2024年2月29日木曜日

我は自分の中にあり


我は自分の中にあり

中心、中なる心が外なる現象を顕している。
顕している中なる心が宇宙生命の分霊であり、分霊が分身を顕している。
すべてのすべてありてあるものは生命であり、生命は永遠なる不変不動のエネルギーなのである。すべて久遠の生命が現象道具を自ら造り、その中に宿り、久遠なる生命が媒体を造り、顕現させている。すべて神1元なのである。
神1元の宇宙の中で、人間にだけ、自由意志が与えられており、この自由意志を勝手に解釈し、宇宙の法則を犯し、自らを自縛させている。
現象を自分と勘違いをしてしまうと現象は非常に波動が低い。波動が低い為に汚れを引き付けやすくなる。病気も気の病。エネルギー不足である。エネルギーが高ければ病気にはかかりづらい。
人間を顕しているものは神である。全知全能の神である。神は完全であり、完全を不完全にしているのは外なる現象の自分である。自ら造る自我の心である。本当の我の心の邪魔をしている。自ら造る迷妄に誘惑されている。


 

我は天なり 地は天なり


我は天なり 地は天なり

宇宙は1つなる生命であり、生命は天であり。現象は地である。天と地は1つのものである。
宇宙の本源本質は1つなる生命である。
1つなる生命は永遠なる生命であり、宇宙は永遠なる生命が現象を顕している。
久遠にある現象である。こ゚の久遠にある現象は変化して止まない循環を繰り返している。
この見える質料の変化を顕しているものは生命であり、久遠の現象である。
人間はこの変化して止まない現象をあると信じる心、想念が自らを自縛させている。
これが分離感となって生命とのバランスを崩し、未発酵の状態で消えて行く。未発酵のままであればまた生まれ、完全発酵になるまで、現象界で再生させられる。
天は久遠、地は久遠の現象である。現象は久遠の無限なる生命を現象を通して顕現させる。
これが現象界での人間と云う姿、象に宿る、生命の使命である。
無限生命の顕現道具、神の宮である。



 

2024年2月28日水曜日

見えるものは心の表現媒体


見えるものは心の表現媒体

宇宙には心は1つである。良心が実在するだけである。全知全能の力、知恵、創造の原理である。
心とは生命であり永遠なる常在の無形無双の世界である。
原因、結果の法則であり、見えない原因が見える現象を顕している。原因と結果は1つであり、見えないものも見えるものも1つであり、永遠にある現象を実在していると分離感を持ってしまった。ないものをあると信じ、錯覚してしまった結果、諸行無常の世界に持て遊ばれて、まだそれに気づかない。人類はこれから中々抜け出せない。抜け出そうとする意識も持たない。
見えるものは見えないものの顕れ、原因、結果の法則が理解できれば、現象界で成すべきことが見えてくる。


 

我が息は神の息


我が息は神の息

宇宙は1つなる無限生命であり。無限生命の中に有限な現象なる人間は存在しない。
宇宙の息は1息である。万象万物も1息である。
人間が息しているのではない。神が息している。
心臓の鼓動は神の心音である。宇宙には1息しかない。
初めに言葉ありき。現象はすべて生命エネルギーの現象として顕れている。
不可視のエネルギーを顕している現象界。本来の生命世界に戻る為には、今の現象界の法則を理解しなければならない。原因結果の法則から不可視のエネルギーが可視の現象を顕していることに。
すべて不可視のエネルギーが可視の現象に宿り、現象を顕していることを理解して行く。
無限大の不可視のエネルギーが神であり、すべての本源本質の原点であり、我であることに気づいて行く。現象は原因の顕れである。原因が我であることに気づき、現象の我から原因の我に戻る。神の息の現われが我が息である。



2024年2月27日火曜日

我はキリストであり、仏陀であった


我はキリストであり、仏陀であった

宇宙は1つなる生命体である。宇宙には生命エネルギーのみが実在する。こ゚の生命エネルギーが独存する。天上天下唯我独尊である。生命1元である。
この生命がキリストであり。ブッダである。
この生命によって万象万物は現象化されている。
万象万物はこのキリスト、仏陀、生命の化身なのである。宇宙の本体はキリストであり、仏陀なのである。宇宙はこの1つなる生命界である。
呼び方は様々あるが、すべては1つの実在しか存在しないのである。
宇宙 神、宇宙は神である。仏である。無形無双の生命である。
聖書、仏書はこの無形無双の不可視の生命を実感する為に手引き書としてある。教えではないのである。
改ざんされているものは真理に正し修正して読みなさいと。
外なる知識では内なる生命を実感することはできない。キリスト、仏陀は自分の中にいるのだから。




自分探し


自分探し

自分探し、自己発見、本当の我を知る。
見える自分があるのに自分探しと何ぜそのようなことを云うのだろうか?
宇宙は永遠なる生命体である。その中に居て有限なる死はないのである。
宇宙は1つなる生命エネルギーであり、不変不動の永遠なる生命体である。こ゚の生命が現象を顕し、見える形で生命活動をしている。
人類はこの見える現象だけを捉えて生命と現象を分離してしまった。これが善悪の木の実である。この分離感の現象の中にいると生老病死という仮相の四苦に持て遊ばれてしまう。
自分探しとは生命と現象を分けてしまったことに気づき、1つなる完全なる生命に戻ることである。
すべての本源本質は1つなる生命であり、この完全なる本源本質が自分の中にあることを知り、本来の我に戻ることである。現象は本来の我の仕事場なのである。生命エネルギーを顕現する為に造られ道具なのである。
汝の神は汝の中にあり。汝の仏は汝の内にあり。現象を顕している内なる生命が我であり、現象は我の働くばであることに気づき使命を果す。現象界は無限生命の顕現する為に人間と云う形態の衣装を纏っている。現象界で生命が成さねばならない仕事である。
自分とは姿、形ではなく、無形無双の生命が我であり、完全なる生命を顕現させる為に現象化しているのである。



 

2024年2月26日月曜日

悟空とは


悟空とは

我の心は空であると。人間が人間であれば悟空と云う字はないはずである。
聖書にも人間は宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれたと。宇宙には人間と云うものは実在しないということになる。現象である。仮相である。
宇宙は1つなる不可視の生命体であり、生命エネルギーのことである。万象万物はすべて不可視の生命エネルギーが形態を造り。生命の化身として現象化している。生命エネルギーの表現として顕れている。
表現力とは表現はエネルギーであるということになる。エネルギーの顕れである。
見えるものは生命エネルギーが表現として顕れている。
1つなる生命が見える現象を顕している。宇宙の生命エネルギーが現象として様々な形態に宿り、生命を顕現している。宇宙生命体の本源本質である。
宇宙は1つなる全知全能の見えない生命エネルギー体である。
現象の人間が存在していると信じているものには不可視の生命エネルギーが我であることに理解ができない。すべては意識が肉体を動かしていることは理解しても意識が我であることの理解はできない。生命エネルギーの顕れが現象であり。1つなる生命エネルギーが形を止っている。空エネルギーが形を止っている。全知全能の空エネルギーが実在しているのみである。
無限生命とは1つなる生命ということである。


 

光りは陰を通して顕れる


光りは陰を通して顕れる

1つなる生命、光は陰を通して顕れる。
万象万物は不可視の生命が質料細胞を通して顕れる。
人間は宇宙の塵にて人間の形を造り。息を吹き込まれたと。
不可視の生命は可視の細胞を通して顕れている。
久遠生命の中にある現象である。1つの生命の現象である。実在しているのは1つなる生命のみが実在している。
生命の中にある現象をあると思う心が神の波動を一気に低波動に下げてしまう。
外なるものに意識をむげると波動が低くなり、本来の我に戻れなくなる。
信じたものは顕れる。一度信じてしまうと自分が一番正しいと信じている為、悔い改めができない。
それほど想念意識を取り違えると、迷路に入ってしまう。本人が信じてしまったものはそれでも正しいと思っているために厄介なのである。中々元には戻すことができない。
お釈迦様が日常の中で身口意、憶念の生き方を実践しなさいと。汝の内なる自灯明、法灯明を汝の主としなさいと。法灯明、自灯明とは内なる仏のことなのである。
汝の仏は汝の内のありと云われている。宇宙の中性エネルギーのことである。


 

2024年2月25日日曜日

自由自在なる無限意識


 自由自在なる無限意識

「想念は実現の母」と云われるように思ったことが顕れる世界。何故現れるのか?
宇宙は完全なる中性であり。想ったことが顕れる世界、意識界である。
現象界も宇宙の相似形であり、想ったことが顕れる。夢は叶う。とか目的を持つことで目的が叶う。
良いことを想えば良いことが顕れ、悪いことを想えばわるいことが顕れる。
想念したものが現象化する。
今、自分が消え行く現象界に居るということは現象界を意識したために自分は現象化していると云うことになる。現象に生きている証拠なのである。
本来我は1つなる生命であり、現象として顕れていることに気づき。この世の現象界で豊かな生活をする為ではないことを理解し、何故、この肉体が存在するのか?を見極めなければならない。イエスの言葉は非常に重い。

この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如し
今の自分は自分で想念した結果として顕れている。すべて自分が創り出したものである。
悩みも恐れも不安は外を見る為に起きる外的なものである。この消極な現象を認めることで現象として顕れる。すべては自分の想念である。
本来の使命は無限生命の顕現であり、仮相の現象に生きることではないのである。
現象に生きようとする為にこの迷妄に憑りつかれてしまう。




生命はエネルギー


生命はエネルギー

宇宙は1つなる生命エネルギーであり、中性なる生命エネルギーである。
この不可視のエネルギーが宇宙の根源である。
すべての現象は不可視のエネルギーが結果として現象化している。見えるものも不可視の生命エネルギーが現象化させている。原因、結果は同じものである。原因と結果は2つで1つであり、同じものなのである。
神の被造物と云うこという言葉があるが、現象界で神と被造物を分離感で見て、神と被造 物を分けてしまった。神は被造物を顕している生命エネルギーのことであり、こ゚の生命エネルギーがなければ現象化されることはない。
生命エネルギーが万象万物を顕している。
現象である人間が死ぬ時、魂が抜けたと云うが、魂と云うのは生命エネルギーのことである。
宇宙は1つなる無限生命、普遍生命である。この不可視のエネルギーがすべての根源になる。
イエスも原因なき原因と云われている。宇宙は1つなる原因なき原因。永遠なる不可視の生命エネルギーである。こ゚の生命エネルギーが形態に宿り、光の陰として現象が顕れている。


 

2024年2月24日土曜日

無邪気 邪気


無邪気 邪気

宇宙は1つなる良心のみの世界である。
この良心しかない世界に邪心は存在しないのである。
宇宙は1つなる生命が様々な形態を顕し、その中に生命が宿っている。
この見える現象を見てあると思う心が分離感を生み、自我という邪心を自ら造ってしまう。これをサタン、悪魔という。すべて自ら造り出してしまう迷妄である。想念は実現の母であり、良いものも悪いものも何でも造り出してしまう。
この邪心が生命の気の邪魔をしてしまう。気枯れである。正常な気のバランスをアンバランスにすることで、気の病、病気になる。
邪気は自らをアンバランスにする外敵要因である。現象をあると信じる心が邪心を造る。
現象は内なる生命の現象であり、生命の顕現道具であり、これをあると信じる心に惑わされてしまっている。
邪気は実在しない現象、変化して止まない偽りの世界を認める心が邪気を造り出す。



神の細胞


神の細胞

宇宙は1つなる細胞体である。無形無双の細胞がすべての本源本質である。
これを神、仏と呼んでいる。愛の細胞である。
これが宇宙の本源本質である。
愛の細胞である。これを魂とも呼ぶ。
1つなる生命が万象万物を顕している。
人間は波動の低い固定観念の波動の世界にいる。この固体波動の中で気体波動を感じることはできない。すべての現象は気体波動であり、創造の原理である。
見えるものは見えないものの現象である。宇宙の原因は見えない生命である。これが神の細胞である。この神の細胞が宇宙の本源本質である。原因なき原因である。
宇宙生命は見えない。見えない生命が現象として万象万物を現象化させている。
このことが理解できれば、すべては1つなるものの顕れであることが理解でき、現象界で争いを起こすことはなくなる。現象は仮相であり、実在しない世界であり、この中で死んでも現象が変化するだけで死ぬことはない。宇宙には死は存在しない。現象我変化するだけである。
原因は神の細胞であり、結果として現象があるだけである。現象はなくなることはない。質料が普遍原質の戻るだけである。宇宙は不変不動、不増不減、不生不滅の永遠なる1つなる生命体である。




2024年2月23日金曜日

天気 元気 やる気


天気 元気 やる気

宇宙は1つなる生命エネルギーだけが独存している。宇宙に実在しているのはプロフェクトバランス。生命エネルギー。愛の法則のみが実在している。
永遠なるフリーエネルギー、生命エネルギーが宇宙の本源本質である。
天気とは天は気エネルギーである。元気とは元は気エネルギーである。やる気とは気によって動いているということである。
すべては気の現象であり、気の顕れとして万象万物は現象化されている。
宇宙は中性エネルギーであり、意識によって何でも顕すことができる世界である。
良いことも悪いことも自由に顕すことができる霊界である。霊界には姿、形は存在しない。
存在しているのは幽界である。霊界は無形無双に空の世界である。光の世界である。
今、姿、象の中に自分がいるということは固体波動の中に居るということになる。
本来の我が外の現象を信じた結果である。この固体波動から空の波動に高め、固体波動から気体波動に意識波動を高めて行かなければならない。自分で落とした波動は自分で上げて行かなければならない。自分の波動は他人が上げることはできない。自分で下げた波動を神様、助けて下さいと物乞いしても上げることはできない。我は神であり、乞食ではないのである。
神の化身なのである。神の自覚とは自分は神であるという意味である。


 

人間は神の顕現道具


人間は神の顕現道具

宇宙は1つなる生命であり、1つなる生命が様々な現象を顕している。様々な現象があるのではなく、1つなる生命が様々な現象を顕しているのです。
宇宙は無限生命であり、1つなる生命体である。
1つの生命体の中に2つは存在しない。見えるものは現象であり、存在しないということになる。
すべては1つの無限生命、普遍生命である。生命は見えない。見えない生命は何かの媒体を使わないと顕すことができない。顕す媒体が現象である。見えるものの中には必ず生命が宿り、形態を顕している。見えるものは生命の顕われとして現象化している。
見えるものは見えない生命の表現として現象している。見えるものは生命によって生命の住処として顕れている。現象は物質ではなく、細胞体である。細胞は新陳代謝を常に繰り返し、常に入れ替わり、形態を維持させている。生きているのは肉体ではなく、細胞が生きているのである。細胞は1つなる細胞が集合化して形を顕している。外観は細胞に集合化されたものであり、人間が居るのではなく、細胞体があるのである。
宇宙は1つなる細胞体であり、人間は1つなる宇宙細胞体の一部の細胞体である。太陽系も銀河系も、島宇宙もすべて宇宙細胞体の中の一部である。
現象はすべて1つなる宇宙細胞体の化身である。宇宙は無限生命、普遍生命体のみが実在している。




 

人間が現象界で成すべきこと


人間が
現象界で成すべきこと

1つなる生命の中に2つは存在しない。見えるものは存在しないということになる。
何故、現象が顕われているのか?
現象は無限なる生命エネルギーが現象を通して顕現させる為に顕れている。
問題なのは人間が神の無限大の生命エネルギーを顕現する媒体を自分と錯覚し、神の顕現道具を勝手に使って、勝手に自縛している。
本来は永遠なる生命体であり、神以外、何も存在しないものを人間が存在すると勘違いをしてしまっている。それは人間には自由意志が与えられている為に間違いを起こしている。
本来の使命は天の無限大のエネルギーを人間と云う形態を使って地上界に生命エネルギーを顕現させる為の顕現道具として現象化させている。
人間は神によって造られた顕現道具を神にお返しし、神の道具として肉体を使って行く。
人間と云う名前は顕現道具を人間と名付けているだけで、人間は生まれる時、命名と書くのは肉体の名前ではなく、内在する生命、神の名前なのである。
人間は神であり、神の器である。人は神なり、神は人なりである。



 

2024年2月22日木曜日

我は生命である


我は生命である

宇宙には1つなる生命以外存在しない。宇宙に実在しているものは1つなる生命のみである。
様々な見えるものがあるがそれは1つなる生命が現象化させているものである。
聖書にも「すべてのすべてありてあるのものすべては神である。生命である」と。
この言葉を素直に認めれば良いのです。真理は1つである。2つあることは間違いですが。
現象界で神を外に求めたり、現象の中で神を信じることは間違いになる。
それは1つなる神とは自分の中にある生命なのであるから。神とは生命のことであり、1つの神と云うのは1つの生命が様々な形態を造り、その中で生命活動をしているものが神なのである。仏なのである。1つなる生命がなければ人間という現象は顕れない。すべての万象万物も顕れることはないのである。法則が神なのである。仏なのである。生命なのである。
現象界は陰の世界であり、この仮相界で争いをすることは滑稽なのである。この世はバーチャルの世界なのです。

 

地上界の食べ物


地上界の食べ物

エネルギーには3つのエネルギーが存在している。

固体エネルギー、液体エネルギー、気体エネルギーである。現象は固体エネルギーである。
固体エネルギーは石炭であるが、非常に不純物が多く含まれ、エネルギーに変換するには周りに害を与えてしまう。固体エルギーよりは液体エネルギーは害は少ないが不純物がある。気体エネルギーは不純物は出さない。
固体エネルギーからエネルギーを取り出す時、不純物が多い。食べ物からエネルギーを取り出す時、非常に効率が悪い。ごみ箱から餌を取りだすようなものである。
気体エネルギーが固体エネルギーを現象化しているのなら。直接気体エネルギーを取った方が害は少ない。固体から気体へエネルギーを取るように変えなければならない。しかも気体エネルギーは無料である。
我は気体エネルギーそのものであり、自分で造った敢えて低波動の不純物の多いものからエネルギーを取ることはしなくても。

 

2024年2月21日水曜日

この世は気づきの為の現象界


この世は気づきの為の現象界

宇宙は1つなる生命体。万象万物は1つなる生命の現象。すべては1つの実在があるのみである。
人類は実在しないのに実在していると錯覚している。まだ幼児期な存在なのである。
何故、幼児期なのか?というと1つなる生命体の中に居りながら、人間も実在していると思っていることである。宇宙は永遠なる生命の中に居ながら有限なる生き方をしている。これが理解できないのである。
すべては生命の現象であり、こ゚の生命が存在しなければ万象万物は存在しない。
宇宙は完全なる生命体である。完全なる生命体の中において不完全なるものは存在しない。
人間は存在しないが、人間は永遠なる中に居ながら、実在しない生老病死の現象に囚われ、この四苦に持て遊ばれている。宇宙はすべてバランスであり。アンバランスが現象を不完全にしていることにまだ気づいていない。
人類は生命の結果であり、実在しないことに気づかない。
外を見ると他人に見えるが内を看ると自分であることに気づかない。
自分で自分を殺している。殺していると云っても現象なので、本源本質は死ことはないが。
現象の克服が仮相人間の気づきが最大の課題である。




 

陰と現象


陰と現象

宇宙は1つなる光体である。万象万物は光の陰として現象化lしている。
見えるものは固体エネルギーとして顕れている。液体エネルギーは形はf持たない。
気体エネルギーは見えない空エネルギーである。
この世の現象界は三位一体である。気体エネルギーが液体エネルギー。固体エネルギーを現象化させている。
人間は固体エネルギーである。非常に低いエネルギーなのである。
気体エネルギーが固体エネルギー、液体エネルギーを顕している。
人間は固体エネルギーであり、液体エネルギーであり、気体エネルギーである。
意識が姿、形に行けば固体エネルギーになり。内なる生命に意識が行けば気体エネルギーになる。内なる気体エネルギーが外なる現象として固体エネルギーの見える姿、形を顕している。
すべて三位一体の1つなる生命体なのである。
人間という顕現道具は内なる気体エネルギーを顕現する為に造られた顕道具なのである。
この道具に生きてしまうと、波動が低くなり、本来の気体エネルギーに戻ることが出来なくなる。
今、現象化しているということは波動を下げてしまったという証である。
この波動を上げるには三位一体の空波動に意識を合わせなければならない。
イエスが云われているように
この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如し。という言葉で説明されている。
本宿は空なのである。



2024年2月19日月曜日

現象は心の顕れ


現象は心の顕れ

宇宙は1つなる生命体である。宇宙は中性エネルギー体である。原因なき、原因。生命エネルギーである。
これが宇宙の根源である。宇宙の根源神である。
神とは火と水である。
火と水の完全調和体が宇宙生命体である。これが全知全能の力であり。知恵であり、創造の原理である。
この1つなる生命が万象万物を通して全知全能の力、知恵を顕現している。
現象を顕している中には必ず現象を顕す本源本質の分霊が内在し現象を顕している。
地上界に放浪して居ても本宿に戻る神の種が蒔かれている。こ゚の種は1人、1人のすべての人類に蒔かれている。この中心なる光の種が外なる現象を顕している。これが本当の我であり、この内なる我に現象界で気づき、本宿に元って行く作業を今生で成さねばならない。
有限なる我から永遠なる生命に戻って行く。これが現象界で成さねばならない使命なのである。

 

人間は全知全能の神の力、知恵を顕す顕現道具


人間は全知全能の神の力、知恵を顕す顕現道具

宇宙には1つの生命体が実在しているだけである。
この1つなる生命が神我顕現で現象化しているだけである。すべては1つの生命体である。
現象を見る為に現象があると思い違いをしているだけである。現象は顕れであり、それを顕している原因があるということである。
イエスはこの顕している原因を生命のパンとかイースト菌と云われている。
お釈迦様は憶念しなさいと。自灯明、法灯明を汝の主としなさいと。
イエスもお釈迦様も同じことを云われている。宇宙法則。生命のことを云われている。
生命がなければ人間の現象を顕すことができない。万象万物も現象化されることはない。
宗教家は人間はどのように生まれて来たのかを知らずに仏に教えを説く。原点を知らず、教えを説く。原点を知れば生き方が自然と解る。宇宙の法則を理解することで自ずと答えがでてきる。聖書も仏典も言葉の背後にあるものを顕そうとして書かれているのである。
生命。法則を理解するためのものなのである。真理は1つである。聖書も仏書も真理に従って修正しながら読み解く必要がある。


 

現象の我は本来の我ではない


現象の我は本来の我ではない

実相と仮相。現象は仮相である。消え行く存在であり、偽物である。本物ではないということである。
今まで見える現象を自分と見て生きて来た。
原因結果の法則である。結果は現象であり、これを自分と信じて生きて来た。それが間違いだと気づかされた。死ぬのは当り前と思ってきたが、永遠なる世界の中に居て有限なるものはない。有限だと思っていたのは自我という迷妄であることが理解できた。
宇宙生命は1つの永遠なる生命体であり、その中で生命活動をしているということなのであった。1つの中に爭いはない。1つの生命なのだから。
現象は波動が低い為に現象として顕れるが、波動が高ければ現象として顕れることはない。
自分が波動を下げてしまった為に生老病死に巻き込まれていたのである。生老病死は仮相界の現象の出来事であり、波動が上ればこのような現象に囚われることはなくなる。
今まで現象界に生きて来てしまったが、本来の成すべきことを果し、昇天して行かなければならない。現象の仮相に惑わされず、本来成すべきことを成さなければならない。


 

2024年2月18日日曜日

本来の我は生命である


本来の我は生命である

宇宙は1つなる生命のみが独存する。
宇宙の万象万物は1つなる生命の化身である。
原因結果の法則であり、原因は見えない生命、結果は見える現象である。
すべての原因は生命であり、結果は様々な現象である。すべての原因は1つであり、これが宇宙の現象を生み出す原因である。
原因は見えない生命である。現象は見える。今、現象の中に居るということはそれを顕す原因があり、それが我であるということになる。現象は実在していない。それを顕しているものが我であるということになる。見えるものはすべて消極であり、実在していないのである。
モノの見方は見えるものにはそれを顕す原因があり、それが本源本質であるということになる。自分も見える現象であるということは本当の我は見えない生命であるということになる。
今まで見えるものだけを見てきたが、見えるものはすべて仮相であり、偽物であり、それを顕しているものが本物であるということになる。見えるものはすべて偽物、本当に我は見えない生命が我であった。



我の使命


我の使命

宇宙に生命は1つである。その化身として万象万物が現象化している。
宇宙は1つの細胞体である。宇宙はプロフェクトバランスである。完全なる愛の法則、生命体である。
宇宙は完全なる永遠なる生命体である。この中に万象万物は現象化している。完全なるものの中に有限なるものは存在しない。
完全なる中に現象化して居て不完全は存在しない。人類は生老病死の四苦に惑わされてしまうということは完全なる法則の中に居ながら、この法則から外れる生き方をして完全なる中に居ながら不完全なる生き方になってしまう。生老病死は完全なる生き方の法則から外れたためにメッセージとしての警告なのである。
現象の中には本来の我である神の種が宿している。この神の種に気づき使命を果すことで肉体から離脱して行く。離脱できなければ使命を果すことはできない。
我は姿、形ではなく、見えない生命なのである。生命が仕事をするために現象として顕わているのである。



 

本来の我が仮相の現象から抜け出せない


本来の我が仮相の現象から抜け出せない

宇宙は1つなる無限生命体である。宇宙にはこの永遠なる宇宙生命の他に存在しない。この無限生命が万象万物を顕している。
原因である無限生命が、結果である現象を顕している。すべては1つなる生命が様々な現象を顕し、生命活動をしている。
現象界にいる人間はこ゚の識別が理解できない。現象界でも見えない意識が肉体を通して顕れていることは何となく解っていても現象意識から離れられない。
現象しか信じない。見えるものしか信じない。
宇宙は1つなる永遠なる生命体であり、すべての万象万物は1つなる生命の化身として顕れている。現象界も見えない意識によって肉体が動かされていることに気づかない。
これに気づいたものから、本来の我に気づき、現象界から離脱し、地上界の波動を上げて行かなければならない。

 

2024年2月17日土曜日

永遠なる生命が現象を通して生きている


永遠なる生命が現象を通して生きている

人類は仮相である。この仮相をあると信じて生きている。実在しない幻想界に身を置いている。
この現象界を実相界と思い違いをして、仮相界に身を置いている。
この現象界に身を置く為、生老病死という四苦に囚われ、持て遊ばれている。エネルギーを抜かれている。その結果昇天できずに低波動の人間の波動から抜けだせないでいる。
これに気づくまで輪廻が繰り返される。現象に生きるとは消極なるベクトルの中で生きることになる。エネルギーが無くなる生き方をするということなのである。
宇宙は永遠なる生命界であり、生命界が現象として顕している現象に惑わされて生きてしまったために現象として顕れている。波動が低い為に現象化している。
宇宙は1つなる永遠なる神、仏である無形無双の我が現象として顕している世界である。
現象は生命の化身なるものを現象を見て実在していると信じて実在しない生老病死の現象界に身を置いている。本来の我は現象ではなく、無形無双の実在の我、空である。


 

現象は仮相 光の陰


現象は仮相 光の陰

宇宙の本源本質が実相であり。すべての原点である。全知全能の力、知恵、創造の原理、これが宇宙の根源である。これが実相である。
現象は様々な形態があるが、それはこの1つなる実相によって創造されたものが現象として顕れているに過ぎない。
人間も然りである。1つなる生命の現象である。姿、形には何の力もない。姿、形を顕している生命が全知全能の力であり、知恵であり、創造の原理である。現象を通して御業を成しているのは形態を創造している神であり、仏なのである。
見えるものに囚われてしまいそうになるが、現象の姿、形には一切、力はないのである。
表現するだけなのである。楽しいと思えば楽しい表現をする。悲しいと思えば悲しい表現をする。人を殺せと思えば逆らわず、忠実に表現する。それが肉体である。意識に忠実なだけなのである。意識の通りに動くだけのものである。
肉体は意識に忠実に動くロボットであり、ロボットを幾ら鍛えても成果はない。意識を鍛えることの方が大切なのである。肉体鍛錬ではなく、意識鍛錬なのです。
陰は意識によって動かされる。人間は陰であり、人間は意識によって動かされているのである。意識は1つであり、神意識があるのみである。自我意識は存在しないのである。


 

我の原点は生命なり 光なり


我の原点は生命なり 光なり

宇宙の原点は1つなる生命である。すべての万象万物は1つなる生命の現象であり、見えない原因なる生命が見える万象万物を結果として顕している。
すべての本源本質、原点が1つなる生命体である。
見えるものは見えない久遠の生命の顕われであり、生命が宿らなければ、現象化できない。
今、現象界に仮相として変化して止まない世界に今の我は存在している。これは自分の自由意志で自分が意識したために現象化している。意識しなければ現象化しないのである。
現象は久遠世界にある顕れである。
宇宙は完全完璧なる1つなる生命体であり、永遠なるとこしえの世界、生命の世界。
宇宙には1つなる生命以外、何も存在しない。こ゚の生命が我が中に宿り、我の内なる生命が宿り、外観を顕している。
見えない我は我が中に宿っている。現象は内在している生命が必ず宿り、顕している。
この内在している本当の我に気づき、生命、光に戻る為の現象界である。仮の宿、俗世と云われている実在しない現象界である。


2024年2月16日金曜日

自我の心


自我の心

宇宙には1つの生命体があるのみである。1つなる生命の中に自我は存在しない。自我は自ら造る迷妄である。
自我とは1つなる生命が様々な現象を通して具現している。この具現している現象を見て実在していると錯覚し、あると信じる心が自我という心を創り出す。宇宙には1つなる心、良心のみが存在しているだけである。
現象を見てそれをあると思う心が造り出してしまう。サタンである。サタンは自分が創り出す悪魔なのである。
サタンは自分が創り出していることに気づかない。
この自我が争いを引き起こすキッカケになってしまう。見えるものは見えない1つなる生命の顕われであり、現象を見て様々な心があると錯覚してしまう。これが自我である。
現象は1つなる生命の顕われてあり、1つだと気づけば争いは生じない。
この自我の克服が人類の最大の克服しなければならない最重要課題である。
現象は1つなる生命、無限大の生命エネルギーを受け流す媒体として人間という媒体が創造されているのである。現象界で人間が生きるためではないのである。
現象が顕れているということは波動が荒く、原点、(原天)には戻れなかったという証なのである。落第生ということである。我も落第生なのである。
本来の我は生命ねルギーそのものであり、空そのものである。

 

サタンとは


サタンは1つなる生命の中にサタンは存在しない。それは自分が創り出す迷妄である。
宇宙には1つなる生命が存在しているだけなのである。
どうしてサタンが生まれるのか?それば1つなる生命を分離感を持って見てしまう為に起こる現象である。
宇宙は1つなる生命体であり、永遠なる生命体である。現象は諸行無常の変化の世界である。
現象にだけ目を奪われるためにサタンを自ら造りだしてしまう。
現象は常に変化して止まない消え行く世界である。この世界に目を奪われ、見えるものに囚われてしまっている。その為に人間は生老病死という四苦に囚われている。
宇宙に現象、見える世界は存在しないのである。現象は1つなる生命の化身であり、1つなのである。
宇宙は1つなる生命体であり、永遠なる生命の中に有限なる人間は存在しないのである。
サタンとは現象を見て自己保存の為に自ら造り出す迷妄にしかない。
サタンは自己顕示欲の象徴である。悩み、恐れ、不安は神から外れた代償の償いなのである。
不安、悩みがあるということは宇宙の法則違反で生きているということである。


2024年2月15日木曜日

分身分霊


分身分霊

人間を分身分霊と書く。人間は質料と霊である。
子の分身分霊が更に分身分霊を造り、分列して行く。分身分霊の本源本質は1つなる生命、神である。
現象は霊によって分身である姿、形が現象化している。
すべての本源本質は1つなる霊である。生命である。生命によって分身分霊が分裂して行く。
分身は分霊によって現象化している。現象化しているものには使命が与えられている。
宇宙は1つなる生命体である。無限生命であり、久遠である。
この久遠なる生命エネルギーを顕現する為に生命が生命の化身として現象化させている。
分身分霊は分身が見えるだけで、本源である顕している霊は見えない。
この分霊が本来の我であり、分霊が分身を顕している。
現象に囚われてしまうと内なる自分に気づかない。
人間は万物の霊長と云われ、すべてが霊であり、霊によって現象が顕れているのである。
分身分霊とは生命によって分身が顕れている。
宇宙は1つなる生命の化身なのである。1つなる生命の現象が万象万物なのである。
現象は消え行く生命の現象、生命は永遠なる生命エネルギーである。すべてエネルギーの顕れであり。宇宙はエネルギーである。生命エネルギーは全知全能の力、知恵、創造の原理である。宇宙は1つなる永遠なる生命体である。


 

人間という迷妄


人間という迷妄

宇宙は1つなる生命体であり、1つなる生命の中に2つは存在しない。現象は1つなるものの顕れで2つで1つである。
原因である実在しているものは見えないが、現象は結果として見える。象(カタチ)あるものはすべて仮相である。1つの生命の顕われになる。
人間には自由意志があり、何でも自由にできるため、この現象を我であることを疑わない。
宇宙は永遠なる生命体である。永遠なる生命の中に居て有限なるものはないことに人間は気づかなければならない。宇宙の永遠なる生命の世界に有限なる人間の生き方は存在しないのである。
キリストも「この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如し」と云われている。
現象に生きると本来の空の我に戻れなくなると。
現象は見えるが故に、触れるが故に実在しているものと錯覚してしまう。
この人間という迷妄からの脱却が人類の最大の課題である。物質文明が発達すればする程、本質に気づかなくなる。



キリスト教 仏教とは


キリスト教 仏教とは

キリスト教も仏教も同じようにキリストが聖書の中でこのように云わている。お釈迦様も経典の中でこのように云われていると宗教家が話される。
キリスト、お釈迦様が云おうとしていることは目に見えない法則を理解させるために例え話を使って話されているのである。
例え話を現象界で教えとして説いてしまった。
仏教とは仏の教えではなく、仏とは何かを教える。キリスト教はキリストとは何かを教えるものである。それを仏教は仏の教えと勘違いし、経典を説いている。
キリスト教もキリストがこのように云われていると聖書を紐解いている。
聖書も仏書もその背後にあるものを示そうとして書かれている。
仏陀もキリストも現象を顕している宇宙法則のことを示そうとしていたのである。
現象はそれを顕す原因がある。原因なき原因。それが永遠なる法則であり。法則通りに生きることで、現象に囚われなく生命に生きることを云われている。
宗教とは宇宙の法則である。生きているのは生命が生きているのであって人間は生命の化身である。



2024年2月13日火曜日

北風と太陽


北風と太陽

コートを脱がそうとする北風と太陽の童話であるが、この童話は現象から見る童話ではないのである。
北風とは自我の心、太陽は良心である。
外なる現象がコートであるが、このコートは自分で身に付けた邪心であり、この邪心を取り除く為に風で吹き飛ばそうとすると余計にコートをしっかりと離さない。脱がすには暖めれば自らコートを脱ぐように自分の邪念は内なる太陽の光を強くすることで、邪念は起きなくなる。中心は太陽であり。意識を中心に集めることで邪念は消えて行く。
邪念は実在しないもので、自分が造る心なのである。
宇宙は1つなる太陽、1つなる心が実在しているだけである。現象は1つなる生命の顕われであり、1つなのである。これを現象があると思う心が邪念、自我の心である。
分離感が造る心が善悪の木の実である。
人類の善悪の心の克服を神は気長に待ち続けている。
善とは神であり、神は人なり、人は神なりである。人類は神の分け御霊なる神そのものなのである。


 

現象とは何か


現象とは何か

宇宙は原因なき原因、無形無双の生命である。
中性エネルギーである。
この1つなる生命が様々な形態を造り、現象化させている。これが宇宙の法則である。
この法則によって様々な形態が生まれ、生命が活動をしている。
人類は神に似せて造られており、自由意志が与えられている。この自由意志は宇宙法則の中で使うべきものを人類は法則違反をして、現象で使ってしまった。
浦島太郎の開けてはならない玉手箱を開けてしまった。
これが人類の罪なのであるが。すべての番所万物はすべて神の被造物である。
被造物の中には必ず神が宿り、形態を維持している。神に戻る切符が隠れているのである。
自分だけが使える神の切符である。この切符は他人が使うことはできない。永遠なる生命の切符である。この切符は自分の中に探さば必ずある。この切符を現象界で探しだし、本来の我に 戻って行く、仮の宿は現象界である。
イエスがこの世で死ぬものは再びまた生まれると。切符を手にするまで。


 

2024年2月12日月曜日

死は現象に生きる為に起きる現象


死は現象に生きる為に起きる現象

現象とは形が顕れると書く。現れたものには必ず顕すものがあるということになる。
宇宙は1つなる無形無双の生命エネルギーであり、姿、形はない。見えない空エネルギーである。
空には現象の生も死もない。
原因世界、すべての現象の生命界は空である。現象は空が現象化しているだけで、姿、形は存在しない。
現象界だけを見れば生老病死があるように見えるが、生老病死は生命によって現象化されているだけで質料が変化しているだけで、現象が生きているのではなく、現象を顕している空が生きているのである。
人間は人間が亡くなると葬式をするが、生命が質料を纏っているだけなのである。
生命は何かの媒体がなければ顕すことができないのです。現象は生命が現象化しているのであって、現象が生きているのではないのである。現象は生命を顕すための衣装にしかすぎないのである。本来の空は不生不滅、不増不減なる永遠なる生命体である。
死なない生命を形だけを見て葬式をしている人間は偽りの世界に生きる仮相の住人である。
すべての根源は生命エネルギー、神、仏である。神様、仏様がいるのではない。空エネルギーが神、仏なのである。見えるものはすべて偶像である。この世界から抜け出すための現象界なのである。




 

生命エネルギーがすべての根源


生命エネルギーがすべての根源

宇宙は1つなる根源エネルギー、生命エネルギー、中性エネルギーによって宇宙が形成されている。
万象万物はこの根源エネルギーによって具現され、現象化され、根源エネルギーが生きているのである。
この1つなる宇宙生命が現象化させている。人間も生命が現象化されたものなのであるが、人間は神に選ばれた特別ものであると錯覚してしまった。哀れである。本当のことが理解できなかった。聖書にも人間は宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれたと。記されている。
人間は万物の霊長、神に似せて造られたものでありながら、地上界を荒らし回り、自らの住処も壊し続けている。これが万物の霊長がすることなのか?
宇宙は完全バランスであり、災害は人類が地上界をアンバランスにする結果として様々な災害がバランス調整という形で修正される。これを幼稚な人類は人災を天災と呼ぶ。悪いことをして居ながら、罪を天に擦り付ける。これが今の人類の姿である。
現象は宇宙生命によって具現化されている。人間も生命の具現化されたものであり、人間は実在していない。
人間は文明を発達させていると思っているが、これらはすべて神の御業、生命の御業なのである。



 

2024年2月9日金曜日

現象は光の陰


 現象は光の陰

宇宙は1つなる生命のみが実在する。2つは存在しない。現象は存在しない。すべて1つなる生命の現象である。
動植物のは逆念はない。人間にだけ自由意志が与えられている。
この人間に与えられた自由意志を分離感で自分がいると勘違いして使ってしまった。見えるものをあると信じて仮相界で我物顔で地上界を荒らしまわっている。情けない人類である。それだけ幼児期な人類であるということなのであるが。
宇宙は1つなる生命体であり、現象は1つなる生命が顕現する為の人間という媒体を造っているのである。こ゚の顕現道具を自分と錯覚し、使ってしまった。
その為永遠なる生命の世界から見放され、有限なる仮相の世界に留まって居る。
永遠なる生命が有限なる固定観念なる世界から抜け出せないでいる。
本来の我に戻ることができずにいる。
光りの我が陰に我に身を置いてしまった。見えるものはすべて陰であり、陰があると信じて生きている。陰は光があっての陰である。
陰は光がなければ陰は存在しない。見えるものはすべて陰である。
光りに生きれば影は存在しない。見えるものがあるということは陰に生きているということなる。
人類はこの仮相界から脱却しなければならない。人類は1人、1人は神の子なのである。
汝の神は汝自身なり。汝の仏は汝自身なり。なのである。
人類はこれが理解できるまで、再生される。天に戻れば輪廻はない。輪廻は現象界にある現象なのである。陰の我から光の我に変性させる。これが何を差し置いても現象界で成さねばならない大事業である。


自分探しとは


自分探しとは

今いる自分が自分ではないということになる。
では何が自分なのか?
宇宙は1つなる生命体であり、1つの生命体が様々な現象を顕している。
現象だけを見ると様々な姿、形があるように見えるがその顕しているものは1つの生命である。
人間も1つなる生命が形を止って人間という姿、形を顕している。万象万物は1つなる生命の顕われなのである。それでなければ無限生命にはならない。
見えるものがあると信じていたが、本当に自分は現象を顕している無形無双の生命が我であることに気づく。これを現象界で気づくことが自分探しである。
現象界で本当に自分に帰ることができなければ本当の自分に帰ることはできない。
現象界で自分に帰ることができなければできるまで繰り返し、輪廻が繰り返される。昇天するまで。人間という生老病死の実在しない仮相に振り廻されて。生老病死は気づくために用意された教材なのである。この素晴らしい教材を使って昇天して行くのである。自分探しの教材は否定してはいけない。この教材がなければ気づかないのであるから。不完全なる教材は完全なる我に気づくための教材なのである。

 

2024年2月8日木曜日

すべての答えは裡にあり


すべての答えは裡にあり

生命は現象の中心にあり、内なる生命が外に顕現し、現象として顕れている。
現象だけを見てあると思っているものには理解ができない。内なるものが外なるものを顕している。
見えるものはすべて内なる生命が現象化させている。人間は現象にだけ目を奪われ、現象を顕しているものに目を向けない。

見える現象は実在しない幻想であり、幻想には何の力をない。朽ち果てて行く中で見守るしかないのである。力があれば修復することもできるが、幻想の姿、形には修復する力はない。

見えない生命が現象として顕れているものには何の力もない。
内なる生命は永遠なのであるがこれを信じない為に力が使えない。
折角、持っている力は永遠なのにこれを使うことができない。これが人間の生き様である。
永遠なる生命の中で有限なる生き方をする。惨めではないか?。それにも気づかないで、死を受け入れている。死ぬのは当り前と。現象、見えるものは消え行くもの、消え行くものは永遠なる生命の化身であることに気づけば有限なるものに生きることはなくなる。
この事に気づくために現象界に休憩しているのである。


 

人間の生き方が真逆なのである


人間の生き方が真逆なのである

超能力を出そうとする時、有名な大学で学んでも出すことはできない。知識を学んで超能力はでない。
超能力を引き出す時、脳幹部の思考を停止させる。
今まで五感で判断していた思考を停止させることで、能力を引き出して行く、無我の境地、その人間という思考を停止する。
これはどういうことなのかというと、人間は実在しないということになる。学校で学ぶことは決められた枠の中で生きる人間を作る。ロボットを作るということになる。
人間という媒体は無限大の宇宙生命を顕現する為に造られている。
人間は神の子であり、神の器なのである。
宇宙は全知全能の力であり、知恵であり、創造の原理げである。これを顕現する為に現象化している。これに気づき、本当の我に戻る、
イエスもこの世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如し。という言葉で話されている。
知識を学んで能力を出すのではなく、五感をシャットアウトするこで能力が出てくる。
これが理解できれば人生が真逆なことに気づくのではないか?n
また素直に考えて無限なる生命の中 では死はないことも理解できるのではないか。


 

2024年2月7日水曜日

宇宙に死は存在しない


宇宙に死は存在しない

宇宙は1つなる永遠なる無限生命である。無限生命の中に死は存在しない。死と云うのは形を意味する。無刑無双の中性なる生命体には姿、形はない。
見えるものがあるということは現象であるということになる。すべては1つであるというこである。小学生でも解かることである。
見えるものは見えない1つなる宇宙生命の化身であることが直ぐに理解できる。
故に現象という字を当てているのである。実在しているのなら現象とは云わないだろう。
宇宙は1つなる生命は全知全能の力、知恵でもあり、創造の原理である。
宇宙は絶対なる生命法則によって成り立っている。不変不動の完全バランス。
これをイエスは原因なき、原因と云われている。すべての根源が宇宙法則である。
宇宙は不変不動の中性エネルギーである。エネルギーには死はない。
死は現象界にあるのであって生命界には存在しない。
現象界は生命エネルギーが表現媒体として使ってる媒体である。生命を顕す為には媒体が必要になる。その為の表現媒体なのである。本来の表現媒体は生命エネルギーを顕現する為に生命によって造られている細胞放射体なのである。
宇宙には生命があるのみで見える万象万物は生命を顕現する為に生命の化身として現象化しているだけである。
生命の顕現道具を人間は勘違いをして自分であると信じて生命によって造られたものを勝手に使い、諸行無常の現象に囚われ、本来の我に気づかず、朽ち果てる我を信じて生きている。
現象に生きる為に死という現象を認めてしまう。認めたものは顕れる。
小さな時から、外なる現象に生きるように洗脳されている。これを内に向けなさいと言っても理解できない。答えは内にあるのに外に答えを求めてきたものにとっては真逆の生き方なので、これを理解するには時間がかかる。固定観念を持ってしまうと中々漂白は効かない。



中心なる心 現象なる心


中心なる心 現象なる心

1つなる宇宙。1つなる宇宙の現象として万象万物が顕れている。すべては1つなる生命が存在するだけである。
すべては1つなる生命の現象のであり、其処には争いもない。
宇宙は1つなる生命体であり、1つなる生命は全知全能の力であり、知恵であり、創造の原理である。
この1つなる生命、中心生命が宇宙の根源になる。
この中心なる生命がすべての現象を顕しているが、人間はこの現象だけを見てしまう為、分離感が生じてしまう。
この分離感が中心生命との分離感を生み、現象世界に囚われて生きてしまう。中心生命は永遠であるが、現象に生きると有限になってしまう。
これがまだ人類が克服できない課題である。現象は実在しない。宇宙は1つなる細胞体である。現象はこの細胞体の集合体の象である。見えるものは見えない生命の現象であることを理解して行く。


 

2024年2月5日月曜日

イースト菌 神の種


イースト菌 神の種

宇宙は1つなる生命体であり、フリーエネルギーである。イースト菌の世界、生命の世界である。
この宇宙の塵に宿り、イースト菌、生命が増殖し、生命活動をしている。
万象万物にはこのイースト菌なる神の種が分裂し、生命活動をしている。
人間も内なる神の種が生命活動をしている。こ゚の種火が外部の影響を受けて消えそうになっている。こ゚の生命の火種に油を注ぎ、生み出された細胞を光る細胞に戻して行かなければならない。自我という邪念が邪魔をしている。邪念は現象を見ることで発生してしまう。
宇宙は生命1元であるが、この自我という自ら造る邪念に負けて自分の住処を明け渡している。本当の我と偽心の我の戦い、ハルマゲドンの戦いである。
この戦いは内なる戦いである。現象に生きているものは邪心の心に負けていることになる。
肉に生きるは死であると。


 

我息は神の息


我息は神の息

息とは自らの心であり、心とは内なる心である。
中なる心、中心である。
すべては中心なる心の顕れである。心とはエネルギーであり、宇宙は1つなる心が存在するだけである。我息は宇宙の息と同じ息である。
我が裡に宇宙の息、心が宿っている。
ものごとを現象から見てしまうが、現象は結果であり、現象を顕している原因がある。
この原因が神の息である。
人間は宇宙の塵で人間の形を造り、息を吹き込まれたと云われている。すべての万象万物は宇宙の塵に息を吹き込まれて現象を顕している。生きているのは息であり、見える形態ではないのである。
宇宙は1息であり、この1息ですべての万象万物が顕れている。顕しているのはこの1息、生命エネルギーである。
現象しか見えないが、現象は外なる形であって形の中で生命が生きているのである。
菅、形は生きていない。内なる生命が形を止って現象を顕している。見方が逆なのである。
見えるものは現象であり、結果であり、現象を顕している原因があるのである。
息は心であり、生命エネルギーである。生命エネルギーは神である。
神、仏はこ゚の見えない生命エネルギーのことであり、宇宙の本源本質である。



 

2024年2月4日日曜日

中心エネルギー

 


中心エネルギー

エネルギーは内から外に流れて行く。エネルギーは外にはない。エネルギーは全知全能の力であり、知恵であり、創造の原理である。
外なる肉体には何の力もない。内なるエネルギーが肉体を通して顕れる。肉体を幾ら鍛えてもエネルギーは高まらない。中心にエネルギーが無限大に存在しているのである。
このエネルギーを引き出すには想念意識によって引き出す。引き出すというより、エネルギーを顕現する為に肉体があるのである。
人間が生きるためにエネルギーを使うのではない。人間は無限生命エネルギーを受け流す媒体なのである。
人間という顕現媒体は存在しない。神の顕現道具として神によって造られた神の道具なのである。
見えるものしか見ない為にこの道具を自分と勘違いしているだけに過ぎない。
宇宙は1つなる生命体である。1つの中に人間という見える存在はない。
人間は1つなる生命の現象であり、見えるものも見えない生命も1つなのである。
万象万物はすべて生命の化身なのである。すべて1つなのである。
現象の中心には無限大の生命エネルギーが存在する。こ゚の生命エネルギーを外に顕現する。
その為の肉体細胞体である。肉体を使って何かをするのではない。生命エネルギーを顕現する為である。その為に現象人間は神によって造られている。人間が生きる為には造られてはいない。神の宮である。
これを間違って使ってしまうとパンドラの箱を開けることになり、元に戻れなくなる。
今、戻れない我が現象界で蠢いている。
肉に生きるは死であり、生命に生きよと。キリストが云われている。



意識は1つ 宇宙意識があるのみ


意識は1つ 宇宙意識があるのみ

宇宙は1つなる生命体である。1つなる意識である。
1つの中に善悪はない。永遠なる善のみがあるだけである。善悪があるのは現象界の出来事である。
永遠なる生命意識があるだけである。
人類が善悪の中に居るということは神の善の世界から離れ、悪という存在しない邪念は見えるものを意識したために自ら創り出した迷妄に囚われたということになる。
それが人類の犯した罪であり、罪とは宇宙の法則違反のことである。
法則を犯しておいてその罪を認めない。まだまだ幼児期な人類であるということである。
宇宙は1つなる完全なる永遠なる宇宙生命体である。すべての万象万物はこの永遠なる生命の中で現象化されている。人類は宇宙生命が現象している姿、形である。それを自分が生きていると勘違いをしている。これは大きな宇宙法則違反であり、分離感である。
現象界で様々な神を祀り、自分の神が一番正しいと信じている。
宇宙は1つの生命体である。神とは生命のことであり、神とは自分自身の中にいる生命が神なのである。
これから人類は全てが1つの生命の顕われが、五十数億の人類を現象として顕されていることことに気づかなければならない時期に来ていると思う。
宗教が争う次期は過ぎました。
現象の宗教は21世紀には存在しない。これから新しい時代が来ることになる。
天国には宗教は存在しない。宗教は地獄界にしか存在しないのである。
宇宙の無形無双の1つなる神の世界に地獄は存在しない。永遠なる平安なる天国だけが存在する。
地獄は人類が勝手に作り出した世界。善悪は人類が勝手につくり出した迷妄世界なのである。宇宙は1つなる善のみの久遠常在のとこしえの世界、1つなる意識の世界である。


 

2024年2月3日土曜日

人間は何のために存在しているのか


人間は何のために存在しているのか

宇宙は1つなる生命体である。現象が顕れているということはその現象が意味を持っている。
鉱物、植物、動物にもお役目がある。人間にも現象としてのお役目がある。
人間は神に似せて造られている。神の能力が与えられている。自由意志である。人間は万物の霊長と云われ。様々な霊の長である。
人間に与えられている使命は何なのか?
この地上界で人間が豊かに生きるためなのか?
人間が生きるために現象界が造られているのか?
宇宙は完全なる生命体である、神を完全である。人間は神に似せて造られているということは完全に造られているということである。完全な生き方をしなければならないということである。
使命とは命の使いと書く。生命は神であり。神の使いなのである。
神は生命エネルギーであり、こ゚の生命エネルギーを人間という媒体を使い、顕現する為に造られているということになる。
生命を顕現するということはどのようにするのか?
肉体に内在している神の種を使い、霊肉一体のすることで、光を放射させ、地上界の波動を上げて行く。これが人間の顕現媒体を使う意味である。
生まれた時に名前を付ける。命名と書く。命の名である。外なる肉体の名前ではないのである。



 

不変不動の我


不変不動の我

宇宙は1つなる中性であり、不変不動の生命体。不生不滅なる、永遠なる生命エネルギーである。
宇宙は1つの生命であり、様々な命があるのではない。
人類も1つの生命によって現象化している。様々な形態があっても1つの生命が形を止っているだけなのである。顕れているものはすべて現象であり。霊質料である。
1つなる不変不動の生命が様々な形態を顕している。
宇宙は完全なる生命体であり、永遠なる生命体。現象は様々な形態を顕していても顕している原因である生命は1つである。
原因は1つ。結果は様々。結果なる現象があるのではなく、結果を顕している1つなる原因がある。
1つなる生命が様々な現象を顕すことができるのは宇宙は中性生命だからである。原因なき、原因故に様々な現象を顕すことができるのである。
宇宙生命は1つなる原因なき原因なのである。生命とは不変不動の絶対バランス。このバランスが宇宙であり。我である。
宇宙は完全完璧であり。この中に居るものは完全である。人間には自由意志が与えられているため、完全なる中に居ながら、不完全なる使い方をしているだけである。これに気づくまで輪廻が繰り返される。宇宙は科学である。法則違反をすればその罪を償う。すべて完全に造られていながら、その中で不完全なる意識で使っているのは自分なのだから。




 

2024年2月2日金曜日

内なる心が造り主


内なる心が造り主

宇宙は1つなる心が実在しているのみ。宇宙心。
心とは生命であり、永遠なる生命、エネルギーが独存している。
現象はすべて内なる生命、全知全能の生命エネルギーの顕れであり、創造原理であり。生命はすべての本源本質である。
原因、結果。見えるものはすべて見えない無形無双の生命によって現象化している。
すべては1つの生命原理である。現象はすべて1つの生命原理により、様々な形態を顕している。
すべての本源本質は1つである。現象はすべて1つの原因から発している。
これに気づけば人類は争いを起こすことはない。まだまだ幼児期な人類と云うことになる。
それでも人間は自分中心に物事を考え、宇宙で一番偉いと思っている。
宇宙生命が様々な現象を顕している。顕れたものがあるのではなく、顕している原因があるのである、結果現象は霊質料であり、また普遍原質に戻るだけである。
この現象に囚われるということは自らの波動を下げるため、元の本源本質に戻ることができなくなる。自ら下げた波動は自ら上げなければならない。
イエスが云われているように出てきた所がわからなければ帰る所が分からないだろうと。
出てきた所は我が裡にあり。神から出たものは神に帰る。神は汝の手より足よりも近い所になると。