肉体は細胞の集合体であり、生命が肉体を現象化させている。この肉体をどのように使って生命エネルギーを顕現させて行くのか?
万象万物は生命エネルギーを顕現し、現象化させている。
人間は現象であり実在しない。でも人間は存在している。その事に疑わない。これが大きな間違いになる。
人間はこの世に生を受けて豊かな人生を歩みなさいと親から言われ、自分もそのような人生を送ろうとし、姿、形に生きようとする。この現象を如何に生きるかを殆どの方々が思っている。
この間違い気づいた方々から先に現象界から離脱することで、地上界の波動を上げなければならない。
人間という媒体は神の顕現道具として現象化していることに気づき使命を果さなければならない。
生きている内に成仏できなければ死んでは成仏できないと。 という意味は固体波動から気体波動にならなければ使命果せず、原点の気体波動に戻ることはできないということである。
現象界で1人、1人が生きている内に空波動にまで上げることが仮相人間としての使命である。これができるまで再生させられる。
肥田式強健術・聖中心道の鍛錬記ブログです。肥田先生は第二次世界大戦後、第三次世界大戦に向けて宇宙倫理の書を書かれている。何故書かれたのか。その意味は?宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体の中に争いをは存在はしないことを云われたのだろうか?焼失してなくなりましたが。それを紐解いて行くブログです。
2024年1月31日水曜日
肉体は生命エネルギーの顕現道具
人間は生命の化身として顕れている
何故、人間が現象化しているのか?
意味なくして存在はしていない、現象化している意味がある。
人間は万物の霊長と云われている。人間は神に似せて造られていると。人間は何をする為に現象化されているのか?
人間には自由意志が与えられているが、何故与えられているのか?
天地一体の惑星の中で現象を通して地上界の波動を上げる。生命エネルギーを上げるために人間という神の顕現道具を使って地上界の波動を上げるために人間の姿、形をした顕現道具が造られている。地上界の波動を自由に顕現する為に自由意志が与えられている。
この自由意志である神の顕現道具を自分と錯覚し、自分が生きるために使ってしまった。
この道具の使い方を間違えると、永遠なる生命なる我が、有限なる我の使い方になり、地上界に悪影響を与えることになってしまう。
それが文明が発達すればするほど地上界のバランスを崩し、天変地異となる。人類はこの事に気づかない。人間は神の化身であり、地上界の波動を上げる使命を果さなければならない。
生命によって具現化されたものから敢えてエネルギーを取らなくてもよくなる。
我は生命エネルギーそのものなのだから。
2024年1月30日火曜日
完全発酵と未発酵
宇宙は完全発酵状態、気体状態である。宇宙は1つなる生命であるということは完全なる状態、気体である。光である。これが本源本質である。
すべてこの原点からすべてのものが創造される。全知全能の力、知恵、創造の原理である。
宇宙そのものが中性なる本源本質である。永遠なる原因なき原因である。
現象として見えるものは未発酵のため、現象として見えているに過ぎない。これを完全なる発酵状態にするには人間意識を神意識に変性させなければならない。
その完全なる発酵にさせる種菌、神の種菌が我が裡に内在されている。
この神の種菌を使って人間という神によって造られた神の被造物に戻し、神の顕現道具として造られた本来の被造物としての役目に戻さねばならない。
神の顕現道具を外を見て自分と勘違いをして自分で自分を縛り、自縛しているだけなのであるから。これに気づくまで、輪廻が繰り返される。
形が見えるということは粗雑であり、未発酵なのである。すべては完全なるものが顕現道具として顕しているものを勝手に自分と思って使っているだけなのであるが。
我は原因なり 生命なり
宇宙は1つなる原因、生命なり。結果として万象万物、人間が現象として顕れている。
すべて原因がなければ結果は顕れない。現象化しているものは必ずその原因がある。
人間の原因は父、母ですか?
もし、父、母が造ったのなら、生まれる時も死ぬ時も解かるはずである。心臓は24時間、眠っている時でも止まらない。
宇宙生命体は無休運動であり、常に働き続けている。
人間は現象であり、原因は何か?
宇宙には1つなる生命だけが実在する。すべての万象万物は1つなる生命の顕われである。
人間は万物の霊長であり。現象化しているものはすべて霊なのである。
見えるものは物質と勘違いをしているから、現象なる見えるものは原因なる霊が形を止っていることが理解しづらくなっている、
宇宙は1つの霊体である。全てが霊であることが理解できれば、すべては無形無双に霊が原因であることに気づきやすい。
人間も霊である。霊止と書いて(ヒト)と呼ぶ
霊とは何か怖いイメージに思っていたが霊とは神、仏のことだったのである。今まで間違った解釈をしていただけである。宇宙霊、宇宙は霊であるということである。神、仏が霊であった。
2024年1月29日月曜日
生老病死の迷妄
宇宙は1つなる永遠なる生命体である。永遠なるものは有限なる見えるものは存在しない。
1つなる生命は無形無双である。万象万物は無形無双の現象である。
生命が原因であり、生命が様々な形態に宿り、生命が生きている。見える現象は生命によって現象化されている。
人間も宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれた。万象万物はすべて宇宙の塵にて造られ、息を吹き込まれて生きるものになっている。生きているのは生命が生きている。
想念は実現の母と云われるように意識によってこの世は現象化してしまう世界なのである。
形を見てあると信じてしまうとその波動と同調してその波動で動いて行く。
人間の形があると思うことで、意識波動が下がり、肉体があると錯覚し、人間の変化して止まない現象に囚われ、変化して止まない生老病死の四苦に持て遊ばれてしまう。
本来の我に戻ることができなくなる。
見えるものは現象であり、この現象は内在している生命を顕現する為に造られているものを勝手に自分と錯覚しているだけなのである。神によって造られた顕現道具を勝手に使っている。
罪人なのである。人間が存在すると錯覚しているものに善人はいない。
永遠なる我が有限なる我の中で自縛している
宇宙は1つなる永遠なる完全バランスの中に存在している。完全なる中だから生命が存在する。
生命は愛の法則であり、完全調和である。
これが宇宙の本源本質であり、根源である。
すべてのすべてありてあるものは完全バランス、生命である。この全知全能の力、知恵、創造の原理が宇宙であり、無形無双の神であり、仏である。
この永遠なる宇宙生命体の中に万象万物は生命によって現象化されている。
人間も無形無双の生命の現象であり。人間という名の生物は存在しない。生命の現象として顕れているに過ぎない。
バイブレーションが低い為に現象化しているだけである。天地一体。天が地の現象を顕している。原因なき原因。高バイブレーっションの気エネルギーが波動を下げて現象として顕れている。すべて天の顕れである。天が本当に我であることを現象界で何を差し置いても理解し、本当に我に気づく。我は現象に我ではなく、見えない我であることを知る。この事を知ることが今生で成さねばならない使命なのである。
内は造り主 外は破壊屋さん
宇宙は1つなる生命体。1つなる生命が様々な形態を造り、生命エネルギーが宿り働いている。
現象は内なる生命によって造られたもの。
造り主は永遠なる生命、造られたものは消極で変化して普遍原質に戻って行く。
原因は生命でありすべてのものを創造する力である。その現象として結果の見える現象が顕れている。外なるものは諸行無常の変化に世界である。質料は変化するだけで無くなることはない。不増不減である。変化しているだけなのである。
外なるものは破壊屋さんと云うのは現象をあると思う心迷妄が造り出す。迷妄の心は自我の心が造り出す。
人類はどうしてもこの迷妄から離れることができない。それを理解させるためにお釈迦様、イエスが降りて来られたが。
それが理解できずにまた誤謬化させてしまった。宇宙は1つなる愛の生命体なのである。原因なき原因、無形無双の生命体、永遠なる宇宙生命体の中に居る永遠なる生命が人間という仮相を通して顕れているのが我なのである。我は宇宙生命、神なのである。すべての万象万物は神なのである。神を外に向けて商売をしているのが、今の宗教である。自分自身が神なのにお金を取って神を外に向けさせている。無料なら良いと思うのですが、おカネが関わるとそれは嘘であるということです。宗教でお金を払っている人は騙されているということになる。
自分が神なのですから。
2024年1月28日日曜日
内なる良心 外なる邪心
宇宙は1つなる生命体であり、1つの心、良心があるだけである。人間は外なる現象を見てあると信じてもう1つの心を持ってしまった。邪心である。
これが善悪の木の実である。
現象は内なる良心が、生命が現象化させている。外の現象を見てそれを信じてしまった。
外なる現象は消え行く存在であり、生命が質料を通して顕れているに過ぎない。
この現象は内なる良心によって造られ、見える形として現象化しているだけなのである。
善悪の木の実と云うのは見えるものをあると思う心、邪心を自ら造ってしまった。実際にない心を。この良心(実在)と邪心(偽心)の2心、善悪の心を造ってしまった。
宇宙は1つなる生命体である。1つの中に2心は存在しない。
ハルマゲドンとは内なる良心と自分が創り出した邪心との戦いである。
人類はこの善悪の心の分離感から抜け出せず、1つなる良心、永遠なる生命に戻ることができない。
人間という姿、形は造り主である神が神我を顕現する為に造られた神の被造物なのである。
それを勝手に自分と思い違いをして勝手の使って道具を消滅させている。
自我で使う為、エネルギーが不足し、バランスを崩し、病気になり、消滅して行く。これを人間は死と呼んでいる。
神の顕現道具、神の宮を自分だと思い、使っているだけなのである。
本来の我は神なのである。宇宙は1つなる神1元、良心の世界が実在しているだけである。
見えるもの 見えないもの
宇宙は1つなる生命体であり。見えない世界である。
この見えない生命体が様々な形態現象を顕し、生命が働いている。
現象が生きているのではない。現象を顕しているものが生きているのである。
宇宙は1つの生命体であり。それ以外実在しているものはない。生命が実在であり、これを愛、霊、光と呼んでいる。また神、仏とも呼ぶ。
見えないものが形態を使って顕れれいる。見えないものはこの形態を使わないと顕すことができない。
原因、結果の法則であり。見えないものが結果として顕れているだけである。
すべては1つなのである。見えない世界が見える世界を顕している。宇宙は中性である。永遠なる世界が中性であり、久遠の世界である。これが宇宙の本源本質である。
見えるものはこの見えない本源本質の現象である。
この呪縛から人類は離れることができない。善悪の木の実を未だに食べ続けている。
汝の仏は汝の内にあり。自灯明、法灯明が仏なのであることに気づきなさいと云われている。
キリストも汝の神は手よりも足よりもl近い所にいると。
2024年1月27日土曜日
宇宙神 宇宙心
宇宙神、宇宙心。宇宙は神であり、心である。
心は神であり、神は心である。
神は1様である。何故1様なのか?宇宙は中性だからである。中性は創造の原理であり。絶対バランス。愛、陰陽の法則、永遠なる常在が宇宙である。
原因が宇宙であり、心は意識であり、絶対バランスであるが故に1つなる生命体である。
宇宙そのものが生命であり、1つなる生命の現象が現象万物として顕れている。
すべてのすべてありてあるものはこ゚の1つなる生命の化身が万象万物である。
この心がすべての中心になる。中心は生命エネルギーである。完全バランンス。光、愛、心が無限大の生命である。
この無限大の永遠なる生命は観自在、無碍自在なる不変不動の生命である。
霊は気であり、宇宙は見えない気体の世界である。高バイブレーションの世界である。
これが我の世界であり、神の世界である。すべての本源本質である。
神とは神様がいるのではない。法則のことである。フリーエネルギーのことである。これを愛、波動、バイブレーション。微生物とも云っているだけである。
人類は外に神を求める為、惑わされ続けている。未だにこの呪縛から解放されずにいる。
この分離感が低波動になり、現象から抜け出せない。生命が我であり、現象は生命の化身である。現象人間が自分であるという心が低波動の現象から抜け出せにくくしている。この世の現象の克服が我の何を差し置いても成さねばならないことである。
宇宙は1つの生命体。我も宇宙の中の生命体である。宇宙生命は永遠なる生命である。
死は存在しない。
命に生きるのか?肉体に生きるのか?の選択は自分で決めなくてはならない。
生命の象(カタチ)
宇宙生命は1つなる生命体である。見えるものはすべて1つなる生命の現象結果である。生命は見えないがすべての現象の本源本質である。
気象とは気の象である。すべて見えるものは見えない生命の象である。
人類はこの現象だけに囚われて見えるものだけを見て判断をしてしまっている。現象は刻々と変化してしまう。雲は形を止って見える形を顕しているが雲を顕しているものは水蒸気なのである。水蒸気の結果が雲なのである。お役目が終われば元の空に戻る。現象界は常に変化して止まない現象である。
原因である生命は久遠常在のものである。見えるものは変化して止まない有限なる世界である。
人類はこの現象が見えない生命が形を止っていることに気づかない。その為に分離感で争いを繰り返している。人類はこの現象から自らを克服していかなければならない。
現象界で人間を動かしているのは肉体ではなく、意識である。意識は見えない。意識は生命である。よく考えれば見えないものが動かしていることに気づく。
思ったことが顕れる。想念は実現の母である。すべての現象は見えない気の象なのである。
2024年1月26日金曜日
すべて持っています
宇宙は完全完璧な生命体。この中に居るものはすべて完全なのである。完全なる中に不完全は存在しないのである。人間も完全なる故に現象化している。
完全なる中で何かを得ようとしなくても良いのである。外から求めるものは必要ないのである。
得ようとするものは奪われる。すべて持っているのに更に得ようとする。これが持っているものも奪われる。あるのに更に求める。人類はすべて持って生まれている。これをどのように使うかである。
人間は宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれたと云われている。
宇宙は創造に原理である。想ったことが顕れる世界である。
外なる現象に意識を合わせると外なるものが顕れる。人間という現象は内なる生命の現象の顕れであり、本当に自分は内なる生命が我なのである。全知全能の力が知恵が我なのである。
すべては1つなる生命の御業が現象道具を通して行う。
人間は完全なる神の顕わであり、人間ガ知識を学んで何かををすることではないのである。
御業を成しているのは生命が御業を成しているのである。
現象界で何をすべきなのか?
宇宙は1つなる実相界である。永遠なる久遠の世界である。
この中で万象万物は現象化している。久遠の世界で息をしている。
人類は地球という波動の低い所に現象化している。
現象は波動が下がることで現象化される。
人類はこの波動の低い状態の中で生かされている。人類が生きているのではなく、人類という姿、形に宿り、生命が宿っているだけのことである。人間の姿、形には何の力もない。
生命が人類という姿、形に宿り、生命活動をしているだけである。
人間には知恵も力もない。生命、全知全能の力、知恵を肉体を通して顕している。神の御業で行っているだけなのである。これを勘違いをして自分の力で行っていると人間は勘違いをしているだけなのである。
人間は神によって造られた神の宮であり、神のエネルギーを顕現する為に造られている。
人間という姿、形は神の宮であり、神によって造られた神の道具なのである。人間は道具の名前なのである。人間という存在は宇宙には存在しない。現象は実在していないのである。
人間は神の道具であり、道具は神の御心を素直に顕現しなければならない。
我は神の道具であり、神そのものである。造り主が神なら、造られたものも神である。
人間という仮相から脱皮し、神としての仕事をしなけれなならない。それが神我顕現である。
仮相の姿,形に惑わされてはいけないのである。神としての使命を果たさなければならない。
仕事をして元の天上界に戻らなければならない。仕事先で遊んでいてはならないのである。
我は人間という仕事道具を使って神我顕現の仕事をしなければならない。
できなければ、できるまで地上界から離れられない。輪廻を繰り返し、できるまで帰ることはできないのである。
2024年1月25日木曜日
ダイヤモンド宮殿の使い方
すべては1つなる生命の顕われであり、1つとは神であり、仏であり、生命、光である。
1つなる生命の光を細胞を通して外に顕現させるために肉体細胞が現象化されている。
この肉体細胞は内なる光を顕現する為に造られている。この肉体を光る細胞体にすることで顕現させる。光る宮殿、ダイヤモンドの宮殿。初めからダイヤモンドの宮殿なのであるが、この宮殿に1つなる良心だけのものに、外から邪心という心を入れてしまっている。その為、ダイヤモンドの宮殿は外に顕現できないでいる。人間という自我が遮っている。
この自我という邪心を取り除くには光をより強くすることで邪心という影は消えて行く。
内なる光を意識し、光の強さを増して行く。
人間という意識が自我であり、邪心である。このダイヤモンドの宮殿は神の顕現道具であり、人間のものではないのです。人間と思っている肉体も神によって造られた顕現道具なのである。人間と思っているのは神の顕現道具に人間という名前を付けているだけなのである。
我は人間ではなく、神の子であり、神の器なのである。
神に似せて造られた万物の霊長なのである。
神、仏とは何ぞや?
神、仏とは何かを聞いたことがない。宗教というイメージは葬式しか思い浮かばない。お釈迦様は亡骸は焼いてガンジス川に流しなさいと云われていながら、今の仏教は亡骸をお墓を作り、大切に葬る。魂が抜けているカルシュウムを大切にし、お経を唱え、お布施を頂いている。お釈迦さんが云っていることとは違いではないか。
イエス、お釈迦様はお墓を作って祀りなさいとは云っていない。
イエス、お釈迦様は何を云おうとしていたのか?。キリストも釈迦も宇宙の法則を示していたのである。
人間は実在していない。生命の現象である人間に囚われて生きてはならないことを云われている。1人、1人の中に生命、神、仏が宿り、人間という現象を顕している。本来の我は生命である事を云われている。宇宙は生命体であり、宇宙即我とお釈迦様は云われている。釈迦はその事を慈悲という形で話をしている。キリストは愛という形で話されている。
神、仏とは宇宙生命のことなのである。宇宙法則、永遠なる法則、その法則の現象として万象万物が現象化している。人間もである。人間は生命であり、生命が仏であり、人間という現象の中に宿る法灯明、自灯明が仏であり、我なのある。
現象が我ではなく、内なる法灯明、自灯明が我であることを示そうとしたのである。イエスも汝の神は手よりの足よりも近い所にいると。
お釈迦様、イエスは同じことを云われている。このことが理解できずに子羊達は毛をはぎ取られている。赤ずきんちゃんである。宗教家達もこれを知らないで罪を犯している。
私の近くでも葬式に数百万を要求されて檀家をやめた人もいる。幾らで良いですよと云いながら少ないと文句を言う。これがお寺のイメージですね。葬式の時だけ顔を出す。お寺って何だろう。コロナで檀家を抜け出す人が多い。私もお墓は必要のないことが理解できたので処分し、今まで続いた来た宗派からも離れました。
そろそろ葬式仏教も終わりのように感じます。お釈迦さんがこのように言っている、この経典にはこのように書かれているとか?
2024年1月24日水曜日
人類の勘違い
宇宙は1つなる見えない生命体である。永遠なる久遠なる世界である。
この中の久遠の生命の中に人類は生命によって具現されている細胞体である。宇宙は1つなる生命細胞体である。生命細胞体が様々な形態を顕し、生命が息している。
宇宙は高バイブレーションの為に見えない生命体、霊体である。宇宙霊、宇宙は霊である。
無限生命、普遍生命である。
宇宙は高バイブレーションの霊界であり見える世界ではないのである。地上界は波動が低い為に見える形を顕している。顕しているのは見えない高バイブレーションの生命である。
人類はこの見えないものが見えるものを顕していることに気づかず、見えるものだけを信じて分離感を持ってしまった。その為、1つの中で争いを起こし、喧嘩をしている。
生命は1つであり、1つであることが理解できれば争いは起きない。身内で争い、殺し合いをしているのが人類である。醜い争いに気づかない。
宇宙の法則は1つなる無限生命である。この1つなる生命に戻るまで輪廻が繰り返される。
これに気づいたものから波動を上げ、解脱して行くことで、地上界の波動を上げ、人類が自らの波動を上げることで地上界の波動を上げることができる。自分自身の為に生きることが地球環境を良くすることになる。本当の奉仕は自分自身の波動を上げることである。本当のボランティアである。
人類の気づき
人類は文明を発達させて来ているが。この文明の発達は正常な発達ではない。文明が発達すればする程、地球の環境が悪くなる。
人類は宇宙は細胞体であることを理解していない。人間が生きようとすればするほど現象を顕している微生物が殺され。形態を維持する微生物がいなくなる。
人類は自分が生きるためのもっとも必要な地、水、火、風、生命の4原則を犯し、文明を発達させている。この気づきのメッセージが異常気象であり、地震である。最大のメッセージが天変地異である。
宇宙は中性バランスであり、これに逆らうと戻されてしまう。
人間が生きるために草を枯らす除草剤を撒くが撒いた土には武生物が殺されるため、耐力がなくなり。砂のようになってしまう。微生物が土の耐力保っていることに気づかない。
地上界を支える微生物が少なくなり、地上界はバランスを失っている。いつ大きな地震が起きても不思議ではない状態である。すべ人類のエゴが引き起こしてる。
これは天災ではなく、人災である。
人類が宇宙の法則、完全法則を無視し、経済を発達させる結果である。
宇宙は完全バランスであり、このバランスを犯しているのは人類だけなのである。
1人、1人が自分のバランスを取ることで地上界を元のバランスに戻すことができる。
お金はかからない。意識を変えるだけである。
2024年1月22日月曜日
宗教とは何ぞや?
宗教という字は宇宙を示すと書く。
宗教は宇宙の法則を解き明かすという意味である。
それを地上界で示されたのが、釈迦であり、イエスである。
宇宙は1つなる生命体であり、1つなる生命が多神を顕している。宇宙の根源は1つである。原点は1つである。すべてのすべてありてあるものは1つなる生命、神、仏なのある。
宇宙は高バイブレーションの見えない霊界である。生命界、永遠なる久遠常在のとこしえの世界である。
キリスト教とはキリストの教えではなく、キリストとは何かを教えることであり、仏教も仏とは軟化を教えると書く。キリスト、仏が何かを知らなければ教えることはできない。
聖書をバイブルと云う。波動、バイブレーションのことである。仏典、経典も仏を知る為のアドバイザーである。
キリストは神は汝の手よりも足よりの近い所にいると。釈迦も憶念せよと。
キリストも釈迦も生命のことを云われいる。生命は可視の存在ではない。生命は汝の内にあると云われている。それを理解する為の聖書であり、仏書である。
神、仏が汝の内にあるのならお寺、教会が必要なのだろうか?
宇宙は無形無双の霊体である。人間は万物の霊長なのである。すべて霊の現象なのである。
波動が低いために現象化しているだけなのである。水蒸気が水になり、氷のなっている。すべて同じものである。見えるものはすべて波動の現象であり、人間は神に似せて造られており、自由意志がある為に使い道を間違い、本来の目的を忘れ、現象の形の形に惑わされ、仮相界に留まっている。宗教は神の子を神の戻すことが宗教であると思うのだが?
人生相談することではないと思う。仮相界は本当に我に気づく。間違って使ってしまった自由意志を本来の使い方に戻すことで、本宿に戻ることができる。有限から永遠なる我に戻る。
汝の神は汝自身なり、汝の仏は汝の中にあり。これがキリスト、仏陀が云わんとしたことである。人間は見えるものに囚われて見えない本当の我を見失っているだけなのである。
1人、1人の中に神、仏が生命が宿り、人間という現象を顕している。
何故、心が落ち着かないのか?
宇宙には心は1つしかないのである。良心があるだけである。宇宙は心であり。心が1つであれば不安になることはないのである。常に平安である。
この1つの心を分離し、2心、良心、邪心に自分でしてしまう為に心が落ち着かないのである。
宇宙は1つなる心しか存在しないのであるが、外なる現象は実在しない幻想界であり、これをあると思う心が2心を自ら造ってしまう。1つしかない心を自分が2心を造る為に自分で自分を迷わせているだけである。
原因が快であれば、結果も快である。原因が不安であれば結果も不安になる。
外なる現象は諸行無常の変化の自我の世界である。この世界は自分の心が造り出している。
自分の波動が上がればこの現象波動に巻き込まれなくなる。
悩み、不安を取り除こうとしても取り除けない。結果で結果を治すことはできない。これは対処療法である。原因を改めることで、お金もかからず、すぐに変えることができるのである。
宇宙には1つなる良心だけがあるだけである。現象があると思う心、実在しない心、邪念が自分からエネルギーを抜いているのです。エネルギーが抜かれると気の病、病気になってくる。
2024年1月19日金曜日
心清きものは幸いなり
完全なるものは水晶のように透き通っている。
水も汚れたものは透き通っていない。完全とは透き通って見えないものである。
高バイブレーションなるものは細かく見えないが低バイブレーションなるものは荒く粗雑なるが見えるのである。
気遣い、心使いと云うのは目に見えないが肉体を通して顕れてくる。
神とはこの純粋なる水晶体のことである。観自在、無碍自在なる空なる世界、其処には邪心なる心はないのである。見えるものは現象であり、粗雑なのである。良心とは穢れのない心であり、其処には平安があるのみである。
原点はこの空であり、現象として見えるものは粗雑なる低波動なるものが見えているだけである。人間も最初は心清きものであったものが、現象に生きようとする為、欲望が絡み、純真さが無くなってくる。神は純粋なる心である。
これが本来の我であり、神である。心は見えないが光なのである。素直な心が神の全知全能の力、知恵を引きだす。赤子のような心が人間に取って最も大切なことである。自分の心に正直になれるかが人間の資質を決める。
2024年1月18日木曜日
意識したものが顕れる
宇宙は1つなる原因があるだけ。原因なき、原因である。処女解任とも云われている。宇宙は中性なる生命体。無限なる生命体、普遍なる生命体。これが宇宙の本源本質である。全知全能の力であり、知恵であり、創造の原理である。これが宇宙真理である。
宇宙生命体は無形無双の見えない生命体であり、この無限生命を顕すためには媒体が必要なのである。顕す媒体として、鉱物、植物、動物、人間が現象化されている。その中でも人間は万物の霊長と云わて、人間にだけ自由意志が与えられている。
人類はこの自由意志を本来の目的のために使わず、現象で使ったしまった。これが善悪の木の実である。聖書は例え話を使って見えないもの本質を感じるように造られている。
現象が顕れるということは波動が低いということになる。
高気圧の時は晴れであるが、低気圧の時には現象として雨に成ったり。ヒョウになったり、雪になる。全ては1つの顕れである。
人間も現象化しているということは波動が低い状態であるということである。
波動が低いと周りの影響を受けやすくなる。この波動を上げることで周りの波動を受けづらくなる。不安、悩みは自分自ら波動を下げたために起きる現象である。いつも低気圧ではいない。また高気圧に戻って行くのであるが、自分で低気圧を高気圧にさせないさせないのである。
低気圧を意識しているから低気圧が起きるのであって高気圧だと思えば高気圧になる。
意識の切り替えだけなのである。原点は高気圧なのである。意識の世界には低気圧は存在しないのである。ないものをあると信じる心が低気圧を自ら引き寄せるのである。
良いことを思えは良いことが顕れる。悪いことを意識すれば悪いことが顕れる。
現象を見るから現象が顕れる。神を意識すれば神が顕れる。
宇宙は霊界であり、人間は万物の霊長なのである。使命とは何かが問われている。
これが理解できなければまた再生される。
2024年1月15日月曜日
人間は空の顕れ
人類は見えない生命が様々な現象を顕していることが理解できない為に無限生命の中に居ながら有限なる生き方をしている。
宇宙に存在しているのは無形無双の生命だけが独存しているだけである。人間は細胞体が形を止っている形の名前であり。人間は生きてはいないのである。
人間が生きていると思う心が永遠なる宇宙の中に居りながら有限なる生き方になってしまっている。
人類は仮相であり、実在していないことを理解しなければこの仮相界からは離脱できないのである。原因は宇宙生命体であり、宇宙の本源本質、生命が八百万の神の化身を顕している。
見える仮相、サタンに囚われ、この実在しない仮相の現象に持て遊ばれている。
意識は見えないが意識が肉体を動かしている。見えるものがなくて、見えないものがあるのです。原因結果の法則である。
この見えない原因を理解する為に聖書があり、仏書、経典があるのである。聖書、仏書は見えない空を理解する為のものであり、聖書、仏書に書いてある内容を現象で行うことではないのである。見えない実相を実感し、我は空であることを理解する為に書かれているのである。
すべてのすべてありてあるものは生命であり、神であり、仏であり、天照大神である。
お釈迦様は憶念しなさいと云われている。汝の仏は汝自身なりと。キリストも汝の神は手よりも足よりも近い所にいると。
現象、万象万物、人間はすべて内なる神の化身なのである。全てが真逆なのである。見えるものがなくて見えないものがあるのである。これに気づくために人類は現象界で輪廻を繰り替えしているのである、悟りとは吾の心と書く。心は見えない。これを実感する。心と身体は1つであり、心身一体であり、心が見えるものを顕している。
2024年1月13日土曜日
実相と仮相
実相は実際にあるもの。永遠に存在するものするもの。仮相は消え行くものを指す。
宇宙に実在するものは1つなる永遠なる無限生命、普遍生命のみが実在している。
見えるものは消え行く存在。実在ではなく、仮相である。仮の姿である。万象万物はすべて仮相である。人間も1つなる宇宙生命の仮相である。
人間は神に似せて造られている。自由意志が与えられている。この自由意志を本来の使い方を見誤り、実在しない現象に使ってしまったために低波動の現象界から抜け出せなくなっている。
宇宙は1つなる無限生命であり、姿、形は持たないのである。見えない神の分霊の器を自分と錯覚し、使ってしまった。宇宙に自分というは存在はない。実在しているのは宇宙で1つなる生命だけが実在しているだけなのである。
人間は細胞体の集合体の形を人間と名付けている。細胞体の名前である。
宇宙は1つなる細胞体であり、人間は宇宙細胞体の中に存在する細胞体である。人間の形をして細胞体は宇宙細胞体の中の1部の細胞体であり、宇宙そのものである。お釈迦様が云われる宇宙即我である。宇宙そのものが生命であり。宗教という字は宇宙を示す教えと書く。
1つなる生命は見えない。見えないものは例え話でしか伝えられない。聖書、仏書は見えない生命を紐解く為の手がかりである。神、仏の中に居り、自分は宇宙生命である。神、仏であることを理解、知る。宇宙は神、仏が万象万物を現象化している。
見えるものだけを見て自ら自縛しているだけなのである。
2024年1月11日木曜日
想念意識によってすべては現象化されている
想念は実現の母。宇宙は意識体であり、想ったことが顕れてくる世界である。
宇宙は1つなる全知全能の完全、完璧なる、創造原理の世界。
良いことを思えば良いことが顕れ、悪いことを思えば悪いことが顕れる。意識したものが現象化される。肉体という現象の中でも行われている。何かをしたいという目的を持つことで、それが顕れてくる。夢を持つと夢が叶うように。
意識によって肉体を通して具現される。想いが強ければ強いほど。
この想念は1つなる生命、無限生命の顕現道具として、使うように神、生命によって造られている。原因である生命を顕す表現として使われる。
現象は生命の現象であり、2つで1つなのである。1つだから見えるものを現象というのである。原因、結果は1つなのである。
実在していない現象をあると思う心が人類を自らを自縛させている。
宇宙には1つなる無限生命、普遍生命だけが実在しているだけで、見えない生命の顕れが現象化しているだけなのである。
姿、形は消えてしまう現象で、普遍原質に還元されて行くだけである。不増不減であり、質料が変化しているだけである。
2024年1月10日水曜日
現象があると思う心が善悪の心を造り出す
宇宙は1つなる生命体、無限生命である。1つの中に2つは存在しない。無限生命は無形無双である。姿、形は持たない。
故に宇宙には見えるものは実在しない。見えるものは1つなる無限生命の現象であるということになる。見えるものは無限生命が現象を通して顕れているのである。無限生命が形態を造り、無限生命が形態を通して顕れているだけなのである。万象万物はすべて無限生命の現象、人間も然りである。人間は生きていると思っているが、現象であり、生きてはいないのである。人間は万物の霊長であり、すべては霊の現象である。
人類はこの1つなる無限生命の中に居ながら、人間は存在していると勘違いをしてしまっている。この分離感が善悪の心を自ら創り出している。この分離感が争い、対立を造り出してしまう。1つの中に争いはない。これに気づかないため、自らの地上界を我物顔で荒らしまわっている。本当に自分を知らない、まだまだ幼児期な人類である。永遠なる生命の本当の我を知れば争いを起こさない。永遠なる無限生命の中に居て有限なる生き方をしている人類。
これに気づいたものから波動の低い現象界から抜け出し、地上界の波動を上げて行く。
これが人類の使命である。
2024年1月9日火曜日
現象我からの脱皮
今、自分は見える世界の中に居る。見える世界は非常に波動が低い世界である。宇宙は三位一体の世界で、気体、液体、固体の三位一体の世界である。固体は不自由であるが、気体は自由自在に動くことができる。人間は固体波動であると思っているため、自由に動くことはできない。気体が波動を下げて固体波動に下げているのに固体波動だと思っているため、気体波動には戻れないのである。固体は気体波動が個体波動を顕現している。固体波動の原点は気体波動なのである。
宇宙の本源本質は気体波動であり、この波動が様々な形態を顕している。人間も然りである。
見えるものは見えない気体波動が現象を顕している、気体波動を生命と呼ぶ。また神とも仏とも呼ぶ、宇宙の根源である。すべての原因、原点は無形無双の気体エネルギーなのである。
姿、形が自分ではなく、無形無双の形のない見えない生命が我であり、宇宙の原点であり、我である。
見える現象の我から見えない本当の我に変性させる。本来の我に戻る。これを何を差し置いても成さねば、変性できるまで再生される。本来の我に戻るまで。
2024年1月7日日曜日
内は天 外は地
宇宙は神なら、すべてが神である。全てが永遠である。
今、人間が有限なる生き方をしていることは間違いだということになる。人間は死ぬものだと思っていることは間違いだということになる。永遠なる中に居り、有限なる死は存在しないのである。
何故、有限なる生き方になってしまうのか?
宇宙は1つなる生命であり、無限生命、普遍生命である。この中には有限は存在しない。
無限生命、普遍生命は無形無双である。宇宙の本源本質には姿、形はないのである。
有限になってしまうのは1つのものを2つ分けて分離をしてしまう為に有限なる生き方のなってしまう。
見えるものがあると信じ、実在しない生老病死の現象を認め、この四苦に囚われ、アンバランスを自ら起こし、昇天する気が抜け、地から這い上がれなくなる。現象に自縛してしまう。
この世で波動を上げて昇天して行かなければならないのに外を見る為に更に波動を下げてしまい、カルマの上塗りをしている。
「天国は汝の内にあり」で答えを内に向けることで神の自覚に目覚め、空に戻る。
波動を上げない限り、天には戻ることはできない。お金は必要としない。
人類は未だ幼児期な為に地球を壊していることに気づかない。地球を壊すだけ壊しておいて、どのように治したら良いのかもわからない。
人間は人災を天災と云っている。これでは治しようがない。人間が生きていると思っていることを悔い改めない限り、地球の環境を元に戻すことはできない。本来の我に戻ることもできない。1人、1人の中に全知全能の力、知恵が備わっている。これに気づいたものから昇天し、地上界の波動を上げて行く。外に求めるなかれ すべて答えは汝の内にあり。
この世は法則で動いている
宇宙は1つなる生命であり。見えない高バイブレーション世界であり、見えない高バイブレーションの生命がバイブレーションを下げた形で現象化させている世界である。原因結果の世界である。
見えない生命、造り主。造り主が被造物、万象万物を顕している。宇宙は霊界であり、人間は万物の霊長であり、すべては霊が形を止ったものである。この法則によって現象に生命が宿り、無限大の生命が現象を通して働いている。
人間も肉体が動いているように思うが、見えない意識によってで肉体は動かされている。
意識が現象化させている。見えない意識が働いて肉体を通して生命を顕現している。
すべて肉体の自分が成していると思っているが、すべて生命意識の御業である。それを人間は自分の力で行っていると錯覚しているだけである。
想念は実現の母である。想念意識で現象を顕している。
原因は神であり、結果も神なのである。原因と結果は同じもの。1つである。現象があるということは必ずそれを顕す原因あり、見えないものと見えるものは1セットである。
現象に生きるとこの現象という低波動から抜け出せない。これが輪廻である。輪廻は自分で造り出しているのです。波動を下げた状態はまた物質化現象化となって姿、形を顕されてくる。
誕生は嬉しいことではなく、悲しいことなのである。
1人、1人が自ら下げた神の波動を上げて行くことでこの地に生まれてくることはなくなる。自分の波動を上げることで周りの波動も上げて行く。
現象界の我の使命はこの世でお金を儲けるために生まれてきているのではないのである。
完全の中の不完全
宇宙は無形無双の見えない生命界。本源本質は見えない世界。仮相のバイブレーションの低い世界が見える世界。見える世界は地獄界。天国は見えない世界。人間は死を恐れているが。本当の世界は見えない永遠なる生命の世界。見えない世界が本当の世界、見える世界は仮相の世界。見えない永遠なる世界に居ながら、現象界に存在している人類。
見えない生命が現象を顕している。2つで1つである。見えるものと見えないものが別々に存在してはいない。無限の中に2つは存在しないのである。
人間は現象界を実在界と思ってしまっているため。現象を見て有限なる諸行無常の仮相界に生きている。
すべて真逆なのである。ないものがあってあるものがない世界なのである。人間は現象であって存在はしてはいないのである。
生命からものを見ることをしない為に平気で微生物を殺す。除菌をする。菌を平気で殺す。
人間の内側は菌体バランスで生命を保っている。外なる物質から見る為に内部の菌を殺して行く。カルキで消毒した水を平気で飲む。体内は菌で保たれているのに内部の菌を平気で殺す。土に除草剤をすると土の武生物がいなくなり、地耐力がなくなり、土が崩れる。
地の耐力が下がり、海の耐力が上がることを天変地異という。
今、地の耐力が下がり、海の耐力との入れ替えが行なわれようとしている。地震も勝手に地震が起きているのではない。地耐力のアンバランスで地震が起きているのである。
地震もアンバランスを修正する為に正常な法則に戻す為に起きているのである。すべて人災なのである。天災はないのである。
幼児期な人類が自ら引き起こす結果なのである。
人間自身も除菌をすると菌体バランスが崩れ、病気になって行く。病人は益々増えてくる。
医療が発達したいると云うが病気は増え続けていることに人間は気づかない。
また平気で人間が生きるために必大切な地、水、火、風のバランスを当たり前に壊して行く。
これが文明が発達すればするほど幾度となく繰り返される天変地異である。
宇宙は愛の絶対バランスである。この中に居てこのバランスを人類は自らを壊している。壊すのも気づきの為のメッセージであるのですが?。
こ゚の天変地異を防ぐ方法がある。人間の心の中心を整えることで天変地異は防ぐことができる。お金はかからないのである。
生命と木の葉
木も春になれば芽を出し、夏になれば葉が繁り、秋になれば紅葉し。冬になれば落葉する。
見えるものは変化してしまうが。また来年になると芽を出してくる。生命が見えるものを顕している。生命はえいえんなのである。永遠に死ぬことはないが、見える現象の木の葉は変化して見えなくなる、死ぬのではなく、不変原質の還元するのである。不増不減である。
人間も同様に生命は死なないが、姿、形は質料なので、変化するが無くなることはない。変化するだけで木の葉も人間も質料に戻るだけある。死と云うのは形の変化であり、無くなることはない。
生命は見えないが、見える現象だけが変化しているに過ぎない。生きているのは木の葉ではなく、生命が木。人間が生きているのではなく、生命が生きているのである。
生命は宇宙に見える姿、形が生きていると思っている。生きているのは生命だけが生きている。宇宙には1つなる生命のみが実在している。無限生命である。人間は現象の姿、形が生きていると思っている。現象界は生命が形を止っているだけである。
人間が消え行く現象に意識を向けると幻想である生老病死の四苦に囚われてしまう。その四苦に持て遊ばれてしまう。生きているのは生命であり、姿、形ではないのである。
宇宙は1つなる永遠なる生命体。この永遠なる生命体の中に居りながら、有限なる生き方をしてしまう。現象を認めるとその波動になり、現象の状態で死ぬとまたその波動領域に再生される。霊波動まで上げることができなければ、できるまで再生される。
想念は実現の母であり、永遠なる生命に生きるのか?有限なる現象に生きるのかの選択権は自分が持っている。
すべては内から外へ
宇宙は限りなく小さく、限りなく大きい。
すべてミクロの世界である。ミクロが見える現象を顕している。万象万物はミクロの生命が現象化している。すべては内なるものの顕れである。
宇宙はすべて細胞体である。宇宙という1つの細胞体が実在している。永遠なる愛の法則の生命体が存在している。愛の法則、中性が宇宙である。すべては1つである。1つの中に時空間は存在しない。時計を見ても時間に終わりがない。数字を数えても終わりがない。万象万物の根源はすべて原子と電子である。宇宙は無限生命、普遍生命である。すべてのものは1つの根源、原点から始まっている。原天である。空である。
宇宙は原因結果の法則で見えないものが見えるものを顕している。原因は見えない、見えない生命が現象に宿り。見える形を顕している。
見えるものはすべて現象であり、人間も現象である。本来の我は現象を顕している内在している生命が本当の我、無我である。空なる我である。生命である。
現象の中に必ず原因なる生命が宿り、現象化させている。生命はそれを顕す媒体がなければ顕すことはできない。人間も生命を顕す媒体なのである。
エデンの園は我が内にあり
宇宙は1つなる生命体であり。完全なる永遠なる愛の法則なる生命体である。宇宙そのものがエデンの園の生命体である。宇宙はすべて完全バランスである。人間は宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれたと書かれている。
この息が宇宙生命であり。宇宙生命が宇宙の塵にて様々な形態を造り、生命が生きている。宇宙は完全完璧であり、この中で生命が形態に宿り。宇宙生命が生きている。
人間には自由意志が与えられている為、意識を自由に使いことができる。人間はこの自由意志を生命の放射に使わず、自分が生きるために使ってしまった。現象に生きてしまった。
エデンの園からの追放というのは完全なる中に居ながら、外なる有限な現象に生きてしまったことがエデンの園からの追放である。神が生きているのを自分が生きていると錯覚してしまった。
現象は生きてはいない。生命が現象に宿り、生きている。人間は存在しないのである。
永遠なる生命に生きないで変化して止まない有限なるものに生きてしまった。
エデンの園は自分の中にあるのである。天国は我が裡にある。
外なる現象なるものから内なる永遠なる生命に気づき、現象である人間という雑念から離脱させて行く。
自我の低波動から神我の高波動へ
見えるものはすべて低波動であり、見えないものは高波動である。
肉体は意識によって動かされている。意識は見えない高波動。肉体は高波動のエネルギーによって動かされているのである。
人間は自分で肉体を動かしていると勘違いをしている。実際は意識エネルギーが動かしていることを認めなければならない。
肉体は意識の操り人形であることに。普段の生活でそれを感じ取って行き。自分は存在しないということ理解して行く。これができずに低波動を高波動に上げることはできない。無我の我が我であることに気づいて行く。
宇宙は1つなる生命体であり、様々な形態が存在しているように見えるが。1つなる生命の現象であることを理解して行く。宇宙は完全なるパーフェクトであり、何か不調和がある時は自分がしていることが間違いであることに気づくことで波動を上げて行く。
自然界は作用、反作用の法則が働く。この法則を積極的に使う。ヨットが風に向かい前に進むように。向かい風の奥には必ず反対に流れるエネルギーが流れている。向かい風に向かって突き進むことで光が得られるようになっている。これが法則である。このハードルを上げ、自ら下げたバイブレーションを上げて行く。
実相界と仮相界
宇宙は1つなる実在界。生命界である。
すべてのすべてありてあるものの根源である。生命エネルギーである。宇宙にはこれ以外実在するものは存在しない。
地球は天地に分けた天地一体の世界、この中に人類は生かされている。神、1つなる生命によって。地球以外に生物は存在しないと人類は思っているが、宇宙は1つなる生命体であり、見えるものは波動が低い為に現象化しているだけで、見えないから他の惑星には生命体が存在していないと考えるのは浅はかである。人類が太陽系の波動のバランスを壊しているのをバランスを整えて下さっているの他の惑星の方々である。
人類は宇宙生命体、1つなる神の中にいる神なのに、現象の形を自分と思い、人間を演じている。宇宙は「想念は実現の母」であり、想っったことが顕れる世界である。人間という仮相界で、自分でシナリオを描き、自分でそれを演じている。ドラマの世界で生きている。
宇宙は神1元の世界であり、神以外存在しない。現象はすべて神の具現である。現象である。
現象我我ではなく、現象を顕している原因が我であることを理解して行くのが現象界で成さねばならない使命である。
1人、1人は霊太陽なり
太陽には休みはない。常に光輝いている。無所得の愛であり、この太陽は我が裡に光輝いている。
この霊太陽のエネルギーによって人間という現象肉体は形態を維持している。この霊太陽が生命であり、神であり、仏である。汝の神は汝の中の中におわします。
宇宙は1つなる生命体であり、分生命として万象万物、人間に宿り、現象化させている。
すべてのすべてありてあるものは神である。1つなる神が多神を顕している。
宇宙には1つなる生命のみが実在している。見えるものはすべて1つなる生命の化身である。
人間は神に似せて造られたと云われている。人間は神そのものであり、人間にだけ自由意志が与えられている、鉱物、植物、動物には自由意志は与えられていない。
この自由意志は生命エネルギーを顕現する為に与えられているものを波動の低い見える現象で使ってしまい、神への約束を破ってしまった。絶対に開けてはならない竜宮からの玉手箱を開けてしまった人類、人類という浦島太郎がいる。善悪の木の実である。この開けてしまった玉手箱を元に戻すことができる。それは現象を見る波動から生命意識へのバイブレーションを上げることである。開けてしまった玉手箱の蓋は自分で閉めなければならない。1人、1人の中に元に戻す、光の種が蒔かれている。
原因、結果は同じもの 1つである
造り主と造られたものは同じものである。
原因が神なら結果も神である。原因が神で結果は人間であるということははない。結果現象の中に神が宿っている。内を看れば神、外を見れば人間の形。外は現象であり、現象を顕している内在している神が化身として現象の中に宿り、現象化されている。内から見れば空である。
この現象だけを見て現わしている内在の神を見ないだけである。
原因、結果は1つである。造り主が神で造られたものが人間ということはない。
原因が神、光であれば、結果も神であり光である。顕されている光の陰をあると信じる自我の心が分離感として見てしまう。原因が光りなら、結果も光りなのである。
この自我の心の肉我の心を変性させ、霊肉一体、天地一体の1つなる生命に気づくために仮の宿の現象の幻想の世界に滞在している。すべては1つ。原因と結果は1つであることに気づき、空の我に戻る。現象我の我から実相の我に戻るための場所がこの世なのである。
原因が光りであれば結果も光であり、現象の世界には現われりことはないのである。
人間という低波動の実在しない我を信じる為に、波動を下げ、現象化してしまったことを悔い改め、本来の我に戻り、現象界から解脱して行く。
元の高バイブレーションンに波動を上げて行く、自分で下げた波動は自分で上げなければならない。
原点は1つ これが真理である
宇宙の原点は1つである。火(か)、水(み)、神である。2つで1つの中性なる生命である。
すべてのすべてありてあるものは1つなる実在の生命だけが独存する。これ以外実在しているものは何も存在しない。
宇宙は最終的に1に戻る、原点は1つである。
宇宙は1つなる細胞体である。すべて同じ包み、同胞である。
細胞の中には空間はない。あるとすればそれはガンであり、宇宙は存在しないことになる。
生命細胞体の中には隙間がない。1つの中に隙間空間は存在しない。空間が存在しないということは時間も存在しないということになる。
1つなる無限生命、普遍生命である。こ゚の中性なる生命が宇宙生命であり、中性であるからこそ様々な現象を顕すことができるのである。地球細胞体は天地に分けられた天地一体の惑星である。惑星と名付けた人は遊び心のある人である。惑わす星である。幻想の星なのである。
人類はこの惑わす星の中で惑わされ続けている。それが輪廻である。現象を見る為に波動が低くなり、本来の我に戻れなくなる。自分で自分をそのようにさせている。そのため波動を上げることができず、輪廻を繰り返している。
人類の原点は空の高バイブレーションである。原点なる空である。空が万象万物を現象化させている。空なる我が人類の帰る場所である。帰る所が知らなければ帰ることができないとイエスが云われている。
一心集注とは
一心集注と云っても簡単に集注でできるものではない。一心集注とは心の底の底からの集注である。
ただ座って心を集注させれば良いというのではない。一瞬集注という意味を理解しなければならない。只座って心に集注すれば良いという意味ではないのである。
息ということを理解しなければならない。身体の使い方を知らないで瞑想をしても無理なのです。身体には人間が動かすことのできない筋肉がある。呼吸に関する筋肉、深層部呼吸筋がある。神が使う筋肉である。この使い方を知ることで、上虚下実の身体の使い方が理解できるようになる。
昔は自然とできていた呼吸筋の使い方が今は椅子の生活の為に小手先に使い方になって呼吸が浅くなってしまった。小手先の肺尖呼吸になってしまった。脳をリラックさせ使うことができなくなってしまった。
上半身に力が入る動き方では脳の脳幹部の思考を停止することができない。
息づかいは自らの心と書く。これを理解することが大切である。息づかいと呼吸は同じではない。今は便利過ぎて身体の動かし方を忘れてしまった。当たり前のことが当たり前にできなくなってしまった。今、息づかいを理解できる人がどれだけいるのだろうか?殆どの方が肺尖呼吸のようになってはいないだろうか?中心が取れた息づかいができれば周囲の影響は受けなくなる。不安、悩みを持ち込まなくなる。息は自らに心である。我の息は神の息なのである。
見えるものは実在していない
人類は見えるものだけを信じて生きている。
原因、結果の法則がある。見えるものにはそれを顕す原因が宿っている。
宇宙は限りなく小さく、限りなく大きい霊の世界である。
完全バランス、完全調和の永遠なる中性なる霊光の世界である。宇宙は1つなる細胞体であり、その中には時空間は存在しない。宇宙は中性なる1つなる生命体。無形無双に生命体。空の世界である。この無形無双の中に見えるものは存在することはない。見えるものは1つのものの顕れであり。現象である。現象は1つの生命が万象万物。人間を顕している。見えるものは1つなる生命の化身であり、実在はしていないのである。バイブレーションの変化でエーテル質料が変化しているに過ぎない。変化であって質料が無くなることはない。原点は不変不動である。
原因、結果の法則であり。原因なる生命が結果である現象を顕している。見えるものは消える存在であるが、見えるものだけを人間は実在していると勘違いをして、現象に持て遊ばれている。
あなたの生命エネルギーを誰が利用しているのでしょうか?
全知全能の神を人間だと思わせ、神のエネルギーを誰が抜き取っているのだろうか?
すべての中心は神である。
すべての力は内なる中心から出ている。
内なる中心生命が外なる形態を顕している。
内なるものは見えない生命エネルギー。内なる生命エネルギーが外なる現象を顕している。現象は消えて行くが生命は永遠である。質料は変化して消えても生命は不変不動なのである。こ゚の生命が我なのである。
外なる現象は波動が低い為に見えているが。波動を上げることで内なる波動に同化させることができる。外なるものが内なるものを認めるとき、外なるものは内なるものになると。
外なる現象は内なるものが造っており、内なるものと外なるものは1つである。
霊肉一体である。本当の我は外なる人間ではなく、内なる生命の我である。
この本当に我に戻るには意識の切り替えで日常の身口意により、高バイブレーションの我に意識レベルを上げて行く。中なる心が生命であり、すべての万象万物の根源である。
すべてのすべてありてあるものは1つなる生命の現象である。
高波動が低波動の現象を顕している
宇宙は1つなる高バイブレーションの生命界。中性なる愛の生命体。こ゚の生命の世界を神、仏と呼んでいる。キリストが云われるように原因なき、原因の永遠なる愛の世界。人間は宇宙の塵にて人間の形が造られ、息を吹き込まれたと。
すべての万生万物は宇宙の塵にて息を吹き込まれて様々形態を顕し、息が吹き込まれ、生命活動をしている。宇宙は1つなる愛の法則であり、すべての本源本質である。万象万物はこの1つなる宇宙生命が宿り、様々な現象を顕している。
人類はこの現象に宿り、生命はこの現象から抜け出さず肉体に生きてしまった。本来の我は生命なのであるが。
本来は無限生命であるのに現象に意識を合わせてしまい、高波動の我を低波動の現象に合わせてしまった。自分で波動を下げ、本来の我に戻れなくなっている。
現象を見る為、波動を下げている。この波動を上げることで、本来の我に戻ることができるが、これに気づかなくなってしまった。1つなる生命が多神を顕しているのである。
1つなる生命は全知全能の力、知恵であり、現象の中で遊んでいる内に帰る所が分からなくなってしまった。糸の切れた凧のように幽界を浮遊し、輪廻転生を繰り返している。
戻るにはバイブレーションを上げて行かなければならない。迎いには来てはくれない。自分で戻るしかないのである。
2024年1月5日金曜日
知識は人の為ならず
外は現象体、内は霊体であり、霊肉一体であるが、現象の見えるものから見えない霊には行けない。固体世界から気体の世界には入ることはできない。
知識で幾ら学んでも霊界には入ることはできない。直感啓示の世界なのである。知識からは入ることはできないのである。
知識は人の掘った井戸であり、自分が経験して掘った井戸ではないのである。人の掘った井戸の結果を覚えても自分のものにはならないのである。1流のシュフの作り方を教わっても同じにはできないように。造り方を教わればできると勘違いをする人がいる。
これは自分でやってみなければできない。まずその前に大切なものは料理を作る料理人は料理が好きなのである。
料理をしたこともないものが真似ても教わった通りには出来ない。自分で経験を積んで料理を覚えて行くしかないのである。
以前に茶懐石料理の作り方をしておりましたが、料理人の先生の言うことをしっかりメモを取っていても身に付かないのである。
自分で自分の井戸を掘らないものは身に付くことはないのである。
霊的なものに入るには日常で身口意の実践がなければ知識の世界から抜け出すことはできないのである。義務的ではできない。積極的な心がなければ身には付かない。
2024年1月4日木曜日
信仰とは
信仰は現象界にある言葉である。宇宙にあるのは波動だけである。見えない1つなる生命波動、光が実在している。
すべては1つであり。この波動により、様々な形態が創造され、万象万物が現象化させている。人間は見えるものと見えないものを分離させて見てしまった。神の被造物は原因結果の法則であり、1つのものを2つに分離させて神と現象を分けてしまった。
信仰とは外に求めるのではなく、自分の内にある造り主、神、仏に目を向けることである。現象があるのは必ずその中に原因である生命が宿り、現象を顕している。
間違ってしまうのは現象は見えるが、顕している原因である生命は見えないからである。
この内なる見えないものを見る。原因を見る。これが信仰である。
宇宙は1つなる生命体であり、1つなる生命が様々な形態に宿り、表現させている。
造り主と造られたものは1つである。天地一体である。すべては1つである。
宇宙は高波動であり、光であり、人間は意識を見える低波動の低い波動に合わせてしまっている。昇天とか悟空とか云っているのは固体波動を気体波動に上げることを示しているのである。
現象界は非常に波動が低い、人間の現象を顕している内なる波動は本来の気体波動、本来の我である。これに現象界で気づき、自らの波動を上げる場所がこの世の仮の宿である今の現象界である。
内なる見えない本当の我に気づく。自分を知ることが信仰である。
裡に意識を向けると不安、悩みは起きてこない。平安である。すべての答えは汝の内にありである。お金はかからない。これをお釈迦様は日常の身口意の実践として示されている。
宇宙の法則に沿って生きよと。自然界はこの法則によって生かされている。この見えない法則が自分自身であることに気づきなさいと。信じなさいというのは自分の中に居る見えない神、仏を信じて疑わないことを。これが信仰である。信仰を外に求めると利用されてしまう。
すべては自分自身の中にある。
自負心、プライド
宇宙は1つなる生命体であり、1つの中に自負心もプライドも存在しない。これも現象をあると思う分離感から出でくる言葉である。
プライドのことを日本語で自負心と書きます。
自負心を持つということは分離感で神の法則から反した生き方をしているということである。
1つの生命体の中で、存在しない自分の存在を示そうとしている。顕れているものはすべて現象であり。諸行無常の中で刻々と変化して行く。この中でプライドを持つということは刻々と流れる変化に逆行することになる。このプライドは更に自分の波動を下げることになる。
意識が個体波動を更に強くなり、この過ぎ去った過去に囚われ、自縛し、自ら作り出した地獄界から更に抜け出せなくしている。この現象界は刻々と変化する世界を生きる世界ではないのです。自分が落してしまった波動、カルマを修正する場所なのである。
バイブレーションを高める仮の宿なのである。現象は消え行くものであるが、変化はするが不増不減である。
変化して形が変化しただけでなくはならないのだから、葬式は必要ないと思いますが。肉体は本体の衣装で魂は生きているのであるから。
宇宙は物質界ではない。気体の空の世界である。すべては空の現象である。
天気予報は気象庁が行なっているが、気象、気が象(カタチ)を顕しているだけなのである。
雨も雲も雪も霰もすべて気の顕れなのである。人間もである。
2024年1月3日水曜日
神の国は汝の内にあり
宇宙は1つなる生命体である。何故1つなのか?
中性であるからである。陰陽のバランス、完全バランスである。大宇宙は小宇宙であり、小宇宙は大宇宙である。相似形である。現象界も同じ法則が働いている。すべては1つなる法則である。
神、仏とはこ゚の生命の法則のことである。宇宙は無限生命、普遍生命と云われているようにすべては1つであるということである。
人間は現象であり、この人間もこの陰陽の生命法則法則で現象化され、生命が働いている。
天気も一つの気圧が高気圧、低気圧の波動の変化で様々な現象を顕している。
元は1つである。すべての現象は中性という原点、原天が現象を顕している。見えるものはすべて原因の顕れである。原因,結果は1つの法則である。この1つの法則を宗教は神、仏と呼んでいる。原子と電子の法則である。生命エネルギーのことである。
現象には必ず顕しているものがある。この顕しているもの、原因を神、仏と呼んでいるだけなのです。
現象である人間も内に原因なる神、仏が宿っているのいです宿っていなければ現象は顕れない。人間だけではない、鉱物、植物、動物、見える現象はこの宇宙の法則である神、仏が宿って現象化させている。イエスも釈迦も同じことを云われている。
汝の神は汝の内にあり。汝の仏は汝の内のありと。
神、仏は宇宙の中性なる愛の法則。慈悲の法則なのである。天国、地獄は汝の内にあり。
宇宙は三位一体の世界であり、地獄は存在しない、人間が勝手に造る迷妄である。1つの中に2つは存在しない、2つあると宇宙は存在しなくなる。アインシュタインが云っている相対性理論は間違っているという学者もでてきている。すべては1つなる中性の法則、愛の法則が神であり、仏である。宗教が神、仏を外から見ようとするから原因を見えなくしている。
すべて神一元。神のみが独存しているだけである。
すべてのすべてありてあるものすべてがかみであると。聖書にも書かれている。
固定観念
固定観念は現象界にある言葉である。見える現象界をあると思う幻想界の言葉である。
物事を固定化させて見るということになる。
固定観念とはこの世の諸行無常の変化の世界で一瞬、一瞬変化して止まない中で、変化しているものを固定して見る心で、状況が読めないという意味で使われる言葉であるが、これは現象界が存在しているとの考え方から来るものである。
固定観念に囚われてしまうということはどういうことを意味するのか?
宇宙は1つなる生命体は三位一体の世界である。天国も地獄も同じ中に存在する。すべてが1つの中に存在する。1つとは善のみであり、天国のみなのであるが、この善のみの世界を分離感で見えるものだけを固定して見る為、小さな枠の中で自分の世界感を作り出してしまう。
これを維持し守ろうとし、不安、悩みを自から作り出し、自分で自分を苦しませている。
固定観念は地獄界の言葉である。宇宙は高バイブレーションの世界であり、見える世界は低バイブレーションの世界であり、自分で地獄を造り出している。地獄は存在しない。自分が創り出す迷妄である。
この固定観念があるということは波動が低い為に固定してしまう。何かにしがみ付かないと自分の存在が無くなってしまう為に起きてしまう。自己顕示欲である。
自我の心は自分が良い人であると思われたいという自己顕示欲が造り出す。徳を積むということは見えない所で積むものであり、見える所で積む徳は自己顕示欲である。これは自分の為のインスタントのボランティアで自分の波動を更に下げてしまう。見える形の徳は自己顕示の徳である。
このインスタントのボランティアは人の為に善を施しているように見えるが逆に自らの波動を下げてしまうため良かれと思ってしたことが逆効果になってしまうのである。
真の奉仕は見えない生命の徳を受け渡すことである。固定観念という自我は自らに波動を下げてしまうのである。こだわりというのは非常に危険なものである。今までは自分もこだわりを持つことは良いことだと思い、自信を持って生きていた時期がありました。
2024年1月2日火曜日
すべての答えは汝の内にある
今まで学校教育で答えを外に求める知識の教育をされて来た。与えられた問題に対して答えを出す形で。人から問題を出してもらわないと答えを出せない。
これを幼稚園から大学まで知識の学びをさせられ、真理の学びは一切してこない。人に云われたものをするのは完全にこなすことはできるが、応用問題は難しい。
今の教育は優秀なロボット作りである。今や機械に使われている?
宇宙は1つなる永遠なる生命体であり、万象万物、人間はその中に具現している。永遠なる全知全能の中に。外から知識を入れなくてもすべてを持っているのです。
宇宙は無限生命体であり、普遍生命体であり、生命は観自在、無碍自在の無形無双の生命 である。生命は見えないため、見える形態を使って自らを顕している。
人間という現象も「宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれた」と。人間は父、母が造ったのではない。中性の法則が現象として顕しているだけなのである。
人間の現象を顕している生命は全知全能であり。外から何も得ることはないのである。
完全なる全知全能の力と知恵を人間の肉体媒体を使って生命エネルギーを放射するために造られている。消え行く現象の中で、生命、神が生きることはしないのである。
無所得の愛の放射をするための媒体が人間という媒体なのである。人間は神によって造られた神を顕す道具なのである。それを勝手の自分のものであると使っているだけなのである。盗人なのである。本当の我は神の分霊なのです。人間は存在しないのです。無我なのです。
見るるものを自分と見間違ってしまったために地上界をメチャメチャにしているのが仮相の人間である。本来の我は万物の霊長である神の子なのである。
外を見たために波動を下げ、見える現象をあると信じてしまったのである。
自我人間が壊してしまた地球環境の修復は1人、1人のバランスを整えることで可能である。地球のバランスを整えるにお金はかからない。
自分自身の波動を上げることで地球バランスを整えることができる。
1人、1人の心の切り替えで地球バランスを戻すことができる。毎日の生活の中で可能である。自分自身が地球バランスを崩していることに気づいたものから切り替えをして行く。
自らの波動を上げることで低波動には巻き込まれなくなる。
自問自答とは
自問自答とは
自問自答、自分に質問をして自分で答えを出す。すべて一人であるということである。宇宙は1つなる生命体であり、現象万物は1つなる生命であるということになる。内は全知全能の力、知恵であり、1つなる生命であるということである。
これは現象である人間が生きているのではなく、1つなる生命が現象形態を顕し、内なる全知全能の力、知恵を肉体を通して顕しているということになる。神が神自身の判断で知恵を出し、現象肉体を維持管理しているということになる。すべての答えは自分の中にある。外なる知識は自分の井戸を掘る為の道具の一部に過ぎないのである。知識では生命の井戸を掘ることはできないのである。
意識の井戸は自分でしか掘ることはできないのである。人間が教育を受けてこの世に貢献していると思っているが大きな間違いである。人間がこの世で貢献していることはすべて神の御業なのである。
私は何処何処が教育であると思う。人間は細胞体の集合体であり、その形が人間の名前であることを知らなければならない。人間が存在するのではなく細胞体が存在していることに気づかなければならない。すべては1つなる宇宙生命細胞体の中の一部の細胞体であることに。
地球の様々な地震、気候変動を人間は災害と呼ぶが、人類が引き起こしている人災なのである。
人類の教育はこれさえも解からない程度の学問ということになる。
答えは裡にあり、全知全能の知恵は裡にある。本当に自分は裡にある。
宇宙は神一元であり、1つなる神、仏は汝の内にあり。汝そのものが神なのである。
ブッタも汝の主は汝の内なる自灯明、法灯明であることを知りなさいと云われている。
キリストも愛ということで内なる生命が我であることを示されている、
すべてのすべてありてあるものは神であり、我である。すべては1つなる生命のみが実在している。見える現象、万象万物は 1つなる宇宙生命の化身として顕れているだけで、我も内なる生命の顕われとして現象している。自問自答とは内なる我、神に問いかけているのである。答えは外にはないのである。宇宙は神一元であり。神以外実在しているものはないのである。
すべてが神、仏であり、現象は神、仏の顕れである。神、仏が別に居て人間が存在するということはない。無限宇宙の1つの中に2つは存在しないのである。あるのは原因なき原因があるのみである。
2024年1月1日月曜日
生命が現象を顕している
宇宙は1つなる生命のみが実在している。
この実在が本源本質であり、これを神、仏と呼んでる。神、仏とは生命のことである。
神、仏とは法則のことであり、キリストは愛と云い、生命のパンと云い、仏陀は慈悲と云い、中道と云っている。宇宙は完全バランスの中性なる永遠なる生命体。原因なき原因が宇宙の1つなる無限生命、普遍生命である。
この本源本質が様々な環境の波動において様々な形態に変化し、生命が宿り、現象化している。
見えない生命は様々な形態を造り、現象化している。現象化しているものがあるのではなく、現象化させているものがあるのである。本来の我は高バイブレーションの我であり、観自在、無碍自在の無形無双の空の我である。今生は仮の宿から本宿に戻る為に現象界で休憩しているのである。本宿に飛び立たなければならないが、この現象界にまだ未練があり、腰の重い人類であり、我である。
悟りとは何か
孫悟空という寓話がある。悟りとは空であるということである。
宇宙は1つなる見えない生命体。こ゚の生命体が宇宙の本源本質である。生命の根源である。
この中に万象万物は生命の化身として生命により顕されている。悟らなくても初めから悟っているのである。すべて空からすべての現象は顕れている。これから悟ろうとしても悟れない。元の我に帰ることである。悟っている中に生まれていながら、悟りを目指すのは滑稽である。
難行苦行悟りにあらずである。宇宙は無我であり、1つであり。無限生命であり、人間はその中の現象であり、実在はしていない。得ようとするものは奪われる。悟りの中に居て悟ろうとしても悟ることはできない。空ということを知る、理解する。そのものに同化する。
宇宙は初めから永遠なる生命体であり、空なのである。我も初めから空なのである。
神の中に居て神を探しても見つからない。
一番の問題は人間が実在しているという錯覚から離れることにある。この現象界は仮の宿、俗世、浮世と呼ばれている幻想の世界である。幻想界から波動の高い実租の世界を見ることはできない。