の作用、反作用が働く。宇宙は愛の法則なるが故に現象界では作用、反作用のエネルギーの法則が働く。
グライダーもヨットもこの作用、反作用の力を利用している。自然界はこのエネルギー、神のエネルギーを使っているというよりも神、生命が自然界ではこのエネルギーを通して生命活動をしている。
越冬する為に生死を掛けて8000メートルのヒマラヤ超えをするアネハツル。
アネハツルは8000メートルのヒマラヤを超えるのに上昇気流を使う。山の雪が温められると其処に上昇気流が発生する、この上昇気流の外側には必ず打ち消す下降気流が起きる。
上昇気流を捕らえるには下降気流に飛び込まなければ上昇気流を捕まえられない。
必死の覚悟で何度も何度もトライし、下降気流に押し戻され、羽を痛めながらヒマラヤの屋根を超えて行く。作用、反作用は2つで1つである。下降気流の奥には必ず上昇気流が確実にある。これが 自然界の法則である。この法則を理解し、目の前の事柄に前向きに挑戦して行く。
目の前の事柄はすべてエネルギーなのである。
鳥たちも自分の力を使わずにこの上昇気流によって生かされているのである。
人間という現象には内に上昇気流が存在しているのである。
キリストが云われるように必ず、確実に手よりも足よりも近い所に光の種が蒔かれている。
光りによって現象化してる。現象化しているものがあるのではなく、顕しているものが実在ししている。その顕しているものは現象の中に宿っている。これが本当の我である。

 

2023年12月5日火曜日

宇宙は1つなる生命エネルギー体である


宇宙は1つなる生命エネルギー体である

宇宙は1つなる無形無双の生命体である。
この宇宙生命が万象万物を現象化させている。
人間は存在してはいないのである。
存在していると思うから間違いを起こす。
人間が考えて知恵を出し、地上界に存在しているのではない。
人間の媒体を使って御業を成しているのは宇宙生命なのである。人間という現象人間が勝手に神の知恵と力を勝手に使っているだけなのである。これだけの生命のメカニズムを人間が造ったのではない。自分が創ったのであればDNAの解析などする必要はないではないか?
それでも人間が存在していると思っている。
すべてのすべてありてあるものは1つなる生命があるだけである。この1なる生命が我であり、我は姿、形ではない。無形無双の愛の生命エネルギー、宇宙生命体の一部であり、宇宙生命そのものである。
1つの中に様々な生命は存在しない。宇宙は無形無双の霊であり、様々な霊は存在しない。
霊は光であり、日本の天皇も天の白い王と書く、白光である。天皇という意味はすべての国民に光を与える存在いう意味である。1人、1人が天皇なのである。これが生命であり、宇宙の本源本質である。宇宙生命体が様々な形態を顕し、生命活動をしている。
1人、1人が自らの波動を上げ、現象波動からバイブレーション上げ、神の波動に上げて行くことをするための現象界である。形を見てしまう為に自ら造る自分のサタン、自己メッセージに邪魔をされているだけである。これが本当の人類救済である。
すべては1つなので、自分の波動を上げることが全世界の波動を上げることができる。
すべては裡にあり。青い鳥である。我も我、他人も我、自他一体、すべては1つの中にいる。
人間は幸せの中に居て幸せを求めているようなものである。1人、1人が現象界から離脱することが使命である。
現象界は大切な所です。現象界がなければ本来の我には戻ることはできなくなる。宇宙の浮遊電子になってしまう。
本当の自分を自分の中に求めることができないものは外に答えを求める。外に教えを乞う。
自分が何であるかを自分に問わず外に伺う。見つかるはずがない。神の中に居て神を探すようなものである。外には答えがないことを知るまで。本来の自分が神であることを知るまで。
これが奴隷ということになる。神に助けて下さい、助けて下さい。と言って内に答えを求めない。一番怖いのは自分が学んでいると自負し、答えを外に求める奴隷であることに気づかないことである。




 

地球の乱れ、汚れは人間の心の汚れ


地球の乱れ、汚れは人間の心の汚れ

宇宙は完全なる1つの法則で成り立っている。
この法則によって万象万物は現象化している。
地球は完全バランスで、地上界は素晴らしいバランスを保ち、生命活動をしている。
人間も完全バランスが故に現象化している。人間がいるのではない。生命が人間の形を造り、生命が、生命活動をしているのである。人間というのは生命によって造られ、その形に人間という名前を付けているだけなのである。
人間が何もしなければ水を綺麗で自然環境も美しく保っていることができる。このバランスを崩し、環境を乱し、水を汚し、人間の住む環境も汚しておいて、環境を良くしなければと嘆く。
小学生でも解ることを大人が真面目にやっている。狂っている。
人間の心の汚れが環境の汚れ、水の汚れである。
また綺麗な山に登り、山を汚して降りてくる。美しい所に行き、其処を荒してくる。これが人間なのである。これは分離感からこのようなことが起きる。すべて神の子なのに。1つの自覚があれば汚すことはない。
人間は神の子であるが、分離感でものを見ているため、人間を神の化身として見ることができなくなってしまった。分離感の為、争い、対立を引き起こし、1つの生命の中で殺し合いをしている。人間は万物の霊長と云われているのだが?
人類はこの分離感を克服しなければ、地球を更にアンバランスにさせてしまう。
南極の氷がどんどん解けだしていることには目を向けるものは少ない。目先の利益だけに目を向けてしまっている。心の乱れの結果である。お金では環境は良くならない。心の改革である。自然の環境の改善は心のバランスを整えることで可能になる。
この現象界は本来の我に悖る為の世界であり。自分が本当の自分に悖ることで、地球という波動を上げて行くための場所である。何でもありの世界の中で、本当に我に気づく所なのである。
本来の我は全知全能の力、知恵であり、教育を受けて自分を高める必要はなくなる。
宇宙は無形無双の世界である。無限宇宙、普遍宇宙である。すべては1つである。



 

現象界の優劣


現象界の優劣

宇宙生命は永遠である。現象は消え行く存在である。宇宙で生命の顕われとして現象がある。
現象が単独で宇宙に存在することはないが、人間という仮相は人間を実在し、1番偉いものと信じて疑わない。1番偉いと思っているものが同じ生命の中で争いをしている。人間は万物の霊長と云われているのに? 
現象は1つなる生命エネルギーの結果であり、様々な形があるのであって其処には優劣は存在しない。白人、黄色人、黒人、すべて同じ生命なのである。環境の違いで表面が違うだけなのである。これが理解できず、人種差別をしている。
自分が自分を差別している。これでは仮相界から抜け出せない。これに気づいたものだけが本来の我に戻ることができる。現象界で1つなる生命を傷つけているものは天国、本来の我には戻れない。
この生命が理解できなければ、現象波動から気体波動に変性することはできない。天国に戻れない。
分離感を持っているものは元の天国には戻れない。分離感がなくなるまで人間という仮相界で学ばなければならない。わかるまで人間という仮相現象に再生される。優越感に浸っていることはできても地獄界から離脱することはできない。これが宇宙の法則である。
人種差別するものは神の反虐行為である。すべて1つなる宇宙生命体の中にいるのに。
気づいたものから現象界から離脱して行きましょう。人類救済は1人、1人が自分の波動を上げることである。現象界では人類救済はできないのである。1人、1人が本来の我に気づくことが人類救済なのである。

 

現象界は神に戻る為の仮相ハウスである。


現象界は神に戻る為の仮相ハウスである。

今まで幾度どなく繰り返されて来た天変地異。これは誰が引き起こして来たのか?すべて人間というf現象が、文明を発達させ、人類を豊かにしようとし、文明を発達させたために、起こしてしまった結果である。
子供もわからない内は色々な悪いことをする。宇宙から見ると人類は未だ幼児な時期なのである。1つの生命体の中に居て同じ生命で殺し合いをしている。1つの中で、自分の宗教が1番だと宗教戦争をしている。人類はまだまだこの程度のものなのである。現象は1つなる生命、神の現象であることに気づかず神の中で争いをしている。
いずれすべて神の子だと理解すれば争いはなくなる。本当の自分を知らない為に起きる現象である。
宇宙は気体の霊界であり、現象に何が起きても消えるものなので、神には何の影響も与えないのであるが、他の現象に悪い影響は与えてはならない。地球が乱れると太陽系に影響を与えてしまう。地球は地の星であり、波動が低い星なのである。

この波動の低い見える波動から太陽系の方々に迷惑をかけないようにしなけれなならない。
地球波動を自らの波動を上げることができるのは形を纏った神の子である。
神の子は仮相の人間という現象という姿に邪魔をされ、本来の使命を果たせないでいるだけなのである。
見えるものの現象に囚われている我。本来の我は1人、1人の中に居る神である。
自分が下げてしまった波動は自分で上げて行かなければならない。神は助けてはくれない。自分が神であるから。自己責任と云うの自分が神であると云うことである。
1人、1人が更に波動を下げてしまうとバランスを崩し、地球は元に戻されてしまう。天変地異は人間1人、1人が起こしている。災害は人間が起こす人災であることに気づかないだけである。


 

2023年12月2日土曜日

生命と木の葉


生命と木の葉

宇宙の1つなる生命は多神を顕している。
生命が木の形態を顕している。
木は枝を顕し、葉を顕す。これはすべて生命の現象である。葉は芽吹き、繁り、紅葉し、落ち葉となり、土に帰る。
葉だけを見れば、諸行無常の変化の顕れにしか見えないが、地から水を吸い上げ、葉を通して水の循環をしている。また二酸化炭素を酸素に変えている。共存共栄で循環をしている。生命は自然界の中でバランス取り、1つなる生命が働いている。様々な現象が共存共栄しているのではない。1つなる生命が形態を通して働いているだけである。
人間も現象であり、地上界では万物の霊長であり、成すべきことがあるのに、悲しいかな自然のバランスを崩し、人間が住む、自然界の様々な環境をも犯し続け、バランスを崩している。
これに気づかない幼稚な人間、ノーベル賞は何の為に賞を与えているのですか?神の法則を理解するためではないですか?
これほど無知な人類。仮相界は神の働く宮であり、その知恵はすべて神の知恵なのです。
神にノーベル賞を与えますかね。
もうそろそろ人類はこの現象界界から脱皮しようではありませんか?
21世紀は空からすべてのものを現象化する時代になります。見えないものからエネルギーを取り出す時代になります。そこには争いはありません。それには意識を切り替える必要があります。
地球環境を壊しているのは万物の霊長である人間がだけが地球環境を乱している。地球は神のよって造られた神の住処なのである。いつまで人類はこんな幼稚なことをしているのか?万物の霊長なのですよ。仮相界で幾らお金儲けをしても死んでは持って行けない。すべてが神の中にいる神なのに。


 

万象万物は宇宙生命現象


万象万物は宇宙生命現象

宇宙は原因なき、原因、1つなる愛の法則、中性である。宇宙のすべてのすべては1つなる中性なる生命体である。この1つなる生命が宇宙の本源本質であり、この見えない生命を神、仏、天照大神と名付けているだけである。
宇宙は気体の生命体。気体が現象化しているだけに過ぎない。宇宙は中性である為、愛の法則により、様々な現象を顕し、生命が宿り、生命が生きているのである。
もし、万象万物が生きているとするとそれぞれに生命があることになる。無限生命。普遍生命十云う漢字は出てこない。天地一体も色心不二も、自他一体も。
1つなる気体生命が個体見える現象を顕している。すべてのすべてありてあるものは中性なる神、仏、天照大神、白光である。すべては見えない霊である。見えないものを霊と呼んでいるだけである。
人類はこの消え行く見えない霊、生命現象に囚われ、神霊の法則、宇宙の法則から外れた生き方をしている。タコ糸が切れた凧のような生き方をしている。完全なる中に居ながら。
完全なる生命体が現象を顕しているのだから、現象も完全だから顕れている。法則違反をしているから、生老病死に囚われてしまっている。神には生老病死はない。神の子なのに形に囚われ、消えゆく人間をやっている。



 

2023年12月1日金曜日

得ようとするものは奪われるなぜ


得ようとするものは奪われるなぜ

宇宙は完全なるプロフェクトバランス、完全バランス。完全なる中性の法則、生命の法則が宇宙の本源本質である。原因なき原因。全知全能の力、知恵の世界。すべては此処が原点である。
この原因が大宇宙を形成している。島宇宙、銀河系宇宙、太陽系宇宙、地球、そして地球に生きる万生万物。
すべては1つなる生命が現象として顕しているだけに過ぎない。
現象である人間も生命によってすべてが与えられている。生命エネルギーの放射媒体として生命によって造られている。人間はその為に造られた顕現道具である。人間が消え行く果相の世界で生きる為に現象化してはいない。
人間という現象媒体はは完全なる生命エネルギー、全知全能の力、知恵を受け流す放射媒体として造られている。完全なる全知全能の知恵、力が我であり、すべてをすでに持っているのである。現象を見て実在しないものに生きようとする為に全知全能の力そのものが自分と気づかない。あるのにないと思っているために使えない。
すべては1つということは全知全能の力、知恵が我であるということである。
宇宙の中にあるものはすべて完璧なのです。神を外に求めてはならない。すべてが内にあるのです。すべてが神なのです。神とは無形無双の生命エネルギーのことなのです。
すでに神の中に居るのであるから。認めるだけである。神しかいないのである。神1元の世界が宇宙である。見えるものはすべて神の化身なのである。でなければ宇宙は無限生命にならない。